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深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

A trip to towns where castles existed in Hokuriku district in Japan②

さて、今回の更新は、前回に引き続き、北陸ツアー後編、金沢での英国製クラシックレンズ大暴れの様子をレポート致します。
当日は、朝、駅至近の宿を10時前に出て、金沢観光定番の市内バス一日乗車券を買い求め、まずは向かった先が、歴代の前田公が祀られている尾山神社、そこから、まずは犀川の対岸にある、ジブリ風の三階建ての木造割烹を撮りに向かい、それから、また東側に戻り、ランチまでと時間を決めて長町の武家屋敷界隈を撮り歩き、しかるのち、21世紀美術館経由、ポールボキューズ金沢でのランチを挟み、いもり堀手前のしいのき緑地公園でイベント撮影し、城内、兼六園と撮影し、夕刻まで主計街茶屋街、ひがし茶屋街と撮って一日のスケジュールを終えたという次第。
では、11月5日当日、朝からの行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズはCooke Sppedpanchro28mmf2.8mod.Mによる全コマ絞り開放AE撮影となります。

北陸2211_016
まず一枚目のカットですが、市内循環バスを降りて大通りを直進し、左に曲がると、すぐ目の前に見慣れた国指定重文の尾山神社神門、これは、見た目よりも比較的新しく、明治8年に建てられたもので、加賀藩を象徴する戸室石のアーチと木造構造体に銅板外装となっているもので、丁度、前に観光客が立ちふさがったところで、一枚撮ってみたもの。

北陸2211_017
二枚目のカットですが、無事、尾山神社にお参りをして、普段ならそのまま奥に抜けて鼠多門橋経由、玉泉院庭園、三十間長屋から金沢城址公園にアプローチするところですが、そうすると、お城の下、尾山神社からは90°の方向、南側にあるレストランに着く時間が中途半端になってしまうので、いったん、100万石通りこと国道157号の大通りに出て、香林坊経由、徒歩10分ほどの犀川大橋を渡り、対岸に位置する「山錦楼」の木造建築を下から撮ってみたもの。

北陸2211_018
三枚目のカットですが、無事、「山錦楼」の裏表を撮って、背面LCD撮影結果を確認、やっぱ28mmをフルサイズで使うと画角広くて助かるなぁ・・・などと周囲が相当ブラックアウトしているにも関わらず、妙に納得して、再び犀川大橋を渡って、もと来た100万石通りを香林坊方面に向かい、金沢東急ハンズのところで左手に入り、長町の武家屋敷通りに入ってまもなくの薬問屋か何かをリフォームした記念館の庭に咲くツワブキの黄色い花を至近距離で撮ってみたもの。

北陸2211_019
四枚目のカットですが、ランチまでの時間を気にしながらの武家屋敷街散策ではありますが、それこそ訪問した回数は名古屋支店勤務の30年前以降、10回や20回ではきかないくらいなので、地図など見なくとも、撮影スポットは頭の中というか、暗黙知の如く、行動に沁みついており、今回も手際よく撮って回ったのですが、これぞ武家屋敷の佇まい、といったイメージの、石垣で覆われた用水に面した築地塀を撮ってみたもの。

北陸2211_020
五枚目のカットですが、前回来た時に欲しいなぁ・・・とか思いつつ、カメラバッグの中がレンズでぎゅうぎゅう詰め状態で、さりとて、焼き物を割れないように新聞紙か何かで来るんだ白いビニール袋を提げての撮影継続も、本末転倒・主従逆転、旅行の趣旨にはそぐわないので、ギブアップしてしまったのでですが、今回は使うレンズのみ厳選して後は宿の大カバンに収めてきて余裕あったので、お店に向かう途中の時代掛かっった街並みを撮ってみたもの。

北陸2211_021
六枚目のカットですが、京焼から招聘されて、再興九谷焼の始祖の一人になったという春日山窯の青木木米の窯跡に建つ陶磁器店でなかなか小洒落た小皿などを買い求め、このところ、那覇、萩、唐津、とあちこちで陶磁器の小品を買い求める悪癖がぶり返したなぁ・・・などとちょっと後ろめたい思いを秘めつつ、ランチを頂く、しいのき迎賓館方面へと向かうべく、100万石通りを目指して武家屋敷通りを歩きながら、なかなか清楚な雰囲気の総髪ちょんまげ頭の小姐が前に居たので、有難く一枚戴いてみたもの。

北陸2211_022
七枚目のカットですが、通りをしばらく進むと、昔は下級武士の屋敷だったところが、この令和の御世では伝統工芸を伝承する「職人大学」という施設になっていて、その庭園部分は一般に無償開放されていたのでその中に足を踏み入れてみたら、生徒さんたちが自力で設計・施工したという木造の茶室があり、ちょうどその手前に桜が紅葉していたので、至近距離から一枚撮ってみたもの。

北陸2211_023
八枚目のカットですが、同じ敷地の中を好奇心の赴くまま散策していたら、重厚な趣きの施釉瓦葺きの母屋の脇で、このところ、滅多に見かけないような、濃淡様々なオレンジ色の実をたわわに実らせた柿の木の枝が伸びてきていたのが目に留まったので、秋の薄雲の浮いた青空をバックに一枚撮ってみたもの。

北陸2211_024
九枚目のカットですが、そのお屋敷跡を出てから大通りを目指して歩いていたら、建物は殆ど残されておらず、殆ど池付きの庭園だけになってしまったような公園があったのですが、その池のほとりに、先ほどの薬種問屋跡をリフォームした記念館の庭先に咲いていたのと同じような黄色いツワブキの花が秋空を写す水面をバックに可憐に咲いていたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

北陸2211_025
十枚目のカットですが、香林坊のバス停から市内循環バスに乗って、21世紀美術館前で下車し、まずは金沢最古の鎮守とも言われる「石浦神社」にお参りしてのち、道の反対側にある21世紀美術館に足を踏み入れ、ランチタイムも間近、かつ、意外と入場料がお高いので、庭先のみ撮らせて頂こうと決意し、RGBの森こと「カラーアクティビティハウス」で遊ぶ若い人々の様子を一枚撮ってみたもの。

北陸2211_026
十一枚目のカットですが、21世紀美術館の庭先でちゃちゃっと何枚か撮って、キブンはミシュラン星付きフレンチだったので、海鮮丼も回らないお寿司もものかわ、美術館からは目と鼻の先にある、しいのき迎賓館一階の「カフェ&ブラッスリー ポール・ボキューズ」にそそくさと移動し、至極のランチを頂いてのち、本格的な金沢場内探訪の前にレストラン目の前のしいのき緑地でやっていたイベントで、NPOか何かによる、恐竜のハード着ぐるみでじゃれていたいたいけな極小姐達の様子を一枚撮ってみたもの。

北陸2211_027
十二枚目のカットですが、15時までに行かないと、重文の三十間長屋という、実質的には戦時の防衛拠点となり得べき現存多門櫓の内部を見学出来なくなってしまうので、兼六園内の撮影は雪吊中心として、急ぎ足で兼六園から金沢城への最短アプローチである石川門に到達した時、ちょうど、時代掛かった和装のカポーが追い越していったので、有難く門全体撮影にエキストラ出演願ったもの。

北陸2211_028
十三枚目のカットですが、門限の厳しい三十間長屋も無事見学出来、その後、五十間長屋から菱櫓に至るまで木造復元の建造物群の内外を存分に堪能し、次に移動するひがし茶屋街へのバスでの移動を考えると、兼六園下が一番利便性が良いので、再び石川門から出た時、お堀通りの上に位置する江戸町通りの入口付近で、小姐二名に記念撮影お当番を頼まれたので、マスクはずす代わりに距離とる条件でモデルさんになって貰ったもの。

北陸2211_029
十四枚目のカットですが、城内の撮影のお後は、釣瓶落としと言われる秋の陽が暮れかかった頃に到着した浅野川沿いの主計町茶屋街でちょこちょこと定番の撮影後、道を渡り、金沢最大の伝統的景観地区である、ひがし茶屋街で撮影開始、まずは、メインストリート入ってすぐの店舗の出入口脇に植えられていた南天の木が真っ赤な実を実らせていたので、至近距離から黄昏の街並みをバックに一枚撮ってみたもの。

北陸2211_030
十五枚目のカットですが、茶屋街の奥まで撮って、さあ、宿へ戻って、装備置いてから金沢飯をディナーに食べに出る前に、どこかに寄ってお茶でもしようかなぁとか考えながらまたメインストリートの入口付近まで戻ってきたところ、声色からして学生さんのグループ旅行と思しき小姐の一個小隊がお互いにスマホンで記念撮影の撮りっこでもするのか、お互いに身だしなみの相互チェックなんかやっていた様子が面白く、しらばっくれて一枚頂いてみたもの。

今回の感想ですが、いやはや、28mmf2.0のSpeedpanchroを初めてフルサイズで撮りましたが、思ったよりいメージサークル有って、使いようによっちゃ、画面の演出として効果的に使えなくもないレベルなので、実際にキャップレンズ並みに薄型の軽量・コンパクトなので、たとえば、台湾の金瓜石の金鉱住宅跡とか、上海の弄堂の路地裏なんか散策するのにはもってこいのカンジがします。

さて、来週はいよいよ21mmf1.5のお披露目と行きたかったのですが、先々週末が全然それどころではなかったので、「どうする家康!?」で盛り上がる前の東海道沿いのお城探訪の前回の積み残し分探訪をレポート致します、乞うご期待!!
  1. 2023/06/04(日) 18:56:33|
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A trip to towns where castles existed in Hokuriku district in Japan①

さて、今回の更新は、やっぱり、それ見たことかの21mmf1.5の試写が間に合わず、代わりに22年11月に出かけた北陸ツアーからの撮影結果をお送り致します。
まず簡単な行程ですが、11/3(木)の文化の日から、11/4(金)を有休取って日曜までの4日間ぶち抜きで北陸へ出かけて、いずれもお城のある富山~金沢、そして芦原温泉からバスで出かけた記録をお送り致します。
全カットとも、カメラはSONYα7c、レンズはCanon28mmf2.8Lによる絞り開放AE撮影となります。

北陸’2211_001
まず一枚目のカットですが、出発当日は北陸新幹線で富山まで移動し、そこで至極の海鮮丼など頂いてからお城を見て、夕方までに投宿する金沢まで移動する予定だったのですが、往きの新幹線内のJR西日本の無料ガイド本に面白げな港町があるのでそこに寄って行こうと思い、まずは富山城へ徒歩で移動し、まず門を潜ってすぐの天守閣風建物を富山城模擬天守閣と思い込んで裏側から撮ってみたもの。

北陸2211_002
二枚目のカットですが、天守閣風の建物を撮ってはみたものの、何となく、記憶していた建物の高さ、奥行とだいぶ違うので、まず正面からじっくり観察しようと思い、建物向かって左方向に歩いてみたら、あった、あった、ホンモノのちょっと 何でもかんでもくっ付けちゃった感満載の模擬天守閣が広場の向こうに聳え立っていたのですが、その前に、木造復元と思しき門が立派だったので、いったん外に出て、正面から逆光もものかわ、EVF越しに弾けるフレアを入れたまま、門の全体像を撮ってみたもの。

北陸2211_003
三枚目のカットですが、門から改めて、「登城」ルートを辿って、広場を通り抜けていくと、今まで見たことがないような、とにかく、日本人の持つお城のイメージ、即ち、天守閣の廻りの櫓や櫓門を全部寄せ詰めてぎゅっと凝縮したような佇まいの不可思議なRC造の建物なのですが、一応、石垣と漆喰壁と瓦屋根というお城の文法は忠実に踏襲しているので、史実を無視との誹りは受けても、写真写りは悪くないので、足を止めて全貌を一枚撮ってみたもの。

北陸2211_004
四枚目のカットですが、なんと、訪問当日は、すっかり休日の名目など忘れて久しい今日この頃、「文化の日」にちなんで、市民、県民に限らず、なんと、国籍を問わず、入場料無料ということで、佐々成正を中心とした、このお城の歴史に関わる、物品やパネル、そして映像再生による、見せる博物館になっていたので、翌月初には城郭検定準一級の試験が控えていたため、気合い入れて展示を見学し、帰り際に、表の作り物っぽい外観とは裏腹に、高石垣の上の白亜の天守が季節の紅葉越しにお濠の水面に映っていたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

北陸2211_005
五枚目のカットですが、富山城の後は駅前経由、市電で北前船の栄華を今に伝える岩瀬の集落に回ったのですが、そこでのカットは全て「Pentac2"f2.9」二号機のご紹介で昨年アップしてしまっているので省くこととし、翌日に芦原温泉の駅前からのバスで訪問した丸岡城下のバスターミナルから上がってきてすぐの、古風ながら小ぶりでどこか愛くるしい天守の全景図を撮ってみたもの。

北陸2211_006
六枚目のカットですが、二層三階建ての建物全体の大きさに比してかなり高めの野面積みの石垣に設けられた石の階段を登りつめると、正面向かって右側に控えめに設けられた天守内部への入口があり、ここで登る時に買い求めてきた、錦織の付箋の付いた入場券を提示して中に入ってすぐの入母屋造りの一階内部廊下側の様子を一枚撮ってみたもの。

北陸2211_007
七枚目のカットですが、外観写真からだと判りずらいのですが、巨大な三角形の入母屋破風が一階屋根の上の四方に設けられているのですが、ここが、実は或る意味、極めて巧妙に設けられた銃眼となっており、当時敵対していた北陸一向宗の一揆軍が押し寄せてきたら、ここから火縄銃で撃ちまくっていたのでしょうが、この平和な令和の御世にこの窓から眺める街の景色は長閑そのもので、視界下方には現存12天守唯一の石瓦、笏谷石削り出しの瓦屋根が見えます。

北陸2211_008
八枚目のカットですが、窓越しの景色から一転して内部に目を転じ、天守最上階の三階望楼部へ上がろうと二階内部隅の階段に向かって歩いて行きましたが、この日は幸いなことに上り下りする人間はもちろんのこととして、階段付近に人っ子一人居なかったので、このお城の幾つかある特徴のひとつ、壁際の極めて狭いスペースから登る、梯子並みに急で狭い階段、をひと目で判るように工夫して一枚撮ってみたもの。

北陸2211_009
九枚目のカットですが、八枚目のカットに写る、現代の木造建築では有り得ないような狭くて急な、それこそ何人かで登っている時に一番上の人間が何らかの拍子でコケでもしたら、文字通り将棋倒しで阿鼻叫喚の修羅場が引き起こされそうな恐怖の階段を登り切って到達した最上階望楼部の20トンもの石瓦を支えているという木組み構造に興味を持って一枚撮ってみたもの。

北陸2211_010
十枚目のカットですが、こんなちっちゃくて可愛い三階建ての天守閣ですが、ことのほか、最上階の望楼は、四方に開け放たれた窓が大きく、格子こそははめられていましたが、屋外に降り注ぐ陽光を取り入れるには十分な高さ、幅で、逆に考えれば、外から火縄銃で狙撃されたら、最上階の兵員は常に伏せていないと、まさに降り注ぐ鉛玉の雨により、蜂の巣になってしまうのではないかと心配してしまうほど明るくて開放的な空間だったため、人が大勢上がってきた頃合いを見計らって一枚撮ってみたもの。

北陸2211_011
十一枚目のカットですが、お城巡りの常として、最上階へ登ってしまえば、後は元来た道を辿って降り、下城するだけの話ですから、今回l、二度目の登城ということもあり、バスの時間を睨み、ほどほどの時間で退出しようと再び急峻極まりない階段に向かったところ、ちょうど、後世に安全確保の観点から付加されたナイロンロープを掴んで降りようとするご婦人の後姿が目に入ったので、慌てて一枚撮ってみたもの。

北陸2211_012
十二枚目のカットですが、再び一階の書院造りの広間を通って、出入口から天守の外に出て、高い石段を慎重に下って、お城のそびえる本丸の地面に降り立ち、晩秋の澄んだ空をバックに聳える天守の偉容を撮ろうと、横位置でカメラを構えたところ、ちょうど家族連れがおっかなびっくりの呈で降りてきたので、有難く一枚戴いてみたもの。

北陸2211_013
十三枚目のカットですが、前月に訪問した福知山城で、転用石(石塔や墓石などを持ってきて石垣に使ったもの)を大量に発見したので、同じような野面積みの石垣を持つここ丸岡城でも、同様の例がないか、丹念に探してみたい気持ちになり時計回りに天守台の石垣の廻りを回ろうとした時、井戸の横の桜の木の葉が紅葉していてイイ案配だったので、足を止めて荒々しい石垣とのツーショットを一枚撮ってみたもの。

北陸2211_014
十四枚目のカットですが、裏手に回ってみると、ひと目で見て、墓石の台座をひっくり返して石垣にはめ込んだと判るものが、画面向かって左手、窓の右下、ちょうど紅葉した葉を生やした三又の枝の真ん中が石垣上の転用石を指し示すような構図に写っており、これはしたり!と大発見キブンで撮ってから、宿に戻ってから調べてみれば、物凄く有名だったということが判り、とても地味なキブンになった一枚。

北陸2211_015
十五枚目のカットですが、前回は時間不足もあって、見落としも多かったですが、今回は十分にお城を堪能し、しかも、前回は往復約4kmの道を殆ど徒歩で移動したのに、今回は丁度お城の聳え立つ小山の裏側に位置する、かなり大規模な、売店・食堂付きバスターミナル経由、往復、バスでの楽ちん移動ですから気も楽で、ターミナル向かいの、なんちゃって城郭建築こと「一筆啓上 日本一短い手紙の舘」の外観を撮ってみたもの。

次回は後編、金沢での英国製クラシックレンズ大暴れの様子をレポート致します、乞うご期待!!
  1. 2023/05/28(日) 23:54:03|
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A comfortable trip with Leica's optics to west Kyushu Nov.'22.

さて、今回の更新は、またしても予定変更、急遽帰省したために21mmf1.4の撮り下ろし出来ず、仕方なく、滞っていた、昨年下期の旅日記から挙げることと致します。
旅行先は佐賀から熊本、この旅行は、月曜日からの熊本市内への出張の前乗りで近隣県である佐賀市の駅前のホテルに土曜夜から宿をとって、到着日は市内の佐賀城、その翌日は、前回の’22GWの日本縦断お城巡りのスタート地点、佐世保からのアクセスが予想以上に悪く、結局、行きそびれてしまった「名護屋城址」を訪問し、出がけの駄賃に唐津城寄って、大当たりの下馬評も高い唐津駅前の焼き物ガチャやって、佐賀市内に戻り、翌日、熊本に入って、午後からの仕事の前に熊本城を訪問してきたという、かなり奉公先の出張に寄生した感無きにしも非ずの旅でしたが、それでも、荷物の関係上、1台のみ持ち出した小型軽量のボディα7cとタグを組んで、大活躍してくれたライカのレンズ2本の仕事ぶりを眺めてみたいと思います。

Saga2210_001-01.jpg
まず一枚目のカットですが、当日は、午前中の羽田発の便で福岡は板付飛行場に入り、そこから、高速バスで佐賀駅前を目指し、駅から徒歩10分弱のホテrにチェッキンし荷物を置いてから、また駅前に戻り、嬉しいことにこの週末はタダで乗り放題という市バスに乗って佐賀城址最寄のバス停まで移動、しかるのち、徒歩でお濠に囲まれた本丸を目指し、立派な天守台跡石垣の手前まで来たら、いたいけな地元の童子達が無為に遊んでいたので、遠慮なくモデルさんになって貰ったもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_002-01.jpg
二枚目のカットですが、正面から、最初の目的地である佐賀城本丸歴史舘こと、日本で一番最初という木造復元の本丸御殿を目指すべく、石垣の南側に開けた本丸への通路を辿り、先ほど遠目に眺めた天守台跡の立派な石垣の横を通ろうとしたら、よほどこちらの童子達は部活とか塾、習い事の類いが嫌いなのか、東京近郊では見かけないくらい集団で外遊びしており、自転車を近くに止めて、石垣の下のベンチにぎっちりと座り、健全な男女交際の在り方の見本みたいな姿勢だったので有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_003-01.jpg
三枚目のカットですが、本当はこの江戸時代から現存する由緒ある建造物、しかも佐賀の乱で賊徒との交戦で受けたスペンサー銃だったかの弾痕が複数個所残っている、歴史の生き証人とも云える「鯱の門」を潜った方が近道だったのですが、ぐるっと大回りして門の中に出るルートを辿り、天守台にもつながった、かなり立派な切込接の石垣の上に建てられた櫓門である「鯱の門」の雄姿を大きさが判るよう、子連れの若いおとっつあんが通りがかった瞬間狙ってシャッター切ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_004-01.jpg
四枚目のカットですが、「鯱の門」の建つ広場を過ぎると、広々とした本丸広場の一角に忽然と総木造の復元本丸御殿の偉容がいやでも視界に入り、当日は、天気もまぁまぁ佳かったこともあり、青空に浮かぶ雲と甍の波の対比もすこぶる判り易い構図だったので、一刻も早く、入場料無料の建物内部に入りたいと逸る気持ちを抑え、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_005-01.jpg
五枚目のカットですが、さすがお城の御殿、色々な役割の部屋やゾーンがたこ足のように生えていて、一般住宅や並みの神社仏閣とは比べ物にならないほど、間取りが複雑怪奇になっているため、外からは、中の広さは想像もつきませんでしたが、現存の御殿4件やこの後に復元された名古屋城本丸御殿同様、長くて高い天井の廊下、そして多くの部屋が襖で仕切られているという基本構造は変わらず、平成16年竣工ですから、築19年目にしてはまだ白木の面影残る内装を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_006-01.jpg
六枚目のカットですが、翌日は、佐賀駅前の宿を9時過ぎに出て、電車とバスを乗り継ぎ、唐津市のお隣り、鎮西町にある、まさに文字通り、太閤秀吉の夢のまた夢、兵どもが夢の跡とも云える、文禄・慶長の役の日本側の発進基地となっていた「名護屋城址」に辿り着き、天気にも恵まれ、晴天の下、玄界灘に浮かぶ島々をバックに、当時は大坂城に次ぐ規模だったというこの巨大城郭の心臓部、天守閣跡に登り、数少ない痕跡である史跡の碑を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_007-01.jpg
七枚目のカットですが、天守閣の跡のある、史跡一番の高台から眼下を眺めると、当然のことながら、豊臣政権の終焉を待たずして、木造建造物は跡形もなく破却ないし、近隣の城郭へ移築されてしまったのですが、城郭建築史のイロハのイの通り、上の木組は簡単に壊したり、移したり出来ますが、その下の石垣、土塁の類いは重量もあるし、建造物と違い、再組み立ての難易度が比べ物にならないので、そのまま放置され、経年変化はあるものの、比較的容易に復元出来るので、石垣と土塁は曲輪内に再整備されていて、往年の姿を偲せていたので、上から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

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八枚目のカットですが、暫し、天守台跡で東シナ海を渡る心地よい風に身を任せていたのですが、そろそろランチタイムを考えると、博物館経由、新鮮なイカを食べさせてくれるという道の駅に入る時間に間に合わなくなってしまうので、太閤秀吉の夢の跡に後髪引かれる思いはありましたが、天守閣跡を発って、二の丸跡経由博物館への道を歩み始め、
名残惜しい気持ちで、玄界灘をバックに佇む夢の跡の象徴、天守閣跡の全景図を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

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九枚目のカットですが、博物館への道すがら、二の丸跡の広場を通ったら、おそらくは侵攻軍の兵卒の宿舎、ないし礎石の無い掘っ建て小屋であることから築城の際の人夫の長屋とも言われていたかなり大きめの木造建造物の柱の跡を示す太い丸太がセメントブロックのつなぎ目のところどころに打ち込まれて、往時の建物の規模感をイメージさせていて面白いと思い一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

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十枚目のカットですが、名護屋城のメインエリアを出て、道路を跨ぐ橋を渡って、反対側の丘陵の上に建つ、名護屋城博物館へ足を運び、この下の道の駅の生け簀で待っていてくれているはずの新鮮な呼子のイカの売り切れが頭をちらつきながらの見学となったのですが、中でもあちこちで見かける秀吉のアイコンのひとつである「黄金茶室」が暗い部屋の中で燦然と輝いていたので、撮影可能な旨確認の上、一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

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十一枚目のカットですが、博物館をの見学をひと通り終え、期待に胸膨らませ、足取りも軽く、呼子のバスターミナル内の観光案内所の妙齢の女性職員に教えて頂いた、この辺りでもピカイチという、道の駅内の「桃山亭海舟」で最後の一杯となったアオリイカの活作りを有難く堪能し、またバスと電車で唐津市内に戻り、まだ時間があったので、駅舎内の観光案内前の焼き物ガチャを楽しんでから、テクテク歩いて、唐津城に登って、麓から模擬天守の全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_012-01.jpg
十二枚目のカットですが、二回目の訪問とは言え、天守の麓まで登ってきて上がらないという選択肢はなく、入口で木戸銭を払い、土産のメダルの有無など確認ののち、RC造の建物内部に設けられた階段を登り、各階の展示テーマに沿った展示品など眺めながら、だいたいは景色の良いところに建つ天守の中でも屈指の絶景である最上階からの玄界灘の眺めを堪能し、某国営放送でも取り上げていた、虹の松原を上から撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

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十三枚目のカットですが、到着三日目、月曜日の朝、佐賀の駅を出て、お昼前に熊本到着後、まず宿舎のホテルに荷物を預けたのち、ほど近い熊本城まで徒歩で移動し、集合時間まで二回目の城内見学を楽しもうと復興期間中限定という鋼製の特別見学ルート上のデッキの上から、「二様の石垣」、即ち加藤清正、細川忠利それぞれの設けた微妙にカーブの異なる本丸の石垣越しに天守閣の偉容を撮ってみたもの。
メラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

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十四枚目のカットですが、ここ熊本城は、実戦で生き残るための仕掛け満載のまさに、西の要塞で、西南の役では、攻めの西郷軍が「おいは新政府に負けたんではなか、じゃっどん清正公に負けたのでごわす」と言わしめた戦のためのマシーンそのものなのですが、特に本丸への進入ルートが御殿の下の地下通路を通り抜けねばならないという、攻城側からしたら、まさに闇討ちのリスク満載の恐るべき仕掛けがこの「闇り通路」というわけで、全体像を一枚撮ってみたもの。
メラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

Saga2210_015-01.jpg
十五枚目のカットですが、ここ熊本城で数少ない江戸初期からの現存建造物「宇土櫓」が22年秋から完全解体に入り、二年かけて解体ののち、入念な学術調査を経て、次に耐震補強等の保存修理工事を終え、また元の場所に姿を表すのが早くて10年後ということですから、或る意味、一定以上の年齢の人間にとっては、今の解体前のひと時の「宇土櫓」の姿を目にすることが今生の別れと言えなくもないので、大天守最上階の展望台からその年老いた野武士のような凛とした佇まいを目に焼き付けるとともに一枚撮ってみたもの。
メラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

今回の感想ですが、やはりライカのレンズは味だけではなく、描写性能も信頼性もやはり優秀です。これまでボディはR-D1sからM8、X-Pro1,2、そしてM(TIPO240)と色々使いましたが、どのボディでも、レンズの個性を主張し、しっかり旅先の思い出を持ち帰ってくる、とても頼もしい相棒だと改めて感じ入りました。

さて、次回は、撮りに行けたら21mmf1.5の試写結果、ムリだったら、22年11月に出かけた北陸ツアーからの撮影結果をお送り致します、乞うご期待!!
  1. 2023/05/14(日) 17:14:53|
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プロフィール

charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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