fc2ブログ

深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

Day trip to traditional town with classic lens ~Hagi on Sept.10th. '22~

さて、今年最初の更新は、工房の旋盤初めで作り上げたレアレンズの仕上げが間に合わなかったので、代案として用意していた、昨年9月の奉公先の出張と絡めて25年ぶりに訪問した萩の街をクラシックレンズで撮ったものをお送りしたいと思います。
月曜の出張に絡めて、前週金曜日フレックスで夕刻、新幹線で徳山に入り、そこを拠点として、萩や岩国を撮り歩いたのですが、土曜日の萩は、いつのまにか小郡から新山口への駅名が変更された駅前から、高速バスで一時間程度で着き、昼食をはさみ、小郡行きの最終バスの時刻まで撮ったものです。
では、さっそく、当時の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による全コマ開放でのAE撮影となります。

Hagi_001.jpg
まず一枚目のカットですが、高速バスから降りて、すぐに市内循環バスの一日乗車券を買い求め、向かった先は、惜しいことに前回訪れた時は存在すら気にも留めていなかった萩城址で、後で歩いて気付いたのですが、コンパクトな萩市内をかなり大回りに回るため、ヘタすると明倫館前のバスターミナルからなら、歩いて行った方が早いのでは、と思ったくらい時間をかけて到着した萩城の入口から天守台を濠越しに眺めたもの。

Hagi_002.jpg
二枚目のカットですが、大手門に相当する入口から、真面目に入城料220円也を支払い、その際、おマヌケなことに仏頂面で提示したJAFカードが1か月期限切れであることを受付のご老人に指摘され、一気にテンション下げ下げで向かった城内で発見したのが、お濠の向こうに現れた敵に対し、城内から石垣上に一気に戦力を差し向けるために設けられた「雁木」石段が立派だったので、気を取り直して一枚撮ってみたもの。

Hagi_003.jpg
三枚目のカットですが、基本的に明治のご維新で、天守閣以下、郭内の建物は悉く破壊され尽くしして、石垣と土塁、そして築地塀の残骸くらいしか残っていない、城内を散策していて、ふと眼についた、斜面の階段を登り、東側の石垣上に出て目にしたものは、本土にしては、珍しく浜辺と水のきれいな海岸だったので、バックに山並みを入れて一枚撮ってみたもの。

Hagi_004.jpg
四枚目のカットですが、萩城址東側の、郭内は土手、外側は石垣になっている辺りを何気なく散策していたら、こんなものをこのまま放置しておいて、よく盗まれないものだ、と関心するような、時代がかった本瓦葺きの土塀の遺構がかなり原型を留めた状態で、木立の中に遺されており、実はこの土塀、入城料を徴収する廓の外に在り、この最寄りの出入口はフリーパスで、ここから入れば、入城料は実質無料だった、というだけの話なのですが、この見事な土塀の遺構に感心し、足を止めて一枚撮ってみたもの。

Hagi_005.jpg
五枚目のカットですが、さて、お楽しみは最後に、と取っておいた、天守台に向かうこととし、先ほどの丑寅の方向に在った土塀遺構から見れば、未申の方角に遺る天守台はちょうど対角線に当たり、そもそも、なんで裏鬼門に当たるし、大手門と並ぶような位置関係の、それほど幅の広くないお濠に面した位置にお城の心臓部に当たる天守閣を建てたのだろうかなどと考えを巡らせながら、天守台遺構に到着し、その上面に残る、かつての建物の忘れ形見である礎石群を一枚撮ってみたもの。

Hagi_006.jpg
六枚目のカットですが、実のところ、一枚目に上げた大手門付近からの天守台遺構周りの写真は誰もが撮るし、逆に言えば、初めて行った人間では、他に天守台を撮れる位置まで辿り着けないような、周囲の道路の付け具合いだったのですが、ここでも、いつもの勘働きを頼みに、いったん廓外に出てから、スマホンのマップを参考に細い道を進んで行ったら、ちょうど、お濠を挟んだ、天守台遺構の対岸に出ることが出来たので、見事な秋空をバックにその偉容を一枚撮ってみたもの。

Hagi_007.jpg
七枚目のカットですが、真面目に入城料を支払い、受け取ったチケットには、城の近所にある、国指定重文である、下級武士の長屋も見学出来るというので、それほど急ぐ旅じゃなし(と、この時点では思っていた・・・)、せっかくの入城料のうち、ということで、中に入り、建物もさることながら、初めて目にした、在りし日の萩城天守閣の古写真などに感心しながら、記念写真代わりに長屋の全景を一枚撮ってみたもの。

Hagi_008.jpg
八枚目のカットですが、下級武士の長屋を後にして、向かった先が、萩城址から小郡改め、新山口からの高速バスを降りた明倫館までに広い範囲で残っている、今で言うところの伝統的景観保存地区、早い話が、武家屋敷の残る古い街並みですが、わざわざ市内中心部を回るのであれば、わざと遠回りするバスの一日乗車券など買わずにとっとと、明倫館前から歩いて古い街並み経由、お城に向かえば佳かったと思うくらい、古い木造建築が良好に保存されており、しかも驚くことにその多くが、住居や店舗として、今も住人を宿しているのですがそのうちの一軒の、藩の重役の屋敷だったというお宅の外回りを一枚戴いてみたもの。

Hagi_009.jpg
九枚目のカットですが、先ほど市内循環バスを降りた東側の船着き場のあるお濠沿いの道路上にある観光案内板を頼りに、ひたすら東側に位置する明倫館、即ち、帰りのバスに乗るターミナルの方角を目指して歩き出したのですが、さすがにお城の近くの元武家屋敷はどれも相当な面積があるらしく、長い塀、そしてそれらが載った石垣が延々と続くばかりで、早く写真の撮り甲斐ありそうな場所に出たいものだ、とか思いながら歩いていたら到達した、城内と町屋地域との境目に建てられていた北の総門を木造復元したものを町屋側から撮ってみたもの。

Hagi_010.jpg
十枚目のカットですが、「北の総門」を過ぎてまもなく、幹線道路沿いに古民家をリノベした、或いは周囲とそっくりに建て直した建物に収まった、土産物屋、飲食店などが軒を並べ、観光客なども行き交い、活気ある地域に出て、その中でも、よく、金沢や福井といった北陸界隈の北前船で栄えた古い港町辺りで見かけることの多い大土蔵の、塗りたての漆喰壁も美しい建物を横から一枚撮ってみたもの。

Hagi_011.jpg
十一枚目のカットですが、古い街並みを徘徊し、やれ、高杉晋助の生家だ、木戸孝允の旧宅だとか、名所旧跡を眺めるだけでは飽き足らず、萩焼の窯元の店先の笊にちょこんと置かれていた、ご奉仕品の湯呑がどうしても気になって、いったん通り過ぎたあと、1kmも先からまた戻って買い求め、あれこれ眺めては行きつ戻りつしている最中、日傘をさし、しゃらんしゃらんと優雅に追い越していった小姐に街並みへのエキストラ出演して頂いたもの。

Hagi_012.jpg
十二枚目のカットですが、同じく、城下町のタイムスリップした先の迷宮のような細い路地のような街並みを眺めながら徘徊し、時折、面白げな建物などを見かけたら、都度、シャッターを切っていたのですが、傍らを通り過ぎて行ったのが、なんと、漫画「ちびまる子ちゃん」から抜け出てきたような髪型、体形、そして動きの小々姐連れの中年の母親で、これは街並みとのアンマッチさが面白いと思い一枚撮ってみたもの。

Hagi_013.jpg
十三枚目のカットですが、そろそろ幹線道路に出て、明倫館を目指さないと、この街を出発する前にアフタヌンティーのお茶とスィーツを楽しむ時間がなくなってしまうので、萩焼の窯元などが点在する細い通りの入り組んだエリアから北に向かって歩き出したところ、ちょうどお客を二人載せた人力車が通り過ぎていったので、速足で追いすがり、停まって説明するためにスピードダウンしたところを狙って一枚撮ってみたもの。

Hagi_014.jpg
十四枚目のカットですが、幹線道路を行き交う車の喧噪が聞こえる辺りまで来たら、この伝統建築群が建ち並ぶエリアに足を踏み入れる時に幹線道路側から撮っていたとは、完全に失念し、街並み側から立ち並ぶ大土蔵下部の海鼠壁の出来栄えが美しいと思い、秋の青空をバックに一枚撮ってみたもの。

Hagi_015.jpg
十五枚目のカットですが、直線距離では、1.8Kmもなかったにも関わらず、伝統建築が建ち並ぶエリアでかなり歩き回ったせいか、スマホンの万歩計ベースでの移動距離は、軽く4kmを超えた辺りで、やっとバスターミナルの在る、明倫館横の広場に辿り着き、着いて早々に市内循環バスに乗ってしまったために仔細に検分していなかった明倫館の入場料要らないエリアだけでも見ておこうと思い、まずはランドマーク的な正門と赤瓦も美しい校舎群を撮ってみたもの。

さて、次回は、翌日の岩国、そして最終日の大阪城公園の様子をレポートしたいと考えております、乞うご期待!!
  1. 2023/01/15(日) 19:15:08|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

An optic that takes us to a world full of thing amazing ~General Scientific 2” f1.6

20221225_210152.jpg
さて、今週のご紹介は予告通り、今年最後の更新、米国製超レアレンズによるシュルストレーミンもホンフェも真っ青のクセ玉描写をご披露して、一年の締めくくりとしたいと考えます。
まず、このレンズの氏素性ですが、米国はGeneral Scientific社という、知名度は殆ど無きに等しい、光学、理学機器を手広く商う会社の製品で、自社では生産ラインを持たないことから、国内外の光学機器メーカーからOEM供給を受けて、自社の産学官に広がるネットワークで販売していたようです。
今回のレンズも、夏頃に、恒例の電子湾夜釣りで適当に流していたら、絞り機構・ヘリコイドとも無しプロジェクタ用のペツバールタイプということで、意外とお値頃価格で、珍品の部類に入る、2”以下のGeneral Scientific 社製品が出されていたので、ほぼ反射的にポチッとな!してしまい、忘れた頃に届いていたのですが、バックフォーカスが異様に短かったので、これはライカマウントはムリだと考え、ミラーレス用として使うべく、改造パーツが届いてから、しこしこと閑を見つけては旋盤でジョイント&スペーサ金物を削りだし、今年最後の出張である、那覇出張の前週に完成し、仕事を完遂したプライベートタイム、最終日のフライト前の時間で鬼のように試写しまくったという次第です。
では、さっそく、当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。カメラはSONYα7cによる絞り優先AE撮影となります。

GC2_001.jpg
まず一枚目のカットですが、那覇出張では、GOTOもどきの官製キャンペンに乗っかって行ったため、普段、プライベートなら使わないような、立地も良ければ、お値段もそれなりに良い、国際通りの東端は牧志駅に石を投げれば届くくらいの至近距離の宿に滞在していたので、試写は庭のごとく通暁する平和通から壺屋、安里辺りで行おうと考え、国際通りから平和通に入ってすぐの土産物屋さん店頭に立っていた妙に艶めかしいミニーのマネキンにモデルさんになってもらったもの。

GC2_002.jpg
二枚目のカットですが、ここ平和通は那覇最大の観光スポットである国際通りに直結していることから、観光客目当ての土産物屋さんや軽食物販店が軒を並べているのはご存じの通りなのですが、奥の方に行くに従い、観光客のみならず、地元民各位の利用も想定した、オープンな手芸教室のようなものも散見され、そのうち一軒では、通りに面した机で、いたいけな童子達が紙粘土のようなものでシーサーみたいなものを作っていたので、その様子を通りざまに一枚戴いてみたもの。

GC2_003.jpg
三枚目のカットですが、平和通も終点に近づき、やちむん通りと呼ばれる、焼物工房、陶器店が軒を並べる壺屋地区へ通じる道への分岐点近くまでやってくると、よほど通の観光客か、地元民各位くらいしか歩いていないのですが、それでもこの日は、天気も良く、比較的、観光客の絶対数も多かったので、立地的にはかなり不利なはずの琉球ガラスのオリジナルアクセサリ等を商うお店を眺めている家族連れの姿が目についたので、通りをバックに一枚戴いてみたもの。

GC2_004.jpg
四枚目のカットですが、平和通から、壺屋地区への通路の手前の、確か手芸用品店の店先にネコ様専用の柔らかそうな毛足の長い毛布を敷き詰めた大きめの籠のようなものが置かれ、店先には何頭か色とりどりのネコが居たのですが、この居眠りネコだけが、人間に対する警戒心ゼロで、このレンズの最短距離付近まで近寄っても、微動だにしなかったので、有難く一枚戴いてみたもの。

GC2_005.jpg
五枚目のカットですが、ネコの群がる手芸用品店横の、ちょうど壺屋地区へ向かう表通りの側道に当たる細い路地を、関西弁も喧しい、季節外れの、涼しげを通り越した、ことによれば、内地では変人扱いされかねないような薄着の小姐一個分隊が至近距離での精密撮影を試みる工房主の後ろを通り過ぎていったので、振り返りざまに一閃浴びせてみたもの。

GC2_006.jpg
六枚目のカットですが、昼なお暗い、平和通のアーケードから、壺屋地区への道を辿っていくと、晴天の下、通りに軒を並べる工房、陶器店の赤瓦や、ショーウインドーに展示された焼物の釉薬の照り返しも眩しく、前回の出張では、1泊2日の弾丸旅行で、しかも同僚と一緒だったため、こんな、業務とは一万年経っても関わりがなさそうな場所を自由に歩くことなどままならず、前回訪れたのが、亡父が元気だった頃なので、実に12~13年ぶりの訪問で、感慨もひとしお、通り入口付近の説明板横のつがいのシーサーの雄、「ウン」を最短で撮ってみたもの。

GC2_007.jpg
七枚目のカットですが、通りの殆どは前回来た時と殆ど変わりなく、地図を見ずとも、主要な観光・撮影スポットは難なく回れる自信は有ったのですが、今までは、来る度にその立派な佇まいを撮影させて貰っていた、「南窯」という市文化財でこの地区にはもはや二つしか現存していない登り窯のあまりに惨たらしい荒れように心を痛め、さすがにその姿を撮って不特定多数に公開するのも憚られるので、その手前のハイビスカスの雄蕊にピンを合わせて最短で撮ってみたもの。

GC2_008.jpg
八枚目のカットですが、「南窯」の設けられた丘陵手前の斜面に生えた巨木の根元には、この登り窯が稼働していた頃に焼かれたと思しき、実用陶器の数々が何らかの理由で陶工の手によってうち捨てられ、幾星霜をそこで過ごしてきた風格のようなものさえ纏って、そこに佇んでいたのですが、叢の中の漆黒の陶器というのも、なかなか趣きがあると思い、実質的にはAPS-Hまであるかないか、というイメージサークルに収めて撮ってみたもの。

GC2_009.jpg
九枚目のカットですが、今回の壺屋地区訪問の目的は、通りでの試写もそうなのですが、前日、金曜日に同僚を誘って、8年かけて復元修理を施した、国指定の重要文化財、新垣家住宅の建物の中を是非とも見学して、前日に面談した、沖縄県では唯一の宮大工の方の仕事の成果を見たかったので、「南窯」から移動する途中に咲いていた細かな赤い花を至近距離から撮ってみたもの。

GC2_010.jpg
十枚目のカットですが、新垣家住宅の前までやってくると、その西側の斜面の道路上で、新垣家の塀をバックのせっかくの琉装で記念撮影を撮りたいらしく、地面にスマホンを置いて、それを路傍の石ころで固定して自分達の姿を写そうとしていた小姐二名組が居たので、何枚か撮って上げるから、この米国産のレンズ試写のモデルさんになって、とお願いしたところ快諾、この写真も気に入って頂いたので、帰京後、送付させて頂いたもの。

GC2_011.jpg
十一枚目のカットですが、小姐二名に撮らせて貰ったあと、しばし、壺屋地区のこと、そしてこの新垣家住宅の8年かけての保存修理のこと、そして直す前の傷んだ状態のことなど説明し、さて、それじゃ、この家の中に用があるんで、といったん別れを告げて入ろうとしたら、なんと、開場は13時からで、まだ2時間も時間があったので、いったん首里金城町の石畳に回ってから戻ることとし、壺屋地区のはずれの共同井戸に設けられた龍のオブジェを撮ってみたもの。

GC2_012.jpg
十二枚目のカットですが、安里駅からゆいレールに乗って、前回乗った時は終点、今や浦添市まで延伸されたゆいレールの通過駅のひとつになって隔世の感を感じざるを得なかった首里駅で降り、首里城の南南西の丘陵斜面に在る、首里金城町の石畳を目指し、歩いて行ったところ、さすがにこのエリアは宅地化が更に進み、街の様子がかなり変わってしまったこともあって、ちょい遠回りしましたが、目標の金城町石畳入口付近の、おそらく世界一有名な「石敢當」を石畳の坂道をバックに撮ってみたもの。

GC2_013.jpg
十三枚目のカットですが、前回は気付かなかった、或いはここ数年で改装した結果なのかも知れませんが、「石敢當」を塀の傍らに建てている、住宅、いや正確には店舗兼住宅というべきなのかも知れませんが、その建物の厚く丁寧に塗り籠められた真新しい白い漆喰も眩しい赤瓦の屋根の西側の棟の位置に、内地なら鬼瓦か鯱を立てるところ、手を挙げてハーィと挨拶しているようなシーサーが載せられていたので、面白いと思い、一枚戴いてみたもの。

GC2_014.jpg
十四枚目のカットですが、ここ金城町の石畳の坂道ふもと終点の広い自動車も通れる石畳の道路との交差点西側には琉球様式平屋建ての公民館のような役割と思しき木造の建物が建てられており、街の住民のみならず、観光客も含め、誰でも、自由に上がって中を見学、或いは板の間で寛いでも良いことになっているのですが、上がり込んじゃうとついつい寛いで、新垣家住宅再訪とランチタイムとの兼ね合いが収まり切れないので、外から、儀式に使う見事な銅鑼の写真を撮らせて頂いたもの。

GC2_015.jpg
十五枚目のカットですが、金城町の石畳の坂道の散策も無事終え、新垣家住宅の開場時間は13時からなので、牧志駅でゆいレールを降り、ランチは空港で食べることにして、急いで新垣家住宅に取って返して中を見学しようとやちむん通りを急ぎ足で歩いていたら、先ほどの「南窯」下の店舗前のシーサーの前にネコがあたかもクラウチングスタートするかの如き構えを撮っていて、そのままカメラを向けたら、勢いよくシーサーの頭に飛び乗る瞬間が撮れたというもの。

今回の感想ですが、いやはや、ペツバール型は、通算で10本以上改造して撮ってみましたが、この米国産のプロジェクター用レンズも、開拓時代の西部地帯のあちこちに居たというカウボーィ並みにワイルドで、特に至近距離での被写体など、背景があたかも水槽越しに撮ったかの如く、像面湾曲も非点収差も物凄く、正直、使いづらいクセ玉ではありますが、イメージサークルの狭さも念頭に置いて、ポートレとか至近距離でのブツ撮りに使ったら面白そうです。

さて、今年も、拙ブログへのご愛顧有難うございました。私儀ながら、お城巡りにうつつを抜かしたおかげもあってか、日本城郭協会認定の城郭検定準一級に一発合格し、ますますのめり込みそうな気もしますが、機械いじりもそれ以上に好きなので、お金と暇が出来たら、ボチボチと改造は行って、この場を使って発信して参りたいと考えております。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
では、どなた様も佳き御年を!!
  1. 2022/12/25(日) 20:03:33|
  2. Eマウントレンズ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Ultra-express round trip to adorable ruins of castles located in Nagano,Japan on 8th. Aug. '22

さて、今週のご紹介は予告通り、JR東日本の新幹線と高速バスを組み合せた、体力勝負の日帰り弾丸ツアー第三弾で、上田城、小諸城、併せて城下町の様子を長野県生まれのレンズ達と撮り歩いてきたので、その様子をレポートしたいと思います。

まず当日の行程ですが、10時過ぎの東京駅発の北陸新幹線で上田に11時過ぎに入り、駅からは徒歩でだいたい20分弱と云われていた上田城址までぞぞろ歩きし、到着後は郭内の現存櫓の隅々まで検分し、また駅まで徒歩で戻り、ちょうどおなかも空いて来たので、某東京12チャンネルの深夜の人気番組よろしく、「あぁ・・・腹減った、そうだ店を探そう」ということで、ランチタイム終了ギリの14時前に結局、駅前のそこそこ立派な蕎麦屋に入って、天ざるを頼み、食べ終わる頃に「これから小諸に行くのに、拙者何やってんだ!?」と風味、喉越しの観点等から、あまり口に合わなかった蕎麦によって、思わず現実に引き戻され、やはり空腹は冷静な判断力を失ってしまうものだ・・・と冷静に考えながら、長野新幹線開業に伴い第三セクター化された、元信越本線こと、しなの鉄道に乗ってお隣りの小諸市に移動し、駅前の観光案内所のスタッフさん曰く、名所旧跡回るなら、15時で復元大手門が入場締め切りになるので、すぐに行った方が良い、ということで、地図を頼りに結構な遠回りもしてしまいつつも、閉館10分前に滑り込みセーフ、中を存分に見学させて頂き、係員の方に対応の御礼を述べ、線路をはさんで反対側に位置する城跡、即ち懐古園に、赴く前に10年以上も前に知らずに散策した古い街並みが保存されている旧北国街道をざっと見学し、しかるのち、一本東の駅への近道を通って、懐古園へ向かい、内部の城郭に痕跡を存分に堪能して、夕方の小諸駅前発東京行き高速バスに乗って、都内に20時過ぎに戻ったという次第。

では、さっそく、当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズは1~6枚目までがVoigtlaender Ultron28mmf2.0、7~15枚目までがVoigtlaender
SW-Heliar15mmf4.5asph.による、全コマ開放、絞り優先AE撮影となります。

Ueda_Komoro_001.jpg
まず一枚目のカットですが、駅から歩いていくと、幹線道路に面した空堀を渡って、二の丸跡の広場を通り抜けた先に、数少ない郭内の建造物である、東虎口櫓門と南北の下見板張りの二階建ての櫓が連結した姿で復元され、これなら、徳川軍を二度に亘って、撃退したとしても不思議ではないと思わせるような立派な佇まいが視界に広がったので、通門前にその雄姿を一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_002.jpg
二枚目のカットですが、ごつい石垣の上の立派な櫓門とものものしい下見張りの塀で繋がれた南北の櫓という、いかにも戦のための要塞というオーラぷんぷんの東虎口を通って、廓の中に入る前に見落としてはいけないものがあり、それは、大阪城の蛸石をはじめとする巨石群や名古屋城の清正石には到底及びもつきませんが、それでも、石垣を備えた城は東日本では慶長期以前では極めて珍しく、その中でも、これだけの大きな石を正面付近の目立つ位置に置いたのは平時から、見るものを圧倒しておく必要があったのかな?などと思い家族連れもろとも一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_003.jpg
三枚目のカットですが、ここ上田城もご他分に漏れず、本の丸の主要部分には、神社が鎮座ましましており、真田とは銘打ってあるものの、祭神は、幕末まで長年に亘りこの地を治めた松平家、その前の領主の仙石家、そして上田城の創始者である真田一族が祀られており、境内には、青年真田幸村の像が建てられていたり、抜け穴伝説の井戸があったり、インスタスポットとして巨大な赤備えの兜のオブジェがあったりと趣向を凝らしているのですが、一番目を惹いたのが、京都の北野天満宮や金沢の石浦神社と同じく、手水場一杯に季節の花を浮かべ、参拝者の目を楽しませようとしていたので、嬉しくなって、一枚戴いてみたもの。

Ueda_Komoro_004.jpg
四枚目のカットですが、ここも真田神社境内の景色なのですが、何処かで既視感あるな、と思ったら、川越市の氷川神社や、前出の金沢の石浦神社にある、絵馬を吊るして奉納するために設けられた、アーチというか、トンネル状の通り抜け施設で、ここのものは、さすが鄙の地だけあって、高い木々の下に設けられているため、天井に相当する部分からは、木漏れ日が射してきて、えいもいわれぬ厳かな雰囲気を醸し出していたので入口付近から人が来ない頃合いを見計らって一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_005.jpg
五枚目のカットですが、これが、数少ないというか、唯一の築城当時から、約400年に亘って、この地に建っていたことが近年の調査で判明した西櫓で、ここは真田神社の裏手、伝説の井戸や、青年真田幸村の銅像を通り抜けた本の丸の西のどん詰まりの切り立った斜面の石垣の上に建てられており、中には入れて貰えませんでしたが、この日は天気も上々だったので、夏空をバックにこげ茶の下見張り壁も渋い雄姿を一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_006.jpg
六枚目のカットですが、次に食事をはさんで小諸城へ移動しなければならないので、時計を睨みつつ、先ほどは後回しにして通り過ぎた東虎口櫓門に登るべく、発券所を目指して、来る時とは異なるルートを歩いていたら、夏の風物詩とも云える風鈴が、屋根の無い東屋のようなところに所せましと吊り下げられており、色の異なるガラス製の傘越しに木々の緑と夏の青空が透けて見えて、とても美しいと思い、下まで歩いて行って一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_007.jpg
七枚目のカットですが、東虎口櫓門一帯への入場口は南櫓の向かって右、即ち石垣側に石段が設けられており、そこから南櫓の中を見学し、しかるのち、南側中庭を通って櫓門二階の展示場を経て、再び、北側中庭経由、北櫓へとアプローチするという見学経路なのですが、実は、中庭が文字通り猫のひたい程度しかなく、中庭から南北の櫓の外観を撮ろうとすると、いかなフルサイズでも屋根が切れて無様な描写にしかしようがなく、ここでレンズを替えて、15mmの超広角レンズの威力発揮で北櫓側面を撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_008.jpg
八枚目のカットですが、せっかく、普段なかなか出番の来ない長野県産の"超能力"レンズを初めてα7cに装着してみたので、しばらく、遊び半分で使い続けることとし、北櫓内部に足を踏み入れ、木造の城郭建築では、床板の釘の種類と同じくらい興味のある、二階から観察できる、屋根裏の小屋組の木材の構造を撮ってみようとEVFを覗いてみたら、f4.5と暗い開放値ながら、かなり広範囲かつ鮮明に撮れそうなことが判ったので、手振れに注意を払って、一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_009.jpg
九枚目のカットですが、古材を使用した再建建築とはいえ、かなり詳細に亘り、江戸期の建築様式を確認することが出来、更には、おそらくは、木の枯れ具合から、昭和初期以前に施されたと思しき補強用の木製の筋交いなども確認出来、かなり満足し、上田城を後にし、北国街道の街並みを眺め、駅前まで戻ってから、あまり納得感の無いランチを食べてから、しなの鉄道経由、小諸駅に移動、閉館時間間際だったので、遠回りしつつも何とか時間内に辿り着いた、小諸城大手門の外観を撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_010.jpg
十枚目のカットですが、締め切りギリギリにも関わらず、管理人のご老人は快く、中へと案内して頂き、色々とお城にまつわるエトセトラを話しながら、櫓門形式である大手門内部を見学したのですが、まず驚いたのが、天守ですら、天井板などなく、屋根裏の小屋組みが丸見えなのにも関わらず、ここ小諸城の櫓門は、云い方は雑ですが、それこそ書院造の、普段、位の高い侍が暮らす屋敷の居間などと大差ない造りになっていたことで、そもそも、攻める側の目線で見たら、こんな窓が大きく開放的な造りでは、火縄銃どころか、火矢、或いは投石でも十分攻撃出来てしまう、とか要らぬ心配しつつ内部を撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_011.jpg
十一枚目のカットですが、管理人のご老人との話も弾み、さりとて、いつまでも建物を開け放った状態だと、次から次へと訪れてくる観光客を、それこそ陽が沈むまで、管理規則を曲げて対応しなければならず、嘱託かアルバイトのご老人が残業手当を貰えるようには思えなかったので、適当なところで切り上げ、また来て各地の城の話を聞かせて、という嬉しいお言葉を後に櫓門を下る時に撮った、二階部分正面外壁の様子。

Ueda_Komoro_012.jpg
十二枚目のカットですが、またしても似たような門が登場、ですが、ここは、先ほどの大手門とは、線路を隔てて160mほどの距離にある懐古園こと小諸城址入口に建つ三之門という櫓門形式の門で、慶長期に建てられたものが、この地域を襲った大水で、周囲より低いことから「穴城」と呼ばれるだけあって、門も浸水、倒壊、のちの明和になってから再建され、現在は国指定重要文化財になっているシンメトリックで端正な佇まいを、外は工事の柵やシートでかなり覆われて、画的にどうかなと思い、城内側から一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_013.jpg
十三枚目のカットですが、実は、恥ずかしながら、ここ懐古園は大学生時代を含め、三、四回来たことがあるのですが、興味も知識も皆無で、城跡だったという認識ないままに漠然と緑濃い園内を散策し、前回など、動物園でペンギンの池の傍を通りがかった時、うへ、生のペンギンって、生臭いんだ!とか新鮮な発見をして、何か得したようなキブンでまたバスの長旅で江戸に戻っていったというおめでたさ加減でしたが、今回はきっちり予習をしたので、あちこちに城郭の痕跡を見つけながら歩き、本丸へと続く坂道の打込接の苔むした石垣を撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_014.jpg
十四枚目のカットですが、ここ小諸城も、先程の上田城同様、本丸の主要部分は、明治期になってからの廃城例を受けての城郭建築破却後、主に城主を務めた牧野家と城内に祀ってあった、菅原道真公、火魂社を合祀して祭神としている「懐古神社」が建てられて今に至るのですが、そこへ向かう道も、きちんと風情のある石畳が敷き詰められ、午後の西に傾いた陽光を受けシルエットになった観光客もろとも一枚撮ってみたもの。

Ueda_Komoro_015.jpg
十五枚目のカットですが、ここ小諸城址には、知る人ぞ知る、天守閣跡の天守台が、約6mの石垣で囲われた本丸の北西角にどーんと一段高く、突き出す恰好で残されており、この野面積みのワイルドな天守台の上には、豊臣時代には、秀吉子飼いの武将、仙石家が建てた天守だけあって、金箔瓦を葺いた三層三階建ての天守が在ったとされていますが、寛永期に落雷で焼失、以降、幕府の裁可が降りず、この天守台のみ残って、400年前の様子を伝えるのみとなっていたので、その佇まいを斜め逆光で一枚撮ってみたもの。

今回の感想ですが、いやはや、本当に人間の眼って面白い、同じものを何度も見てきたはずなのに、関心が無いと、見たことすら忘れてしまう、尤も、職場の長野県内出身の後輩社員に聞いてみても、懐古園って、お城跡だったんですか、とか天守台の写真の説明聞いて、改めて驚くくらいだったので、致し方ないことかも知れません。こういうことが起こらないよう、戦後から平成にかけて、あちこちで、単純で判り易く、明確なシンボルである、鉄筋コンクリート造の外観復元、復興、そして模擬天守まで作られたのではないかと思った次第。

さて、次回は今年最後の更新、米国製超レアレンズによるシュルストレーミンも真っ青のクセ玉描写をご披露して、一年の締めくくりとしたいと考えます、乞うご期待!!
  1. 2022/12/07(水) 21:40:57|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

プロフィール

charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる