さて、今回の更新は、予告通り、名古屋編最終回、西尾城のあとに回った、旭城、最終日出発前の名古屋城内の様子をお送り致します。
まずは簡単な行程のご紹介ですが、9/18は午前から午後にかけて、先週ご紹介した西尾市の西尾城を巡り、いったん名古屋市内に戻ってから、ランチを挟んで、金山経由、名鉄線で旭市に入り、徒歩で15分弱の旭城へ向かい、小一時間ほど城内、周囲を見学してから、名古屋市内に戻り、その日も名古屋泊、翌19日の午後遅い新幹線で帰京する予定だったので、その時間ギリギリまで名古屋城の内部を散策してきた、というのが、この回のあらまし。
では、さっそく二日間の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラは、Leica M(TIPO240)、レンズは1~5枚目がLeitz Summaron35mmf3.、6枚目以降はElmarit28mmf2.85による、全コマ絞り開放AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、旭駅からスマホンの示す地図に従って歩いていくと、駅周辺の店舗が建ち並ぶエリアから住宅街を抜け、10分も歩くと、そろそろ刈り取り時期も近い田んぼの彼方に、それらしい、層塔型の四層四階、連結型に区分される、比較的真新しい模擬天守が小高い丘の中腹に佇んでいたので、足早に至近距離まで駆け寄って、入場無料の城内に上げて貰う前に一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、鉄筋コンクリート造の模擬天守は外観はお城そのものですが、中に入ってしまえば、普通のビル、しかもエレベータがついておらず、しかも上の階に行くに従って、だんだん狭くなってしまい、一般的なストレートな構造のビルに比べ、著しく使い勝手が悪い建物以外の何物でもないのですが、ここ旭城は、尾張平野のど真ん中にあって、しかも山の中腹にあるので、展望スペースとしての景色は抜群、ちょうど、刈り取り前の郷土愛に溢れた田んぼアートが見えたので、一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、ここ旭城の模擬天守は、古戦場に在った簡単な砦のようなお城の痕跡だけでは観光資源としてはインパクトが小さいため、真似易い大垣城辺りをパクッて、それなりに立派な模擬天守を建ててはみたのはイイですが、工房主のような病的マニアはとっては、天守よりもその裏山に明らかな土塁跡の残る本来の城跡の方が興味をそそられ、最上階で田んぼアートの裏側に見えた、本来の城跡にかけつけ、本物の土塁跡を一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、天守裏側の山のあちこちに残る、土塁のお城の痕跡を堪能しながら、ふと考えたのが、なかなかドローンでも使わない限り、至近距離のアイレベルで天守を見るなどということは不可能に近いので、いったん、古城跡を降りかけたのですが、思い直して再度斜面を駆け上り、先ほど天守最上階から見た土塁の上から、これが本物の天守じゃ、火縄銃で十字砲火浴びてズタズタだぜ、とかひとりごちながら一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、それなりにお金かけて作られたというた割には、あちこちツメが甘く、期せずしてツッコミどころ満載となってしまった、なんちゃって天守閣に別れを告げ、最上階から眺めた黄金色に稲穂越しに、遠目の外観としては悪くはない、この愛すべき、落ちこぼれ天守の一番美しいアングルを探し、田んぼの中の畔道を歩いて、探り当てた必殺の一枚。

六枚目のカットですが、翌日は駅前のホテルを10時前にチェッカウトし、荷物を預かって貰って、地下鉄を乗り継いで「名古屋市役所」駅に移動し、金鯱横丁経由、名古屋城址公園に入城、名古屋支店には2年半近く居たのに、実は来たことが一回、しかも職場の人間と缶ビール吞みながら、夜桜見物しながらそぞろ歩きした程度だったのですが、新型コロナ以降、国内の城郭巡りの一環として、既に5回程度訪問しており、今回も本丸を目指して歩きながら、その南西に在る、貴重な現存建造物である南西隅櫓の勇姿を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、市役所駅からのアプローチだと、本丸表二之門という内堀に掛かった石橋の先にある門を潜って、本丸への入ることになるのですが、残念なことに資金不足なのか、或いは、もともと、不足気味の文化財修復技術者の手配が追いつかないのか、国指定重文にも関わらず、あちこち漆喰壁が崩れて、中の土壁が露出していたり、金物が錆びて落ちるがままにしておかれたりと暗澹たる状態なのですが、とりあえずは潜る前に一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、本丸表二之門を潜って、本丸内部に入っていくと、左手は天守閣と本丸御殿の在るエリアへと繋がっているのですが、右手の巨大な石垣の間を通り抜けていくと、加藤清正が据え付けたという伝承のある巨石の前にこれも国指定重文の旧二之丸東二之門という立派な門が本丸と二之丸の境界を示すように建てられており、特にこの門の特徴である「高麗門」形式という、開いた状態の門戸を雨から守るための独立した支柱付の屋根が後面に設けられている構造が良く判るアングルで一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、市役所方面からのアプローチだと、本丸の広大な敷地内で大小天守の手前に建つ、復元本丸御殿の鍍金金物も真新しい絢爛豪華な玄関周りを、ちょうど、建物の屋根の隙間から、天守閣の緑青に覆われた銅板屋根が見えたので今回が二回目の内部見学の前に足を止めて一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、ここ名古屋城本丸御殿は、他の御殿、例えば二条城や川越城、或いは掛川城に残る御殿とは異なり、先ほどのカットで正面に見えた、ちょうど昔ながらの銭湯の入口の如き、表玄関からではなく、その向かって右奥に位置する見学用出入口から中に入り、基本的に写真撮影は自由なので、二条城とは比べるべくもないものの、一般的な寺社仏閣と言った、木造伝統建築の廊下よりはずっと広く、また天井も高い、まだ白木に近い状態の廊下の様子を一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、さすが往年の徳川御三家筆頭の尾張家の居城だけあって、将軍の京での居城となる二条城内部の調度や壁画に匹敵するような、狩野派渾身の筆遣いを再現した襖絵が描かれており、なんと実物は別途倉庫に保管されていて、太平洋戦争時の空襲で天守、御殿ともに灰燼に帰した時も無事で、ただ、温度・湿度制御の関係から、オープンな復元御殿に置いた状態での公開は文化財保護の観点からNGなので、ここには精巧なレプリカが展示されているとのことで、遠慮なく一枚頂いてみたもの。

十二枚目のカットですが、御殿の内部をぐるっと一通り巡って、外に出てみると、先ほど内部を見学ししてきた復元本丸御殿の一部、現在は売店に供されている、往年の奥台所を転用した本丸御殿ミュージアムショップの部位が小天守の前に迫り出してきており、ちょうど、大天守、小天守、一部とはいえ、御殿の、豪華復元三点セットが揃ったので、面白いと思い、一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、前回は同伴者が時間に追われていたので、横を通りながら、ちら見しただけだったのですが、ここ名古屋城も、姫路城、岡山城などと同様に、天守台の石垣を保存修理するための工事を行う際、基礎部分の強化、具体的には、埋めた胴木と礎石ではどうしても不同沈下を避けられないので、これらに変わって、石街内部を鉄筋コンクリート構造に変更することにより不要となった、オリジナルの礎石を天守台とは別の場所に全く寸分の狂いもなく並べて展示しているのですが、ここ名古屋城でも同様に展示されており、その上をいたいけな小々姐が飛び回っていたので、有難く一枚戴いてみたもの。

十四枚目のカットですが、ここ名古屋城は昭和20年の名古屋大空襲で天守閣、本丸御殿をはじめ、貴重な歴史的建造物が数多く灰燼に帰してしまいましたが、幸運なこと、本丸を囲む石垣上の三つの隅櫓、即ち、南東、南西、そして北西の櫓が苛酷な戦火を逃れ、今の世に江戸期のまま残されており、その中でも最大の北西櫓、別名、清州櫓は、国内で12棟しか現存していない三階櫓のうち、熊本城の宇土櫓(実質的に五階建ての天守相当)に次ぐ高さで、元は清須城の天守閣を移築したという説もあるくらい立派な櫓なのですが、いつもはお濠越しに表面ばかり見ているので、裏に回って、至近距離から一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、そろそろ、新幹線の時刻から逆算し、遅めのランチを摂ってから、駅前の宿に預かって貰っている荷物を引き取る行程を考えれば、お城を後にしなければならない時間になってきたので、まだまだレンズを交換し、或いは、おもてなし武将隊の面々の登場を待って、何枚か撮らせて貰ってから帰りたかったのですが、後ろ髪引かれる思いで、南西櫓と遥か後方の大天守の偉容を収めて暫しの暇乞いの一枚としたもの。
今回の感想ですが、やはり、ライカにMFのレンズをつけてのお城巡りはとても優雅な気分にさせてくれますし、実は、この福井・名古屋ツアーの翌月に出かけた京都周辺でのお城巡りツアーの最中に愛機M(TIPO240)のメタルフォーカルプレンシャッターが謎の故障、幸いにして、一番多い、金属羽根のメカニカルクラッシュではなく、駆動部分の不調による露出制御不能で、高価な撮像素子のダメージ・交換という、それこそX-Pro3かα7cが新品で買えてしまうくらいの大惨事は回避できたのですが、一カ月以上かかった修理から戻り、やはりEVFで構図から露出から水平までカチッと決めてシャッター押すミラーレス機とは異なる面白さが味わえる、と思いました。
さて、次回は赤い鶴の恩返しで東北地方に週末四日間出かけて参りますので、一週スキップ、その翌週はVario-Elmar21-35mmで一本勝負を挑んだ下越地方の名城の様子をお送り致したいと思います、乞うご期待!!
- 2023/03/12(日) 16:30:39|
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さて、今回の更新は、予告通り、名古屋周辺の知名度は低いものの、なかなか面白い城跡を見つけたので、M240とクラシックレンズで撮ったレポートをお送り致します。
まずは簡単な行程ですが、9月17日のお昼前に福井をバスで後にし、荷物を駅前の常宿に預かって貰い、地下鉄とタクシーを乗り継ぎ、日進市にあるお城を訪問、そして翌日は、まず名鉄で西尾市のお城を訪問、いったん名古屋市内に戻ってからランチを挟み、尾張旭市のお城を午後遅くに訪問し、翌々日には、帰りの新幹線の時間まで名古屋城内を精査した、というのが今回の名古屋編のあらまし。
では、さっそく今回は17~18日午前迄の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、1990年台終わりに名古屋に2年半ほど住んでいたにも関わらず、都心から1時間も掛からないどころか、住んでいた千種区からなら車で20分も掛からない場所に、有名な古戦場と城跡の公園があるとはつゆ知らず、仕事の関係もあって、本格的に勉強をはじめて初めて知った名城なのですが、タクシーの運転手さんですら、立派な模擬天守があることを知らず、知名度が抜群に低い城郭だったのですが、空堀に掛かった橋を渡り、緩めの坂道を登り切った本丸に建てられた、望楼型3層4階の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、外観は古式ゆかしい天守閣そのものではありますが、躯体の構造は、鉄筋コンクリート造のビルと同じようなものですが、ただ小ぶりな規模なので、内部にエレベータは設置されておらず、ひたすら階段で上を目指すことになるのですが、登り切った最上階は、こういった鉄筋コンクリート造の天守閣お約束の広々とした窓を備え、しかも廻縁が設けられているので、外に出て周囲の景色を眺められる設定となっており、まずは最上階に着いたところで一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、逸る心を抑え、内部に掲げられていた「小牧・長久手の戦い」において、ここ岩崎城の果たした役割、即ち、優勢な秀吉側の池田恒興軍に果敢にも打って出て、丹羽氏長以下、城兵全員が圧倒的な池田軍の前に武運拙く討ち死にし、ただ、この捨て身の奮闘がのちに小牧・長久手の戦いでの戦況に大きく影響を与えたということで、後に天下人となった家康にに丹羽氏が顕彰された、という歴史の転換点とも言える城ということを改めて認識し、お殿様気分で平和な世の下界を眺めながら、廻縁の様子を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、本丸の曲輪内に建てられた、やや横に間延びした重箱櫓的な建物が目に留まったので、何であろうかと近寄ってみれば、この岩崎城が城址公園として整備される過程で、この敷地、及び周辺から出土、或いは、旧藩士の家庭などから寄贈された小牧・長久手の戦いとこの悲劇のお城にまつわる資料が展示された郷土史資料館で、中の展示も本館である模擬天守同様、無料では申し訳ないくらい充実していたのですが、観せて頂いたあと、記念に外観を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、帰りもタクシーで最寄り駅までの移動は金額的に厳しいものがあるので、資料館の係員の方に教えて頂いた、星ヶ丘方面へのバス停への最短ルートはなんと来た方向とは真逆の正門を潜り抜けて階段を降りた先の道を幹線道路の交差点を目指して歩くこととなり、大手門?に相当する天守閣にひっついた、門の下の石段を降り切ったところから、石碑を入れて、模擬天守と門を一緒に入れて撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、翌18日は名古屋駅前の宿を10時前に出て、並びのデニーズでモーニングなど頂いてから、名鉄名古屋駅で蒲郡線に乗車、お茶で有名な西尾駅で下車し、徒歩で西尾城址公園まで移動したのですが、駅からの徒歩ルートだと、ちょうど、この小ぶりながら見どころ満載のお城の特徴のひとつである「屏風折れの土塀」、そしてその先に建つ、復元の丑寅櫓が見えてきたので、心憎い復元状態に敬意を表し、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、それほど長くはない二の丸北側を守る土塀沿いに歩いていくと、東側が駐車場への入口、即ち、土塀の内側である二の丸一体は広い駐車場になっているのですが、その丑寅、即ち北東の鬼門を守る、黒い板張りの望楼型二階櫓の今の世に復元された勇姿を至近距離まで近づいて撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、この「屏風折れの土塀」の見事な造形に目を奪われがちですが、その上に設置された漆喰塀も手抜かりなく復元されており、きちんとオリジナルの材質通り、白木の控柱が一定間隔で建てられ、また、攻城側に対し、容赦なく、矢や鉄砲弾を浴びせかけるために設けられていた狭間もきちんと大きさ、角度ともに再現され、それ以上に注目したのが、全国の城郭広しと言えど、二の丸に天守閣を建てていた例はここ西尾城以外は記憶になく、将来的な木造復元も念頭に置いているとの市役所説明でしたが、まずは先行して切込接で復元された天守台が北西の隅に建てられていたので、全体像として一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、将来的に木造復元されるとあらば、急にお仕事モードに入ってしまい、帰京後、執務時間に市役所の担当部署にヒアリングかけなければならないですから、「現場・現物・現実」の営業マンの鉄則に則って、そこに建つ天守台の様子を仔細に検分しておくべく、方角的には、また来た方向を塀を挟んで数100m戻るかっこうになるのですが、至近距離まで近寄って観察したおりに撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、実は、天守台の上から曲輪内というか城址公園を眺めていて、二つ気になったものがあって、ひとつは、当然のことながら、高台である本丸の東北角に建てられている本格木造復元の本丸丑寅櫓で、もうひとつは、御殿にしては、造りが武家屋敷の書院造りではない、普通の数寄屋造りの富裕層の邸宅のような平屋の木造建築とその枯山水的庭園で、まずは手前に建つ、数寄屋造りの旧近衛亭の敷地に足を踏み入れ、特徴的な縁側周りを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、この建物、「近衛亭」という元華族のお屋敷とのことでしたが、時間も惜しいし、お城本体は無料というのに、伝統建築とはいえ、後から移設された古民家でもない建物に入場料払って見学するのも何なので、三層三階建て木造復元の丑寅櫓の待つ、本丸への移動がてら、建物をバックに素敵な庭園の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、元は内濠だったと思しき、比較的多めの濠をぐるっと周り、二の丸から本丸へと続く、緩い坂を登ると、本丸の丑寅、即ち東北角の断崖絶壁の石垣上に建てられた隅櫓というだけあって、その入口へと続く道は、戦時には、下から狙い撃ちにされず、上からは城兵を防御しつつ、狭間という銃眼から攻城側に対し、弓や鉄砲を射掛けられるよう土塀に沿った狭い通路の奥に櫓の入口が見えるのを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、逸る心を抑え、入口に到達すると、「御免、頼もう!」と声を張り上げて足を踏み入れたのですが、何せ、「どうする家康」放映開始から4ヶ月以上前のことなので、観光客など居ようはずもなく、一人でゆっくりじっくり、内部を観察出来たのですが、照明もない櫓内部で、上層階の窓からの光で、内部の木材の様子がよく見て取れる階段下から一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、これが三層三階建ての木造復元櫓の最上階、三階内部の様子ですが、観光資源と化しつつある、メジャーな現存天守や木造復元天守と異なり、ここ、西尾城の本丸丑寅櫓は、あくまで最小限の消防設備のみ備えただけで、照明など付けず、採光も含め、江戸期の城郭建築を再現しようという、極めてマニアには嬉しい設定になっていたので、その薄暗い室内を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、中のオール木造構造も惹かれるものが大いにありますが、それ以上に本丸の高台の切り立った断崖絶壁の石垣の上に聳える、黒い下見板張り、しかも、丸岡城や、宇土櫓、或いは松江城のように、高価な漆は使わない煤を主体とした塗料を白木に塗った、艶消しにところどころ、白い漆喰壁をアクセントとして活かした重厚かつ質素な外観をベストアングルで撮りたかったので、二の丸を歩き回り、桜の木の合間から望遠で撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。
さて、次回は名古屋編最終回、西尾城のあとに回った、旭城、最終日出発前の名古屋城内の様子をお送り致します、乞うご期待!!
- 2023/03/05(日) 18:43:56|
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さて、今回の更新は、予告通り、出張先の大阪から戻った週末に、満を持して旧玉をお供に名所旧跡を巡った北陸~名古屋ツアーからご紹介したいと思います。
まずは簡単な行程ですが、9/15(木)の夕刻の新幹線で、東京駅から米原経由、20時過ぎに福井に入り、9/16(金)は三連休の週末のお約束事で有給休暇を貰っていたので、朝からJR九頭竜線経由、越前大野町に入り、そこで駅前から巡回バスに乗って、お城の建つ小高い山の麓の観光センターである結ステーション停留所で降り、登城口からアクセスし、RC造の模擬天守閣ながら、本物の城郭の中に建つ建物の持つ雰囲気はなかなか良好で、思う存分建物の内外を検分した後、再び麓でバスに乗り、越前大野駅からいったん福井市内に戻り、駅前で海鮮丼など頂いてから、今度は、第三セクター鉄道である「えちぜん鉄道」で50分ほどかけて三国町まで移動、実に25年ぶりに訪れた、北前船で栄えた面影の残る港町を散策し、夕暮れ前に再び「えちぜん鉄道」に乗って福井駅まで戻り、駅前でお茶してから、宿への通り道でもある福井城址に寄って日暮れまで撮って、裏手の濠端に建つ宿に戻った、というのが初日9月16日の行動。
では、当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、福井駅から田園風景を縫って進むJR九頭竜線で辿り着いた越前大野駅に降り立ち、事前に調べておいた情報に従い、駅前ロータリーのバス停からお城の最寄りバス停である結ステーションまで乗車し、そこで降りて、目の前の小高い山の頂きに建つ、こじんまりとした天守閣を目指して歩くこと約10分で天守閣の建つ本丸へと辿り着きますが、その手前、木立に囲まれて佇む本丸門の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、本丸門をくぐって本丸へ足を踏み入れ、武具蔵跡、そして、平和な令和の御代を象徴するかの如く、色とりどりの錦鯉が泳ぐお福池を過ぎると、大天守とは渡り櫓で連結された小天守石垣の下を通って、天守台に設けられた石段への道に出るのですが、ちょうど、小天守主要部と大天守を下からギリギリ収められるアングルを通ったので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、本丸広場に出て、いったんずーっとバックして、大小天守がちょうどバランスよく収まる地点を探り出し、野面積みのワイルドな石垣で作られた頑丈そうな天守台の上に、浜松城を思わせるような、だいぶ余裕を持たせたとも言えなくはないですが、少々、サイズ余り感のある小ぶりな天守が、先ほど下を通った小天守を従えて、ちょこんと載せられていて、これが妙に青空に映えていたので、有難く一枚頂いてみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、入場料を払い、中に入って一階、二階、三階と登っていくと四階はRC造天守のお約束通り、展望台になっていて、屋外の回廊から周囲の景色を眺められるようになっているのですが、ここ越前大野城は山間の狭い平野に立つ小山の頂上なので、周囲の山々も平野の街並み、田畑、そして川の流れも手に取るように見てとることが出来、特に小天守屋根越しの景色が秀逸だったので、記念に一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、すっかり麓の景色も最上階外壁、屋根付近の造作も十分堪能出来たので、日の暮れる前に三国港、福井城址まで見てしまいたかったので、早々に下城しようと思い再び、最上階の屋内に戻り、そうだ、このRC造天守最上階屋内の造作も資料として撮っておこうと思い、隅からシャッター切った瞬間にステテコ姿みたいな観光客のヲッサンが飛び入り参加してしまったもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、越前大野駅行の市内循環バスは登城口向かいの結ステーション駐車場奥から出ることは調べてあったので、降りて来てから、まだ多少時間があったので、ここでうどん、そば、或いはソースかつ丼の類を食べてしまおうかとも思ったのですが、とにかく、地方では次の移動の交通手段の近くでの食事が時間ロスを回避するための鉄則なので、駅前まで移動してから食べようと思い、敷地を散歩していたら、素敵な舞台セットから湧き出る名水を発見したので、復元された土蔵群をバックに一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、結ステーションは北前船の寄港地である日本海沿いの古い港町の商家を模したかの佇まいを持つ、40メートルもの木造平屋建てという建造物でその特徴である吹き抜け廊下の軒先には、季節ごとに、大野町の風物をPRするオブジェが展示されるとのことですが、この時には、この地方特産の染物のような涼やかな模様の布が吊り下げられ、高原のそよ風に揺らいでいたのを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、越前大野駅から再びJR九頭竜線の電車に乗って、福井駅まで戻り、駅ビルの中の金沢出自の八番ラーメンが母体という居酒屋ランチでなかなか旨い海鮮丼など頂き、今度は180度正反対の方向に伸びる「えちぜん鉄道」で25年も前の記憶を頼りに大歓待して頂いた骨董品店を訪ねようと、終点の「三国港」港まで乗ったのでしたが、お目当てのお店の在る市街地は、そのひとつ手前の「三国」駅だったので、仕方なく、港の景色を眺めながら、一駅戻る時に撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、三国町の旧市街というか町の中心部の通りは、さすが200数十年も北前船で賑わい、豪商、分限者が軒を並べた往時の隆盛の面影をそこかしこに遺していて、まさに江戸の太平の世が富をもたらした街並みなのだなぁ、などと感心しながら歩いていたら、お目当ての骨董品店の近所で城郭もどきの重厚な漆喰塀の寺院に遭遇したため、記念に一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、ここも三国町の目抜き通りの、骨董品店の店先を過ぎ、もう三国駅に近い辺りの店舗兼住宅が建ち並ぶ一角で、長浜の黒壁スケア付近とか、金沢の三つの茶屋街辺りで見かける、正面には格子をはめ込み、屋根の下には下野という軒と屋根の間の小屋根、そして家と家の間の防火隔壁であるうだつを高く上げた、いかにも古めかしい木造二階建てが並んでいたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、あと数百メートルで「えちぜん鉄道」の三国駅に辿り着くという辺りで、左右の古めかしい伝統建築群を眺めながら、時折シャッター切って、歩いていたら、如何にもヒマそうな男性のお年寄りに、いかにも好奇心むき出しで話かけられ、ライカなんか下げて街並み散策なんか、ずいぶん高尚な趣味だねぇとか言いながら、さっき散歩していたら、結構、画になる構図あったから、一緒に来てみるかい、ということで、手でも引っ張りかねない勢いで案内して貰った街角で一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、陽も西に傾きかけた三国町を後に、また「えちぜん鉄道」に乗って、福井の町を目指し、駅に着いてから、そういえば、今日は、モーニングで紅茶を一杯頂いたきりで、全然、この時刻までお茶を楽しむということをしていなかった、ということに気づき、朝のお店と同じ改札脇のチェーン店系カフェでお茶とスィーツなどを頂いて小休止したのち、駅からは5~6分の徒歩圏にあり、濠と石垣に囲まれた本丸の殆どが県庁や県警などの官公庁に占められ、「世界最強の県庁」などと皮肉られる福井城址に向かって歩き、お濠端まで来たら、いたいけなローカル女学生がやってきたので、後姿ながらエキストラ出演願ったもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、正面の大手門方面から通り抜けてしまえば、裏門のあった橋の袂に建つホテルには最短なのですが、翌日は、早めに名古屋に移動したかったので、この日のうちに福井城址の復元遺構のキモである、廊下橋と山里口御門の復元建造物を通ってから本丸内の天守台などの遺構を確認すべく、幅広く立派なお濠越しに、まだ真新しい廊下橋を撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、大手門の辺りからは徒歩3分もかからず、山里口にかかる廊下門への入口へと到着し、下半分が、まだ白木の肌合いを残した下見板張り、上半分が漆喰仕上げの土壁という構造で、2018年3月竣工という真新しいものながらも、伝統的な建造物が持って生れた重厚感を漂わせており、これが薄暮の水面に写る姿もなかなか美しかったので渡る前に一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M240、レンズはLeitz Elnmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、橋を渡り切ると、すぐに石垣に囲まれた狭い空間、城郭建築の用語で言う枡口虎口という場所に出て、外部からの侵入者の勢いを削いでおいて、進行方向左側、目の前の山里口御門の格子窓から弓矢や、鉄砲で敵勢の殲滅を図るというなかなか物騒な役目の施設なのですが、実際は、こんな狭い枡口ではそれほど効果は期待できそうにないので、あくまでシンボルだったのではとか、往時に想いを馳せながら撮ってみたもの。
さて、次回は名古屋周辺の知名度は低いものの、なかなか面白い城跡を見つけたので、M240とクラシックレンズで撮ったレポートをお送り致します、乞うご期待。
- 2023/02/19(日) 19:38:47|
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さて、今回の更新は、萩訪問翌日の岩国、そして最終日の大阪城公園の様子をレポート致します。
まず、二日間の簡単な行程ですが、9/9夕刻に徳山入りし、10日の朝は電車、高速バス乗り継ぎで萩に入り、夜にまた徳山に戻り、11日の朝は、山陽本線で岩国入りし、バスで錦帯橋の袂のバスターミナルまで移動、ほぼ半日、岩国の橋だの、お城だの見て過ごし、日暮れ前に徳山に戻り、12日は出張先で夕方までお仕事し、新幹線でそのまま新大阪に移動、取引先の社長さんから教わった、大阪城天守ド真ん前の宿にチェッキンし、日没までお城周辺を撮り歩いた、
ざっとこんなところです。ではさっそく二日間の足取りに沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、岩国駅に着いたのが11時過ぎで、錦帯橋までは地図で見れば、歩けないこともない距離ではないのですが、翌日が、取引先の工場ヤード内を相当量歩き回らなければならないお役目であることから、大事を取って、循環バスで移動することとし、駅前のバス停で20分かそこら待って、そこから15分弱で着いたバスセンターの目の前に佇む、江戸期そのままの木製橋、錦帯橋の全容を撮るべく、石ころだらけの河原に降りてみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放でのAE撮影となります。

二枚目のカットですが、同じく錦帯橋のお城とは反対側の岸に近い方、ちょうど、お城へのロープウェイと天守閣への入場券がセットになった、往復渡橋券の販売所兼トールゲートになっている小屋を過ぎて、ひとつ目の山というかスロープを登り切った辺りで、坊主頭の童子が大きな頭陀袋を下げ、険しい表情で登ってきたので、ここは京の五条の橋の上♪でやってくるのは弁慶かいな?といった雰囲気で一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放でのAE撮影となります。

三枚目のカットですが、三つのスロープを持つ橋を渡り切ると、ちょっとした歴史公園のようなエリアが広がっていて、江戸期には、この辺りが、山頂付近の岩国城の天守閣破却後の政庁に相当する「御土居」とのことで、家老の香川家の長屋門が山口県の文化財として保存されていたのですが、道幅が狭すぎ、全幅を入れて撮るのはムリだったのでちょっと引いて斜めから撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放でのAE撮影となります。

四枚目のカットですが、このバスセンターから錦帯橋のかかる錦川の対岸にある旧御土居のエリアは、歴史的な建造物のみならず、川沿いということで、親水公園のような浅い池や高い噴水が設けられており、まだ残暑がきついシーズンだったので涼を求めて、噴水からほとばしるミストが漂う辺りで四方山話に打ち興じていたジモティ小姐にエキストラ出演願ったもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放でのAE撮影となります。

五枚目のカットですが、公園エリアを通り抜け、山の麓に設けられた変形三階建てのビル状建造物から、ロープウェイに乗って、山頂駅に着くと、そこから徒歩で5~6分でRC造の外観復元天守閣の建つ本丸跡に到着するのですが、お城状ビルであるコンクリート製建物は、中に入って、てっぺんまで登ってしまえば、そこでお城見物は、ジ・エンドになってしまうので、まずは、周辺から建物をよく観察し尽くして中に入るのが常なのですが、ここ岩国城天守は、おそらく、変な意味で上総の国は久留里城と双璧ではないかと思いますが、本来の天守台ではない後付けのものに載っかって、本物の天守台は傍らにあるという建付けで、そのご本尊サマに相当する本物の天守台の雄姿を一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放でのAE撮影となります。

六枚目のカットですが、周辺をじっくり見て回り、本物の天守代、北東山麓に広がる巨大な空堀跡も見学したのち、ふつうは望楼型でも層塔型でも天守閣、櫓、いや建物は上に行くごとに床面面積を漸減させて、バランスをとるのですが、ここ、岩国城は、同じくRC造による外観復元天守である小倉城同様、「南蛮造」と言って、下の階より上の階が外周を膨らませて大きく見える独特のデザインとなっていて、なかなか押し出し感の強い外観になっているので、一番よく特徴が判るアングルから一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放でのAE撮影となります。

七枚目のカットですが、天守最上階の展望台からは、瀬戸内海の島々も、海に面した進駐軍の駐屯地も、附設の岩国綿帯空港から離発着する民間機も眺めることが出来、なかなかの絶景かな、絶景かな♪と石川五右衛門の気持ちがちょっと分かったような気になって、また階段で一階まで降りて、ロープウェイ経由、麓まで降りたのですが、山頂から眺めて、気になって、気になって仕方なかった、川沿いの木造の櫓状の建造物、これは中に入って説明文を読んで得心したのですが、明治期になって、かつての隅櫓を模して建てた「錦雲閣」という絵馬殿で、至近距離でも撮りましたが、川の対岸からのカットが一番、櫓っぽかったので採用したもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放でのAE撮影となります。

八枚目のカットですが、光市での仕事を終え、次なる月曜朝からの東大阪での仕事に備え、新幹線で新大阪へ入り、地下鉄乗り継いで入ったのが、大阪城の真南のお濠端に位置する「KKRホテル大阪」さんで、チェッキンの際に楽天のプラチナ会員の特権?でお城の見える部屋へのアプグレードをお願いしていたら、ド・ストライクの天守閣とお見合いの部屋を撮って頂いたので、荷物をほどくのもそこそこに、長玉を装けて、美しい国指定重文の御年90歳のRC造復興天守の偉容を撮ってみたもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放でのAE撮影となります。

九枚目のカットですが、こんな好条件の部屋に通して頂いた興奮も覚めやらぬまま、日没までに本丸周辺を撮り歩きたかったので、最小限の装備で、宿を後にして、外濠から本丸へとアプローチするルートを回るべく、森ノ宮駅に近い、外堀の周回通路を歩きながら、江戸城天守台と見まがうくらい立派で、立ち上がりのカーブがセクシーですらある、一番櫓南の石垣の雄姿を撮ってみたもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放でのAE撮影となります。

十枚目のカットですが、中をうろうろしていたら、陽も短くなり始めた9月も中旬のこと、辺りは夜のとばりが降りはじめ、旧郭内の建物も、街のビルディング同様、灯りが点りだし、特に、この本丸内では、生れた時期も同じで、重文指定も同じという、復興天守閣の腹違いの兄弟のような存在である、旧第四師団の建物をリノベしたミライザの美しい姿に惹かれ、一枚撮ってみたもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放でのAE撮影となります。

十一枚目のカットですが、ここで真打登場、天守閣は巨大過ぎて、APS-Cフォルマットの35mmレンズだと、標準レンズ並みの画角で、相当引かないと、てっぺんから石垣の最底部まで入りきらないので、EVFで確認しながら、ミライザの前辺りまでバックしていたら、ちょうど、フィリピーナの小姐二名が陽気に記念撮影なんか始めたので、有難く、エキストラ出演願ったもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放でのAE撮影となります。

十二枚目のカットですが、前回来た時に天守閣内部は隅々まで見つくして、城郭管理者の秘密結社である「城郭管理者協会」の事務所の所在も確認しているので、今回は外観見学のみとして、お茶したいキブンになったので、ミライザ内部のカフェも閉まっていたので、夜景を撮りながら、街に戻ることとし、前回は注意深く観察していなかった大手門の裏側の構造、即ち高麗門形式が判るアングルで撮ってみたもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放でのAE撮影となります。

十三枚目のカットですが、前回来た時は、いずれも陽がある時に前を通りがかっただけで、ライトアップされたお姿は初めてお見受けした、豊国神社前の太閤秀吉殿の立派な銅像を神社の石造りの鳥居をバックに撮るべく、なんとか、煌々と光を照らし続けるLEDトーチのハレ切りして、ちょい掌が入ってしまったものの、シャッター切ったもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放でのAE撮影となります。

十四枚目のカットですが、大手門から外周に出た辺りには、ファミレスはもちろんのこと、カフェの類いも皆無でお茶するどころではなかったので、とりあえず、外周をまた180度近く反対時計回り戻ることにはなりますが、森ノ宮駅付近まで戻ることとし、外堀越しに、ライトアップされた、屏風折れと云われる荘厳な石垣上の六番櫓の雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放でのAE撮影となります。

十五枚目のカットですが、結局、森ノ宮駅構内の神戸屋ベーカリーカフェでお茶して、帰りに朝飯代わりのベーコン入りミニフランスパンを買おうとしたら、嬉しいことに20時1分前だったにも関わらず、レジの小姐が、20時からの全品30%オフで売ってくれたので、ルンルンキブンでホテルに戻り、窓のカーテン開けてみたら、天守閣の夜景が美しかったので、再度、長玉に戻し、その雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはFuji-X-Pro2、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放でのAE撮影となります。
今回の感想ですが、やはり、出張とプライベートの撮影旅行を上手く折り合い付けて出かけるのは、結構大変で、短い日程で、強行軍もものかわ、効率よく回ることもさることながら、会社の鉄アレィ並みに重いノートパソコン同伴なので、いつもの大きめのカメラバッグを持ち歩くのは重量的にもしんどいので、ボディは軽めのものとレンズは厳選した2~3本とせざるを得なかったですが、なんとか、思い通りに近いカットは撮れたのではないかと思いました。
さて、次回は満を持して、今年の初操業の結果をレポートしたいと思います、乞うご期待!!
- 2023/01/29(日) 13:24:56|
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さて、今年最初の更新は、工房の旋盤初めで作り上げたレアレンズの仕上げが間に合わなかったので、代案として用意していた、昨年9月の奉公先の出張と絡めて25年ぶりに訪問した萩の街をクラシックレンズで撮ったものをお送りしたいと思います。
月曜の出張に絡めて、前週金曜日フレックスで夕刻、新幹線で徳山に入り、そこを拠点として、萩や岩国を撮り歩いたのですが、土曜日の萩は、いつのまにか小郡から新山口への駅名が変更された駅前から、高速バスで一時間程度で着き、昼食をはさみ、小郡行きの最終バスの時刻まで撮ったものです。
では、さっそく、当時の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による全コマ開放でのAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、高速バスから降りて、すぐに市内循環バスの一日乗車券を買い求め、向かった先は、惜しいことに前回訪れた時は存在すら気にも留めていなかった萩城址で、後で歩いて気付いたのですが、コンパクトな萩市内をかなり大回りに回るため、ヘタすると明倫館前のバスターミナルからなら、歩いて行った方が早いのでは、と思ったくらい時間をかけて到着した萩城の入口から天守台を濠越しに眺めたもの。

二枚目のカットですが、大手門に相当する入口から、真面目に入城料220円也を支払い、その際、おマヌケなことに仏頂面で提示したJAFカードが1か月期限切れであることを受付のご老人に指摘され、一気にテンション下げ下げで向かった城内で発見したのが、お濠の向こうに現れた敵に対し、城内から石垣上に一気に戦力を差し向けるために設けられた「雁木」石段が立派だったので、気を取り直して一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、基本的に明治のご維新で、天守閣以下、郭内の建物は悉く破壊され尽くしして、石垣と土塁、そして築地塀の残骸くらいしか残っていない、城内を散策していて、ふと眼についた、斜面の階段を登り、東側の石垣上に出て目にしたものは、本土にしては、珍しく浜辺と水のきれいな海岸だったので、バックに山並みを入れて一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、萩城址東側の、郭内は土手、外側は石垣になっている辺りを何気なく散策していたら、こんなものをこのまま放置しておいて、よく盗まれないものだ、と関心するような、時代がかった本瓦葺きの土塀の遺構がかなり原型を留めた状態で、木立の中に遺されており、実はこの土塀、入城料を徴収する廓の外に在り、この最寄りの出入口はフリーパスで、ここから入れば、入城料は実質無料だった、というだけの話なのですが、この見事な土塀の遺構に感心し、足を止めて一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、さて、お楽しみは最後に、と取っておいた、天守台に向かうこととし、先ほどの丑寅の方向に在った土塀遺構から見れば、未申の方角に遺る天守台はちょうど対角線に当たり、そもそも、なんで裏鬼門に当たるし、大手門と並ぶような位置関係の、それほど幅の広くないお濠に面した位置にお城の心臓部に当たる天守閣を建てたのだろうかなどと考えを巡らせながら、天守台遺構に到着し、その上面に残る、かつての建物の忘れ形見である礎石群を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、実のところ、一枚目に上げた大手門付近からの天守台遺構周りの写真は誰もが撮るし、逆に言えば、初めて行った人間では、他に天守台を撮れる位置まで辿り着けないような、周囲の道路の付け具合いだったのですが、ここでも、いつもの勘働きを頼みに、いったん廓外に出てから、スマホンのマップを参考に細い道を進んで行ったら、ちょうど、お濠を挟んだ、天守台遺構の対岸に出ることが出来たので、見事な秋空をバックにその偉容を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、真面目に入城料を支払い、受け取ったチケットには、城の近所にある、国指定重文である、下級武士の長屋も見学出来るというので、それほど急ぐ旅じゃなし(と、この時点では思っていた・・・)、せっかくの入城料のうち、ということで、中に入り、建物もさることながら、初めて目にした、在りし日の萩城天守閣の古写真などに感心しながら、記念写真代わりに長屋の全景を一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、下級武士の長屋を後にして、向かった先が、萩城址から小郡改め、新山口からの高速バスを降りた明倫館までに広い範囲で残っている、今で言うところの伝統的景観保存地区、早い話が、武家屋敷の残る古い街並みですが、わざわざ市内中心部を回るのであれば、わざと遠回りするバスの一日乗車券など買わずにとっとと、明倫館前から歩いて古い街並み経由、お城に向かえば佳かったと思うくらい、古い木造建築が良好に保存されており、しかも驚くことにその多くが、住居や店舗として、今も住人を宿しているのですがそのうちの一軒の、藩の重役の屋敷だったというお宅の外回りを一枚戴いてみたもの。

九枚目のカットですが、先ほど市内循環バスを降りた東側の船着き場のあるお濠沿いの道路上にある観光案内板を頼りに、ひたすら東側に位置する明倫館、即ち、帰りのバスに乗るターミナルの方角を目指して歩き出したのですが、さすがにお城の近くの元武家屋敷はどれも相当な面積があるらしく、長い塀、そしてそれらが載った石垣が延々と続くばかりで、早く写真の撮り甲斐ありそうな場所に出たいものだ、とか思いながら歩いていたら到達した、城内と町屋地域との境目に建てられていた北の総門を木造復元したものを町屋側から撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、「北の総門」を過ぎてまもなく、幹線道路沿いに古民家をリノベした、或いは周囲とそっくりに建て直した建物に収まった、土産物屋、飲食店などが軒を並べ、観光客なども行き交い、活気ある地域に出て、その中でも、よく、金沢や福井といった北陸界隈の北前船で栄えた古い港町辺りで見かけることの多い大土蔵の、塗りたての漆喰壁も美しい建物を横から一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、古い街並みを徘徊し、やれ、高杉晋助の生家だ、木戸孝允の旧宅だとか、名所旧跡を眺めるだけでは飽き足らず、萩焼の窯元の店先の笊にちょこんと置かれていた、ご奉仕品の湯呑がどうしても気になって、いったん通り過ぎたあと、1kmも先からまた戻って買い求め、あれこれ眺めては行きつ戻りつしている最中、日傘をさし、しゃらんしゃらんと優雅に追い越していった小姐に街並みへのエキストラ出演して頂いたもの。

十二枚目のカットですが、同じく、城下町のタイムスリップした先の迷宮のような細い路地のような街並みを眺めながら徘徊し、時折、面白げな建物などを見かけたら、都度、シャッターを切っていたのですが、傍らを通り過ぎて行ったのが、なんと、漫画「ちびまる子ちゃん」から抜け出てきたような髪型、体形、そして動きの小々姐連れの中年の母親で、これは街並みとのアンマッチさが面白いと思い一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、そろそろ幹線道路に出て、明倫館を目指さないと、この街を出発する前にアフタヌンティーのお茶とスィーツを楽しむ時間がなくなってしまうので、萩焼の窯元などが点在する細い通りの入り組んだエリアから北に向かって歩き出したところ、ちょうどお客を二人載せた人力車が通り過ぎていったので、速足で追いすがり、停まって説明するためにスピードダウンしたところを狙って一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、幹線道路を行き交う車の喧噪が聞こえる辺りまで来たら、この伝統建築群が建ち並ぶエリアに足を踏み入れる時に幹線道路側から撮っていたとは、完全に失念し、街並み側から立ち並ぶ大土蔵下部の海鼠壁の出来栄えが美しいと思い、秋の青空をバックに一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、直線距離では、1.8Kmもなかったにも関わらず、伝統建築が建ち並ぶエリアでかなり歩き回ったせいか、スマホンの万歩計ベースでの移動距離は、軽く4kmを超えた辺りで、やっとバスターミナルの在る、明倫館横の広場に辿り着き、着いて早々に市内循環バスに乗ってしまったために仔細に検分していなかった明倫館の入場料要らないエリアだけでも見ておこうと思い、まずはランドマーク的な正門と赤瓦も美しい校舎群を撮ってみたもの。
さて、次回は、翌日の岩国、そして最終日の大阪城公園の様子をレポートしたいと考えております、乞うご期待!!
- 2023/01/15(日) 19:15:08|
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さて、今週のご紹介は予告通り、JR東日本の新幹線と高速バスを組み合せた、体力勝負の日帰り弾丸ツアー第三弾で、上田城、小諸城、併せて城下町の様子を長野県生まれのレンズ達と撮り歩いてきたので、その様子をレポートしたいと思います。
まず当日の行程ですが、10時過ぎの東京駅発の北陸新幹線で上田に11時過ぎに入り、駅からは徒歩でだいたい20分弱と云われていた上田城址までぞぞろ歩きし、到着後は郭内の現存櫓の隅々まで検分し、また駅まで徒歩で戻り、ちょうどおなかも空いて来たので、某東京12チャンネルの深夜の人気番組よろしく、「あぁ・・・腹減った、そうだ店を探そう」ということで、ランチタイム終了ギリの14時前に結局、駅前のそこそこ立派な蕎麦屋に入って、天ざるを頼み、食べ終わる頃に「これから小諸に行くのに、拙者何やってんだ!?」と風味、喉越しの観点等から、あまり口に合わなかった蕎麦によって、思わず現実に引き戻され、やはり空腹は冷静な判断力を失ってしまうものだ・・・と冷静に考えながら、長野新幹線開業に伴い第三セクター化された、元信越本線こと、しなの鉄道に乗ってお隣りの小諸市に移動し、駅前の観光案内所のスタッフさん曰く、名所旧跡回るなら、15時で復元大手門が入場締め切りになるので、すぐに行った方が良い、ということで、地図を頼りに結構な遠回りもしてしまいつつも、閉館10分前に滑り込みセーフ、中を存分に見学させて頂き、係員の方に対応の御礼を述べ、線路をはさんで反対側に位置する城跡、即ち懐古園に、赴く前に10年以上も前に知らずに散策した古い街並みが保存されている旧北国街道をざっと見学し、しかるのち、一本東の駅への近道を通って、懐古園へ向かい、内部の城郭に痕跡を存分に堪能して、夕方の小諸駅前発東京行き高速バスに乗って、都内に20時過ぎに戻ったという次第。
では、さっそく、当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズは1~6枚目までがVoigtlaender Ultron28mmf2.0、7~15枚目までがVoigtlaender
SW-Heliar15mmf4.5asph.による、全コマ開放、絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、駅から歩いていくと、幹線道路に面した空堀を渡って、二の丸跡の広場を通り抜けた先に、数少ない郭内の建造物である、東虎口櫓門と南北の下見板張りの二階建ての櫓が連結した姿で復元され、これなら、徳川軍を二度に亘って、撃退したとしても不思議ではないと思わせるような立派な佇まいが視界に広がったので、通門前にその雄姿を一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、ごつい石垣の上の立派な櫓門とものものしい下見張りの塀で繋がれた南北の櫓という、いかにも戦のための要塞というオーラぷんぷんの東虎口を通って、廓の中に入る前に見落としてはいけないものがあり、それは、大阪城の蛸石をはじめとする巨石群や名古屋城の清正石には到底及びもつきませんが、それでも、石垣を備えた城は東日本では慶長期以前では極めて珍しく、その中でも、これだけの大きな石を正面付近の目立つ位置に置いたのは平時から、見るものを圧倒しておく必要があったのかな?などと思い家族連れもろとも一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、ここ上田城もご他分に漏れず、本の丸の主要部分には、神社が鎮座ましましており、真田とは銘打ってあるものの、祭神は、幕末まで長年に亘りこの地を治めた松平家、その前の領主の仙石家、そして上田城の創始者である真田一族が祀られており、境内には、青年真田幸村の像が建てられていたり、抜け穴伝説の井戸があったり、インスタスポットとして巨大な赤備えの兜のオブジェがあったりと趣向を凝らしているのですが、一番目を惹いたのが、京都の北野天満宮や金沢の石浦神社と同じく、手水場一杯に季節の花を浮かべ、参拝者の目を楽しませようとしていたので、嬉しくなって、一枚戴いてみたもの。

四枚目のカットですが、ここも真田神社境内の景色なのですが、何処かで既視感あるな、と思ったら、川越市の氷川神社や、前出の金沢の石浦神社にある、絵馬を吊るして奉納するために設けられた、アーチというか、トンネル状の通り抜け施設で、ここのものは、さすが鄙の地だけあって、高い木々の下に設けられているため、天井に相当する部分からは、木漏れ日が射してきて、えいもいわれぬ厳かな雰囲気を醸し出していたので入口付近から人が来ない頃合いを見計らって一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、これが、数少ないというか、唯一の築城当時から、約400年に亘って、この地に建っていたことが近年の調査で判明した西櫓で、ここは真田神社の裏手、伝説の井戸や、青年真田幸村の銅像を通り抜けた本の丸の西のどん詰まりの切り立った斜面の石垣の上に建てられており、中には入れて貰えませんでしたが、この日は天気も上々だったので、夏空をバックにこげ茶の下見張り壁も渋い雄姿を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、次に食事をはさんで小諸城へ移動しなければならないので、時計を睨みつつ、先ほどは後回しにして通り過ぎた東虎口櫓門に登るべく、発券所を目指して、来る時とは異なるルートを歩いていたら、夏の風物詩とも云える風鈴が、屋根の無い東屋のようなところに所せましと吊り下げられており、色の異なるガラス製の傘越しに木々の緑と夏の青空が透けて見えて、とても美しいと思い、下まで歩いて行って一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、東虎口櫓門一帯への入場口は南櫓の向かって右、即ち石垣側に石段が設けられており、そこから南櫓の中を見学し、しかるのち、南側中庭を通って櫓門二階の展示場を経て、再び、北側中庭経由、北櫓へとアプローチするという見学経路なのですが、実は、中庭が文字通り猫のひたい程度しかなく、中庭から南北の櫓の外観を撮ろうとすると、いかなフルサイズでも屋根が切れて無様な描写にしかしようがなく、ここでレンズを替えて、15mmの超広角レンズの威力発揮で北櫓側面を撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、せっかく、普段なかなか出番の来ない長野県産の"超能力"レンズを初めてα7cに装着してみたので、しばらく、遊び半分で使い続けることとし、北櫓内部に足を踏み入れ、木造の城郭建築では、床板の釘の種類と同じくらい興味のある、二階から観察できる、屋根裏の小屋組の木材の構造を撮ってみようとEVFを覗いてみたら、f4.5と暗い開放値ながら、かなり広範囲かつ鮮明に撮れそうなことが判ったので、手振れに注意を払って、一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、古材を使用した再建建築とはいえ、かなり詳細に亘り、江戸期の建築様式を確認することが出来、更には、おそらくは、木の枯れ具合から、昭和初期以前に施されたと思しき補強用の木製の筋交いなども確認出来、かなり満足し、上田城を後にし、北国街道の街並みを眺め、駅前まで戻ってから、あまり納得感の無いランチを食べてから、しなの鉄道経由、小諸駅に移動、閉館時間間際だったので、遠回りしつつも何とか時間内に辿り着いた、小諸城大手門の外観を撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、締め切りギリギリにも関わらず、管理人のご老人は快く、中へと案内して頂き、色々とお城にまつわるエトセトラを話しながら、櫓門形式である大手門内部を見学したのですが、まず驚いたのが、天守ですら、天井板などなく、屋根裏の小屋組みが丸見えなのにも関わらず、ここ小諸城の櫓門は、云い方は雑ですが、それこそ書院造の、普段、位の高い侍が暮らす屋敷の居間などと大差ない造りになっていたことで、そもそも、攻める側の目線で見たら、こんな窓が大きく開放的な造りでは、火縄銃どころか、火矢、或いは投石でも十分攻撃出来てしまう、とか要らぬ心配しつつ内部を撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、管理人のご老人との話も弾み、さりとて、いつまでも建物を開け放った状態だと、次から次へと訪れてくる観光客を、それこそ陽が沈むまで、管理規則を曲げて対応しなければならず、嘱託かアルバイトのご老人が残業手当を貰えるようには思えなかったので、適当なところで切り上げ、また来て各地の城の話を聞かせて、という嬉しいお言葉を後に櫓門を下る時に撮った、二階部分正面外壁の様子。

十二枚目のカットですが、またしても似たような門が登場、ですが、ここは、先ほどの大手門とは、線路を隔てて160mほどの距離にある懐古園こと小諸城址入口に建つ三之門という櫓門形式の門で、慶長期に建てられたものが、この地域を襲った大水で、周囲より低いことから「穴城」と呼ばれるだけあって、門も浸水、倒壊、のちの明和になってから再建され、現在は国指定重要文化財になっているシンメトリックで端正な佇まいを、外は工事の柵やシートでかなり覆われて、画的にどうかなと思い、城内側から一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、実は、恥ずかしながら、ここ懐古園は大学生時代を含め、三、四回来たことがあるのですが、興味も知識も皆無で、城跡だったという認識ないままに漠然と緑濃い園内を散策し、前回など、動物園でペンギンの池の傍を通りがかった時、うへ、生のペンギンって、生臭いんだ!とか新鮮な発見をして、何か得したようなキブンでまたバスの長旅で江戸に戻っていったというおめでたさ加減でしたが、今回はきっちり予習をしたので、あちこちに城郭の痕跡を見つけながら歩き、本丸へと続く坂道の打込接の苔むした石垣を撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ここ小諸城も、先程の上田城同様、本丸の主要部分は、明治期になってからの廃城例を受けての城郭建築破却後、主に城主を務めた牧野家と城内に祀ってあった、菅原道真公、火魂社を合祀して祭神としている「懐古神社」が建てられて今に至るのですが、そこへ向かう道も、きちんと風情のある石畳が敷き詰められ、午後の西に傾いた陽光を受けシルエットになった観光客もろとも一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、ここ小諸城址には、知る人ぞ知る、天守閣跡の天守台が、約6mの石垣で囲われた本丸の北西角にどーんと一段高く、突き出す恰好で残されており、この野面積みのワイルドな天守台の上には、豊臣時代には、秀吉子飼いの武将、仙石家が建てた天守だけあって、金箔瓦を葺いた三層三階建ての天守が在ったとされていますが、寛永期に落雷で焼失、以降、幕府の裁可が降りず、この天守台のみ残って、400年前の様子を伝えるのみとなっていたので、その佇まいを斜め逆光で一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、本当に人間の眼って面白い、同じものを何度も見てきたはずなのに、関心が無いと、見たことすら忘れてしまう、尤も、職場の長野県内出身の後輩社員に聞いてみても、懐古園って、お城跡だったんですか、とか天守台の写真の説明聞いて、改めて驚くくらいだったので、致し方ないことかも知れません。こういうことが起こらないよう、戦後から平成にかけて、あちこちで、単純で判り易く、明確なシンボルである、鉄筋コンクリート造の外観復元、復興、そして模擬天守まで作られたのではないかと思った次第。
さて、次回は今年最後の更新、米国製超レアレンズによるシュルストレーミンも真っ青のクセ玉描写をご披露して、一年の締めくくりとしたいと考えます、乞うご期待!!
- 2022/12/07(水) 21:40:57|
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て、今週のご紹介は予告通り、このところのプチマイブーム化しつつある、日帰り弾丸ツアーで、今を去ること7/30の土曜日、無謀にも早起きして東北新幹線と郡山からの磐越西線乗り継ぎで出かけた、おそらくは約40年ぶりの会津若松城訪問のレポートをお送り致します。機材は、お手軽にErnstLeitz社製のVario-Elmar21-35mmf3.3-4.5asph.をSONYα7cにつけての軽装備で一日歩きました。もちろん、全コマ開放でのAE撮影です。
では、当日の行程に沿って実写結果を眺めて逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、東京駅から乗って、11時過ぎに着いた郡山から、今度は典型的なローカル線である、磐越西線に乗り換え、約一時間、車窓からの景色を楽しんで辿り着いた会津若松駅からさらに市内循環の観光バスに乗り換え、最寄りバス停から5分ほど歩き、外堀に架かった橋を渡り、幾つかの石垣で囲まれた鍵の手を通り抜けると見えて来た、懐かしくて新しい、2011年に大幅リニュアルを受けた天守の雄姿を一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、5重5階建て地下2階の天守へのアプローチは天守東側の石垣を切り欠いて設けられた地下階につながる入口まで石段の横に架けられたスロープを登って中に入ることになるのですが、建物の全体観と出入口の大きさと位置関係が良く見てとれるよう、いったん、天守東側に広がる芝生の上までバックして、ギリギリ全体が収まる位置から一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、二枚目のカットの下の方にちょこっと地味に収まっている、天守の石垣を切り欠いて設けられた地下階の塩蔵経由、天守内部へアプローチする出入口周り、特に切り欠きの上に、ダリウスの剣よろしく、威圧感満載で、巨大な石の一枚板がでーん!と載せられていたのが面白くて、一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、この立派な白亜の天守を前にして、一刻も早く中に入って、てっぺんまで登ってみたい衝動に駆られながら、その一方で、平成になってから、復元された、RC造の天守と天守続櫓、表門である「鉄門」を介し接続する南長屋門と干飯櫓の外観も至近距離でみたい気持ちにも抗い難く、いったん、入口を通り過ぎて南長屋門伝いに干飯櫓の前に出て、南長屋門が接続する表門である「鉄門」と天守のツーショットを一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、干飯櫓の前まで行って、出入口まで戻り、地下階から順繰りに展望スペースのある最上階に向けて各階の展示品を適当に眺めながら上がっていったのですが、何せ、実質的には5階建てのビルを階段で登り切るのと全く同じですから、一気には駆け上がれず、各階で休みながら上がっていったということで、やっと辿り着いた最上階から手に取るように見える、先ほど地上から観察した南方向の構築物群を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、そもそも天守閣の楽しみ方は、外からその優美な外観を眺めてもよし、大手門、ないし搦め手口の門から、石垣や土塁に囲まれた虎口を通り抜けて、本丸に聳え立つ天守に巡り合う道行きを楽しむもよし、そして、その幾つもの楽しみの最終到達点が天守最上階の窓、ないし廻縁から眼下の景色を眺めること、即ち往時のお殿様目線で領地の21世紀の景色を俯瞰することにほかならないので、お殿様気分で最上階展望室の廻縁の様子を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、天守最上階の廻縁から360度景色を眺めて、すっかり、令和のお殿様キブンを満喫してしまったら、あとはお帰りはあちら、とばかり、展望室中央に広く開口部を取った昇降用の階段から下って行くだけなのですが、半ば備忘録的に鉄筋コンクリート造天守閣あるあるの、最上階の天井がきれいに格子状の化粧板が嵌められているをしっかりと広角のパース効果考えて撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、40年前にやって来た時と今回の大きな違いは、外観のお化粧直しだけでなく、オール鉄筋コンクリート造の天守本体から続櫓を経て表門までだったのが、平成になってから、木造復元で、南櫓からその先のどん詰まりに聳え立つ、往年の郭内では最大の二階櫓だった干飯櫓まで出来ていたので、有難く、檜張りの廊下をスキップしたいキブンで進んで行って、鉄筋コンクリート造とは異なり、木造の場合は構造体である屋根の小屋も木組みの様子がバッチリと観察出来るので、嬉しくなって南櫓の表門との接合部の様子を一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、さっそくオール木造復元の部位である南櫓に足を踏み入れ、心も軽く当たりをキョロキョロしながら、ところどころ、使われている釘が、洋釘でも、ましてやその頭をタコス状につぶしたなんちゃって和釘でもないことを確認しながら、その先に口を開けている、干飯櫓への木製の階段を目指して歩いている時に櫓廊下の全体像を撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、お楽しみのオール木造復元の二階櫓である干飯櫓に着くと、お客を出迎える間もないのか、或いは東北地方でも特に人見知りしてシャイな会津人気質を写したのか、櫓内に幾つか置かれた等身大の木偶は、ひたすら狭間から弾も込めていない火縄銃を構えて、怖げな表情で眼下の敵を睨みつけており、愛想がないヤツだな、とか苦笑しつつ、お仕事の様子を傍らから撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、櫓の中では、おそらく戊辰戦争というか会津戦争での籠城戦での戦闘員の疑似体験をしてもらう目的なのか、同じ重さの太刀と火縄銃の模型が置かれていて、誰でも触って、持ってみて重さを体験し、往時の侍達の労苦に思いを馳せる趣旨だったはずなのですが、先の中国人一家に掛かっては、単なる家族旅行の記念撮影の小道具にしか過ぎず、いつまで経っても手放す気配がなかったので、それならばと有難く団欒風景を傍らから一枚頂いてみたもの。

十二枚目のカットですが、城内の隅々まで検分し、どん詰まりの干し飯櫓からまた引き返し、表門脇の出口から場外に出たら、とりあえずは天守続櫓の裏側を見てみたいと思ったので、表門を潜って西側の通路に出て先ほどまで居た5重5階の天守の偉容を再び下から眺め、続櫓越しに夏空の下の白亜の造形美を一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、このまま真っすぐ進むと、北門経由の出口に向かってしまうことになり、東側の広場越しの天守の全体像が撮れなくもなってしまうため、とりあえず、表門外というか天守続櫓裏に在った云われている「上杉謙信公仮廟所」の跡を見学してから、また戻る時に鉄筋コンクリート造復元とは言え立派な櫓門である表門の外から、その雄姿を一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ここ会津若松城は復元とは言え、巨大な東日本最大級の天守閣ばかりが注目されがちですが、先の「上杉謙信公仮廟所」しかり、太閤秀吉に切腹を命ぜられ悲運の最期を迎えた千利休の子、少庵を千利休の高弟でもあった蒲生氏郷が匿い、ひそかに茶の道を伝えようとしたという「麟閣」という建物も遺っているというのでその外観を眺めたい気持ちもあって、東側の、今は芝生張りの広場に向かった時、振り返りざまに天守の全体像を撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、さて「麟閣」の前まで行ってみたら、予想した通り、入場は有料で、時間も残り少なかったので、せめて門の下から建物の玄関周りと特徴的な部位の写真でも撮りたいと思ったのですが、門の真下に料金所が有って、しかも、派手な立て看板が門の先の立てられていて、門の下から建物を撮るのは物理的に不可能だと悟り、おとなしく元来た道を辿って北出丸経由、郡山行のバスに乗れるバス停があるという市役所前に向かう途上見つけた、石造りのレトロな「鶴ヶ城会館」の外観を一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、かなりマニアックで綱渡りの旅でしたが、7月上旬の東北地方縦断お城巡りツアーの動線から外れていたために取りこぼしてしまっていた会津若松城と対面出来、しかも駅からのバスの車中からふと目に留まった、浄土宗寺院の本堂横の妙に縦方向にひょろ長い木造建築が城内から移築されたお三階櫓という伝承もあったと知り、今度はじっくり時間を作って、会津若松城と市内あちこちに残る江戸の面影をゆっくり泊りがけで探訪しに来たいと思いました。
さて、次回は懲りもせず、この翌週も天気がいいことに託けて、またしても、JR東日本の新幹線と高速バスを組わせた、新種の日帰り弾丸ツアーで、上田城、小諸城、併せて城下町の様子を長野県生まれのレンズ達と撮り歩いてきたので、その様子をレポートしたいと思います、乞う、ご期待!!
- 2022/12/04(日) 22:56:24|
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さて、今週のご紹介は予告通り、旅から旅の合間のクラシックレンズによる撮影ということで、夏草や、兵どもが夢の跡、を彷彿とさせる古戦場を日帰り弾丸ツアーで巡ってきたレポートをお送り致します。
今回のロケ場所は、二回目の訪問となる静岡県は三島市の「山中城址」。ここは、風光明媚な高原の公園で晴れた日には、かなり大きな富士山の雄姿が芝に覆われたなだらかな丘陵越しに見え、そよぐ風には野鳥のさえずりも乗ってくる、極めて平和で風光明媚な場所なのですが、今を去ること432年前の1590年の3月29日早朝、わずかに4000~5000名の手勢で守られていた、後北条氏の小田原城における東海道上の最要衝は、全国統一を目論む豊臣秀吉勢による小田原征伐の先鋒、豊臣秀次率いる、およそ70000万名の大群が総攻撃。通常なら攻城戦は攻め手は守り手の3倍、後北条氏の築城技術の粋を尽くしたここ山中城では、優に5倍の軍勢にも持ちこたえられると云われていましたが、10倍を超える軍事力に、本来は1万名で守るような大規模要塞を小田原本城の守備戦のために半減ざれ、守備が手薄になってしまったことから、壮絶な攻防戦の挙句、双方に多数の死傷者を出し、半日も待たずして落城。その後、小田原城の落城と同時に廃城となって、山中で人知れず眠りに就いていた古戦場の遺構を、1973年、三島市が学術調査のための発掘と並行し、後北条氏の築城技術をそのまま今に伝えるべく公園に整備したものです。
この城址公園のすぐ下の宗閑寺には、この壮絶な戦いに命を落とした豊臣勢、後北条勢の将兵達を祀る墓碑が仲良く並んで建てられていて、先にこの城跡を訪れた時にはお参りで出来なかったので、今回は寄らせて頂き、平和な世に生を受けた僥倖に感謝しつつ、手を合わせて帰ってきた次第。
その後は、駅でお茶もしたかったので、小田急への乗換地である小田原で下車、まだ陽は残っていたので、子供の頃からの馴染みである小田原城に顔を出して帰京したというのが今回の弾丸ツアーのあらましです。
機材は、お手軽にErnst Leitz社製のVario-Elmar21-35mmf3.3-4.5asph.をSONYα7cにつけての軽装備で一日歩きました。もちろん、全コマ開放でのAE撮影です。
では、当日の行程に沿って実写結果を眺めて逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、前回は今回以上の駆け足行脚だったので、障子堀と畝堀だけ見れば良いと思い、箱根街道をはさんで東西に分かれた要塞跡の西側だけを見学して帰ってきたのですが、今回はまず前回の見逃しリターンとばかり、東側の丘陵部に広がる、すりばち曲輪を擁する岱崎出丸の見学から始め、最深部手前で土塁の上から三島市街が遠望出来る場所があったので、市街地の遠景をバックに、落ちたら這い上がれない空堀の偉容を撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、山の上からの景色の見事さに目を奪われて、周囲にはあまり注意して見ていなかったのですが、登ってみた土塁が、曲輪内部からも結構高いことは気付いていたのですが、やって来た方角を振り返ってみたら、これが、ミニ万里の長城とまではいかないまでも、結構長く続いていて、感覚的には、石と土の違いこそあれ、ちょうど、沖縄は名護市近郊の今帰仁城のなだらかなカーブを描いた長い石垣を思い出させてくれて、見事だと思い、一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、岱崎出丸の最深部のすりばち曲輪まで到達し、その底まで探訪し、いよいよ、夏の装いを纏った障子堀、畝堀との、胸躍るご対面を期して、箱根街道をはさんで反対の丘陵の斜面に広がる西の丸方面へと移動すべく、足早に斜面を下っている時に真夏の山中で一抹の涼を献じていた、可憐な紫陽花に気づき、足を止めて一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、この前来た時には、障子堀も畝堀も、西側エリアだけに設けられていて、どちらかと云えば、そういったこの城跡の、特徴的な美味しいところはないものとばかり思っていたのですが、すりばち曲輪から、岱崎出丸跡の芝の広場に出る手前で視界が開けた辺りの土塁下にも見事な畝堀、即ち、空堀の長手方向を分割するかっこうで、一定の間隔で土の壁が付けられているものを指すのですが、その形状が良く判るアングルから一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、当初は一秒でも速く障子堀、畝堀を見たかったので、何も無いと思っていた岱崎出丸はそのまま、素通りしてしまおうかと思っていたのですが、周囲に巡らせた高く、長い土塁の底部の一部に畝堀が設けられていたなら、話は全然別で、実は、南側の街道沿いの防御のために「一の堀」というかなりタイトな障子堀が設けられていたので、陽光を照り返す夏草に覆われて全体的な形状が捉えにくい中、何とか工夫して、恰好が判るアングルから一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、ここ岱崎出丸も決して、何もないだだっ広い芝生の広場というわけでなく、あちこちにここがかつて、小田原城防衛の最前線である東海道屈指の軍事要塞であった痕跡が見事に復元されており、この細長い広場の長手方向に二か所、四角い土塁のような台が設けられており、これが麓からすりばち曲輪を目指して攻めてくる敵を迎撃する櫓のような役目の建物があった場所なのだと思い、当時に思いをはせて、バックに富士の裾野を入れて一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、岱崎出丸を一通り検分し終えて、いよいよ、待ち遠しい西の丸方面へと移動しようと、再び木立の小径に足を踏み入れようとしたところ、木陰で健気に花を咲かせ、訪れる人の心を和ませ、或いは、古の武士達の英霊を慰めようとしているのか、ユリのような赤い花がこうべを垂れていたので、またしても足を止めて一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、箱根街道を横切って、かつての要塞の西半分に足を踏み入れ、案内板に従って、森の中の小径を歩き進んでいくと、突如、視界が開け、そこが二の丸と云われる、かつての主戦場だったことが判り、その上には、周囲に畝堀、障子堀を抜かりなく巡らせた西の丸・西櫓エリアへと続いていくのですが、西の丸の南側の階段から、斜面の下に広がる、草むした障子堀の偉容を一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、ここ山中城跡の最高地点であり、おそらくは、小田原城防衛のための要塞としての最終防衛地点、一般的なお城では、最後の最後にお殿様か城大家老が籠城することになる天守閣最上階に相当すると思われる西櫓の建つ丘陵の斜面に深く刻まれた障子堀を西櫓跡の広場から見下ろすアングルで一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、これも山中城址公園の西半分エリアの西の丸・西櫓を降り、その丘陵部をぐるっと巡る通路を辿って、ため池を回って、宗閑寺へと向かう途中に北側斜面に設けられた障子堀の全体的な恰好が、夏草によって、エッジが見えづらくなっているものの、比較的判り易いアングルから一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、西半分の斜面をぐるっと回って、元西曲輪経由、二の丸広場に出るルートを歩いていたら、その理由は良く判らないものの、可愛いワッフルのような恰好の障子堀が広がるエリアに接する下のエリアにはその簡易版と言えなくもない畝堀が設けられていたので、これも面白いと思い、一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、西の丸・西櫓を巡る通路をぐるっと回り込み、上がってきたのとちょうど反対側の地点から、先ほど見下ろした西の丸・西櫓が設けられていた小高い丘陵の頂点部分を、夏草に覆われ、かろうじてその独特の形状が窺える障子堀越しに一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、これも、西の丸・西櫓を巡る通路のもう二の丸へと下る手前辺りを歩いていたら、木陰から、西の丸・西櫓の麓に広がる障子堀の全容が、かろうじて把握出来るような陽の当たり加減の場所に行き当たったので、これが、夏草の消失する晩秋か冬だったら、さぞや見事な造形美の写真になったのに、と思いつつ撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、山中城址バス停から市内行きバスに乗り、三島駅から登りのJRに乗ること、熱海経由乗り換えで約45分、まだ夕暮れまでには時間有ったし、急ぐ旅でも無いので、せっかくの小田原でお城を見ないのも勿体ないと思い、小学校の遠足でひと目惚れした白亜の天守閣にお目見えしようと思い、近道である北口経由、本丸に到達し、夕暮れ前の白亜の美しい天守の偉容を一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、本丸跡の広場の大木の根元に巡らされた円形の木製ベンチに暫し佇んで、夕暮れ前の白亜の天守に見とれていたら、あっという間に陽は傾き、そろそろ、弾丸旅行というか、毎週、どこかに出かけていた累積疲れが出てきて、お茶して休みたい気分になったので、かりそめの暇乞いも兼ねて、天守の真横からの凛とした美しい全容を一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いはや、弁慶みたいに何本もレンズなんか持ち歩かなくとも、そしてすぐに機嫌を損ねて撮影不能となることもゼロではないデジタルライカをメインにしなくとも、高性能のズームがせいぜい2本と信頼性高いフルサイズミラーレスがあれば、ちょっとした小旅行は十分、ということが良く判りました。
もっとも、この経験が11月の比較的長い、九州巡業出張の時の機材選択に大いに役立ったのですが・・・
さて来週はまたしても比較的長い出張で一週お休み、その翌週は、またしても老骨に鞭打った弾丸ツアー、7月最終日に訪問した会津若松城のレポートをお送りいたします、乞うご期待!!
- 2022/11/21(月) 01:02:04|
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さて、今週は予告通り、宮城県白石市に建つ、伊達家の名臣片倉小十郎の居城、白石城と、その翌日訪問した、戦後の天守閣木造復元の嚆矢となった白河小峰城を訪問したレポートをお送り致します。
まずは、当日の簡単な行程ですが、盛岡城撮影の翌日は、朝食を摂ったら即、在来線で宮城県白石市に移動する予定だったのが、前日からの荒天で在来線は運航再開未定、ラッキーなことにかろうじて運航していた新幹線に乗って、白石蔵王まで移動し、在来線駅の駅前に建つホテルまで1キロ強の道を荷物持って移動し、当然、チェッキン時間前だったので、荷物だけ預かって貰って、カメラバッグを抱えて、工事中とは承知の上で、白石城址に向かって、仮設とシートに覆われた木造復元天守閣の外周りだけ見て、仕方ないから、他の江戸時代の遺構でも見ようと案内板を頼りに近場の武家屋敷に行ってみれば、あいにくここも耐震補強中で閉鎖、あとは、お城から移設された門が二件別々に残っているというので、途中、雨宿りしながら、両方見終えた時にはすっかり夜のとばりが降りていた、というのがその日の結末、翌日は、またしても慣れない早起きをし、宿の前の在来線経由、白河の駅に移動すべく9時台の電車に乗り、約2時間半かけて白河の駅につき、目的のお城自体は駅のホームから、それこそ石を投げれば届くくらいの位置にあるのですが、時間もお昼時だったため、お城側に出てしまうと、飲食店などが皆無なので、まずは反対側に点在する、名物料理「白河ラーメン」などを堪能し、しかるのち、ホームの下を潜る横断通路経由、お城側に抜けて、そこから2時間以上もみっちりとお城検分を堪能し、15時台の在来線でお江戸に戻った、というのが今回の長旅のあらましです。
では、さっそく、二日間の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、宿で貰った地図を頼りに地上の道からではなかなか存在が見えてこない天守閣を目指して歩いていたら、市役所の駐車場を抜けた辺りで全身ネットを被った、巨大な構築物のようなものが山の頂きというか小高い丘の上の開けた辺りの隅っこに佇んでおり、あらまぁ、お城ってこんな風に修理を行うんだ、とか遥か彼方の遠い記憶の中の、故郷ではずば抜けて大きな木造建築だった実家を補修した時の木の足場やネットをかけられた様を思い出し、本丸に足を踏み入れた直後にその痛々しい姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、本丸から下る途中に来た道を振り返ってみれば、石垣の上の漆喰塀は一足先に修復を終えたのか、夏のやや雲が多めの空の下、目立つシミや汚れもなく、その凛とした白く美しい姿を見せ、襲い来る敵兵を狙い撃つために一定間隔で開けられた、銃眼、城郭用語でえいえば狭間が無機的な造形を見せており、本瓦で葺かれた塀の上の屋根軒下の桟の波打ったような様子もとても美しく感じられ、足を留めて、仰ぎ見る角度から一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、お城見学の後、武士は食わねど爪楊枝とはいかないため、次なる目的地である、保存された武家屋敷に向かう前、本丸下の「歴史探訪ミュージアム」内の食堂で「にゅうめん」なる不可思議な麺類をランチに頂き、しかるのち、降ったりやんだりの天気を気に病みながら武家屋敷に向かう途中の石段に咲いていた紫陽花の花を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、お城の廓を降りて、武家屋敷までの道は、さすが蔵王の麓だけあって、水が豊富な街だと見えて、澄んだ水が豊富に流れる用水路がいたるところに張り巡らされており、武家屋敷までは数100メートルという辺りまで来たら道路と反対側の石垣の上には黒い下見張り壁のセミレトロな雰囲気の建屋があり、道路側の岸に咲く黄色い野の花とのコントラストが美しかったので、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、先ほどの用水路伝いに歩くこと5分強、勢いのあるせせらぎの先に鬱蒼とした森が見え、目を凝らすと、その木々の緑の間に下半分が下見板張り、上半分が土壁造りの、如何にも質素を旨とした中級武士の住まいを彷彿とさせる武家屋敷が見えてきたので、足を早めたのですが、門の前まで辿り着いてがっくし・・・ここも天守修復と合わせて、耐震補強等の保存修理を行っているということで閉鎖されていたので、手前で見つけた時の写真を載せてみました。

六枚目のカットですが、心弾ませ到達した武家屋敷の門にはでかでかと、保存修理工事のため、11月までお休みですという旨の張り紙と、不愛想な赤い三角コーンが置かれていたため、正面アングルからは到底撮影する気にはなれなかったため、門横の土塀の上の木の屋根がイイ案配に苔むしており、その下を通る速いせせらぎが空を映し、水面を光らせていたので、そのコントラストを面白いと思い、最短距離から一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、踵を返し、次なる目的地である、移設された白石城の門達を訪ねようかと思った矢先、門の横に奥の民家へと続く私道のような小径があり、特に「立入禁止」といった立札なども見当たらなかったので恐る恐る、進んでみれば、どうやら、この武家屋敷の持ち主と思しき一家がさすがに修理どころか火の使用すらままならない重要文化財で暮らすのは不便と感じたのか、裏に現代的な木造住宅を建てて住んでいたようなので引き返す途中に生垣の隙間から、武家屋敷の手入れの行き届いた庭の様子を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、翌日は駅横のホテルでは朝食を頼んでおらず、窓から観察していた、頼りの駅前カフェも店を8時過ぎても店を開ける気配も無く、モーニングを頂けそうもなかったのでシャワー浴びて、髭剃って、早々に宿をチェッカウトし、駅の出入口をはさんで反対の位置に建つコンビニでサンドイッチと飲み物を買って、電車の中で食べ、お昼過ぎに白河駅に到着した時にはすっかりおなかも空いてきたので、白河ラーメンで腹ごしらえをしてからお城に向かい、廓入り口で天守代用の三階櫓の雄姿をバックに城の名前を刻んだ石碑を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはHeliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、前の訪問地、木造復元の代用天守である白石城三階櫓が修復中で、その雄姿を見られなかったこともあり、青空の下、広々とした南東北の緑地公園の中心に高石垣を従え聳え立つ、白亜の御三階櫓の雄姿は、日本全国、北は五稜郭、松前城から南は熊本城、首里城、海外では紫禁城、安保土塁から、ノイシュバンシュタイン城、スフォルツェスコ城、ハイデルベルク城に至るまで幾多の城郭を踏破、検分した工房主ですら、心躍るものがあり、大手門を潜る前にその雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはUltron35mmf1.7による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、石段を登り詰め、大手門に相当する前御門を潜り、本丸の中庭に出てから、一刻も早く中に入ってみたいと逸る心を抑え、先ほどとはちょうど正反対の位置から、総石垣の台座の上に聳え立つ三層三階層塔型の御三階櫓の雄姿をやや雲が多めの真夏の南東北の空をバックに一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはUltron35mmf1.7による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、この日は入場無料とのことで、せめて維持のための寄付でもと思ったのですが、寄付金箱すら置かれていなかったので、では、その分、しっかりと勉強させて貰って、このお城のみならず、現存の木造天守、櫓、或いは復元、これから木造による復元が予定されている城郭建築が100年、いや1000年にも亘る寿命を与えられるよう、永遠の金属チタンを使った耐久性向上の方策を研究することとして、見学を始めてまもなく内部の様子を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはUltron35mmf1.7による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、御三階櫓の内部を順繰りに検分しながら歩き、最上階の三階に到達した時、天井裏に当たる和式木造建築の構造である小屋組に目を向けてみれば、他の城郭建築でも一般的な、竣工記念の木札が中央の柱束(はしらづか)の側面、建物の長辺に向けて打ち付けられていたので、まだ白木の面影が残る小屋組も入れて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはUltron35mmf1.7による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、最上階まで登ってから、また元来た階段を辿って一階に降り、感想を述べて、直ちに外へ出て、石垣でも仔細に検分してから、お土産買って、駅前でお茶して帰ろうかと思っていたら、たまたま、受付の係員の初老の女性が、なかなか話好きで、昨日、城郭協会の小和田先生と妙齢の女性がやってきて、見学した後、市の職員の接待を受けた、とか同様に木造復元の掛川城、大洲城と比べてどうだったか、とか話が弾み、15分近くも長居してしまい、大慌てで外に出て、前御門と御三階櫓の連なる雄姿をツーショットで撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはUltron35mmf1.7による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、本丸広場からは前御門とは反対方向の石段を下って、本丸周囲の石垣の造作でもよく観察しようと思いながら歩いていたら、ハイキングの恰好をしたいたいけな小々姐が小走りに追い越していって、その無邪気な後姿が、石垣に囲まれた通路の重苦しい往年の要塞のいかめしさを和らげたので、一枚頂いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはUltron35mmf1.7による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、本丸周囲を一周し、かつて、廓への入口に設けられていたという清水門の跡地に向かって歩いている時に、重苦しい石垣と、夏が短く、なかなか青空の恵みに与れない東北地方の初夏のすっきりしない晴天と、青々とした芝生との対比が面白く、親子連れが本丸からの道を下ってきた頃合いを狙って一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはUltron35mmf1.7による絞り開放AE撮影となります。
今回の旅の感想ですが、お城といえば、だいたい中部地方から西を想像してしまい、実際、現存天守の数でいえば、弘前城を除けば、松本以西に偏在しており、総石垣のお城も、東北では、ここ白河小峰城と会津若松城、そして何も建造物の残っていない盛岡城の三つしかありませんが、それでも、西日本のお城達と同様に、たとえ復元であっても、お城は地域の誇りであり、住民、或いはその地方出身者にとっての貴重な精神的財産であることが判り、羨ましくも思えました。
さて、次週は北陸方面に仕事なのか休みなのか、良く判らない旅行に木曜から日曜の夕刻まで出かけますので、一週スキップ、その次の周は、今週末に製造した久々の新作レンズのレポートでもしたいと思います、乞うご期待!!
- 2022/10/30(日) 19:54:05|
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さて、今週は予告通り、信州は諏訪湖の畔、高島城の一泊ツアーの翌々週に、これまた、ケチケチ&弾丸ツアーとなった、東北縦断お城串刺しツアーから二回に渡ってお送りする前編参ります。
今回の工程はばくっと申せば、7月の海の日を含んだ3連休に年休くっつけて4連休とし、弘前をスタート地点として、上から南東北までの有名城郭を時に街撮りなどもしながら下っていくもので、初日は在宅勤務にフレックス使って、15時20分発の東北新幹線で新青森経由、夕方、弘前に入り、日没直前の弘前城天守閣に雨上がりの奇跡のご対面を果たし、翌日は8時過ぎに荷物預けて宿をチェッカウトし、宿の前のファミレスでしっかりがっつり朝飯を戴いてから、弘前城を13時過ぎまで見学し、途中撮りながら宿に寄って荷物引き取り、駅前で明石焼きランチ食べてから新幹線で盛岡入り、さっそく、駅前の宿に荷物を預けてから、日暮れまで盛岡城を見学し、ところどころに江戸期から昭和初期にかけての旧建築が残る市内を撮り歩いて、途中、百貨店でお茶してから宿に戻り、この日は終了、といったところです。
では、まず初回二日間の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、天気予報では弘前到着の金曜日は大雨の予想だったのですが、まさに自他ともに認める"ハイパー晴男"の神通力発揮で、弘前駅到着時には、きれいに雨が上がり、1.3キロほど離れた宿まで歩き通し、チェッキンして、フロントのスタッフにお城のライトアップを撮りに行きたいと述べたところ、宿では判らない(≒関心無い)ということだったので、イチかバチか、現地に行ってみることとし、15分ほどかけて、天守閣の仮住いが一望出来る展望台まで辿り着いたら、何と、夕焼け空の下の岩木山をバックに可愛い天守の写真が撮れたもの。
カメラは富士フX-Pro2、レンズはSpeedpanchro28mmf2.0改Mによる絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、昨日チェックした宿からの登城ルートで、仮住まいに鎮座まします、三層三階層塔型の可愛い銅板屋根をちょこんと載せた、現存天守で云えば、下から三番目、丸亀城とは10センチ違いのそれこそ姫路城や松本城、松江城のような5階建以上クラブからみれば、ほんとちっちゃくて可愛い、末っ子のような背格好ですが、それでも、石垣の外向けには、屋根に破風といういかめしい飾りをこれでもかとつけ、窓も銃眼のような物々しい造りのものが眼下を睥睨する格好になっていますが、ひとたび裏側に回ってみれば、窓も広く大きくとられ、屋根も華美な装飾は省かれたシンプルな造りとなっていて親しみ易いマイルドな面相となっていることが判って面白いと思った一枚。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、有料エリアのゲート脇のチケット売場で入場券は買ってあるので、さっそくそれを入口で見せて、可愛い可愛い天守閣の内部へと入り、薄暗い内部に目を凝らし、まず目に入った異様なものが、凡そ、江戸期の木造建造物には似つかわしくはない、鉄骨とコラムを組み合わせた鋼構造補強材の姿で、えーなんじゃこりゃ、とか係員に事情を問い質してみれば、要は、石垣修理工事が終わったら、もと居た場所に再び曳家工法で移動して戻すため、いちいち、外して工事の度に戻すのでは手間とお金掛かるし、却って建物を傷めかねないので、この仮位置ではこのままにしておいて、元の場所に戻ったら外して、正規の耐震補強を行うとのことなので、納得の上、期間限定のサイボーグ天守閣の内部を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはUltron35mmf1.7asph.による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、おそらくは次に相まみえる時は、本丸東端の石垣の上に鎮座まします頃合いだと思うので、仮住いの可愛い天守うをじっくり堪能し、それから、単独の城郭では異例の3棟も3階櫓が現存している廓内を存分に見学してから、入ってきた追手門とは反対の位置にある北門から出て宿に戻ろうと思い、案内板をに従って郭内を北上し、視界が開けた先に在ったのが、他の大きめの天守閣を擁するどのお城にも負けはしない大きく立派な、銅板本瓦棒葺きの櫓門が目に入ったので、足を留めて、その偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、目の前の立派な現存建造物である、北門に歩み寄り、中の様子を仔細に検分してみれば、他の城郭であれば、とうに外して、屋内保管、ないし展示としていても全く不自然ではないような、おそらくは明治期以前の木材、金物が扉や柱、壁面などにそのまま使われており、その幾星霜を経て纏った風格のようなものに敬服して一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、北門を潜り抜け、お濠に架かった橋を渡ると、道の反対側、交差点東側に面した、巨大な古めかしい伝統建築が目に入ったので、興味深々、足早に近寄ってみれば、国の重要文化財ながら、人が住み、店舗としても現役で営業を行っている「石場家住宅」という建物で、基本的に中に入って見学するのには税込100円を支払うことになるのですが、何せ、これから宿に寄って荷物を受け取って、駅付近でランチを摂ってから、1時間に2本かそこらの電車で新青森まで移動し、そこから新幹線で盛岡まで移動しなければならないので、まずは交差点からの全体像と軒下から見える店内の様子を撮ることにした店舗兼住宅の全体像。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、この重文の店舗兼住宅は近くに寄ってもかなり巨大で、軒下が通路になっている建造物の例で申せば、台湾各地の老街にある「騎楼」という歩道の上に建物の二階が迫り出した構造にも似てなくもないのですが、スマホンで調べれば、なんと18m角の一軒の家で、台湾の場合はこのサイズであれば、おそらく2軒か3軒が連なっているので、その巨大さを改めて感じて隅から隅まで撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、同じく、この重文建造物の道側の外廊下に面した部屋、即ち、入場料を払って、わざわざ建物内部に入って見学せずとも、外から室内の様子が見てとれて、しかも写真も撮れる箇所があったので、廊下に開け放たれた窓から身を乗り出して、戦前くらいまでの商家の帳場の様子が見てとれるシーンを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、弘前城北門から出て、ちょっと道の北側の伝統建築で寄り道し、再びお濠端の道を東側の縁に沿って南下していくと、完全に見落としていたのですが、工事中の追手門、先ほど通った北門と並び、国の指定重要文化財である、重厚な二階建ての櫓門である三の丸東門の前まで来て、時間はかなり押して来ていたのですが、どうしても近くに寄って詳しく見てみたかったので、再びお濠を渡り郭内に入ってやや引っ込んだ場所にある門の全体像を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、新青森から新幹線で1時間弱乗れば、弘前城主津軽氏のかつての宗主、後に不倶戴天の敵となった南部氏の城下町である盛岡市に到着するのですが、本来はもうちょい弘前に居て、夕刻、盛岡入りして、到着翌日に盛岡城探訪する予定だったのが、とにかくこの連休中は東北も天候が超不安定で、見られる時に見ておかないと、写真を撮るどころか、宿に缶詰のまま、日程が過ぎてしまうという惨憺たる状況になりかねないため、全て半日ずつ繰り上げ、15時前には盛岡入りし、駅前のホテルにチェッキンしてから石垣だけのお城である盛岡城を撮りに出て、登城口の手前から立派な石垣を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、現存、復元に関わらず、何らかの建造物が建っている他のお城と比べて、ここ盛岡城は、云ってしまえば、勘案辛苦の挙句、石垣に沿って設けられた石段を登り詰めても行き着く先は、かつて建物が建っていたという空虚な空地だけということなのですが、実はここの石垣は他の城郭とは違って、殆どの石が花崗岩、しかもこんなん使うんか!?といった趣きの、石を割る時の工具で穿たれた「矢穴」がワイルドに残る石を通路に面した目立つところにも使っていて、これがマニアックで見ていて楽しいので、足を留めて、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、登城口から様々な表情も楽しい石垣を眺めながら階段を登り詰めると本丸の広場に到達するのですが、その中で、明治の廃城例でも存置処分を受けたにも関わらず老朽化が著しく、民間に払下げになった挙句、解体されて跡形もなくなってしまった代用天守である御三階櫓の石垣が残っているというので、本丸の下の周回路に降りて、代用天守台の石垣を下から撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、お城跡を隅々眺め尽くした後、街にも結構な名所旧跡が残っているとのことだったので、お城跡からは最も近い、岩手銀行の旧本社である赤レンガビルに足を運んで、銀行の建物下の歩道からは、魚眼レンズでも使わない限り、建物の全体は画面には収まり切れないのでちょいと小さくはなるものの、道の反対側から行き交う車が途絶えた頃合いを見計らってシャッター切ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、銀行の赤レンガビルの近くまで歩いて行ってみたら、付近一帯にも面白そうな古めかしい建物がちらほら有りそうだったので、そのまま道なりに歩いて行ってみたところ、白い下見板張りの外観が明治期の洋館っぽい建物が有り、ちょうどその前を幸せそうな家族連れが通り過ぎようとしていたので、慌ててピンを合わせて撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、途中、確か提灯屋さんの前に立っていたご老人に、「ほぅ、ライカですか、イイカメラをお持ちですな」とか声を掛けられ、立ち話の成り行きで、お店の中でお茶でも呑んで行ったらどうだとの誘いを有難くも固辞し、周囲をぐるっと一巡し、銀行の南、川の畔に建つ、江戸時代の佇まいを存分に残した細長い商家が道沿いに建っていたので、足早に歩み寄って、全景が収まるポイントから一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(Tipo240)、レンズはElmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。
次回は、宮城県白石市の建つ、伊達家の名臣片倉小十郎の居城、白石城と、戦後の天守閣木造復元の嚆矢となった白河小峰城を訪問したレポートをお送り致します、乞うご期待!!
- 2022/10/23(日) 21:00:00|
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さて、今週は予告通り、長野県の湖の畔の名城へ訪問した時のレポートをお送りしたいと思います。
そのお城の名前は「高島城」、正直申し上げて、相当な城郭ジャンキーでなければ知られていなかったような渋めの城郭遺構です。
工房主も松本城には合計4回、中央線/高速ルートで云えば、その途上の甲府城には、10回では効かない回数訪問していたのに、このお城のことを知ったのが、「日本城郭検定」の勉強を始め、その繋がりで、Instagram上の検定事務局の専属ライターの小姐各位のレポートを読むようになり、或る日、諏訪に面白げなお城がある、との記事をここ二、三ヶ月前に読んで、それほど遠い地ではないし、外れても、まぁご愛敬、という軽い気持ちで、中央道の高速バスで、順当に行って3時間15分ほどのところを、想定外の渋滞で更に1時間遅れ、実に4時間をかけて辿り着いたというわけです。
元々は、豊臣秀吉の家臣で「日根野高吉」という武将が1598年にこの地に築城したのですが、江戸時代も過ぎ、明治時代になって、不要となった天守閣ほか城郭内の殆どの建物が破却され、石垣と濠のみが残った敷地が公開され公園となり、やがて諏訪護国神社が建てられ、おらが村の象徴を、という住民の声に突き動かされる形で、1970年に本丸に天守・櫓・門・塀が復元され現在に至ったものです。
ではさっそく当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズは11枚目のみVoigtlaender Heliar75mmf1.8、その他はLeica Vario-Elmar21-35mmf3.3-4.5asph.による全コマ絞り開放AEモードでの撮影となります。

まず一枚目のカットですが駅前を東西に走るメインストリートからお城に続く道を真っ直ぐ歩いて行くと、やがて、正面向かって右隅の角櫓の茶色い姿が見えてきて、それが、この規模のお城にしてはかなり高めの野面積の石垣の上にちょこんと載せられているのが近づくにつれ判り、やがて、お濠端まで到達すると、お濠で隔てられた廓の石垣の上に角櫓、塀、そして3層3階の復興天守が聳えているのが視界に広がり、その気持ちの高まりのまま一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、お城に登城するには、当然、お濠を渡らねばならないので、「冠木橋」と名づけられたお濠に架けられた、一見、木造風の鋼構造ハイブリッド歩道橋目指してお濠端を歩いていくと、ちょうど、観光案内等にも頻出の、石垣と橋と櫓門の三役揃い踏みで画面に収まるポイントに到着したので、足を止めて、うーん、木の葉が全部落ちたもっと寒い季節に来た方が良かったかな、とか考えながら撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、いよいよ、城内へ続くハイブリッド橋である「冠木橋」の手前まで到着し、そこから橋の床面越しに門の佇まいを眺めてみると、やはり、横から見た以上に真ん中が盛り上がった、太鼓橋形状になっていて、京都辺りによくある橋とか、神社仏閣、それに姫路城、彦根城の大手門に繋がる橋なども憧憬上の欄干に擬宝珠を乗っけた造りになっていますが、ここは、外周道路より城内の方が高くなっていたので、その証に腰を落として一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、やはり外周道路からお濠越しに撮るよりも、お濠の真ん中に当たる、橋の上から撮った方が、お濠の内側の石垣ギリギリに建てられた天守閣の雄姿は、より近く、また何よりもアングル的に迫力あるカットが撮れるのは云うまでもないので、石垣の上の塀越しに迫り出している邪魔な木の枝や葉の映り込みに注意して場所決めして橋上から一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、橋を渡り切ると、目の前に、闖入者を拒絶するが如く聳え立つ、木造復元の櫓門の偉容が視界一杯に広がるのですが、よくよく考えてみると、どう見ても、お城の門の中では、一番格式の低い「冠木門」、そう八丁堀の同心とか与力の家にある、両側の支柱の上に一本の横板を渡しただけの、門という概念だけを示した簡易設備の名前が、立派な櫓門についているのは不思議だなと思いながら、その全容を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、さっそく、名は体を表さない不可思議な名称の"大手門"を潜って、本丸に足を踏み入れてから辺りを眺めると、石垣の裏側は土塁状になっていて、門を挟んで天守閣と反対側に復元されている、二階建ての櫓の様子をまず見ておこうとそこに続く小径を歩き出すと、木立を抜けた先に、曲りなりにも角櫓が復元されて建っているのに、ご丁寧にその傍らに「角櫓跡」という立て看板が建てられていて、これじゃ、復元された櫓も立つ瀬がないよなぁとか思いながら一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、角櫓の近くまで歩いて行って、仔細を検分してみたところ、どうやら、単に城郭内の建物を外観的ニーズで復元したというより、観光ないし、地元のカルチャースクールとしての利用の必要性があって天守のオマケに建てられた感無きにしもあらず、当日は閉まっていましたが、どうやらお茶会の会場などに利用されている建物だったと判り、踵を返し、土塁上から、先ほどの「冠木門」の裏側を撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、門を潜って目の前に広がる本丸広場の右手奥、二方向からの石垣の交差する角に天守台が設けられていて、明治時代になってから取り壊されるまでは現在のこじんまりとした三層三階建ての天守と異なり、三層五階ないし、四階で、しかも南東角の登城口の手前には小天守が建てられていたらしいのですが、資料不足でこちらは手つかずで、一本独鈷の独立型天守として生まれ変わった雄姿を登城前に一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、ここ高嶋城も他の鉄筋コンクリート(RC)造の復元、復興、ないし模擬天守閣群のご多分に漏れず、内部はお城のみならず、地域の歴史も併せて展示している、歴史資料館のような構成になっていて、これは現存天守も同様の話ですが、最上階は展望スペースとなっており、江戸期よりはだいぶ埋め立てが進み、諏訪湖の水面は遥か西方に移動してしまってはいますが、それでも、地面からの比高では25m近くある最上階展望台からは、諏訪湖の水面が周囲のビル越しに垣間見ることが出来、三大湖城の往年の雰囲気を味わうことが出来たと思い一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、ここ高島城のみならず、それこそ和歌山城、広島城といった鉄筋コンクリート(RC)造の天守閣を訪問するたびに、気になって仕方ない、耐震補強の有無、ないし、施工の必要性のチェックモードになってしまい、完全にプライベートからお仕事時間になってしまうのですが、ここ高島城でも、ぱっと見、'70年の復興竣工以降、特に大きな補修等が行われた形跡皆無だったため、翌出勤日に市役所の電話して事情でも聞こうと思って、最上階の室内の傷み具合を一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、てっぺんまで登ったら、あとは下るだけ、というのはお城巡りも、人生も全く同じ原則なので、早々に降りて、廓の内部の遺構などの調査モードに入り、あちこち歩きながらふと閃いたのが、先ほどの門を潜った際に目の前に広がっていた池越しに天守を撮ったら、ゴージャスなカットになるのではないか、ということで、試しましたが、飢えた錦鯉どもが常にさざ波を立てまくり、水鏡が機能不全に陥ってしまったので、仕方なく、持参の中望遠で目一杯大きく撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、郭内を歩きながら、ふと気付いたのが、お城の西側はお濠経由、そのまま諏訪湖に繋がっていたということで、GWに訪問した高松城の水手御門同様、高島藩の要人が大手門に相当する「冠木門」からではなく、舟で移動するニーズが有る時のための門があってしかりと思い、説明版を読んでみたら、やはり、海水と湖水の違いこそあれ、実質的に水手御門に当たる「御川渡御門」跡に藩主邸宅の置かれていた三の丸から移設された薬医門が建てられていたので、当時に思いを馳せて一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、廓の内部はひと通り検分終わったので、せっかく東洋のスイスと呼ばれる諏訪地域の「レマン湖」に相当する諏訪湖をひと目も見ないで帰京するのも、深川っ子の礼儀に反するので、水手御門に相当する西側の門からいったん城外に出て、そのまま、先ほど天守最上階で確認した方向を目指して
湖水に向かって歩くこと約10分、眩いばかりの夕暮れの諏訪湖の水面を目の当たりにし、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、湖の畔の藻のような苔のような名前のハンバーガーショップでイブニングティ&スィーツを楽しみ、少々休憩してから、当日の宿まで戻ろうと思い、先ほど来た道を引き返し、ただ、水手御門から城内には入らず、お濠端の道を天守下を通ってぐるっと周り、駅方面を目指しながら、ちょうど真下で高石垣の上に聳え立つ天守の雄姿を一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、駅方面の途中にある宿への道すがら、古い写真館っぽい一階相当部分は下見板張り、二階以上は薄い黄色の漆喰ないしモルタル塗込めで、その壁面には、今時、鹿沼とか近江八幡の洋館街辺りでしか見たことがないような木製サッシが嵌められている、如何にもレトロな建物っがあったので、帰り際に一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、灯台下暗し、松本城と甲府城の間にこんなにコンパクトで写真写りも良い復興天守閣に木造復元の櫓門、おまけの角櫓まで揃った城郭公園があることを知らなかったし、発作的に出掛けた旅で、どんな装備がベストなのか思いつかなかったので、とにかくミニマムで多くのシーンに対応出来る、という観点で選んだ、バリオエルマーとヘリアは大正解だったと思います。
さて、次週は、また帰省のため、一週お休み、その次は昨日、深大寺で大口径レンズで曼殊沙華の描写テストを行ってきた結果でもレポート致します、乞うご期待!!。
- 2022/09/25(日) 19:43:28|
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さて、今週は予告通り、マッサンで名高いニッカウヰスキィの余市醸造所へお邪魔した際の、途中の寄り道も含めレポート致します。
まずは簡単な行程の紹介ですが、札幌滞在三日目の朝、即ち有休無しの金曜夜発、日曜夜戻りの二泊三日の弾丸旅行最後の滞在日ですので、20時過ぎの千歳空港からの帰便に合わせた行動をとらねばならず、無謀にも、見学予約の関係上、この日の午後13時10分からのコマしかとれなかったため、かなりヒヤヒヤものの余市行きとなったという次第で、見学前にランチを摂ろうと思い、途中までは路線が同一の小樽行の電車に前日と同じ時間に乗り、その結果、1時間半近く前に現地入り出来たので、駅の観光案内に相談した結果、ニッカウヰスキーから徒歩で15分程度のところにある、福原漁場という、往年のニシン御殿の様子を復元した施設があるというので、見学前に寄ってみたというわけです。
では、さっそく当日の行程に沿って実写結果を眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、駅に着いて、まずはニッカウヰスキーの元本社の荘厳なゲート前を過ぎ、地図を頼りに川を超え、漁港の先にあるという福原漁場を目指したのですが、小雨は時折ちらつくし、観光協会の地図でも、スマホンの地図でも、道の起伏が載っていないので、急な勾配ではないにせよ、緩い登り坂や下り坂を幾つか超え、目印であるはずのローカルコンビニの隣に見えてくるはずの漁場はいっこうに見当たらず、諦めかけながら、もう少し歩いたところ、やっとそれらしい看板が見え、目的地の福原漁場に着けたので、記念に一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、駅から歩いてくると、正規の入口は更に先に設けられていて、そこで入場券売場があって、300円を支払い、入場券を買い求めて中に入るのですが、何せ、また歩いて戻る時間を考えたら、ネットの見学時間が30分少々しかないので、係員の女性職員のルート説明を最後まで聞くのももどかしく、場内を歩き出し、まず目に付いた、内地ではなかなか目にすることのない3階建てでしかも漆喰壁の外一面に下見板を張っている立派な土蔵の外観を撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、母屋の中も自由に入って見学出来るということで、前日の「北海道開拓の村」で見た「青山家漁場」との違いにも興味あったので、さっそく、戸を引いて土間に足を踏み入れ、陽光から、薄ぼんやり裸電球型LEDで照らされた建物内部に目を凝らして見ると、やはり、この時代のこの職種の住居の標準仕様なのか、比較的高い位置に板の間が設けられていて、その中央に囲炉裏、その周囲に物を吊るして乾かしたり、燻したりする目的の枠状の木枠がしつらえてあり、そこに往時の生活を偲ばせる草鞋や軍手などが架かっていたので、床面の茶碗越しに超ローアングルで撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、同じく母屋の中の親方一家の暮らすゾーンも実際に上がって、中の様子を眺めて、写真も撮れるようになっていたので、土間に靴を脱いで、先ほどの囲炉裏付の高台の板の間と土間を挟み反対側の廊下に式台経由上がって、案内板に従って、時折シャッター切りながら進んで行ったら、北の果てで荒くれ男の上に君臨するニシン漁の親方とは似つかわないような、達筆な毛筆の漢詩が書かれた屏風が立ち並ぶ部屋に足を踏み入れたので、驚きを込めて一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、なかなか興味深かった、幕末から昭和初期にかけての最盛期のニシン漁の漁場と云われる建造物群の中の住居兼事務所の内部を仔細に検分したのち、次なる見学場所である書庫を目指すべく、裏口から陽光が燦々と降り注ぐ戸外に出て、受付で貰った場内見取り図を頼りに書庫を探すと、右手に見える先ほど入って来るときに見えた三階建ての下見板張りの土蔵がそれであることが判ったので、母屋の軒越しに側面を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、さすがに最盛期は資金的にも余裕が有ったからなのでしょうか、札幌をはじめ道内各地で競うように建造された木骨造建築、明治期ではまだ鉄骨が国内では製造出来ず、また輸入したところでクレーンも溶接も、締結ボルトを締める工具もないない尽くしだったので、それらを木製の構造材で再設計したまさに和魂洋才の建造物がこの漁場内にも存在しており、漁船の展示場に使われていましたが、何となく、武骨でメカメカしい佇まいが国際救助隊サンダーバードなどの秘密基地っぽい雰囲気だったので、これもローアングルから目一杯の仰角で全体を入れて一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、この漁場と云われる建造物群の位置する緩い丘陵の最上部に位置する米味噌蔵で、不思議なことに「北海道開拓の村」の「青山家漁場」の同じ目的の建物では、それこそ奈良の正倉院よろしく、鼠などの小動物による貴重な食料への食害を防ぐべく鼠返しのような仕掛けが支柱や入口扉周りにも施されていたのですが、ここではぱっと見、見当たらないので不思議に思いましたが、それでも、下見板張りの外壁には殺菌効果もある石灰を塗りこめた形跡が見てとれるので、別の方法で、鼠も虫もシャットアウトしていたのかもしれないとか思いつつ、正面から撮ったもの。

八枚目のカットですが、予想以上に見どころがあったため、予定の30分をかなり超過してしまい、慌てて、駅方面、イコール、ニッカウヰスキー余市蒸留所の方向に元来た道をかなりの早足で取って返し、観光案内お勧めの駅前の海鮮丼屋で食べるのも時間的にはリスクあるし、せっかくの工場見学ということで、見学開始時間前でしたが、構内を通って反対側のフリースペースにある食堂で食べるべく受付で交渉し、快諾して貰ったので、通りがてら、メインの大麦の燻蒸工程を担う第一乾燥塔の外観を撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、のちほど内部は見学させて貰うことになるのですが、石炭をガンガン燃やしてその熱で、発酵してる醪を銅製鶴首のスティルポットという巨大な容器中で加熱し、アルコールの沸点付近を保持していると、アルコール濃度の高い蒸気がポット内部に立ち上りそれが鶴首から繋がる配管経由、リービッヒコンデンサの化け物みたいならせん管の熱交換器を通って、液体として回収されるのですが、その回収工程のある建物の外観を撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、敷地中央部分に建つ、それこそ、一般的な建物の規模感で云えば、チェーン店系のファミレスの標準的な店舗からすればだいぶ小型で、ちょっとした田舎町にありがちな個人経営のカフェとか、小洒落たイタリアンレストランとかそんな可愛らしいながらも欧風で瀟洒た趣きの建物が目に留まり、案内板に目を向けてみれば、なんと、ここがニッカウヰスキーの一丁目一番地、「大日本果汁」の創業時の建物で、マッサンの手により、日本のウヰスキーが産声を上げた場所だと知って、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、これも敷地内を通って、エントランスとは反対側の駐車場に面したレストランに行く途中に見つけた「リタ・ハウス」というマッサンの愛妻、スコットランド産まれのリタさんが寝起きした建物ということで、竹鶴夫妻が亡くなったのちは、同社の研究所として暫く使われていたということで、今は耐震基準に満たないとして外観展示だけですが、テレビで見ていただけに感慨ひとしお、足を止めて一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、ここもマッサンこと竹鶴夫妻の暮らした竹鶴邸をこの工場内に移設したものということで、リタ夫人の利便を考え、建物の基本構造、そして外観はまさに洋館そのものになっていましたが、それでも細部に目を凝らすと、洋窓の内側には木枠の障子、そして玄関脇には、和の象徴そのものの石灯篭、そして案内板によれば、和室も備えており、洋式キッチンでは、リタ夫人が梅干しも漬けていたとのことで、そんな国も人種も超えた愛の巣を目の当たりにし、心を打たれ一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、ここも敷地内の重要見学ポイント、一号貯蔵庫、蒸留工程が完了した原酒をエイジング、即ち樽の中で数年から数十年寝かせて、樽の成分を緩やかに移しつつ、アルコール分を飛ばして、マイルドな味わいへと仕上げる最終工程を担う建屋なのですが、特にこの一号貯蔵庫が面白いのは、これ以降の建屋が鉄筋モルタル造なのに対し、ここは、他の建築当時の建屋同様、道産の凝灰岩で、そして、他の貯蔵庫も同様ですが、洋酒を保管しているにもかかわらず、注連縄を入口に巡らしているのは、竹鶴正孝の出自が広島県の日本酒の造り酒屋だからか、との思いを馳せて一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、城内の見学を先行しながら着いたレストランで、リタ夫人の手料理に範を採ったとのスコッチブロスという子羊肉を蒸したオーツ麦とともに岩塩で味付けしたスープで煮込んだものと道産の魚介のオードブルからなる珍しいランチを戴き、いったん、また元来た道を早足で戻って、集合時間ギリギリに受付に戻って手続きを行い、正規の工場見学開始、正規の見学本番でしか見られない、蒸留用ポットスチル底部を加熱する炉への石炭くべを至近距離で撮らせて戴いたもの。

十五枚目のカットですが、ガイドの小姐の案内で構内をぐるっと巡り、先ほど食事したレストランの二階まで案内され、そこで二種のウイスキーとアップルブランデ-を試飲して終了、ホントは売店で、ここでしか買えないボトルやら、お土産を買い求め、ウィスキー資料館で有料試飲などもして、係の専門家の方々とお酒について語り合いたかったのですが、何せ、フライトがその日の夜で、札幌駅に荷物預けていたので、それを取ってから空港で晩飯を食べてから搭乗しなければならなかったので、後ろ髪を引かれる思いで正門から目の前に駅に歩く途中、振り返って、歓待してくれたニッカウヰスキー正門を撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いはやは、北海道は奥が深い、本土では太平洋戦争後の高度成長期、そしてバブル崩壊という経済の生成流転で痕跡さえも消えつつある、明治期からの日本の経済成長の歩みがしっかりと遺されている。前回は五稜郭、松前城に目がくらみ、札幌は一泊だけでしかも移動日の午前中が小樽行きで市内も周辺も十分に見て回りませんでしたが、こんなに日本の歩みを、そして日本人の誇りと情熱を呼び覚まさせられるとは。また機会があれば是非勉強さっせて貰いたいと思いました。
さて次回は久々の工房作新レンズの試写結果行きます、乞うご期待!!
- 2022/08/28(日) 23:57:43|
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さて、今週は予告通り、赤い鶴の恩返しで、無料で貰った往復航空券で旅した、銘玉・珍玉同伴の札幌の旅から、前半をお送り致します。
まず、簡単な行程紹介ですが、5/27の20時過ぎの便で羽田から空路、札幌千歳空港に移動し、21時過ぎに着陸し、そのまま快速電車で市内のホテルに移動し、翌朝は、先般は半日弱しか予定を見ていなかった小樽を時間無制限で探訪しようと、10時台前半の快速電車で移動し、11時過ぎから、運河伝いの景色を堪能、一番端から端まで踏破したのち、三角市場の前回もお邪魔したお店で4色丼を戴き、駅舎内のバーガーキングでお茶してから、次なる目的地、「北海道開拓の村」に移動し、カンバンまで撮りまくって、滞在二日目は終了・・・こんなカンジでした。
では、さっそく、当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、今回が二回目の訪問となる小樽の駅舎内部、高い天井から連なり、通りに向けて開放された巨大な窓の内側一面に掲げられた石油ランプ型の照明オブジェが仄暗い駅舎内をカクテルライト状態でぼぉっと照らしている風情が何とも云えなかったので、運河地帯へと急く心を抑え、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、駅から真っ直ぐ伸びた、メインストリートである中央通りを歩くこと10分程度でお目当ての運河伝いの景観地域に到達するのですが、この日も到着日の大雨程ではないにせよ、依然として、どんよりとした低い雲が海から街並みにかけて覆っており、小樽ご自慢の運河越しの倉庫群の写真もどんよりとした重苦しい描写になってしまったもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、中央通りと運河との交差点を接点として左右に倉庫街が伸び、海側の倉庫、正確には元倉庫は、リノベを受けて、大箱レストランになったり、或いは地ビールの醸造所兼ビアホールになったり、博物館になったりと第二の"人生"を謳歌しているようすだったのですが、それでも、明治期から昭和初期にかけての北国に出来た商業・物流の一大拠点の建造物の佇まいを遺していたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、運河の東南の果てまで到達してしまったので、折り返し、今度は北西を目指して歩いていたところ、前回は足場にネットでもかけていたのか、全く気付かなかったのですが、笑っているような、何か咥えながら話し掛けてくるような表情の煉瓦造りの倉庫が通りから中に少し入った辺りに見えたので、これは面白い!と思い一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、運河伝いの散策道の北西の終点に近い辺りに位置する、ブリキの缶を製造する三大製缶メーカーのひとつ、北海製缶の主力工場なのですが、複数の微妙に形状の異なる煙突が所狭しと工場建屋から生え揃う景色は何となく、ジブリの、"ハウルの動く城"っぽい雰囲気もしてそれが、この重苦しい空の下に妙にマッチしているので、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、前回訪問した際に、路上に初期型の白いロータスヨーロッパが停めてあり、店の前のスペースにも古いルノーとかなかなかセンスの良いオールドタイマーが置かれていたカフェが在ったことを思い出し、お昼前に軽くお茶しても良いかな、とか考えながら歩いていたら、妙にヘンなカッコの老若男女とすれ違うので何事かと足を進めてみたら、いきなり目の前にスパイダーマン状の少年がしゃがみ込んでポージング、相方が、せっかくだから、ライカで撮って!と勧めてくれたので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、相方の起点でなかなか面白い写真撮れたので、お礼とばかり、相方のα7Ⅲで二人の記念撮影なんか撮って上げていたら、近くで見ていた東京リベンジャーズの小姐二名も「押忍!うちらにもシャッター押して貰えませんか!?」とか云うので、撮って上げたお礼に、顔出し勘弁wwwとか脱兎の如く逃げちゃったもう一名除きで、一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、ホントはもっと会場のそばで撮ろうと思えば撮れたのですが、何せ小雨で傘が無い状態なので、大降りになっても避難するところは無し、それ以上にランチの時間を考えれば、長居も出来ないので、早々に会場付近を離脱し、運河伝いの散策道より内陸にある、旧国鉄手宮線跡の散策道を伝って、駅方面に戻ることとし、歩きながら、線路伝いに可憐なチューリップが植えられたところを見つけ、屈み込んで一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、ここ手宮線跡の散策道沿いも運河伝いの道を回遊してきた観光客目当てなのか、古民家とか店舗兼住宅などをリノベしたレストランやらカフェなどが点在しており、凝灰岩造りの土蔵みたいな建造物を改装し、壁面に蔓草植物を這わせ、入口付近には暖炉なのか、ピザ窯なのか判りませんが、何らかの熱源として薪を使用していることを強くアピールすべく、薪ラックを設けてある、カフェに入ろうかそうしようか逡巡している小姐二名組が居たので、有難くご出演願ったもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、手宮線の線路跡の散策道は、メインストリートの中央通りを跨いで、寿司政で有名な寿司屋通りと交差する辺りまで続いているのですが、わざわざ観光地価格モード全開の寿司屋でランチを食べようという気などさらさら無かったので、中央通りの手前で駅方面に向かって歩き、目指す三角市場に到着、前回、なかなかお得に旨いものを食べさせて戴いた記憶も鮮明に残る「鮮魚食堂かわしま」さんまっしぐらに歩きながら、いくらはお幾ら??とか凄くベタなギャグで店のオヤジに話し掛け、まんまと試食モードに持ち込んだ、お買い物百戦錬磨の小姐二名組の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、無事、「鮮魚食堂かわしま」さんにて、四色丼などリーズナブルな価格でご馳走になり、列車の時間までは少々あったので、駅舎内のバーガーキングでお茶して時間潰し、空港快速で札幌駅をオーバーランして、新札幌駅まで乗って、そこからバスで20分ほど揺られて着いたのが、「北海道開拓の村」で明治に入ってすぐの入植者の住居からニシン漁最盛期の網元御殿、政府の開拓使の建造物、町屋の建物に至るまで総勢、52棟が保存修理の上、移築されているので、見どころ満載、エントランス入ってすぐのところにある馬車便の動きだしたところをダッシュで追い縋って一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、ここはまさに目からウロコというか、夾雑物無しに感動したのですが、大正期から戦後にかけて、炭鉱で賑わう岩見沢の街で営業していたという写真館の二階のスタジオの様子で、ランプとか、マグネシウムフラッシュなどというものに頼らず、屋根の北側に当たる部分を当時は極めて高価なガラス張りにしていて、それを通じて射し込む午後の陽光がとても柔らかく室内を照らしていたので、反射的に一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、開拓村の最深部の一角に位置する、最盛期の鰊漁の網元の母屋をメインにしたいわゆる鰊漁場を小樽郊外から移築、保存修理したもので、もうこれを目にした瞬間、昭和生まれの工房主は頭の中で北原ミレイの「石狩晩歌」のヘビロテ状態、後で移築前の小樽のサイトがその歌のモチーフになったと知って、二度感動したのですが、なかなか知ることのない中の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、同じく開拓の村のハイライトのひとつ、本土とは異なり、耕作地も放牧地も桁違いにスケールの大きな北海道は、明治、大正、昭和を通じて、欧米からの機械化農業の手法、装備導入が連綿と続き、その歴史的遺産とも云える農業機械が可能な限り整備され、それがまた当時の建築工学では最先端である「キングポスト・トラス組」という木骨構造の倉庫に格納されているので、判る人間には価値が判る極めて渋い展示に感動し、一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、ここ開拓の村にはお城がないので、さっと見れば良いかとか思って入場したのですが、思いのほか、関心のツボにはまってしまい、二時間半以上も滞在していたら、しまいには、閉場の準備を始めた警備員さんに出口への道を教えられるくらいの時間まで滞在してしまい、その道すがら、鬱蒼とした森の中に材木を積んだキャリアとそれを牽引する黄色い気動車が並んで板張りの車庫に収められていたのを発見し、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。
さて、次回は、マッサンで名高いニッカウヰスキィの余市醸造所へお邪魔した際の、途中の寄り道も含めレポート致します、乞うご期待!!
- 2022/08/21(日) 23:30:25|
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さて、今週は予告通り、5/6の和歌山城、岸和田城、そして最終日5/7の岐阜は郡上八幡城へ訪問した際の様子をレポート致します。
まずは簡単な行程の紹介ですが、5/5の晩に大阪に入り、翌6日の朝はホテルをチェッカウトし、南海のなんば駅の改札に近い辺りのロッカーに旅装具一式を詰めた大型カバンを預け、10時前の快速電車でまずは南海和歌山駅に向かい、そこから徒歩で15分強の和歌山城を訪問し、廓、RC造の外観復元天守の内外を仔細に検分し、廓にアプローチしたのとは別のルートから下城し、また元来た道を駅まで辿って、時間的にはちょっと遅くなってしまったものの、駅ビルでうどん系ランチを戴き、再び南海電車に乗って、岸和田城の最寄り駅である、蛸地蔵駅まで移動し、そこから徒歩10分ほどの岸和田城のRC造の復興天守閣を存分に堪能したのち、大阪経由、岐阜まで在来線乗り継ぎで一挙に移動し、岐阜で一泊し、翌朝は8時台の高速バスで郡上八幡に移動し、模擬天守と市内の小京都とも称される街並みを堪能し、たまたま空いていた台湾料理屋で望外の台湾ラーメンと餃子をランチに戴き、再び、高速バスで岐阜に戻り、在来線で名古屋に移動し、19時台のぷらっとこだまだったために、名古屋城で時間潰し後、駅の地下街で、豪華なエビブライ系ディナーを戴いて、お江戸は深川まで戻ってきたというのが今回の旅のしめくくり。
では、さっそく両日の足取りの沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、実は奉公先のお仕事で、和歌山城の近くまでは来たことがあり、観光センターみたいなところで、お土産も買ったことが有ったのですが、廓の中に足を踏み入れたのは今回が初めてで、観光センターで複数の根来忍者衆と遭遇していたので、郭内にも複数潜んでいるのは予想していたのですが、恒例の天守閣バックにした自撮りをしていたら、唐突に「殿、何をなさいます!?おいたわしや、みどもが撮って差し上げます」とか近寄ってきたので、あ、記念撮影は済んじゃったんで、お城をバックに顔出しモデルやって下さるか?と申し入れたら、造作もないこと!とモデルさんになって貰ったもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、親切忍者隊に属する忍者殿に遭遇したのが天守閣への入口の切符売り場のすぐそばで、切符を買い求めて、内部が歴史資料館になっているRC造の天守閣一階へは附櫓状の建物の玄関から中に入るのですが、ここ和歌山城は「連立型天守閣」という他には姫路城、松山城といった錚々たる国宝、重文級の木造現存天守しかない大規模な形状のため、足を踏み入れる前から興味深々で、中に入る前にその雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、中に入ってしまえば、破風に相当する部位や、四隅の柱の形状が普通のRC造ののビルと異なるだけで、木造の現存ないし、史実、資料に忠実に木造で復元された天守、大型の櫓とは異なり、やたら柱だらけということもなく、普通の博物館の建物そのもので、3階建てなので、各階の展示をほどほどに眺め、階段を登れば、あっという間に最上階の展望スペースに到着するのですが、木造天守閣とは異なり、窓も広々とし、天井面も装飾され、簡素ながらシャンデリア状の照明器具まで吊り下げられた最上階内部の様子を階段から一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、さっそく、最上階の外周に設けられた廻縁という一周できる形状のバルコニーに出てみると、和歌山市の中心部、河口部に程近い小高い山の上に建てられた建物だけあって、並みの三階建てのビルの屋上など比べ物にならないくらい眺めも風通しもよく、逆に云えば、海風と、工業地帯からの酸性ガスのようなものが始終吹き付けられてこその、建物や展示物の傷みなのだろうな、と思い知らされた立地が良く判る一枚。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、天守閣の最上階まで攻め登ってしまえば、戦国時代なら、お殿様なり家老衆の首を取っての凱旋の帰路ですが、この平和のご時世、ニコニコ笑って見送ってくれる忍者各位のおもてなしを後に、老母へのメダルを買い求めねばならなかったので、お濠そばの観光センターに売っていることを年配の忍者氏に教えて貰い、入ってきたのとはちょうど正反対の一の橋から出たので、お濠をぐるっと回って、センターに移動する際、復元ではあるものの、国内には非常にレアな屋根付きの廊下橋が見えたので、天守をバックに一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、駅までの途中でローカル色に溢るるランチを戴く予定だったのが、思った以上に城郭の見学に時間を要し、元々、通り道沿いにランチを出してくれそうなレストラン、食堂自体が殆どなく、唯一、市役所の食堂で地産地消のブッヘを適価で食べられることは判っていたのですが、ラストオーダーまで30分も残っておらず、また、岸和田城を見てから、在来線で岐阜への移動なので、今度は岐阜での晩飯を逃すおそれもあったため、心を鬼にして、駅まで戻り、駅ビル内のうどん屋で軽くランチを戴いたのち、南海電車で50分ほどの蛸地蔵駅に移動し、スマホンのナビを頼りにお城を訪ねる途中に撮った町屋の佇まい。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、途中、多少の行きつ戻りつは有ったのですが、視界の開けた通りの彼方に白亜の望楼型の凛とした天守の姿が見えたら、スマホンのナビは即終了、あとはただひたすら、往来の交通と信号のみに気をつけて、ひたすら歩き続けたら、先ほどまで居た和歌山城よりはだいぶ小振りながら、和歌山城の抑えとするため建てられたとの伝説も残る、屹立する立派な高石垣と深そうな堀、その彼方の本丸に聳え立つ三層三階の天守閣が視界に広がったので、登城前に足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、ここ岸和田城は四方を濠と石垣に囲まれて、本の丸へのアプローチ路は、これもRC造の復元ながら、かなり立派な大手門櫓に繋がる石垣上の橋を渡らねばならないのですが、おそらくは、お城が現役当時は、樹木など敵に身を隠す場所を与え、守備側にとっては、視界の妨げとなる視覚を遮る邪魔者でしかないので、こんなに丹精して植えられていようはずもなく、櫓門上の銃眼、そして両側の濠の上の石垣に建てられた漆喰塀の狭間から雨あられと鉛玉のシャワーで歓迎出来るような城構えになっていたのだろうなと思い、門の前で一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、大手門を潜り、左に曲がって、本の丸の中庭に足を踏み入れると、如何にも、計算し尽くされた造園の粋のような庭園、それもそのはず、昭和28年に国指定史跡になっている「八陣の庭」という著名な造園家の設計した庭園越しに真新しい漆喰が午後の陽射しを照り返す天守の偉容はとても感動的ですらあって、思わず足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、和歌山城同様、附櫓に設けられた登城口から中に入り、天守の最上階まで仔細に検分したのち、予定された大阪からの出発時刻を考えると、それほど余韻に浸っている時間もないので、来る時は、京都の人間が首を傾げそうな蛸地蔵駅から来ましたが、特急も停まる岸和田駅まで歩くこととし、来た方角とは逆向きにお濠を回る途中で振り返ったら、ちょうど西に傾き出した初夏の陽光が立派な天守をセミシルエットに映し出していたので、これも一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、翌日は、名鉄岐阜駅に近い宿に荷物を預かって貰って、チェッカウトし、名鉄駅隣のバス停から8:45発の高速道路経由の郡上八幡城下町プラザ行きのバスに乗って、10時前にお城の下の博覧館前で下車し、シャトルバス乗り場が判らなかったので、有り余る体力にものを云わせ、15分ほどの坂道を徒歩で登り、お城が見えるポイントまで到達したので、ご褒美のような新緑に包まれたお城の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、天守への登城にはまだまだ先があり、結構きつめの石段が続くことが、予め調べてあったので、先を急ぐと、本の丸へのアプローチ路である石段手前で、天守と石垣、漆喰塀が一枚にコンパクトに収まる、いかにも観光パンフにありがちなシーンに遭遇したので、さっそく撮ろうとしたら、二組の若い観光客各位が降りてきたので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、ここが最後の関所、本の丸へと続く石段とその頂上に設けられた最後の防衛拠点である大手櫓門なのですが、その石段の両側に聳え立つ漆喰塀にもちゃんと狭間という銃眼や、矢を射る穴が設けられており、それなりに戦国の山城の緊張感を再現しているのが健気で面白いと思い、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、本の丸に足を踏み入れると、明治期には何もない更地のようだったのですが、天守が木造で作られ(但し模擬天守扱い)、隅櫓、大手櫓門が作られたとのことなのですが、直接は関係ないのですが、かの著名な戦国武将、土佐藩の始祖となった山内一豊の奥方である千代殿の実家が、この郡上八幡の領主だった遠藤氏とのことで、厳めしい造りの隅櫓前にPR用に置かれた漫画チックな記念撮影用ハリーボッテー(笑)
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、木造の模擬天守とは云え、昭和初期に当時は現存した大垣城をモデルに外観を似せて建造したという4層5階建てのちょっとしたビル並みの大型建造物で、内部構造はどうなっているのか興味深々でしたが、やはり、軽量化と簡素化が至上命題だったらしく、戦後の史実、資料に忠実に復元された白河小峰城、掛川城、そして真打格の大洲城の内部構造とは似て非なるもので、しいていえば、田舎の小中学校の木造校舎を上方向に伸ばしたもの、という趣きで、壁など、鉄砲玉はおろか、下手したら、弓矢でも通ってしまうような薄い木の壁の表面を白く漆喰で塗ったような構造なので、それが判るよう、窓際で一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。
今回の旅の感想ですが、いやはや、国内旅行も面白い!長崎から船に乗って神戸に着いた♪という歌謡曲が昭和の御世にありましたが、今回は成田から飛行機に乗って長崎に着いた、そして佐世保、熊本、小倉、岡山、大阪、岐阜とまた鉄道を乗り継いで、現地の食べ物を有難く戴き、お城を見せて貰って、とても佳き体験となりました。この経験のおかげか、戻って間もない6月の城郭検定では2級を上位10%という好成績で難なくクリア出来ました。
さて、次回はGWの旅から戻ってきて2週間後、お城ではないですが、赤い鶴の恩返しで、無料で貰った往復航空券で旅した、銘玉・珍玉同伴の札幌の旅から、お送り致します、乞うご期待!!
- 2022/08/08(月) 00:34:32|
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さて、今週は予告通り、GW7日めの朝、岡山を出て、各駅停車の旅で明石、尼崎経由、大阪の宿に入って、日が暮れるまでの街頭スナップ込みでご紹介致します。
まず簡単な行程ですが、岡山駅近くのホテルを9時半過ぎにチェッカウトし、朝飯を駅ビル内のカフェで戴いてから、10時台初めの山陽本線でまず、ランチ場所兼ねた明石駅で降りて、前々から気になって仕方なかった、ホームの彼方に見える、いかにも古色蒼然とした明石城址石垣上の三階櫓を訪問し、駅のお城とは反対側の商店街アーケード入口付近の居酒屋風のお店でシーフードの結構なランチを戴き、しかるのち、山陽本線を尼崎まで乗って、駅のコインロッカーに荷物を預けて尼崎のお城まで行こうと思ったところ、実はJR尼崎ではなく、直線でも2km近く離れた阪神電車の尼崎駅の南方に建っていることが判り、大きな荷物を二つ抱えたまま、市内循環バスに乗って、阪神尼崎駅まで移動、やっとロッカーに荷物を預け、駅からはすぐ近くに見えるお城を訪問し、また阪神電車で大阪の梅田まで移動し、戎橋筋にほど近い宿にチェッキンし、荷物を置いてから、お茶しがてら、戎橋筋界隈のスナップに出撃した、というのが今回のあらまし。
ではさっそく当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、駅のホームから見えるかなり立派な石垣上の東西両端に建てられた御三階櫓は、実はとても貴重なもので、現存天守同様、国内には12棟しか残っておらず、しかも、同じ城郭内に複数存在することは有り得ない天守閣とは異なり、弘前城では3棟、高松城、そしてここ明石城では2棟ずつと偏在しており、前々から気になって仕方なかったため、駅のコインロッカーに旅装具を詰めたバッグを預けるのももどかしく、駅北口から徒歩で10分ほどの櫓の麓まで到達し、ベストアングルで東西に離れて建てられた時代も構造も微妙に異なる二棟の櫓を一枚に収めて撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8、絞り開放によるAE撮影となります。

二枚目のカットですが、石段を登り切り、本丸跡の広場に到達、まずは天守台石垣の残る西端に建てられている坤櫓の方面へと歩いて近寄ってみたのですが、この頃でも、まだCOVID19の影響なのか、気前よく無料開放で三階櫓の隅々まで解説員付で見せてくれた高松城址とは異なり、ここ明石城址では、中に入れてくれないばかりか、かなりの距離を取った規制線で至近距離へのアプローチすら許されず、仕方なく、幻の伏見城から移設されたという古式ゆかしい櫓の全体写真のみ撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはMinolta Rokkor40mmf2、絞り開放によるAE撮影となります。

三枚目のカットですが、坤櫓の周囲を仔細に検分したあと、その背後、北方方面に建つ天守を台の石垣に登り、真っ昼間から恋愛モード全開、エキサイト基調の東南アジア人の若いカポーの行為のお邪魔をするのも何となく気が引けるので、天守台上で撮影するのは遠慮し、早々に引き揚げ、次に向かったのが、この坤櫓と対をなす、船上城から移設され、その天守閣だったという説もある巽櫓ですが、両櫓を結ぶ、塀の上から顔が出せる高さのウッドデッキを歩き始めたら、いたいけな小々姐連れの親子が上がってきたので、これ幸いにと一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはMinolta Rokkor40mmf2、絞り開放によるAE撮影となります。

四枚目のカットですが、無事、積年のもやもやを晴らした気分で明石城址を後にして、すっかり腹も減ってしまったので、駅の南側の明石焼ビルを徘徊してみたものの、全然入れる雰囲気ではなかったので、更にその奥の商店街アーケードでかなり繁盛して居そうな海鮮居酒屋に入り、地場産の魚介の刺身とタコ飯などを戴き、元気を取り戻してから、再びJR三陽本線に乗って、次なる目的地、尼崎を目指し移動、途中、バスでの移動を挟み、到着した阪神尼崎の駅前から、平成に入って地元出身篤志家の寄贈によって建てられた、真新しい天守と御対面したもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

五枚目のカットですが、先ほどの300年近く前の時代を纏った古色蒼然とした東西一対の天守閣と打って代わって、諸般の事情により、本丸址ではなく、西三の丸址と再建の場所こそは違え、いちおう、史実に基づいた外観復元のRC造4層4階の真新しい天守閣を目の当たりにしたら、古の人々も、今の人々も大和魂の具現化のひとつの形態であるお城の形を未来に遺す、という情熱は何ら変わらないということを思い知らされ、嬉しくなって、見上げた格好で一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

六枚目のカットですが、この手のRC造の後世に建てられた天守閣のご多聞に漏れず、ここ尼崎城天守閣も郷土史博物館になっており、ただ、それだけでは観光客も呼べないし、運営には、少なからず税金も投入され、市民からの喜捨も注がれている以上、常に来訪者の関心を惹くアトラクションを用意しておかねばならず、従業員各位のコスプレ勤務のその一環で、天守閣の屋根に乗っかった格好で記念撮影出来ますよ、と声かけてきた、眼鏡っ子のスタッフの小姐と意気投合したので、では実演して!とモデルさんになって貰ったもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

七枚目のカットですが、大阪城やら同じ高さの小田原城と比べてもそれほど館内は広いとは云えないものの、あちこちにアイデアの散りばめられた天守閣内部をざらっと検分し、当日の投泊地である、大阪はミナミの戎橋筋へと、最後の電車移動を行うべく、あちこちに立つフレンドリーなスタッフ各位とも暫しの別れを惜しみ、尼崎城天守閣を後にし、展望台から見えて、気になって仕方なかった、阪神電車の変電所遺構のレンガ造建物の真下で、その古めかしい佇まいを一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

八枚目のカットですが、ついつい、得意なアングルから入って撮る順序が前後してしまったのですが、歴史観漂うレンガ造建物の全体感を撮っておこうと思い立ち、ところどころでファインダを覗きながら、建物とは少し距離を置いた辺りでさて撮るんべぇかと構えたところ、ちょうど、お城に隣接する公園から、いたいけな小々姐を連れた自転車の如何にも平日は真面目なリーマンという眼鏡のお父さんがやってきたので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

九枚目のカットですが、変電所遺構から、再び、阪神尼崎駅を目指して歩き出したら、真新しいお城の全貌が見てとれる位置に建てられた楕円形の自然石に「尼崎城址公園」と深々と刻印された碑の前で、ホントは低いとは云え石垣に登り、芝生を踏みつけての記念撮影は御法度なのですが、なかなか微笑ましい風景なので、中年のママさんと思しき女性がまだ年端も行かないいたいけな小々姐二人を碑文の両端に立たせて記念撮影しているようすを後から一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

十枚目のカットですが、阪神電車で府内中心部の難波まで乗って、そこから地図を頼りに道頓堀川沿い、グリコの降参アスリート看板で有名な戎橋筋に近い裏通りに建つという、天然でんねん温泉大浴場付の某チェーン店ホテルを目指して、いまいち判りずらいスマホンの地図を頼りに行きつ戻りつして何とか辿り着いて、無事チェッキンし、荷物を置いて、戎橋筋まで歩いて行った頃には、結構、陽がとっぷりと暮れ、グリコの看板下の橋の上には人待ち顔の世界各国の若人が立っていたので、様子を何食わぬ顔で一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十一枚目のカットですが、如何にも街撮りに出てますよと云わんばかりのカメラとレンズを提げて歩いていると、気安く、記念撮影のシャッター押して!と声かけてくる手合いは国内のみならず洋の東西居るもので、橋の上で何を撮ろうか辺りを睥睨していたら、たどたどしい中国人、ないし中国系の東南アジアからのゲストないし、技能研修生、農業研修生と思しき小姐二名が看板バックにシャッター押して貰ってイイですか?とか声かけてきたので、喜んで!!と何枚か撮って上げたお礼にモデルさんになって貰ったもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十二枚目のカットですが、同じく戎橋の上で、ベトナム辺りからやって来たと思しき、いたいけな小姐が、橋の上の車両衝突防止用の鋼構造の逆U字柱に身を凭れかけて、時折、スマホンの画面を眺め、ため息をついてから、また前方に向き直って、待ち人の到来を待ち侘びる風情だったので、その出前の買い物帰りと思しき日本人小姐にもご参加願い、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十三枚目のカットですが、薄暮の戎橋筋はこの当時、大阪府内はCOVID19に対する行動制限や飲食店への営業制約は既に完全解除になってはいたのですが、若い人々は、皆、イブニング料金適用のユニバーサルスタジオジャパンにでも出掛けてしまったのか、通りには人通りもまばらで、通りの真ん中に街頭の鉄柱への車両などの追突防止も兼ねて設けられたと思しき円形のベンチに腰掛け、時間つぶしでもあるのか、通りを時折ながめ、語り合うでも無く、一心不乱にスマホンをいじる二人組の小姐の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十四枚目のカットですが、戎橋筋は新宿の歌舞伎町のさくら通りとか一番街とも比較されるのですが、名古屋支店勤務時代を中心にそれこそ何十回も来たことがあり、それよりもむしろ、韓国はソウルの明洞の通りの方がしっくり来るなとか思いながら歩いていたら、もう晩飯時でもあるのか、ちゃっかり、近場のたこ焼き屋で経木舟皿という鉋屑みたいな薄い木の板で作った容器に収められた、熱々のたこ焼きなんか買い求め、円形ベンチで缶チューハイ片手に路上ディナー始めてる小姐二名組が居たので声かけて斜め後ろから一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります

十五枚目のカットですが、撮った後、たこ焼ガールと雑談していたら、自分も、昔、よく通った半地下のお店に行ってみたくなって、たこ焼き、お好み焼を両方手広く商う「くれおーる」という、この界隈ではもはや老舗の部類に入るお店で思う存分、粉もんディナーを堪能し、フロント横のウエルカムドリンクコーナーでウィスキーやら、ワインやら、部屋に持ち帰ってから温泉愉しもうとか思いながら歩いている途中になかなか大阪ミナミらしい風景にあったので、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。
さて、次回は少々ピッチを上げて、5/6の和歌山城、岸和田城、そして最終日の岐阜は郡上八幡城へ訪問した際の様子をレポート致します、乞うご期待!!
- 2022/07/31(日) 18:58:45|
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