さて今回のご紹介は、予告通り、GWハノイ滞在の三日目、四日目から厳選してハイライトをお送りします。
まずは簡単な行程のご紹介となりますが、到着3日目は、朝9時過ぎの列車に旧市街北東端にあるロンビエン駅から乗るため、旧市街の中心部ホアンキエム湖の北側に位置する宿を8時半過ぎに出て、旧市街を北上し、時間前に余裕もってロンビエン駅に到着し、約100キロほど離れた港町ハイフォンに平均時速30キロそこそこで走る各駅停車の旅に出、現地には12時過ぎに到着し、お楽しみのカニ出汁、サトウキビ入り米麺の「バインダクア」のランチを頂き、しかるのち、馴染みのお寺巡りして、再び駅に戻り、また約三時間の列車の旅でハノイに戻って、その日はおしまい、最終日四日目は夜行便での帰国だったため、宿をチェッカウト後、荷物を預かってもらい、夕方まで湖周辺を撮影し、湖の見えるカフェでお茶してから、空港に向かい、はい、サヨナラ♪というのが後半の行程となります。
では、二日間の行程に沿って、逐次、実写結果を眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、ハノイ旧市街ホアンキエム湖のすぐ北の比較的大きな通りに面した宿を出て、そこから北東に位置するロンビエン駅に向かう道すがら、ハノイというかベトナムの朝の風物詩、菅笠を被った自転車の大姐によるフルーツ行商が目の前を通り過ぎていったので、追いすがって一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、旧市街北部、ちょうど伝統工芸のお店が建ち並ぶ36街と呼ばれるエリアとの境界辺りで如何にもハノイっぽい黄色い色使いも印象的な店舗の前の交差点で、これまたベトナム名物の3~4名乗車の小排気量バイクないし、スクーターでも撮ろうと身構えていたら、先ほどは通り過ぎた後姿しか撮れなかったフルーツ売りの行商の大姐が色鮮やかなフルール満載の愛車を押してやってきたので、有難く、バッチリ一枚頂いてみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、宿から駅は、真面目に歩けば、15分そこそこの距離ではありますが、何せ、朝のハノイの旧市街を脇目も振らず、早足で移動しろ、というのがどだい無理なお話しで、あっちをキョロキョロ、こっちをウロウロと、野次馬根性剥き出しで撮り歩いていったので、30分以上はゆうにかかってしまい、それでも、定刻の1時間近く前には出ていたので、難なく時間前に駅には到着、入口横で、フランスパンの街頭販売なんかやってて、それをもの欲しそうに凝視しているお年頃の小姐の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、エアコンのガンガンに効いた特等車、とはいっても、100キロ乗っても、運賃は1000円もしないのですが、これに乗って、沿線の景色を眺めること約3時間、港町であり、ハノイからの鉄道幹線の終着点でもある、ハイフォンの街の中心部にある駅に到着、他の乗客と一緒に高い位置にある客室の階段を降り、線路とは殆ど同じ高さのプラットホームというか、線路の間に設けられた乗客用歩行通路を歩いて、駅からの出口のある駅舎に向かう途中、振り返って一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、帰りの切符をどうにかして買い求め、黄色を基調としたかつての宗主国フランスの雰囲気もそこはかとなく漂わせたコロニアル風の駅舎を後にすると、駅前広場には、タクシーからバイタクに至るまで、迎えの来ない、来訪者を手ぐすね引いて待っていて、やれ、タクシーはどうだ?とか、そこそこ上手い英語で、何処へ行くのか?とか通りに出るまで延々と声かけられるのが常なのですが、それを全てスルーして、目をつぶってでも行けるカニ出汁米麺屋さん目指してまっしぐら、その途上の面白げな路地を撮っていたら、飛び入り志願の小姐がうつむき加減にやってきたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、ここハイフォンは、まさにベトナム戦争以前から共産主義の支配したエリアだけあって、今でもあちこちに、ドイモイ以降は姿を消したはずの猛烈な社会主義プロバガンダの壁画を見ることができ、カニ出汁米麺屋さんへの道すがら、路上食堂となっている天蓋付きの路地裏の通路にも、文字の意味することは理解出来なかったものの、字の読めないいたいけな童子達にも社会主義の明るい未来を吹き込むようなモチーフの画だったので、うらぶれた路地とのアンマッチが面白いと思い、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、カニ出汁米麺屋さんで至極のランチを腹一杯頂いてから、まず最初に目指したのが、お店から更に歩くこと20分弱の位置にある、ドゥハン・パゴダというハイフォンでは最古といわれる寺院で、ここには、中国のおそらくは明以前の建築様式とベトナム風の建築様式が折衷された特徴的な三階建、赤いテラコッタ瓦の屋根の山門があったり、誰でも中に入って瞑想も出来る拝殿があったり、なかなか面白いところで、毎回必ず訪問しています。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、ドゥハン・パゴダで30分強過ごしたのち、次なる目標、生活排水やら不法投棄のゴミで汚れ切った池の畔に建つ、フォーチュー・パゴダという、コンクリート製ながら、なんと十重の塔という、日本最大の東寺の五重塔の倍の階数を誇る建物をはじめ、池の中のこじんまりとしたお堂や、その周りを護るように配置されたコンクリ製の龍やら、独特の世界観が面白い上、敷地北部には、ベトナム戦争当時の地区の防衛委員会の防空壕があったりして興味深いため、ここも毎回訪れています。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、ハイフォン来訪の目的は全て果たしてしまったので、あとは発車の時刻前に駅に戻るのみですが、元来た道をそのまま辿って帰るのも芸がない話なので、持ち時間と相談の上、ドゥハン・パゴダまで戻ってから、駅へのメインストリート一本手前の道が、商店街というか、路上マーケット通りみたいな様相を呈していたので、方向は駅と大まかには合っていたので、そこに足を踏み入れ、結局は、メインストリートへ繋がる縦の道が見つからなかったので、また引き返したのですが、途中で出会った路上床屋さんがイイ雰囲気だったので、声かけて作業風景を撮らせて貰ったもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、夕刻の発車時刻の30分くらい前には駅の近くに戻れたので駅前の大通りに面したカフェで少々ハイソなトロピカルティなど頂き、飲んじゃった後で、うへ、氷入り飲んじゃったよ、とか肝を冷やしながら駅に戻って、広い停車場で、ハノイ行きの列車を見つけ、到着時にタイ人のふりして売り切れたはずのハノイ行きのキップを無理やり買い求めていたのですが、そこに掛かれた車両/席番号を確認し、乗る直前に駅員さんの哀愁に満ち溢れた後姿を一枚戴いてみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、翌日は17時半にはホテルを発たねばならないので、それほど遠出は出来ず、シャッターチャンスがぎゅっと詰まった、旧市街の中心地、ホアンキエム湖周辺で撮って、途中、博物館で涼んだり、何処かでお茶でもすれば、十分有効に残りの滞在時間は過ごせると考え、朝11時過ぎに帰りの空港行きの配車の確認をしてから、チャッカウトし、荷物も預かって貰い、まず出掛けたのが、湖の東岸エリアにある、おそらくは江戸時代以前くらいの古い石造の塔で「バオアン寺」というハノイ最大の寺院の唯一の遺構ということで、休日ともなれば、多くの善男善女が列をなして記念撮影している名所です。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはSom Berthiot50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、ここ、ホアンキエム湖、「湖」とはいっても、大きさの規模から言えば、湯布院の金鱗湖よりはまだだいぶ大きいですが、通常の感覚では、湖というよりは石神井公園や井之頭公園、或いは上野公園の不忍池くらいのイメージで、それでも周辺は鬱蒼とした樹木が生い茂っていて、苛酷な南国の陽光を遮ってくれるので、まさに憩いのオアシス、サボリーマンのメッカのような場所なので、あちこちで惰眠を貪っている人種がちらほら、そのうち一名を手前でスマホンを一心不乱に弄っているアムラー風小姐との対比が面白いと思い一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはSom Berthiot50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、なおも湖周囲の樹々の木陰の下の散歩道を辿っていくと、面白い光景に出会うこともままあって、中でも、一人で通りをキョロキョロと歩いていると、後ろからはもちろんのこと、対向車線の端を走っていても、停まって、乗らないか?と熱烈に営業かけてくる、東南アジア共通のお気軽交通手段、環境に優しい、CO2排出量、ほぼ
ゼロの輪タクこと「シクロ」の運ちゃん達が、商売道具の客席で天下泰平を決め込んでいたので、音もなく忍び寄って、一枚頂いてみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはSom Berthiot50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、南国の陽も午後遅くになると、だいぶオレンジの成分が強くなってきて、これが木陰の風景だとイイ味が出るようになるのですが、湖の中の島へ渡れる唯一の渡橋を望むベンチの上で、白人女性二名が、文字通り、付かず離れず、アンニュイに時の移ろいを楽しんでいる風情だったので、有難く後ろから一枚頂いてみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはSom Berthiot50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、湖の水面に照り返す南国の陽光もだいぶ西の低い角度からで赤味がかってきて、そろそろ夕方も近づいてくることが感じられたため、あぁ・・・夜になったら、この開放的な街ともお別れ、次に来られるのはまた春も過ぎ、GWの連休になってからだなぁ・・・などと独り物思いに耽っていたら、遠くからフランス語固有の鼻に抜ける濁音満載の会話が聞こえてきて、視線を向けたら、セーヌ河の畔をデートしているかの如き、フランス人カポーが目の前を通り過ぎて行ったので、仏製レンズで後姿を捉えてみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはSom Berthiot50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。
今回の感想ですが、新型コロナ禍後、初のハノイは以前と同じく、街は開放的で、現地の人々はフレンドリー、そして円が激安となった昨今でもまだまだ物価は安く、食べ物は美味しい・・・そんな心惹かれる異国の街の佇まいを最終日に、フランス製の銘レンズで撮り歩いたことは、とても有意義な時間ではなかったかと思いました。
さて、次週は今年最後の連休につき、名古屋へ遠征、ブログは一週スキップとさせて頂き、その次の週は、知らないうちに値段が暴騰し、ひっくり返りそうになった、CanonL35mmf1.5で街撮りした結果でもレポートしたいと思います、乞うご期待!!
- 2023/11/20(月) 22:45:55|
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さて今回のご紹介は、予告通り、GWに久々にハノイに出掛けましたので、現地滞在四日間を前編、後編に分け、その前編をお送りしたいと思います。
まず、今回の旅の簡単な行程をご説明致しますと、4/30の夕方の日航便でハノイには23時前に到着し、その日はハノイの宿に泊まり、翌朝、まずは現地の天気を見てから、5/3に行こうと決め、まずは、久々の旧市街を街撮りしながら徘徊後、戦争博物館を見学してから、その近隣でランチ、しかるのち、ハイフォン往復の電車切符を旧市街北端に位置するロンビエン駅まで買いに行って、いったん宿に引っ込んでから、また夕方、ホアンキエム湖の周りで街撮りしておしまい、その翌日は、朝から、旧市街地周辺を街撮りしながら移動し、ランチ後、旧王宮博物館を見学し、日暮れとともに宿に戻り、旧市街はホアンキエム湖北部の郷土料理のレストランでディナーしておしまい、といった次第です。
では、前半二日間の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、5月1日の朝、身支度ののち、宿から歩き出し、とにかく、朝飯をこれでもか!?というボリュームで出してくるため、或る程度、腹ごなしの運動しないと、せっかくの美食の都のランチも美味しくはなくなってしまうので、とにかく、以前の記憶を頼りに、あちこち道草しながら撮っちゃ歩いていたのですが、或る路地の入口付近が古めかしい看板やら何やらでなかなか佳き雰囲気だったため、足を留め、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはSOM BERTIOT50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、同じく、宿近隣のホアンキエム湖に面した旧市街地の中のとある路地裏の風景で、この5月1日という日は、日本人には漫然としたGW連休のうちの1日としか認識されてはいませんが、ここ、正当なレーニン主義を継承した社会主義国である、ベトナムではメーデーとして建国記念日と並ぶ重要な祝日で、こんな路地裏にも真新しい国旗が掲げられていたので、敬意を表し、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはSOM BERTIOT50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、これも旧市街地の中で、お昼過ぎに見物しようと考えていた、旧市街地からは2kmほど離れた西南に位置する戦争博物館を目指して、あっちをきょろきょろ、こっちをじろじろと、不審人物未満のお上りさん然とした様子でで撮り歩いていたら、ちょうど、目の前の、何が書いているかは判らないものの、なかなかのセンスで文字表記されていた看板の横に若い頃は、ぶぃぶぃ言わせていたと思しき、小ぎれいな横縞のポロシャツを着こなした爺さまが、バイクに跨り、今にも走りださんと後ろからを振り返ろうとしたところを一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはSOM BERTIOT50mmf2.8mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、戦争博物館に到着し、まずは入口入ってすぐの、北ベトナム軍のエースパイロットが乗っていたというミグ19を前から撮ろうとしたら、50mmでは当然収まり切ろうはずもなく、では35mm、いや28mm?と思案した挙句、実質デビュー戦で持ち出した七名匠の21mmf1.5を試してみようと思い換装、展示場の真正面から撮ったら、なかなかイイ雰囲気で翼の両端まで入ったので、前々からどういう撮り方が良いか考えていたここのシンボルの、旧王宮の一部という煉瓦造りの国旗掲揚塔を真下から撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはTT Artisan21mmf1.5asph.による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、久々の戦争博物館、隅々まで堪能し、次いで向かった先が、旧市街地エリアを通り抜けて最北部に位置する郊外列車の実質的始発駅であるロンビエン駅で、ここの駅よりも、むしろずっと有名なのが、その東側の紅(ホン)河に架かったロンビエン鉄橋で、これは1902年にフランスが建設して以降、ベトナム戦争で何度も破壊されながらその都度修復され今に至ったため、戦勝や不屈の精神の象徴として国内外に名高いということで、その雄姿を入口から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはTT Artisan21mmf1.5asph.による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、切符も無事買い求めたので、また旧市街地を通って、宿にそのまま戻るか、湖の周辺にあるカフェでイブニングティでもしてから戻ろうと思い、ロンビエン駅からホアンキエム湖へのルート途上にある、オープンエアマーケットであるロンビエンマーケット街の辺りでボケを活かした写真を撮ろうと思い、今度はコシナ製50mmf1.2に換装、さっそく、果物を商うお店の店頭で、店番のやや高齢の小姐に声かけてから謎の赤い果物の山を至近距離から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoiktlaender Nokton12mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、同じくロンビエンマーケットのはずれ、あと数百メートルで伝統的工芸品の製造販売を行う36街というエリアとの境目辺りで色とりどりのキャンディと思しき菓子を透明なプラスチック製の筒に収めて店頭に飾っていたお店があって、それがとても綺麗でそのまま通り過ぎるのも勿体ないカンジがしたので、足を留めて、ほぼ最短距離から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoiktlaender Nokton12mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、翌5月2日はベトナムのローカル天気予報では、ハイフォンにかけて降雨の確率高かったため、市内観光に費やすこととし、まずは、いつも地味ながら、民族衣装を来た地元大学生やらいたいけな童子連れ家族やら佳き写真が撮れることから、ハノイに行ったら必ず時間作って訪問するようにしている旧王宮のタンロン遺構へ向かうこととし、その道すがら、旧市街の路地でハローキティのシート?で覆った露店があったので、地元民各位が通り過ぎる瞬間を狙って一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、同じく、宿からタンロン遺構へ向かおうと歩き出して、昼なお薄暗い旧市街の路地裏を徘徊している途中、ふと気まぐれに入ってみた小路の途中で、なかなか洒脱な構図と、大胆な色使いを施した壁画が描かれた民家を見つけたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、歩きながら、そういえば、まだロンビエン駅に到着した列車の写真を撮っていなかったことに気付き、翌朝の乗り場の位置、ルールなども以前と変わっていないか再確認の目的もこれあり、ちょっとロンビエン駅方面に寄り道することとし、翌朝の出発時間よりちょい前に駅に到着してみたら、明日乗るのと同時刻発のロンビエン始発の列車がちょうどやって来る頃合いで、橋を渡り入線してくる先頭車両が目に留まったので、神速で撮った一枚。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、実は、タンロン遺構は昨日の戦争博物館の北側に位置して、結局、宿から行こうとすると、必然的に、その間にある国防省等の広大な敷地を避けて進まねばならず、南下してから北上するルートを取ることとなるため、旧市街北端のロンビエン駅を起点に西を目指して幹線道路伝いに歩き、国防省の建物を過ぎたら南下しても同じことなので、西に移動する途上で初めて正確な位置を知った、旧給水塔「ハンダウタワー」の全景を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、ぶらぶら歩きながら撮っていたら、宿を出た時間もそれほど早くなかったため、ランチタイムにかかってしまい、社会主義国家は博物館、美術館の類いといえど、労働者の正当な権利を守るため、昼休みとし、入場は出来なくなってしまうことから、仕方なく、西門前の何軒か並ぶローカルレストランで一番無難げな空心菜炒めとシーフード炒飯ななど頼んでみたのですが、量は相当気前が佳かったのですが、味が今2レベルにつき完食は断念、さっそくゲートで木戸銭払って中に入って、季節の飾り付けを施された建物テラス廊下周りを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、ここタンロン遺構内部には、旧王朝時代の建物に加え、フランス占領後に作られた建物、或いは独立後に博物館として利用すべく新たに建設された建物群が混在しており、中には空気清浄機付きの防空壕が地下に設けられた建物等もあったりしたのですが、そのうちのタンロン遺構のシンボルカラー金色の龍をイメージしたと思しきフランス風の建物のテラスで恋を囁き合ういたいけなローカル男女の後姿が目に留まったので、有難く一枚頂いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、同じくタンロン遺構内のフランス植民地時代に建てられた建物、地下に防空壕のある建物は屋上に登って、遺構の敷地内を俯瞰することが出来るのですが、それよりも、むしろ、隣接する、工事用のスチール板塀に覆われた建物の三階テラス廊下がそれこそ手を伸ばせば届くくらいの位置にあり、彼方にある反対側の開口部がそれこそ絵画のイロハの遠近法の消失点にピッタリはまっていたので、感心して一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、遺構内の建物もくまなく見て回ったので、そろそろ旧市街地の湖北部のカフェでも寄って、お茶してから、ホテルに戻ってシャワーでも浴びたいと思い、敷地内で一番高い、旧王朝の宮殿の一部の基壇と言われる部位の最上段まで登って、敷地内を眺めてから下におりてみたら、ちょうど、課外授業か何かで来ていた、いたいけな学生さん達が建物表側に集まっていたのが、双龍の尻尾模様の透かしの金物付きの石造りのアーチ越しに見えたので、なかなか佳き構図と思い、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。
さて次回は、法事で帰省のため、一週スキップ、翌々週にGWハノイ滞在の三日目、四日目から厳選してハイライトをお送りします、乞うご期待!!
- 2023/11/06(月) 22:27:57|
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さて今回のご紹介は、日帰りで、昨年末に修復も終わってきれいになった掛川城を訪問したレポートをお送りしたいと思います。
まず簡単な行程からご説明すると、今を去ること、約半年前の4月8日の土曜日、たまたま早起きしたので、何処か日帰りでお城でも見に行こうかと思い立ち、いつもの常套手段である、非対称系乗り鉄、即ち、お城を見学するためには、そこそこ早く現地入りしなければならないが、帰りは終電あれば何時でも、という手が休前日は使えますから、この日も、9時台のスマートEXを使い、乗り換えなしの新幹線で掛川まで移動、駅前でランチを頂いてから、日暮れまで存分にお城見学を堪能し、しかるのち、帰りは熱海まで東海道本線の各駅停車、熱海から途中、お茶しに途中下車した小田原経由、快速アーバンで東京駅まで戻った、というのが当日の行程となります。
では、さっそく、行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。。

まず一枚目のカットですが、駅から15分弱も歩けば、掛川城の建てられていた小高い山の麓まで到着するのですが、実は今回は三回目の訪問でもあり、改修前の一回目には西側の結構遠回りな坂道経由、天守の全貌が見える本丸の広場に到達しましたが、今回は公道のすぐ上に建つ四脚門経由、お気軽に登城しようと思い、門の中に天守が見えるアングルを狙って一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、本丸広場のチケット売り場前に立つと、梅雨前の春の青空をバックに、樹々の緑も鮮やかな小高い丘の頂上部に聳える、古式ゆかしい外観で、山内一豊が建てた天守を復元したという、高知城の兄弟にも当たる白亜の天守の全景が見えるので、チケットを買う気もそぞろに、昨年10月にリニュアルを終え、新築時の漆喰の白さを取り戻した天守の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、先の画面でも登場していたように登城口の階段前には、インスタ映えを狙ってのことなのでしょうか、桜の枝の造花がこれ見よがしに立てられていたのですが、その周囲の桜の木には、葉桜に移行しつつも、かろうじてまだ花が残っていたので、登城前にチケット売場横のベンチで伴走機に望遠をつけ、白亜の天守をバックにその可憐な桜花の名残を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、天守下の本丸広場の隅で健気に咲き残っていた桜花の姿も収め、いよいよ、漆喰塀沿いの階段を登り、日本最古の木造復元の天守、しかも、おそらくは本格的な保存修理が入ったのも日本初なのではないかと思われる、建物の中身も美しい白亜の姿を取り戻した外観同様に関心あるので、逸る気持ちで階段を登る直前に撮った、青空を背景にした天守の偉容。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、後から登って来た、小学生の子供連れの親子が階段途上で太鼓櫓を眺めていた工房主を追い越し、先に天守曲輪との境界に建てられていた冠木門を復元したものを目指して階段を登っていたので、ちょうど良い頃合いを見計らって、門を潜る辺りで後姿出演頂いたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、これも、移設ではありますが、二の丸御殿同様、現存建造物である太鼓櫓で、元は三の丸という現在地からは結構離れた位置に幕末に建てられていたものを、荒和目櫓という物見櫓が建てられていた現在地に移設したということですが、同じ現存とは言え、複数回の移設を経て、昭和30年に本来の位置とは無関係の現在地に、おそらくは観光目的で建てられたことから、市指定文化財でしかなく、修繕費にも事欠くとのことで、何とかして上げたいという思いもこめ、その満身創痍の姿を上から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、天守曲輪に登り切ると、眼下に、国指定重文であり、全国に四棟しか現存しておらず、二の丸御殿はそのうち、京都二条城と掛川だけ、という貴重な建物なのですが、実はグランドレベルでは御殿の敷地というか庭に樹木が生い茂っていて、なかなか全景が撮れないこともあり、今回用意してきた望遠で天守曲輪の上から全景を収めることに成功したもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、二の丸御殿の全景も無事撮影し、いよいよ、リニュアルから間もない木造復元天守内部へと足を踏み入れようとして、そうそう、この天守の、兄弟である高知城と共通の装備、「忍び返し」の特徴的な姿を忘れずに撮っておかねばと思い、意外と低く、またでこぼこの自然石をそのまま積んだ野面積石垣の欠点を補うべく、敵の侵入を防ぐ目的で、一層目の窓の有る部位底部に設けられた、禍々しいまでの鋼の突起物群と美しい漆喰の城の対比を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、付櫓に設けられた天守入口の係員の方に、チケット売り場で買い求めた券を見せてから、靴を脱いでスリッパに履き替えて櫓からの入口より一階分弱高い位置に設けられた天守一階に足を踏み入れ、内部に置かれた展示品を眺めながら、上の階に登っていくというお作法は木造でもRC造でも基本的には同じなのですが、何せ、ここは江戸初期の天守の内部構造を忠実に再現していると謳っているだけあって、上の階に行くほど、階段も梯子並みに狭くて急角度になっており、学識者の説明によれば、登ろうとする敵兵を上から蹴倒すため、ということですが、それが良く判るアングルから一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、最上階四階は小振りな天守にしては、結構な広さの板敷の間となっており、果たして銃撃にあった場合、どうするのか?とかあらぬ心配までしてしまいそうなほどに窓は広く開放的で、しかも豊臣時代の大阪城天守に倣い、廻縁まで付けてあって、それも高知城同様、黒い漆塗りで擬宝珠まで付いているという念の入れようで、当日は、結構な人ででしたが、最上階の間の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、当日は在来線で帰る上、東海道本線はそれほど本数も多くなく、熱海までの区間は連絡も悪いので、予め決めておいたスケジュールから10分でも遅れると、小田原に寄っている時間が無くなるばかりか、都内に入るのがことによると1時間程度は遅れてしまうため、時折、時計と睨めっこしながら城内を見学して回ったのですが、次なる見学箇所である、現存の二の丸御殿に移動する途上にある、算盤堀越しに太鼓櫓を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、前回は天守が工事中なので、掛川には泊まるだけ泊まって、吉田城からの帰りのお城見学はパスして三島まで移動し、山中城址見学に赴いてしまったため、その時にも見学可能であった、御殿は寄らずしまいだったため、今回が二度目の見学となりますが、相も変わらず正面の門を入ってから玄関までの距離が短い上、木が鬱蒼と生い茂っていたため、何とか工夫して、28mmの画角でも玄関廻りの様子が判るよう撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、二の丸御殿のかなり広い平屋建て木造建造物の隅々まで駆け足で見て回り、少々時間にゆとりが出来たので、前回、前々回と存在すら気付いていなかった、これまた木造復元ながら、設置位置を大幅にずらして建てられた大手門を見学しようと、本丸、二の丸が位置する小山から南東に数百メートル離れた大手門までやってきて、お約束の真正面からの全景図を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、大手門とそれに付随する現存とは言いながら、同様に現在地に解体移設された大手門番所を見学してから、大手門周辺からは予想以上に見通しが良いため、兼ねてから撮りたいと思っていた、天守工事中は、一生懸命ライトアップまでして代役を務めていた太鼓櫓と天守のツーショットを撮りたいと思い、望遠でギリギリ収まる距離、アングルから一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、実は、天守最上階に居られた係員の方から、今回、望遠レンズ使えば天守曲輪の全景がきれいに収まるカットが撮れる位置を教えて頂き、その場所が運良く大手門から駅に向かう途中の、しかも、屋上へのアクセスフリーの公共建築、市営駐車場ビルだったので、さっそく、歩いて行って、屋上に上がって、一番きれいに撮れる北西の隅から、午後遅い陽光に輝く掛川城の雄姿を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。
今回の感想ですが、いやはや、古めかしい現存の城郭建築も良いですが、出来た当初の面影を感じさせる、漆喰の輝きも目に眩しい、改修上がりの建物もとても魅力的でしかもそれが、これから増えつつある木造復元の建物のはしりだということに深い感銘を覚えました。それにしても、ライツ、ツアイスの長短レンズ、どちらもいい仕事してくれました。
さて、次回は、GWに久々にハノイに出掛けましたので、現地滞在四日間を前編、後編に分け、その前編をお送りしたいと思います、乞うご期待!!
- 2023/10/29(日) 13:47:44|
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さて今回のご紹介は、再び城旅シリーズということで、赤い鶴のアトランダム恩返しとも云える「どこかにマイル」で当たった弘前の旅二回目をオールドレンズと回った旅、三泊四日から撮影の出来た二日間の撮影結果をご紹介したいと思います。
まず、簡単な行程のご紹介ですが、今年の3月18日の夕刻の青森空港行きのフライトで、弘前には連絡バスで20時近くに入り、 当日は晩飯のみ食べ就寝、翌朝は10時前にお城からほど近いホテルから、途中、びっくりドンキーでの朝食を経て、登城、お昼過ぎまで撮影し、そのままお城の外濠東側のねぷた会館附設の郷土料理レストランで貝焼きと甘ったるい雑煮みたいなものの定食を頂いてから、奉公先のチタンをお使い頂いている「弘前レンガ倉庫」へ初訪問(前回は場所がよく判らず未訪問)、そこで撮影、暫しお茶してから、青森県内では希少な江戸期の重文指定の五重塔のある「最勝寺」へ移動し、貴重な江戸初期の木製五重塔を仔細まで検分し、宿に戻り、翌日は津軽地方最北端の城郭遺構である「陸奥福島城址」と十三湖近傍を散策してきたのですが、きちんとしたカメラで撮るほどの遺構も残っていなかったので、スマホンのみの撮影、最終日の便が青森空港発羽田行き最終だったので、空港に向かう途上に位置する「浪岡城址」を訪問し、雪景色も見事な遺構を撮影してきた、というもの。
では、現地での二日間の撮影結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、弘前到着の翌朝、宿からは前回同様の登城ルートで本丸に聳える現存天守に向かうこととし、いったん東側から郭の外濠に到達し、そこからお濠伝いに南下して市立観光館の方面に曲がるとすぐに、四つの橋のうちの一番フォーマルな経路である追手門に到達、前回は保存修理中で仮設で覆われていて写真を撮ることもままならなかった現存木造櫓門の雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、江戸期の建築様式をそのまま今に伝える追手門の感動も冷めやらぬまま、本丸を目指して進んで行くと、全国の城郭の中で三階櫓の最多現存数を誇る弘前城三つの櫓のうち、一番、追手門に近い二の丸未申(南西)櫓櫓で、前回は初めて来たこともあり、全然、細部に目が届いていなかったのですが、全国的にも珍しい、一階、二階が同じ面積でその上に入母屋屋根の向きをを90度変えて載っけた形式の重箱+望楼型の櫓で、また屋根も珍しい銅板段葺きだったので、全体がかろうじて収まる位置まで近づいて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、二の丸に足を踏み入れ、さて本丸へと思いきや、いつもの南東の方向の下乗橋という木橋が修理中だったので、仕方なく、反対時計回りにぐるっと北上し、鷹丘橋という橋を渡って、まだ広く積雪の残る本丸に入り、本来の位置から60メートルばかり西に移設され、低い仮設石垣の上にちょこんと乗った可愛い三階建天守の姿が目に入ったので、早足で歩み寄り、まずは一番優美で威厳に満ちた南東側からの顔を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、このお城の天守の面白いところは、江戸時代の辺境地の外様大名のいじましさとしたたかさを同時に見せてくれるところで、なんと、先ほどの南東からの破風も立派な天守閣の威厳に満ち溢れた顔付きが、その反対側の北西方向から見ると、最上階の入母屋屋根を除き、破風のひとつもない寄棟造りの質素な屋根で、鉄板扉の付いた窓が申し訳程度に各階に設けられている地味な佇まいになっていたのは、幕府に対し、本丸内部から見れば、他の三階櫓同様の質素な外観にするためだった、ということなのですが、その北西角からのもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、実は、今回は赤い鶴の恩返しでタダで弘前に来ることが出来たことは出来たのですが、なんと、冬季は天守内部への見学どころか、前回、初夏に来た時は、登って、天守の全景と、ちょうど夕暮れ時だったので、茜色とブルーのグラデーションがとても美しい岩木山と可愛い天守の競演を撮ることが出来たミニ展望台も閉鎖になっていて、仕方なく、単品で撮ることとし、天守裏側の展望スペースから一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、3月末までは天守の中にも入れず、天守を上から眺められる展望台にも登れないため、本丸内の天守周囲を何周かして、昼飯を食べてから弘前レンガ倉庫に移動することになっていたので、再び、元来た道を引き返して、二の丸に戻り、遠回りにはなるのですが、丑寅(東北)櫓と櫓門を見たかったので、先ほど来た南方向とは反対側の北方向に歩き、外濠に架かる橋の手前の、これまた江戸初期からの現存木造建造物である北門で足をとめ、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、レンガ倉庫への道すがら、お城の外濠に沿った東側に位置する、ねぷた会館附設レストランで昼飯を頂き、そのまま外濠伝いに南に歩き、前回から気になっていた、ひと目で「擬洋風建築」と判る薄緑色の瀟洒な建物の近くまで歩いて行って、これまた35mmの画角一杯に入る位置、アングルで、この国指定重要文化財「第五九銀行本店本館」の全景を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、レンガ倉庫へは最短ルートで行っても良かったですが、途中、飲み屋街があることを前回気付いていて、那覇でも小倉でも、松本、函館でもそうなのですが、昼の飲み屋街もなかなかフォトジェニックな佇まいを見せてくれることが往々にしてあるので、遠回りしてレンガ倉庫の北側に位置する飲み屋街の路地の入口付近から通りを撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、かなり奔放に道草しまくって、やっと到着した弘前レンガ倉庫で、あまりに広大かつ、近づき過ぎると仰角が大きくなりすぎて、煉瓦造りの建物の頭にかぶせられた、肝心要のシードルゴールドという黄金発色の純チタンの屋根が写らなくなってしまうので、倉庫エリア手前の川と並走する弘南鉄道踏切を超えたところで、まず一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、逸る気持ちを抑え、まずどうすれば、シードルゴールドの屋根の形状、そして何よりもチタンの見事な発色を忠実に写し取ることが出来るか思案しながら、敷地内を行きつ戻りつしていたのですが、広大な空地が建物北西側に広がっているので、クリアランスさえとれば、仰角は緩く、屋根全体も収まるようにはなるのですが、あいにくこの日は春の好天でまだ十分に高い天空に太陽が位置していたため、屋根は全反射になり特徴は写し込めず、北西からの広角での撮影は諦め、南西から東棟の屋根を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、レンガ倉庫の外観を存分に堪能し、展示自体には全然興味が湧かなかったので、内部構造を眺めてお茶&スィーツが楽しめるキャフェテリアで、自家製アップルパイなどをアテに優雅なアフタヌンティータイムなどを楽しんで移動した先が、江戸初期に建てられたという鎮魂の五重塔が建つ最勝寺で、雪のためか、最初アプローチした入口が坂の上まで登ったにも関わらず閉じられていて、いったん下って、別の入口から中に入って、お目当ての五重塔の朱に染められた優美な全景をまず撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、最勝寺の五重塔はさすが国指定重要文化財だけあって、文建協こと、(公)文化財保存技術協会も気合い入れて保存修理を入念にやっているようで、各階屋根の裏の桝という梁を受ける構造部材も、垂木の一本一本もきれいに朱と白が塗分けられていて、とても良い仕事をしているものだ、と素直に関心して仰角で一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、翌日は、夜のフライトでお江戸は羽田飛行場経由、深川の塒に戻らねばならない宿命の渡り鳥につき、宿は9時過ぎにチェッカウトし、JR線で浪岡駅まで移動し、いったんコインロッカーに荷物を預けてから、徒歩で20分ほどの距離の「中世の館」によって、資料を頂きがてら遺跡の予習を行い、さらに徒歩で5分ほどのお城の入口まで移動し、まだところどころ50cm以上も雪の積もった周囲の様子を、足を踏み入れる前に一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarl Zeiss 25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、目の前の木橋を恐る恐る渡ってみると、この時期、訪れる人も少ないのか、内部へ進む通路は凡そ50cm以上も積雪があり、これが固くなっていてさえくれれば、知らばっくれて上をスタスタ歩いて、遺跡の何処へでも行くことも出来るのですが、固くなっているのは、極僅かな表面だけで、載ってみたら、あっちゃ~、靴はザクザクと雪の山に沈み込み、ところによっては腰の下くらいまでの雪を踏み分け、やっと高い土塁の上に上がることが出来、雪から顔を出した、かつて廓を仕切っていた土類の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarl Zeiss 25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、初めて来たこともあって、興味津々に遺跡の中を歩き回っていたら、そろそろ、夕刻になってきて、駅まで戻り、空港行のバスに乗る時間を逆算したら、この遺跡を後にしなければならない時間が迫ってきたので、何処かで一番特徴的な写真を撮りたいと考え、すっかり西に傾いた陽と低い雪雲の彼方に青森のシンボルとも云える岩木山が遺跡越しに見える位置で一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarl Zeiss 25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。
今回の感想としては、青森ってやっぱりクルマ社会で、公共交通機関で遺跡を巡るのは、時間のロスが恐ろしく大きいし、遅れによる連絡ミス、人っ子一人居ない無人駅の暖房すら満足にない待合室で小一時間も電車を待つ、とか、同じお城巡りでも中部や関西とは大違いの艱難辛苦の旅でしたが、そういった苦労が大きいが故に、達成感はひとしおだったと思いました。
さて、次回は日帰りで、昨年末に修復も終わってきれいになった掛川城を訪問したレポートをお送りしたいと思います、乞うご期待!!
- 2023/10/26(木) 22:33:25|
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さて今回のご紹介は2月下旬の連休を利用し、奈良から、ちょうど伊賀越えをして三河に戻った家康のルートを一部なぞるように移動し、名古屋周辺から静岡のお城を見学して帰ろうという、まさにお城マニアなのか、乗り鉄なのか、意図不明な旅をしてきたうちの三日目の犬山城、四日目の田中城への訪問をレポート致します。

まず一枚目のカットですが、殆ど、家康の「伊賀超え」まんまの伊賀から鈴鹿、四日市、桑名を経て名古屋入りした晩は、駅前の宿で、晩飯を摂って戻ってから早々に早寝、翌朝、ちょい早起きして、宿に荷物預かって貰ってからチェッカウトし、そのまま名鉄線で犬山に向かい、名古屋駅で朝飯を食べ損なってしまったので、駅ビル内のロッテリアでささっと食し、しかるのち、お城に向けて歩き出し、川越の蔵づくりの街並みにもちょっこし似た犬山城下町で街の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5Lによる絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、この街並みを訪れた頃は、時期が時期だけに、あちこちにひな祭り系の飾り付けが目に留まっていたのですが、その中でも目を引いたのが、中が薄っすらと暗い木造の旧家の軒先にしつらえられた木の枝に、おもむろに括りつけられた人形たちの姿で、戻ってから調べてみれば、この旧家、磯部家の旧宅を復元建造したものらしく、市内でも有名な観光スポットにつき、こういうアイキャッチーなデスプレイをしているとのことでした。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5Lによる絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、城下町の商店街を歩き切ると、いよいよ、お城にの聳える小高い山に上る階段とご対面なのですが、今回の主目的は、この天下の名城の別名「白帝城」の由来となった木曽川の対岸からの写真を撮ることだったので、いったん登城はパスして、対岸に渡る橋を目指して歩き出したところ、「わん丸くん」なる、ゆるキャラに遭遇したので、一枚お願いしたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5Lによる絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、お城の聳える山の西側にある階段を下って行ったら、木曽川にかかる最寄の橋であるライン大橋というダムの管理道路も兼ねているような長い長い橋に行き当たり、まだ暑いシーズンの相当前だったのですが、直射日光カンカン照りの下だったので、汗をかきかき、対岸に渡り、望遠に付け替えてから、色々な位置で試してみて、一番、「白帝城」のイメージにしっくりくるカットを選んでみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8ZMによる絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、お城の対岸から何枚か撮ったのち、登城後、近傍でランチを摂って、そしてまた名古屋駅前で荷物受け取り、在来線で静岡に移動し、駅前のホテル泊という計画なので、早々に元来た長い橋を早歩きで渡って戻り、南側に開けた登城口のスロープと石段を登って復元された大手門前で入城券を買い求め、気持ちの昂りを抑えて、まだ新型コロナ明け前で人もまばらな本丸広場に足を踏み入れ、ご対面した天守の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5Lによる絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、天守閣には、地下の石蔵から入り、どこぞの道場内かと見まがうような広い一階、二階を通り抜け、梯子の如き狭くて急な木製の階段をよじ登ると実質屋根裏部屋の三階の上に四階があり、ここからの眺めが、まさに戦国時代の覇者達の眺めそのもので、濃尾平野を一望に出来るのですが、やや混み合っていて、廻縁への出口の順場待ちの際、春っぽい色調の和装小姐が背筋を伸ばし凛とした様子で景色を眺めているご様子だったので、有難く、後姿を一枚頂いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5Lによる絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、やっと展望の順番が回ってきて、廻縁に出てみると、前回は、風雪に晒されて相当傷んでいた廻縁床の木材とそれに打ち込まれていた和釘の錆び加減しか殆ど目に入らず、川の向こうは美濃の国という、まさに三英傑の活躍した最前線の地に思いを馳せる間もなく、写真だけ撮って早々に下城してしまったので、今回は反省を籠めて、遠くを眺め、また撮影してみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5Lによる絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、外を眺め終えて、天守最上階の室内に目を向けてみると、今を去ること25年以上前、名古屋支店勤務時に、当時は全然、お城に興味などなかったのですが、名古屋の財界人がお客に多く、その伝手で、こちらの先代当主の成瀬さんを紹介され、お城の特徴、他の現存天守との違いを聞かせて頂いたのですが、特に明治のご維新の時のご当主が新しいもの好きで、輸入品である高価な赤い毛氈を最上階の板の間に敷き詰めたので、今もそうしている、とのことだったので、懐かしくも思い一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5Lによる絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、犬山城を訪問した夕刻、在来線乗り継ぎで静岡市に入り、駅前の宿に投宿し、名物の晩餐を頂き、翌朝、西焼津駅経由、駅から20分ほど歩いて、念願の田中城、そう徳川家康が愛し、鷹狩の旅に足を運び、そして、盟友、茶屋四郎次郎とともにここで食した鯛の揚げ物に当たって亡くなったという、まさに「どうする家康」ドストライクのお城を訪問し、移築ながら現存する唯一の遺構である本丸櫓の、重箱櫓という珍しい建築様式が判り易いアングルで一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、さっそくこの櫓の建つ田中城下屋敷公園に足を踏み入れてから、そんじょそこらの復元天守でもまず見かけない、不自然なまでに高い布積みの石垣上に建てられている、黒の下見板張りに一部漆喰仕上げも見事な重箱櫓の雄姿を裏側からも撮っておこうと考え、中に入る前にぐるっと回り込んで、全体像を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、外観を一通り観察したのち、高い石垣の西側に設けられた階段を登って、中に入ってみると、まだ知名度が無いためか、かなりヒマそうで愛想の良い、藩士の末裔という初老の係員の方が中に居られ、色々と、ここ田中城のみならず、浜松城やら駿府城がらみのこぼれ話を聞かせて頂き、そうそう、二階にも面白い資料なんかありますし、作り自体も一般的な櫓とはちょっと違うので、じっくり見て行って、と誘われ、確かに戦闘施設の櫓というより、藩重役の密談のための別室という趣きだわな、と二階で撮ってみた室内のようす。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、重箱櫓の中で係員の方と会話している時から、詩吟のような、能の謳いのような、渋い男声が聞こえてきていたので、係員の方に、ずいぶん渋めのBGM流しているんですね、信長公とか秀吉公ならいざ知らず、家康公も能とか関心有ったんでしたっけ?と聞いたら、イヤそうではなく、あれは肉声で、地元の篤志家がイベント向けに練習しているんで、良かったら見てくれば?とのことで、邪魔しない距離から一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、ここ下屋敷公園内には計四棟の藤枝市指定有形文化財の建物が存在しており、ただ、二棟以上を纏めて一枚のフレームに収められるのは、配置図を眺めたところ、長岳寺郷蔵という飢饉対策の食糧倉庫の遺構越しに重箱櫓を撮るしかないので、工夫してツーショットで撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、係員の方の話では、明治のご維新の際にお城の建物は殆ど取り壊されたり、ここの四棟のように民間に払い下げられ、城域には何も残らない状態になってはいたものの、当時は重機もなかったことから、お濠や土塁はところどころ遺され、高度成長期やバブルによる開発の波を経た今でも、幾つか遺構は残っているので、是非見て写真に撮って帰って、とのことだったんので本丸近くの民家横の土塁に上り、頂上部の人工的な痕跡を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、ここ田中城は、四角を含めた方形敷地が殆どの日本国内の城郭にあっては極めて珍しい、同心円状の濠と土塁を備えた平城で、ここ内堀に面した土塁に相当するものも、幕末時点では、おそらく数キロの総延長が有ったのでしょうが、奇跡的に、ところどころ遺され、しかも地主さんのご厚意と地元有志の手入れにより、こういった往時の面影を偲ぶことが出来るので、係員の方が是非とも見て行って、といった気持ちが判った気がして一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。
今回の感想としては、途中、朝、奈良駅前を出て、伊賀上野の登城途中まで大雨に見舞われたものの、全般的には、奈良を発し、伊賀を通り、尾張、三河、そして駿河の終焉の地を巡る駆け足の旅とはなりましたが、行きに新幹線を京都まで乗っただけで、戻りは全て在来線の各駅停車の旅で、そういった意味では、お城だけでなく車窓からの景色も楽しめ、まさに一粒で二度おいしい旅になったと思いました。
さて、次回は長いこと開発、製造に時間をかけた、工房製新作レンズのシェイクダウンテストのレポートを行います、乞うご期待!!
- 2023/09/24(日) 18:19:59|
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さて通常のレンズ解像の五倍以上、新開発の加工法、機構てんこ盛りの約100年前のツアイスイエナ製サイボーグレンズは完成したものの、仕上がりが日曜の日没後だったため、試写に出られず、しかも、今週末は九州出張、翌週は韓国旅行とレンズにかまっているどころではないため、とりあえず、今週は溜まりに溜まったお城旅の続きをお送りします。
今回のご紹介は2月下旬の連休を利用し、奈良から、ちょうど伊賀越えをして三河に戻った家康のルートを一部なぞるように移動し、名古屋周辺から静岡のお城を見学して帰ろうという、まさにお城マニアなのか、乗り鉄なのか、意図不明な旅をしてきたうちの、初日の大和郡山から伊賀上野までの旅からご紹介したいと思います。

まず一枚目のカットですが、祝日の2/23朝、東京から新幹線で京都まで移動し、しかるのち、JRで奈良駅に到着、まず、駅からほど近い宿に荷物を預けてから、JR駅からは5分と掛からない郡山駅に移動し、昔ながらの古い街並みを用水沿いに歩くこと10分強で大和郡山城址に到着、待ちに待った藤堂高虎や豊臣秀長、筒井順慶などが改修に関わったというオールスター級のお城なので、まず胸ワクもんの天守台の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、ここ大和郡山城は江戸時代の度重なる大火に加え、明治のご維新を迎え、。廓内の全ての建物を破却してしまい、昭和になってからの天守復元ブームに先駆け、まず昭和28年に追手門を復元、昭和59年から62年にかけて、二棟の二階櫓と多門櫓を復元し、この過程で、石碑やら仏像などもチャンポン状態に積まれた先の天守代台も復元されたとのことですが、復元建造物の中で中を見学できる追手向櫓内部を見学した後、中庭から全貌を撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、先の追手向櫓に接続している多門櫓の西側のちょっとした広場で、梅の展示即売会みたいなイベントと、何らかの盆栽状の卓上植物のコンテストの優秀作品の顕彰、並びに展示みたいなことをやっていて、ただ漫然と歩いていて、西に傾いた初春の陽光を受け、ふと、紅梅と多門櫓西側の焼杉の下見板張りの壁との対比が面白そうだと閃き、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、まだ奈良公園の鹿に逢いに行くのにはちょい早い時間だったので、もう少々、本丸付近で、せっかくだから、城の遺構と梅の競演でも撮れないものかと思い、案内地図を片手にあちこち散策してみたところ、まさに灯台下暗し、先ほど入念に撮影アングルを検証していた追手向櫓と多門櫓セットの真横の追手門と切通しのような谷底の道を隔てた斜面の上に白梅が咲き誇っていて、追手門をバックに撮れることに気付き、さっそく試してみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、そういえば、鉄筋コンクリートによる外観復元に猫も杓子も走った昭和期において、忠実に伝統工法による木造復元を試み、しかもそれが、時代的には江戸期ではなくて、安土桃山時代に天守や櫓が作られ始めた頃の様式である「望楼型」、しかも主流の白い漆喰壁ではなく、その前の焼杉板の下見張の壁という、まさに古の大坂城もかくやあらんという魅力的な外観を外側から撮ってみたい衝動に駆られ、ライツのレンズのコーティングの優秀さに賭けて、逆光シルエット気味に撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、そろそろ、奈良駅前でお茶してから、人間に対する警戒心ゼロどころか、人を見れば、皆、餌付けをしてくれる親切なボランティア飼育員か何かと思い込んでいる、或る意味、一般家庭の犬猫の類いよりもよっぽど人間擦れ、観光擦れした、見た目は愛くるしい鹿達に触れ合うことなく、インスタ用に適当に写真撮って来ようと思っていたのですが、もう一カ所、隅櫓が復元されていたので、再度戻って、塀の内側から全体を撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、お城からは近鉄郡山駅の方が数百倍近いのですが、乗ってしまうと、近鉄八木まで行って乗り換えないと近鉄奈良駅へは行けないので、再び、JR郡山駅方面に徒歩で移動し、奈良駅に移動し、駅前からバスに乗って、よくよく考えたら、偽野生動物よりも前々から気になっていた春日大社の灯篭の列を撮る方が面白いし、たぶん、インスタでもウケが良いと考え、春日大社参道入口バス停で降り、さっそく、「何かくれよ!」的にやってきた狡猾な偽野生動物のあざとい姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Summaron35mmf3.5撮影となります。

八枚目のカットですが、参道を歩いてくると、まだ行儀がマシな鹿はせいぜい距離をおいて追尾してくる(人間に尻尾はないですが・・・)、或いは前にぬっと出て儚げな瞳で見上げてねだる、等々の無視すれば済む行動なのですが、特に中国系の若い兄ちゃん姐ちゃん達が、よせば良いのに、カメラ写りがそこそこ良さげな姐ちゃんが餌付けして、寄ってきた鹿達とのふれあいを撮ろうとか企み、二枚も三枚も上手の鹿どもに取り囲まれ服に顔と言わず首と言わず擦り付けられて、あーぁ、これじゃダニまみれだとか眺めていたら、ポケットから顔出していたマスクを別の鹿に食われそうになって親切な東南アジア人が追い払ってくれた、なんて修羅場を潜ったあとに、放心状態の鹿を夕焼けをバックに一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeritz Summaron35mmf3.5撮影となります。

九枚目のカットですが、翌24日は宿を10時前に出て、JR奈良駅前で朝飯を頂いてから、京都府をかすめるルートで一時間弱かけて、名古屋方面に位置する伊賀上野駅に移動、そのまま、荷物を持ったまま、あちこちに忍者キャラが潜み、駅舎のあちこちに手裏剣が刺さっているという物騒極まりない伊賀鉄道で上野市駅まで移動し、目の前に見えている日本最古の木造模擬天守が聳える上野公園に向かい出した直後、雨が再び降り出し、傘を差しながら、やっとお目当ての模擬天守の建つ本丸広場に到着、傘を差して撮った全景図表側。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはCarl Zeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、昭和10年竣工という、さすがに最古の木造模擬天守の座は昭和8年産まれの郡上八幡城には譲りますが、昭和6年産まれの大阪城ですら鉄筋コンクリート造だというのに、工房主が隅から隅まで内部を眺めた限りでは、小学校の木造校舎が何となく上方面に伸びて、中はとても華奢な、ハリーボッテー城に毛が生えたような郡上八幡城に比べれば、柱や梁の構造や配置ががっしりとした戦国期の木造建築を彷彿とさせるような出来栄えで、これ例えば、小田原城のように豊富な外観写真や構造木組が三組も残っているような城郭に使われていたら、真正の木造復元と云っても過言ではないような出来栄えなのですが、まずは玄関先で一枚頂いてみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはCarl Zeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、なかなかリアルなこの伊賀上野城模擬天守の内外観のうち、結構、迫真の出来栄えだと思ったのが、この一階から二階に上る、幅も狭いうえ、急で長い階段で、普通なら上り降りの利便性と安全性を考慮し、見た目はだらしなく映りますが、もっと傾斜を緩くして長い階段とするか、或いは全く時代背景などを無視して途中で踊り場をつけた二段式の緩めの階段とするかですが、あえてそれをせず、当時は近所の名古屋城をはじめ、まだ20棟もの天守が現存していたので、それらに倣ったのだと思い、感心して一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはCarl Zeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、三階建てのこじんまりした模擬天守なので、中をそれこそ壁、天井から床板の釘までなめるように観察したところで、30分もしないで最上階に到着してしまうのですが、残念ながら、木造天守鑑賞の醍醐味である最頂部の屋根裏の木組みが見えるような構造にはなっておらず、折り上げ格子天井という、優雅なアーチを描いた枠木上部にガラスが嵌め込まれた、凡そ戦国時代の城郭を模したとは思えないような造りに感心し、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはCarl Zeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、ここ伊賀上野城は、どうしても「お城=天守閣」のステレオタイプが世の殆どなので、見落とされがちなのですが、石垣の高さが、なんと、大阪城、丸亀城に次いで、全国第三位とのことで、熊本城に代表される扇の勾配と称される曲率漸減型アーチとは対称的な、戦国時代の築城の達人、藤堂高虎采配の普請の証とも言えるような真っすぐで人を寄せ付けないような石垣の偉容を青々と水を湛えるお濠をバックに撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはCarl Zeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、これは、お城に相当詳しい人間ではないと、何を撮ったのかいったい全体見当も付かないような代物なのですが、「矢穴」といって、本来は、きちんと加工された石であれば、外周面にあって、まず気付かないような痕跡なのですが、石を割る際に穿つ位置を間違えたのか、横一列に五か所も金属製の楔を打ち込んでも割れる気配がなかったので、諦め、別の場所に打ち込んで石を割ったという石工にとっては恥ずかしい失敗の記録がでしかないものがこんな格好のシチュエーションに遺されていたので、これも雄大なお濠をバックに一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、お城の知名度とは裏腹にかなり筋金入りのマニア好みの石垣を見学してから、またもと来た道を戻らないと上野市駅へは遠回りなのと、駅周辺のお店が在る通りを通らないとスケジュール上、予定した電車で名古屋に移動する前にランチが摂れなくなってしまうので、また盛大に降り出してきた初春の雨もものかわ、天守の裏側を通った時に、先ほどのちょうど反対側のアングルから全景を撮ってみたもの。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはCarl Zeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。
さて次回は奈良発の旅、三日目の犬山城、四日目の田中城への訪問をレポート致します。
- 2023/09/05(火) 21:38:28|
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さて、まだまだ残暑全開のさ中、皆様は如何お過ごしでしょうか。今回は、意外と手間が掛かってしまい、田舎のお祭りでの試写が間に合わず、いずれも川崎でOHと一部エレメント移植手術を受けたF1.2の銘玉達が代打を引き受けてくれたので、そのレポートをお送り致します。
場所は群馬県太田市、イベントはCOVID19禍前は毎年、お盆の中日、即ち8月14日と翌15日の二日間に亘って開催される「尾島ねぷた」祭りが三年ぶりに復活したので、帰省がてら出掛けて来ました。
もちろん、これまでの休止からいきなり全速全開とはいかず、ねぷたも7基程度と全盛期に比べれば、寂しい限りではありましたが、老若男女問わず、演者達の熱気とおもてなしの精神はもはや完全復活、運航前の準備時間にあちこちの連を回って撮らせて貰いました。
では、さっそく、当日のお祭りの様子を逐次、眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、太田駅からほど近い実家から太田駅に移動し、そこで17時台はじめの下り伊勢崎方面で二番目の駅である木崎で下車すると、既に実行委員会が手配した、尾島までの無料シャトルバスが待っており、それに乗ると、5分少々で、会場最寄の発着場につき、会場である県道142号線方向に歩いていくと交差点手前で、前県知事の会社でもある「大沢建設」の見事なねぷたが稼働前の最終点検しながら社中の面々が前で記念撮影などやっていたので、その様子を一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、「大沢建設」社中の世話役と挨拶がてら復活のお祝いなど述べてから、本部テントなどある交差点へ向かうと、居ました居ました、「上州ねぷた会」のねぷたとその前の連太鼓山車が停めてあって、その前のちょっとした広場で、若い親御さん達が、祭り装束を着飾ったいたいけな童子達の晴れ姿を、知り合いだろうが、目をぎらつかせ、どう猛なオーラすら漂わせているカメ爺、カメ婆達だろうが、気前よくミニ撮影会に応じていたので、混ぜて貰って、一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、キャッキャという童子達の歓声に振り返ってみると、「上州ねぷた会」の連太鼓山車の前のちっちゃなラゲッジスペースみたいな場所に飲み物や誘導具なんかと一緒くたになって、いたいけな童子が載せられており、極小姐と目が合ったので、横にいた若いオモニにも聞こえるように「おじさんに一枚撮らせてよ♪」とか声かけたら、恥ずかしかったからなのか、下向いてもじもじし出したので、どーしようかと思い、「ごめんね、バイバイ」とかわざとらしく声かけたら、オモニが「あれ、アイちゃん撮って貰わなくて良いの?おじさん行っちゃうよ!」とか言ったら、いきなり顔起こして、カメラ目線になったので、有難く一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、その連太鼓山車の上部に視線を走らせると、3年ぶりという本番前の緊張もどこへやら、まさに花形である、太鼓打ちの小姐各位は、会場をざらっと見渡せるような高い位置で大太鼓の上に跨り、四方山話に花を咲かせるのみならず、隣りどうしで腕を伸ばして、スマホンで記念撮影モードに入っちゃったりして、とにかく、いつまで続くか判らない陰鬱なCOVID19禍をくぐり抜け、また晴れの舞台に立ち、喝采を浴びながら、太鼓を叩き続けられる喜びと心の昂りが下からも感じ取れたので、有難く一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、ねぷた祭りの会場は、交差点を挟み東西に伸びる県道142号の上で、ここを基本的に東に走る組、西に走る組と、あたかも、地場産業であるスバルの誇るボクサーエンジンのピストンのように山車を運航させることとなっていたのでしたが、南北に走る道は、いわば大型山車のパドックみたいになっていて、運航開始時間までは、大型山車には必然的に社中の人数も多くなるので、太田山車の両雄である「大沢建設」が北、「三菱電機」が南と分かれて占有し、どうやら「三菱電機」社中は、連太鼓山車名物の巨大番傘が張り替えられていたようなので、新顔の小姐と一緒に一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、ねぷた祭りも上州で行うと、「かかぁ天下と空っ風」の喩え通り、どうしても威勢の良い女性陣が主役となりがちですが、巨大で重いねぷたや山車を安全かつ確実に運航するためには、裏方の男性陣の力が不可欠なのも当然と言えば当然のことなのですが、白い半纏に上州ねぷた会のシンボルカラーであるエメラルドグリーンで文字を染め抜いたいなせな装束のスキンヘッドのオヤヂとちょうどその逆の配色の法被を着こんだオールバックでちょっときこしめしたオヤヂが大谷選手の論評で盛り上がっていたので、横の死角から一枚頂いてみたもの。
カカメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、そろそろ運航開始まで30分を切ってきた辺りで、音合わせを兼ねて、主催者によるお囃子の説明があり、かくかくしかじかのシーンにはこのお囃子で、といったようにアナウンスに合わせて、各社中は太鼓を叩くのですが「上州ねぷた会」のベストポジションを貰えたので、連太鼓山車後方の太鼓を左から右に叩きながら移動する独特の流れに合わせて、可憐ながら勇壮な小姐達の叩きっぷりを一枚頂いてみたもの。
カカメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、そろそろ、陽も暮れかけてきて、ねぷたやお囃子担当の山車に灯を点して、運航の準備をしようかという時刻になると、やはり灯の灯ってからが、ねぷたの本領発揮ということもあり、それぞれの社中のメンバーやその家族、知人友人がねぷたの周りに集まってきて、「いやはや3年ぶりだけど、結構、カラダが覚えててさぁ、太鼓も思ったより上手く打ててさぁ・・・」なんて会話を楽しみながら記念撮影なんかもしていたので、横から一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonL50mmf1.2による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、そろそろ、灯火が点るころになると、球面レンズより非球面の方がコマフレア抑制や点光源の写り込みには有利ですし、高所の演者も引き寄せて撮りたいので、85mmに換装、さっそく、先ほどから気になっていた「三菱電機」の大太鼓の上のエスニックで健康的な雰囲気を漂わせるの小姐の笑顔をアップで撮りたいと思い、交差点南に待機していた社中の中に歩み寄り、関係者に話をつけて、連太鼓山車の下まで通して貰い、一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonNFD85mmf1.2Lによる絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、尾島のねぷたが本家弘前とも肩を並べると、誇りにしている、国内では三体しか存在しないという直径3mの十尺太鼓にも叩き手である演者の小姐が前後に二名ずつ登場し、転落防止のシートベルトを締めてからの出陣ですが、まだ下からの社中メンバーや知人・友人からの声かけや、記念撮影に応じるべく、都度立ち上がったり、中腰になるため、締めていなかったようなので、ちょうど浮き立った瞬間を一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonNFD85mmf1.2Lによる絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、いよいよ、陽も暮れて、夜の帳が降りてくる頃、ねぷたも、随伴するお囃子担当の連太鼓山車も煌々と灯りを点し、交差点からそれぞれ東に進む組、西に進む組と交互にスタートしていったのですが、やはり群を抜く大きさと迫力の音を誇る10尺太鼓の出陣が勇壮で、南側の路上から、交差点内をぐるっと半周して雄姿をお披露目してから県道142号に出ていったのですが、その様子を一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonNFD85mmf1.2Lによる絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、県道142号線の交差点西側でずっと出番を待っていた、「上州ねぷた会」のねぷたと連太鼓山車がいよいよ、西側に向かって進むこととなり、先ほどのリハーサルの時にチェックしておいた、おそらく会場一、二位の上州美人の小姐が太鼓に跨り、開始の合図を待っている姿を下から一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonNFD85mmf1.2Lによる絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、何やかんやで山車やねぷたの構造、並びに社中の面々のフォーメーション上、やはり最大手の「上州ねぷた会」の近辺を張っていた方が、完全に陽が落ちて、東西ピストン運動が始まる直前までが勝負の、この手の山車運航系のお祭りでは得心行くカットが撮れるという勘を取り戻し、今にも動きださんばかりにお囃子や太鼓叩きに熱が入る山車の前面に回ると、こういった華やかさと派手なアクションを前提とするお祭りには、凡そ不似合いな金属フレームの大ぶりな眼鏡をかけたいたいけな小姐が一心不乱に太鼓を叩いていたので、瞬間を狙いすまして一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonNFD85mmf1.2Lによる絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、そろそろ、交差点付近のねぷた、山車が運航ルートである県道142号へと、華やかな笛や鉦、そして太鼓の調べに乗って、出陣し始めたのですが、この尾島ねぷたでは両雄とも云える「大沢建設」の連太鼓山車側面のこれまたラゲッジスペースみたいなところに、目張りギンギン、派手に化粧して着飾った、いたいけな小々姐があちこちにガン飛ばしながら、時折、こどもっぽい表情を見せるのですが、ファインダ越しにチャンスを狙っていたら、まんまと欠伸なんかしちゃったので、有難く一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonNFD85mmf1.2Lによる絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、そろそろ、陽もとっぷりこんと沈み、華やかなねぷたご一行様の楽しい夜の宴が始まるのですが、実は、街灯も満足に無い田舎町をねぷたと山車が煌々と照らして動き回ったところで、辺りが暗いだけに単調な画しか撮れず、あまり面白味はないので、実家の老婆の晩飯をお預けにするのも忍びないので、19時ちょい前に会場を後にすることにして、ちょうど、交差点を発とうとしていた「大沢建設」社中の太鼓娘を出掛けの駄賃に一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7RⅡ、レンズはCanonNFD85mmf1.2Lによる絞り開放AE撮影となります。
今回の感想としては、レンズの性能がシビアに出る、裏面照射、ローパスレスのミラーレスでも、どちらも30年前以上のキャノンレンズのf1.2の大口径、その道の専門家によるチューンアップを受けているとは言え、予想以上にやるなぁ、ということでした。
さて、次回は、いよいよ、ドイツ製の絞りすらなかったレンズヘッドがキチンと写るまで完成するか?しなければ、お城旅の続きをお送りします、乞うご期待!!
- 2023/08/27(日) 19:14:08|
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さて、暑さ全開のさ中、皆様は如何お過ごしでしょうか。今週は、やっと、空手形切りまくりの果て、デッドストックの国産オールドズームの試写結果を発表出来る運びとなりました。
モノ自体は、今を去ること30年ほど前、名古屋支店から本社に戻って来てすぐに、昔、欲しくても高くて買えなかった、キャノンの高級機シリーズ、即ち、EF、F1がお手頃な値段で手が届くようになってきたので、気軽に使い倒そうと思い、その時点ではメーカーからの新品販売はとうに終了、どのお店にもデッドストックなどない状態で、有象無象の中古レンズから選ぶのも当時はちょっとためらいがあったので、まだ新品のアダプトールマウント版が潤沢に供給されていたタムロン製のズームから選ぶこととし、中野の某量販店に行ってみたら、コシナの輸出用の単焦点共々新品が安く売られていたので、喜び勇んで買い込んだまま、次第に中古レンズの沼にはまり、特に毒性の強い赤鉢巻を超広角から中望遠まで揃えてしまったので、出番を逸し、そのまま防湿庫の隅で永遠の眠りについていたということです。
モノとしては、タムロン59Aという品番で、1988年発売、1991年終売という極めて短命なモデルでしたが、それでも8群9枚、プラスチックを多用したコンパクトなボディは約290gと軽量、更にマクロ機能付きで70mmサイドでは1:3倍率でのマクロ撮影が出来る機能も付いているとのことでした。
では、さっそく本日、撮りたてホヤホヤの浅草での試写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7RⅡ、全コマ絞り開放、JPEGデータはもちろんノートリム、露出とガンマのみ調整のほぼ撮って出し状態です。

まず一枚目のカットですが、今回、思い立って、インバウンドが爆発状態の浅草に試写に出掛け、手始めに28mm端で歩道ギリギリで雷門の全景が収まるかと思い試しましたが、両端が極わずかに切れてしまい建築写真としては失格ですが、それでも普及レンズということを念頭に置けば、ピンを合わせた巨大赤提灯もシャープに描写していますし、前ボケとなった人物の後姿もマイルドなイメージで、観光の記念撮影用としては、悪くないと思った次第。また、空が半分弱入っていますが、巷間で言われている光量落ちは殆ど認められません。

二枚目のカットですが、おそらく台湾人とおぼしき、浴衣に身を固めた一家が喧しく、雷門内の赤提灯下で、何やら、様々なポーズ、アングルで貸し切り記念撮影モードで、周囲を顧みるゆとりも、心配りも皆無のようだったので、お上りさんが赤提灯を下から見上げるアングルで撮る恰好して、28mmの広角端を利用して、色々注文付けてくる、やる気満々のオヤジに辟易して、暑いのにもうやってらんね、とばかり明後日の方向を向いている童子達の表情まで写し撮ることに成功したもの。ここでも、周辺の解像感は悪くなく、画面中心の赤提灯表面の質感再現は目を見張るものがあると思いました。

三枚目のカットですが、せっかく付いているので、マクロ機能を使わない手はないので、手っ取り早いところで、赤提灯底部の金メッキされた銅製金物に付けられている、赤提灯固定用のヒモを固定するリングを咥える恰好のおそらくは龍の頭部(浅草寺の正式名称は「金龍山浅草寺」であるため)を70mm端で最短距離から、わざとコントラスト低下の原因となる空を画面下1/3程度入れて撮ってみたもの。
いつも、逆光に最大限の注意を払って使っているクラシックレンズとは大違いで、御年34歳と言えど、シアープにしかも逆光によるフレア、ゴーストも皆無で、見事描写したのには驚かされました。

四枚目のカットですが、浅草での定点観測スポット筆頭である、美人茶屋あづまさん(注、このところ、パパラッチ対策なのか、店頭の製造販売は全部、兄ちゃん店員!なので、美人茶屋ではない・・・)の裏の仲見世側道の北西角の扇子屋さん店頭の大和絵団扇展示柱に掲げられた幾つかの団扇のうち、いつもの馴染みだったひょっとこがかなり高い位置に掲げられていて仰角になってしまうため、ちょうど手頃な位置の河童に代役をお願いしてピンを合わせて撮ってみたもの。
意外にも、こんなf3.5jかそこらのズームにも関わらず、背景がかなり魅力的なボケと化していて、いっぽう、団扇はエッジが浮き立ち、結構魅力的なスナップの画面構成となっているように見えます。

五枚目のカットですが、仲見世通りに戻って、目の前の宝蔵門を目指して歩いていると、もはや、新型コロナ禍以前の人出を取り戻し、しかも、インバウンド客の割合については、記録的な円安と相対的な物価安により、これまで以上に増えているような印象だったのですが、いつも着物を来たお客で賑わう、舟和経営のメロンパン屋さん前で、純国産小姐二名がフレッシュジュース片手に、映えを追求していたので、通りがかりに有難くその様子を一枚頂いてみたもの。
ここでも、四隅の画質低下は認められず、コントラストは低めながら、ピンを合わせた青色着物の小姐頭部の髪飾りや首筋の産毛の一本一本まで解像しているのが確認出来ました。

六枚目のカットですが、再び仲見世通りを宝蔵門に向かって歩き出し、試写テスト用の丁度いい被写体は無いか、鵜の目鷹の目、辺りを見回しながら歩いていたら、ちょうど、仲見世通りに面した店舗と店舗の間、東の側道への連絡通路となっているような場所に黒人の父子が佇み、暑さしのぎなのでしょうか、スイカジュースなんか吞んでいて、眺めていたら、極小姐と目が合って、こちらを見つめてくるので、意を決し、ヲヤヂさんに撮っても良いかと聞いたら、もちろんどうぞ、とのことで、快くご主演頂けたもの。
ここでも、肌の質感の再現はいうまでもなく、明るい背景がフレアを引き起こし、父子の輪郭を滲ませるようなことも引き起こさなかったので、とても魅力的なポートレになったのではないかと思いました。

七枚目のカットですが、まもなく仲見世通りと伝法院通りの交差する、ちょっとした広場のようなところまで到達し、そこには、嬉しいことに夏の風物詩というか、スナップ的には季節のアイコンのようなラムネ売りの屋台というか露店が出されており、ちょうど、位置的に、無限遠の被写体に当たるスカイツリーが背景に入るので恰好の被写体だったので、店主が留守中に至近距離の28mm端で一枚頂いてみたもの。
ここでも、ピンはラムネの最後列の文字に合わせましたが、スカイツリーはなだらかにボケ、これからにわか雨をもたらす積乱雲の表情も大まかながら捉えています。

八枚目のカットですが、仲見世通りと伝法院通り交差点から、宝蔵門方向に歩き出した時、かなりユニークな恰好をした韓国人の小姐というか、アガシ二名が工房主の前を歩いていて、五重塔の花やしきのフリーフォール塔の競演を撮ろうとしたら、ちょうどその前に入り込んできたので、有難く被写体交代、その特徴的な燃えるが如き赤黒ツートンの毛髪にピンを合わせて、有難く一枚頂いてみたもの。
ここでも、画面四隅の光量落ちはもちろん、解像力の低下、或いは像面湾曲による崩れは全くといって認められません。

九枚目のカットですが、宝蔵門を過ぎて浅草寺境内に入ってすぐの定点観測スポットである「手漕ぎポンプ」は、これまで季節的なものに加え、珍しく思って、試してみようとする、主に海外からのゲストも僅少だったので、ここ2~3年は稼働しているのを目にしたことがなかったのですが、物は試しにと足を運んでみれば、いたいけな童子がオモニのために額に汗して水を汲んであげる、という、猛暑ならではの感動のシーンが撮れたということ。

十枚目のカットですが、宝蔵門の方に再び視線を走らせてみれば、なんと、伊藤園プレゼンツの水冷式ターボブロアがうなりを上げてフル稼働、ちょうど、そこに手を繋いでいた親御さんを振り切って、暑さにたまりかねたのか、或いは本能的に生命の危機を感じたか、なのか、白人のいたいけな小姐が、背中を向けて、一心に水滴交じりの強風を浴び始めたので、その様子を横から一枚頂いてみたもの。
ここでも、意外にピンが立つため、EVFでのクロップ拡大なしでも、シャッターチャンスを逃さずに確実にシーンをものに出来る使い前の良さに気付かされました。
もちろん、画面の隅々まで破綻はないように見受けられます。

十一枚目のカットですが、改めて宝蔵門の下を潜り、浅草寺境内に足を踏み入れようとしたら、日本人と見まがうばかりにお揃いでもないですが浴衣と甚平を着こなした台湾人とおぼしき若いカポーがこの炎天下、宝蔵門の下で束の間の涼をとりながら、暑い亜熱帯の島、台湾から温帯であるはずの日本にまでやってきてまで、暑さに祟られているなんて、どっちかか両方の日頃の行いが悪いんじゃなーぃ?なんてカンジで爽やかに談笑していたので、本堂をバックに有難く一枚頂いてみたもの。
ここでも、はじめは兄ちゃんの頭部にピンを合わせ、小姐が顔を見せた瞬間に反射的にシャッター切ったのですが、境内の参詣者はきれいにボケているにも関わらず、本堂のチタン瓦は意外にくっきりと写っています。

十二枚目のカットですが、境内入っての定点観測スポットである御籤売り場で被写体を探していたら、原宿系ファッションに身を包んだ韓国からの小姐二名が、読んで意味が判ったのか否か、知る由もなかったですが、広げた御籤を手に記念撮影して、ゲラゲラ笑ったあと、周囲の参詣客に倣って、御籤柵に仲良く笑顔で結び付け始めたので、ここぞとばかり、一枚頂いてみたもの。
ここでも、露出はかなりオーバー気味だったので、後修正で直しましたが、それでも、ゴーストも皆無で小姐達の白い肌や装束に薄っすらとフレアを纏いなかなか趣き深い画になったのではないかと思いました。

十三枚目のカットですが、本堂下の手水場で手と口を清め、本堂にお参りしてから、旧奥山方面を抜けると、西参道入口(浅草寺側からは出口?)の常盤堂プレゼンツの「風車の弥七モニュメント」こと季節ごとに無数のセルロイド製風車を壁面に植え付けた場所で、再びマクロモードの威力を試すべく、ウクライナ支援の想いからなのでしょうか、薄い青と濃いめの黄色の風車が所せましと並ぶ真横から壁面に沿って最短70cmの位置付近にある個体の赤い軸留にピンを合わせて撮ってみたもの。
撮っている時はかなり不自然な姿勢ななので、あまり気にはならなかったのですが、やはり50mm端で壁面のエッジのような鉛直を撮ろうとすると、古いズームの宿命、糸巻タイプの歪曲収差が極僅かに発出しているのが認められます。

十四枚目のカットですが、西参道の通路を挟んで反対側のビルの壁面にも観光客のためのインスタスポットを想定してのことなのでしょうか、こちらは風車ほど頻繁にお色直しはしていないようですが、それでも、結構凝った造作の折紙製の金魚のオブジェが数十個も壁面に吊り下げられており、しかも凝ったことに手作り感満載の木製の格子枠がかぶせられており、かなり、和のテイストを放っており、工房主が最短距離から精緻にピンを合わせて撮影していたら、記念撮影したい米国人一家がじっと前で待っていたほどでした。
さすがにこの距離で前後のボケをなだらかに、とはいかず、手前はちょっと重めのボケになってしまいましたが、それでも中心部はシャープなのはいうまでもなく、画面四隅までほぼ均質の描写というのは見事だと思いました。

十五枚目のカットですが、浅草地区最後の定点観測スポットは、仲見世と並行する比較的広い商店街である観音通りアーケード内の老舗のおせんべい屋さんの店頭に飾られている、ガラスの広口瓶にぎっしりと詰められた様々な手焼きのおせんべいが行き交う観光客各位には結構な人気で、このお店は通り沿いに実際に営業を行っている店舗を含め、三軒出していますが、そのいずれかの前で記念撮影をしている家族連れもこの日、二組見ましたが、その合間に至近距離で斜めから撮ってみたもの。
実際には、ガラスは反射率は極めて高いですし、スポットライトで上から煌々と照らしているので、内面反射が大きいクラシックレンズではゴーストが出たり、著しくコントラストが低下したりしがちですが、程よいフレアこそ纏ってはいますが、ピンを合わせた文字はくっきり読めますし、最後の最後まで、行儀の良い、実用的なレンズであることが判った次第。
今回の感想ですが、いやはや、御年32歳で外観はマウント金物とフィルタ枠以外は全て黒色のエンプラ製、お値段も、確か当時で20000円もしなかった、エコノミーレンズの典型のようなこのモデルも、やはり、老舗であり、今でも第一線で新製品を送り出し、巷間の噂によれば、S社の*スターレンズをOEMで製造していたとの話もあるくらいの実力ですから、その名に恥じず、きっちりと仕事をしてくれた、ということなのでしょう。
さて、来週はお盆で帰省のため一週間か二週間お休み、上手くいけば、お盆休み前後に、今温めている、新レンズを田舎のお祭りで試写した結果をレポートしたいと思います、乞うご期待!!
- 2023/08/06(日) 19:26:08|
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さて、このところの破滅的な暑さの中、皆様はいかがお過ごしでしょうか。この暑さのあまり、まともに都内観光地への試写にも出られなかったため、今回の更新はまたしても予告通りとはいかず、岡山ツアーの二週後に出掛けた一泊二日の松本ツアーからハイライトをお送りしたいと思います。
まずは簡単な行程紹介ですが、漆黒の岡山城を堪能した後、どうしてもその兄弟とも云えそうな松本城を見たくなり、1/20夕刻の高速バスに新宿から乗って、松本に着いたのは夜の9時近く、宿にチェッキンし、荷物を置いて、細雪が降る夜の松本城に挨拶に出掛け、朝9時過ぎに宿を出て駅前のマクドで朝飯を食べてから、すぐさま登城、その後、駅に戻る前に大きな商店街の交差点傍にあったお店で沖縄料理でランチして、駅まで戻り、そこから篠ノ井線で下諏訪駅に移動し、前回、新型コロナ禍真っ只中で訪問した高島城に再訪、再び、駅まで戻って、また篠ノ井線で松本駅に戻って、お城の傍の洋菓子店兼カフェでお茶してから宿に戻り、晩飯がてらお城の夜景を撮りに行って、その日はおしまい、翌朝は帰りのバスの時間まで繩手通りからお城周辺、そして工事中の国宝「開智学校」の進捗見に行って、ランチしてからバスに乗ってお江戸に戻ったというのが今回の旅のあらましです。
では、さっそく当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズはCanon N-FD20-35mmf3.5Lによる全コマ開放、AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、いつも通りがかるのは夕刻でまともに撮ろうと思ったこともなかったのですが、小田原の「ういろう本舗」、お江戸は押上の「お城の森八」と並び称される天守型店舗のひとつ、ミニ松代城とも称される街の名物建築「青翰堂」をたまには真面目に撮ってみようかと思い、通りを行き交う車が途絶えた頃合いを見計らって、35mm端で撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、お城に続く通りを真っすぐ歩いて行くと外濠を跨ぐ橋の手前に来て、どうやら観光目的の区画整理を大規模に進めているらしく、橋の手前からの視界で、天守閣を遮るけしからん位置に建っていた、蕎麦屋と不動産屋?が立ち退き、濠自体も土手というか水面に接する石垣廻りを修理していて、これは楽しみだと内濠のところまで進み、中に入る前に好天の澄んだ空気の元、凛と聳え立つ美しい姿に見とれてほぼ一周しながら撮っていたうちの最も絵葉書向き、ないしインスタ映えしそうな、赤い埋橋手前からのもの。

三枚目のカットですが、いつまでも外観に見とれているのも何なので、さっそく、人類の宝とも言えるような、貴重で美しい天守内に入ってみようと思い、同じ復元でも小田原城の石垣と漆喰塀の組み合わせとはまた異なる、やはり、天守のデザインに揃えたのでしょうか、石垣の上に漆黒の下見板張りの土塀が張り巡らされた本丸への唯一のアプローチルートである黒門とその周辺を一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、さっそく門の裏側にある券売窓口で入場券など買い求め、逸る心を抑えながら、本丸エリアに足を踏み入れると、天守の方角から、藩の重役の恰好をした方と、足軽兼忍びの者の恰好をした方が談笑しながら歩いてきたので、ははぁ、ランチ休憩に戻ってきた、「もてなし隊」の面々だな、と気付き、これまで毎回、誰かしらに会って、撮らせて貰っていたので、来意を告げ、ポーズを撮って貰ったもの。

五枚目のカットですが、今回も、幾人かのグループ毎に区切っての登城となり、それほど待ちはしませんでしたが、ほぼ1年3カ月ぶりの登城なので胸の高鳴りは抑えようもなく、RC造による外観復元の天守は外から見るのが主であって、中に入ってしまえば、上に行くに従い、狭くなることから、何とも使い前の悪い博物館のビルでしかないのですが、姫路城と松本城の両雄に連なる現存天守、櫓は、創建当時からの建築様式、技術、そして古材がそのままの形で遺され、それらを至近距離で観察出来るからこその価値であり、映えなどを超越した存在価値があることから、有難く一階の佇まいを一枚頂いてみたもの。

六枚目のカットですが、これも江戸時代のお城勤めの、しかも天守に登れるのはそれなりの役付き、即ち、家柄に産まれていなければ一生縁のないイベントだったのですが、明治のご維新後、無用の長物、いや、封建時代の忌まわしき過去の産物として破壊され、木材は竈の焚きつけや、釘や鎹などは故鉄として、市中に散らばり、写真の中の記憶としてしか目にすることはなかったかもしれないこの御年400年の天守をこうして様々な角度から堪能出来る喜びを噛みしめ、二階の窓から、増築部の月見櫓側面を撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、三階は入母屋造りの屋根裏スペ-スにつき、階段から眺めるだけ、四階、五階と梯子の如き、急な階段を登っていくと、最上階の六階に到達するのですが、ここも姫路城や彦根城、松江城などと同様、屋根裏の小屋組の構造がよく見てとれるよう、天井板が嵌められておらず、特に面白いのが、姫路城が「刑部姫」、小田原城がRC造の外観復元にも関わらず「摩利支天」を祀っているのと同様、城主の戸田氏の信仰した「二十六夜神」という神様が祀られており、注連縄とお札が梁の一番高い位置に掲げられていたので、有難く一枚頂いてみたもの。

八枚目のカットですが、登城するたびに新たな気付きを与えてくれる松本城天守を下城し、駅までの移動途中に何か気の利いたものでも食べてから、もうひとつの目的地、前回は夏の暑い盛りに訪問した下諏訪駅から徒歩10分程度の場所に建つ、高島城の外観復元天守を訪問しようと考えていたので、チェーン店のファミレスは論外、観光地価格剥き出しのボッタクリに近い蕎麦屋などもパスして、那覇より安い沖縄料理をランチで出しているお店でエビのガーリック焼など頂いてから駅に到着、篠ノ井線で到着した下諏訪駅からそぞろ歩きで到着した、お濠も半分氷に覆われている諏訪城の冬景色を一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、半分以上氷に覆われたお濠に掛かる半木製の橋を渡り、いかつい石垣をえぐって作られた逆カップ型の間隙の上を差し渡して造られていた、これは木造復元なのですが、まごうことなき櫓門形式にも関わらず、何故か、同心屋敷に設けられている、簡易かつ、格式の一番低い「冠木門」と名づけられた謎の門を潜り、午後の陽光が燦燦と降り注ぐ時刻にも関わらず、外のお濠同様、本丸内の池なども多くが氷結していて、その冷えて澄んだ空気のもと、登城前に復元天守の全景を撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、夕刻まで高島城とあちこちに昔からの醸造業が点在する下諏訪の街並みを堪能し、再び、下諏訪駅から電車に乗って松本に戻り、宿に戻る前にお城近くの洋菓子店兼カフェでゆったりと陽が沈むまでお茶を楽しみ、いったん宿に戻ってから暫し休憩、夜の帳が降りてきた頃合いを見計らって、カメラ持って晩飯に出掛け、前回もお邪魔した街の老舗洋食店で味噌風味のポークソテー定食など頂き、しかるのち、ライトアップされたお城に足を運び、内堀越しに、天守の美しい夜の佇まいを一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、翌日は午後のバスで帰京することになっていたので、ランチを含め実質、14時過ぎまでしか持ち時間が残されておらず、前日はあえてスルーしていた城下町界隈、具体的には、白壁造りの土蔵っぽい店舗が建ち並ぶ中町通りと、観光客目当ての小規模な土産物店や軽食店が建ち並ぶ縄手通り界隈を流して、ランチののち、大規模な保存修理工事途上の「開智学校」の様子を見ておこうと思い、まずは中町通り入口付近の南天の実越しに通りの様子を一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、中町通りは白壁造りの店舗を並べることで、松本城目当ての観光客の回遊誘致を狙っているのですが、そのコンセプトのためか、通りのそこかしこに、なかなかマニアックな小道具が散りばめられており、ふと民芸品店の軒先に目をやれば、もはや築地場外にだった残存していないような古いロッドタイプの前後ブレーキを装備した古めかしい赤自転車が置かれており、しかもそれが郵便配達用だったと判り、面白半分に一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、同じく中町商店街を歩いていると、古風な佇まいの商家をリノベしたインテリア・雑貨系のお店があちこちに出ていて、その中の軒が通りに大きく張り出していて、その軒先にガラス細工やら、さるぼぼみたいな信濃国のイメージに合った品物を吊るして展示販売しており、これが撮る角度を工夫すれば、通りの様子をボカして撮ることも出来ますし、今回のように店内を背景にすればデスプレイのLED白熱電球を点光源としてバブルボケで写し込むことが出来るというもの。

十四枚目のカットですが、まさにこれがα7cでの撮影の真骨頂であって、M(TIPO240)とかX系列、或いは同じαでも背面LCD固定型のRⅡでは絶対マネ出来ない芸当で、中町通りより二本ほどお城よりの観光スポットである繩手通りの西の端近くで、広角端の被写界深度の広さと背面LCDの角度を変えてのモニタリングでチャンスを待って、家族連れが通り過ぎた瞬間を待ってシャッター切ったもの。

十五枚目のカットですが、繩手通りもひととおり撮り終え、ランチ前の大仕事は、前回は工事中の足場だの仮設に覆われて、その特徴的な外観が殆ど見えなかった、松本市のもう一方の国宝、「開智学校」の擬洋風建築に分類される外観が殆ど見えるようになっているとの情報があったので、今だ外から眺めるだけではあるものの、かつての正門ド真ん前から、再会を期して、札幌時計台にも通じる洒脱な文明開化時代の建物の佇まいを一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、二日間、丸々、Canonの誇るN-FD20-35mmf3.5Lのみで朝昼晩、撮りまくりましたが、レンズ単体ではガラスがぎっちり詰まった金属鏡胴ということもあり、そこそこの持ち重みはするのですが、21mm、28mm、35mmのf3.5の非球面レンズ採用の単焦点を3本持つのと重みはさほど変わらず、交換しない分だけ、シャッターチャンスも逃しにくくなりますし、四六時中、撮像素子丸裸ん坊のミラーレスでの出先での撮影で、ロングデスタンスの撮影が無いケースでは、ボケも結構大胆に出るし、これと明るい50mmとコンパクトな75mmでもあれば十分ではと思いました。
さて次回こそ、デッドストックの国産オールドズームの試写発表出来るかな?乞うご期待!!
- 2023/07/30(日) 16:12:25|
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さて、今回の更新は、岡山滞在二日目の重要目的地である「閑谷学校」、そしてその翌日は朝から四国に渡って、高松城、丸亀城と回り、最終日にフライトの時間ぎりぎりまで宿から目と鼻の先にある「後楽園」を初めて探訪した様子をお送りしたいと思います。
まずは恒例の簡単な行程のおさらいですが、滞在二日目の朝から午後イチまで滞在していた津山市と備前市の山中にある閑谷学校とは、同じ岡山県といえど、ちょうど、八王子辺りと西葛西くらいの位置と距離の関係のようなので、いったん岡山駅まで戻り、そして山陽本線の各停列車で最寄駅まで移動し、そこから、また市のコミュニティバスのような一時間に一本どことか、日に数本しかない交通手段で何とか往きの最終便、帰りの最終便で見学して最寄り駅まで戻り、翌朝はまた少々早起きして、瀬戸内海を渡り、香川県内の丸亀城、高松城をハシゴし、最終日はフライトまでの時間、宿から至近の後楽園を堪能し、また岡山城に寄って、暇乞いをして、江戸に戻ってきたという次第。
では、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、津山の城下町を早足で駅に向かい、岡山方面の列車に乗って、岡山駅で山陽本線の上り電車に乗り換え、30分強で最寄駅に到着、駅前から市の委託業務というマイクロバスに乗って、15分ほどで山間の開けた場所にあるバス停で下ろされ、そこから歩いて3分ほどで到着した閑谷学校の全貌を足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、受付で入場料を支払い、閉場時間とバスの最終便の時刻について、受付の方から念押しをされ、ここでも津山の城下町探訪同様、時計と睨めっこの見学となったのですが、何せ、日本最古のタイトルこそ、実家の近所の足利学校が押さえていますが、現存する建物としては、水戸の弘道館や山形、大分の致道館などより、100年近く前の元禄年間に完成したという入母屋造りに備前焼の瓦がとても美しい閑谷学校本館の佇まいをベストと思われるアングルから一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、ここ閑谷学校は大規模で堅牢な木造書院造りの躯体に赤褐色を基調としたモザイク状の瓦屋根を載せた建物に注目されがちですが、実はその敷地内に設けられた、日本国内の構築物とはちょっと思えない、曲面を基調とした切込接乱積みの石垣も見事で、その特徴が一番判るアングルから撮ったもので、帰ってから調べたら、それもそのはず、300年以上経っても、全く崩れたりもせず、当初の姿を保つ、この力強く、美しい石垣は、国の重要文化財指定を受けていたということでした。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、閑谷学校の本館はもちろん、内部を公開していて、とはいっても、観光客が足を踏み入れられるのは、外周部の廊下、天守閣で言うところの武者走りの相当する部分のみで、そこから、内部に位置する当時の教室の様子を眺めることが出来るのですが、藩校とはいえ、お殿様の肝いりで設置され、時折、お殿様自身も学びに来たり、家臣や有力農町民の学ぶ様子を視察にやって来たりということなので、御殿同様の凝った造作になっており、書院造の典型的な装飾である、釣鐘型のシルエットを持つ華頭窓が設けられていたのに感心し、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、同じく本館の廊下から覗いた閑谷学校の心臓部である講堂で、まず目に留まったのが、ピカピカの床板が張り巡らされて床面ですが、これは近年張り替えられたものでしょうが、柱や梁については、これまで国内で内部を見学してきた現存12天守や三階、二階を含めた櫓、御殿に使われてきたものと同様の、欅の木の太い無垢材が当時のまま遺されており、華頭窓から射し込む夕方近くの外光に照らされて、厳かな学問の場、という佇まいを見せていたので、一礼してから一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、翌朝、少々早起きし、駅からはやや遠いお城下のホテルから岡山駅に市電で移動し、10時前の瀬戸大橋線のマリンライナで小一時間かけて、まずは丸亀に向かい、駅からも見える山の上の可愛い天守閣を目指しててくてく歩き、商店街を抜けて、お城の表玄関である大手二の門とその右手側の直角の位置に建ち内桝形虎口を形成していた一の門越しに山頂の可愛い天守の姿を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、同じく丸亀城の表玄関である高麗門形式の二の門を通り抜けた内桝形虎口の内側に位置し、郭の防衛の第一関門である虎口の広場に溜まった敵兵に弓矢や鉄砲玉を上から浴びせかける目的で作られた、櫓門形式の大手一の門の偉容を桝形の内側で足を止め一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、立派な現存遺構である大手一の門を潜り抜け、左手方向、即ち本丸の位置する山へと続く石垣沿いの道を目指して歩いていくと、まず一番最初の坂を登り切って、右折する手前の高石垣の麓で、先ほどまでやっていた、ローカルイベントである、斜面駆け上がり競争の実況をやっていたと思しき、地元マスコミのレポーター或いは、アナウンサーの女性が、総括のアナウンスをしていたようなので、石垣の大きさを判り易くするめため、エキストラ出演願ったもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、高石垣をぐるっと回る坂道を登り切ると本丸があった山頂部は、意外と広い開放感のある空間となっていますが、かつては四隅に隅櫓が建てられ、それを土塀で結んだ空間となっていて、山麓から攻め込んで来た敵勢に対し、徹底抗戦し得るような、まさに山上の要塞そのものだったのですが、今も唯一残る、1660年に建てられた「御三階」という奇しくも弘前城と同様のニックネームを持つ、可愛い層塔型三層三階の天守の姿を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、天守閣の内部を隅々まで見学し尽くした後、丸亀駅前まで徒歩で戻り、時間的にランチタイムも終盤にかかり、かつ、次なる目的地の高松は駅の周辺でのランチはそれほど期待できないので、丸亀うどんの本拠地である丸亀で名物のうどんを食べようと駅の観光案内所で聞いたお店で30分以上かけて並んで食べたうどんはそれほどでもなく、再び電車に乗って30分ほどの高松駅から徒歩で5分もかからない高松城にて、前回来た時にはまだ竣工前だった「桜御門」の雄姿を真正面から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、前回、日本城郭検定一級を11年かけて取得したという年配のボランティア説明員の方との再会を期して、この高松城址の中で数少ない現存建造物である水手御門と渡櫓、そして月見櫓が一体となった場所に向かったところ、あいにく、長期の保存修理の工事中で、仕方なく、もうひとつの現存建造物である、旧二の丸艮櫓改め、巽櫓、即ち90度向きを買えて今の位置に移築された袴型の石落としも美しい三重櫓の雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、翌朝は岡山滞在の最終日で、短いフライト時間と極めて良好な空港までのアクセスを考慮し、午後の遅い時間のフライトとしていたので、10時のチャッカウト後、宿に荷物を預かって貰い、すぐ目と鼻の先・・・のはずが、正規の入城門まで徒歩で10分近くかけ、初の後楽園入場を果たし、後楽園愛好家の方には申し訳ないと思いつつ、まずは望遠につけかえ、庭園越しの岡山城の漆黒の雄姿を裏側から捉えてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、ここ後楽園の見どころのひとつ、延養亭という建造物で、後楽園のHPによれば、17世紀の末に藩主池田綱政が家臣に命じてここ後楽園の建設に当たって、いの一番の誂えさせたのがこの建物で、主に藩主の静養や賓客の接待、儒学者のご進講などに使われた、いわば藩主のプライベートハウス、或いは別荘といっても良い瀟洒な建物だったのですが、撮影当時はそんな由来を知るまでもなく、建物の造形と池との絶妙の配置に心惹かれ一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、同じく後楽園の中の見どころの中で、特に夏は見学者が引きも切らない、流店という建物ですが、思えば、エアコンの無い江戸時代には、如何にも涼しさを追求した結果、こういった四方開け放ちで中には流水という趣向の風流ながら実利的な構造が広大な庭園の中に設けられ、往時はお殿様をはじめ限られたやんごとなき方々が庭巡りのさなか、一抹の涼を求めて、こちらに立ち寄ったと思うと、とても優雅に思え、全景を一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、そろそろ、遅めのランチを摂る前提で宿に荷物を引き取りに戻る頃合いとなったので、芝生あり、池あり、せせらぎありの、風雅な三名園のうち、一番西に位置し、最も温暖な環境の、庭のみならず、建物も非常に興味深い、ここ後楽園を後にすべく、園内で最大の池の廻りを巡って、お城側の出口から出ようと歩き出してまもなく、太陽と雲の競演を水面が華麗に映し出していたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5による絞り開放AE撮影となります。
今回の感想ですが、やはり、気ままな旅には、カメラは軽快なのが最高、となったら、もちろん、レンズだけ借り物みたいに巨大なのは本末転倒主従逆転そのものの図ですから、レンズを選ぶのも軽くて写りが良いものに手が伸びてしまうのは仕方がないことだと思いましたが、今回はいつもの四番打者Elmarit28mmf2.8ではなく、LeicaMデジタルで使おうとするとどうしても周辺が光量ダウン、或いはシアン被りしてしまうこともあり、手が伸びなかったのですが、裏面照射型CMOS搭載のα7cでは、電気的な補正もあるのかも知れませんが、一緒に持ち出したSW-Heliar15mmf4.5同様、周辺までナチュラルに写り、旅写真の面白味が広がったのでは、と思った次第。
さて、来週は久々、というか新型コロナによる"鎖国"解消以来の初台湾で一周お休みさせて頂きます、その次は、30年前の新品市販レンズが出てきたので、その実力や如何に?をレポートしたいと思います、乞うご期待!!
- 2023/07/09(日) 22:44:23|
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さて、今回の更新は、’23年の年明け早々にクラシックレンズ達と訪れた瀬戸内界隈ツアーから二回に亘ってお送りする一回目をご紹介したいと思います。
まずは簡単な行程紹介ですが、1/6の土曜日の朝10時台の便で岡山空港経由、市内に入り、バスのターミナルある駅前から市電で10分ほどのお城の目の前の宿に荷物だけ置かせて貰って、さっそく令和の大修繕から上がったばかりの漆黒に金色金物がアクセントの岡山城を外部から堪能、しかるのち、最終登城時間を睨んで、山陽本線で福山まで移動し、喜劇駅前天守閣の二つ名を持つ?福山城を訪問し、ここも岡山城に遅れること3カ月でリニュアルオープンしたてのまっさらな天守に登り、しかるのち、RC造の復元天守よりも数倍価値のある、江戸初期からの現存遺構である、伏見櫓、鐘櫓を外部から見学し、翌日は朝から津山市に出掛けて、津山城址とその城下町を探訪し、実はまだそのあと、電車とバスを乗り継ぎ、ここも前日の福山城同様、滑り込みセーフで国の重文である「閑谷学校」を見学してきたのですが、閑谷学校編は二回目でご紹介致します。
では、前半二日間のメイン部分の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、宿からお城へのアプローチ路は幾つかあるのですが、まずは、正規の登城ルートであり、福山城同様、太平洋戦争で焼け落ちた天守に代わって、江戸時代からずっとこの城跡を見守ってきた「月見櫓」の下を通って、天守のある本丸へと入るルートを辿ることとしたのですが、公園の木立の間を縫う道を通り、視界の開けたところで高石垣の上に聳え立つお城の裏側が、見えてきたので足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、石垣の間に建てられた「廊下門」下を潜り抜けると、広々とした本丸となり、ここに唯一残る現存建造物が、「月見櫓」なのですが、これがなかなかの曲者で、通常は松本城のそれがお殿様の遊興目的で作られた、防禦ないし、攻撃目的とはほど遠い、それこそどこから見ても神社の神楽殿のような開放的な造りなのですが、場外からは、他の隅櫓同様、石落しは有るわ、火縄銃の排煙用と思しき高い位置の窓はあるわ、の戦のための施設そのものの様相を呈し、建物の構造も、外からは破風が付いた入母屋造り一階の上に望楼が載っかった二階建て望楼型、中からは、寄棟造りの屋根を付けた三階建ての層塔型に見えるという、摩訶不思議な建物なのです。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、「月見櫓」が建ち、宇喜田時代の古い石垣が土中に遺された姿を観察できる施設が二か所ほどある広場から、更に「不明門」を潜り抜けると、そこは天守曲輪とも云える、更に一段高い場所になっているのですが、まさにここが、今回復元工事を終えた新生・岡山城天守の向こう正面で、巨大な入母屋造りの屋根を持つ漆黒の書院造りの建物の屋根の中腹から更に三階の望楼が生えてきていて、巨大な屋根の内側には更にもう一階層とれたので、都合、六階建てになったという初期の望楼型の構造が良く見てとれるアングルではないかと思いました。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、無事、岡山城との初対面を済ませ、続いての訪問予定地、新生・福山城へ向かい、何せ、明治のご維新後、旧城郭の二の丸のお堀跡に山陽本線の線路を通し、海側に駅舎を作ってしまったという、まさに今の駅チカ或いは、高度成長期時代の喜劇駅前シリーズを先取りしたお城で、残念ながら、山陽道の名城と名高かった天守閣は太平洋戦争終戦一週間前の8/8に空襲で焼けてしまい、岡山城同様、市民の寄付などにより1966年RC造で復元され、この度、岡山城同様、令和の大改修を終え、昨年10月に再オープンしたため、是非再々訪したいと思い登城の途中で撮った、点灯前の登城ルート上のガス灯。

五枚目のカットですが、ここ福山は古来より山陽道の交通の要衝であり続け、築城者の水野勝成も徳川家康の従妹、即ち生母、於大の方の末弟であったこともあり、親藩として幕府の信頼も厚く、たった10万石ながら、築城当時の池田氏時代の姫路藩52万石にも十分匹敵するような巨大城郭を建てたのは、幕府からのヒト、モノ、カネの援助があったからであり、その目に見える遺構が、ここ家康が関ケ原の戦い以降に復興した伏見城から移築された、その名も「伏見櫓」であり、RC造の天守の入院中も健気に名城跡を守っていたその気高い外観を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、ここ福山城址は、その巨大な郭の殆どが、明治以降に鉄道開通、海側の市街地開発等々で失われ、残っているのは、天守が建つ本丸周辺のごく一部なのですが、それでも、他の城郭にはないユニークな遺構が数々発見されており、先の「伏見櫓」同時に移築された「筋鉄門」、そしてここ、何故か、湯屋が本丸石垣の外に迫り出していて、それを支柱で支えるという、清水寺本堂舞台の如き、懸造りとなっているので、その特徴が判るよう、漆喰塀ギリギリで一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、この日は運が良いと云うか、悪いと云うか、たまたまヘンテコな有料開催イベントに当たってしまっていて、日没後、城内の本丸広場一杯に卵状のオブジェを設置していて、それを内部に仕込んだLEDだかOELだかを光源として、テーマに沿って、BGMとともに刻々と色調、照度を変えていくという類いの芸術的イベントを行うということで、17時かっきりに城内から放逐されるということで、急いで天守の全景を撮って、登城したもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、これも、おそらく、現存は云うまでもなく、歴史的資料を探っても他に例がない、天守北面の鉄板張りの外壁の様子ですが、これは、濠や高石垣の組み合わせで、まさに鉄壁の防御ラインを敷けた東西南面に対し、北側は比較的近くに小高い丘が迫っていて、しかも天守自体が、本丸の奥まった位置に建てられていて、北面からの銃砲による攻撃には比較的弱いため、さすが大阪夏の陣の年に着工した最後の近代大型城郭だけあって、銃砲からの防禦を重視したことが判るもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、岡山入り二日目の朝に訪問した「津山城」唯一の復元遺構、「備中櫓」の全景を最大限に撮ろうと、お城の建つ小高い山の石段を登りながら探していたら、ちょうど、天守台の石垣の残る本丸に繋がる石垣沿いの坂道の麓辺りが35mmレンズで画角的にしっくりきそうだったので、登るのを一時中断し、下から見上げるアングルで、2005年に復元し、まだ白亜の漆喰の外観も美しい櫓の外から見た外観を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、この「津山城」、本能寺の変で主君、織田信長とともに横死したという森蘭丸の末弟である「森忠政」が築いた城で、1616年に竣工した時には、郭内には4重5階地下1階の大型天守と77棟の櫓を含め80数棟の建造物が山の頂き付近に建ち並ぶ、それは勇壮な城郭だったのですが、明治6年の廃条例で悉く破却され、平成になってから、先ほどの「備中櫓」と周囲の漆喰塀が木造復元されたものの、天守台付近は明治以降のままの姿で遺されているので、立派な廃墟感を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、やっと今回の「津山城」訪問のメインディッシュ、「備中櫓」への登城、内部見学ということで、中に入ってしまうと全景はもちろん撮れないので、撮ろうとしたら、クリアランスが十分とれず、35mmだと建物全体が収め切れなかったので、入館前に28mmに交換し、前日の岡山城の「月見櫓」同様、外からはマッチョな戦闘施設、内側からは、普通に縁側と障子戸があるという武家屋敷の如き佇まいの「備中櫓」の城内からの全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、これがまさに和戦両様の「備中櫓」の本質を現す内部の佇まいで、普通の武家屋敷、しかも上質な木材を使用し、床には畳が敷かれていることから、かなり身分の高い藩士も滞在することを想定した瀟洒な座敷の造りなのですが、よく見てみると、城外に面した壁には、かなり大き目な、それこそ大筒でも撃ち下ろせそうな狭間が両コーナーに穿たれており、そのコーナーから内側に向かって一本めの柱の根元にも同様に狭間が設けられており、平時には城中の屋敷の一部として使用し、戦時には他の隅櫓同様迫りくる敵を銃撃する設備だったことが判るアングルで撮ってみたもの。。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、著名城郭研究者の先生によれば、天守と櫓は似て非なるもので、天守は、木材に檜や杉を多用し加工も上等で、居住性も追求した武家屋敷に準じた造作になっているのですが、櫓は戦闘用の施設につき、中の木材は、ひん曲がっていようと、節があろうとお構いなしで、木材も松や欅などの低級な木材で、強度のみ追求した構造材でしかなく、それ以上に天守は比較的、外光を採り入れられるような窓などの配置になっているのに、櫓は、一般的には最小限の外部を観察する格子窓、銃や弓を撃つ狭間や石落としという銃眼に相当する設備があるのみの薄暗い、それこそ土蔵のような場所なのですが、ここ津山城の「備中櫓」には、なんとお殿様をお迎えするような一段高い御座所も有ったことに感心して一枚撮ってみたもの。。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、「備中櫓」の内部を隅々まで見学し、係りの方には、また天守でも復元したら寄らせて貰います、などと、いつになるとも判らない暇乞いをして、次の目標の「閑谷学校」への移動の時間、から逆算し、食事もこの近辺で食べておかなければならなかったので、係りの方に教えて頂いた武家屋敷街か町人町通りである城東街並み保存地区の方が駅への戻りを考えたら近いことが判ったので、ここを散策しながら食堂を探すこととし、城の下、東側の橋を渡ってすぐの街並みに足を踏み入れてすぐに全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、街並みの真ん中よりちょっと行った辺りに、自衛官を引退された初老の男性が営まれている居酒屋兼食堂在ったので、ラーメンと叉焼丼という手作りで真心のこもったランチを頂き、もうちょっとご店主と話をしたしたかったのですが、次の予定が控えていて、電車に一本乗り遅れると、半日の予定を丸々ロスしてしまうので、再会を記して、ご主人とは別れ、奥の方をちょっと見てから駅に引き返そうと歩き出してすぐに見つけた、老舗と思しき造り酒屋の建物に囲まれた路地の様子を一枚撮ってみたもの。
さて次週は、岡山滞在二日目の重要目的地である「閑谷学校」、そしてその翌日は朝から四国に渡って、高松城、丸亀城と回り、最終日にフライトの時間ぎりぎりまで宿
から目と鼻の先にある「後楽園」を初めて探訪した様子をお送りしたいと思います、乞うご期待!!
- 2023/07/02(日) 13:31:44|
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さて、今回の更新は、「どうする家康!?」で盛り上がる前の東海道沿いのお城探訪の前回の積み残し分探訪をレポート致します。
まずは恒例の行程のレビューですが、11月に奉公先でどうしても外せない休日勤務があって、上司から絶対に年内に代休取って下さいよ!と厳命され、さりとて12/28に休んでもあんまり意味が無かったので、その二週前の月曜日を代休日として即席三連休に仕立てて、12/17~18にかけて、前回の東海道沿いツア-でどうしても見たかったものの、新幹線の時間の制約で寄れなかった、豊橋市の吉田城を皮切りに、11月まで工事中でリニュアルしたての浜松城を訪問、その後在来線で移動し、掛川で一泊して、まだ工事延長の掛川城はスキップし、翌朝はまたしても在来線で三島へ移動、ランチ後、山中城探訪、そして在来線で移動後、小田原に投宿し、翌朝は後北条家の土塁のお城、古小田原城とも言える小峯御鐘之台大堀切跡を探訪ののち、市内をささっと撮って、名物、国登録指定文化財の「だるま」で食事して帰京したというのがおおざっぱな流れです。
では、さっそく、三日間の足跡を実写結果で辿って参りましょう。

まず一枚目のカットですが、30代前半の頃、2年間、名古屋市内に居住し、仕事で豊橋も何十回も来ていたのですが、ほぼ毎回、商社や特約店のスタッフの運転する車で、用向きのある場所まで移動したら、そのまま名古屋に戻るか、駅まで送って貰って、そこから新幹線で名古屋市内を含む次の目的地に移動する、という関わりしかなかったので、市内にこんな立派な復元櫓があるとはつい数年前まで全く気付かず、前回の福井からスタートして名古屋経由のお城探訪ツアーに組み入れていたものの、見送らざるを得なかった「吉田城鉄櫓」との涙の対面の図。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、今回の吉田城訪問に辺り、裏手が、かなり大きい流れであり、戦国~江戸期は水濠の代わりを果たしたと想像できる豊川沿いの崖に築いた高石垣の上に鎮座まします、古風な望楼型の三層三階建ての櫓は、たとえRC造の外観復元建造物ではあっても、纏っている雰囲気はまさしく、戦国時代に織田信長も立ち寄り、幾度かの決戦にも登場し、姫路城を現在の姿に改築した池田輝政公の美意識そのもので、また、この構図は同じく東海地方にある現存天守、「白帝城」と呼ばれる犬山城にも何となく似ているカンジがしたので、構図を工夫して撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、吉田城の内外の見学、そして豊川対岸からの撮影を無事終え、豊橋公園前から再びバスに乗って、豊橋駅に移動、そこから、ケチって在来線で40分弱の位置にある浜松まで移動、駅中で適当に寿司屋に入って、ランチなど頂いたのち、時折、降りつける雨に傘を広げながら、前回の記憶を辿って、市役所裏の真っ黒い外観が目印の浜松城を目指し歩き、市役所駐車場手前で視界が開けたので、望遠で天守門ごと一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、市役所裏の駐車場北の上り坂を登っていった突当りが即ち、浜松城の天守曲輪への通路入口となっていて、戦国時代からの城郭建築のセオリーである、街道から本丸ないし天守への動線には必ず、直角ないし、鋭角の曲がり角を複数用意しておく、の通り、市役所裏からの登城口から二回、直角に曲がるので、大人数の軍勢で攻め入ろうとすると当然勢いが削がれ、それを櫓や石垣の上の塀に設けられた銃眼「狭間」から矢や鉄砲を射掛けられて、死傷者多数となるよう設計されていて、やっと天守曲輪への入口、天守門前に出るので、野面積の石垣に聳えるその雄姿を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、平成の御世になってから木造復元された天守門を潜り抜けると、そこは漆黒に塗られた下見板張りの三層三階地下一階のRC造の模擬天守閣が堀尾吉晴時代のものと思われる野面積みのワイルドな佇まいの比較的大きめの天守台石垣の3/2程度に建てられているので、登ってきたアングルから見るとそうでもないのですが、南方面から見ると、石垣にはだぶつき感がはっきり感じられ、ちょっと違和感を感じる一枚。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、この日は浜松城の後は、掛川駅前の宿に泊まるだけのスケジュールだったので、比較的ゆっくりと天守曲輪周辺の石垣などを検分していたのですが、前回来た時には急いでいたために、おそらくは見落としてしまっていた、壮年時代の徳川家康公の銅像を発見、しかも、工夫すれば、角度的に天守門、模擬天守とも一枚に収められることから、かなりのローアングルから撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、浜松城の後に移動した掛川の街では、前日、豊橋まで移動する新幹線の車窓から、まだ工事が完了していないことを把握していましたが、今更、掛川の宿をキャンセルして三島か沼津辺りに取り直すわけにも行かないので、仕方なく、真っ黒なお城が見下ろす駅前の宿に投宿、翌日は朝食もそこそこに駅まで向かい、在来線で三島まで移動、ちょっと速めのランチを駅前の寿司屋で頂いてから、山中城址前を通る元箱根港往きのバスに乗って30分弱で登城口へ到達してから、歩くこと10分ちょいで、全国的にも稀有な「障子堀」の下に到達、この日は前日と打って変わって佳き天気だったので、堀と富士山のツーショットを楽しんだもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、ここ山中城址も、砦全体が障子堀で護られていたということでもなく、通常の空堀や、簡易版の障子堀とも言えなくもない、堀の長手方向分割線だけある畝堀などを効果的に組み合わせて来るべき、秀吉連合軍の巨大な兵力に備えていたのですが、3千人程度の守備兵が守る未完成の山岳要塞は6万8千人という実に約23倍もの大兵力に攻められ、熾烈な戦闘の挙句、数時間で落城してしまったという悲劇の城ですが、その中枢部を守っていた見事な障子堀の雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、無事、山中城址探訪を終え、また在来線で小田原に移動し、駅からお城の途中の「お濠端通り」に面したビジネスホテルにチェッキン、翌日は9時半過ぎに宿を出て、駅前でモーニングなどを頂いたのち、念願の小田原古城こと小峯御鐘之台大堀切跡まで徒歩で移動することとし、まずはお城の東から南側を通って、遺構にアプローチする遠回りコースを採ったのですが、途中、旧東海道に面した国登録文化財の割烹料理店「だるま」の立派な玄関廻りの様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、本当は、大尾切跡への道は、駅の北口から八幡山方面へ抜けるルートで、小田原高校横へとつながる長い階段のある坂道を通れば、距離的には半分以下だったのですが、お城の横をなぞっていくルートの方がスナップには都合よかったので、あえて遠回りをしたのですが、特に小田原城天守閣の影武者とも云える「ういろう本店」のなんちゃって天守を青空をバックに撮りたかったので、このルートを採ったのですが、改めて、青い空に白い漆喰の外観はなかなか美しい、と感心しながら一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、実はこの「ういろう本店」界隈は午前中でしかも天気の良い時に来たことはなく、その斜め向いに、小田原の誇る偉人「二宮金次郎」の可愛い銅像が建てられていたこともあまり記憶になく、引退した箱根電車の
車両のみ覚えていたのですが、こうして天気の良い朝方に来てみると「電車通学する二宮君」みたいな構図で写真が撮れることに気づき、さっそく一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、お城の南側をぐるっと回り、蓮池、二宮神社前を通り過ぎ、このまま宇宙まで続きそうなだらだら坂に面した競輪場、相洋高校を通り過ぎて、庭球場や、城山公園などを通って、途中、案内板を見失いそうになるアクシデントにも見舞われつつ、小一時間かけて、なんとか、大堀切跡の入口まで辿り着き、まずは、その大きさを感じ撮れるような位置から、後北条氏の築城の粋を集めた壮大な遺構の佇まいを一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、無事、念願の後北条氏の築いた、対秀吉戦の防衛設備の遺構を堪能し、後は、ランチを「だるま」で頂いてのち、大久保氏が築いた近代城郭の方のお城をちょこちょこっと見て撮って、しかるのち、駅ビル6階の「カフェラミル」でお茶とスィーツを楽しんでから、在来線でお江戸に戻るだけなので、小田原高校横の近道を下ってきて、搦め手に当たる北の登城口から本丸にアプローチし、いつ見ても惚れ惚れする関東きっての名城、小田原城のRC復興天守の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、中に入ろうかとも思ったのですが、お茶したい気持ちが勝り、後ろ髪引かれる思いで、壮大かつ美しい層塔型三層四階建ての白亜の天守に再会を約し、本丸を下り、通常の登城ルートである、常盤木門、銅門、そして馬出門という退城したのですが、その途中、典型的な内桝口虎口を復元した銅門虎口をお濠側から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、これも平成の御世になってからの復元ということですが、正規の登城口の第一関門の当たる場所で、外濠を挟んで、外部とは土橋で繋がっており、その間に塀で囲まれた広場、即ち侵入した敵への防御施設である桝形虎口を形成しているのですが、この門自体の構造が、門の最終進化形である高麗門という形式になっていて、さすが幕府が街道の要所に築き、選り抜いた親藩を配置したと思わせる格式だったので、特徴がよく判る位置から一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、やっぱり、お城はクラシックレンズで撮るのが一番しっくり来ますね、しかも、色々意見はありますが、やはり日本人の心の原風景だけあるので、日本晴れでの撮影が一番ではないかと。
さて、来週は、田舎へ車検上がりの愛車を引き取りに出向きますので一週スキップ、その翌週は何とか21mmf1.5のご紹介出来るよう頑張ります、乞うご期待!!
- 2023/06/11(日) 18:50:24|
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さて、今回の更新は、前回に引き続き、北陸ツアー後編、金沢での英国製クラシックレンズ大暴れの様子をレポート致します。
当日は、朝、駅至近の宿を10時前に出て、金沢観光定番の市内バス一日乗車券を買い求め、まずは向かった先が、歴代の前田公が祀られている尾山神社、そこから、まずは犀川の対岸にある、ジブリ風の三階建ての木造割烹を撮りに向かい、それから、また東側に戻り、ランチまでと時間を決めて長町の武家屋敷界隈を撮り歩き、しかるのち、21世紀美術館経由、ポールボキューズ金沢でのランチを挟み、いもり堀手前のしいのき緑地公園でイベント撮影し、城内、兼六園と撮影し、夕刻まで主計街茶屋街、ひがし茶屋街と撮って一日のスケジュールを終えたという次第。
では、11月5日当日、朝からの行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズはCooke Sppedpanchro28mmf2.0mod.Mによる全コマ絞り開放AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、市内循環バスを降りて大通りを直進し、左に曲がると、すぐ目の前に見慣れた国指定重文の尾山神社神門、これは、見た目よりも比較的新しく、明治8年に建てられたもので、加賀藩を象徴する戸室石のアーチと木造構造体に銅板外装となっているもので、丁度、前に観光客が立ちふさがったところで、一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、無事、尾山神社にお参りをして、普段ならそのまま奥に抜けて鼠多門橋経由、玉泉院庭園、三十間長屋から金沢城址公園にアプローチするところですが、そうすると、お城の下、尾山神社からは90°の方向、南側にあるレストランに着く時間が中途半端になってしまうので、いったん、100万石通りこと国道157号の大通りに出て、香林坊経由、徒歩10分ほどの犀川大橋を渡り、対岸に位置する「山錦楼」の木造建築を下から撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、無事、「山錦楼」の裏表を撮って、背面LCD撮影結果を確認、やっぱ28mmをフルサイズで使うと画角広くて助かるなぁ・・・などと周囲が相当ブラックアウトしているにも関わらず、妙に納得して、再び犀川大橋を渡って、もと来た100万石通りを香林坊方面に向かい、金沢東急ハンズのところで左手に入り、長町の武家屋敷通りに入ってまもなくの薬問屋か何かをリフォームした記念館の庭に咲くツワブキの黄色い花を至近距離で撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、ランチまでの時間を気にしながらの武家屋敷街散策ではありますが、それこそ訪問した回数は名古屋支店勤務の30年前以降、10回や20回ではきかないくらいなので、地図など見なくとも、撮影スポットは頭の中というか、暗黙知の如く、行動に沁みついており、今回も手際よく撮って回ったのですが、これぞ武家屋敷の佇まい、といったイメージの、石垣で覆われた用水に面した築地塀を撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、前回来た時に欲しいなぁ・・・とか思いつつ、カメラバッグの中がレンズでぎゅうぎゅう詰め状態で、さりとて、焼き物を割れないように新聞紙か何かで来るんだ白いビニール袋を提げての撮影継続も、本末転倒・主従逆転、旅行の趣旨にはそぐわないので、ギブアップしてしまったのでですが、今回は使うレンズのみ厳選して後は宿の大カバンに収めてきて余裕あったので、お店に向かう途中の時代掛かっった街並みを撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、京焼から招聘されて、再興九谷焼の始祖の一人になったという春日山窯の青木木米の窯跡に建つ陶磁器店でなかなか小洒落た小皿などを買い求め、このところ、那覇、萩、唐津、とあちこちで陶磁器の小品を買い求める悪癖がぶり返したなぁ・・・などとちょっと後ろめたい思いを秘めつつ、ランチを頂く、しいのき迎賓館方面へと向かうべく、100万石通りを目指して武家屋敷通りを歩きながら、なかなか清楚な雰囲気の総髪ちょんまげ頭の小姐が前に居たので、有難く一枚戴いてみたもの。

七枚目のカットですが、通りをしばらく進むと、昔は下級武士の屋敷だったところが、この令和の御世では伝統工芸を伝承する「職人大学」という施設になっていて、その庭園部分は一般に無償開放されていたのでその中に足を踏み入れてみたら、生徒さんたちが自力で設計・施工したという木造の茶室があり、ちょうどその手前に桜が紅葉していたので、至近距離から一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、同じ敷地の中を好奇心の赴くまま散策していたら、重厚な趣きの施釉瓦葺きの母屋の脇で、このところ、滅多に見かけないような、濃淡様々なオレンジ色の実をたわわに実らせた柿の木の枝が伸びてきていたのが目に留まったので、秋の薄雲の浮いた青空をバックに一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、そのお屋敷跡を出てから大通りを目指して歩いていたら、建物は殆ど残されておらず、殆ど池付きの庭園だけになってしまったような公園があったのですが、その池のほとりに、先ほどの薬種問屋跡をリフォームした記念館の庭先に咲いていたのと同じような黄色いツワブキの花が秋空を写す水面をバックに可憐に咲いていたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、香林坊のバス停から市内循環バスに乗って、21世紀美術館前で下車し、まずは金沢最古の鎮守とも言われる「石浦神社」にお参りしてのち、道の反対側にある21世紀美術館に足を踏み入れ、ランチタイムも間近、かつ、意外と入場料がお高いので、庭先のみ撮らせて頂こうと決意し、RGBの森こと「カラーアクティビティハウス」で遊ぶ若い人々の様子を一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、21世紀美術館の庭先でちゃちゃっと何枚か撮って、キブンはミシュラン星付きフレンチだったので、海鮮丼も回らないお寿司もものかわ、美術館からは目と鼻の先にある、しいのき迎賓館一階の「カフェ&ブラッスリー ポール・ボキューズ」にそそくさと移動し、至極のランチを頂いてのち、本格的な金沢場内探訪の前にレストラン目の前のしいのき緑地でやっていたイベントで、NPOか何かによる、恐竜のハード着ぐるみでじゃれていたいたいけな極小姐達の様子を一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、15時までに行かないと、重文の三十間長屋という、実質的には戦時の防衛拠点となり得べき現存多門櫓の内部を見学出来なくなってしまうので、兼六園内の撮影は雪吊中心として、急ぎ足で兼六園から金沢城への最短アプローチである石川門に到達した時、ちょうど、時代掛かった和装のカポーが追い越していったので、有難く門全体撮影にエキストラ出演願ったもの。

十三枚目のカットですが、門限の厳しい三十間長屋も無事見学出来、その後、五十間長屋から菱櫓に至るまで木造復元の建造物群の内外を存分に堪能し、次に移動するひがし茶屋街へのバスでの移動を考えると、兼六園下が一番利便性が良いので、再び石川門から出た時、お堀通りの上に位置する江戸町通りの入口付近で、小姐二名に記念撮影お当番を頼まれたので、マスクはずす代わりに距離とる条件でモデルさんになって貰ったもの。

十四枚目のカットですが、城内の撮影のお後は、釣瓶落としと言われる秋の陽が暮れかかった頃に到着した浅野川沿いの主計町茶屋街でちょこちょこと定番の撮影後、道を渡り、金沢最大の伝統的景観地区である、ひがし茶屋街で撮影開始、まずは、メインストリート入ってすぐの店舗の出入口脇に植えられていた南天の木が真っ赤な実を実らせていたので、至近距離から黄昏の街並みをバックに一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、茶屋街の奥まで撮って、さあ、宿へ戻って、装備置いてから金沢飯をディナーに食べに出る前に、どこかに寄ってお茶でもしようかなぁとか考えながらまたメインストリートの入口付近まで戻ってきたところ、声色からして学生さんのグループ旅行と思しき小姐の一個小隊がお互いにスマホンで記念撮影の撮りっこでもするのか、お互いに身だしなみの相互チェックなんかやっていた様子が面白く、しらばっくれて一枚頂いてみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、28mmf2.0のSpeedpanchroを初めてフルサイズで撮りましたが、思ったよりいメージサークル有って、使いようによっちゃ、画面の演出として効果的に使えなくもないレベルなので、実際にキャップレンズ並みに薄型の軽量・コンパクトなので、たとえば、台湾の金瓜石の金鉱住宅跡とか、上海の弄堂の路地裏なんか散策するのにはもってこいのカンジがします。
さて、来週はいよいよ21mmf1.5のお披露目と行きたかったのですが、先々週末が全然それどころではなかったので、「どうする家康!?」で盛り上がる前の東海道沿いのお城探訪の前回の積み残し分探訪をレポート致します、乞うご期待!!
- 2023/06/04(日) 18:56:33|
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さて、今回の更新は、やっぱり、それ見たことかの21mmf1.5の試写が間に合わず、代わりに22年11月に出かけた北陸ツアーからの撮影結果をお送り致します。
まず簡単な行程ですが、11/3(木)の文化の日から、11/4(金)を有休取って日曜までの4日間ぶち抜きで北陸へ出かけて、いずれもお城のある富山~金沢、そして芦原温泉からバスで出かけた記録をお送り致します。
全カットとも、カメラはSONYα7c、レンズはCanon28mmf2.8Lによる絞り開放AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、出発当日は北陸新幹線で富山まで移動し、そこで至極の海鮮丼など頂いてからお城を見て、夕方までに投宿する金沢まで移動する予定だったのですが、往きの新幹線内のJR西日本の無料ガイド本に面白げな港町があるのでそこに寄って行こうと思い、まずは富山城へ徒歩で移動し、まず門を潜ってすぐの天守閣風建物を富山城模擬天守閣と思い込んで裏側から撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、天守閣風の建物を撮ってはみたものの、何となく、記憶していた建物の高さ、奥行とだいぶ違うので、まず正面からじっくり観察しようと思い、建物向かって左方向に歩いてみたら、あった、あった、ホンモノのちょっと 何でもかんでもくっ付けちゃった感満載の模擬天守閣が広場の向こうに聳え立っていたのですが、その前に、木造復元と思しき門が立派だったので、いったん外に出て、正面から逆光もものかわ、EVF越しに弾けるフレアを入れたまま、門の全体像を撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、門から改めて、「登城」ルートを辿って、広場を通り抜けていくと、今まで見たことがないような、とにかく、日本人の持つお城のイメージ、即ち、天守閣の廻りの櫓や櫓門を全部寄せ詰めてぎゅっと凝縮したような佇まいの不可思議なRC造の建物なのですが、一応、石垣と漆喰壁と瓦屋根というお城の文法は忠実に踏襲しているので、史実を無視との誹りは受けても、写真写りは悪くないので、足を止めて全貌を一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、なんと、訪問当日は、すっかり休日の名目など忘れて久しい今日この頃、「文化の日」にちなんで、市民、県民に限らず、なんと、国籍を問わず、入場料無料ということで、佐々成正を中心とした、このお城の歴史に関わる、物品やパネル、そして映像再生による、見せる博物館になっていたので、翌月初には城郭検定準一級の試験が控えていたため、気合い入れて展示を見学し、帰り際に、表の作り物っぽい外観とは裏腹に、高石垣の上の白亜の天守が季節の紅葉越しにお濠の水面に映っていたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、富山城の後は駅前経由、市電で北前船の栄華を今に伝える岩瀬の集落に回ったのですが、そこでのカットは全て「Pentac2"f2.9」二号機のご紹介で昨年アップしてしまっているので省くこととし、翌日に芦原温泉の駅前からのバスで訪問した丸岡城下のバスターミナルから上がってきてすぐの、古風ながら小ぶりでどこか愛くるしい天守の全景図を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、二層三階建ての建物全体の大きさに比してかなり高めの野面積みの石垣に設けられた石の階段を登りつめると、正面向かって右側に控えめに設けられた天守内部への入口があり、ここで登る時に買い求めてきた、錦織の付箋の付いた入場券を提示して中に入ってすぐの入母屋造りの一階内部廊下側の様子を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、外観写真からだと判りずらいのですが、巨大な三角形の入母屋破風が一階屋根の上の四方に設けられているのですが、ここが、実は或る意味、極めて巧妙に設けられた銃眼となっており、当時敵対していた北陸一向宗の一揆軍が押し寄せてきたら、ここから火縄銃で撃ちまくっていたのでしょうが、この平和な令和の御世にこの窓から眺める街の景色は長閑そのもので、視界下方には現存12天守唯一の石瓦、笏谷石削り出しの瓦屋根が見えます。

八枚目のカットですが、窓越しの景色から一転して内部に目を転じ、天守最上階の三階望楼部へ上がろうと二階内部隅の階段に向かって歩いて行きましたが、この日は幸いなことに上り下りする人間はもちろんのこととして、階段付近に人っ子一人居なかったので、このお城の幾つかある特徴のひとつ、壁際の極めて狭いスペースから登る、梯子並みに急で狭い階段、をひと目で判るように工夫して一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、八枚目のカットに写る、現代の木造建築では有り得ないような狭くて急な、それこそ何人かで登っている時に一番上の人間が何らかの拍子でコケでもしたら、文字通り将棋倒しで阿鼻叫喚の修羅場が引き起こされそうな恐怖の階段を登り切って到達した最上階望楼部の20トンもの石瓦を支えているという木組み構造に興味を持って一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、こんなちっちゃくて可愛い三階建ての天守閣ですが、ことのほか、最上階の望楼は、四方に開け放たれた窓が大きく、格子こそははめられていましたが、屋外に降り注ぐ陽光を取り入れるには十分な高さ、幅で、逆に考えれば、外から火縄銃で狙撃されたら、最上階の兵員は常に伏せていないと、まさに降り注ぐ鉛玉の雨により、蜂の巣になってしまうのではないかと心配してしまうほど明るくて開放的な空間だったため、人が大勢上がってきた頃合いを見計らって一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、お城巡りの常として、最上階へ登ってしまえば、後は元来た道を辿って降り、下城するだけの話ですから、今回l、二度目の登城ということもあり、バスの時間を睨み、ほどほどの時間で退出しようと再び急峻極まりない階段に向かったところ、ちょうど、後世に安全確保の観点から付加されたナイロンロープを掴んで降りようとするご婦人の後姿が目に入ったので、慌てて一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、再び一階の書院造りの広間を通って、出入口から天守の外に出て、高い石段を慎重に下って、お城のそびえる本丸の地面に降り立ち、晩秋の澄んだ空をバックに聳える天守の偉容を撮ろうと、横位置でカメラを構えたところ、ちょうど家族連れがおっかなびっくりの呈で降りてきたので、有難く一枚戴いてみたもの。

十三枚目のカットですが、前月に訪問した福知山城で、転用石(石塔や墓石などを持ってきて石垣に使ったもの)を大量に発見したので、同じような野面積みの石垣を持つここ丸岡城でも、同様の例がないか、丹念に探してみたい気持ちになり時計回りに天守台の石垣の廻りを回ろうとした時、井戸の横の桜の木の葉が紅葉していてイイ案配だったので、足を止めて荒々しい石垣とのツーショットを一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、裏手に回ってみると、ひと目で見て、墓石の台座をひっくり返して石垣にはめ込んだと判るものが、画面向かって左手、窓の右下、ちょうど紅葉した葉を生やした三又の枝の真ん中が石垣上の転用石を指し示すような構図に写っており、これはしたり!と大発見キブンで撮ってから、宿に戻ってから調べてみれば、物凄く有名だったということが判り、とても地味なキブンになった一枚。

十五枚目のカットですが、前回は時間不足もあって、見落としも多かったですが、今回は十分にお城を堪能し、しかも、前回は往復約4kmの道を殆ど徒歩で移動したのに、今回は丁度お城の聳え立つ小山の裏側に位置する、かなり大規模な、売店・食堂付きバスターミナル経由、往復、バスでの楽ちん移動ですから気も楽で、ターミナル向かいの、なんちゃって城郭建築こと「一筆啓上 日本一短い手紙の舘」の外観を撮ってみたもの。
次回は後編、金沢での英国製クラシックレンズ大暴れの様子をレポート致します、乞うご期待!!
- 2023/05/28(日) 23:54:03|
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さて、今回の更新は、またしても予定変更、急遽帰省したために21mmf1.4の撮り下ろし出来ず、仕方なく、滞っていた、昨年下期の旅日記から挙げることと致します。
旅行先は佐賀から熊本、この旅行は、月曜日からの熊本市内への出張の前乗りで近隣県である佐賀市の駅前のホテルに土曜夜から宿をとって、到着日は市内の佐賀城、その翌日は、前回の’22GWの日本縦断お城巡りのスタート地点、佐世保からのアクセスが予想以上に悪く、結局、行きそびれてしまった「名護屋城址」を訪問し、出がけの駄賃に唐津城寄って、大当たりの下馬評も高い唐津駅前の焼き物ガチャやって、佐賀市内に戻り、翌日、熊本に入って、午後からの仕事の前に熊本城を訪問してきたという、かなり奉公先の出張に寄生した感無きにしも非ずの旅でしたが、それでも、荷物の関係上、1台のみ持ち出した小型軽量のボディα7cとタグを組んで、大活躍してくれたライカのレンズ2本の仕事ぶりを眺めてみたいと思います。

まず一枚目のカットですが、当日は、午前中の羽田発の便で福岡は板付飛行場に入り、そこから、高速バスで佐賀駅前を目指し、駅から徒歩10分弱のホテrにチェッキンし荷物を置いてから、また駅前に戻り、嬉しいことにこの週末はタダで乗り放題という市バスに乗って佐賀城址最寄のバス停まで移動、しかるのち、徒歩でお濠に囲まれた本丸を目指し、立派な天守台跡石垣の手前まで来たら、いたいけな地元の童子達が無為に遊んでいたので、遠慮なくモデルさんになって貰ったもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

二枚目のカットですが、正面から、最初の目的地である佐賀城本丸歴史舘こと、日本で一番最初という木造復元の本丸御殿を目指すべく、石垣の南側に開けた本丸への通路を辿り、先ほど遠目に眺めた天守台跡の立派な石垣の横を通ろうとしたら、よほどこちらの童子達は部活とか塾、習い事の類いが嫌いなのか、東京近郊では見かけないくらい集団で外遊びしており、自転車を近くに止めて、石垣の下のベンチにぎっちりと座り、健全な男女交際の在り方の見本みたいな姿勢だったので有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

三枚目のカットですが、本当はこの江戸時代から現存する由緒ある建造物、しかも佐賀の乱で賊徒との交戦で受けたスペンサー銃だったかの弾痕が複数個所残っている、歴史の生き証人とも云える「鯱の門」を潜った方が近道だったのですが、ぐるっと大回りして門の中に出るルートを辿り、天守台にもつながった、かなり立派な切込接の石垣の上に建てられた櫓門である「鯱の門」の雄姿を大きさが判るよう、子連れの若いおとっつあんが通りがかった瞬間狙ってシャッター切ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

四枚目のカットですが、「鯱の門」の建つ広場を過ぎると、広々とした本丸広場の一角に忽然と総木造の復元本丸御殿の偉容がいやでも視界に入り、当日は、天気もまぁまぁ佳かったこともあり、青空に浮かぶ雲と甍の波の対比もすこぶる判り易い構図だったので、一刻も早く、入場料無料の建物内部に入りたいと逸る気持ちを抑え、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

五枚目のカットですが、さすがお城の御殿、色々な役割の部屋やゾーンがたこ足のように生えていて、一般住宅や並みの神社仏閣とは比べ物にならないほど、間取りが複雑怪奇になっているため、外からは、中の広さは想像もつきませんでしたが、現存の御殿4件やこの後に復元された名古屋城本丸御殿同様、長くて高い天井の廊下、そして多くの部屋が襖で仕切られているという基本構造は変わらず、平成16年竣工ですから、築19年目にしてはまだ白木の面影残る内装を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

六枚目のカットですが、翌日は、佐賀駅前の宿を9時過ぎに出て、電車とバスを乗り継ぎ、唐津市のお隣り、鎮西町にある、まさに文字通り、太閤秀吉の夢のまた夢、兵どもが夢の跡とも云える、文禄・慶長の役の日本側の発進基地となっていた「名護屋城址」に辿り着き、天気にも恵まれ、晴天の下、玄界灘に浮かぶ島々をバックに、当時は大坂城に次ぐ規模だったというこの巨大城郭の心臓部、天守閣跡に登り、数少ない痕跡である史跡の碑を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

七枚目のカットですが、天守閣の跡のある、史跡一番の高台から眼下を眺めると、当然のことながら、豊臣政権の終焉を待たずして、木造建造物は跡形もなく破却ないし、近隣の城郭へ移築されてしまったのですが、城郭建築史のイロハのイの通り、上の木組は簡単に壊したり、移したり出来ますが、その下の石垣、土塁の類いは重量もあるし、建造物と違い、再組み立ての難易度が比べ物にならないので、そのまま放置され、経年変化はあるものの、比較的容易に復元出来るので、石垣と土塁は曲輪内に再整備されていて、往年の姿を偲せていたので、上から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

八枚目のカットですが、暫し、天守台跡で東シナ海を渡る心地よい風に身を任せていたのですが、そろそろランチタイムを考えると、博物館経由、新鮮なイカを食べさせてくれるという道の駅に入る時間に間に合わなくなってしまうので、太閤秀吉の夢の跡に後髪引かれる思いはありましたが、天守閣跡を発って、二の丸跡経由博物館への道を歩み始め、
名残惜しい気持ちで、玄界灘をバックに佇む夢の跡の象徴、天守閣跡の全景図を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

九枚目のカットですが、博物館への道すがら、二の丸跡の広場を通ったら、おそらくは侵攻軍の兵卒の宿舎、ないし礎石の無い掘っ建て小屋であることから築城の際の人夫の長屋とも言われていたかなり大きめの木造建造物の柱の跡を示す太い丸太がセメントブロックのつなぎ目のところどころに打ち込まれて、往時の建物の規模感をイメージさせていて面白いと思い一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

十枚目のカットですが、名護屋城のメインエリアを出て、道路を跨ぐ橋を渡って、反対側の丘陵の上に建つ、名護屋城博物館へ足を運び、この下の道の駅の生け簀で待っていてくれているはずの新鮮な呼子のイカの売り切れが頭をちらつきながらの見学となったのですが、中でもあちこちで見かける秀吉のアイコンのひとつである「黄金茶室」が暗い部屋の中で燦然と輝いていたので、撮影可能な旨確認の上、一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放、AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、博物館をの見学をひと通り終え、期待に胸膨らませ、足取りも軽く、呼子のバスターミナル内の観光案内所の妙齢の女性職員に教えて頂いた、この辺りでもピカイチという、道の駅内の「桃山亭海舟」で最後の一杯となったアオリイカの活作りを有難く堪能し、またバスと電車で唐津市内に戻り、まだ時間があったので、駅舎内の観光案内前の焼き物ガチャを楽しんでから、テクテク歩いて、唐津城に登って、麓から模擬天守の全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、二回目の訪問とは言え、天守の麓まで登ってきて上がらないという選択肢はなく、入口で木戸銭を払い、土産のメダルの有無など確認ののち、RC造の建物内部に設けられた階段を登り、各階の展示テーマに沿った展示品など眺めながら、だいたいは景色の良いところに建つ天守の中でも屈指の絶景である最上階からの玄界灘の眺めを堪能し、某国営放送でも取り上げていた、虹の松原を上から撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、到着三日目、月曜日の朝、佐賀の駅を出て、お昼前に熊本到着後、まず宿舎のホテルに荷物を預けたのち、ほど近い熊本城まで徒歩で移動し、集合時間まで二回目の城内見学を楽しもうと復興期間中限定という鋼製の特別見学ルート上のデッキの上から、「二様の石垣」、即ち加藤清正、細川忠利それぞれの設けた微妙にカーブの異なる本丸の石垣越しに天守閣の偉容を撮ってみたもの。
メラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、ここ熊本城は、実戦で生き残るための仕掛け満載のまさに、西の要塞で、西南の役では、攻めの西郷軍が「おいは新政府に負けたんではなか、じゃっどん清正公に負けたのでごわす」と言わしめた戦のためのマシーンそのものなのですが、特に本丸への進入ルートが御殿の下の地下通路を通り抜けねばならないという、攻城側からしたら、まさに闇討ちのリスク満載の恐るべき仕掛けがこの「闇り通路」というわけで、全体像を一枚撮ってみたもの。
メラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、ここ熊本城で数少ない江戸初期からの現存建造物「宇土櫓」が22年秋から完全解体に入り、二年かけて解体ののち、入念な学術調査を経て、次に耐震補強等の保存修理工事を終え、また元の場所に姿を表すのが早くて10年後ということですから、或る意味、一定以上の年齢の人間にとっては、今の解体前のひと時の「宇土櫓」の姿を目にすることが今生の別れと言えなくもないので、大天守最上階の展望台からその年老いた野武士のような凛とした佇まいを目に焼き付けるとともに一枚撮ってみたもの。
メラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放、AE撮影となります。
今回の感想ですが、やはりライカのレンズは味だけではなく、描写性能も信頼性もやはり優秀です。これまでボディはR-D1sからM8、X-Pro1,2、そしてM(TIPO240)と色々使いましたが、どのボディでも、レンズの個性を主張し、しっかり旅先の思い出を持ち帰ってくる、とても頼もしい相棒だと改めて感じ入りました。
さて、次回は、撮りに行けたら21mmf1.5の試写結果、ムリだったら、22年11月に出かけた北陸ツアーからの撮影結果をお送り致します、乞うご期待!!
- 2023/05/14(日) 17:14:53|
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