
さて、今宵のご紹介ですが、予告通り、外出自粛中ではありますが、家の中では作ったばかりのレンズのテスト&最終調整は出来ないので、やむなく、徒歩で回れる範囲、即ち、”三密”状態に陥るリスクを排除し得ない公共交通機関の利用無しでロケハンし、他人様との会話は勿論のこと、距離も3m以内には立ち入らないよう、最新の知見かつ細心の注意を駆使し、試写を行って参りました。
結論から申してしまえば、今回の光学系、たまたま発見された戦前のゾナー5cmf2.0の沈胴鏡胴どんがらに工房内には空気の如く存在しているソ連製光学系パーツの状態の良いものを選って組み上げましたが、金物の形状や前玉、中三枚貼り合わせ、後二枚貼り合わせの相性により、固有焦点距離が51mm前後から、49mm程度迄縮まってしまうため、今回も内鏡胴の固定位置を物理的に下げられる限界迄下げても、若干、無限が出なかったので、一旦、バラしてしまいました。
そして、在庫の中から、組み合わせ、分解が比較的容易な固定鏡胴タイプのものをテストベンチに使い、無限が出て、近距離でも像面湾曲や非点収差による周辺の暴れが比較的少ない組み合わせを12枚の無傷の前玉と貼り合わせで傷なく、変色少ない中三枚貼り合わせ7本、そして無傷かつ、この種類では持病の後二枚貼り合わせのうち周辺バルサム剥がれが出てないもの5本を組み合わせ、他の固定鏡胴3本と並行して組み上げました。その結果はまた別途レポートすることとさせて戴きます(←こんな時期なので、ネタ小出しで引っ張ります(笑))
では、さっそく当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはα7RIIによる全コマ開放、絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、当日は、いつも清澄白河方面へ移動するのに使う、東富橋から永代通りを横切って、そのまま墨田区役所経由墨堤へ続く三ツ目通りの裏通りを通ってではなく、ランチを門仲駅付近で摂ることとしていたので、永代通りを門仲交差点、即ち清澄通りとの交差点まで歩き、そこを北に折れて歩くこと15分弱で清澄庭園前に出るのですが、その道すがら、仙台堀川に架かる橋の袂の小屋の縁台に腰を下した旅の先達、芭蕉翁の銅像を一枚戴いてみたもの。

二枚目のカットですが、仙台堀川を超えると、いつもは森下発で門仲方面へ戻って来るルートの見慣れた景色、つまり、清澄庭園沿いのモダン長屋の姿が遠目に見えてきて、手前の商店街も何となく見慣れた景色で目的地に近づいているのを感じさせてくれますが、自粛を受けてシャッター降ろした薬局の軒下で、いつもは気に留めなかったオレンジ色のニクいヤツことサトちゃんのダンボ的乗り物がイイ案配に日陰でテカっていたので、向こうから歩いてくる通行人をバックに一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、サトちゃんダンボから暫し歩くと、いつもの見慣れた、モダン長屋の佇まいが目の前に広がり、ここの定点観測スポットのひとつである、クラフトビールを売り物にしているという、このご時世の自粛ブームもものかわ、昼からビールを店頭販売している店先で煌々と照らされた裸電球型LED電灯と金物製で素朴な雰囲気の「BEER」看板を一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、同じく延々と続くモダン長屋の真ん中より、清澄白河交差点よりの辺りにある、ここも白い木枠の大きなガラス窓と白い木板を百葉箱みたいに打ち付けた外壁が印象的な独立系ブティックの前ですが、やはり、このご時世、右へ倣えの不要不急の商店は自粛ということでお店を閉めており、それでもちら見しながら通る通行人各位は居るので、5分ほど、目の前の横断歩道横の信号柱のもたれて、被写体を待って、シャッター切ってみたもの。

五枚目のカットですが、ここも、モダン長屋の閉まっていたブティックの2~3軒ほど、清澄白河交差点方向に位置する、若者向けの美容室で、いつも全面ガラス張りの開放的な店構えの店頭に、これまた、日本製とは思えないようなキッチュな色使いのフレームに、不似合いな幅広ショルダのリボンタイヤを履いたスポーツ自転車がもたれ掛けられていたので、これ幸いにと有難く一枚戴いてみたもの。

六枚目のカットですが、自粛自粛とは言いながら、元々、それほどメジャーな観光名所でもない、ここ清澄庭園付近では、人通りはこれまでとそれほど変わりはなく、ただ大きな違いは、マスク装着の通行人がほぼ100%に近く、正面からは写り込んで欲しくないので、通り過ぎた瞬間以降、構図を考え、丁度いい大きさまで遠ざかる頃合いでシャッター切らねばならないことでしたが、いたいけな20代半ばのお散歩カポーがお手々繋いで仲睦まじく前を通り過ぎて行ったので、有難く一枚戴いてみたもの。

七枚目のカットですが、ここモダン長屋付近ではいつも通り、そこそこ撮れるものだなぁ、とか感心しながら、次なる目的地である清澄庭園を目指して、入口がある庭園北側へ面した通りに曲がると、いきなり後ろから走ってきた、いたいけな極小姐がコケそうにでもなったのか、いきなり工房主の足に飛びついてきたので、すわっ日中からバイオハザードか!?とか前日夜中に観た映画を思い出し恐る恐る斜め後ろ下に目を向けたら、若いヲヤヂさんが小走りやってきて、済みません、歩けるようになったばかりのもので・・・と恐縮して引き取り、では手でも繋ぐのかと思いきや、ほら行くよ、と歩き出しちゃったので、とまどいながら、その後をテクテクついてく極小姐の姿を撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、清澄庭園の入口まで到着し、様子を伺ってみると、門扉は固く閉ざされ、一枚の貼紙が・・・要は都の緊急事態措置を受け、5/6迄閉演、とのことで、仕方なく、その隣にある、無料であるためか、天気の良い園内が大入り満員の活況状態の清澄公園に足を運んでみれば、あろうことか、テントなんか立てて、中でまったりと集・近・閉を楽しむ手合いが散見され、ここはヤヴァィと思わせるもの十分だったので入口付近から一枚撮って早々に退散したもの。

九枚目のカットですが、この界隈の次なる定点観測スポットである万年橋へ向かい、歩き出すと、清州橋通りに出た辺りで、道の向こう側にずいぶんとレトロで凝ったタイルをふんだんに使った外装のビルが目に留まり、しかもご丁寧なことに社名の看板というか表札はぶ厚い銅製の金物で、その上にはこれまたレトロなデザインのランタンみたいな照明器具が掲げられていたので、即座に道を渡り、至近距離から一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、同じく清州橋通りに面していて、ちょうど、万年橋へ続く道への曲がり角に建つマンションの一階に位置する、カフェバーのようなお店のエントラス横の飾り窓の古めかしい雰囲気の薄黄色のステンドグラスがいつも見事なので、中のお客さんや店員さんが外を向いていない瞬間を狙って、至近距離から一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、清州橋通りとの交差点から歩くこと1分強で、安藤広重も葛飾北斎もその人気の作品集で描いた、小さいが格で云えば、日本橋、永代橋、両国橋などと肩を並べる名所で、現在の鋼製橋も、昭和5年に震災復興の一環として架け替えられ、しかも今年は、何と架橋90周年ということで、是非ともその優美ながら力強い姿を撮りたいと思ったところに、奇跡的にマスクもせず、美麗な姿の若いカポーが現れたので、橋が呼び寄せたご縁と思い、有難く一枚戴いてみたもの。

十二枚目のカットですが、短い橋なので徒歩でも20秒も掛からず渡り切ってしまうので、反対側から橋の優美な鋼構造を眺めていたら、またしても別の若いカポーが元気にジョギングなんかしながら通り過ぎて行ったので、丁度良い大きさに収まる辺りで、後ろ姿エキストラ出演お願いしたもの。

十三枚目のカットですが、万年橋を渡り、次なる目的地、小高い人工の岡の上に設けられた芭蕉翁の可動式銅像と清州橋の全景を撮ろうかと思ったのですが、何と、こんな風通しの良い丘の上の施設まで、芭蕉記念館の付属施設ということで、道連れ自粛閉館、仕方なく、辺りを撮って、お茶して深川に戻ろうと、だいぶ前にたまたま、この辺りを歩きまわってからスカイツリーまで移動した時に通りがかった、黒塗りの木塀と鉄製タンクなどの店頭オブジェが魅力的なカフェバーを再発見したので、店先の渋いバイクをモチーフに一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、清澄通りに再び戻り、大通りに沿って歩くこと5分程度で森下交差点に到着、そこを東に向かって新大橋通りを通るのが深川への帰り道のルートなのですが、東富橋へと繋がる区役所前通りの手前で、ちょうど建物が解体されて次の計画が動く前の空き地越しにちょうどイイ案配に色褪せた藤色のモルタル外壁とその真ん中に設けられた薄緑色の錆びた鉄扉がイイコントラストだったので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、いつものアプローチルートである区役所前通りへと曲がり、ひたすら南へ歩くと、白河、三好、平野、そして仙台堀川を渡ると見慣れた冬木町に到達するのですが、今回、ちょうど光線加減も良かったので、たまたま兄ちゃんが通りかかったのをチャンスとして、仙台堀川に掛かる鋼製橋である亀久橋の様子を一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、適当に組んでも、ゾナーってイイですね、金物のクリアランスの加減で30m程度を無限とした見切り発車での試写でしたが、開放でここまで撮れれば、作品造りに使うぢゃなし、スナップのお供としては、十分、及第点上げられるのではないでしょうか・・・もう跡形もないですが。
さて次回は、Stay Home WeekのGW、無人の街へ試写に出掛けようと思いますが、はて、何をお供にしましょうか・・・来週末迄に考えます、乞うご期待!!
- 2020/04/26(日) 21:56:49|
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さて、今宵のご紹介は工房が今年に入ってから製造した超大作、W-Nikkor35mmf2.5Sです。
え、何の変哲も無い、ニコンSマウント用普及版レンズぢゃね!?とかページ変えようとしている、そこの貴方、ちょいとお時間下さいな、何処がどう違うのか、今、説明しますので・・・
まずはこのレンズの氏素性を説明しますと、母体となったW-Nikkor3.5cmf2.5Sは1952年にニコンS用広角レンズとしてリリースされ、1956年に軽金属製の黒塗り鏡胴モデルが出るまで、アマチュアから報道の第一線まで用いられた銘玉で、27650本ほど作られたとされています。
ただ、この緑に輝くアヤシゲな光学エレメントは当然1952年当時に実用化されよう筈もなく、今年になってから移設された、元はニコノス用W-Nikkor35mmf2.5のもので1976年から製造された新種ガラスにマルチコートされた、オりジナルのものとは比較にならない高性能のものが奢られています。
一般的にニコノス用Nikkor35mmf2.5は元がNikon S用W-Nikkor3.5cmf2.5の光学系を元に新種ガラスの採用とコマ収差を逓減すべく主に絞りから後の光学系の設計をリニュアルしたものとされていて、ちょっと遊び心有る人間なら、曇ったり、傷ついたりしたW-Nikkor3.5cmf2.5Sがあれば、ニコノス用の玉はスペック同じだし、子孫なんだから交換出来てしかり、と思うのも人情ですが、精密機械の世界ではそういう思いつきや思い込みは往々にして通用しません。
実は前々からこの世紀?のスワップを考えていて、たまたま新宿のカメラのKタムラでW-Nikkor3.5cmf2.5Sの光学系が擦りガラス状のジャンク寸前のものが1万円台前半で出ていて、手元にニコノス用W-Nikkor35mmf2.5のレンズブロックが有ったので、初めは、ニコノスのものを旋盤で削るかしてSの方の鏡胴に収めることを考えていたのですが、買って来てからおもむろに分解したところ、絞り羽駆動のピンの位置と太さが違い、またレンズを鏡胴に固定する最後端の全周ネジまでブロック後端が届かず、またレンズブロックの太さも途中から微妙に太くて、削って確かめながらしかるべき位置に固定するのは容易なことではないことがすぐ判り、オリジナルのレンズブロックハウジングにニコノスの前後エレメントアッセンブリを固定することとしたのです。
しかし、これもなかなか大変で、前群は難なくねじ込んで所定位置に固定出来たのですが、後群が微妙にスカスカで固定出来ない・・・普通のアマチュアであれば、アルミ箔かなんかネジ部に巻いて太さ合わせ、はい固定完了、改造一丁上がり!としたいところでしょうが、それでは厳密なセンター出ませんし、工房の出荷基準である「1500万画素のデジタルカメラでの開放撮影で全紙撮影可能」をクリア出来ません。
そこで、不可逆改造とはなってしまいますが、レンズブロック側の内周を全周ネジの強度ギリギリまで切削して広げ、そこに超ヂュラルミンのスペーサーで0.5mmピッチのネジ切ったものを焼嵌めしそれを経由して後群を固定し、完成したレンズ
ブロックを鏡胴に嵌めて無限に合わせてスペーサを削りだし、やっと完成したという次第。
では、そんな手間隙掛けた改造レンズの貴公子みたいなものがどのくらいの性能を発揮するのか、先日の横浜山手ツアーの際の撮影結果を見て参りましょう。
カメラはX-Pro1、全コマ絞り開放の絞り優先AEモードです。

まず一枚目のカットですが、当日の水先案内人である出戻りフォトグラファーさんの案内で石川町駅からまず向ったのが山手地区洋館街の中の一軒、外交官の家で、庭にバラ園なんか有って、建物自体もなかなか宜しい風情の佇まいだったので、ちょいと逆光にはなりましたが、北側から南方向に向って、空を入れて建物を撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、庭を回って表へ出ようと移動途中に陽光を浴びて水のしぶきを迸らせるレトロなイメージの噴水が有ったので、これもテストパターンにはもってこいとばかり、肉眼で見たら数秒と目を開けていられないくらい明るく照り返した水面も入れて一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、この洋館の北側の庭園にあるバラ園の一本がちょうど風景の開けたアングルに花も盛りに咲き誇っていたので、みなとみらい方面を背景にこの可憐なバラの最短距離近くでのアップを試してみたもの。

四枚目のカットですが、一軒目の洋館を後にし、次なる目的地へ、洋館南側の比較的広めの生活道路を歩いていたら、古い洋館ではないものの、その街並み造りの趣旨に賛同したのか、なかなかクラシックな佇まいのレンガ状タイル張りの個人宅が三叉路に面して建っていたので、その特徴的な形状が判るような構図で一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、これも同じ生活道路を辺りをきょろきょろしながら歩いている途中見つけた洋館風建造物で、何か企画系の会社のオフィスのようでしたが、ちょうど南側に空が開けていて、塀から建物の配色まで、相当気を使っているのが感じられる素敵な建物なので、塀の外から一枚撮らせて貰ったもの。

六枚目のカットですが、同じ生活道路沿いにあった古いカソリック教会門扉の石柱の特徴的な文様を対の門柱や門脇の植栽を背景として一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、二軒目の洋館、確かベーリックホールではなかったかと思いますが、そこに到着して中を見物していたら、広いダイニングと思しきところのテーブルにとてもおっされ~なデコレーションが施されていたので、皆で寄ってたかって撮ったうちの一枚。

八枚目のカットですが、その二軒目の洋館はいまでも現役として、パーティやら講演会、演奏会などでフル稼働のようで、お邪魔したキッチンも古い造作と新しめの調理器、什器類が上手く折衷して置かれていたので、窓から斜めに差し込む冬の陽光に鈍く輝くステンレス製大型コンロの様子を一枚戴いたもの。

九枚目のカットですが、その洋館を出て、また少々歩き、移動して入ったのが当日最後の洋館、エリズマン邸で、その二階の寝室に隣接して造られていたRelax Roomという謎のスペースが今は室内温室状態で可憐な胡蝶蘭などが栽培されて今を盛りと咲き誇っていたので、一枚戴いたもの。

十枚目のカットですが、さて時間も15時近くになったので、お茶でもしますかい?と洋館街のメインストリートを歩きながら、入れるお店を捜している時に雰囲気イイが、この並び具合いぢゃ・・・と諦めた洋館を改造したカフェレストの庭先の様子を一枚戴いたもの。

十一枚目のカットですが、無事、お茶をして、じゃ、そろそろ山を下りながらみなとみらい目指そうかね、ということになって、最後の撮影スポットとして寄ったフランス山公園の井戸汲み動力用水車を下から見上げる格好で空を入れて一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、同じくフランス山公園の風車したのフランス駐留軍の駐屯地の遺構の一部と思われるレンガ積の構造物の残滓が冬の夕陽を浴びてえもいわれぬ風情を醸し出していたので、一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、造った張本人が言うのもなんですが、こういう企画ものは性能は二の次で、何とか写れば、お!すっげぇ~となろうかと思いますが、いやはや、十分に実用レベルを超えていると思いました。しかも、レンズブロック自体は古いものをそのまま使っていますから、これをLマウントのW-Nikkor3.5cmf2.5に嵌めて持ち出せば、LeicaM8で距離計連動で遊べる・・・
ただ、今回、根性が無くてギブアップした、ニコノス用W-Nikkor35mmf2.5のレンズブロックを切削やらエクステンションを削り出して組み合わせ、そのままSマウントのオリジナルレンズブロック同様に交換ユニットとして嵌め込めるような加工法も継続研究したいと思いました。
さて、来週は、秘宝館入りした形見のレンズ真打ちの高性能ぶりをご披露いたします、乞うご期待!!
- 2015/03/01(日) 23:59:33|
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【撮影データ】カメラ:R-D1s(S-Lカプラ使用) 絞り優先AE、ISO200、露出±0、全コマ開放、ロケ地;江ノ島
さて、今宵のご紹介は予告通り、工房製レンズのご紹介です。
今回のこのレンズ、何処かで見たことあるような、無いような不可思議な佇まいではないでしょうか。
それもその筈、レンズは絞りを挟んで前半分と後半分が全く別の会社の別の用途のアッセンブリを真鍮丸インゴットから精密切削で削り出した内外面ネジ加工付きスペーサ等の付加的パーツ作成を行うことによりキャノンの内鏡胴にねじ込み、しかるのち、完成した内鏡胴をS-ニッコール50mmのマウントユニットに超ヂュラルミンの内部スペーサリング兼ブラケットで固定して最後面からオリジナルの全周スクリュー止めしている、という聞いただけで頭がこんがらがるような複雑怪奇な生い立ちのレンズだからです。
え、こんなに具体的に書いちゃってイイの!?マネされない???と御心配の向きもありましょうが、まず、こんな面倒なことをマネしようという人は滅多にいないでしょうし、マネ出来るくらいの技術レベルの人間が読んでいたら、自分はもっと別のレンズを開発したろうぢゃんか!と考える筈です。
で、肝心の構成は3群5枚の前群ガウス、後群ゾナータイプのコンビタイプとなっています。
なお、IVというコードは当工房で様々なエレメントやアッセンブリを組み合わせてオリジナルの光学系を作り出したうちの4番目の試作品ということで、開発のロードマップではあと2タイプの試作を行うこととなっており、一通り終わった時点で、一番良かったタイプのダメ出しを行い、その改良したものを、中国やらタイやらヴェトナムではなく、神奈川県某所の工房が最近めきめき腕を上げて来たようなので、そこで仲間内向けに強制的に量産させよう、という魂胆なのです(笑)
とまぁ、冗談はさておき、実写例のご紹介いってみましょう。
まず一枚目。
今週末の土曜日は、天気も良かったので、仲間内で久々に湘南撮影会でも洒落込もう、とか甘い算段で楽しみにしていたのが、何のかんので皆脱落し、「最後の一兵となっても戦う」という旧陸軍みたいな絶望的精神主義に蝕まれ、メンバー百数十人に告知かけている手前上、誰が気まぐれで来るか判らないので、朝の10時かっきりにのこのこと1人で鎌倉駅小町通口に降り立ったワケです。
が、あにはからんや、やはり誰も待っていよう筈もなく、仕方なくとぼとぼと小町通りの裏表を撮り、鶴岡八幡宮の境内にもちょっこしお邪魔し、テキトーに撮ってから、12時前に江ノ電経由、江ノ島に直行したのです。
で、その移動途中の江ノ電の中で、たぶん従姉妹同士でしょうか、同じような年恰好の小々姐が別々の良く似たオモニの元から海岸と水平線が見える窓際に駆け寄って、あーだら、うーだら指さしながら、閑談に打ち興じていたので、しっかりと一枚撮らせて戴いた次第。
ここで驚いたのが、こんな逆光の酷い条件下もものかわ、II型、III型プロトまでは全滅だったのが、このマルチコートの前群を持つコンプレックスレンズは、全く意に介せず、小々姐達の愛くるしい色違いのリボンやら、やわらかそうな頬っぺたの質感までかなり忠実に捉えてくれています。
この画面サイズではいまひとつピンと来ないかもしれませんが、江ノ電の向かいの席からリボンに目がけてシャッター切って、なんとピンクのリボンは、オリジナルのR-D1sのJPEGデータでもモニターの倍率を上げれば、水玉模様のひとつ、ひとつがくっきりと判別出来るほどにピンと来ているのです。
そして二枚目。
目的地の江ノ島駅に着き、洲鼻通りを通って、島へと向かいました。
昼時はちょっと前後にずらした方がお店が空いてくることが多いので、12時は回っていましたが、小一時間島内の目ぼしいところを撮ってから、お目当ての食堂に向かうこととしました。
そこで、今回はいつも帰り際にちょっこし寄って申し訳程度に何枚か撮るだけの「岩本楼」と「ゑじま食堂」の間の路地を抜けたところに在る小さなビーチ界隈を撮ろうと思い立ち、「ゑじま食堂」の前を通り過ぎた時、逆光に浮かぶ、キレイなチューリップの花々が目に留まりました。
真ん中の花弁のふちが淡いオレンジのグラデーションになっている花を主役に最短距離付近でシャッター切ったのがこのカット。
ここでも、水平線上の明るい空が画面のかなりの部分に写り込んでいますが、それでも、フレアやゴースト、或いは画面全体のコントラスト低下による「眠い画面」化は起こっていません。
バックのボケに非点収差による、ぐるぐると色収差による虹のようなものがハイライト部との境界線付近に認められるものの、主役の中央のグラデーションチューリップは充分に浮かび上がって存在感を主張しているようですし、至近距離からの花の撮影でこのくらいの出来なら、まずまずの及第点なのではないでしょうか。
それから三枚目。
島内で15時過ぎまで、御馳走を食べ、思う存分写真を撮って、夕刻からの新宿での用事に備え、帰り時間の小田急までの時間を過ごすべく、片瀬海岸方面へ足を急がせました。
すると、洲鼻通りの橋を渡りきる辺りで、フィリピン人と思しきオモニが、ハスキーボイスでポージングの指示などしながら、愛くるしい小々姐の写真を撮っていました。
そこで、「姐さん、混ぜてもらいますよ」と一声掛け、おもむろに後ろに立って、シャッター切ったのがこの一枚。
小々姐のジャケットの胸付近の金具類は異様なほどにピンが合っていて、オリジナルJPEGデータをモニタで拡大すれば、それこそファスナーの節のひとつひとつがきれいに分離して見えるくらいですが、小々姐の愛くるしいお顔は、ソフトフォーカスレンズで撮ったかの如く、ほんわりと写っているのが不思議なカンジです。
また、背景の江ノ島も意外にマイルドなボケとなっています。
この後、お礼代わりにお二方の並んだ写真をオモニのコンパデジで撮って差し上げ、その場を後にしたのです。
続いて四枚目。
新江ノ島水族館の隣は、ミニ海浜公園みたいになっていて、長いウッドデッキやら、整備された突堤みたいな施設があって、禁止を承知で磯釣りをするおぢさまがそこここに居たり、土産物屋のアルバイトでしょうか、目を血走らせて、砂浜の貝殻拾いと、その区分をしている中学生くらいの小姐分隊が居たりして、ほんの限られた時間のそぞろ歩きでも退屈しません。
そんなのどかな非日常風景の中で水平線をバックにウッドデッキの端に佇み、娘さんの自転車漕ぎの論評をしている風変わりな一家が居ました。
そこで、気配を消し、音も無く近づき、ぱっと一枚戴いたのがこの一枚です。
ここでも、明るい水平線付近の空が画面の半分近くを占めていますが、ゴーストは皆無、フレアも問題となるほど発生せず、開放にも関わらず、中央付近に位置するピンクの小々姐のスエットなどは、皺がくっきりと判るほどシャープに捉えられており、ドナーとなったレンズ達のDNAを図らずも実感したカットとなりました。
まだまだの五枚目。
突堤のウッドデッキを先端方向に向かっていくと、先ほど、工房主を追い越して通り過ぎて行った、スケボー異邦人二人組が引き返してきました。
そこで、居合い宜しく、或る距離まで来たら、予め置きピン状態で降ろしておいたカメラを構え、秒殺状態でシャッターを切ったのがこのカット。
この陽気なヤンキー達、撮られたのがよほど嬉しかったのか、先頭の兄ちゃんはウィンクして右手を上げ、後の兄ちゃんは、満面の笑顔で奇声を上げて通り過ぎて行きました。
小生も大声でサンキュー、ほなさいなら!と笑顔で返しました。
最後の六枚目。
突堤の先端まで行って、引き返す途中、家族で魚釣りをしている一家に出会いました。
たぶん、今晩のおかずでも獲りに来たのでしょうか。両親は竿を構え、子供達は二人して、獲物のバケツのお当番です。
しかし、頑是無い童子達のこと、大人達の暮らしが掛かった切迫した事情などどこ吹く風で、平気の平左、バケツから魚をつまみ出しては、やれこっちの方がカワイイだの、やれ、こっちの方がオシャレだの、いやいや、この魚はクラスの何の誰兵衛に似てるだの、もう、云いたか放題、魚も殆どおもちゃ状態です。
そこで、おもむろに近づき、「魚屋さんごっこしてるとこ、一枚撮らしてね♪」と声掛けたところ、「え~やだぁ、魚屋さんなんかぢゃなぃ~」とか二人してコロコロ笑い出し、「でも、可愛く撮ってね☆」とか云って、必殺ポーズを決めてくれたのがこのカット。
ピンは画面向かって左側の小々姐の左目に合わせているので、この小々姐の愛くるしい笑顔はきっちりと捉えていますが、向かって右側の小々姐はやや後方だったため、魚を捕まえた手のみが生々しく写り、御本尊様はちょっこし崩れた後ボケとなってしまいました、ゴメンなさいです。
御両親にも鄭重にお礼を申し述べ、その場を後にし、デニーズでちょっこし遅いティータイムと決め込み、16時31分片瀬江ノ島発の小田急ロマンスカーでお江戸内藤新宿まで戻って来たという次第です。
今回の感想としては、レンズってやっぱり難しい、特に距離によって収差の出方が全く変わってしまうので、オールラウンドなオリジナルレンズを是非、設計、施工してみたい、と新たにファイトを燃やしました。
さて、来週は攻守交替、工房附設秘宝館からコレクションのご紹介行きます。乞う御期待。
テーマ:ニコンSマウント - ジャンル:写真
- 2012/04/22(日) 22:53:59|
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【撮影データ】カメラ:R-D1s+SLカプラ、絞り優先AE、ISO200、露出+1/3、全コマ開放、ロケ地浅草
さて、今宵のご紹介は、またしても掘り出し物のレポートです。
このキエフIIにちょこんとくっつけられた、"LOMO"の刻印も控えめな漆黒/シルキークロムの改造レンズ、これは、1992年にレニングラード光学機廠がデジタル用映画カメラでの利用を前提に満を持してリリースしたシネレンズです。
ついでに刻印の意味も御説明しておくと、"OKC"とはObjective Kamera Cinema"のことでつまりキネマ用レンズという意味で、"50"がノミナル焦点距離、そして最後の"6"はシリーズ番号で、開発世代を表し、"6"は今のところ最終型でデジタルでもゴーストやフレアが出ないコーティングを施されている、というアナウンスでした。
構成はオーソドックスな4群6枚のオーピックタイプ、全面にマルチコートが施され、見た目にもゴーヂャスでコレクション意欲をそそります。
このモデルは昨年秋にご紹介したPO3-3Mという先輩格のシネレンズの改良型に当たるワケですが、果たしてその性能は、偉大なる先輩を超えるのか?
ということで、早速、実写結果を見ていきましょう。但し、PO3-3Mの試写はM8で、こちらはR-D1sなのでシャープネスは若干ハンデを負っていることは予めご了解下さい。
まず一枚目。
木場から地下鉄に乗って浅草につき、雷門近くの出口から地上に上がると、まずは雷門を目指し、途中の人力車乗り場付近で何枚か車夫さんの営業風景なんか撮り、門を目指しました。
門の表で何カットか撮り、仲見世を歩き出そうとした刹那、門裏で吸水性高分子素材を使った、怪獣のおもちゃを子供相手に売る露店が出ており、しめしめ、今回は、ちょうど子供っぽい童子2名があーだら、うーだら、熱い議論を交わし、品定めをしています。
そこで、横の親御さんに目配せしてカメラを指さし、撮るよと合図してから、撮ったカットのうちの一枚。
ピンは小々姐のダウンヂャケットの胸のタグで合わせましたが、いやはや、このSLカプラは構造上、回転角が大きく、いつも使っているL39やMの純正や改造レンズに比べ、速写性に欠け、その結果、よく動く童子達への追従MFは困難を極めますが、えいやっとシャッター切った一枚はこのように解像感も十分で前後のボケも満足行く結果となった次第です。
そして二枚目。
親御さんに会釈してその場を立ち去り、次の定点撮影スポットである扇屋さん前に移動しました。
ここではいつも、店頭に並べられている様々なな江戸模様の団扇を撮らせて貰い、背景のボケが良く判るようにしています。
ピンはひょっとの鼻に合わせたつもりですが、実際はその1インチ弱後方の団扇のエッヂからおかめの右側の輪郭くらいに合っており、かろうじて被写界深度でセーフかなというところですが、ボケが特徴的なのでボツにせず、あへて採用しました。
3m強後方の藍染の暖簾くらいまではまぁ何とか許容範囲ではなかと思いますが、その遥か後方の通りは電信柱をはじめ、2線ボケというか、ぐずぐずに崩れてしまっていて、収差の出方がほんまにシネレンズかいな?てな按配でした。
それから三枚目。
また仲見世を本堂方面に向かって歩いていきます。
途中、これはと思ったシーンで何枚かシャッターを切りましたが、同様の理由で、とにかくピントの微調整が困難を極める上、ヘリコ部分が無限とか最近接まで行ってしまうと、戻すのが固くなってしまい、その結果、MLリングの締め付けがゆるみ、これがあたかもダブルヘリコイドの如き作用を引き起こし、ピンがずれるという結果をもたらします。
それでも、何枚かは上手く行ったカットがあって、M8とは違い、連写が効かないR-D1sにあって、会心の一枚はなかなか満足感が得られました。
その会心の一枚というのがこのカット、本日のベスカットではないかと自分では思っています。
宝蔵門近くで、お子さんを背負った若いヲヤヂさんを見かけ、人ごみを縫って追尾し、かなりイイ線まで肉薄し、必殺のシャッター切ったのがこのカット。
予め、SLカプラのネジはきつく締め直し、かつ、ヘリコを2m~1.5mのところへ合わせておいて、至近距離に入って、フレーミングがばっちりのところで、シャッター切ったものです。
ちょうど、16時過ぎの夕陽を浴びた童子の寝顔は何とも無邪気で愛くるしく、思わず、この子の将来に幸多かれ、と祈らずには居られませんでした。
ここでは、後ボケは相対的に距離が近くなっているためか、鑑賞にはそれほど妨げにならないレベルに収まっているのではないかと思いました。
続いて四枚目。
この幸せそうな親子へと心の中で感謝の念とエールを送り、その場を離れ、お参りもしたかったので、本堂へ入りました。
お賽銭を上げて、むにゃむにゃと幾つか個人的なお願い事をしてから、また俄然撮影モードに入り、本堂の西側エリア、そう西陽が差し込む扉付近に視線を走らせます。
すると、かなり低めの角度で差し込む夕陽を背後に浴びながら、年輩のヲヤヂさんと、いたいけな童子がお御籤なんかを棚に結えています。
そこで、するすると人ごみを縫って、斜め横に近寄り、逆光試験も兼ね、童子が顔を上げた瞬間を狙いシャッター切ったのがこのカット。
結論から先に云っちゃえば、逆光下では、先輩格の赤い毒々しいコートを纏ったPO3-3Mに大敗です。
PO3-3Mは江ノ島の海岸で海面に反射した西陽が斜め後ろから光る、インド人の親子を撮りましたが、そこでは、フレアの類いは皆無で、撮った本人が後でびっくりしたくらいですが、同じくノーフード状態で撮ってみたら、しっかりと円弧状の虹が童子の愛くるしい顔を横切ってしまいました。
しかも、背景の木々は好みでない、ぐるぐるが出かけていますし、なかなか気難しいレンズのようでもあります。
まだまだの五枚目。
お参りを終え、何枚か本堂内で撮ったので、肩の荷も降り気楽なキブンで次の撮影スポットである屋外お御籤売り場へと移動します。
するとここでも、ステンレス製のテーブル部と木製の引出しが良い按配に夕陽を浴びて照り返しており、これを撮らない手はありません。
そこで、お御籤売り場を真横から串刺しにするようなポジションに陣取って、「おみくじ」の文字にピンを合わせてシャッターを切ったつもりなのですが、ここでも、もはやアダプタの相性の問題なのか、若干後ピンになっています。
最後の六枚目。
そろそろ陽も傾いて来たので、どこかでお茶もしたいし、帰り道を急ぎました。
仲見世の間道で、雷門近くに老舗のお煎餅屋さんがあるのですが、そこがいつも、白熱電球で店内を煌々と照らし、また商品のディスプレィも良いカンジなので、写真を撮らせて貰おうと歩み寄ると、お店の方がちょうど出てきて、商品の並べ替えだかを行っておられました。
そこで、一枚撮らせてね、と声を掛けたところ、どーぞ、どーぞ、良いのを撮ってやって下さいね、観光客の方ですか、いや、そうとも見えないな・・・あ、アマチュア写真家の方ですか、あ、邪魔でしたね、ぢゃ、ごゆっくり、などと会話を交わし、店頭に佇み、向かって右の棚の端の瓶にピンを置いて撮ったのがこのカット。
ここでは、ちゃんとピンが来ているのですねぇ・・・いや不思議、たぶん、このカプラのカムの形状、口径から、距離によっては、後ピンになっちゃうのではないかと、勝手に推定した次第。
後ボケはまぁまぁ見苦しくないレベルですし、何よりも驚いたのは、こんなに煌々と輝く白熱電燈が被写界に入っていても、R-D1sはかなり高い精度のAEで適正露出を導き出し、また、このシネレンズは、全くと云って良いほど、フレアもゴーストも出さず、光源の形をありのまま背後に捉えています。
今回の感想は、マルチコートで一番新しいタイプのシネレンズとは云え、シチュエーションでは、古くてしょぼいモノコートのレンズにも負けてしまうことがあるのだ、と思いました。
しかし、M8とR-D1sというハンデを負っていた割には、3枚目の夕陽を浴びた幸せそうな親子のカットのような満足行くものが撮れるので、早々にライカマウント版も製造したい、と思った次第。
さて、次回はローテに従い、工房附設秘宝館からコレクションご紹介致します。乞う御期待。
テーマ:ニコンSマウント - ジャンル:写真
- 2012/03/04(日) 22:00:00|
- Sマウント改造レンズ
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【撮影データ】カメラ:R-D1s 絞り優先AE 露出+1/3 ISO400(1~4コマ)、ISO800(5コマ)、全コマ開放
さて、今宵のご紹介は、先般のICSで出会った謎の豆レンズを工房でニコンマウント化した作品です。
このレンズ、マニアの間ではつと有名な某相模原の珍品カメラ・レンズ業者の出店で、大中判レンズやボードなどが置かれたコーナーの片隅に薄汚れたポリエチレンのパックに入れられて、数千円の捨て値で転がされていました。
店のパンチパーマがトレードマークの名物社長に聞いても、「ハテ、何のレンズでしょうかね、誰がこんなの置いたんだろう?」とか甚だ心もとないお答え・・・
しかし、アルミの妙に丁寧な仕上げ、そして"ANASTIGMAT"の文字に何か心惹かれるものがあり、代金を支払い引き取って帰ることとしました。
かなり汚れた状態だったので、玉を前後にばらしてクリーニングがてら、このレンズがトリプレットであることに気が付きました。
まぁ、50mmだから、何のヘリコイド付けてもイイし、ニコンSかコンタックスCXマウント化してもイイやとか思い、時間が出来るまで、暫し、防湿庫の中で休んで貰うこととしました。
そして程なく、某JCII日本カメラ博物館に運営委員としてご奉公されておられるIlovephotoさまより、「EZUMARというのは、今は亡きSAMOCAの玉ですぞ、尤も、会社自体は雲散霧消してキャノンに合併されてしまいましたが・・・」との情報を頂戴致しました。
このSAMOCAというカメラは、かのステキーなるからくりカメラを開発した、経営者というよりは設計者といった方が相応しかった故「坂田秀雄」氏の手によるもので、このタイプのレンズはSAMOCAの第三世代の昭和29年発売、SAMOCA35IIIという機種に付いていたことが判っています。
坂田秀雄氏のエピソードについては、あまたのクラカメ本で情報を見ることも出来ますから、ここでくどくど書くのも憚られますが、1952年に三栄産業という会社を興し、輸出中心にそれなりに隆盛を誇ったのですが、大メーカーがレンズシャッター機に本格的に進出して来るに従い、売れ行きが低下し、それを苦にした氏は1963年に悲劇的な最期を迎えました。
この坂田氏の人となりを語るのに典型的なエピソードが有って、アサヒカメラの小倉磐夫ドクターをはじめ、光学を研究していた学生さん達に私的な奨学金を出していたというのです。
こういった中小企業の篤志家の熱い思いが今の日本の光学界の基礎を磐石にしたのかと思うと、思わず頭を垂れざるを得なくなります。
さて、話は湿っぽくなってしまいましたが、作例行ってみます。今回は、大久保のレンズ再生の"人間国宝"山崎名人のもとへ向かう道すがら、ちょこちょこっと撮ったネタです。
まず一枚目。
大久保の駅を降りて、北新宿方面に歩いていくと、フレーザーホテルの駐車場の片隅で桜がちらほらとほころび始め、手前には、イタリアのスーパーカーを彷彿とさせる色合いのワーゲンポロが駐車していました。
曇天をバックにイタリアンレッドの車・・・これほど素晴らしい発色試験対象はありません。
そこで早速一枚戴き。
素晴らしいクリアなカンジで上がったと思いました、まさにトリプレットの妙味というカンジです。
背景も難なく収まっている雰囲気です。
そして二枚目。
フレーザーホテルの駐車場から出て、再び歩道を北新宿方面に進もうとすると、栗色の髪を颯爽と翻し、いわゆるガールズトークをあたりに播き散らかしながら闊歩する小姐の三人組とすれ違いました。
ここで、いつもの"辻斬りスナップ術"の復活です。このところ、声掛けて目線貰った、いわば演出有の写真ばっかり撮っていたので、たまにはこういう無断速写もイイ刺激になります。
夕陽を浴びて仄かに栗色の光を弾き返す髪がイイ雰囲気に捉えられたのではないっでしょうか。
また、先方に伸びる街路樹の並木のボケ具合いが程好い距離感を演出しています。
それから三枚目。
鉄道の高架をくぐり、歩道を更に歩んでいくと、クロムメッキのパーツも美しいバイクが一台、乗り捨てられていました。
そこで、至近距離の描写性能、そして金属光沢に対する対フレア性ということで、画面中央の金属製の涙滴型のパーツにピンを置いて一枚いってみました。
その結果、かなり持ちこたえてはいますが、やはり微妙な蒼白いフレアが、ちょうど空が写り込んだ部分に認められます。
しかし、50年近く時を経た、当時の大衆機のトリプレットで以て、内面反射に敏感なデジタルカメラでの撮影でここまでやってのけるとは、オリジナルのポテンシャルがいかに高かったかを物語るものではないしょうか。
まだまだの四枚目。
バイクの機関部の描写に気を良くして、背景にぐるぐるが出そうなモチーフが目の前に登場したので、早速試してみました。
手前の自転車のブレーキレバーの黒染め部品にピンを置いての撮影です。
黒光りする光沢有りの黒染パーツは若干のフレアをまとっていますが、あたかも肉眼で捉えたかの如き臨場感で精緻に描写されていますし、背景のポピーだかは、一部の尖鋭的なマニアが狂喜乱舞しそうな、ぐるぐるパターンを描いています。まぁ、トリプレットに万能を求めるのがそもそも間違いですから、これはこれで良しとせねば。
最後の五枚目
大久保の名人工房で話は弾み、お願いしていたブツも無事上がったので、気分上々、新宿に向かいました。
西口のカメラ屋街を後にして、東口の沖縄料理屋に向かう途上、いかにも、芸術系の学生デース♪というカンジの小姐がガードレールに所在なく、ちょこんと座っていました。
ここでも、辻斬りスナップの登場です。だって、こんなの後ろから撮るから宜しくなんて声かけた日には、身構えて硬くなっちゃうだろうし、前向いて貰って、ガードレールに座る小姐をわざわざ撮るのも、スナップらしくはないでしょうから・・・これはこれで新宿という街の空気を捉えるには格好の表現方法ではないかと思います。
だいぶ暗くなってきましたが、R-D1sのISO800に助けられ、50年前の開放値f3.5のトリプレットは小姐のしなやかな髪や、衣服のテクスチャまで忠実に捉えてくれました。
今回の感想としては、いやぁ、素晴らしい、人知れずジャンク同様の扱いだった豆レンズがきちんと開けてクリーニングした上で、適切な暗箱と組ませてやれば、こんな性能を発揮するのです。
まさに一人の熱いハートを持った悲運の天才の遺志と失われた日本の光学史の一端を垣間見たキブンでした。
さて、来週は附設秘宝館からのご紹介です。
乞うご期待。
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- 2011/04/10(日) 20:47:43|
- Sマウント改造レンズ
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【撮影データ】カメラ:R-D1S 絞り優先AE 露出 +1/3 ISO 400 ロケ地;深大寺近傍
早いもので既に11月、あと幾つ寝ればお正月♪の射程圏内に入って参りました。
しかし、その師走前の霜月には必ず行かなければならないイベントがあります。
そう、知る人ぞ知る"深大寺撮影ツアー"なのです。
ただ、今回はその下見に行って、先のVictar50mmf3.5改L39と同時テストを行った成果なので、まだ本番はもうちょい先です。
さて、今回のレンズは、英国Dallmeyer社の誇る銘汎用レンズ Dalmac50mmf3.5の弐号機です。
このレンズはなかなか面白い構成になってまして、しょせん開放でしか撮らない小生にはあまり関係ないのですが、絞りが前玉の真後ろについているタイプで、要はぱっと見、Elmarタイプなのです。
しかしながら、不思議なのは、3群4枚、一番後ろが貼り合わせのテッサー派生型であれば、普通フランジバックがもっとずっと長くなる筈なのですが、これはかなり短く、ニコンSにしても、コンタックスCXマウントにしても、マウントの口縁から4mm程度しか前に出ないので、焦点距離とフランジバックとの関係で見ると、主点が1枚目の真後ろ、即ちちょうど絞りのところが50mmくらいになるのです。
特徴は前にも述べましたが、オール真鍮の削り出し、黒艶消しエナメルの焼付け塗装の重い鏡胴には30mmちょっとの細いネジが後端に切られています。エレメント自体は弗化マグネシウムの淡いブルー単層コート、ここだけ捉えれば、ふんわかとした時代めいた、先のVictarと老いの道行きみたいな写りが想像されますが、実写結果はさにあらず・・・
ということで早速作例行ってみましょう。
まずは一枚目。
Victar50mmf2.3改L39で一通り撮り終えてから、レンズをマウントカプラーごとつけ変えてのテスト撮影開始です。
この時点では既に陽がだいぶ傾いて、歴史がかった風景の撮影には丁度良い光線加減となりました。
そこで、いつも最低ワンカットは撮らせて戴いている深大寺窯の前での一枚です。
ちょうど、ほうずき越しに秋の夕陽が映え、背景が暗いモチーフだったこともあって、画面構成的には満足行くカットとなりました。
しかし、この描写が60年近く前に製造され、ロンドンの写真用品問屋の倉庫にずっと眠っていて、それが目覚めてすぐの一枚って信じられますか?
そして二枚目。
ゲゲゲ効果でお客さん倍増、西宮神社ぢゃあるまいし、ホクホク恵比寿顔のお嬢さんの笑顔をまたまた激写です。
ここのカットでも人工光と自然光のミックスでしかも光源のかなり近くの清潔感溢れる白い手拭いの姉さん被りですから、大フレア大会になるかと思いきや、最新のレンズとほぼ遜色ない描写で、しかも、ライティングの位置の関係で輪郭が強調されているだけあって、立体感の際立つ描写となったと思います。
後ボケも極めてお行儀が良く、解像力を除けば、同時代のシネレンズとも拮抗し得る性能を持つことを窺わせます。
それから三枚目。
閉園前にまたしても神代植物公園水生園に向かいます。
ここでは、かろうじて田んぼの畦に彼岸花が咲いていました。
そこで空の残照を受け光る水面を背景に彼岸花を写してみました。
その結果はこの通り、逆光に近い条件にも関わらず、かなりハイコントラストでシャープな写り、黙っておれば、クラシックレンズで撮ったとは誰も気付かないでしょう。
ましてや、デジタルでは、CCD撮像面との入射光のリバンドでコントラストは若干落ちると考えるのが妥当でしょうから、お馴染みのEKTARフィルムで撮った画の凄絶さは想像するに余ると思います。
まだまだの四枚目。
やっとここで、クラシックレンズらしいクセが出ました。
それは、また深大寺城址に登ると、塞堤上からいたいけな小姐が奇声を発し駆け降りてきたので、とっさにピンを合わせシャター切った一枚だったのですが、被写界に反射し射し込んだ太陽光は計算外だったため、画面右上に丸い光輪が薄っすらゴーストとして写り込んでしまったのです。
これが、やっと60年近く昔のモノコートのレンズだという自己主張をした一枚なのではないでしょうか。
このレンズ、生れ落ちた時は、デジタルなどという海のものとも山のものとも判らないような撮像機の眼として、風景を捉えるとは夢にも思ってはいなかったでしょうし。
最後の五枚目。
Victarのテストをした時に居た、イイカンジの大人のカップルはこの時点では既に店仕舞いしたか見当たりませんでしたが、このフィールドアスレチックマニアみたいな小姐が家族とマターリとした時間を過ごしていたので、木陰のベンチ越しに一枚頂きました。
ここでは家族にピンを置いていますが、前ボケとなるベンチも、斜めの陽光が当たり光っている葉もかなりキレイなボケとなっていて、驚いてしまいました。
今回の感想としては、まさにDallmeyer侮りがたし。実力からすれば、3群4枚のテッサー型の範疇を遥かに超え、ゾナーや、良く出来たクセノター型、或いはWガウス型とも比肩し得る総合性能だと思いました。
実はもう一本、工房の防湿庫にはこの兄弟が眠っていますので、今度はL39マウントで改造してみたいと思いました。
これで3本のレンズヘッドはCX、S、L39と世界の三大宗教ならぬ、世界のノンライツRF三大マウントを制覇することになるのです。
さて、次週はまた工房附設秘宝館から何かご紹介致しましょう。それにしても次から次へと良く出てくること・・・汗
- 2010/11/07(日) 22:00:00|
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【撮影データ】カメラ:R-D1s ISO 200 露出+1/3 絞り優先AE レンズ:Steinheil Cassr50mmf2.8改Sマウント 全コマ開放
さて、今宵のご紹介は予告通り、工房製の新作レンズのレポ-トを兼ねた街撮りです。今回は近所で手っ取り早く済ましちまえ・・・という魂胆も見え見えの浅草からです。
先週は築地~月島・佃、今週は浅草とは、ま、なんとまぁお手軽で済ませていることか。
今回のレンズは独Steinheil製のCassr50mmf2.8を工房でニコンSマウントに改造したものです。
実はこのレンズもご多分に洩れず、電子湾の夜釣りで引っ掛けたものなのですが、電子湾の画像では、レンズ本体の大きさがなかなか把握し難く、実はこのレンズももっと大きくて立派な偉丈夫のようなものであろうと想像しての落札だったのですが、着いてみてビックリ・・・予想よりも二周りも三周りも小さく、適当なヘリコ&マウントをくっつけてライカLマウントの仲間入りさせようと考えていたのですが、まさに「獲らぬ狸の革算用」状態で、手持ちのパーツにくっつけてみたら、子連れ狼の大五郎の髷か、或いは出来の悪い、正月の鏡餅みたいでカッコ悪いことこの上なし、そこで考えたのが、50mmの焦点距離を持つレンズのみの特権、ニコンSマウント化です。
元々着いた時にボードか何かに固定するのに使う雌ネジのリングが着いていたので、これを利用し、S/CXマウントの金具に固定して無限をとることとし、数時間の工作・調整の結果、このような、なかなかイケてるSマウントレンズが完成したワケです。
ただ、このレンズ、着いた時から気になる点があって、この画像では判りづらいですが、ノーコートのエレメントの殆どの面が乳白色に曇っており、マウント組む前にバラせる限りバラして、クリーニング液でガラス面を拭いたのですが、それでもとり切れず、テスト撮影時、暑さ避け&サボリのため、寄ったハヤタカメララボのNさんにわざわざ開けて拭いて戴いて、だいぶ改善はされたのですが、ソフトレンズみたいな写りの傾向までが払拭されるには至りませんでした。
作例行く前に簡単なレンズの素性紹介から。
このレンズは他のCassarシリーズが1950年代の中頃から末まで製造されていたことから、おそらく1956年から1958年くらいに製造されたものではないかと想定されます。
構成はその名のついた他のレンズ同様3枚玉のトリプレット、しかし、不可思議なことに丁寧にブルーイングされ、錆も油沁みもない鋼の絞り羽根は何と12枚もありました。
では、この1インチもない小さなスクリューマウントのレンズは何についていたのか、或いは何の交換レンズだったのか・・・それが今だに判らないのです。前出のNさんの意見では、ドイツで50年代に大量に作られた廉価版カメラでレンズ交換出来る機種、例えばパクセッテとかレグラとか、そういう大衆機の玉だったんではないのかなぁ・・・とのことでした。
とまぁ、想像はふくらみますが、そろそろ作例行ってみます。
まずは一枚目。
仲見世通りを歩いて、伝法院の柵沿いで暑さのためか、ひと休みしている、外国人の一家が居ました。
ドイツ人ではないかも知れませんが、このレンズが生れ落ちて一番最初に捉えた人物が9分9厘欧州の人達だったと考えれば、極東の地で新たなマウントを与えられて甦ったこのトリプレットのデビュー戦を飾るには、これほど相応しい被写体は居ませんでした。
そこで一枚戴いて、シャッター音に気付いたお母さんが、あら、今の瞬間撮っちゃったの?とか首傾げて苦笑したので、こちらも精一杯笑顔作り、「Vielen Dank!」とお礼を述べたら、意味が判ったのか、判らなかったのか、オヤジさんともども笑い返してくれたので、そっちを撮れば良かったなぁ・・・と少し惜しかったカットです。
オヤジさんの白帽子はかなりフレア出てますが、お母さんと小児の金髪と白い肌はキレイに描写出来ているのではないかと思います。
そして二枚目。
欧米人観光客とそんなやりとりの後、スカイツリーが見えるポイントが有ったのを思い出して雷門方面に少し戻っていくと、通りが開けた辺りで、この夏、人気沸騰の「アイスキャンディー」売りのおぢさんが居ました。
暫く粘ってシャッターチャンスを待ち続けていたら、このおじさん、溜め息着きながら、腰に手を当てて、只今成長中?のスカイツリーに向かって、「あぁ、暑いな、やんなっちゃうなぁ・・・」とか、奇妙なことを聞こえよがしに述べたのです。
暑いからこそ商売繁盛の氷菓子売りが、暑さを恨んでどうするのでしょうか???
しかし、彼もしょせん人間、本音が出たということでしょう。
そんな夏の微笑ましいひとコマを捉える僥倖に恵まれました。
なお、このレンズ、かなり眠い写りに見えますが、"アイスキャンディ"の幟にピンを置いたら、無限遠のスカイツリーがかなり細密に描写されています。
それから三枚め。
また仲見世を歩いて浅草寺までやって来て、いつもの撮影スポット、手動井戸のところで獲物を待ちました。
ここでは、親御さんもかなり大盤振る舞いというか、都会の中の田舎の観光地みたいなところなので、かなり鬼気迫る表情でカメラ構えて、童子達の一挙手一投足を狙いすましていても、文句を言ったり、咎めだてをする親には、今だかつて出合ったためしがありません。
そこで何枚か撮らせて貰ったのですが、ちょうど、このピンクの小々姐は背中から午後の太陽をもろに浴びる位置だったので、盛大なフレア大会になりました。
それでも、ピンは井戸の、しかも汲み出した水をすくう、弟さんの手許を狙っていましたので、全般的にフレアっぽい被写界ながら、井戸本体と男童子の手許はかなりの解像度で捉えられているのが判るのではないかと思います。
まだまだの四枚目。
浅草寺の境内を後にして、ハヤタカメララボまで歩き、そこで冷たいお茶なんか戴き、雑談を少々しながら、レンズを拭いて戴いての再スタートです。
仲見世の途中には、ガラスで仕事場が見えるようになっていて、そこで人形焼の類いを実演販売みたいにして売っているお店が何軒かあります。
その一軒で、いたいけな小々姐が熱心の職人さんの手許を見つめている姿が眼に留まりました。
そこで、親御さんに失礼しますよ、とか断って、ベストポジションに入り込み、何枚かシャッター切ったうちの一枚。有難うございますと言って立ち去ろうとしたら、苦笑しながら、ウチの子、変わってるでしょう?とか聞かれ、いやいやなかなか宜しい美意識ぢゃぁないでしょうか!?とか適当に相槌打ってその場を後にした次第です。
最後の五枚目。
さてそろそろ浅草を後にしようと地下鉄に向かって歩き始めたら、午後のスパートとばかりか、車夫(&車婦)各位が道行くカップルに熱心に営業活動を繰り広げています。
その熱心さに感心しましたので、彼らの熱心な働きぶりをこうして宣伝でもして、観光客誘致のお役にでも立とう、てなことで、パンフ片手のセールストークのシーンを一枚戴きました。
このカットでは、ピンは実はパンフに置いています。
適度なクモリのため、全体的にはソフトフォーカスレンズみたいになってしまっていますが、シャープネス調整の有る画像編集ソフトで以て拡大すると、赤いパンフに書かれた大部分の見出し程度は読み取れるほど、実はこのレンズの解像力は高いのです。
ということで、今回の一連の撮影で、実は悩みを抱えてしまって、もっと状態のイイレンズを探して、同じようにSマウント化して本来の性能、ここでは解像度とコントラストを追求すべきか、或いは、多少お金かかっても、大久保の名人に相談して、このレンズ自体の本来の性能を追求すべきか、或いは、この写り自体がこのレンズの経てきた歳月そのものであるから、このまま使うべきなのか?
う~ん、悩みは尽きることを知らないようです。
さて、来週はまた秘宝館から何か面白いのを見つけてレポートしましょう。乞うご期待。
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- 2010/09/05(日) 13:41:47|
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【撮影データ】カメラ:LeicaM8 絞り優先AE ISO Auto 全コマ 開放 ロケ地:浅草
さて、一月ももう二週間も過ぎ、当工房操業報告でもあるブログも本年二回目の更新です。
今回も撮影日時は異なりますが、浅草からの作例紹介になります。
このレンズをまずご覧になって、な~んだ、コンタックスパチモンのキエフ4にオリジナルのゾナー付けただけじゃね、面白くも何ともねんぢゃね・・・と思われる向きもあろうかと思います。
ところが、このゾナー、ただのゾナーぢゃない、先週のKinematographに先駆けて走っていたプロジェクトの成果で甦ったハイブリッドレンズなのです。
中古カメラ屋巡り、或いは世界中古市のような中古カメラが沢山並んでいる場所で、たまに見かけるのが、前玉が磨りガラス状態になり、羽は油まみれ、そして後玉もコーティングが草間彌生の版画よろしく、水玉模様になってしまっている痛々しい沈胴ゾナー5cmf2です。
稀代の銘玉もこのようなまともに撮影に使えない状態では、1万円以内で叩き売られています。
以前、この憐れなゾナーを何本か買い上げ、川崎の友誼工場で、前・後玉の研磨再コート、そして鏡胴内部のクリーニングと調整をして貰い、そのうち数本をニコン規格で組んで貰っています。
しかし、かなり手間のかかる修復作業なので、コストが高く、この作業で元のレンズの購入代金の4本分近くかかってしまいます。
可哀想なゾナーを見かけるたび、何とか甦らせて、また撮れるようにして上げたいという思いは抱くものの、遂に直近買った最後の一本は、修理にも出さず、マウント取りの部品用にでも使おうと防湿庫その底で眠りに就いていました。
しかし、或る日、買ってから暫く、分解方法が判らなかったのが、ふと閃き、あっと言う間に沈胴のマウント部とシャフトを分離し、そしてシャフト部から中身の光学ユニットを取り出し、前玉、中群、後群と取り出すことに成功しました。
最初は、前玉と後玉だけ、当工房に腐るほど在庫があるロシアのジュピター8から外して嵌めれば、取りあえず撮ることは出来るようになるだろうと考えたのですが、世の中そんなに甘くない・・・ゾナーとジュピターには、超えるに超えられない壁があったのです。
それは何かというと、前玉が銘板の下で枠金物にかしめた上で装着されており、一方、ジュピターは前玉受けは分解可能な別形状の金物になっており、そのままでは玉交換は出来ないことが判ったのです。
しかし、中玉は全く同じ形状で互換性はありそうでした。尤も中玉は憎たらしいくらいキレイなままだったので、これはそのまま使うこととして、改造方法を考案しました。
そこでまた閃いたのが、外観はボロボロでどーしょうもないレンズを一山幾ら、で送ってきた中から、50年台前半のジュピターを探すこと。
ジュピターの銘板の前から2桁が西暦の製造年の末尾2桁を表すので、簡単に見つかりました。
何と、49年生のボロボロのレンズがあり、玉は傷々、フィルター枠は曲がり、一部欠け落ち、鏡胴にもシールだかタールだかのベトベトが乾いたような物質がくっ付いていて、お世辞にもガラクタ以上のものとは言えませんでした。
う~ん、これに較べりゃ、まだゾナーは息がある・・・と正直、思った次第。
ところが、鏡胴から内部の光学系を取り出してみたら、精緻の旋盤加工で削り出された内部筒の外観形状は、戦前のゾナーと瓜二つで、真鍮から削り出して作ったか、アルミからかの違いくらいです。
勿論、形状、寸法も全く同一ですから、沈胴のシャフト部には何の違和感なくすっぽり収まりました。
大きな違いは、前玉の固定方法、戦前のゾナーの真鍮の眼鏡みたいな真鍮枠を介しての装着に対し、ジュピターはクラスノゴルスクでの生産プロセス改良の賜物か、終戦直前にツアイス自身が改良したのか判りませんが、筒の最先端部の構造が枠金物無しで前玉を保持出来る形状になっており、新しい玉を幾らでも嵌め替えられる構造にしてあったのです。
一方、後玉を受け入れる部分はオリジナルと同一で、スクリューを回してやれば、後玉が金物ごとすっぽり抜けてしまい、そのまま別のものと入れ替えが出来る構造になっていたのでした。
そこで、またいつもの地道な作業で前玉と後群の焦点距離の短いものをキレイなパーツから選って組み合わせ、オリジナルの中玉はそのままにニコンの基準である51.6mmに近づけた光学系の創出に成功しました。
そうして、パーツが全て揃ったところで、組み上げに入ったワケですが、中玉同様、銘板もオリジナルのゾナーのものを使いたかったので、前玉を固定する押さえリングをジュピターのものから現物合わせで削って薄くして、銘板が所定位置までねじ込めるようにしたのです。
文章にしてしまうとあっけないですが、結構な手間がかかりました。
でも、お金をかけずに気の毒なゾナーを甦らせることが出来たので、かなりの達成感はありました。
そこで作例いってみます。
まず一枚目。
浅草と言えば雷門、その下で欧米人のツーリスト諸氏がガイド役の兄さんと、ディベートの練習をおっぱじめたようでした。
最初は提灯下部の金物のアップでも撮って、フレアのテストしようと思っていたのですが、急遽、テストモードを変更し、白人の肌の再現性を確認。
結構、シャープで色ノリ良く写っています。
しかも、ゾナーにしては、前ボケがかなりおだやかです。
そして二枚目。
仲見世をずんずん歩いていくと、お土産物屋さんの前で、年端もいかない小々姐がずいぶん年の離れたお母さんの携帯を覗き込み、甘えています。
そこを音もなく近寄り、一枚戴き。シャッター切った直後、娘さんがご注進に及び、お母さん、あ~らいやだ、撮る時は撮るって言ってよ・・・と苦笑、すいません、イイ表情の瞬間だったんで(本音は娘さん主体なんですが)、という微笑ましいやりとり。
光源が宜しくなかった割には、小々姐の瑞々しい肌、美しい健康的な黒髪の質感が程好いシャープさで捉えられています。
また、後ボケがなかなか穏やかで好感持てました。
続いて三枚目。
仲見世を終点まで歩き、宝蔵門前までやってきました。
この時点では年末の行事前だったので、門の前に寄進者の名前を書き連ねた提灯が並んでいます。
これを宝蔵門をバックに一枚戴き。
ここでも、シャープネスと前ボケのバランスの良さが見て取れます。
まだまだの四枚目。
いつもタダでロケさせて戴くのも申し訳ないので、たまには本堂にお参りし、お賽銭を上げました。
すると、速攻のご利益か、また母娘の微笑ましい光景が目の前で繰り広げられ、如何にも撮って下さいと言わんばかりぢゃないですか・・・
ここでまた一枚戴き。
光線状態は最悪に近いですが、それでも、衣服の記事、毛髪の質感描写はかなり上手くいっており、逆光となった背後の蛍光灯もフレアはそれほど膨らみませんでした。
また、低速シャッターの恩恵として、周りの人物が皆、流れて面白い一枚になったと思います。
最後の五枚目。
仄暗い本堂を後にし、また陽が傾いたとはいえ、十分明るい表に出ました。
そして、いつものおみくじ売り場にやって来てみれば、今度は小姐とその弟がおみくじにうち興じています。
こんな年端もいかないうちから神頼みかい・・・とか思いつつ、一枚戴き。
ここでは、子供達の瑞々しい肌、そして黒髪の質感を余すところ無く捉え、一方、ステンレス製と思しき、おみくじ入れは、微妙なフレアで金属の冷たさを和らげたかの如き描写となっています。
今回の感想としては、一般的にはジュピターはゾナーの劣化コピーであって、年追うごとに品質低下の一途を辿ったなどと言われていますが、前玉こそ70年代始めのものを使いましたが、後玉は80年代になってからの赤茶けたコートのものを使っても、ご覧の通り、おそらく店頭に並ぶ未整備のゾナー、或いはニッコールにも遜色ない写りをするものが出来上がりました。
今後も風説、一般論に惑わされず、技術を磨くとともに、自らの手で実証していきたいと考えました。
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- 2010/01/17(日) 21:00:39|
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【撮影データ】カメラ:R-D1s JSO400 露出+1/3 絞り優先AE 全コマ開放
さて、まず初めに、私ども新宿西口写真修錬会の写真展も先週金曜から開催させて戴き、愛読者各位の多数ご来臨を賜ったことを深く御礼申し上げさせて戴きます。
ということで、今宵のご紹介も写真展会期前週にテスト撮影に行った深大寺での作例からのご紹介になります。
まず、タイトルをご覧になって、えぇぇぇぇ、ジュピター8Mだってぇ、なんでぇ、深川も不況の影響で遂に屑ぃ~お払ぃ~♪に手ぇ出すようになっちまったんだね、夢もひったくれもあったもんぢゃねぇやね、熊さんよぉ! そーだ、そーだ、八っつあんの言う通りでぇ・・・などという市井の民草の怨嗟の声が聞こえてきそうですが、さにあらず、見た目はちょっとキレイなジュピター8Mでも、中身も外見も全然の別物なんです。
今しばしガマンしてのお付き合いを・・・
まず、ジュピター8Mの氏素性について、おさらいを致します。
このレンズは言うまでもなく、1930年代から作られてきたCarl Zeiss社のSonnarのコピーで、そもそもは第二次世界大戦で敗戦国のドイツで東半分を占領したソ連軍が、戦後賠償の一部として、被占領地のJenaにあったCarl Zeiss社の製造設備をソ連国内に持ち出し製造を始め、1945~49年くらいまでは、名前もそのものずばりZK(Zonnar Krasnogorsk)銘で、50年くらいから、Jupiter8銘、そして60年代から8M銘になったようです。
レンズ構成はもう説明の必要すらないと思いますが、3群6枚のゾナータイプそのものです。
ただ、コーティングはロシアで独自に発達させたEB(電子線蒸着)コートの赤紫系となっています。
当工房には、安いこともあり、マウントパーツや検査機器用、ルーペ代わりとあれば重宝することもあり、安いロシア製レンズが百数十個以上ストックされています・・・正確には着いてすぐ、部品単位にばらして仕分けして仕舞うので、パーツが百数十個分というべきです。
或る時、机の上に転がっているひとつの不動レンズが目に止まり、それを復活させるべく、時代によって、エレメントのサイズ、単体焦点距離、コーティング・硝材が異なるこのジュピター8、8Mのエレメント、そして鏡胴内部の金物を色々組み合わせて研究した結果、検証用として産まれた一本がこのJupitar8M改なのです。
その最大の特徴は、ツァイスゾナー5cmf2のデッドコピーであれば、基準焦点距離は52.1~3mmでなければならないのですが、一方ニコンのそれはライカと同じく51.6mmのため、ばらしたエレメントのうち、キズの全くないものを選った中から、前玉と後玉の個体焦点距離の短いものをそれぞれ選び、組んではニッコールと投影像の大きさ比較をして、殆どニコンと同じ焦点距離の光学系を新たに作り出すことに成功したのです。
能書きはこれくらいにしておいて、早速作例行きます。今回は、ニコンとツァイスの基準焦点距離の違いを無事クリアしたことを示すため、近距離の被写体中心です。
まず一枚目。
深大寺といえば、中国の水の神様を祭っていることでも知られており、そうでなくとも蕎麦が観光資源となっているように、湧水の質、量ともに大変優れています。
その象徴とも言える寺の境内に井戸があり、参拝前の禊用に用いられています。
その年中流れ落ちる井戸端に茂る水草と、アルマイトの柄杓の対比が面白くて一枚。
オフフォーカス部はフレアっぽくぼけていますが、ピンを置いた手前から二本目の柄杓のアルマイトは極めてクリア、且つシャープに結像しています。
そして二枚目。
深大寺の参道には色々な茶店や料理屋、土産物屋が軒を並べているのですが、その中に「深大寺窯」という観光用の陶芸体験施設があります。
その軒先で、秋の草が渋めの花瓶に植えられていたので一枚戴き。
ここでは、赤い花にピン置いてますが、その前のオフフォーカス部のフレアが何ともファンタジー的になったのではないかと思いました。
それから三枚目。
今度は山門方面に目を転じると、陽も傾きかけた参道のベンチで歩き疲れた老夫婦が杏飴か何かを食べながら、何かしんみりと話し込んでいるようです。
パブロフの狗よろしく、頭の中に「人生が、二度有ればWowowowo♪」とか勝手に流れ、反射的にシャッターを切った一枚がこれでした。
何か寂寥感みたいなものも写り込んでいるのではないでしょうか。
ただ、少し離れた山門を挟んだ反対側の参道に面した土産物屋前を歩く人々は、つのだじろうの恐怖新聞か、ムンクの叫びみたいに歪んでしまっています。
まだまだの四枚目。
頭の中の音楽が鳴り止むのを待って、深大寺窯の前を再び張り込むと、清楚なカンジのお嬢さんが、陶器を手にとって品定めに熱中しています。
そのシルエットが美しかったので、一枚戴き。
ここでは、人工光と沈み行く陽光がブレンドされ、しかも被写界に点光源が写り込むというシビアな条件だったにも関わらず、この頑張り屋さんのレンズはかなり目で見たままを忠実に捉えています。
最後の五枚目。
ちょうど、太陽が地平線に姿を消そうという頃、例のお饅頭屋さんは商売最後のひと踏ん張りに励みます。
小生のように、アヤシゲなカメラ持って、目をぎらぎらさせて獲物(被写体)を探しまくる不審人物に声かけて勧誘したところで、甘いものなど買い求めて、ほんの僅かな時の移ろいを楽しもうなどと考えよう筈もなく、徒労に終わることは一目瞭然ですから、いかにも柔和な雰囲気を漂わせた夫婦者にターゲットを絞り、巧みなセールストークの釣瓶撃ちです。
その甲斐有って、あまりカメラ関連にお金かけないけど、その分、生活のグレードには気を遣ってますよぉぉぉってなご夫妻が店頭で味噌おでんかなんかを頬張って、自発的モデルになってくれたのを有り難く一枚戴きました。
ここでも、かなり難しい光線条件にも関わらず、上手い具合いに夕暮れ感を醸しだしてくれました。
今回の感想としては、通説は必ずしもアテにはならず、自分で手を下さないと真実は見えてこない・・・ということでした。
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- 2009/11/08(日) 23:17:10|
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【撮影データ】カメラ:R-D1s 絞り優先AE 全コマ開放 露出+1/3 ISO200
今週末は土日とも好天に恵まれ、自民党政権の置き土産である休日高速乗り放題1000円の恩恵に与かり、行楽に出かけられた方も多いと思います。
このやや引きこもり気味の工房主人は、土曜日はついつい閃いたメカの実機化と生産技術への実証にほぼ一日弱を費やし、とうとう出かけずじまいになってしまったので、この日曜日には、翌日が会社勤めであることも度外視し、近場の行楽に出かけました。
とは言っても、腰の重い主人のこと、出かける前に昨日組んだレンズの無限チェックした、やや甘く、直したら、今度は近距離で傾斜カムのプロファイルがおかしいという迷宮に入り込み、出かけたのが12時ちょうど、途中、門仲交差点のサブウェイでメシなんか食べてから都営線経由京急で横浜、そこから逗子行きで、目的地の鎌倉に着いたのは、2時半前になってからのことでした。
今回は直近開発・製造したレンズと過去に製造したものの、ずっと出番待ちになっていた一本との混成軍によるロングランテストの半日でした。
で、今回ご紹介するのが、このFujinon-E5cmf3.5改Sマウントです。
この隠れた銘玉・・・とはいっても中古カメラ店では、程度の悪いものなら200~300円でも買い手が付かないこのレンズを、工房開設当時、練習台として買ったまま、ずっと手付かずで防湿庫の奥で、地層に埋もれ続けていたのですが、或る頃、電子湾が不漁で全然、新鮮な玉が入手出来ない時、思い切って、レンズを全部開け、エレメントの清掃、コバ塗り、そして、引伸ばしレンズに有りがちな、チョークリングの切開を行い、実効F3.3程度まで明るくすることに成功、そしてこれによって球面収差が増大することが予想されることから、カリカリの引伸用レンズから、撮影用への転用が上手く行くだろうとの想定したわけです。
実際にマウント加工前のレーザ光のコリメーションやラヂアス&タンジェンシャルパターン投影でも、素晴らしい性能を発揮していたので、実写はむべなるかなとは予想してはいましたが、まさか、同じR-D1sでの撮影、しかもアヤシゲな三国製のS-Mアダプタ経由の撮影で、先に加工したFujinar-E5cmf4.5改Lを凌駕するような描写力を発揮してしまうとは・・・まさに恐るべし、オーパーツです。
では、実写作例行ってみましょう。
まず一枚目。
これは、小町通りの名物ともなっている、人力車の車夫さん達の営業風景その一です。
この掛布元監督みたいな顔立ちの若いガチムチ兄いはたぶん新顔なのでしょうが、断られても、断られても、イヤな顔ひとつせず、直射日光がカンカン照りの下、極めてソフトな語り口で次から次へと気の弱そうなカップルを勧誘していきます。
笑った瞬間を狙ったので、一番ピント合わせ易い肩口であわせましたが、寧ろ、笑顔がソフトなカンジになって結果オーライではなかったかとも思います。それにしてもバックのボケはとてもキレイでとてもテッサー型とは思えません。
続いて二枚目。
小町通りを暫く歩いてから左に折れるとお約束の撮影スポット其ノ1に当ります。
ここには、風雨に朽ちるに任せてある、真紅のスクーターが路地裏の黒板塀の茶店脇に一年365日何時でも置いてあって、ご自由に撮影して下さい♪と勧誘しているようなものです。
このカットでも、風雨ですっかり光沢を失った赤いカウルの鈍い発色と黒板塀の照り返し、ガラスの反射と質感の緻密な描き分けに成功していると思います。
おっと、シャッター押したら、小姐が中から出てきてしまった・・・これにはあえてコメント致しません。
そして三枚目。
何枚か撮ったら、また路地裏を後にして、華やかな小町通りに戻ります。
ここで、色とりどりの傘がカラフルに虚空にディスプレイされていました。ここで一枚戴き。
ピンは一番手前のゲゲゲの鬼太郎のちゃんちゃんこ柄の傘の布のエッジに合わせていますが、極めてシャープ、後ボケも溶けるが如くで心地良く随伴した謎のスーパーレンズとも拮抗する出来でした。
更に四枚目。
通りを奥まで歩き、鶴岡八幡の前の通りと交差するあたりで引き返し、表の小町通りを駅に向かいます。
ここで、また車夫さんの勧誘活動に遭遇、今度の青年は語り口の口上もさることながら、表情の起伏の作り方がとても上手く、カップルは完全にペースに乗せられてます。ここで成約を祈りつつ、一枚戴き。このカットが、引伸レンズは平面から平面の投影向けに特化して設計されているので、撮影に使えても、平坦な描写になって面白みがない・・・という教科書的な概念を否定してくれます。
最後の五枚目。
この暑い日中に歩き回ると、いくら秋口とは言え、暑くもなりますし、喉も渇きます。
そこでふと眼に留まったのが、この涼しげな水流で冷やされている地ビール・・・
まだはんぶん以上、旅程を残し、撮影予定枚数も半分以下なので、ここは心を鬼にしてガマン、写真だけ撮って、涼しい雰囲気だけ貰ってその場を後にしました。
今回の感想は、恐るべし引伸ばしレンズ・・・ジャンク寸前の棚にもこんなかっとんだ描写をするレンズが潜んでいるものだ、と改めて認識した次第。
工房主人のレンズ遍歴の旅はまだまだ続きそうです。
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- 2009/09/06(日) 22:44:57|
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【撮影データ】カメラ:ニコンS2 フィルム スーパーセンチュリア100 全コマ開放
さて、このところいつもは日曜の晩に更新を行っていますが、明日からまたGW旅行第二段に出掛けてしまうので、一日早い更新です。
今回のご紹介は、某新宿西口靴屋ビル2階にある中古カメラのジャンク棚に野晒しになりながらも、未使用で新たな主を探していた、旧コニカ製の引伸用レンズ E-Hexanon50mmf3.5を破格の一万円プラス消費税で買い求め、当工房にてSマウント改造したものです。
実のところ、本当は有り余るキャノン製のヘリコイド&マウントユニットと結合させてカッコイイLマウントレンズを拵えようと思ったのですが、何せ、フランジバックが短く、かといって、もうひとつの主要パーツの供給源のロシアのインダスター系では今度は長すぎ、クリアランス調整用にフランジを噛ませても、カッコが良くない・・・で性根が怠け者の工房主人は、手っ取り早くレンジファインダーレンズに改造出来るSマウント化に踏み切ったというのが真相です。
ところで、タイトルで「その名前の進化」云々と言ってますが、一体これは何を意味するのか・・・
もう聡明な読者各位はお気づきでしょうが、今年の初めに月刊写真工業の市川元編集長殿から拝領した引伸ばし用のHexar5cmf3.5をLマウント改造しましたが、そのレンズと比較してのことなのです。
Hexarは戦後間もない1940年代半ばから後半の輸出用、そしてこのE-Hexanonは、製品に付属していた真新しいプラケースが"Konishiroku"銘ではなく、すっきりさっぱり"Konica"銘になっていることから、どんなに遡っても、1970年代半ば以降、ひょっとすると80年代に入っての製品かも知れません。
今回はエレメントも絞りも非常に美しい状態でやってきたので、開ける必要は全くなさそうだったのですが、Sマウント金具との結合作業で、L39スレッドの内外を切削加工する必要があったので、前後のエレメントを鏡胴からバラシましたが、このレンズも50mmクラスの引伸しレンズには贅沢なことに、計4群6枚のWガウスタイプでした。
先のHexarが逆テッサータイプと考えられたの対し、ずいぶんと奢った設計になっていると思います。
その進化を如実に表しているのが、まさに今回の御題、名前の変遷なのです。
ものの本によれば、小西六は、3群4枚構成のものは、Tessarに倣いHexar、そしてそれ以上に枚数、群の多いものは、Hexanonとしたとのことで、やはり進化していたのです。
では、その進化の度合いを作例で見て行きましょう。今回も先週ご紹介のCanon N-FDと同伴での神楽坂ツアー続編です。なお、前回のN-FD20-35mmも今回のHexanonも開放値がf3.5というのは楽しい偶然でした。
まず、一枚目。これは神楽坂の交差点を渡り坂を登り出してすぐ左側にある、瀬戸物屋兼、レトロおもちゃ屋さんの店先で撮ったものです。
若干陽光が当るビニール包装のおもちゃ類は合焦部であるにも関わらず微かにフレアっぽく写り、反対に被写界深度の後ろギリギリに位置する店内の瀬戸物はかなりシャープに色も忠実に再現しています。
そして二枚目。今度は少し坂を上って左の路地に折れると、いきなり南欧のカフェレストランみたいなお店が姿を現してきます。
そのお店の看板を至近距離で一枚戴き。
木陰になっていたお陰で白い看板はフレアに見舞われず、またコントラストも低下しないまま、かなりみたままにシャープに捉えられています。
店先もバックに入っていますが、この距離での後ボケはかなり素直で好感持てるのではないかと思います。
続いて3枚目。神楽坂の中ほどを横切るかなりの交通量の有る道路を横断して坂を更に登っていくと、イイかんじの食品スーパーあり、個人商店有りなのですが、いつも撮らせて戴くのが、昔風に言う荒物屋さん、今風に言えば生活用品屋さんの店頭のこのカラフルな篠籠です。
お店の方はテストのための被写体を鵜の目鷹の目で捜し歩く遠来からのアマチュアカメラマンの便宜を図ってということでもないでしょうが、色といい、編み目といい、レンズの持つ、発色性能、カラーバランス、何よりも解像力を同時に試すには格好のターゲットなのです。
最後に4枚目。ここも、神楽坂での撮影行ではもれなく立ち寄る名被写体なのです。
場所は坂を登りきって、東西線の神楽坂駅の入口付近、設計事務所か何かが入っている建物らしいのですが、このグリム兄弟が街の人たちをペテンにかけながら下宿してそうなカンジのクラシックな窓を持つ建物では、ちょくちょく個展みたいなものが開かれていて、今回もリトグラフの作家展をやっていました。
しかし、ただ建物を撮るんぢゃ芸がないし、東北方面の朋友など、許してくれそうにないので、息を潜めて待つこと約5分、清楚なカンジのお嬢さん2名が足早に通り過ぎようとしていたので、M3に勝るとも劣らない速写性を誇る我らがS2の能力を駆使して戴いたのがこのカットという次第です。
今回思ったことは、やはり神楽坂での街撮りには、フィルムが面白いのではないかということ。
時間がない場合、R-D1SやM8でさっと流して撮ってしまったこともありますが、深川とはまた異なった歴史と庶民の生活の息吹が根付くこの街のリズムに合わせて撮り歩くには、やはり銀塩のカメラがイイと思った次第です。
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- 2009/05/02(土) 20:04:48|
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【撮影データ:カメラ Nikon SP フィルム Super Centuria100 全コマ 開放】
さて、新年第二弾の更新は、ちょいとキブンを変えて、工房作品から、久々の英国製レンズの改造モノのご紹介です。
この読者の方々は良くご存知の通り、当工房では、L、M、S、CX、M42、そしてニコンSマウントの改造を手掛けていますが、そのレンズヘッドでは、件数から言えば、アリフレックス用レンズが一番多くなっており、それに次いで増えてきているのが、引伸ばし用レンズなのです。
このレンズは、年代等は資料がないので不詳ですが、ノーコートであり、またメッキではなく黒塗り仕上げ、そしてネジが引伸しで主流のL39ではなく20mm弱であったことから、おそらく戦前、1930年台くらいのモノではないかと推定します。
しかし、それにしては、保存状態は良く、タイムマシンに乗って、神宮寺老人が届けてくれたみたいです。
尤も、外装はかなりまともでしたが、工房に入荷した時はレンズは埃だらけ、中もカビともたんぽぽの胞子とも思えるような白いもやもやだらけでとても光線がまともに透過出来る状態ではなかったのですが、何とか分解し、レンズをクリーニング、そして絞り羽根も脱脂し、ついでに光軸もチェック、エレメントの回し調整も行い、ベストの状態に仕上げました。一部、かしめがあったので確実ではないですが、トリプレット構成だったと思います。
さぁ、ここからが工房の腕の見せどころです。
このレンズのフランジバックを測ってみたら、親指の先よりはちょいと大きいくらいの可愛い玉なんですが、なんと40mm以上もあって、あとひとがんばりすれば一眼レフに使えるくらいでした。
これだけ長いと、RF用であれば、スペーサとマウント部でのケラレだけ注意してやれば、どんなマウントでも改造可能なのですが、やはり、見た目重視の当工房では、ニコンSマウント化を採用しました。
Sマウントの金具に繋げる部分には、2014番のヂュラルミン丸インゴットから削り出したメインスペーサ、そして、レンズのネジを加えるマウスには、高力真鍮の丸インゴットから削り出したパーツを奢っています。真鍮部分にはもちろん工房特製のニッケル・錫合金化メッキを施しています。
では、早速、作例で写りの実力?を見ていきましょう。
まず一枚目ですが、代官山の西郷山公園下の何とか橋の袂のちょいと小奇麗な民家の軒下から冬空を入れたカットです。
ノーコートの古いレンズにも関わらず、フレア、ゴーストは気にならないレベルまでミニマイズされていますし、開放から合焦部のディティールのシャープさは目を見張るものがあります。発色は穏やかで英国のカンツリーハウスを思い起こさせます。
また、前ボケの葉も決して醜くはないと思います。
そして二枚目、これはもっとシビアな条件でテストするため選んだ条件で、やはり代官山の結婚式伝門?の教会の白い建物を青空をバックに写したものです。
ここでも全く破綻がありません。
建物の白と背景の雲の白とを遠近感も交え、繊細なニュアンスで描き分けています。
また、注意して見ると建物の軒下のシャドーの部分のパネルのテクスチもしっかり捉えており、パワフルながら繊細という、この豆レンズの恐るべき素性を垣間見せています。
そして三枚目、これも代官山でヒルズの入り口というか、「猿楽塚古墳」の対面の駐車場に停まっていたミニクーパーを英国レンズのご縁ということで戴きました。
乾いた冷たい空気の下、主をじっと待つ忠実な機械・・・というイメージでメタリックな塗装の質感も、車の乗ったレンガ状のタイルの質感も、そして枯葉の連なった樹の枝の質感も、抑え目な締まった発色と程好いシャープネスで描き分けて、季節感を漂わせるお気に入りの一枚になりました。
以上ざっとご覧戴いたように、この70歳近くの英国製豆レンズは、当工房の手当てこそ受けたものの、持ち前の比類なき素質を発揮し、かのエルンストライツ社のフォコタ、エンラージングエルマー、そして同郷のCooke Ental、Ross Resoluxとも決して負けないパワーと繊細さを見せ付けてくれたのです。
こういう意図しない出会いが、当工房継続の強い動機となっているのです。
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- 2009/01/12(月) 21:58:52|
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今回のご紹介は、工房秋新作、満を持しての登場です。
このレンズは加工自体は佐原から戻って次の週いは完成していたのですが、やれ実家の用事だら、新しく来たレンズの加工に予想以上に手間取っただら、天気が悪かっただら、何のかんの理由を付け、試写に行っていなかったのでご紹介が遅れました。
先の土曜日、某カリスマ放浪写真ブロガー?T氏、みちのくからの遠征軍?を含めたいつもの愉快な仲間達で、恒例の撮影会と称して、紅葉まっ盛り、新蕎麦も出盛りの深大寺に行って、このレンズを含む3本のシェイクダウンテストと、比較用のノクチの試写も兼ねて一日遊んできたのです。
天気はやや曇りがちで、午前中の集合だったので、あまり人出もなく、茶店の姐さん?達もあまり気合いが入っていないカンジだし、何よりも、深大寺のランドマークであり、初心者から、ハイアマチュア、セミプロにいたるまで、ここで撮影するとしたら、必ずワンカットは収めるという、山門が工事中で囲いに覆われ、しかも、無粋な建機が前に立ちふさがって、とてもカメラを向ける気が起きないような有様でしたが、あにはからんや、お昼まで門前の茶店で新蕎麦を堪能し、12時から撮影をスタートしたら、陽がさしてきて、撮影日和になってきたのです。
遠来のゲストも含め、深大寺は初めてという方が何名か居られたので、何人かでグループに別れ、14時に山門前再集合ということで、小生はみちのくからのゲストをお誘いし、まずは水生植物園、そして深大寺城址、そして水車記念館を経て門前の茶店通りに戻ってくるというルートを選択しました。
このルートでは、このレンズ、そう説明が遅れましたが、エルンストライツ社のフォコマート用の引伸レンズのひとつであるEnlarging Elmar5cmf3.5を当工房でニコンSマウントに改造したものと、同じく、某シネレンズをこれも工房でMマウント改造した新作とで交互に撮りながらの道行きとなりました。
その結果を3枚ほどアップしましたが、勿論全て開放での作例なのですが、とにかく解像度とヌケが素晴らしいです。
一枚目は水生植物園の底なし沼のようなところに植わっていた、朽ちかけたハスの葉を試し撮りしてみたのですが、合焦部のシャープネスというか、迫真の臨場感は、やや後ボケが崩れている点の好き嫌いはありましょうが、まさに本職のスティルカメラ用のエルマーを失業に追い込むのに十分なものを有しています。
二枚目は水生植物園から少し登った高台に有る深大寺城址の芝生上の柱石です。やはり合焦部の石の硬さや、重さといった質感の描写と画面全体の均質な解像感は卓越しています。こちらは後ボケは渦も巻いていませんし、ちょっと崩れが感じられる程度で、これは表現のひとつとして許容範囲ではないかと思います。
そして、三枚目はまさにこのレンズの限界性能を表す作例としてアップしたのですが、逆光で萱葺き屋根の破風を撮りましたが、フレアも予想以上に少なく、作画、描写を邪魔しません。
それどこか、シャドーになる萱の刈られた端面の一本一本がくっきり解像されています。これも、人間の目ではここまで捉えているかどうかアヤシイものなので、このレンズの「超能力」を表しているのではないかと思います。
一説によれば、この引伸レンズは日本勢の躍進に業を煮やしたライカがSuper Angulon、Summarit等で協力関係にあるSchneider Kreuznach社にOEM供給して貰ったという話もありますから、ことによると、撮影でも卓越した性能を発揮するCompononSの兄弟機にあたるのかも知れません。
テーマ:ニコンSマウント - ジャンル:写真
- 2008/11/16(日) 21:53:40|
- Sマウント改造レンズ
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夏も過ぎ、秋の気配も深まった頃、再び、私は神宮寺老人に彼の庵へと呼び出された。
何でも、紀元前のエジプトで深海生物が"レンズ"という概念を消失させる寸前に阻止し、やっと、「こちら」へ戻ってきたので土産話がてら会いたいということだった。
せっかく街に出るのだから、たまには中古カメラ屋でも覗かなくっちゃってことで、早めに家を出て、一旦、銀座で降り、教会の最上階に位置する、「かぼす舎」なるカメラ屋に立ち寄る。
すると、先般は相当係わり合いがあった、ニコンのレンジファインダーのコーナーになにやら不可思議な組み合わせの出品が・・・しかも日付が何故間違えたのか、来月の今日になっている。
早速、店員さんを呼んで、ショーケースから出して貰い、手にとって確かめてみる。店員さん曰く、こんなカメラ、誰がいつ出したのかな、しかも日付がおかしいし・・・と。
ニコンの報道用SPのしかも良く使い込まれたボディに何故か米国製のWollensak Velostigmatの2"f2.8が付いている。
このレンズが、レンジファインダー用として製造されたのは、クラルスとかパーフォレクスとかいう安物のライカコピーと超レアではあるが、デトローラ400の2台しかないと聞いている。
しかもデトローラ用でf2.8なら試作しかないはずなので超レアだし、今嵌っているボディはそれらのうちどれでもない。
戦時中から戦後間もなく作られたレンズだから、戦中であれば、軍用としては信頼性の高いライカタイプしか作っていないだろうし、戦後なら、わざわざ戦勝国が敗戦国のしかも機構的に面倒なタイプのもの、即ち、ニコンSやコンタックスマウントのレンズなど作る必然性などないのだ。
幾ら考えても思考はまとまらず、ただ時が移ろうばかりで神宮寺老人とのアポに遅れてしまうのも気が引けるので、この不可思議なコンビをとりあえず買って行って、神宮寺老人を驚かせようと、いうことにした。
東銀座から再び地下鉄の乗り、都心から外れた高級住宅街の奥まった一角に鬱蒼と茂る林があり、その奥に神宮寺老人の屋敷と「庵」は有る。
屋敷のゲートでチャイムを押し来意を告げると、下働きの吾作爺が出てきて、「旦那様は庵の方で先ほどからお待ちです」と言って、鉄扉を開けて導いてくれた。
茶室でもある「庵」のくぐり戸を抜け屋内に入ると、神宮寺老人は結跏趺坐の半目で瞑想状態にあった。
しかし、さすがは予備役とは言え、元敏腕のタイムガ-ディアン、気配を察してすぐさま覚醒状態に戻り、何も無かったかの如く、永の無沙汰の挨拶を発した。
「だいぶ長いこと会っていなかったね・・・尤も、戻る時間を出発の翌日にしてしまうことも出来たが、それでは、キミの方が感覚がおかしくなってしまうだろう。我々には、時間の流れは一定の速さで一方向で流れているものでなく、少なくとも自分の存在はその束縛には囚われていない・・・」
はぃはぃ、また時間航行の講釈が始まったかと思いつつ、うんざりした表情になりかけた時、老人が、「また、クレージィなヤツが居て、時間渡航禁止先のひとつである、1944年にまた密航した。」
えっ、またお供ですか、それでまた呼んだんですか!?と鼻白もうと思ったが、老人は先回りして、「まだ確証は取れていないが、今度はかなり政治的な動機が絡んでいる、一番、SF小説に取り上げられる頻度が高いネタ、そう太平洋戦争に日本が勝利し、米国を統治するってヤツだ。」
しかし、一個人が元々の負け戦の現場に紛れ込んでもどうなるものでもなかろうが・・・と思ったが、老人は「まだ調査段階なので、すぐに飛ぶことはないと思うが・・・」と。
そこで話題を替え、二人の共通の趣味であるカメラの話に切り替え、来る途中、銀座の「かぼす舎」にて不思議なカメラを格安で手に入れたハナシを切り出し、この良く出来たキワ物で、いつも仏頂面の老人を驚かせてやろうと思い、おもむろにカバンから取り出した。
老人はこのカメラを手にした途端、驚くでなし、ただ、深く息を吸い込み、「やはり影響が出始めたか・・・」とだけぽつりと言った。
一体何を言っているのかと思い、老人の次の一言を待って凝視していると、「不確定要素の支配する並行過去時間が何者かによって干渉され、日本が戦勝して、米国経済が支配されている時空が出来つつある・・・しかし、まだ緩やかでしかも多数の可能性因子のひとつでしかないから、"現在"のこの時空への影響は限定的なので、一ヶ月先に影響が出始め、それが現在の時空に向かい、未来から遡行してきているのだ。」
神宮寺老人の口をついて出た言葉は日本語なのに、何を言おうとしているのか全く判らず、私はきょとんとして、出された茶碗を手のひらで弄び、茫然自失としていたら、「キミが偶然手に入れた米国製レンズが付けられたニコンは未来からの警告だ。」と。
要は、時間統制局の本部で調査したところでは、"戦勝国の"日本を中心とした東南アジア、満蒙経済圏への輸出用として、"敗戦国"の米英仏は手っ取り早く"円価"を稼げる光学機器、精密機械の製造に手を染めており、先に降伏したドイツの光学機器メーカーになり代わり、世界的な光学機器ブランドとなった日本光学、精機光学研究所のカメラの互換レンズが世界の主要工業国で作られるようになった時空が発生したのだと。
まだ影響が限定的且つ間接的なうちは良いが、これが次第に干渉し合い、完全にシンクロしてしまうと、歴史の改変が起こってしまうので止めなければならない。
しかも、前回は一個人のマニアが出来心で戦史の一部を塗り替えようとしただけだったが、今回は組織犯罪の可能性が高く、時間統制局は総力を挙げて対処しなければならない大事件となったのであった。
(つづく)
以下は実話。
このレンズは先の海外での海外レンズ、しかも国外のレンズヘッドを利用して製造された改造レンズのうち、新たに北京でドイツの銘品、Astro-Berlinのレンズヘッドを用いて産み出された改造レンズへの返礼として、ここ深川の地で、米国製の引伸レンズであるWollensak Velostigmat2"f2.8を最もスタイリッシュに見えることから、ニコンSマウントに改造したものです。
このレンズは分解まではしてませんが、スリット光、及び絞り位置からして構成は恐らく、4群5枚の変型クセノタータイプではないかと思われます。
で、肝心の写りはというと、このレンズも引伸レンズのご多分にもれず、開放から、まず合焦部はシャープです。
また色のりも必要以上に派手にならず、また醒めてもおらず極めてバランス良いと思います。
ただ、今回の作例では目立つものが選べなかったのですが、前ボケが流れるというか、前にズル~というカンジの崩れたボケになってしまいました。
しかし、街撮りでは、Sボディに付けた姿はカッコもイイですし、発色もシャープネスもなかなかのものなので、Sマウントのひとつのバリエーションとして、これから愛用していきたいと思っています。
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- 2008/10/05(日) 23:10:12|
- Sマウント改造レンズ
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さてと今宵のご紹介は、一見、ドノーマルの黒ニッコールがごく普通のSP黒にはまって画面に横たわっているありきたりの平凡な画像にも見えますがさにあらず、この個人工房が、日本光学工業のレンズを再加工してアッセンブリした記念碑的作品なのです。
当工房は基本的に光学系エレメントはそのままで、腰から下、つまり、ヘリコやマウントの改造や新設で以って、とにかく、ライカやニコンのボディに嵌って、距離計連動で撮影が出来るレンズにでっち上げるのをなりわいとしていたのですが、実はニッコール50mmf2のL、Sの程度のイイもの悪いものが合わせて4個ばかり溜まってしまったんで、まぁ、4個イチでもやって、まともなレンズを1本でも組めればめっけもん☆とばかりに、後ろ玉をはずす工具まで新調して、全て光学エレメントを群単位までバラシ、来週以降ご紹介するナゾのレンズともう1本、この黒のSマウントのものに組み上げようとしたのですが、実は開けてビックリ玉手箱ではないのですが、このNikkor50mmF2というレンズは、初期~前期"H・C"銘のものと、後期~末期の"H"銘のものとでは、構成は同一とは言いながら、中の部品形状が全く異なっていたのです。
特に今回組んだものでは、肝心要の後玉の貼り合わせユニットの被写体側が全く異なる形状で、この最後期型の鏡胴に前期の後玉をねじ込もうとしても途中までは入るのですが、中玉と絞り羽根アッセンブリのクリアランスを保つ部分が、本体側にあって、一方、レンズ側も前期型は中玉を土手で囲むようにスペーサ的な部位があるので、どうやっても、所定の位置まで入りません。
そこで、当日、友邦ドイツからUボートで到着した?超硬バイトの極細中グリ刃で以って鏡胴内部のクリアランスを取る部位をキレイに削り落とし、レンズ側にクリアランス保持部位の有る、前期モデルのキレイな後玉ユニットを挿入し固定したワケです。
ただ、それでは、外からみたら、何の変哲もない、黒いSマウントニッコールですから、ここで当工房の得意技術を一点投入。
それは、レンズ先端のリングにご注目。良く見ないと判りづらいのですが、このパーツはキズだらけだったんで旋盤で一回皮むいてから、工房得意の時代ニッケルメッキをかけたのです。
通常のニッケルメッキに比べ、シャンパンゴールドっぽく、時代がかって見えます。
これは、かつて購入したA型改DIIブラック&ニッケルのメッキ色を参考に工房で多層メッキと熱処理による界面合金化によって実現したものです。
で、肝心の写りはというと、勿論、元がニッコールですし、計測してオリジナル通りに組んで、ピント基準機でも、比較のメーカーコンプリート品と同一の合焦性能を持つことを確認し、レーザー光測定で光軸ずれが無い旨確認してからフィルムで試写しましたから、まともに写らない筈がなく、ハイライトはフレアッぽく、そして、シャドーはくっきりと締って、という、なかなか味の有る写りになったと思います。
テーマ:ニコンSマウント - ジャンル:写真
- 2008/07/15(火) 00:22:58|
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