深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

Pour votre futur glorieux.~Som Berthiot Flor50mmf3.5~

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冬の足音も早まってきたこの頃、また私は神宮寺老人の「庵」へと招待された。

なんでも、この前の太平洋戦史を塗り替えようとする組織的犯行?は何のことはない、23世紀あたりのヒマを持て余した独居老人達が、金目当てのフリーターやら、サイバーテロリスト崩れの兄ちゃん達に小遣い渡して、また直せる程度にイタズラしただけ、とのことでした。それで、情けに厚い神宮寺老人も、本部と掛け合って、彼らを注意程度で済ませたというのが事の顛末だった。

はて、そうなると、今回の呼ばれた用向きは何だろうと、いけないこととは思いつつ、ちょっとした「事件」を想像しながら、気もそぞろに吾作爺に案内され、邸宅の木々の径を通り「庵」の前までやってきた。

失礼しますよ、とにじり口から「庵」に入ると、いつもの仏頂面でもって、自分で点てたお茶を啜りながら、目でそこへ座れと告げる。

早速用件を切り出すと、「いつも世話になってばかりで申し訳ないから、面白い経験をさせて上げようと思い、ご足労願った」と。

不安と期待が入り混じり、それは何かと問うたところ、百戦錬磨の老人には既に胸中を見抜かれており、「なぁに、古生代へ飛ばす訳でもないし、アンタレスの衛星軌道にある28世紀の地球コロニーへワープして貰うのでもない、ちょっとバーチャル体験した貰うだけだ、しかもちょっとエスプリの効いたヤツだがね・・・」と言うや否や、珍しいことにウィンクなどしてみせた。

ここまでくると、もう頭が混乱の極みに達して、まぁ命ばかりは取られないだろうが、どんな恐ろしい目の遭わせてくれるのか、背中に冷や水をかけられたに等しいキブンにはなったが、ここで逃げ出すのも癪なので、一言、「楽しそうですね」と精一杯の虚勢を張ってみせた。

老人と私は一旦「庵」を出て、邸宅の本館に歩いていった。

玄関まで辿り着くと、重いマホガニーの扉を吾作爺が開けてくれた。

そのまま、玄関ホールを通り抜け、応接の暖炉の前まで来ると、老人が左手に嵌めた、白銀色のカレッジリングを回した。

すると、十分に予想はついたが、暖炉が回転し、元有った位置に地下へ降りる階段が現れた。

思わず「凄い舞台装置ですねぇ・・・」と感嘆を漏らすと、「これぐらいやらないと、キミもキブンが乗らないだろう・・・形から入っていくキャラだということは分析済みだ。」と

今の文明では存在し得ない、有機ELでも、発光ダイオードでも、ましてや蛍光管、電球ではない、壁全面が心地良く光る数十段の階段を降りていくと、これもまた居心地良さそうな応接室がまた現れた、ただ、壁面の計器版と、パーマ屋の椅子のような奇妙なヘッドギア付きのチェアを除いてだったが。

「さぁ、ここにかけて貰おう、別に取って喰おうってワケじゃない、バーチャルな旅をしてきて貰うだけだから・・・」

それから、老人は、今回の「ミッション」のあらましを説明し始めた。

戦後の混乱の冷めやらぬ1950年代初めの西ドイツで両親を失った一人の少女に会って来て、暫く、物心両面から支える日本人駐在員の役をやってもらうのだと。

ん、どこかで聞いたようなハナシだとは思ったが、すぐに思い出せなくて、ローマ時代の奴隷で、コロッセオでライオンと素手で闘うのでも、中国三国志時代の赤壁の戦いの下士官役でもなくて良かった・・・と胸を撫で下ろし、ヘッドギアを被った。

老人はと言えば、目にも止まらぬ速さで空中に浮かんだホログラムのキーボードを操作し、データやパラメータを入力している。

「よぉっしゃ! Bon Voyage!」という声を聞き終わらないうちに猛烈な睡魔に襲われ、意識はブラックアウトした。

次に目が覚めたのが、やはり古い造りの洋館のリビングのチェアで、いつの間にか、仕立ては良いが、古めかしいデザインのジャケットに身を包んでいた。

この時の私は、舞台のあまりに出来の良さに、ここがバーチャル空間であることを忘れてしまっていた。

いつもの習慣で、今どこに居るのか記憶を辿って整理し、どうやらここは海外で、老人のブリーフィングにあった、50年代初頭の西ドイツの商都フランクフルト・アム・マインの何処かに居ることになっているらしいことがぼんやりと判るようになってきた。

こうなったら、早速、老人からの大まかな指示に従って動くしかない。
老人は粋なことに、どうせ出発前の説明など忘れて、役には経たないだろうから、その都度、ポケットに指示書を飛ばす、と言っていた。

早速まさぐってみると、やはりあった。その紙片には、「まずは、街に出て、自分の思うとおりに行動してみよ、」と。

こんなの指示じゃないよ・・・と文句を言ってみても聞こえる訳もなく、仕方なく、ポケットに財布が有り、予想以上の大枚が入っていることを確認の上、のフランクフルト・アム・マインの街に出てみた。

そうそう、老人はこんなことも言ってたっけ、財布のお金はオートチャージだが、品性問われるような無駄遣いはしないでくれよ、と。

好きな行動をしても良いという放任主義できたのなら、こっちにも考えがある。

当然、行くところは決まっている。1990年代の終わりのフランクフルトなら来たことがあるから、だいたい土地勘はある。

まずは、市電の停留所の脇にある、カメラ屋でも覗こうかなという気持ちになった。何せ勘定は神宮寺老人持ち・・・イヤ、バーチャル空間なのだから、たとえKE-7Aの未開封箱付買ったって誰にも迷惑かけない筈だ。

早速、軽い気持ちで店に入り、何か目ぼしいものはないかと暫く物色していると、一人の身なりのみすぼらしい12~13歳の少女がおどおどしながら店に入ってきて、カウンターのオヤジに向かって、「今日はこれを持ってきたの、見て貰えますか」と消え入りそうな声で問うた。

すると、「お嬢さん、ここはカメラの国ドイツだぜ・・・何を好き好んでフランス製のレンズなんか買わなきゃなんないんだ、でもお金に困っているのなら、一応見積もって上げるけど、せいぜい、200マルクがイイとこだ。」

「600マルクで買って戴く訳にはいきませんか・・・実はこのレンズの持ち主だった私の父親がこの旅先の宿で病に倒れ寝付いていたのですが、今朝、とうとう亡くなってしまい、宿を出ねばならないのです、でも溜まっていた宿賃を払うと、お葬式を出す1ペニヒのお金もないのです・・・どうか助けて下さい。」

「お嬢ちゃん、どーやら合いの子みたいだけど、お情け頂戴で、そんな高値は通らないぜ、この値段がイヤなら、とっとと消えうせてくれ・・・」

その少女は確かに東洋人的な面影も漂わせていましたが、じっとカメラ屋のオヤジを睨み、そして眼一杯に涙を浮かべ、店を飛び出していった。

もうこの時点で現実かバーチャルかは関係なく、私は自らの良心の任せるままに店を飛び出し、少女を追って、マイン川にかかる橋のたもとまで走り、追いついた。

「そのレンズ、見せてくれるかい。」

「あなたは日本の人ですか・・・お母さんと同じ国からやって来たのですね。」と。

「そう、日本の領事館で書記官やっているんだ、そのレンズ、良かったら私に譲ってくれるかい。」

「でも、今すぐほしいお金は、カメラ屋さんでも、法外な値段と言われたし・・・」

「イイんだ、たまたま今日は大金を持って歩いているし、お母さんが日本の人なら見捨ててはおけないしね。」

そして、私はそんな短いやりとりの後、少女に伴われ、少女とそのたった一人の肉親であった、父親が逗留していた街外れの木賃宿までやって来た。

少女は、レンズと引き換えに私から受け取ったお金から、まず、宿賃を精算し、そして、近くの教会へ出掛け、共同墓地に自分の父親を葬りたい旨を神父に次げた。

少女と私だけが参列した厳かな儀式は終了し、少女は本当に一人ぼっちになってしまった。

しかし、埋葬費用、たった一人の肉親のためのミサのための教会への献金のため、少女が手にしたお金はあっと言う間に底をつき、着の身着のまま、やや大ぶりな、父親の形見のスーツケースだけが残るだけとなった。

そこで、私は「これからどうするの、行くあてはあるのか」と問うたところ。
「どこへも行くあてがありません・・・宜しかったら、暫く側に置いて戴けませんか、お掃除、洗濯、縫い物、身の回りの世話は全て致しますから・・・」と。

まずは、少女と落ち着いて話がしたかったので、手じかなレストランに入り、軽く食事をしながら、お互いの身の上話をし合った。

少女の名は「エリカ」、母親は大戦中の駐独日本大使館員の娘で、素封家出身で写真の道を目指したがため、実家から勘当同然だったフランス人の父親と結ばれ、駆け落ち同様にフランスを飛び出し、エリカが旅先で生まれてからも、欧州中を街頭写真撮ったり、母親のバイオリンに合わせて、エリカが歌を歌って、チップを貰うという家族で角付けのような暮らしをしてきたということだった。しかし、そんな浮き草暮らしの心労がたたったか、母親は旅先で病を得て亡くなり、2年ほど前から父親と二人で旅してきたのだと。そして、今、たった一人になってしまったのだ。

そこで、一人暮らしの気安さ、領事館からあてがわれた宿舎代わりのアパートメントの一室をエリカに与え、そこでままごとのような同居生活が始まった。

或る日、ふと彼女の父親の形見であったというフランスのレンズ、もうすっかり忘れかけていた、この二人を引き合わせた不思議な縁を持つレンズを取り出し、彼女の可憐な"今"を撮りたいと思った。
ここで初めてレンズの銘板を見た。その名は「Som Berthiot Flor50mmf3.5」

しかし、残念ながら、私は生粋のニコン派なので、このシチュエィションでも、収納棚からはニコンI型しか出てこない・・・神宮寺老人の底意地の悪さに舌打ちしながら、その旨をエリカに話すと、
「実は壊れてて、売り損なったカメラが有るの、お父さんが酔っ払いに絡まれているお婆ちゃんを助けに入った時、突き飛ばされて、レンズが割れてしまって、写真が撮れなくなったまま、仕舞ってあったの。」と。

エリカは部屋に戻り、暫くしてから、黒いライカDIIを手にしてやってきた。

確かにセットされていたニッケルエルマーはクラッシュして前枠もレンズも惨憺たる状態だったが、ボディは奇跡的に無傷で、回してみると、ボディから何無く外すことが出来た。

そして、少女の見守る前で、この漆黒のドイツのカメラに華奢だが華やかなフランス製のレンズを嵌め、距離計が全く問題なく作動することを確認した。

次の週末、エリカを連れ出し、郊外の水辺の有る田園風景で陽が落ちるまで、たった一本のレンズで、渾身の愛情を込め、少女を撮り続けた。
また、少女にもこの素晴らしい道具の使い方を存分に手ほどきした。父親譲りの才能か、エリカは砂漠に水が染み込むが如く、瞬く間に操作法をマスターしてしまった。

そして、日暮れ前に宿舎に戻り、疲れて眠ってしまったエリカをベッドに運び、掛け布団を掛けた時、ふと思い出し、ポケットをまさぐってみると、老人からの長い無沙汰の後の指令書を見つけた。

そこにはたった一言、「ご苦労さまでした」と書いてあった。

そこで私は全てを悟り、眠る少女の頬にそっと口づけをし、お父さんのレンズとカメラを彼女の部屋のテーブルに置き、便箋にたった一言だけ殴り書きをして部屋を出た「Pour votre futur glorieux.」
(あなたの輝かしい未来のために)と。

その次の瞬間、意識を失い、再び眼を開いた時には満面の笑みを浮かべた神宮寺老人の顔があった。

「ブラボー、完璧なミッションだったね。これで不完全なゆらぎは完全に修復された。」
「実は、キミの経験したことは、バーチャルではなく、パラレルワールドの中の現実だ。」
「世界的に有名な日仏ハーフの女流写真家、エリカ・ポンパドールの作品が次々と消失する事件が起こっていて、その原因がどうやら、彼女を写真家の道へ進ませた1950年時点で、不確定要素の揺らぎが元で時空の連続性に綻びが生じたことらしいことが判ったので、助っ人のキミに飛んで貰って、修復して貰ったのだよ。」
「タイムパトロールの任務は過去の改変を取り締まるだけではなく、時には実際に史実の修復も行うのだよ・・・キミがあそこで彼女からレンズを買って、その後暫く物心ともに支えて上げなければ、そして、写真の手ほどきをしなければ、彼女はたぶん、貧困と精神的ダメージから、飾り窓か何かにでも身を落とし、やがては野垂れ死にして、今の世界的女流写真家は存在しなかったろうから・・・」
「そうそう、事情を知ったエリカ女史から、キミへのプレゼントがあるぞ、包みを開けてくれたまえ。」
老人の差し出した、クラフト紙の包みをそっと開いてみると、懐かしい田園風景の色あせたカラー写真と、使い古されたSom Berthiotのレンズが同梱されていました。そこには「Pour votre futur glorieux.」の走り書きのメモとともに。
<完>

てなストーリーが思いつくくらい素晴らしいレンズでした。
尤も、ロケ地はフランス領サハラではなく、千葉の佐原でしたが。お後が宜しいようで。

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  1. 2008/10/28(火) 00:45:39|
  2. 深川秘宝館
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友誼電站便乗企画~Speedpanchro32mmT2.3@佐原

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さてさて、一部方面で佐原のスナップ、とそれらに紛れた美少女系写真?で盛り上がっていますが、某サイトで当工房の貸し出しレンズ、しかもスペックでは最強の部類に入るApo-Rodagon50mmf2.8が強敵? Dallmeyer製のKinematographなる謎のレンズと孤立援軍闘っているというので、外野席である当サイトからも援護射撃。
前回の臨時更新では、6m以内がちょっと甘めのCine-Xenonで、応援するつもりが、いつの間にか、「うなじ対決」なる場外乱闘に巻き込まれ、しかも、身内のレンズに返り討ちというか、同士討ちされ、負けてしまったようなんで、こちらも本気出して、先に紹介した、工房最強レンズの誉れも高いCooke Speedpanchro兄弟のうちの末っ子、32mmT2.3が飛び出す絵本と見紛うが如き描写を引っ提げて、リベンジのリングに上がりました。
アリフレックス用レンズの中では、ZeissのPrime以降のレンズには歯が立ちませんが、マルチコート、非球面、そしてアポクロマートという考えられる全てのスペックを織り込んだ完全武装の産業レンズですから、そんじょそこらのスティルカメラ用のレンズとは問題にならないくらいの描写性能(の筈)です。
一枚目は艱難辛苦の末、潮来から静観し、さぁ、これから夕方にかけて、気合い入れて撮っぺかぁと高らかに宣言した我々一行の横をあたかもつむじ風の如く通り過ぎていった幸せそうな家族の後姿です。
二枚目、これはもう工房主の性格の悪さを如実に表しているのですが、某友誼電站でアップした写真とかなり近いとこで撮ったのをそのままベタでぶつけてます。
そして三枚目、お祭りコスチューム美女?の「うなじ対決」には少し飽きちゃったんで、千葉の地の姐ちゃんの流し目入り、お祭り風景です。
  1. 2008/10/25(土) 00:04:41|
  2. Mマウント改造レンズ
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臨時更新、友誼電站協賛的企画~Cine-Xenon50mmf2 五号機@佐原

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ホントは来週の日曜日に秘宝館から佐原に持ち出した超絶描写ラテン玉のレポートを載せようと思ったのですが、某友誼電站にて面白そうな企画が始まったので、便乗。

今回の佐原には、秘宝館の新入りラテンレンズと、工房製の来週紹介のSマウント秋の新作と、すっかり忘れていたArriflex Speedpanchro32mmT2.3、そして今回臨時登場のAffiflex-Cine-Xenon50mmf2 五号機の4本で撮り捲りました。
ホントはカバンの中にはまだその倍以上の数のレンズが隠匿されていたのですが、あんまりレンズ交換ばっかりやってても、どれがどれだか判んなくなっちゃうし、移動が結構多かったので、テスト用3本と、伴走機としてのSpeedpanchro32mmT2.3の組み合わせとしたワケです。
万が一、テストしたレンズがおしゃかだったら、楽しく、お金も掛かった小旅行の思い出がパァになってしまうんで、手堅い線も狙ったってことです。

で、今回のCine-Xenon50mmf2は今まで5本ほど改造した、いわば、工房でのベストセラーですが、どうやら、51mm超の実焦点距離を持つ壱号機と違い、48mmそこそこしか実焦点距離がないらしく、無限から5mまでは問題なく合焦するのですが、近場になるとレンズの繰出し量と、後付けの距離計連動カムの標準繰出し量とが合わなくなって、2~3mではかなりアヤシくなります。
しかも、このレンズは直進カムなんで、工房の自家薬籠中のテクニック、傾斜カムも使えません。
まぁ、いずれは、キャノンのLマウントかなんかのマウントパーツに移植の上、傾斜カム切って、無限から最短までばっちり決まるよう再改造するのでしょうが、まぁ、この程度のスナップなら実用範囲でしょう(汗)
さて、作例ですが、一枚目は、お昼に極上のフレンチを戴き、遣い手のシェフに店から送り出され、感動と満腹感で頭がぼぉぉっとしている時に小野川沿いで撮った女衆の粋な後姿。
それから二枚目は、潮来巡りの船旅から艱難辛苦の挙句戻って、日暮れ前に寸暇を惜しんで撮り捲った木下旅館前の女衆の活気あるやりとりの場、そして最後が伸縮自在と判った山車の上のハリボテの調整を行う若衆の勇ましい姿を戴きました。
どれも開放なので、このレンズのクセなどが良く判るのではないでしょうか。

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  1. 2008/10/22(水) 22:59:12|
  2. Cine-Xenon50mm
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忘れ去られていたエース~Cooke Speedpanchro32mmT2.3~

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さて、今日は久々の遠出の記憶ということで、先週、年1回の大祭とは知らずにのこのこ乗り込んでしまった、佐原でのレポートを兼ね、Cooke Speedpanchro32mmT2.3をご紹介致します。
このタイトルの意味するところは、結構使っているレンズなのに、もうてっきりここで紹介していたと思っていたら、未登場だったというオチなのです。

このレンズは、映画撮影用のカメラシステムとしては、最もポピュラーな独 Arnold&Richter社製Arriflex35向に、この分野では独Carl Zeissと並んで高い評価を受け続けてきた英国Rank Tayler Hobbson社社製が供給してきた交換レンズのうちのひとつです。

実は、お恥ずかしい話、Arriflexという映画のモーションキャプチャカメラシステムのうち、35mmフォーマットを長いこと、ライカ判と同じ24mmx36mmだとばかり思ってきたのですが、実は、この映画カメラの構造上、フィルムを上から下に流すのため、この135版のフィルムを半分使って、2対3の縦横比をとる・・・つまりなんのことはない、銀塩スティルで言うところのハーフ判だったということが判ったのが、改造を始めてから暫くしてからのことなのでした。

そして、経験則上、銀塩スティルの35mmフルカバーするのは、40mmより焦点距離の長いものということが判りました。要は40mmより短いものは、Arri35mmカバーと謳っていても、程度の差はあれ、四隅がブラックアウトしてしまうのです。

従って、この32mmのものも、ご多聞にもれず、BessaR3AやM4ODなどで使用すると、四隅が黒い、丁度額縁に入れたようなプリントが上がり、それはそれで、被写体や構図によっては面白い写真となったので重宝していました。

ところが、RD-1S導入以降、存在価値はぐーんと高まります。
RD-1SはCCDがAPS-Cサイズなので、ほぼハーフ判と同じくらいで、このイメージサークルで十分なのです。

しかも、この小さめの撮像素子のおかげで画角換算が1.53倍となるので、このレンズは49mm相当となって、丁度、銀塩の標準レンズ感覚で使えるのです。

そして、いつもはこの兄貴分の40mmを多用しているのですが、新しい仲間への顔見世興行も兼ね、佐原ツアーへ連れ出したって寸法です。

で、肝心の写りですが、まず一枚目、ピーカンの昼下がりですが、粋な髪形と藍染の法被もばっちり決まった若女衆が屋台のアクセのお店を物色する姿が江戸の風情を思い起こさせてくれたので一枚戴きました。
そして二枚目はやや日が傾きかけてきた頃、小野川にかかる橋を大勢がかりで山車が渡っていく様が勇壮で、飛騨の高山祭りを彷彿とさせたので、ここでも一枚戴き。
最後は日暮れに駅に向かう途中、裏通りの旧家の立派な玄関先にお祭り提灯が煌々と照らされていたので、これも一枚戴き。

とても海外などへは行けませんが、たまには、忘れてたレンズの日光浴も兼ねて、近場の丸一日撮影小旅行に出るのもイイなぁと思いました。
気の合う仲間と一緒であれば尚更です。

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  1. 2008/10/19(日) 23:13:08|
  2. Arri改造レンズ群
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鏡玉は見かけによらず~Steinheil Quinon5cmf2~

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「Charleyさん、またやっちゃったでしょ・・・どーして、わざわざマウント換装するの!?」とか、「ずいぶん、ごつい改造レンズですなぁ、これも中国産?」とか聞かれそうな、外装がオールアルミ製のしょぼい外観、しかもコーティングも地味で、ドイツの50~60年代のBrownとか、King Reguraあたりの普及品のレンズ交換式レンジファインダーカメラのレンズそのままの佇まいです。

このレンズの正体は、ドイツのSteinheil社製のQuinon5cmf2と言います。
一見、50年~60年代の普及品レンズを彷彿とさせるのは、このレンズが元々、パクセッテ用に開発されたものを極少数、ライカLマウントの距離計連動として、パッケージングし直した製品だからです。

このレンズ、佇まいは高級感がない凡庸としたフツーのレンズですが、さにあらず、構成がなんと3群6枚のゾナータイプ、しかも、今さっき、調べた結果がゾナータイプと判って唖然としたのが、同時のテストしたタナー5cmf1.9よりもまだ良く写るのに、同じ枚数・構成のゾナータイプだった!ということです。

百聞は一見に識かず、下の作例をご覧下さい。条件は当然開放、ベッサR3Aのスーパーセンチュリアの100EX24の組み合わせでプリント時のフォトCDからのキャプチャです。

一枚目は築地本願寺前で、後ろボケを取り入れ、人物がいかにシャープに捉えられるかをテストした構図、まさにシャープな主題となだらかでナチュラルな後ボケが相俟って、浮かび上がるが如き描写性能を示しています。また逆光に近い条件にも関わらず、フレアも全く生ぜず、コントラストも適正です。
二枚目は、築地場外市場で店内の照明に照らされた人物と、ショーウィンドゥ前のお客さんとで、蛍光灯下でのコントラストと、前ボケを試した構図です。
こちらも、店内の人物、整然と積まれた包装ともに目が覚めるようなシャープさですが、前のお客さんたちは、崩れることなく、じんわりとボケています。蛍光灯の強い光を反射しているショーケースの表面は若干フレアが認められますが、構図を壊すレベルのものではなく、寧ろケース表面のガラスに写るお客さんの姿をデフォルメし、面白みの有る画に演出してくれていると思います。

しかし、今回驚いたのは、ツァイス、ローデンシュトック、シュナイダの3強から見れば格落ちと思っていたSteinheilの製品が、本家ゾナーよりも、その優秀な教え子のニッコールよりも、またその流れを汲み、独自の改良を加えたと思われるタナーよりも、優れた描写を見せたことでした。

テーマ:ライカ・マウント・レンズ - ジャンル:写真

  1. 2008/10/13(月) 23:12:06|
  2. 深川秘宝館
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パラレルワールドから来たレンズVol.2~Wollensak Velostigmat2"f2.8S

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夏も過ぎ、秋の気配も深まった頃、再び、私は神宮寺老人に彼の庵へと呼び出された。
何でも、紀元前のエジプトで深海生物が"レンズ"という概念を消失させる寸前に阻止し、やっと、「こちら」へ戻ってきたので土産話がてら会いたいということだった。

せっかく街に出るのだから、たまには中古カメラ屋でも覗かなくっちゃってことで、早めに家を出て、一旦、銀座で降り、教会の最上階に位置する、「かぼす舎」なるカメラ屋に立ち寄る。

すると、先般は相当係わり合いがあった、ニコンのレンジファインダーのコーナーになにやら不可思議な組み合わせの出品が・・・しかも日付が何故間違えたのか、来月の今日になっている。

早速、店員さんを呼んで、ショーケースから出して貰い、手にとって確かめてみる。店員さん曰く、こんなカメラ、誰がいつ出したのかな、しかも日付がおかしいし・・・と。

ニコンの報道用SPのしかも良く使い込まれたボディに何故か米国製のWollensak Velostigmatの2"f2.8が付いている。

このレンズが、レンジファインダー用として製造されたのは、クラルスとかパーフォレクスとかいう安物のライカコピーと超レアではあるが、デトローラ400の2台しかないと聞いている。
しかもデトローラ用でf2.8なら試作しかないはずなので超レアだし、今嵌っているボディはそれらのうちどれでもない。

戦時中から戦後間もなく作られたレンズだから、戦中であれば、軍用としては信頼性の高いライカタイプしか作っていないだろうし、戦後なら、わざわざ戦勝国が敗戦国のしかも機構的に面倒なタイプのもの、即ち、ニコンSやコンタックスマウントのレンズなど作る必然性などないのだ。

幾ら考えても思考はまとまらず、ただ時が移ろうばかりで神宮寺老人とのアポに遅れてしまうのも気が引けるので、この不可思議なコンビをとりあえず買って行って、神宮寺老人を驚かせようと、いうことにした。

東銀座から再び地下鉄の乗り、都心から外れた高級住宅街の奥まった一角に鬱蒼と茂る林があり、その奥に神宮寺老人の屋敷と「庵」は有る。

屋敷のゲートでチャイムを押し来意を告げると、下働きの吾作爺が出てきて、「旦那様は庵の方で先ほどからお待ちです」と言って、鉄扉を開けて導いてくれた。

茶室でもある「庵」のくぐり戸を抜け屋内に入ると、神宮寺老人は結跏趺坐の半目で瞑想状態にあった。

しかし、さすがは予備役とは言え、元敏腕のタイムガ-ディアン、気配を察してすぐさま覚醒状態に戻り、何も無かったかの如く、永の無沙汰の挨拶を発した。

「だいぶ長いこと会っていなかったね・・・尤も、戻る時間を出発の翌日にしてしまうことも出来たが、それでは、キミの方が感覚がおかしくなってしまうだろう。我々には、時間の流れは一定の速さで一方向で流れているものでなく、少なくとも自分の存在はその束縛には囚われていない・・・」

はぃはぃ、また時間航行の講釈が始まったかと思いつつ、うんざりした表情になりかけた時、老人が、「また、クレージィなヤツが居て、時間渡航禁止先のひとつである、1944年にまた密航した。」

えっ、またお供ですか、それでまた呼んだんですか!?と鼻白もうと思ったが、老人は先回りして、「まだ確証は取れていないが、今度はかなり政治的な動機が絡んでいる、一番、SF小説に取り上げられる頻度が高いネタ、そう太平洋戦争に日本が勝利し、米国を統治するってヤツだ。」

しかし、一個人が元々の負け戦の現場に紛れ込んでもどうなるものでもなかろうが・・・と思ったが、老人は「まだ調査段階なので、すぐに飛ぶことはないと思うが・・・」と。

そこで話題を替え、二人の共通の趣味であるカメラの話に切り替え、来る途中、銀座の「かぼす舎」にて不思議なカメラを格安で手に入れたハナシを切り出し、この良く出来たキワ物で、いつも仏頂面の老人を驚かせてやろうと思い、おもむろにカバンから取り出した。

老人はこのカメラを手にした途端、驚くでなし、ただ、深く息を吸い込み、「やはり影響が出始めたか・・・」とだけぽつりと言った。

一体何を言っているのかと思い、老人の次の一言を待って凝視していると、「不確定要素の支配する並行過去時間が何者かによって干渉され、日本が戦勝して、米国経済が支配されている時空が出来つつある・・・しかし、まだ緩やかでしかも多数の可能性因子のひとつでしかないから、"現在"のこの時空への影響は限定的なので、一ヶ月先に影響が出始め、それが現在の時空に向かい、未来から遡行してきているのだ。」

神宮寺老人の口をついて出た言葉は日本語なのに、何を言おうとしているのか全く判らず、私はきょとんとして、出された茶碗を手のひらで弄び、茫然自失としていたら、「キミが偶然手に入れた米国製レンズが付けられたニコンは未来からの警告だ。」と。

要は、時間統制局の本部で調査したところでは、"戦勝国の"日本を中心とした東南アジア、満蒙経済圏への輸出用として、"敗戦国"の米英仏は手っ取り早く"円価"を稼げる光学機器、精密機械の製造に手を染めており、先に降伏したドイツの光学機器メーカーになり代わり、世界的な光学機器ブランドとなった日本光学、精機光学研究所のカメラの互換レンズが世界の主要工業国で作られるようになった時空が発生したのだと。

まだ影響が限定的且つ間接的なうちは良いが、これが次第に干渉し合い、完全にシンクロしてしまうと、歴史の改変が起こってしまうので止めなければならない。

しかも、前回は一個人のマニアが出来心で戦史の一部を塗り替えようとしただけだったが、今回は組織犯罪の可能性が高く、時間統制局は総力を挙げて対処しなければならない大事件となったのであった。

(つづく)

以下は実話。
このレンズは先の海外での海外レンズ、しかも国外のレンズヘッドを利用して製造された改造レンズのうち、新たに北京でドイツの銘品、Astro-Berlinのレンズヘッドを用いて産み出された改造レンズへの返礼として、ここ深川の地で、米国製の引伸レンズであるWollensak Velostigmat2"f2.8を最もスタイリッシュに見えることから、ニコンSマウントに改造したものです。

このレンズは分解まではしてませんが、スリット光、及び絞り位置からして構成は恐らく、4群5枚の変型クセノタータイプではないかと思われます。

で、肝心の写りはというと、このレンズも引伸レンズのご多分にもれず、開放から、まず合焦部はシャープです。
また色のりも必要以上に派手にならず、また醒めてもおらず極めてバランス良いと思います。

ただ、今回の作例では目立つものが選べなかったのですが、前ボケが流れるというか、前にズル~というカンジの崩れたボケになってしまいました。

しかし、街撮りでは、Sボディに付けた姿はカッコもイイですし、発色もシャープネスもなかなかのものなので、Sマウントのひとつのバリエーションとして、これから愛用していきたいと思っています。

テーマ:ニコンSマウント - ジャンル:写真

  1. 2008/10/05(日) 23:10:12|
  2. Sマウント改造レンズ
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charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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