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深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

祝~写真展特集~千代田区一番町いきいきプラザ展示(後編)

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さて、また日曜の晩がやって参りました。
今週も先週に引き続き、昨日終了した千代田区一番町いきいきプラザでの写真展の出展から残りの4点をご紹介させて戴きます。
会期中は、たくさんのご来場を戴き、一同、心より感謝しております。JCII Club25での2nd Phaseの展示も是非、お出かけ下さい。

まず一枚目。
これはメキシコかフロリダあたりのショッピングセンター中庭から望んだ常夏の青空のようですが、さにあらず、沖縄那覇からバスで30分程度の距離に或る北谷町のシッピングセンター、アメリカンヴィレッジの店舗の間の通路越しに見えた真冬の青空です。
このカットは、Zeiss Ikon ZMとCine-Xenon50mmf2で以って、Kodak Ektar100で写したものです。

続いて二枚目。
このカットが今回の目玉と言えそうなものだと思います。
前回の八丁堀の写真展では佐原の美小姐3姉妹が目玉でしたが、このモデルさんになってくれた小姐との遭遇も負けず劣らず、偶然と僥倖の重なったものでした。
北谷町アメリカンヴィレッジ内の主なところは撮影し終えて、すぐ目の前のサンセットビーチで、砂遊びでもする進駐軍の子女の写真でも撮らせて貰えればラッキィ☆とか、極めて軽い気持ちで浜辺に出たのですが、かなり先で、カモシカのような長身で手足の長い女性が飛んだり跳ねたり、バレエのポーズみたいなカッコつけたりして、砂浜で遊んでいるのが目に留まりました。
まさに天の羽衣の天女に遭遇した純朴な漁師の青年もこんな心のときめきだったのかも知れません。
早速ダッシュして、東京から来たアマチュアカメラマンで、写真展のネタを集めている、ついては、沖縄一の美女と思われるアナタをあの建物バックに一枚撮らせて欲しいと述べたら、この高校生くらいの小姐は微笑みながら快諾してくれ、幾つかポーズを撮ってくれた中でシャッター切ったのがこの一枚。
何でも、北谷町には、沖縄アクターズみたいなタレント養成機関があって、そこに通っている、とのことでした。
テレビとか、ファッション雑誌で再びお目にかかれる日が来るのをとても楽しみにしています。

このカットはR-D1sにSpeedpanchro40mmf2ser.IIで撮ったものです

それから三枚目。
以下のカットは今年3月に石垣島・八重山諸島ツアーに出かけた時の作品です。
このカットは竹富島の海開き前日にゆっくり島内を撮影しておこうと、水牛車で回ったあと、徒歩で集落内を回りながら発見した撮影スポットで、何でも島内でただ一つの仏教寺院の鐘衝き堂とのこと。
島についてから暫くの時間滞在しましたが、この鐘が衝かれることはありませんでしたが、たぶん、早朝と晩、そして除夜の鐘くらいしか活躍の場が無いのかも知れません。
しかし、南の島の年越しなんて、南十字星が水平線の上に見えたりして、とってもロマンチックな気がします。

M8にGauss-Tachar32mmf2で以って撮影しました。

最後の四枚目。
これも今回の写真展では、自分としてはかなりチャレンジングな出展だったと思うのですが、石垣島の島内バス観光で立ち寄った唐人墓地を背景として2輪のハイビスカスを撮ったものです。
悲しい歴史を秘めながら、南国の燦燦たる陽光に色鮮やかな瓦や装飾を煌かせる唐人墓地の色彩を一切抑え、アンダー目の画面の中であたかも死者を悼んで捧げられた献花のごときモチーフで構図を決めたカットです。

これはM8にCine-Xenon28mmf2で以って撮影しました。

今回、ご来場戴いたお客様方からは、ブログの画像と実際の半切プリントでは迫力が全然違い、同じカットでも別物に見える、これからも写真展という場で作品を見たい、というような嬉しいお褒めのお言葉を異口同音に戴きましたので、27日からの後編、そして秋の写真展に向けて、また日々の精進に励むことと致します。

テーマ:ライカ・マウント・レンズ - ジャンル:写真

  1. 2010/04/25(日) 23:00:00|
  2. Arri改造レンズ群
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祝~写真展特集~千代田区一番町いきいきプラザ展示(前編)

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愛読者の皆様、こんばんは。
昨日から、「ノン・ライツRF友の会@新宿西口写真修錬会 第四回写真展 あなたに見せたかったのは」が始まりました。

今回の写真展は今までと趣向を変えて、二部制で行うこととなりました。
その第一会場(4月17日~24日)が千代田区一番町いきいきプラザです。

当深川精密工房からは、第一会場では工房主の大好きな沖縄の景色を皆様に見て戴きたいということで、お気に入りのカットを8枚厳選して展示しております。

まだ会場にお越し戴けていないファン各位、そして、行きたくとも行けない遠隔地のマニア各位へ、今回出展作品のWeb中継的な目的で、今週、来週と4枚ずつご紹介致します。

では、早速いってみましょう。

まず一枚目。
これは、昨年11月、那覇泊新港から船で2時間程度に在る渡名喜島を訪れた時、集落内で撮影スポットを求め徘徊している時、宿の近くの貸自転車屋さんの入口で咲き誇っていた大輪のハイビスカスを撮ったものです。

カメラはR-D1sで以って、Cooke Sppedpanchro40mmf2改Mのほぼ最短距離で撮影しましたものですが、花の瑞々しさが余すところ捉えられており、背景の看板代わりの一輪の自転車輪の融けかかった輪郭とえもいわれぬ対比を作り出しているのではないかと思います。

そして二枚目。
これも昨年11月の沖縄旅行の際、たまたま壺屋のやちむん通り主催の陶器祭りが壺屋小学校で開催されていた時、真っ赤なシャツを着て溌剌とした表情のご老人がニコニコとテーブルについており、カメラを下げた小生に、珍しいカメラ下げてるね・・・へぇ、デジタルなんだ、しかも手作りレンズかぃ・・・どんなカンジに写るの?てな会話の中でお仕事をしている様子を撮らせて戴いたものです。
これもR-D1sで以って、レンズはSpeedpanchro40mmf2改Mで撮影しています。
今日、何名かの方から、沖縄で撮ると発色が全く違う・・・というご意見を異口同音に伺いました。
確かに普段はおとなしめの発色のSpeedpanchro40mmf2がこんな艶やかな赤の発色をするのは、高い位置の太陽と島ながら冬場の比較的乾いた空気の沖縄だからこそではないかと思いました。これぞうちなーマジック!!

続いて三枚目。
壺屋やちむん通りと言えば、ミニ東京と化しつつある那覇の中で、比較的古い町並みが残ることで有名です。
かくゆう工房主も、この時代に流されない街の佇まいと、古くからのものづくりに生きる人々の思いに引き寄せられ、沖縄に行くと必ず立ち寄る場所なのです。
その街のランドマーク、新垣家と並ぶ昔からの手動井戸が通りに面していて、ここに佇むと、何故か心が静まるのです。或る意味、極私的なパワースポットなのかもしれません。

このカットはZeiss Ikon ZMで以ってCine-Xenon50mmf2改Mで撮りましたが、この赤と緑の発色は、普段は地味で寒色系に転びがちなSchneider KreutznachのCine-Xenonは、ここ沖縄の陽光、冬場の乾いた空気、そしてKodak Ektar100の相互効果でCarlZeissの艶やかな描写のお株を奪ってしまっています。
しかし、この合焦位置に在る手動ポンプが浮かび上がるが如く描写されているのが、Cine-Xenonの美徳であり、極めてイイとこどりのカットと言えなくもありません。

最後の四枚目。
前回の沖縄訪問では、初めての撮影スポットである、北谷アメリカンビレッジへ行きました。
ここは、元々進駐軍の基地だった土地を返還後、アメリカのショッピングモールに擬えた街並みとして再開発した、那覇を含めた中南部の若者の人気スポットです。
ここで半日ほど滞留し、何十枚か撮りましたが、極めて異国情緒溢れた飲物のワゴンの前で何にしようか迷う地元のお下げ髪の少女の姿を一枚戴いたカットです。
肌の浅黒い少女の横顔と、日本らしからぬワゴン、背景の取り合わせがふと異国に迷い込んだような錯覚を覚えさせてくれる、これもお気に入りの一枚です。

これは、Zeiss Ikon ZMで以って、Cine-Xenon50mmf2をEktar100で撮影しています。

さて、来週は残りの4枚を一挙ご紹介。本土では滅多に見かけない天然系美少女あり、メキシコと見紛う青空あり、乞うご期待。

テーマ:ライカ・マウント・レンズ - ジャンル:写真

  1. 2010/04/18(日) 22:57:23|
  2. Arri改造レンズ群
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Comming up new American Hero!~Bausch & Lomb Baltar 50mmf2.3~

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【撮影データ】カメラ:Leica M8 ISO Auto 絞り 全コマ開放 ロケ地:川越
さて、番外編も含め石垣島からのリポ-トの余韻が冷めやらぬうちに日曜の定常更新の時がやってきてしまいました。

南国の離島から一転して、今回は、先のZunowプロトと同時にテスト撮影を行った、当工房新進気鋭の改造レンズ、米国、Bausch & Lomb社のBaltar50mmf2.3改L39です。

まずはこのレンズとの馴れ初めから。
そもそもこのレンズは、工房お得意の、スリーブ&L39スレッド付きの部品と距離計連動カムをくっつければ、はい、L39マウント、Mマウントの出来上がり、てな簡単な状態ではなく、アイモ用とかいう、見たこともない巨大なアルミ製のハウジングに宝石の如き漆黒のレンズブロックが収まった状態で、工房にやってきました。

初めは分解方法が判らず、四苦八苦しましたが、譲って戴いた方にコツを教えて戴き、難なくレンズブロックを分離することに成功しました。

そして、一旦、光学エレメントをブロックの鏡胴から取り出し、洗浄、コバ塗り、それから、回し積みをやりながら、注意深く組み直しました。

オリジナルのヘリコイドは太すぎ、またレンズ金物後端から最後群までのクリアランスが有りすぎるため、そのままでは、L39、Mの規定フランジバックから大幅に外れ、無限が出ないどころか、1mかそこらの専用レンズになってしまいます。

そこで、工房のレンズ改造分類による第四世代改造、即ち、レンズブロックを取り出し、他のヘリコイドに移植してライカマウント化する、という手法を採るに至った次第。

作例行く前、レンズの氏素性をおさらいしておきましょう。

このレンズは、前にも述べた通り、Bausch & Lomb社が1971年にコンタクトレンズを市販し、1980年代には光学機器から撤退し、そのコンタクトレンズやら、サングラス等眼科医療分野にシフトする前にリリースしたことは間違いないですし、T値が本格的に採用になる前、先のT2.2、F値で言えばf1.9の個体より先にU.S.Goertzに供給を仰いだとすれば、1960年代前半、ことによると50年代に作られたものかもしれません。

レンズ構成は極めてオーソドックスな4群6枚のWガウス、ただ、前の持主の方によれば、貼合わせ部の硝材に戦後すぐに出来たばかりの特殊低分散ガラスを採用したらしく、この構成でもアポクロマート等級とのことでした。

さて、前置きはこのくらいにして、早速作例行ってみます。ロケ地はオール川越です。

まず一枚目。
駄菓子屋横丁に市役所方面から入っていくと、まず目に付くのが、江戸時代さながらのコスチュームと口上で人を惹きつける、七味売りのおじさまです。
路地みたいな駄菓子屋横丁の西側の民家の隙間から陽光が射し込み、スポットライトを浴びたようになっています。
ハイライトは若干フレアっぽくなり、シャープネスを落としてはいますが、それでも、頭に被った手ぬぐいのテクスチャ、毛の生え際まで余すところなく描写し、一方、後ボケはどのレンズにもない心地良い融け加減となっています。

そして二枚目。
更に横丁を入って行って、逆L字の道を左に曲がると、いつも通りの休日に賑わいで、軒下でいたいけな若いカップルが買ったばかりのおせんべいなど食しながら、愛を語らうでもなく、こんな大勢の人出に巻き込まれた不遇を託つているようです。
ここで、やっとこのレンズの本領が出てきたようです。
小姐の毛糸の帽子のテクスチャにご注目。このサイズだと編み目の一つ一つが鮮鋭にとまでしか解説出来ませんが、源データではそれこそ縒った毛糸の一本一本の繊維まで識別出来る恐るべき解像力を発揮しています。
個人的な感覚でいえば、S-マイクロニッコール5cmf3.5を打ち負かし、これまで比類なき解像力を発揮したCine-Xenon50mf2のまだ上を行くカンジでした。ここでも、ボケの美しさはあえて述べるまでもないでしょう。

それから三枚目。
いたいけなカップルの隣の軒下にも、人波を逃れ、一息ついている家族連れが居ました。
小姐が甘酒かなんか飲んで、ぷはぁ~とかやっているようです。

ホントはアルコール分が入っているので、お子様がお代わりまでして愛飲するのはいかがなものかと個人的には思いますが、いずれ社会人となって、大学のコンパでいきなり、一気飲みとか強要され、急性アル中で不測の事態に見舞われるよりは、子供のうちから慣らしておいた方が良いという親御さんの英断の賜物でしょう。
ここでも、産毛の生え際が驚くべき鮮鋭さで写し撮られていますし、柔らかな肌の質感も言わずもがなです。

まだまだの四枚目。
熱気むんむんの駄菓子屋横丁から抜け出し、また蔵造り通りに向かいます。
その途中で、コーヒーの豆だかを挽いて売るとともに店先で飲ませるお店があります。
その名物看板の横で寛ぐ親子に看板だけ撮りたいから、どいてね、という勇気もなく、一緒くたにモデルになって戴いて撮った一枚。
ここでも、女の子のジャンパーの生地のテクスチャ、おやじのマフラーの先のぴらぴら部が比類なきシャープな描写力で捉えられています。

最後の五枚目。
蔵造り通りを駅に向かう途中に天狗のオブジェを店先に吊るしている商店が有ったので、一枚戴き。
ここでも、紙を重ねたものに絵の具を塗って作ったお面の質感が鮮明に捉えられていますし、何よりも特筆すべきは、ほんの数センチの差なのに、後ろの被写界深度内の笠との間の距離感がきっちり描き分けされて立体感が表現されています。
バックのボケも自然で美しいではないでしょうか。

今回の感想は、やはり当時の戦勝国、しかも世界一の工業国米国の光学製品は無名に等しくとも、侮れないと思った次第。

実は、まだまだ奥が深いのです、米国製レンズというものは・・・今後を乞うご期待

テーマ:ライカ・マウント・レンズ - ジャンル:写真

  1. 2010/04/11(日) 23:00:00|
  2. その他Lマウント改造レンズ
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番外編~Then I became wind over an island~

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【撮影データ】カメラ:Leica M8、ISO Auto 全コマ開放、レンズ:Balter50mmf2.3(未発表)
さて、週一更新かと思いきや、ここで臨時更新です。
何とならば、竹富島の海開きまででは、今回の旅の目的は60%程度しか達成していないのです。
そう、今回の石垣島来訪の目的には、いつも那覇を訪れるたび、必ず足を運ぶ首里金城町の石畳途中にある「那覇 古波蔵家」の大元、そう小浜島の「こはぐら荘」或いは「和也の木」、「シュガーロード」を訪れ、追体験をしてみたかったからです。ドラマの人々に思いを馳せるとともに、自分自身の10年近く前の時間にも戻れるような気がしたから・・・

レンズはおいおい姿を現しますが、先にご紹介したBausch&Lomb Baltar50mmf1.9の兄弟機の超高性能レンズ、f2.3モデルです。

では、3/21当時の行動に沿って、作例をご紹介して行きましょう。

先の竹富島での海開き行事は12時半を少し回ったところで終わり、後は小さい島で、前日にも牛車で回った上、徒歩で撮影スポットと思しき場所は撮り尽くしていますから、港への送迎バスの帰り分をフイにしてまで集落の写真を撮りに行こうとは思えず、速攻で桟橋に向かい、一番すぐ来た舟で再び石垣島の離島桟橋に戻ります。

考えてみれば、13時も回っていようかというのに、昼餉がまだだったので、着いた時から気になっていた桟橋待合所内の飲食店のうち、マグロ漁船を所有しているというのをセールスポイントとしている一軒の小さいお店に入りました。

そこで、マグロ刺身付きの石垣そばセットというのと、ここでしか味わえない、マグロのハツ刺身というのを頼み、昼から豪勢に新鮮なマグロを思う存分堪能してからの、離島巡りの小旅行再スタートです。

14時ちょうどの船があったので、かねてから有力訪問候補だった、ちゅらさんアイランド、小浜島へ渡ることとしました。

ここまで来るとかなり行き当たりばったりの出たとこ勝負で、不便も旅の一部、サプライズは最高のおもてなしというスタンスです。

港に着き、その名も「ちゅらさんばし」という極めてベタな建物を抜け、船の中で調べた観光手段、マイクロバス観光を主宰している観光会社に早速電話です。ホントは石垣出る時に予約しとかなきゃ嫌がられるらしいんですが・・・

電話を掛け、暫くすると、どこかの団体さんの半貸切状態だったようなマイクロバスの島内ツアーに便乗です。

港を出て、島の主要部に抜ける坂道でいきなりバスが止まり、どうしたことかと固唾を呑んでいると運転手のご老人が「ほら、真っ白い孔雀が現れましたよ、お客さん方は非常に運がイイ」てことを述べ、じっと観察していたようなのでした。尤も、そも白い鳥とはかなりの距離があり、視力2.0以上の小生ですら白鷺との見分けがやっとついたくらいですから、他のお客さんがそれと認めたかどうか・・・

バスは島内の主要観光?スポットを巡り殆ど車内見学で降ろしてくれず、ましてや写真撮影などするチャンスは皆無に等しかったのですが、唯一、和也と恵理ィが堤防を橋って「大人になったら結婚しようょぉぉ」と絶叫した港の周辺でだけ降ろしてくれたのがこの一枚目の黄色いカラオケスナックの立つ堤防あたりなのでした。

そして、このあたりは江戸時代以降に本島の糸満の海人(うみんちゅ、漁師さんのこと)が移住してきて出来た集落で、今は専らモズクの養殖を収入源としているとのお話でした。
その作業場兼自宅が二枚目の画像。

バスは一時間強かけて島をほぼ全周回って、港に着きました。普通の、素直で、体力も人並みの観光客であれば、いやぁ、今日は楽しかった、小浜島も隅々回って見られたし・・・で再び来た道を辿り、ちゅらさんばし経由、涙の連絡船に乗って、さようなら、さよなら~好きになった島♪とか満足して帰ってしまうところですが、元々偏屈で執念深く、しかも体力だけは30代前半の若者にも負けないという工房主人は、何と、運転手のご老人に「これから貸し自転車で島を回ります、主要な撮影スポットと道順は覚えましたから」と述べ、良さげな貸自転車を紹介してくれるよう迫りました。

これには、向こうも相当驚いたらしく、マイクロバスで島内観光した後、また自転車でもう一周するなんて聞いたことが無いし、第一、結構な坂道が多いから、やめといた方がイイんぢゃねとの親切この上ないお返事を戴きました。

しかし、撮影のため来たし、このままでは写真展のネタ無しで戻ることになるのは何ともしのび難いと再び強談判に望んだところ、やっと一軒、港の近くの私設観光案内所みたいなところを教えてくれました。

また、そこが商売っ気無く、店先で声掛けて訪ない入れても、全然出て来ないし、やっと出てきたと思ったら、シーズンオフのこんな時間から自転車で島巡りするとは考えてみなかったようで、原付バイクを出してくるし、免許持ってきてない、と告げたら、「ぢゃ、帰りの船が無くなるまで好きに乗っててイイですよ、ハイ200円で結構です」との耳を疑うようなお申し入れ。

さぁ、ここから二周目、体力任せの自転車ツアー、ツールド・コハマのスタートです。尤も自転車自体は、空気の緩いママチャリで変速機すら付いていませんでしたが。

実を言えば、自転車なるもの、都会暮らしをするようになってから20年近く乗ったことがなかったのですが、小学校の時から大学まで、かなり修羅場をくぐり、時には血も流し、乗りこなしていたので、これだけのブランク後でも難無く乗ることが出来ました、まさに「雀百まで踊りを忘れず」を地で行くようなハナシです。

かくして三枚目の紹介。
これは先のマイクロバスツアーで案内された時、気になって気になって仕方なかった、小浜公民館前に在るオブジェで、その正体は太平洋戦争当時、米軍機が出掛けの駄賃か、帰り道の置き土産かは今となっては知る由もありませんが、島に投下していった250kg爆弾の不発弾のどんがらで、戦後からずっと、非常時召集用の鐘に使っていたものだそうです。
ホントかウソか判らないですが、70年代以降、島に唯一の仏教寺院が出来る以前、除夜の鐘をこれで搗いたことがあったが、あまりの禍々しい音色に住民総スカンを喰らって以来、鳴らすのは津波とか火災とか非常時のみに限定されたとか。

そして四枚目。
ここでやっと、今回のハイライト、ちゅらさん遺蹟のご本尊とも称される「こはぐら荘」です。
勿論、この家が民宿であったのはTVの架空の世界だけの話しで、実際には普通の民家で、あまり大っぴらに写真なんか撮るのは憚られるカンジでしたが、一声掛けて撮っていたら、やれ、兄さん、東京から来たんか、とか、自転車で回るとは根性有るなぁとか、やっぱ地球に優しいし、カラダ鍛えられるからエエなぁとか、その家の家人か、近所のおばぁか識別不能な老齢の女性達のハナシのネタにされ、ほれ、島の地図出せ、ここ行ったか、ここがエエぞいてなカンジで親切の行商、もとい押し売りに近い状況に近づいてきたので、何カットか撮ったら、ほうぼうの呈で逃げ出しました。
尤も、カメラを向けようものなら、途端に「おばちゃんなんか撮らんといて」と逃げ回るから不思議なものです。

最後の五枚目。
「こはぐら荘」を含め、集落を思う存分撮り終え、いよいよ港に戻ることにしました。
来た道とはルートを変え、憧れのシュガーロードを一気に駆け抜ける目論見です。
さすがに観光シーズンから外れたこの離島には車は殆ど通りませんし、他の観光客の貸バイク、貸チャリと遭うことも稀です。
当日は若干黄砂の影響で視界は霞んでいましたが、それが妙に遠近感を引き出し、遠い過去の風景に対峙しているような昂揚感を覚えさせてくれました。

このカットを撮る直前、工房主人は渾身の力で下り坂のペダルを漕ぎ続け、暫しの間、牧草地帯を吹き抜ける島の、いや海洋の風と一体になったのでした。

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  1. 2010/04/07(水) 23:57:12|
  2. 旅写真
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Um paraíso no Mar da China Oriental vol.3

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【撮影データ】カメラ:LeicaM8 ISO Auto 全コマ開放、レンズ:1~4枚目;SpeedPanchro40mmT2.3Ser.II、5~6 uncertified 51mmf1.5、 ロケ地:竹富島
さて、桜のピークも惜しまれつつ過ぎ、いよいよ新年度の始まりです。
街中のいたるところで、いたいけな新入生、新入社員の群が時には右往左往しつつ、着実に新しい世界へ足を踏み出そうとしている姿はいつ見ても新鮮な気持ちに駆り立ててくれます。

さはさりながら、当工房は、別名"工場ひとり"ですから、何年経っても新入社員など入ろう筈もなく、相変わらず、偏屈な主任技師兼CEO一人で、今日もも老若男女が皆桜祭りに浮かれる深川の片隅で、旋盤回して、自己満足のレンズ造りに没頭していた次第。

とまぁ、ぼやき近い前置きはこのくらいにしておいて、先週の予告通り、石垣島編の最終回、竹富島で行われた、日本一早い八重山の海開きというイベントに朝一から参加した様子をご紹介します。

なお、今回はまだ未発表の謎の新作レンズの作例が出ますが、その正体は、月内に実物の写真と共に詳細にお伝えしますので、今回は謎のままということでご了承下さい。(ま、焦点距離、開放値見れば、判る方はすぐ判ってしまいますが・・・笑)

まず一枚目。
朝8時台の連絡線で石垣島の離島ターミナルから竹富島へ渡り、港からバスでピストン輸送されて、今回の海開きイベントの会場、「コンドイ浜」という目にも鮮やかな白浜に着きました。

海開きのイベントは、まず石垣島に在る竹富町役場からやって来た竹富町長の挨拶から始まり、次いで来賓扱いの石垣新市長、八重山観光ビューロー事務局長等々、一通りの挨拶が終わると、いよいよ海開きのシンボルである、テープカットが行われます。

要人がずら~っと並び、テープならぬ、細いロープにハイビスカスの花を散らした、いかにも南国らしい道具立てで、その両脇を去年のミス八重山とミス南十字星のお二方が固めます。

そのカットの直前に撮ったのがこの一枚。
大人も子供も、皆、日頃感じないような昂揚感でワクワクしながらテープカットを待つ一瞬です。

そして二枚目。
テープというか、ハイビスカスの結界が関係者によって断ち切られ、鳩は2箱ほど大空に放たれると、さぁ、日本一早い海開きです。
さすがに大人はやらないですが、自発的なのか、或いは学校経由因果を含められたのか、元気そうな子供達が歓声、奇声を上げて、碧い海に飛び込んで行きます。

しかし、このカットの面白いところは、そんなありきたりの事実ではなく、寧ろ、海の中で手に手にカメラを構え、突進してくる子供達の姿を捉えようとする、報道陣の姿です。

天下のNHKからローカルの放送局、新聞、或いはタウン誌、観光ビューロー差し回しの広告代理店のカメラマンまで、かなりの人々が待ち構えています。

いつもはテレビで見ている海開きを、後ろ側から取材風景を見たのは何故か新鮮な経験でした。

続いて三枚目。
しかし、海開きとは言え、あくまでも象徴的・概念的なものですから、遠泳をしようとか、潜ったままガマン大会やろうなどという根性の座った子供など居ようはずもなく、しかも入れるのが、遠浅とは言う浜のせいぜい20mかそこらですから、飽きてしまうのは致し方ないところ、それでも、上がって来た人々には、竹富町観光協会スタッフ手製の「初泳ぎ証明書」とか言うあまり役に立ちそうにない札を渡していました。

この3人組の中学生、可哀想にこの直後、ミニコミ誌といわず、地元新聞社といわず、取材に取り囲まれて、風の有る浜辺ではまだ肌寒いだろうに着替えさえなかなかさせて貰えなかったようです。

それから四枚目。
一番最初のカットでミスが云々と言っておきながら、今回のアップで紹介せず、写真展会場へ♪などと書こうものなら、顔を上気させて、怒り狂いそうな常連さんの顔も浮かびますので、お嬢さんたちを紹介します。

勿論、拙者かくかくしかじかの人間で、これこれこういう目的で使うので撮らせて下さい、とお願いして4人別々にアップで撮った写真はありますが、それは個人的な楽しみ、もとい写真展会場でのお楽しみとしておいて、新旧2組4名のミスが一斉に会場内の特設ステージに上がったシーンを撮ったものです。

オレンジが去年のミス八重山・南十字星、白が今年のそれぞれのミスです。

皆さん、容姿も素晴らしいがお人柄も素晴らしく、また来年も同イベントに出かけてお会いしたいなぁ・・・と儚い夢を見てしまいました。

まだまだの五枚目。
海開きのイベントは竹富町、石垣市、そして宮古市を含めた八重山地区で最大級のイベントのひとつですから、当然、演じ物が有ります。

一番最初は、竹富島に伝わる漁撈の歌舞らしく、民謡の言葉の意味はさっぱりでしたが、生演奏の三線やら太鼓に合わせてユーモラスに踊る島の女性達の姿は感動的ですらありました。

最後の六枚目。
演じ物は、何も八重山に伝わる伝統的な歌舞音曲の類いだけではなく、移民を通じて交流の深い、ハワイアンのお披露目もありました。
しかも一組だけでなく、その分野ではかなり有名な千葉のフラダンススクールの本校からも応援に来てくれたということで大人2組、更にはいたいけな子供のフラも演じられました。

しかし、何よりもバカウケしたのが、かなり難度の高いフラがクライマックスに達したその時、皆から注目される快感に目覚めてしまったかのような幼児が砂浜のステージに飛び出してきて、「琉神マブヤー」か何かの振りで踊り出したのです。

スタッフは苦笑するしかなく、会場の警備を司る筈のお巡りさんも消防団の若い衆も、海上保安庁第七管区の精鋭達、いわゆる海猿諸兄も或る者は指を指し、或る者は腹を抱えて笑い転げるだけ・・・

まさに手作り感溢れる牧歌的な良い催し物に呼んで貰ったという実感で一杯です。

東京をはじめとする大都市のイベントでは、カメラやVTRという名の武器を持ち、目を血走らせたマニア達で殺気立つのが常となっており、心を痛めていましたが、この地方のイベントでは終始、島時間の為せる技か、和やかな雰囲気が満ち溢れていて、艱難辛苦もものかわ、遠路出掛けて行って本当に良かったと実感しました。

さて、来週は久々に工房作品の紹介でもしましょうか・・・

テーマ:ライカ・マウント・レンズ - ジャンル:写真

  1. 2010/04/04(日) 19:41:37|
  2. 旅写真
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プロフィール

charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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