深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

Eine verlorene Technologie~Topcon Unirex mit UV Topcor53mmf2~

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【撮影データ】カメラ:Topcon Unirex、フィルム:Kodak Ektar100、 レンズ:UV Topcor53mmf2 全コマ開放
さて、前回の更新は、急に身内の不幸が有ったもので不本意ながら飛ばしてしまいましたが、後片付けと気持ちの整理が着いたので、また定常通り更新参ります。

今回のご紹介は、所属する写真秘密結社?ノンライツRF友の会/新宿西口写真修錬会恒例の年始撮影ツアー@川越の際、レストア後のテスト撮影を行ったTopcon Unirexによる作品です。

手許の写真機材史関連資料によれば、このカメラは1969年(昭和44年)産まれで、同じ年の産まれには、業界こそ違え、21世紀の今も世界の空をところ狭しと駈け巡る、不世出のベストセラー機ボーイング747がいます。

さて、この機の特徴を幾つか挙げておきますと、まず第一の特徴は、レンズシャッタ-機にも関わらず、開放測光のクィックリターンミラー方式であること、そして何よりも驚かされるのは、シャッター速度優先式のAEが付いていて、しかもそれが、巻戻しクランクの根元の切替えレバーによって、「平均測光」と「スポット測光」の切替えが出来るというのです。

ここでひと疑問が産まれます。何故、レンジファインダー偏愛で、一眼であれば、ニコン、キャノン、そしてせいぜいライカのRかヤシコンYCくらいしか使おうとしない工房主が、あまり特徴もない、絶版国産機の一眼になど手を出したか?・・・

その答えは二つの要因があって、ひとつは、保有するTopcor-S50mmf2黒帯のシネレンズにも比肩し得るような描写性能を知っていることと、だいぶ昔に新宿場末の中古カメラ屋でTopcon UVマウントをニコンFマウントに換装して使っている人が居る、という噂話を聞いて、いつかは工房でも作りたいと思っていたところ、電子湾で思いがけず、安い個体が揚がったからです。

さて、早速、作品解説いきます。

まず一枚目。
本川越の駅を出た一行は、まずは行動前のブリーフィングとお茶を楽しむため、メインストリートんの一本東の裏通りに入ります。
ここに大きな酒造場の大土蔵を改造した観光センターみたいなものがありますが、その反対側に昔ながらの木造、フローティングでない、歪みもまた味の大きな板ガラスのはめられた木製引き戸の有る老舗の肥料屋さんがあります。
その店先には、季節の寒椿が咲き誇っていたので、今回は花を主役にしてシャター切ったのがこの一枚。
アンダー気味になると、急に緑~シアンが強めになってしまうエクターフィルムのクセは隠しきれなかったですが、それでも、程好く柔らかめな解像感と心持ち低めのコントラストで冬の小江戸の朝のひと時を表しているのではないでしょうか。

そして二枚目。
老舗肥料屋さんの反対側には、先ほど述べた大土蔵の敷地内に川越祭りで使われる山車の収納庫があります。
ここも街の中の各収納庫同様、表側はガラス張りになっていて、キレイに手入れされた山車の雄姿をいつでも眺めることが出来ます。
しかし、へそ曲がりの工房主はガラス越しの絢爛豪華な山車などという女子供が携帯で撮るようなありきたりの構図では満足しよう筈もなく、後玉部分が極端に細く絞られている上にコーティングも古いクラシックレンズには一番苛酷な、空、白壁、そしてガラスという"障壁三種の神器"でのカットでシャッター切ってみた次第。
ここでも、空と白壁の飛びを警戒して、人力AEは1段アンダー目で撮ったため、エクターのあらである緑~シアンかぶりが出てしまっていますが、フレアやゴーストもなく、また一枚目とは異なり、かなりシャープに上がっているのは不思議なものです。

それから三枚目。
最初の撮影スポット喜多院に着くと、集合場所と時間だけ決め、あとは思い思いの撮影です。
そこで、だいたいワンカット目に撮るのが、集合場所から至近距離にある、おみくじの止まり木です。
ここでは、もはや観光地化していることもあり、カメラを構えているからといって、おみくじを結ぶのを止める人はまずいませんし、ましてや撮った、撮らないなどの苦情も、知る限り皆無です。それだけ、アマチュア写真家にとっては一般的な撮影ポイントなのかもしれません。
ちょうど良いモデルさんが登場するまで、ファインダを覗いていたら、来ました、来ました、若いカップルが。
女性はこちらをちらりと一瞥しましたが、気にする様子もなく結び作業に入ります。
男性の方は「三歩下がって○の影を踏まず・・・」ではないですが、後ボケを確認するのにほど良い位置に佇みます。
いつも愛用するレンジファインダ機やデジ1眼と異なり、この御歳42歳のレンズシャタ-機は「バッシャ」とかけたたましい音を立てます。
それでも動じることなく、このカップルは無事、愛の共同作業を終え、何事も無かったようにこの場を立ち去って行ったのでした。
陽が当っている女性の浮き出るような描写は、やはりTopcor-S50mmf2の血筋は争えないと思ったものです。
ただ、若干、背景が工房主の好まないぐるぐる傾向にあるのが珠に瑕ですが。

まだまだの四枚目。
集合場所から歩き出し、境内を徘徊していたら、熟年の域に達したであろう往年の小姐達が妙に浮き立ち、黄色ならぬ、黄土色の嬌声を上げている一角がありました。
早速やじうま根性で人垣を分け入ってみると、時代劇のロケとも思えるような凛々しい若武者が三重塔をバックにせせり立ち、熟年小姐達が、携帯と言わず、キタムラ辺りの特売コンパデジと言わず、キャァキャァ騒ぎながらミニ撮影会みたいなことをやってたのです。
そこで、工房主もすかさず参戦し、「一枚お頼み申す!」とか時代がかったお願いをして一枚撮らせてもらったカットです。
心持ち前ピンでの上がりですが、それでも程好い柔らかめな解像感とピーカンの日中でありながら適度なコントラストは、使いこなしたら面白そう、という印象を与えるには充分な出来だったと思います。

最後の五枚目。
モデルになって頂いたお兄さん、お父さん、弟さん、そして頑なに撮影拒否を貫き通した末娘さんからなる、お侍一家に心よりお礼を申し述べ、境内徘徊に戻りました。
売店方向に歩いていたら、川越地方ではたまに見かけられる、鼻筋が通り、目が二重でぱっちりとした色白の小々姐を連れたお母さんが、お子さん達にお昼メシでしょうか?屋台のやきそばを与えている姿が目に留まりました。
そこで背後から、極力驚かさないように声を掛け、食事しているひと時を撮らせて戴いたのがこの一枚。
ここでもピーカンの日中でありながら、コントラストは程好く、抑え目な解像感がえもいわれぬ雰囲気を描き出しているといったら言い過ぎかも知れませんが、それでも、マイクロニッコールやシネレンズとは対極にあるこの優しめレンズのパフォーマンスにも感じ入った次第。

さて、来週は久々に工房作改造レンズのご紹介行ってみましょう。乞うご期待。

テーマ:街の風景 - ジャンル:写真

  1. 2011/01/30(日) 20:00:00|
  2. 深川秘宝館
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お報せ~東北の盟友が写真展やりますよ~

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読者各位
日曜晩の定常更新前にCMタイムです。
工房主が所属する写真秘密結社?ノンライツRF友の会/新宿西口写真修錬会の主要メンバーであり、その個性的かつ独創的な作風で、今や斯界の注目を浴びつつある、みちのくの幻想写真家こと渡辺和哉氏が、地元山形市内で第二回個展を開きます。
場所は山形駅からタクシーで10分程度の吉田カメラ二口橋新本店二階。期間は2月一杯とのこと。
本人が会場不在の場合も、その分身?たるフィギア、もといピカチューカメラがお留守番をしているとのこと。
お近くにお越しの際は是非、お立ち寄り下さい。
http://www.yoshidacamera-futakuchibashi.com/store/index.html

テーマ:写真俳句 - ジャンル:写真

  1. 2011/01/30(日) 12:56:19|
  2. CMタイム
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命どぅ宝 Nothing is more precious than our each life~沖縄ツアー'10.冬(後編)

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【撮影データ】カメラ:Zeiss Ikon ZM、Kodak Ektar100、レンズ:1~3枚目;BALTAR40mmf2.3FMAO、4~6枚目;Cine-Sonnar50mmf1.5
さて、新年も松が取れて更に一週間が経過し、もうそろそろ、晴れがましいようなお正月気分とはさようならです。
前回に引き続き、昨年のクリスマスイブ挟みで有休を取り、4連休として、来月のJCII Club25での写真展の作品作りのため訪問した沖縄からの作品ご紹介、後編お送り致します。

那覇に飛んだのが23日、そして翌24日が言わずと知れた世界共通の最も有名な記念日、クリスマスイブです。
この日には、南部戦跡巡りをしようと、東京から飛ぶ前に決めていて、夕暮れ以降のライトアップを撮りたいところがあったので、時間調整のため、午前中はちょい早起きして、那覇観光協会提供の奥武山~小禄の史跡巡りをサイトの地図だけ頼りにガイドさん無しの単独踏破を行いました。

そして、12時ちょい過ぎに小禄の駅前に戻り、いつもの行き着けのローカルカジュアルレストラン、「Green Heart」さんで、アグーのハンバーグ定食なんか食べ、ついでにその近所のキタムラでフィルムとSDカードなど仕入れて、小禄駅前のバス停から、糸満バスターミナル行きのバスに乗って、まずは、糸満市場を目指しました。

バスの揺られること約30分、糸満ロータリー前で下車、馴染みの糸満市場まで徒歩で移動します。
ロータリーからは徒歩約5分程度で市場に着くのですが、この市場は沖縄のローカル市場というよりは、南太平洋の島のどこか、例えば、ポナペ島とか、ボラボラ島とか、沖縄の中にあって、更に緩いカンジの南国時間のたゆたう、心休まる場所なのです。

さて、ここからが作品の解説の始まり始まり。

まず一枚目。
いつ来ても人がまばらな市場の芝生の中庭で、眉毛をハの字にし、眉間にも薄い縦皺なんか浮かばせ、いかにも旅の、写真にうるさい中年男ですよ・・・というオーラを発揮しながら何カットか撮っていたら、しめしめ、また地域住民というか、ここのお店の人達が井戸端会議というか、市場端会議にもならないような、緩いカンジの、ウチナーグチで言う"ゆんたく"をはじめました。

するとヒマを持て余すのは、大人の話題展開についていけない、いたいけな童子です。
そこで、よたよた中庭の芝生といわず、市場の建屋の床といわず徘徊していた子供に、さっきの気難しい写真中年オーラを裏側にしまって笑顔で「ハィハィ、あんよがおじょうじゅでちゅねぇ・・・」とかゴマすって注意を喚起し、一方、話題が佳境に入って、テンション全開の母親達に「ちょっと、お子さんの様子見ながら写真撮らせてねぇ」とか、ヘンな琉球アクセントで断っておいて、「は~ぃ、ヨロシクね、ホラ、内地のお客さんが、写真撮ってくれるんだから、ちゃんと笑いなさい」としっかり観光客であることを見抜かれた上での撮影フォーローして戴いて撮ったのがこの一枚です。

きっと、このやんちゃ坊主が大きくなった頃、子供時分に遊んだ南国の市場を流れる緩い時間や空気を思い出し、目を細め懐かしがるのかなぁ・・・などと考えながらシャッター切った一枚です。

そして二枚目。
シャッター切ったあとも、とどまることのない"ゆんたく"中の保護者ご一行さまに心よりの協力御礼と、「いつまでも変わらないで」との市場への思いを胸のうちで呟き、この場を後にし、ロータリーよりひとつ先のバス停に向けて歩いて行きました。

糸満バスターミナル発、玉泉洞行きバスに乗って、目指すは今回の主要目的地のひとつである"ひめゆりの塔"です。
バスに揺られること、約20分、バスはひめゆりの塔のすぐそばのバス停に留まり、そこで下車し、記念館も併設されている敷地へと歩いて向かいました。

入口では、いかにも沖縄で若い頃苦労したが、今は良い時代に余生を送らせて貰っていますよ、という雰囲気が全身から滲み出ている品の良いおばぁが花束を売っていて、それをひとつ200円で買い求め、早速、敷地の中へ歩み、「ひめゆりの塔」の前に置かれた献花台にそのひと束の南国の花を捧げ、心より哀悼の意を示し、世界平和の到来を祈りました。

献花台を去ろうとする直前、親子連れが、記念撮影するのに、慣れないデジカメで苦労しているのが目に留まり、一家の記念写真を撮ってあげました。

しかし、ここから先が工房主のえげつないところで、せっかくの「ひめゆりの塔」訪問なので、塔本体にカメラを向けるのも畏れ多く思え、献花台に花を供え、祈る姿を撮らせてくれそうな人が来たら、何とか上手くモデルになってくれるようお願いしよう、と下心も隠し持っての参拝でもあったのです。

シャッターを切って、モニターを確認して貰ってから、「ね、結構イイカンジに撮れたでしょ?」とかと言ってから、「その代わりと言っては何ですが、これから花を捧げ、お子さん達と祈る姿を撮らせて下さい」とお願いしたのです。

尤も、祈る姿で以て、せめて弊ブログ読者各位だけにでも、平和の有り難みをイメージして貰えれば、というのが本心でそれ以外は何もないので、この下心も大目に見て貰えれば、と思ってやったことではありますが・・・

それから三枚目。
モデルさんになって頂いた一家に心よりのお礼の言葉を述べ、記念館を見学し、記名帖に感想など書いて、中を見学してから、次の目的地、平和祈念公園を目指しました。

実は、この「ひめゆりの塔」が建立されている伊原という地区から米須を通り、摩文仁まで結ぶ、58号線は、沖縄戦で最も多くの人々が無くなった地帯で、あちこちに慰霊塔が建立されていて、そこここに見えるのどかな赤瓦お民家やセメント造ののどかな南国風の商店の佇まいなどからは想像もつかないような激戦地、"地獄の中でも最も苛酷な地獄"と日米兵士、そして沖縄の民間人に恐れられた一帯だったのです。

そのかつての面影を偲ばせるものは慰霊塔、慰霊碑の案内板しか見当たらないような牧歌的な道を、右側のさとうきび畑を眺めながら、時折、遥か彼方に姿を現す南シナ海の水平線に思いを馳せ、米須の先まで歩いていきました。
その途中で、バス停の近くで追っかけっこみたいな遊びに打ち興じる小々姐2人に遠く摩文仁の丘を背景とした写真のモデルさんになってもらい、「この辺りが太平洋戦争の激戦地であちこちで多くの人が亡くなったのを知ってる?」と聞いたところ、「な~んか、おじぃがそんなこと言ってたっけかなぁ」というカンジで、彼女達は、尊い命と引き換えにもたらされた今の平和な時間をエンジョイすることに夢中のようでした。

そして、さすがにどこまでも歩くのがしんどくなって来た頃、ちょうど路線バスがやって来て、平和祈念公園まで乗せて貰い、中に入って行きました。

このカットは公園内の戦没者石碑群が建立されているエリアに入るところにある、今はただ平和な時間のみ流れる平和資料館の中庭から建物を撮ったものです。

続いて四枚目。
南部戦跡の慰霊巡りをした翌日、25日は雨模様でしたが、前に観光バスツアーで15分かそこらしか滞在出来ず、今度来る時はもっとじっくり腰を据えて訪問し、出来ればそこに居る人達とも話しをしたい、と考えていた、嘉手納基地に隣接するドライブイン「道の駅かでな」をバスで訪問しました。

那覇を朝出る時も小雨だったのですが、嘉手納ロータリーでは、かなりの雨量で、本当はバスの乗り継ぎで道の駅に辿り着くはずだったのですが、バスも連絡悪かったので、バス停前で客待ちの大村昆みたいな運転手さんの「道の駅」まで結構有るから、乗って行きな、500円でイイよ、との甘いお言葉に乗っかり、乗せていって貰いました。
結局、メーターを倒さず走ったので、610円だかになって、ハィ600円ちょうどね、という極めて南国的明朗会計でしたが苦笑するしかなかったです。何故ならここは南国ですから。

まずは出発前に買った高性能コンパデジの光学ズームとデジズームの性能も試したかったので、屋上に上がり、基地の戦闘機の離陸を待ちます。
ところが、15分待とうが、30分以上待とうが一向に滑走路に何がしかの機体が滑り出てくる気配も有りません。
そぼ降る雨の中、怖い表情で屋上を行ったり来たりする中年男は営業の邪魔になるのか、或いは、観光客みたいなのには適当に親切にしておけ、と因果を含められての商売なのか?は知る由もありませんでしたが、暫くすると、屋上の売店のおばぁが、「あ、昨日、今日とクリスマスだから、基地もお休みみたいさぁ」とか事もなげに教えてくれました。

が~んと自分の不勉強さ、と間の悪さに打ちひしがれそうになる気持ちをぐっと堪え、では基地をバックにした、現地カップルのそれらしい写真を撮ろう、と気分転換します。

待つこと10分、如何にも頼まれたらイヤと言えません、というカンジの初々しいカップルが基地を眺め、やれ、ランチタイムはパイロットも整備のおっちゃんもお休みだから、エンジン音も静かなもんだ・・・とかかなりユニークな解釈を加え、基地を眺め回しています。

そこで、先に事情を知った小生がこのいたいけな初々しいカップルの背後に立ち「あー今日はね、クリスマスなんで、基地の訓練はお休みみたいね、どっからきたの?あ、石川?遠いとこ、ご苦労さんでしたね」とか言って、あ、そうなんですか、有難うございますと言って立ち去ろうとするお二方に、せっかく来たのだから、ブログのネタになって行きなさい、とか全然説得力の無いリクエスト出し、それらしいポーズで基地を背景に撮ったのがこのカットです。

まだまだの五枚目。
屋上で何組かに声を掛け、親子二人でお金も入れずに見えない双眼鏡を覗いてポーズして貰ったり、基地の前で談笑して貰ったり、好き放題写真撮らせて貰ったので、バス代とタクシー代の元手は取ったかな、とかセコイこと考え、そう思ったら、忘れかけてた空腹感が戻ってきました。

そこで、後回しにしていた、2階の食堂、この道の駅が出来る前から同じ場所でドライブインとして営業していた、由緒正しい食堂だということだったので、せっかくですから、ここでランチです。

窓際い近い大テーブルが空いていたので、そこに座って、メニューを見ていたら、如何にも健康そうな沖縄の女子高生、というカンジの小姐が注文取りに来てくれたので、早速、得意の現地モデルスカウト術(客観的には、ただのナンパとも・・・)を駆使し、その気にさせて、テーブル脇のクリスマスツリーの横で、一枚撮らせて貰いました。

ちょっとおっかなげなお店の女主人が衝立の向こうからちらっと見てたので、文句でも言われるか、と思いましたが、「XXちゃん、ホント良く基地の人にも、内地の人にも写真撮られるね!」とか茶化すためだけに一部始終見てただけでした。

しかし、初めは占領軍の施設だった基地が、ここのように観光資源ともなり、地元のいたいけな女子高生がバイトを通じ、米国人兵士に親しく声を掛けられたり、写真撮って貰ったりするということが日常茶飯事に起こっていることからも、意外と沖縄の人達は大航海時代の国際性を遺憾なく発揮し、したたかに今の世を渡っているのだなぁ・・・と改めて関心した次第。

最後の六枚目。
モデルさんになってくれた小姐にお礼を述べるとともに、お勧めのメニューを頼みまくった小生は、テーブルに並べられたスープやら、タコライスやら、カデナ風スペシャルサラダみたいなものを、そのアメリカンサイズにもめげず気合い入れて格闘していたら、隣りの席に、いかにも沖縄風のおばぁと孫という一行が食事を終え、すぐにでも帰ろう、としている様子が目に留まりました。

これは、まさに今回の沖縄を象徴した画が取れるワイ、とか勝手に意気込み、一枚撮らして!と頼んでシャッター切った一枚。

この後、話しは弾み、おばぁの言葉で印象的だったのが「沖縄の人間全部が、基地全てがすぐに出て行け、と言っているワケではないです、基地でお金が沢山落ちているのは事実ですし、将来的に減ることが良い方向であるのは間違いではないことはわかりますが、今すぐ無くなってしまったら、沖縄経済はどうなりますか?この子達を飢え死にさせるワケにはいきません、とにかく今この時生活出来て、そこそこの水準で暮らせることが何よりなのです、東京の人達みたいに沢山のお金が有るわけではないですが、それでも、今を幸せに生きている人達は沖縄には沢山居ますよ、主義主張でご飯は食べられません、とにかく今を行き抜くことが一番なのです、命どぅ宝って聞いたことありますか?この言葉はなにも反戦の合言葉だけぢゃなく、とにかく何であれ、今日生きていることが一番の幸せということなんですよ、孫達にもそう教えていますよ」といったことです。

そこで、おばぁに「実はもう十数回沖縄に来ていますが、いつも思うことが、今回は前回以上に気に入った画が撮れるか?ということ。羽田から飛び立った瞬間に毎回悩みます」と述べたら、「な~に、大丈夫さぁ、あなたは顔に「沖縄のことが大好きです」って書いてあるもの・・・これからもどんどん通って、ありのままの今を撮って、日本といわず、全世界に伝えて下さい」と有難いことばを頂きました。

これで、また悩むことなく、見たままの沖縄を年に数回、ここで発信していこうとの思いを新たにした次第です。

さぁ、来週は何が出るかお楽しみです。乞うご期待。

テーマ:旅の写真 - ジャンル:写真

  1. 2011/01/17(月) 00:21:31|
  2. Arri改造レンズ群
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命どぅ宝 Nothing is more precious than our each life~沖縄ツアー'10.冬(前編)

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【撮影データ】カメラ:1、2枚目;Zeiss Ikon ZM + Kodak Ektar100、3~6枚目;Leica M8 ISO200、レンズ:1、2枚目;Cine-Sonnar50mmf1.5、3~6枚目;Baltar35mmf2.3、全コマ開放、露出補整;3枚目+1.3、他+1/3
皆様、あけましておめでとうございます。暦通りであれば短めのお正月、如何お過ごしでしたでしょうか?
当工房は29日に大掃除&操業終了、一昨日8日に仕事始めを行い、同日中に1本改造完了しました。というか、道楽でやってる作業ですから、単に操業開始というべきかもしれません。

閑話休題。今回のご紹介は今年一発目ということで、昨年のクリスマスイブ挟みの連休に今春の写真展の取材のため訪問した沖縄で出会った様々なスナップをごった煮状態でご紹介する企画の前編となります。

個々の作品のコメント前に、よく写真展で来訪者から受ける質問の答えを述べておかねばなりません。

それは、何故、工房主はこれほど頻繁に沖縄に通い、沖縄の人々、文物に入れ込むのか?に対する答えなのですが、そもそも、一番最初に、自分で作ったレンズで南国風景を撮りたいという単純な理由で、沖縄に行こうと考え、几帳面というか、何事にも凝り性の工房主は、ネットで、そしてガイドブックで渡航前に情報収集しているうちに、気候が良く、人々も温厚で食べ物も旨い南海の楽園、という表の顔の裏に太平洋戦争の激戦地で多くの軍人、民間人が無くなった悲劇の島という極めて漠然としたイメージが、より個別的な具体性を持つようになってきました。

20万人以上の尊い命が数え切れないような状況下で失われた以上、その失われた命の数だけ物語があってしかりとは思いますが、その中で特に海軍守備隊総司令官 太田実中将の「沖縄県民斯く戦えり、以て後世に格段の取り計らいを・・・」の海軍次官宛の電報、その直後の自決という事実に胸を打たれ、「では、自分自身が沖縄の人々のため、微力ながら何か出来る事はないだろうか?」と自問自答するに至りました。

そして考えあぐねた結果、導き出された答えが、沖縄を愛し、沖縄の今を写真という手段で発信し、観光客を呼ぶことによって主力産業たる観光業のお手伝いをしよう、ということでした。

従って、ご都合主義かも知れませんが、太田中将の電報がきっかけとは言え、これまでは、極力、戦跡や基地問題は避け、お気軽個人旅行記的な明るいテーマで沖縄に関する情報発信に努め、それが正解だと思い込んでいました。

しかし、前回の沖縄旅行から戻ってすぐ、ひめゆり部隊に関する著作二件を読み、今までの太平洋戦争関連のテーマから極力目をそらす姿勢が何か申し訳ないことをしているように思えてきました。

実は沖縄にはもう15回近く訪問しているのですが、ひめゆりの塔も、平和祈念公園も一度も行ったことがありませんでした。そう、早い話、内地の人々は観光情報としては悲惨すぎて関心持たないだろうと自分に言い訳し、ずっと避けていたのです。

そこで、年末の渡航、年内最後の沖縄行きの際は、同じ日本国民として、戦禍で若い命を絶たれた同胞達にせめて花のひと束でも手向け、心ばかりの哀悼の意を示したいという決意が固まりました。

更に11月に入ってすぐ、ネットで南部戦跡の情報を集めていた時、偶然ながら、「白旗の少女」の逸話を知りました。

自分が知らなかっただけであまりにも有名な話なので、ここで詳細を述べることは控えますが、1945年6月の米軍上陸直後、唯一の肉親且つ保護者だった父親を亡くし、頼りの姉2人には南部方面への避難途中にはぐれ、7歳になったばかりの少女が太平洋戦争中最も苛酷と言われた沖縄南部地区の戦場を彷徨い、死に対する恐怖感も麻痺しかけた頃、安息の地に迎え入れてくれた、ガマ(自然洞窟)内にこもる、体の不自由な老夫婦が、数日後には米軍の投降呼びかけが激しくなってきたことから、少女だけでも無事に逃がそうと、命の大切さを説いた上、老人のふんどしから老夫婦が必死に作った白旗を持たせてガマから出し、無事投降させた、という物語です。

これを読み、そして2009年9月末のTV東京のドラマのネット放映を見て、もう心は決まりました。そう、今回は沖縄の裏表ありのままの今を写真に捉えて、それを全国に発信しよう、と。

従って、写真展のテーマも沖縄の今、特に今を生きる老若男女、様々な人種、境遇の人々を那覇、糸満、そして北谷でロケして捉えたものとしています。

では、個別作品の解説いってみましょう。

まず一枚目。
空港に着いてから、すぐに旭橋のホテルにチェックインし、その足で目の前のバスターミナルから北谷町美浜を目指し、「軍病院前」経由のバスに乗りました。
美浜のアメリカンヴィレッジを徘徊しながら、モデルになってくれそうな人々を探します。
すると、ほどなく、若い白人の家族連れと目が合いました。そこで娘さんの写真を撮らせて欲しい旨頼むと、二つ返事でOK、そしてシャッター切ったのがこの一枚です。
撮った後に少し話しをしたら、やはり米軍基地に勤務する陸軍の軍人で娘さんも下の赤子も沖縄で生まれたとのこと。
ここ沖縄のことは相当気に入っていて、娘ももう少し大きくなったら、基地の中だけでなく、せっかくこんなイイところに暮らしているのだから、外にも友達出来るとイイね、と若い父親は述べていました。
とかく迷惑施設というステレオタイプが前面に出されがちな米軍基地にも、同じ人間、しかも幾多の家族が暮らしを営み、極力現地の人達とも仲良くしたい、という思いを持っている人も少なからず存在するということが、当たり前のことながら、少し救われた気分になりました。

そして二枚目。
若い軍人さんの家族のお礼の言葉を述べ、またアメリカンヴィレッジを徘徊していると、面白い人を見かけました。そう、イブの前日とは言え、サンタのコスチュームで買い物に来た若い現地の女性です。
内地では殆ど見かけませんが、ここ北谷でも、那覇の国際通りでも、おもろまちでも、泊港対岸の魚市場でも、沖縄では、このシーズン、サンタ等のコスチュームで楽しそうに街を散策し、買物する老若男女を見かけます。
そういった意味では、元々、海洋交易国家だった琉球王国の時分から、文明の交差点として、最先端の風俗を取り入れて行ったこの島の文化の多様性、許容度の大きさは今でも脈々と息づいているのかも知れません。

それから三枚目。
美浜ヴィレッジから、サンセットビーチの方へモデルさんを求め歩いていきました。
このシーズンは完全に海水浴のオフですが、却って、水着とか極端に露出度の大きい衣装の人々が居ないだけに、カメラを持って歩いていても変に注目を集めることが無く、写真を撮るにはもってこいのシチュエーションです。
そこで浜辺を歩きながら、カンで声掛けたらまず撮らしてくれそうな、中学生と小学生の兄弟を見つけて、浅瀬で遊んでいるところを一枚撮らせて欲しい、と頼みました。
すると、兄さんの方はマスクをしたままキョトンとした表情で、妹さんの方は、「写真って、長いこと残るんだから、マスクなんか外すの!みっともないでしょう!」と極めて前向きかち協力的なご発言。

そして、雲の切れ間から陽が射した瞬間を狙い、縦、横一カットずつ撮らせて貰い、お礼を述べて、その場を後にしました。

続いて四枚目。
これに気を良くしてまた浜辺を歩いていると、見るからに"ロコガール"というカンジの高校生くらいの小姐4名が、砂の上に線引っ張ってコートみたいなのを書いて、その辺りで賑やかに騒ぎ遊んでいます。これは、沖縄の今、表面を象徴する素敵なシーンだと思い、恐る恐る声を掛けて海を背景にフィルム1枚、デジ1枚、縦と横で撮らせて貰いました。もしメールでも貰えたら、大きく伸ばしたプリントを人数分、フレームに入れて送ってあげましょう。

先の汀の兄弟といい、この健康的で愛くるしい小姐4人組といい、今の平和な海岸の象徴以外の何物でもないでしょう。
ここ北谷町美浜の辺りも、1945年4月1日の読谷への米軍上陸以降、激戦地となり、終戦後も長らく米軍管理下の基地内の海岸だったのですから。それが今はわが国に返還され、アメリカンヴィレッジ、サンセットビーチという若者~家族連れまでが楽しめる、沖縄では稀有のレジャースポットに産まれ変わり、様々な国籍の老若男女が憩いのひと時を過ごしています。

まだまだの五枚目。
小姐達にお礼の言葉を述べ、当工房のサイト見てね♪ってことで名刺を一人一人に手渡し、海岸を離れました。
そして、また日射角度、光温度が変わってきたアメリカンヴィレッジでまたモデルさんを求め徘徊しました。
すると、入口付近の普段は海賊の等身大フィギアが置いてあるカジュアルファッションのお店店頭のサンタ型ベンチで仲良さそうに戯れる白人男性と日本人女性のカップルが目に留まり、大胆にも大股で歩み寄り、男性の方に「一枚撮らしておくんなさい」と申し入れ、そしてとっておきのポーズをつけて貰ってシャッター切ったのがこの一枚です。

ここでも、島国国家で閉鎖的と言われる日本にあって、この楽しそうに微笑むカップルの姿が自分にとっては文化の坩堝状態の沖縄の今を表すポジティブな1シーンではないか、と思えました。もしメールでも戴ければ、伸ばしたプリントをフレームに入れてプレゼント致します。

最後の六枚目。
北谷での撮影を終え、日暮れ前に那覇に戻り、国際通りを徘徊していたら、何処からか妙なる調べが流れてきました。
さては天女の舞い踊りか、ここは南国の楽園、沖縄なり・・・とか勝手な妄想を膨らませて、音曲の奏でられる方向目指して歩いてみれば、平和通り入口の「OPA」という商業ビルエントランスホール前で、なかなか美形で歌ももちろん上手い小姐達がミニライブを行っていました。
しかし、まだ無名なのか、或いは内地の嗜好とこちらの嗜好は異なるのか、これだけの愛くるしい小姐達が、一生懸命に歌い、踊り、しかも健気にトークまで頑張っているのに、観客はまばら、ライブ途中で参戦した小生がすいすいと最前列に出て、このように標準レンズで愛くるしい小姐の表情まで良く判るカットが撮れるくらいでした。

でも、きっと、この小姐達はきっと、まずローカルで名を挙げ、次いで東京の芸能界にでも攻め上ることを夢見ているのでしょう。芸能大国沖縄・・・これは戦後一貫して、どの時代にも沖縄出身のトップスターが活躍してきたという事実のほんの一端かも知れませんが、それでも、この健気な小姐達が今後名を挙げられるよう、応援して上げたいと心ひそかに思った次第です。

さて、今回は今を中心にご紹介しましたが、次回は太平洋戦争の戦跡から、基地問題の今まで、現地の人達とのふれ合いを通じてご紹介致します。乞うご期待。

テーマ:旅の写真 - ジャンル:写真

  1. 2011/01/10(月) 20:00:00|
  2. Arri改造レンズ群
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charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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