
さて、今宵のご紹介ですが、ここんところ、奉公先が構造不況に加えて、新型コロナ影響によるボディブローがじんわりと効いてきてしまい、遂に従業員に対し、部分的リストラともいえる一時帰休という措置を適用するようになって、月に二回も金曜日は遊んで暮らさねばならず、在宅勤務が果てしなく続いている中、更にお休みが増えてしまうと、社会復帰のハードルは益々高くなってしまいがちではありますが、そこはそれ、何もしないでいるとなまはげがさらいに来る、という伝説もこれあり、工房に転がっている有り合わせのパーツでお手軽にスナップレンズでも出来ないかと思い、先のJupiter8M同様、Sマウント金物ドナーとして、ウクライナから段ボール箱買いした中にサービスなのか、或いは数合わせのためなのか、3~4本のHelios103が混じっており、有難く、その薄手の金物を再利用させて戴き、中身はジャンク箱の中で長年の間、省みられることもなく、ただただ転がっていたのですが、再改造のため、余剰となったCanonL50mmf1.4のそこそこ程度の良いヘリコイドユニットがあったため、F1.8のものでは内鏡胴のシャフト部が太すぎて入らないこのHelios103に陽の目が当たることになったもの。
工程としては、まず光学系の再調整から取り掛からねばならないので、汚れてはいたものの、目に見えるキズの無さそうな個体3本を選び、全部クリーニングの上、SONYα7RIIにS-M-NEXの二段重ね前提で、CXマウントの金物に装着し、コリメータを覗き、緑色のレクチルのコントラストで順位つけ、A,B,Cと振った個体のG1、G2、G3、G4の4群をそれぞれA1、A2、A3、A4と振って、最下位のものは目視してもG1の状態がクリーニングした後でもスカッとせず、G4も同様だったC個体はG2、G3のみ候補として、あとはひたすら、A1+A2+A3+B4、A1+A2+B3+B4、A1+B2+B3+B4・・・とA1をキーにヒマに任せて組み合わせてはコリメータで確認し、一番シャープと思われたA1+A2+B3+A4の組み合わせをコンプリーションとし、ライカマウントへの装着は、CanonL50mmf1.4の内側の真鍮製の金物の口に当たる部分の内径を少々切削し拡げ、しかるのち、Helios103の内鏡胴に設けられた全周スクリューと同じピッチのネジを切って、両者を合体させたのち、コリメータで無限を割り出し、位置固定のための真鍮製スペーサリングを削り出して、黒染めして間に挟む、という加工を行いました。
組み合わせの力仕事に加え、加工での若干手戻りは有りましたが、何とか、金曜日の午後一杯で完成出来ました。
話は前後しますが、このソ連製のHelios103は、Zeiss製Biotarのコピーと云われており、4群6枚のWガウスタイプですが、似たような構成であるはずのCanon50mmf1.4やRokkor50mmf2.0とは特に後群のエレメントの大きさと曲率が異なっていて、試写前からデジタルの相性はどうかなと思っていました。
ではさっそく、試写結果を逐次眺めて参りましょう。カメラはSONYα7RII海外専用モデル、全コマ絞り開放による絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、今回の試写は金曜の宵の口にレンズが完成したため、翌土曜日に行うこととし、そうなると、時間的には、ランチの場所も十分考慮しなければならないので、木場、門仲界隈の外食でも、もちろん、スーパーマ調達の自宅飲食でも食べることが叶わないものになるので、何をおいても十割蕎麦、ということで、午後のアキバ繰り出し、さぁ出て来たはイイものの、被写体は有るのかな?とか腹一杯、旨い蕎麦を堪能してから広小路を歩き出したら、すぐに目が合った、チェコ産の小姐に声掛けてモデルさんになって貰ったもの。

二枚目のカットですが、駅の近傍であれば、そこそこイイ画が拾えるかも知れないと、広小路を挟んで、ちょうど、十割蕎麦屋と対角線の方向にある駅方面を目指して道路を横断し、しつこく声は掛けてはくるが、写真撮らせて、などとお願いしようものなら、手のひらを返したようにダメダメと拒絶モードに入るメイドさんの群れをやり過ごし、駅の近くまで来てみたら、若い兄ちゃんみたいなヲヤヂが金太郎さんみたいな極小姐の手をひいて所在無さげにお散歩してたので、後ろから一枚戴いてみたもの。

三枚目のカットですが、アキバの駅といえば、数年前から自動車進入禁止となって、歩道上にも大胆な広告のポールとかが屹立するようになっていて、その広告メインモチーフとして、道行く人々を脇役に入れて撮ってみたら面白いのでは、と閃いてこの場にやってきたのですが、なかなかマスクをした人間を画面に多く入れないように工夫して撮るのも難度高く、暫く待って、やっと撮れたもの。

四枚目のカットですが、X-Pro系列で50mmクラスのレンズをテストするとなかなか撮れない被写体になってしまう、旧万世橋駅の煉瓦構造をモチーフにした商業施設エキュートを、フルサイズでこその縦位置で撮ってみたいと思い、橋の上から、訝しがる通行人各位を横目に何枚か撮ってみたうちの一番カンジの良かったもの。

五枚目のカットですが、何枚か撮るうちに、このレンズも、同じソ連産のPO3-Mほどではないにせよ、なかなか逆光に強く、古いレンズには弁慶の泣き所ともいえるような、被写界への陽光の斜め入り込みにも古いゾナーやプロジェクタレンズでは有りがちなクレセント状の虹色のゴーストも殆ど発生せず、ややコントラストが落ちるかな・・・程度なので、海外ではよくやる、上から陽の射す狭い階段の図を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、昭和通り沿い、東京メトロ日比谷線秋葉原駅の南の端の出口に面した、神田川にかかる和泉橋の上から、神田川の水面に浮かぶ、プチメガフロートである災害時の救援船の発着場越しに、万世橋方面の鉄道橋上で新幹線・山手線並走の決定的瞬間を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、JR線の秋葉原駅の南側、ちょうど黄色い手榴弾が目印の、かつてはマニアにとっては鬼門の如き、中古カメラ屋の面したちょっとした広場があるのですが、この日は天気も、気温もまずまずだったため、新型コロナに対する自粛疲れのためか、ぼぉっと日向ぼっこなどしながらスマホンに目を落とす老若男女が居たので、黄色い花越しに一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、この駅南の広場には、黄色い手榴弾マークのお店の他にも、なかなか面白げな飲食店も軒を並べており、特に目を惹くのが、この赤提灯、かつてエスプリの効いたフランス映画の代名詞とも云われた1966年制作の「男と女」から引用したのでしょうか、ヲッサン達の牙城であるべき赤提灯にそんな不似合いな名前を付けたのが面白く、何とか狭いすき間に体を捻じ込んで、最短距離で撮影してみたもの。

九枚目のカットですが、アキバもそろそろ飽きてきたので、神田、日本橋経由、撮りながら工房に戻ることとし、神田駅からほど近い、カメラのキタムラ日本橋本店に寄る途中、昔はこの近傍で試写する時は必ず撮らせて貰っていた、ペルシャ絨毯輸入会社入り口の砂岩製とおぼしき対の狛犬を横から撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、キタムラから日本橋駅へ歩いて向かう途中、地下通路の拡張のためなのか、歩道上に建設資材の保管用に臨時に設けられた囲いがところどころ在って、道行く人々への心尽くしの気遣いなのか、隔壁の長さ一杯に並べられたプランターには季節の花々が色とりどりに咲き誇っており、これが、日本橋の街の歴史と品位の象徴のようにも感じられ、川向うから来た工房主は敬意を表して、低姿勢から一枚戴いてみたもの。

十一枚目のカットですが、日本橋駅の近くまで来ましたが、午後のテータイムの時間をすっ飛ばしていたことを思い出し、16時近くにはなっていましたが、丸善裏の八重洲通りに面した雑居ビル一階に位置する、某大手ファミレスの支店に寄って、お茶と簡単なスィーツでも戴いて帰ろうと思い、そのビルに入ろうとしたとき、酸性雨にやられて全体的に緑青の涙を流したかのような少女像が目に留まったので、最短距離で一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、やっと、香り高い熱い紅茶にありつき、人心地がついてから、ふと窓の外を眺めたら、通りの街路樹の木陰の下、最新型のガンメタの911が停まっていて、木漏れ日を磨き上げられたボディで照り返して、今は亡きCGの表紙みたいな雰囲気になっていたので、三杯目のハーブティーは諦め、早々に店を後にして、一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、翌日曜日も緊急事態宣言明けの週末でしかも天気はバリバリピーカンだったので、美味しいランチでもと思い、昨日のかき揚げ込み660円の十割蕎麦のランチで期せずして倹約した分を注ぎ込もう、ということでまた性懲りもなく、てくてくと森下くんだりまで歩いてきて、珠玉の深川飯を戴いた後、付近を散策した際、店舗兼住宅の前に洒落たオブジェがあったので一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、緊急事態宣言も明けたので、もしや☆と思い、大川の面した高台に設けられた、コペンハーゲンの人魚象とも肩を並べるがっかり名所、芭蕉翁の座像が撮れるかと思いきや、近くまで行ってみたのでしたが、やはり月末までは封鎖、仕方なく、下の河岸散歩道を通り過ぎていった婆ちゃんと孫娘の後ろ姿を一枚戴いてみたもの。

十五枚目のカットですが、萬年橋を渡り、清澄白河エリアに入って、目指すは、例の震災復興長屋、ところが時間が中途半端な日曜だったからなのか、開いているお店も少なく、それ以上に人通りが途絶状態で、あまり撮っても面白くはなさそうだったので、定点観測スポット数か所を撮ってから、新たな穴場、福住の本郷菊坂町もどきへ移動しようと思った矢先、一番南端の店舗兼住宅からいたいけな極小姐の姉妹が出て来てキックボードかなんかで遊び始めたので、有難く一枚戴いてみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、我ながら、HELIOS103って、開放でこんなに良く写るだっけ?という第一印象でした。だいぶ前にS-Mカプラ付けて、M8で以て川越の蔵の街で丸々一日試してみましたが、ピンは合ってるのに、合焦部のキレがイマイチ、その理由というのが、内面反射によるものか、或いは元々の仕様上のコマフレアだったのか、判らずじまいでしたが、全般的にぼぉっとしたカンジのコントラストの低めのダメダメレンズでしたが、今回のレベルなら、十分、連れ出して使ってやろう、という気にもなると思いました。
さて、次回は帰省予定のため、一回スキップ、何が出るかはお楽しみの、乞うご期待!!
- 2020/05/31(日) 18:14:33|
- Mマウント改造レンズ
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さて、今宵のご紹介ですが、予告通り、生まれ変わった沈胴ユピテル8Mの試写結果をレポートしたいと思います。
このレンズ、前回は中、近距離、そう5mからヘリコイド機構上の最短である90cm程度まではシャープでコントラストもそこそこ高く、普通にスナップのお供に連れ出すにはそこそこの性能だったのですが、沈胴金物の構造上、15m程度までしか最遠が届かず、貴重な戦前のツァイス製の金物を削ってまで調整しようとも思わなかったので、極力、無限の被写体を撮らないようにして誤魔化して実写を終えたのですが、帰って、ニコンSP改のピント基準機で試してみると、やはり実焦点距離が短くなったため、無限が足りなくなってしまったことが判明したので、再度分解して、きちんと無限が出て距離計連動する個体と比較してみると、内鏡胴の形状の関係で前群と後群のクリアランスが適正に収まっておらず、その結果、実焦点距離の変動が生じたことが判ったため、削らず、新しいJupiter8MのエレメントをSonnar内鏡胴の金物に移し替えることでクリアランスの問題は、貴重な金物を切削しないで解決出来たという次第。
では、さっそく、土曜日の行程に沿って実写結果を眺めて参りましょう。
パートナーは前回同様、SONY α7RII、全コマ絞り開放による絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、このところ、リスク満点の公共機関を使わず、徒歩で撮影ロケ地まで移動していたのですが、この土曜当日は、ランチがかかっていたので、仕方なく、日比谷線の築地駅までは乗ることとし、そこから、徒歩で撮り、深川に戻ることにしたのですが、場外市場に最短で降りると、真上は築地本願寺の敷地内なので、ランチのお店へのショートカットも兼ねて境内に足を踏み入れ、ちょっと不思議な形の狛犬の姿をほぼ最短で戴いてみたもの。

二枚目のカットですが、本願寺の広い境内を斜めに横切ってすぐ目の前の晴海通りを渡ると、すぐに場外市場を東西に貫く細い通路に行き当たるのですが、朝の雨の残る店舗間の通路を足早に通り抜けて行こうとする父娘の姿が目に留まったので、速足で途中まで追い縋って、後ろから通りの様子ごと一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、自粛続きで、上野のアメ横と並び、まさに三密のうち、密閉以外の二密は間違いなく満たしているので、お店は閉まって、人影も殆どないのかな・・・とあまり期待しないで出掛けはしたのですが、通常時の賑わいには遠く及ばないものの、僅かに開く物販店や観光客向けのチェーン店系の大衆寿司屋の周囲では、国内外の観光客がそこそこ戻ってきており、甲殻類で有名な齋藤商店の前でも、スキンヘッドの白人大男が生うになんかチァレンジしていたので、その様子を横から一枚戴いてみたもの。

四枚目のカットですが、場外市場を東西を貫く大きな通りを結ぶ、東寄りの細い南北通路でも、まぐろ小売店なども、店先を裸電球で煌々と照らし、賑わいが賑わいを呼ぶのか、狭い店先には、陳列台に所せましと並べられた大小のまぐろの柵を買い求める人や、その周囲で品定めをする人がたむろし、往年の賑わいの片鱗も垣間見えたので、傍らから一枚戴いてみたもの。

五枚目のカットですが、場外市場を東西に貫く大きな通りを西側に抜け、これまでは築地本市場と場外を隔てていた公道に面したアーケードに出て、やはりここでも多くの物販店や飲食店がシャッターを下ろしていて、ましてや外国人観光客に声をかけてモデルさんになって貰うなどということは夢のまた夢なので、仕方なく、閉まっていた物販店の店頭のいちご飴のオブジェを最短距離で一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、やはり、本市場が姿を変えて豊洲へ移り、踏みとどまった場外市場にについても、新型コロナの直撃を受け、いつも通りのシャッターチャンスは期待しようもないので、そこそこに切り上げ、食事してから佃・月島方面へ移動しようと馴染みの穴子料理専門店へ足を運んだものの、そこには「当面の間休業します」の悲しい貼紙を目にしたので、近所の別のお店で望外の至上のランチを戴き、せっかくなので目の前の波除神社の提灯など撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、いつもであれば、築地エリアから佃・月島エリアへの移動は晴海通りの先にある勝鬨橋を渡って、いったんメインストリートの清澄通りに出て、そこから佃の船溜まりを目指してそれ以降、商店街を流しながら、目に付いた路地、裏通りに足を踏み入れ撮り歩くというコースなのですが、このところ、ほぼ週2~3回は徒歩で歩き回っていて、撮影スポットの位置関係や街並みに関する土地勘も付いてきたので、今回は頭の中の声に身を任せ、勝鬨橋手前の裏通りから聖路加国際病院方面を目指すこととし、その通りに在った、懐かしい昭和初期の和風家屋の一部を洋館風に改造した家を見つけたので、特徴ある窓を撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、明石町に在る聖路加国際病院に向かう細い通りには、ここが銀座から1.5km圏内なのかと目を疑うような古い、低層建築が至る所に残っており、密度で云えば、東向島や曳舟、そして本郷菊坂町エリアには敵いませんが、持ち主の資金力によるものか、どれも保存状態が良好で、半ば廃屋やら忘れられた街探検みたいな様相を呈していた墨東地区とは違い、今も大切にされ、人が日々生きている様子がありありと伺える通りだったので、ノースポールの白い花々をモチーフに通りを撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、晴海通りからそぞろ歩きすること約20分、やっと聖路加国際病院の一角に到着し、用事があるのはツインタワーの建つ川沿いの敷地ではなく、明石町の外人居留地跡で立教や青学、女子学院をはじめ、多くのミッション系の学校法人の創設の地を示す石碑が点在し、立派な洋館が残る大学の方で、本館の全景が入る位置を確認し、その優美な姿を一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、昔、近所の眼鏡屋のヲヂサマを団長とする怪しい中年探検隊で訪れた記憶を頼りに芝生と木立の中に建つ瀟洒な洋館を発見し、はてさて、50mm掛け値無しの画角でどうやって撮ろうかなと考え、まずは明暗差の大きい部分でテスト、テスト、ということで、玄関ドア横の木製飾りをほぼ逆光で撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、洋館の周りを巡り、撮るだけ撮ってから、次なる目的地、佃・月島エリアへの移動は、今更、勝鬨橋方面へ引き返すのも面倒だし、佃エリアからスタートするなら、むしろ、中央大橋から島へ上陸すれば、いつもの未来と過去の接点みたいな船溜まりの近くに出られ好都合と思い、新富町方面へ歩いて、中央大橋を渡りながら、勝鬨橋方面の大川の様子を撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、晴天の中央大橋の歩道部分を渡り切ると、そこは昭和初期の街並みがそこかしこに生き残っている佃エリアで橋から、大川の堤防沿いの道を通って、佃煮屋の前から、まずは定点観測スポットである、中華の名店「麗江」の前に並べられた紹興酒の甕でも撮ろうと歩き出したところ、目の前のタワーとのコントラストも面白いと思ってシャッタ-切ったとたんに自転車のガイジンさんが入り込み、ソーリーソーリーと手を挙げ、頭を下げて去っていった時のもの。

十三枚目のカットですが、ここが、船溜まりと並び、佃エリア不動の定点観測スポットである、「麗江」の前にここぞとばかり壁一杯に並べられた紹興酒の甕で、一回、ランチの後に、おかみさんに撮らして貰うよ、と声掛けて撮って以来、何が面白いのか判らないとか半ば呆れられつつ、ボケを見るのにちょうどイイので、ここでランチを戴いても、戴かなくても、通り掛かったら必ず撮るようになったもの。

十四枚目のカットですが、あぁまたか・・・ということで、絵葉書にも都の外国向け観光案内HPにも頻出している、佃の船溜まりですが、工房主にとっては、赤い橋があって、その袂に銭湯、そして手前の静かな水面には小型の船が何隻か浮かんでいるという風景がまさに普遍的な江戸情緒のステレオタイプで、それが故に惹かれ、毎回、ついついマンネリだぁとか心の声が囁くものの、撮ってしまうもの。

十五枚目のカットですが、15時もだいぶ回って来たので、レトロ交番ほか、月島商店街界隈の画も何枚か撮りたかったので、心落ち着く船溜まり脇の公園を後にし、商店街の一本北の道を西に進んで、交番の建つ通りから商店街へ入ったら、ちょうど、折悪く、前回遭遇した、怪獣みたいな?巨大生物を連れた爺様が居て、その周りをキモカワイイとか、パッツンパッツンのスカートに金髪の小姐各位が遠巻きに見守り、思い出したようにスマホンで写真なんか撮ったりしていたのですが、その中でいたいけな童子が怪獣退治とばかり跨ったところ、後ろにずり落ちずっこけそうになったのを苦笑した爺様が引っ張り上げて、無料乗馬体験ならぬ、乗亀体験となって、一同、皆、撮り始めたので便乗して一枚戴いてみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、ゾナータイプって、やっぱり面白いですねぇ・・・しかもそれが自分でリハウジングしてこの世に無いものを生み出したとなると、感慨もひとしおです。
今度は、ジャンクの沈胴ニッコール5cmf2でも手に入れて、和製ZM(ゾナークラスノゴルスク)ならぬZF(ゾナーフカガワ)でも作りたいものですね。
さて、次回はまだ二本残ったリプロダクションのJupitar8mいくか、それとも別のにするか、今流行りのテレワークしながら考えま~す♪乞うご期待!!
- 2020/05/24(日) 18:42:39|
- CXマウント改造レンズ
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さて、今宵のご紹介ですが、こちらお江戸は相も変わらず外出自粛中ではありますが、家の中に籠ってばかりいるのも気が滅入るので、やむなく、先週土曜日に工房から徒歩で回れる範囲、即ち、”三密”状態に陥るリスクを排除し得ない公共交通機関の利用無しでロケハンし、他人様との会話は勿論のこと、距離も3m以内には立ち入らないよう、最新の知見かつ細心の注意を駆使し、試写を行って参りました。
今回は、キャノンのライカマウントヘリコイドで距離計連動式新レンズを生み出すためのテストベンチである、セイコーSVシャッターユニットのどんがらにボーグヘリコイド経由Xマウントを装着した、云わば可動式テストベンチに、バックフォーカスの関係で今回はテストを断念せざるを得なかったCanon45mmf1.9に代わり、ヤシカ製レンズ固定式RF機のレンズの前後玉を装着し、実写を行ったもので、ドナーさんはヤシカカメラから1959年発売のYashica 35YLという機種のYashinon45mmf1.8です。
この玉は、可能な限り、エレメントを分解清掃し、内部反射軽減策を取った段階で確認した限りでは、4群6枚のガウス型でセイコーSVシャッターを挟み、きれいに前後群の3枚ずつが分かれるので、それをそのままテストベンチに捻じ込んで撮影に持ち出したもの。
では、さっそく当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはFuji X-Pro2による全コマ開放、絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、今回は豊洲でランチを摂ろうと考えてコース選定をしたので、永代通り経由の遠回りはパスし、木場と越中島の境界辺りから福山通運の巨大な物流基地を右手に見て、豊洲に入り、そのままトステムビバホームへ移動するコースを撮ったのですが、越中島の船溜まりの手前の木陰に黄色い花が健気に咲いていたので最短距離で一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、越中島から都立三商の南の運河にかかる橋を渡れば、あっという間に豊洲エリアに入るほど、工房所在地と豊洲は近いのですが、運河にかかる長い橋に差しかかった辺りでエンジン音が聞こえてきたので小走りに橋の真ん中を目指したら、まだシーズン前というのに、モーターボートが東に向けて疾走し、そのあとを水柱上げたジェットスキーが追いかけていたので、ちょうど画面の真ん中に来るのを見計らって、背後のツインタワァー西館共々、ミニチュアっぽく一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、運河にかかる橋を渡り切ると、まず豊洲の新ランドマークである芝浦工大の豊洲新キャンパスが目に留まり、駅やビバホーム方面に向かうにはその前を通り、すぐに左手に折れなければならないのですが、その曲がり角の歩道上にもかつてIHIの造船工場の街の名残を留めるオブヂェが置かれており、アングルと陽の射し加減を工夫して撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、芝浦工大のキャンパスからビバホームに向かうには、駅前から東雲方面、そして湾岸線へと続くメインストリートの一本東の通りを通るのですが、普段なら、職住接近のオフィス街ということもあって、休みの日ともなると、そこここに親子連れが溢れ返っている様子を目にするのですが、時期も時期だけなのか、もっと他に行きたい場所がたまたま有ったからなのか判りませんが、かなり閑散としていて、たまたまビル手前の共有緑地の石のベンチに腰掛けて語らい合った親子連れが目に留まったので、その後ろ姿を有難く一枚戴いてみたもの。

五枚目のカットですが、ここ豊洲は都内、或いは周辺に円高不況後、バブルを挟んで次々と造られた新都心に属するエリアでも最後発の組に属し、かつまた最も本物の都心に近いということから、かなりお金をかけて練りに練った都市計画をもとに整備されていて、ビルとビルの間の公開緑地も通路も無計画に継ぎはぎで造られた新宿副都心やら六本木、青山、西麻布界隈とは異なり、あちこちにゆとりが有って、散策も楽しめ、運動場手前の騎楼形式の一階廊下状通路のベンチみたいなところで、愛犬と寛いでいたゲントルマンが居たので、通りざまに一枚戴いてみたもの。

六枚目のカットですが、ビバホーム二階の回転しない回転寿司店では想定外の混雑ぶりで、到着時には40組近く前が居たのですが、棄権やら、人数やら席タイプ指定のノウハウのおかげで、30分ちょいで席に案内され、キブン良く食事を終えて、次なる撮影地、ららぽーと豊洲裏の運河付近での撮影を行うため、いつもとは違う、駅から西に向かう道路伝いに運河脇の通路に出る際、公園でいたいけな童子達がひなたぼっこがてら元気に遊んでいたので、通りざまに一枚戴いてみたもの。

七枚目のカットですが、道路脇のちょっとした遊具の置かれた公園みたいなところを通り過ぎたら、すぐ目の前に運河というか湾奥というか水面の煌めきが目に入り、いつも陰気な運河横の工房に寝起きし、この頃は在宅勤務とやらで、奉公先から出社するに及ばずと禁則を喰らってる身でもあって、自ずとテンションが上がるのですが、目を足元に転じれば、陽光燦々と降り注ぐ階段上でシャボン玉アワーを繰り広げる親子連れが居たので、バリバリ逆光もものかわ、上から目線で一枚戴いてみたもの。

八枚目のカットですが、水面に沿った通路を北に向かって歩くと、程なく、ららぽーと豊洲のシンボルである、旧IHI豊洲造船工場の遺構である造船用クレーンの鋼構造が目に入るので、画面に収まりきるぎりぎりまですり足で近寄りファインダ覗いてはまた三歩進んで二歩下がるという何処かの物故演歌歌手のヒット曲みたいな位置決めの上、ちょうど通行人が差しかかった瞬間にシャッター切ってみたもの。

九枚目のカットですが、はてさて、シンボルの造船用クレーンの近くまで来てはみたものの、今回のパートナーは45mmの1.5乗数ですから、68mmという風景撮るには一番中途半端に近い画角のため万事休す、何を撮ろうかいなと思い巡らせていた横を親子連れがジョギングして通り過ぎていったので、EVF覗きながら丁度いい辺りに来るのを待ってシャッター切ってみたもの。

十枚目のカットですが、ここ豊洲一帯は、大学近くのオレンジの鋳鋼製車輪のみならず、至る所に街の記憶というテーマでかつての造船上に縁のある、錨やら歯車やら車輪やらがオブジェとして配置されているのですが、ここららぽーと豊洲裏の船溜まりはかつての造船所の中心部だっただけあって、その記憶の残滓たる鋼製オブジェの展示にも念が入れられており、中でもいつも錆止めの白ペンキを厚塗りされた歯車の群れが陽光を浴びて印象的なので、停止線の鎖から乗り出して一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、クレーン下のウッドデッキの広場で、先の陽光燦々と降り注ぐ下での白ペンキ厚塗りのオブジェ撮影が奇しくも逆光に対するこのレンズの強さを立証する結果となったため、より近くで陽光を照り返し光っている、おそらくは仮係留用の鋼製重しのような物体表面に鋳込みで表された文字がどの程度表現できるのか試しに一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、次なる目的地、晴海橋梁の雄姿を撮るべく、ララポートを右手に見ながら水面沿いの通路を北にずっと歩いていくと晴海橋梁の袂に繋がるルートに出るため、わざと遠回りし、いったん、ドックの上を渡された人道橋ではなく、馬蹄状ドックの奥部を回る際、ドックであった船溜まりの岸辺に残されたポラードという船係留に使う鋼製の遺構をオブジェとして再利用したものがあったため、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、この元ドックだった小さい馬蹄状の入り江は現在は都営連絡船の船着き場に利用されており、いつもは、松本零士デザインの「Himiko」とその2番艦「Hotaruna」が入港するのですが、今般の新型コロナ騒動で都営の水上バス系は皆運休とのことで、ヒミコ姉妹の留守を守る都所有のパーティクルーザーに代役出演願ったもの。

十四枚目のカットですが、元ドックの船溜まりの底部はかつての造船所の構造にならい、水面から高く作られていて、眼下の水面は言うまでもなく、その間をつなぐ、芝生、合間に立つ木々や根本のコンクリート製ベンチも一望に見渡せるのですが、この日も三密もものかわ、二密なら文句有るかぁとばかり木陰で密着攻撃を楽しむいたいけな若いカポー達が大量発生していたので、上から目線で有難く一枚戴いてみたもの。

十五枚目のカットですが、いつもはストレートにその雄姿を捉えている晴海橋梁ですが、今回はシーズンのおかげもあって、武骨な高度成長期の働き手への長年の精勤に応えるためにか、袂に設けられたささやかな花壇付ミニ公園でバラが真っ盛りでイイ香りを発散していたので、花を主役に鋼製橋をセミシルエット的に捉えてみたもの。
今回の感想ですが、うーん、なかなか宜しいですね。さすがに開放だと周辺が大甘になりますが、それでも、普段使ってる、オールドレンズと比べれば、逆光に異様に強く、プロジェクタレンズだったら、画面の中に虹のオンパレードでオズの魔法使いが東京物語の予告編でも演じそうな勢いですが、これはフレア、ゴースト、コントラストの低下もなく、使い方によっちゃ素晴らしいレンズだなと思いました。
さて、次回は、生まれ変わった沈胴ユピテル8Mの試写結果でもレポートしましょうかね・・・早く戒厳令が開ければ良いですが・・・乞うご期待!!
- 2020/05/17(日) 23:25:51|
- 深川秘宝館
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さて、今宵のご紹介ですが、予告通り、GW中の禁足令下での手持無沙汰に沈胴JUPITAR8M50mmf2の製造段階で、元々、Nikon Sマウントレンズ製造用パーツとして3ダースほど買い求めたキエフ用JUPITAR8MのCXマウントレンズ難有り詰め合わせから、マウント金物はNikon Sに合ったので利用したが、光学系は汚れが酷い、或いはカビているなどの理由で内鏡胴ごとジャンク箱に放置されていたパーツの中から、前玉では汚れたり、カビのようなものが覆っているが、キズが無さそうなものを選ってクリーニングし、第二群の三枚貼り合わせはバル剥がれと傷がなく、そして黄変色の少ないものを選って、後群の二枚貼り合わせは最後面によく有りがちな分解用レンチによる引っ掛け傷、バル剥がれが無く、黄変色の少ないものを選って、結像性能に大きく影響する1群と3群の組み合わせをメインに試し、三枚貼り合わせは外観による官能検査しかしようがないので、状態の良さそうなものを適当に選って、マウント金物の数である3つの良品光学系を作り出しました。
今回のものはRE01、即ち製造番号1号で性能的には前回アップした沈胴タイプの暫定組み上げモデルを超えていると思います。
では、5/9(土)の徒歩による森下~清澄白河~福住~深川の撮り歩き結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7RII、全コマ開放による絞り優先AEでの撮影となります。

まず一枚目のカットですが、今回はランチに明確な目的があり、起床した時間でシャワー浴びてから身支度していたら、お店の開いている時間に間に合わなくなるおそれが有ったので、往きはズルして木場から東西線、門前仲町駅で都営大江戸線に乗り継ぎ、13:30よりも前にお店に入って、葦簀張りの大広間を一人で使わせて貰い、豪華な深川飯を戴き、しかるのち、近傍を撮り歩こうと、大川端の芭蕉像の飾られている小高い塚に赴いたところ、自粛延長に伴い、芭蕉記念館本館同様、閉鎖が続くとのことで、仕方なく、その隣の特徴ある避難階段を撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、こんなご時世、通りがかりの人に声掛けるのも憚られますし、そもそも、足を留めて貰ったところで、マスクをしている人物を至近距離で撮ってもあまりキブンの良いものでもないので、昔の五輪真弓の「恋人よ♪」のカラオケの画面を思い出し、「マラソン人が行き過ぎる」ということで、河岸遊歩道をヂョギングする人の後ろ姿を一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、今回の組み立てでは金物のクリアランス上、全く問題なく、無限が取れたので、こういう眺めの良いところで、風景を撮るのも悪くはないと思い、日本のヒンデンブル橋の異名を持ち、しかも、戦前のハイテク鋼材ハイマンガン低燐鋼材で作られて、鋼材をほっそりとした造りとしたという逸話が益々写欲をそそるので、一枚撮ろうかと思いきや、ちょうど、視界に日向ぼっこがてら散策に来た母娘が入ったので、急遽、そちらを被写体としたもの。

四枚目のカットですが、河岸遊歩道にそれほど長時間留まっても、それほど被写体はなさそうな上、同じような背景になってしまうので、早々に退散し、都内のフォトヂェニックな橋の中でも、5本の指に入りそうな、由緒も正しい萬年橋の優美な鋼のお姿でも撮りましょうかと遊歩道から上に上がって暫くしたら、ちょうど、鼻歌交じりの自転車の兄ちゃんが通りがかったので、EVFで追い縋って一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、萬年橋の優美な姿を捉えたのちは、本来であれば清澄庭園に移動し、池の周辺でシャッターチャンスを狙いたいところですが、あいにく、ここも自粛期間延長ということで、とりあえず月内は閉園ということでやむなく離脱、再び清州橋通りに戻って蛙が軒天井からぶら下がっている青銅製オブヂェが印象的な浄土宗のお寺にお邪魔し、その軒天蛙の洒脱な姿を下から捉えてみたもの。

六枚目のカットですが、軒天蛙の青銅製の青ざめた姿を後にし、すぐ東隣りの細い通りを南に抜けると、清澄白河の震災長屋ストリートに出るので、清州橋通りから南に曲がって歩き出してすぐ、両脇の寺院の敷地から覆いかぶさった木々の枝による日陰で、芙蓉のような薄紫のグラデーションの美しい花が咲いているのが目に留まったので、細い通路を背景として、最短距離で一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、昨年、確か、花祭りの期間に入って、甘茶掛けの話を聞かせて貰ったお寺だったので、今年は何かやっていないものかと、正門から中を覗き込んでみれば、立て看板に、三密を避けるべく、墓地での墓参りすら禁止、方向参りという本堂の中の祭壇から墓地の方向に向かって焼香、念仏が出来るという趣旨の話が記されていたのですが、納所前のちょっとした庭の石灯篭の前で何とレモンがなっていたので、これも最短距離で一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、お寺を後にし、清澄通りを南に1分も歩けば、すぐに関東大震災後に内外各地からの支援により建てられたというレトロモダンな雰囲気の震災長屋ストリートに出ますが、いたいけな童子が自転車で暴走してきたので、ちょうど良い頃合いを見計らって、エキストラ出演願ったもの。

九枚目のカットですが、同じく清澄白河の清澄通り沿いの震災長屋ストリートの清澄白河駅に近い辺り、丁度、反対側に深川資料館へ続く道への横断歩道の在る辺りの植栽で、そこそこ背が高い白い花を付けた植物が目に留まったので、長屋の店舗をバックに撮ろうかとEVF覗いていたら、白いフレアスカートを風になびかせた、今や絶滅危惧種の聖子ちゃんカットの小姐が通りがかったので印象派絵画的後ボケとして出演願ったもの。

十枚目のカットですが、同じくここも震災長屋ストリートの定点観測スポットである白い木枠の独立系ブティック店舗なのですが、このところの自粛の流れを受けて、閉店こそしていますが、それでも店内のデスプレィは、小姐各位には魅力的に映るのでしょうか、通り過ぎる小姐は皆、中を窓越しに覗き込んでいくので、その様子を傍らから一枚戴いてみたもの。

十一枚目のカットですが、白い木枠のブティックから南方向に歩き、交差点の手前辺りにあるのが、震災長屋ストリートの人気店のひとつ、クラフトビールを心尽くしのおつまみとともに楽しめる、パブのような業態のお店で、ここの軒先に掲げられた水道管を繋いで作った看板と真昼間から煌々と照らされた白熱電球型LED電灯がなかなか面白いので背景のメニューやらお店の紹介みたいな掲示物の後ボケも楽しめるため、一枚戴いてみたもの。

十二枚目のカットですが、ここも清澄白河の震災長屋ストリートの南の端、目の前の仙台堀川を渡ってしまえば、住み慣れた門前仲町エリアに足を踏み入れることになるくらいの清澄白河の外れですが、震災長屋ストリートの人間以外の被写体として判り易くて手っ取り早いサトちゃん象の電動遊具が置いてある薬局があるので、足を伸ばす価値あり、当日も店番の女将さんに目礼してから一枚戴いてみたもの。

十三枚目のカットですが、いつもは森下ないし清澄白河から徒歩で清澄通り経由、工房に戻る時は門仲交差点まで真っ直ぐ歩いていって、そのまま木場方面に永代通りないし、その側道を通っていくのですが、このところのテレワーク後の散策で、だいぶ佐賀、福住辺りの様子が判ってきたので、西葛西橋通りを茅場町方面に曲がり、被写体としてはボツにしましたが、緑色に塗られたアールデコ調の曲線が魅力的な橋の姿を撮ろうとした時、偶然、河の下流に見つけた5月の風物詩の姿を撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ここは今回の大発見、何と、東向島や曳舟、或いは本郷菊坂町の裏通り辺りにひっそりと残っていそうな戦前から戦後すぐにかけての木造モルタル造住宅が路地に建ち並び、何とその一角には手漕ぎポンプさえ残っていたので、狂喜乱舞し、一枚戴いてみたもの。

十五枚目のカットですが、今回の思わぬ、近所での大発見に気を良くして、出がけの駄賃に同じく昭和の残滓が色濃く残るエリアを撮って帰ろうと思い直し、門仲交差点手前、赤札堂南の通りと交差する、辰巳新道という新宿ゴールデン街の劣化コピーみたいな通りに足を踏み入れ、丁度良い至近距離向けの被写体を見つけて撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、それなりに丁寧に組み上げれば、ゾナーはなかなか面白い写りをするレンズだということは再確認出来ましたが、室内での検査機器から、やっとスナップの相棒として首掛けストラップを与えたα7RIIもクロップ拡大の仕方を手が覚え、M(TIPO240)同等の速写が出来るようになったので、たとえ、レンズのテスト撮影途上でも決定的瞬間をモノに出来る可能性が高まったということです。
さて、次回はJupitar8Mリビルトシリーズはお休みにして、キャノネット用キャノン45mmf1.9の実力とやらを見せて貰おうか・・・ということで、乞うご期待!!
- 2020/05/10(日) 19:21:40|
- 深川秘宝館
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さて、今宵のご紹介ですが、引き続き外出自粛中ではありますが、家の中に籠ってばかりいるのも気が滅入るので、やむなく、徒歩で回れる範囲、即ち、”三密”状態に陥るリスクを排除し得ない公共交通機関の利用無しでロケハンし、他人様との会話は勿論のこと、距離も3m以内には立ち入らないよう、最新の知見かつ細心の注意を駆使し、今回も試写を行って参りました。
今回は、キャノンのライカマウントヘリコイドで距離計連動式新レンズを生み出すためのテストベンチである、セイコーSVシャッターユニットのどんがらにボーグヘリコイド経由Xマウントを装着した、云わば可動式テストベンチに、これまでデジタルで試写が行われたことはまず無いであろう、国産絶版のレンズ固定式RF機のレンズの前後玉を装着し、実写を行ったもので、ドナーさんは日本光測機工業株式会社製の1964年発売のTARON VLという機種のTARONAR45mmf2.8です。
この玉は、奇しくも、かつて後玉をインダスター22のものに替えて、奇跡の復活を果たしたペトリオリコール45mmf2.8と同じく3群4枚のテッサ型でセイコーSVシャッターを挟み、前群が凸の前玉と後群が貼り合わせの凹凸と分かれるので、それをそのままテストベンチに捻じ込んで撮影に持ち出したもの。
ただ、このレンズの名誉のために申し上げておくと、個体の状態はあまり宜しくなく、前玉にはかなり大きめの磨き傷、中玉には小クモリと被写体側のコーティング劣化、後玉は最後面にやはり目立つ磨き傷が有るという満身創痍の状態を極力クリーニングし、コバ塗り直し、鏡胴内部の反射防止強化のみで試写に臨んだものです。
では、さっそく当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはFuji X-Pro1による全コマ開放、絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、またランチ含みでお昼過ぎに門前仲町方面へそぞろ歩きしながら、ランチスポットと被写体を探していたのですが、いつも贔屓のしている中国人店員のやってる豚骨醤油ラーメンのお店の手前の裏通りへ曲がる角の元和菓子屋の古風な木枠窓が今日は開かれていて、空を写してイイ案配だったので、通行人各位の視線もものかわ中腰で気合入れて撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、何処をどう歩いて遭遇したのか、正確には覚えて居ないため、再現性に不安有りではありますが、結構なお味の焼鳥&唐揚げ定食を駅近くの居酒屋ランチで戴き、相生橋経由、月島を徒歩で撮り歩こうと移動した途上で、あまりの手作り感というか、こんなのを勝手に作ってお店の宣伝マスコットに使うと、世界的ねずみ講ことD社が黙ってないんぢゃまいか?とか色々考えながら、でもまぁ、被写体としては面白いからイイんぢゃね?と一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、門前仲町の交差点を清澄通りに曲がり、西側を歩いて相生橋を目指すと、区立越中島プールが見えてきますが、その敷地の入り口付近の対岸の石川島造船所を記憶すりためのオブヂェなのか、巨大な鋼鉄製の錨と鎖の実物が数十本のステンレス製の細い柱に裏側から支持されて屹立しており、良く見れば、その二又に分かれた先端がダイオウイカの耳みたいなカンジで面白かったので、至近距離で一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、越中島プールの先はすぐ、大川端の河岸公園で、この日も天気バツグンであったため、三密を裂けるべく、各組、十分なソーシャルデスタンスをとってのハイキング気分、ちょうど、相生橋の全景が撮れるアングルの被写界下部に、いたいけな男女の童子を連れた逞し気なオモニが居たので、一家でエキストラ出演して貰ったもの。

五枚目のカットですが、相生橋の全景を撮ってしまえば、さきいかの一本も貰えないような他人様のハイキング日和など、元より興味もないので、そうそうに河岸公園を後にし、相生橋を渡ろうとしたら、後ろから、今風の母娘が姦しく語らいながらやってきたので、後ろ姿でエキストラ出演願おうとやり過ごし、追い越しざまに風が小姐のポニーテールの髪を弄んだ瞬間をえいやっと一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、相生橋を渡り切ると、江東区の古都門前仲町から、中央区に属する帝都最古の下町、佃・月島に入るのですが、前回発見した、歩道上のあちこちに設けられた花壇に町会ごと飾り付けを行った縁起物オブヂェの一番手、招き猫ご一統様の福々しいお姿を至近距離から一枚戴いてみたもの。

七枚目のカットですが、招き猫ご一統様のすぐ先に、何とこのご時世に不埒なことに、屋外とは言え、1mも空けずに長々と行列を作り、人々はのろのろと前進していたのですが、何の配給かと先頭まで歩いて正体を確かめてみれば、「肉のたかさご」のご自慢の又焼を買い求めるための整理券配布だったらしく、納得、ふと横に目を転じれば、たかさご店舗裏の工場脇路地がとてもアーティスティックに錆びたトタン壁だったので、一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、これもたかさごの工場の横の路地を奥まで歩いて行って、偶然発見したのですが、既に廃業したと思しき、店舗兼住宅の入り口横の木製の飾り窓のペンキが数十年もの直射日光やら、潮風に晒されて、ひび割れ、木製の下地から剥がれて浮き上がった様子が半分だけ陽が射していて、とてもイイ雰囲気だったので、通りから一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、かなり面白い発見をして気分上々となり、清澄通りの一本北の裏通りを暫く西方面に向かって歩くこととして、結局は佃の住吉神社裏手の船溜まり北側の佃小橋辺りまで歩いて行ったのですが、その途上、家の横の花壇にバラを丹精されているのが目に留まったため、裏通りをバックに至近距離で一枚戴いてみたもの。

十枚目のカットですが、佃小橋の手前の船溜まり東側の低層住宅が立ち並ぶエリアの一角で、最新型と思しきイタリアの悍馬、フェラ-リを日光浴させているご家庭が目に留まったので、さっそくダッシュで近寄り、アルフィの高見沢某っぽい方(実は妙齢の女性!)が横で小物整理なんかしていたので、挨拶がてら声掛けて一枚戴いてみたもの。

十一枚目のカットですが、佃小橋まで到達し、はてさて、いつもは広角レンズの独壇場の佃界隈で、焦点距離換算68mm弱のレンズでどうやって景色なりを切り取ろうかと橋の欄干の表札と睨めっこなんかしてたら、ぐっすり眠りこけたいたいけな同時を肩に担いだ若いヲヤヂさんがのしのしと通り過ぎていったので、即座に一枚戴いてみたもの。

十二枚目のカットですが、佃小橋を渡ってすぐ、佃島での定点観測スポットである、銭湯一階に位置する中華の隠れ名店「麗江」さん店頭の甕出し紹興酒の空になった甕が並ぶ様を手前から三つ目の甕の素焼の蓋にピンを合わせて撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、紹興酒の甕のカットが背面液晶で見た限りは望外の出来だったのに気を良くして、15時のお茶の時間の前にもう一仕事とばかり、同じく佃・月島の定点観測スポットであるレトロ交番のある月島商店街まで歩いて行って、いつもとは逆に、望遠側になっているので、画面に交番を程よい大きさに収めるために道の真ん中に陣取らなくても良いので、気軽にアーケード下で待っていたら、ちょうどイイ案配に自転車のカポーが仲睦まじくやってきたので、有難く一枚戴いてみたもの。

十四枚目のカットですが、月島レトロ交番も撮ってしまうと、後はもう消化試合みたいなキブンなので、適当に商店街のアーケードを西の果てまで流して、再びメインストリートである清澄通りに戻り、門前仲町方面へ500mも戻るとコンビニ二階に素敵なファミレスが在るので、そこでお茶とスィーツを楽しんでから門前仲町方面へ戻る途中、朝潮運河沿いの公園を通りがかった際、木陰で外メシを愉しむ母娘の姿を認めて、通りから一枚戴いてみたもの。

十五枚目のカットですが、これぞ、このレンズの真骨頂!とも言えそうなカットですが、無事、佃・月島でのミッションを終えて、越中島の調練橋経由、木場方面へ戻る途中、いつもの通勤路とは違う径路を通ってみたら、木造の店舗兼住宅の鉄製外階段に夕陽がイイ案配に当たって輝いていたので、矢も楯もたまらず、一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、絶版メーカーのレンズ、しかも状態がベストではなくても、油断出来ないですね。このレンズ好きか嫌いかと聞かれれば、確かに68mm相当の中途半端な単玉一本では、街撮りでは、ずいぶんとあきらめなければならないシーンが出て来そうですが、これと同じ機種でずっと状態の良い個体を入手出来、それを当工房のCANON50mmライカマウントの鏡胴使って距離計連動化出来たら・・・考えただけでワクワクしてきました。是非とも、新型コロナ後の香港かハノイ辺りでスナップに連れ出してみたいですね。
さて次回は分解してクリーニグ終えたばかりのCANON45mmf1.9か、再リビルト後、無限調整したユピテル8か適当に気が向いた方を自粛ブームが吹き荒れる無人の街に連れ出しますので、乞うご期待!!
- 2020/05/03(日) 23:23:46|
- 深川秘宝館
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