
さて、今宵の更新ですが、予告通り、富士フィルム株式会社様からご厚意でお借りしたX-Pro3と驚愕の大口径AFレンズFujinonXF50mmf1.0 R WR.の試写をただ、漫然と撮っても面白くないので、これまたKIPON殿から特価でご提供頂いたHandevision Ibelux50mmf0.85との比較でお送りしたいと思います。
まずはレンズのご紹介ですが、昨年9月発売の、この新顔のXマウントレンズは9群12枚、うち非球面1枚、EDガラスを2枚採用した豪華な光学系で、絞り前後はダブルガウスのような構成にも見えながら、このところ流行の、最前面を凹にして開口面積に対して集光効率を上げるという、いわゆる前玉凹の外観が特徴の、重量も854gもある超弩級レンズです。
迎え撃つIBELUX40mmf0.85は2014年12月発売の8群10枚でこちらは鏡胴の直径こそスリムなものの、総重量約1.2kgでずっしりと持ち重みがして、いかにも金属と光学ガラスの融合体という存在感を放っています。
では、2021年3月27日、快晴の浅草界隈で試写結果を逐一眺めて参りましょう。
カメラはFujinonがX-Pro3、IBELUXがX-Pro2のいずれも開放での絞り優先AE撮影となります。
いずれも横並びのカットは左がFujinon、右がIBELUX、縦並びは上がFujinon、下がIBELUXです。

まず一枚目のカットですが、今回の同行者2名の方々と浅草は観音裏の豚肉料理専門店で至高のローストポークランチを戴き、しかるのち、今回の第二候補だったはまぐりせいろで名高い「弁天そば」の前をかすめて今戸方面へ抜けるルートをとったのですが、弁天そばの手前の薬局店頭に光学メーカーでもある興和のコルゲンコーワ人形"キョロチャン"が置かれていたので、陽光燦々と照り返すのもものかわ開放で撮ってみたもの。やはり、ほぼ同スペックのボディで開放で撮ると、1.0と0.85の差は歴然で、IBELUXの方はオーバー露光のため、緑色プラのテクスチャが飛んでしまっています。ボケはシャープネスのお釣りなのか、Fujinonの方は僅かに芯が残って見えます。

二枚目のカットですが、弁天そばの先の仕舞屋の軒先の牡丹の花をほぼ最短距離で撮ったものですが、シャープネスはAFながらFujinonが僅差で優位、後ボケはそれほど差異はないように見受けられるものの、被写界深度が狭いはずのIBELUXの方が手前の合焦域がやや広く、手前の赤白斑の花弁の形が殆ど結像しているのに対し、Fujinonはボケてしまい花の形が認め難くなっています。

三枚目のカットですが、浅草見番の先を東に曲がり、区立富士小学校の西側の通りを歩いていたら、前方の
公園の桜が見事に咲いていたので、一同早足で公園に来てみたところ、ちょうど日なたのベンチにいたいけなカポーがひなたぼっこなどしていたので、木陰越しに一枚ずつ頂いたもの。
ここでも、どちらのレンズもシャープに女性のニットのカーディガンを捉えてはいるのですが、やはり直射日光の照り返す被写体だと、f0.15の差がシャッター速度1/8000の限界らしく、テクスチャが飛んでしまっています。

四枚目のカットですが、公園のお隣に富士浅間神社が鎮座ましましており、神社の鳥居越しに桜が見事に咲いていたのすが、ちょうど、中国人一家のいたいけな極小姐がお初参りに来ていたので、声掛けて一枚ずつ撮らせて貰ったもの。
どちらももちろん開放ながらシャープに描写してはいるのですが、ここの陽光燦々と照る条件なので、金糸銀糸をふんだんに用いた着物もさることながら、卵の薄皮の如く滑らかで木目細かな幼子の柔肌の照り返しにIBELUXの方はやはり露出オーバー気味でおでこ辺りのテクスチャが飛びかけています。

五枚目のカットですが、一葉通りを今戸神社方面に歩いていたら、メインに植えられた八重桜だけでなく、たまにソメイヨシノや吉野桜なども植えられており、ちょうど手の届きそうな高さのソメイヨシノが歩道上に咲いていたため、最短距離付近で撮ったもの。
ここはそれほど日光がきつくないものの、IBELUXの方が露出オーバーを起こすこともなく、ピンを合わせた中央分の花弁は双方シャープに描写してはいるのですが、Fujinonがおとなしい背景なのに対し、IBELUXの方は背景がいわゆるグルグルボケという非点収差のなすいたずらが顔を覗かせています。

六枚目のカットですが、山谷堀公園から今戸神社に抜けようということになり、今戸神社に到着してみれば、やはり縁結びのメッカだけあって、いたいけな和装の小姐が目に付き、ちょうど満開の桜の下の洋風イスに座って休憩していた小姐二名組が居たので、声掛けてモデルさんになって貰ったもの。
着物の色は、X-Pro3の方がクラシッククロム、X-Pro2の方がベルビアモードなので彩度が違うのは致し方ないとして、Fujinonの方がコントラスト高めで、描写の線もだいぶ硬めに見えます。

七枚目のカットですが、今戸神社を後にして次に訪問した、待乳山聖天社の参道階段を登ってすぐのところにある手水場の屋根の瓦の巴と云われる陽刻の入った丸いパーツにピンを合わせて、背景に万年紅葉を入れて撮ってみたもの。
シャープネスは概ね同等ですが、やはりFujinonの方がコントラスト高く、気持ち、被写体の浮き上がり感が大きい印象です。背景は焦点距離の差の方が、開放値より被写界深度には影響するのか、Fujinonの方は紅葉の形は跡形もないのに対し、IBELUXはかろうじて認められます。

八枚目のカットですが、待乳山聖天社は本殿の銅葺緑青色の屋根が立派ですが、休日に開放される庭園もなかなか見どころあって、同行のお二方と中を散策しましょうやということで足を踏み入れてすぐに目に留まった、関東大震災で落ちて割れたという石灯篭を上から撮ってみたもの。
ここでも、偏向フィルターをつけたかと思うくらいFujinonの方がコントラスト高い描写になっています。

九枚目のカットですが、同じく聖天社の庭園の地上部から、桜の植栽の枝越しに大川対岸に聳え立つスカイツリーの威容を捉えようとしたもの。
但し、厳密には比較対象としては失敗作で、X-Pro3のAFは手前の梢の桜の花々にきっちりとピンを合わせてしまっているのに対し、MFのX-Pro2の方は奥の梢の桜の花々にピンを合わせていたので、結果、IBELUXの方は、スカイツリーの展望台が比較的くっきりと写ったというもの。ここでも桜の花の発色からしてコントラスト差が認められます。

十枚目のカットですが、これも聖天社の庭園地上部の池の畔に咲いていた椿の花で、背景がちょうど日陰になっていて、築地塀の前に石碑が建てられていて、至近距離での描写で背景がどうなるか実験するには面白い構図だったので撮ってみたもの。
シャープネスは殆ど互角、コントトストも葉の濃さで違いが判る程度、しかしながら、Fujinonの方は背景の石碑と築地塀のテクスチャにやや芯が残っているのが認められます。

十一枚目のカットですが、これも聖天社の庭園内の古い立ち木の洞に生えた蒲公英を見つけたので、風雪に耐え苔なども生え、荒々しい景色の老木の間から愛くるしい黄色の花を咲かせているその姿を面白いと思い一枚ずつ撮ってみたもの。
黄色はデジタルでは赤と並んで色飽和しやすく、なかなかテクスチャまで精緻に捉えるのは難しい被写体の色調なのですが、両レンズともEVFのクロップ拡大を用いて精密射撃しましたが、Fujinonが木の肌までかろうじて被写界深度に入れていますが、IBELUXの方はもうボケており、焦点距離10mmよりも0.15の開放値の差が効いていることを示しています。背景もFujinonの方はやや芯が認められます。

十二枚目のカットですが、聖天社庭園を去る前にもう一枚と思い、地上部に建てられた石灯篭の火屋の側面に施された陽刻を明るい門の方向をバックに一枚ずつ撮ってみたもの。
ここでは、最短距離での撮影で、若干、Fujinonのがシャープネス、コントラストで優位、背景のボケでは、やはりシャープネスのお釣りとも云える若干の芯残りが門のパンタグラフシャッターのテクスチャなどに見てとれます。

十三枚目のカットですが、聖天社から歩くこと10分少々、奥山方面から浅草寺の境内をかすめて合羽橋方面へ抜けようということになり、浅草寺病院西側にある大きな骨董品店の横を通り過ぎたら、すぐに見事な桜の枝越しに五重塔の威容が目に飛び込んできたので、足を留めて一枚ずつ撮ってみたもの。
これも両方のレンズとも桜の枝にピンを合わせていますが、五重塔も十分、被写界深度に入っていて、各階層の屋根端の垂木もくっきりと見て撮れます。ただ、Fujinonの方はコントラストの高さがマイナスに出たのか、屋根の下の構造が見えるIBELUXの方が階調再現性は良いように見えます。

十四枚目のカットですが、浅草寺境内から仲見世へ抜けるルートは緊急事態宣言解除を受け、観光客やら、カメ爺、カメヲタでごった返しているので、感染予防の観点からも好ましくなさそうだったので、西参道から田原町方面へ抜けることとし、その途上に在るいつもの定点観測スポット「風車の弥七モニュメント」で一枚ずつ撮ってみたもの。
ここでは、正直、どっちがどっち?と迷うほど描写傾向は似通っていますが、やはり、Fujinonの方は背景のセルロイドの反射などに僅かに芯が残ったボケが認められます。

十五枚目のカットですが、浅草寺を後にして、上野駅の中のレカンでお茶にしませう、ということで田原町、合羽橋の北を通って上野へ抜けるルートをとったのですが、途中、伝説のお好み焼き「染太郎」の前を通ってみたくなり、途中でルート変更し、一本南の東本願寺北側を通る道に出て、染太郎の向かいの歩道上に駐められていたスクーターの黄色い色使いが素敵だったので、オール木造の染太郎店舗を背景に一枚ずつ撮ってみたもの。
ピンはスチールにクロムメッキのライトの金枠に合わせていますが、Fujinonの方は手前のターンシグナルのプラスチックカバーが被写界深度から外れているのに対し、Fujinonの方は十分カバーしています。
なお、後ボケである染太郎店舗はどちらも似たように滑らかに融けています。
今回の感想ですが、いやはや、最新レンズ恐るべし。某富裕層向けドイツの高級カメラメーカーのf0.95のレンズは軽く120万円はしますが、開放値▼0.05とイメージサークルこそ違え、お値段が7~8分の一でこのような大口径でシャープなAFのレンズを楽しめるのです。この場を借りて、富士フイルム様には改めて御礼を申し上げます。
片や2014年製のIBELUXもドイツ設計とは云え、中国製の超弩級レンズがここまで、最新設計の日本製レンズと拮抗した性能を発揮するとは改めて驚かされました・・・でもこの合計2キロを同時に首と肩から提げて、交互に撮影するのは筋トレ以外の何物でもありませんでした(薄泣)
さて、次回は工房製コロンブスの卵的ライト改造レンズのご紹介行きます、乞うご期待!!
- 2021/03/28(日) 21:49:51|
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さて、今宵の更新ですが、予告通り、個人的GOTOキャンペンである京都旅行から四回に亘ってお送りするうちの最終回、滞在四日目の出発前までの画をアップ致します。
まずは恒例の当日の行程のあらましから。
滞在四日目も9時過ぎに起床、身支度してから、荷物を預けて宿をチェックアウト、駅地下の商店街で朝飯を戴き、しかるのち、今回の行程で何処かに入れこ込まねばと計画していた「石塀横丁」界隈と「ねねの道」そして、渋沢栄一の盟友、大倉喜八郎が京の東山の地に金閣、銀閣に次ぐ、歴史的モニュメントを、との想いで建てた「銅閣」の偉容を間近に見たかったので、市バスに乗って、東山安井のバス停で降り、なかなか判りずらい小さな看板を目印に角を曲がるとほどなく石畳に木塀の小路が現れ、そこを30分ほど撮ってから、角ひとつ隔てた「ねねの道」をまた30分程度撮りながら、銅板で覆われた祇園祭りの鉾のような形状の「銅閣」の周りを散策し、祇園経由、四条河原町からバスに乗って駅に戻るべく、六道珍皇寺、六波羅蜜寺を経て、花見通り奥、建仁寺の南側を四条通りと平行に東西に走る裏通りを河原町方面に歩きながら撮影して行ったもの。
では、当日の行程に沿って、実写結果を逐一眺めて参りましょう。
カメラはLeicaM(Tipo240)、レンズはVoigtlaender Ultron35mmf1.7asph.による全コマ開放、絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、表通りである下河原通りからは本当に小さな看板しかなく、まさに千客万来、しかし、一見さんと冷やかしはお断り、という京のお茶屋商売の象徴のような判りづらい通りなのですが、入ってしまえば、お店の閉まっている午前中は観光客はおろか、地元民各位の往来も殆どなく、たまにすれ違う人達に挨拶しながら撮るのは心地良い作業で、角を曲がって通りに入ってすぐのメインストレッチの石畳の小径の落ち着いた佇まいを撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、幾ら午前中はお店は閉まっているとは云え、やはり形式を重んじる、京都は景観地区の中のお店ですから、やはり、掃き清められ、打ち水が為された、店先には、晒しの木綿に墨で屋号とその象徴的図形をあしらった清潔な暖簾が提げられ、ここは第一線の商売屋の建ち並ぶエリアなのだと感じさせられ、凛とした風情の店先の佇まいを一枚戴いてみたもの。

三枚目のカットですが、ところどころに口を開けてはいますが、迷路のような木塀に囲まれたクランク状の小路を歩いていたら、ちょうど、マカオの旧市街、台湾の鹿港や上海淮海東路辺りに在る老街、そして北京の胡同の中を彷徨っているかの如き、既視感を覚え、迷路の入口の陽光や風月に晒され、毛羽立った木目板にピンを合わせて小路の佇まいをアウトフォーカスで撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、石塀小路のどん詰まり、東側を下河原通りや東大路通りと平行して南北に走るのが、「ねねの道」でここは、かつて高台寺の参道の一部だったのが、電柱地中化をきっかけにアスファルト舗装を石畳に張替え、この地で19年間の余生を過ごした北政所こと「ねね」の名を冠した通りに生まれ変わったとのことで、前回の12月中旬の訪問の際は時間無かったので入口から眺めただけだったのを、今回は散策して撮影しようと、石塀小路から出てすぐのところでまず一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、「ねねの道」の北のどん詰まりは大倉喜八郎の建てた「銅閣」こと「祇園閣」の建つ「大雲院」でとりあえず、「銅閣」を間近で見たかったので、北に向かって歩いてみることとし、或る程度歩いて、両側の屋敷の木陰に入った辺りまで来たところで振り返って、石畳の通りの全貌を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、「ねねの道」の北のどん詰まり、正確には右手に折れ、そしてまた左手に折れて、八坂神社方面へと続いてはいるのですが、「大雲閣」より先はそれほど面白そうな風景でもないので、関心は前回、二年坂へ上る途中、遠目で見て、物凄くインパクトを覚えた「銅閣」の建物の造形なのですが、実はここ「大雲院」は普段非公開で、中に入ったり、ましてや登ったりは出来ないので、仕方なく、或る程度離れて全景が入る位置から「銅閣」の偉容を撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、「大雲院」の周囲を歩き回り、「銅閣」の良く見える位置を探していたら、「ねねの道」が「大雲院」の東を回り込んで再び北へ上る角を東、即ち高台寺方面への繋がる道があって、そこに目を向けたら、何と「西行庵」と「芭蕉堂」という時空を超えた二人の歌聖ゆかりの遺構が在って、特に深川と縁の深い「芭蕉」の庵には感じ入るものがあったので、「西行」さんの庭に入って一枚撮らせて戴いたもの。

八枚目のカットですが、ここ京の都でも、工房の在るお江戸は深川のあちこちに痕跡を残す松尾芭蕉翁の暮らしの跡を見つけて何故か嬉しくなり、また元来た「ねねの道」を戻りながら、道の東側に建つ、キレイにリノベされた土蔵を含む商家の造りの和食レストランの前を、胸を張って大股で通り過ぎていく親子連れがやってきたので、急遽、通行人として登場して貰ったもの。

九枚目のカットですが、そろそろ、法眼寺の五重塔界隈をもう一度撮ってから、東大路通りを挟んで反対側に位置する、六道珍皇寺、六波羅密寺経由、祇園方面へ移動しようと思い、「ねねの道」の石畳を南へ下りかけたら、傍らを無人で身軽な人力車が颯爽と通り過ぎて行ったので小走りに追い縋って、法眼寺の五重塔がかろうじて入る辺りで後ろ姿を一枚戴いてみたもの。

十枚目のカットですが、「ねねの道」から下河原通りを経て法眼寺の真下の石畳のちょっとした広場に昼前に到着してみれば、何と、天気も良く、大安吉日でもあったのか、このCOVID19蔓延下では絶滅危惧種となりつつあった、純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁が、タキシード姿の花婿と黒服のウエディングプランナーの小姐に手を取られて坂を下って行こうとしていたので、祝福がてら、有難く一枚戴いてみたもの。

十一枚目のカットですが、天気の良い休日に晴れがましい花嫁ご一行様を目の当たりにして、何となく自分も幸せなキブンになって、そうそう、お昼前の祇園の塔の全景も撮らなきゃね、ということで、花嫁ご一行を見送ってから塔下の広場から八坂通りを下っていって、特徴ある塔下の建物の漆喰壁を入れて、陽光に照らされた塔の重厚な全景を撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、法眼寺の五重塔をおまけ付きで無事撮り終え、そのまま八坂通りの坂を下り、東大路通りを渡って、一本下った松原通沿いの六道珍皇寺、六波羅密寺と巡って、建仁寺の南側のエリアを通り過ぎ、幾つか路地を通って一本上った八坂通りへ合流する途中で、二日目に訪れた「紺屋の図子」みたいな雰囲気の路地があったので、そこを探索がてら、佇まいを撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、ここも八坂通りに合流する一本手前のお茶屋さんが建ち並ぶ、花見小路とか、祇園新橋がもう少し地味になったカンジの石畳の通りで、何となく、昨年数回訪問した金沢のひがし茶屋街に似た雰囲気でもあったので、或るお茶屋さんの軒先で季節外れの萩が色づいていたので、それをモチーフに通りの佇まいを一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ホント、金沢のひがし茶屋街に良く似た通りだなぁ、しかもこちらは観光客少なくて落ち着いたカンジだし・・・とか感慨に耽って散策していたら、ケタケタとよく笑う、和装のいたいけな小姐二名組が通り過ぎて行ったので、声掛けて撮って、後で送って、じゃアドレス教えるね、が面倒くさかったので、通り過ぎ様に後ろ姿を一枚戴いてみたもの。

十五枚目のカットですが、路地裏探検も鴨川と並行して走る大通りが見えてきた辺りまでやってきて、最後に京風というか、関西風というべき、石畳こそ敷き詰められているものの、その両側は雑多な飲み屋、小料理屋の類いが軒を並べる路地があって、その通りをさてどうやって撮ろうかいな?とか逡巡していたら、後に人の気配がしたので振り返ったら、通って良いものか否か、いたいけな和装の小姐二名が立ち尽くしていたので、通しておいて後から一枚頂いたもの。
今回の感想ですが、さすが緊急事態宣言下なので、京都にありがちな和装の観光客も極めて少なく、たまに見掛けても、とにかく、知らない人間にパーソナルエリアに踏み込んで欲しくないという雰囲気を放っていたので、なかなか声をかけるまでには至らなかったですが、街の佇まいはもちろん不変なので、今回は風景中心になってしまいましたが、また平穏な世の中に戻ったら、着物コンテストが出来るくらい、いたいけな小姐に声かけまくって撮りたいものです(笑)
さて、次回は或る篤志家から拝借した超弩級レンズのテスト行くか、それとも工房製お手軽レンズの試写行くか、お天気次第ということで・・・乞うご期待!!
- 2021/03/21(日) 17:48:29|
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さて、今宵の更新ですが、予告通り、個人的GOTOキャンペンである京都旅行から四回に亘ってお送りするうちの三回目、滞在三日目をアップ致します。
まずは恒例の当日の行程のあらましから。
滞在三日目も9時過ぎに起床、身支度してから宿を出て、駅地下の商店街で朝飯を戴き、しかるのち、前日調べた通り、バスで貴船神社へアプローチしようと思い立ち、これまで通り、市バス一日乗車券を買い求め、途中までルートが共通する大原行きのバスに乗って、発車前、運転手さんに「出町柳から叡山電鉄乗れますよね?」と聞いたら「ハイ、でもそこから何処行かはられるんで?」と聞かれ「貴船神社どす」と答えたら、「ほなら、地下鉄一本で行かれる国際会館行った方がよろしゅうおます、そこのターミナルから本数出とりますさかい。」と云い終わるか終わらないうちに地下鉄烏丸線の乗り場へダッシュ、しかし、バス一日乗車券では乗れないので、地下鉄、バス共通券に換えて貰おうとしたら、京女の係員さんが「ほんまは、あかんのんですけど、お客さん、江戸から云うんで、今回は返金しますさかい、自分で買うておくれやす」とのことで、大急ぎで買ってホームに降りたら、ちょうど発車のベルが鳴っていて、滑り込みセーフ、ほどなく終点国際会館駅につき、そこから10分も経たないうちに貴船口行の市バスに乗り、貴船口で鞍馬温泉行きのマイクロバスに乗り換え、貴船神社へ辿り着いたのが11時過ぎ。
本殿、奥の院とお参りしてから、貴船川を挟んで反対側の山域にある、鞍馬寺西参道、とは名ばかりの、かなりハードな登山道を汗をかきかき登り、奥の院、本堂、仁王門、そして麓の叡山電鉄鞍馬駅へと朝からきつめの軽登山こなし、鞍馬寺のバス停からバスに乗って、まずは駅ビルで名古屋ラーメンの腹ごしらえ、しかるのち、観光案内所もよく判らなかった東西本願寺に挟まれた「珠数屋町」へバスで移動、小一時間ほど撮ってから、またバスで、祇園新橋へと移動し、夕暮れまで撮りに撮った、というのが当日の行程。
では、さっそく、当日の行程に沿って、実写結果を逐一眺めて参りましょう。
カメラはLeicaM(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8三代目による全コマ絞り開放によるAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、最寄りのバス停から貴船神社への境内へは渓流からの心地良い涼風に吹かれながら、舗装された細い道を15分ほど歩くのですが、その道の両側には、今こそCOVID19蔓延下のため、訪れる人もなく、文字通り、お茶挽いている料理屋が軒を並べ、それでも、仲居さんや若女将各位が店の前で早いお昼を!と呼び込みしているのですが、後に登山控えているので、揚げ物や汁物を含んだ重めのランチは自殺行為につき遠慮し、無事お参りを終え、鞍馬寺登山道へ向かう途中の清流の中に設けられた赤い番傘と毛氈ひいた腰掛けを撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、貴船神社最寄りバス停への途上、渓流を挟んで反対側の山域の麓に設けられた関所の通用門のような料金所付木戸を通り、軽い気持ちで歩き出したら、優に30分以上、山道を登り辿り着いたのが、尾根のてっぺん近く、鞍馬山のご本尊「サナートクマラ」が金星から降り立った地と云われる奥の院、そこから本堂へ向かう下り道で見つけた、苔むした巨木の切り株が木漏れ日浴びて神々しかったので、思わず足を止め、一枚戴いてみたもの。

三枚目のカットですが、初見参ながら、貴船神社、鞍馬寺という今日びの地元高校生の体力増進目的のハイキングでもない限り、普通チャレンジしない荒行を終え、満足感に包まれながら、再び、バス、地下鉄を乗り継ぎ、京都駅に戻って、駅ビル10階ラーメン店街でランチを戴き、しかるのち、駅ビル二階まで降りて、東西通路沿いにある観光案内所で「珠数屋町へ行きとうおますがこの地図のどこいらへんでっしゃろか?」と聞いてみれば、東西本願寺のそばにそれらしきエリアがありますねん、とのことで、再び市バスで出動、バスから降りて、それと思しき通りを徘徊しながら撮っていたら、突如現れた東京駅とどっかの銀行のあいのこみたいな無国籍風建物をシルエットで撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、案内サイトで見かけた街並みとはどうやら違うぞ、と気付き始めたものの、これはこれでそこそこ面白い風景がないわけではないので、キョロキョロしながら、時折やってくる地元民各位と挨拶したり、世間話、私的観光情報を伺ったりしていたら、面白い喫茶店あるから、とのことで一本北の通りに移動したら、確かに!ということで、有難く一枚戴いてみたもの。

五枚目のカットですが、どうやら、この西本願寺と堀川通りを挟んで東側、ちょうど、東本願寺との緩衝地帯のようなゾーンは、浄土真宗大谷派関連の施設が点在しているらしく、大学やらイベントホール等々が時折につき、表通りにも面白い造りの花屋があるから行ってみれば、と、犬の散歩途上の老夫妻から教わって、いったん堀川通りに出て、丸く抜いたガラス窓に竹矢来を組んだ花屋さんがあったので、店の前から一枚戴いてみたもの。

六枚目のカットですが、そろそろこの界隈での散策切り上げ、バスに乗って、次なる目的地である「祇園新橋」へと移動しなければならないので、堀川通り沿いの歩道を歩いていたら、交差する小路の遥か彼方にさきほど裏から見た無国籍風の煉瓦造りの建物が、軒の低い仏具屋さんの通り越しに見えて、これはこれで京らしい風景やないか、と思い、足を止めて一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、バスに乗って、四条京阪停留所で降り、またしても、旅の恥はかき捨てとばかり、すぐ近くの市営駐車場の整理員の年配の男性に「ぎおんしんばしはどの辺りで?」と聞いたら、「は?ぎおんしんはしね、しんばしはお江戸のSL広場のある飲み屋街やないですか・・・」ということで、親切に10m単位で道を教えて戴き、ほどなく到着し、金沢のひがし茶屋街を更に大きく、川のせせらぎ付で、ここ京都の花見小路から喧騒と車の往来を引き算したかの如き静謐な佇まいに感動して、入り口付近で一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、ここ祇園新橋界隈でも、鴨川の支流である白川のせせらぎの畔に植えられた花々が質素な美を競っているかのようで、冬の椿、春の白梅があちこちで目に留まり、なかでも、せせらぎに掛けられた橋を渡ってお店に入る構造になっているため、橋の上から風情ある佇まいのお茶屋さんを背景に白梅の枝を撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、このCOVID19蔓延下でも、訪れる人は居るようで、日暮れから始まる夜の営業に備え、由緒正しいお茶屋が軒を並べる石畳の通りは打ち水が行われ、そして店の入り口にさりげなく置かれた店名が記された雪洞がLED光源とは云え、暖かな仄かな光を放っていたので、ノーファインダーライブビューモードの超ローアングルで撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、同じく、新橋通りの鴨川に近い辺りのお茶屋さんの店先というか、軒先の低い黒塗り木柵と同じく黒塗りの木枠格子窓の間の僅かなすき間に植えられた紅梅が今を盛りとばかりに満開になっていたので、その仄かな甘酸っぱい香に足を留めがてら、可憐な花越しに風情ある夕暮れの街並みを撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、雰囲気のある、開店前のお茶屋の建ち並ぶ通りを散策していたら、お江戸でも、いや世界中でお馴染みの「ハードロックカフェ」が古いお茶屋の建物の中にきっちりと収まっており、これは面白い、と軒先に灯が点ったのをきっかけに店の前で一枚撮ろうと構えたら、よっぽど撮って欲しかったのか、奇声を上げた小学生くらいの極小姐がご丁寧に店の前を走って通り抜けたのをすかさず捉えてみたもの。

十二枚目のカットですが、京都ではよくありがちな、細い小路の奥のお店や住宅という街並みが、ここ祇園新橋界隈でも例外ではなく、メインストリートである石畳の新橋通りを歩きながら、注意深く建物と建物の間に口を開けた小路を覗きながら歩いていたら「ザ・路地」的な風景が目に留まったので、有難く一枚戴いてみたもの。

十三枚目のカットですが、時期的に陽が伸びたとはいえ、この時刻にはだいぶ西に傾いてきて、やや南向き東西に貫いた新橋通りの側道に当たる小路は、もともと京都の街並みの特徴の、家々の軒同士の距離が狭く、昼なお暗いため、表通りとの陽当たり加減の差は歴然、そんな小路を出勤途上の年配小姐が哀愁を漂わせながら歩いていったので、その後ろ姿を一枚戴いてみたもの。

十四枚目のカットですが、このまま今日も、旅の記念の人物撮影をしないで終わっちゃうのか?とか少々残念なキブンで、もう一回りして帰ろうかと思った矢先、今はやりのジンバルなる金物にGoProみたいな動画カメラをつけて、YOUTUBEのコンテンツみたいなのをロシア語で撮ってた小姐二名組が居たので、わざとスペイン語で話し掛けたら、首を傾げ、両手のひらを天にひろげるポーズやってくれたので、これはノリがイイと判断し、英語で拙者は江戸から来た芸術的なブロガーにつき、一枚、クラシックレンズで撮らせて頂戴と拙サイトをお見せして、モデルさんになって貰ったもの。

十五枚目のカットですが、何せ20時ですべての飲食店は店仕舞い、実質的に19時半にはオーダーストップとなって、夕食を食いっぱぐれる虞れがあるため、お茶の時間も考慮し、そろそろ仕舞いの時刻と見当つけ、バスは四条烏丸辺りから乗ろうと思い、白川沿いの石畳の道を西に向かって歩いていく途中になかなか素敵な路地をみつけたので、お茶屋さんの軒下から、夕暮れの通りの佇まいを撮ってみたもの。
さて、次回は京都滞在四日目、午後遅くの新幹線でお江戸に下る直前まで、やはり今回が初訪問となった、「石塀横丁」、「ねねの道」界隈を撮りに撮った中から選りすぐったものをご紹介したいと思います、乞うご期待!!
- 2021/03/14(日) 20:52:08|
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さて、今宵の更新ですが、予告通り、個人的GOTOキャンペンである京都旅行から四回に亘ってお送りするうちの二回目、滞在二日目をアップ致します。
まずは簡単な行程からご説明致しますと、2/21の朝10時過ぎに京都タワー東側に位置するアパホテル京都駅東を出て、途中、駅地下ポルタのドトォールコーヒーで熱い紅茶とレタスドッグを朝食に戴き、しかるのち、駅反対の八条口側の近鉄に乗って出掛けたのが、まだ行ったことのない伏見エリア、そこでお昼前まで撮影し、今度は近鉄と並行する京阪電車に乗って、清水五条まで移動、そこから徒歩で数分の「五条楽園」と呼ばれる江戸で云う「墨東奇譚」の東向島の世界がそのまま残っているような旧赤線地帯を撮影し、駅に市バスで戻ってから遅めのランチを戴き、日暮れまでのラストスパートとばかり、金閣寺へ移動し、日暮れまで撮影し、途中駅地下でお茶してから、宿に戻った、というのが京都滞在二日目の行動。
では、さっそく当日の行程に沿って、実写結果を眺めて参りましょう。
全カットとも、カメラはSONYα7RⅡ、レンズはLeitz Vario-Elmar21-35mmf3.3-4.5asph.による全コマ絞り開放AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、近鉄電車で20分もかからない伏見エリアは、駅から降りたら、まさに未開ゾーンにつき、駅前の観光案内板を頼りに周遊ルートを考えねばなりませんが、寺田屋の先の船着き場まで行って、往復どちらかで月桂冠やら黄桜などの名だたる酒蔵を周り、あわよくばタダ酒の一杯でもありつこうとの魂胆で、極力、アーケードや商店街は避け、京町通りという通りを南下することとし、程なく発見した築昭和初期と思しきモルタル造の事務所を一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、同じく天気の良い伏見の街をカメラ下げた旅人と認めると、通りすがりのご老人などが挨拶してきますし、よほど暇なのか、話し掛けてくる方も居て、写真撮るなら寺田屋は絶対外すなとか、酒蔵の辺りは江戸では撮れない面白い写真が撮れるから寄ってみろ、とか住民皆ガイド状態で、ここも、少し先に古い屋敷をきれいに手入れしたレストラン有るから寄って見ていけ、とのアドバイスに従い、撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、駅で貰ってきた、周遊ルートを辿るべく、寺田屋へ出る前に酒蔵が建ち並ぶ、まさに神戸の灘か、京都の伏見かと云われた古き良き時代からの大手酒造メーカーが、工房主が幼い頃を過ごした上州の田舎の造り酒屋の、それこそ何千倍もの規模で経営していたので感銘を受け、エリア入り口の月桂冠工場の塀の様子を撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、まさにここが、近年は宝酒造、白鶴酒造に抜かれたとはいえ、長年、世界最大の清酒メーカーとして君臨してきた月桂冠の醸造所の裏口、伏見でも、外から、無機質なステンレス製の巨大な醸造タンクやらカラー亜鉛鉄板外装の巨大な工場建屋が丸見えの風情の無い醸造メーカーもちらほら目に付きましたが、江戸時代からの古き良き佇まいを残す、伏見の銘酒メーカーに敬意を表し、周囲を一枚戴いてみたもの。

五枚目のカットですが、月桂冠をはじめとした醸造所が建ち並ぶエリアを後にして、お目当ての寺田屋、そして舟遊びをする屋形船の船着き場が位置するエリアを目指し歩き出してすぐ、宇治川の支流である濠川の土手の上の道に出ましたが、当日は天気もすこぶる良くて、土手に咲く椿越しに光る水面、遠くの酒蔵がとても美しく見えたので、思わず足を止めて一枚撮ってみたもの

六枚目のカットですが、伏見のもう一方の雄、カッパでお馴染みの黄桜酒造は、月桂冠酒造より、もう少し西の寺田屋に近いエリアに、これまたレストランや売店、ミニ資料館付の広大な敷地を構えており、ここも月桂冠と負けず劣らず、景観を重要視した街づくりの中核となる通りをなしていたので、外観を一枚戴いてみたもの。

七枚目のカットですが、まさに今が旬の幕末のヒーロー中のヒーロー、知名度では同時代の渋沢栄一、吉田松陰を遥かに超え、徳川家康、聖徳太子をも抑え、歴代一位、今なお、その生きざまが老若男女の心を打つ、坂本竜馬の常宿であり、伏見奉行所の襲撃を受け、からくもお龍さんの機転と度胸で九死に一生を得た場所、吉田屋、そんな生々しい歴史の舞台を目の当たりにすることが出来、感慨を込め一枚戴いてみたもの。

八枚目カットですが、結局、どんづまりの船着き場までは辿り着いたのですが、季節外れで水位も低く川底の土砂や乾いた水草が丸見えの状態で、川船の遊覧船など運行していよう筈もなく、ビニールシートで被覆された痛々しい姿の遊覧船の姿を見て興覚めし、次なる目標のある京都市内へ向かうべく、先ほど来た道とは異なる大手町通りなる通りを遡上し、京阪電車の駅を目指す途中で見かけた、小洒落たカフェレストの店先の様子を一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、伏見桃山駅から京阪電車に乗ること20分で市内ど真ん中、鴨川の畔の清水五条駅に着きますが、ここから徒歩で5分も歩くと、近年の治安当局の取り締まり強化により、実質的に壊滅、一昨年までは、インバウンドの外国人観光客目当ての風情ある"Ryokan"とか"Hatago-inn"に模様替えして、息を吹き替えしたかのようでしたが、これも昨今のCOVID19蔓延により、まさに"007は二度死ぬ"状態となってしまっていたので、宣伝の意味も込め撮り歩くこととし、手始めに入り口付近の元茶屋を撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、奇跡的なことに当時のまま営業しているサウナが在るよ、と犬を連れた親切な老夫婦が道順を教えてくれたので、さっそく、辺りをキョロキョロしながら辿り着いてみると、なるほど、同じ関西でも雄琴とか福原などの個室サウナとは異なり、色街でもごく普通の銭湯がスチームサウナ併設を売り物に営業を続けていたようで、昼から人の出入りがあったので、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、もう目ぼしい通りは探索し終え、そろそろ、京都駅に戻ってランチにしないと、何せ、一切の外食が20時閉店、早い店だと19時オーダーストップだなどと無情なことを店先に掲げて、何の罪咎もない旅人を晩飯抜きの刑に処してくれちゃったりしますから、烏丸通りからバスに乗って駅前に戻る途中の路地で見つけたハラショーな壁画を撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、ここも昼なお異界の如き五条楽園エリアから、まごうことなき現世の京都である烏丸通に歩いて移動する途中、高瀬川の畔で見つけた、人の暮らしている気配は感じられなかったものの、二階窓全てから、今の姿を恥じ入るかの如く、季節外れの簾が掛けられた、おそらくは大正時代築の旧遊郭の風情ある建物の全景図を撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、京都駅で色々考えた挙句、結局、前回も寄った駅ビル11階食堂街の京料理屋で栃尾の油揚げを玉子とじにした「衣笠丼」を戴き、ご飯は少な目とか云っておきながら、お替り自由のおばんざいプレートを三回もお替りし、満腹のため、意識が朦朧としながら、次なる目的地、西陣エリアにあるという「紺屋の図子」を訪問することとし、バスで最寄りの停留所から交番で聞いた道筋に沿って辿り着き、発見した路地の目印、志野風大壺を撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、入り口から石を投げれば奥の建屋のガラス戸経由、茶の間を突き抜け、主人の寝床の尿瓶まで砕いてしまいそうなほど狭い路地ですが、どんづまりまで歩いて行って、入って来た方の、午後の太陽が燦々と輝く表通りの方に向き直ると、まさに祇園や北野界隈の裏通りにも共通して見られる、軒が迫り出していることにより昼なお暗い裏通りの佇まいだったので、嬉しくて一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、さて、幾つか路地裏探検しようと思っていたのに、発見出来たのが、三上家路地しかなかったので、仕方なく、時計を見たら、もう一か所くらい見物して、軽く撮影出来るくらいの時間はあったので、前回は仮設を外す二、三日前に訪問して非常に悔しい思いをした金閣寺を再訪することとし、
四条通でバスに乗り、金閣寺前で下車、徒歩で3分ほどの入口で拝観料400円を支払い、期待に胸踊らせて、池の畔に出て見れば、待った甲斐あって、新品となった舎利殿の優美な姿が目に飛び込んできたので、観光客っぽく、畔から、水面に写る逆さ舎利殿込みで撮ってみたもの。
さて次回は、これまた京都では初体験の貴船神社から鞍馬寺、そして、祇園新橋の古風ゆかしい佇まいに至るまで、同じく旅人目線での驚きの数々をご紹介したいと思います、乞うご期待!!
- 2021/03/06(土) 23:06:55|
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