さて、今宵の更新ですが、予告通り、松本市への2泊3日の旅行で見聞きした風景などを三回ほどに分けてお送りする予定の最終回をお送り致します。
今回の旅行は2泊3日の旅だったため、3日目の当日は、13時20分発の高速バスで江戸表に戻らねばならないため、9時半にチェックアウトし、11時迄ホテルに荷物を預かって貰い、駆け足で、お城とその北に位置する開智学校、そして、その更に東北に位置する「高橋家住宅」という武家屋敷を訪問し、撮るだけ撮って、駅前のバスターミナル前の高級イタリアンで豪華ランチを戴いて帰ってきたというもの。
では、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCanonL28mmf2.8、全コマ開放によるAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、宿を後にして、目の前の天守閣には後で寄りますからね、と朝の挨拶を心で交わし、横目に見ながら城郭公園をぐるっと時計回り回り込み、11時の方向を北進すると10分もしないうちに開智学校になりますが、ここもパスし、向かいの幼稚園の桜越しに信州の雪を戴いた山々が見えたのでその景色を撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、開智学校の東隣りにある無人のテニスコートの南の道を東に向かって進み、南北を貫く道路を北上し、更に水路を渡ってすぐに、二階建て漆喰外壁の、土蔵をリノベした住居の前の庭なのか駐車スペースなのか判別し難い部分に線路の枕木を敷き詰めた不可思議な一般住宅が目に入ったので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが開智学校からは10分もしないうちにそれらしい一部繊維入り土壁仕上げの木塀が見えてきて、高まる期待とともに早歩きにはなったのですが、その住宅敷地の手前、路地の入り口付近に可憐な黄水仙が纏めて植えられていて、道行く人々の目を楽しませていたので、工房でお留守番の「木瓜」鉢植えのことなど思い出し、最短距離から一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、「高橋家」住宅の敷地周囲には佐倉や古河辺りでも見られた、屋根付の一部繊維入り土壁仕上げの木塀が巡らされ、よくよく思い出してみれば、昨年訪問した金沢の武家屋敷街の武家屋敷よりは、塀の上の屋根の材質も瓦や檜皮、杮ではなくずいぶんと質素な木板で、こういうところにも江戸時代の身分制度による住環境の違いもあったのだ、と感心して一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、嬉しいことに入場無料のこの武家屋敷は屋内のみならず、江戸時代は観賞植物のみならず、自給自足の野菜なども植えられていたであろう、比較的広めの南側に広がる中庭も散策出来るようになっており、南の端から、椿の木越しに山村貞子がおいでおいでしそうな古井戸と屋敷の南側を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、同じく中庭で、もう少し屋敷に近寄って、なんと、木の板葺きの上に押えに石ころを載せた屋根と明治~昭和にかけての全国津々浦々の一般的な日本住宅にもDNAとして受け継がれた、陽当たりの良い濡れ縁廊下の様子が良く判るように撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、更に歩を進め、庭からまた家の中に上がり込んでみようと濡れ縁の下に必ず置かれている沓脱石の上に履物を揃えて置いて、かつての持ち主に敬意を表し、一礼してから廊下に上がってから、一番隅まで歩いていって、この既視感溢れる日本人共通の原体験みたいな景色を一枚戴いてみたもの。

八枚目のカットですが、小さいながらもなかなか見どころ豊富で、ヒマなのか、管理室から挨拶に出て来た女性管理人の方と伝統建築の保護活用に関して意見交換などしていたら、あっという間に小一時間が過ぎてしまったので、こりゃいかん、と思い早々にその場を辞して、開智学校経由、お城に戻ろうとテニスコートまで差しかかった時に開智学校の凛とした佇まい越しに見えた雪化粧の中央アルプスの山々の景色を撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、テニスコートを過ぎ、開智学校東側の柵に面した通路まで来た時、まだ陽が高くない時間に東側から眺める、この気高く白い外壁を持つ擬洋風建築の偉容はなかなか心を打つものがあり、おそらくは来年の桜の咲くシーズンくらいは再訪することもないだろうとの想いから、足を止めて一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、開智学校からお城までは早歩きでは10分もかからないので、すぐに城郭公園北側に到達し、今度は来た時と真逆に反対時計周りに歩いて、本の丸南側、ちょうど朱塗りの能舞台のような月見櫓が見える位置から、かろうじて花の残る桜の枝越しに漆黒の天守閣全景を撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、この日は時間がなかったこともあるので、天守閣への登城料金込みの本丸入場券を買っての入場はしないで、周囲をぐるっと回るだけ周り、景色の良いとこをつまみ食い的に撮ってしまおうと、黒鉄門を過ぎ、二の丸へと続く通路にかけられた長屋門である太鼓門方面へ移動する際に見えた黒鉄門、石垣越しの中央アルプスの山々を撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、二の丸方面には、これまでは日没後しか立ち寄ってみなかったので、全くと言って良いほど気付かなかったのですが、太鼓門の全景が収まる位置にちょうど、咲き残っていた桜の樹があったため、28mmをつけてきたことの運の良さに感謝しながら、ちょうど夫婦者が通り過ぎる瞬間を見計らって一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、本の丸への入り口に位置する黒鉄門の前を過ぎ、天守閣の南際に差しかかろうとしていた時、もう一枚か二枚、人物を撮りたいと思い、声高に中国語で会話している小姐二名組が居たので、足早に近寄り、お城をバックに一枚撮らせてよ、後で送るからと話し掛けたら、えー正面は勘弁、横からなら、ということなので、二人でガイドブック読んでるポーズで撮らせて貰ったもの。

十四枚目のカットですが、ホテルで荷物を受け取り、大名通り経由、駅前のバスターミナル方面へと徒歩で移動したのですが、金沢のような明確な武家屋敷街こそ残ってはいないものの、空襲が無かったことが幸いして、街のそこかしこに幕末から明治にかけての伝統建築が残存しており、前日、朝食を摂った登録有形文化財の旧第一勧銀支店の建屋へ抜ける道に面して建っていた、年季の入った土蔵のなまこ壁を一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、これも土蔵の建っている裏通りから目と鼻の先の道路沿いの北側、即ち南に面して建っていた、明治から大正にかけての、群馬でも街道沿いの商家に多く見られる、工房主も幼少の頃、しょっちゅう泊まりに行った母の田舎の実家そっくりの造りの店舗兼住宅にノスタルジーを感じ、足を止めて一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、海外旅行へ行けなくなって、1年と四半期ちょうど、国内、しかも3日間程度で十分、見て、歩いて、そして食べてと楽しめる近場を探していたら急浮上し、殆ど発作的に旅行した松本市でしたが、新宿から3時間半近くバスに乗って訪問した甲斐はありました。これまで、姫路と小田原以外は天守閣の在る街に美食無しと思っていましたが、いやはやどうして、蕎麦はもちろん、肉料理もイタリアンまでもが彦根や犬山辺りでは逆立ちしても敵わないレベルの充実度で、これなら雪を戴いた山々と桜を見物がてら毎年通う価値有りなのではと思った次第。
さて次回ですが、GWは国内でほぼ最遠の地に探検に出掛けますので一週スキップ、その翌週からは”出張”レポートを複数週でお送りしたいと思います、乞うご期待!!
- 2021/04/29(木) 22:04:24|
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さて、今宵の更新ですが、予告通り、松本市への2泊3日の旅行で見聞きした風景などを三回ほどに分けてお送りする予定の二回目をアップ致します。
到着二日目は、前日に相当歩き回り、夜にはホテルの大浴場で疲れを癒してから、帰り際に宿近くのコンビニで買い求めた館ハイボール500CCの威力てきめん、ぐっすりと朝まで眠りこけてしまったので、気分よく、7時半前に目が覚め、身支度して、昨日、見当つけておいた、登録有形文化財である旧第一勧銀松本支店の建物を利用したホテルの宴会場で食べられるモーニングにでかけ、戻ってから、機材を持って、まずはお城、そして開智学校周辺を撮って、縄手通りにある著名なレトロ風洋食屋さんで名物の極厚ポークステーキランチを戴き、しかるのち、縄手通りと女鳥羽川を挟んで反対側の南に位置する中町通りの蔵通りを撮って、お茶して、夜の撮影に備え、宿に戻った、という行程でした。
では、当日の足取りを辿りながら実写結果を眺めて参りましょう。
カメラはLeica M(TIPO24)+デジタルビゾ、レンズはLeica Vario-Elmar21-35mmf3.3-4asph.による全コマ開放撮影となります。

まず一枚目のカットですが、当日の朝、外でモーニング摂ってから一旦宿に戻って、機材持って出掛けたのが、宿から徒歩5分の位置にある、松本城公園で、西側からアプローチし、本の丸へつながる大手門へと歩いていったのですが、そのお濠を半周するうちに、いつもは風や水鳥達の立てるさざ波で天守閣がひざ丈みらいの水深しかない形ばかりのお濠の水面にありのままの形で映ることは珍しいのですが、一瞬、静まって、その漆黒の雄姿が映し出されたので、立ち止まって撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、大手門から本の丸に入り、元本丸御殿という芝生地をぐるっと東側から回り込むように天守閣への入り口に歩いて行くのですが、ちょうど通路が北側に差しかかった辺りで、昨晩、夜桜鑑賞のために庭園が無料開放されていた時に中を歩いて、見当つけておいた位置から、枝垂れ桜越しに漆黒の天守閣を捉えてみたもの。

三枚目のカットですが、待つこともなく、念願の初登城を果たし、半刻ばかりもかけて、内部を仔細に検分、しかも途中でお仕事モードに入ってしまい、明治以降の耐震補修等の金物が目に付いたので、そんなものも入念にスマホンで撮影して、最後の見せ場、能舞台のような月見櫓を殆ど貸し切り状態で見学してから、外に出たら、目が慣れてすぐに、目の前に傘をさしたお姫様と軍師の格好をしたボランティアが通り過ぎていったので、あいや、暫し待たれよ!と声かけ、天守閣の真下で撮影に応じて貰ったもの。

四枚目のカットですが、そういや、天守閣の優美な設備、月見櫓を向こう正面から撮ってなかったことを思い出し、どうせ撮るなら花のシーズンなので、ここお城の公園のあちこちに咲いていて、今年の冬から鉢植えを育てることにした木瓜の老木があちこちに今を盛りとばかりに咲き誇っていたので、艶やかな木瓜の花々越しに月見櫓を入れた天守閣の全景を撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、ランチの時間から逆算すると、そろそろ開智学校を撮りに移動する時刻なので、再入場不可の本の丸に別れを告げ、学校の建物が位置する北の方面へと歩いて移動し、10分も経たないうちに敷地の前に到着、前日は外観を眺めて撮るだけだったのが、当日は入場料を支払い、中を見せて貰うこととし、それでも天気が良かったこともあり、旧正門から正面全景を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、内部の展示は建物の教室、及び机や椅子、オルガンなどの他にも、この校舎が現役時代の世相に関するものだったり、この擬洋風建築に関する工法解説だったり、特に興味深かったのは、かつての疫病蔓延時に長野県はどのように対応したのか、なども当時の通達の書類などを解説付きで展示したりしていたので、教室内の展示の様子を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、予想以上に興味深く、入場料の元は取れたな☆とか、旅先にはそぐわぬ、またしてもお仕事モードに入りかけた頃、お昼も近づいてきて、腹時計のアラームがしきりに鳴り出したので、もう一か所の見学場所である、開智学校のすぐ道を挟んだ西隣に位置する司祭館を内部の見学する前に下見板張りが特徴の建物外観を撮影してみたもの。

八枚目のカットですが、この司祭館は1889年(明治22年)に市内の別のところに建てられ、1990年に現在地に移築されたとのことで、横浜の山手の商館や、昨年訪れた長崎のグラバー園の洋館にも共通する造りになっており、特に目を惹いたのが、明るいガラス張りのテラスで、同時代の日本家屋の濡れ縁に相当する部位が西洋風ではこんな風にアレンジしていたんだ、と感心して片方の隅から全景を撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、昨日、撮影開始前にお参りした四柱神社の前に架かる橋の縄手通りの対岸に建つレトロ風洋食屋さんで至極のランチを頂いたのち、一本南の、後造りであるものの、通りに面した店舗の多くが土蔵造りになっている中町通りを撮ることとし、大名通りに面した西側から東の端めざして歩きながら撮り始めた直後、軒先に苔むした蹲を置き、そこに摘みたての大輪の椿の花を浮かべていたのを目にしたため、その風流心に感じ入って、一枚戴いてみたもの。

十枚目のカットですが、天気の良い中町通りを東に向かってそぞろ歩きしていると、まるで、佐原とか、川越とか金沢とかにトランスポーテーションしたかの如き既視感を覚える景色に何回か遭遇し、中でも、年季の入った木造建屋軒先の屋根の上に載せられた古めかしい看板に掛かれた商いの内容が漆器というお店に至っては、今まで訪れた小江戸や小京都と云われる歴史的な街並みから抜いてきましたといっても違和感ないような佇まいだったので、思わず足を留めて一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、同じく中町通りの真ん中より東へ行った辺りの紙製品を扱う店舗の軒先に木製で金属製の箍をはめられた桶の中に季節の花々を行けたものを置いているお店があり、ちょうどその桶の背後の磨き上げられた引き戸のガラスに道の反対側の漆喰の白も目に眩しい土蔵造りの建物の佇まいが映っていたので、しゃがみ込んで一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、紙製品を扱うお店の並びにガラス細工のお店があったのですが、その店先にボヘミアンやベネチアンもかくやあらんばかりの優美な多面体カットのクリスタルが細い紐で吊るされ、風で揺れて回転するたびに光の粒をきらきらと辺りに散らしていたので、ここでも足を留めて、最短距離で一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、中町通りを東の端まで歩き通し、更にその先のイオンタウンまで探検してから、縄手通りをもういっぺん撮ってからお茶して昼の部は上がりにしようと思って、女鳥羽川に架かる橋を北に遡り、縄手通りを西の大名通り方面に歩いて行ったら、とある飲食店の前で従業員各位による音楽演奏をやっていて、中学生くらいの髪の長い小々姐がリズムに合わせ体を揺すってイイカンジだったので、後から一枚戴いてみたもの。

十四枚目のカットですが、続けて西に傾き出した陽光が燦々と照らす縄手通りを歩いて行ったら、店から出てきたいたいけな買い食い女学生二名組がキブン良さげに石畳の道を手を繋がんばかりの仲睦まじそうな雰囲気で歩いていったので、後から通りの様子ごと、後からノーファインダで一枚戴いてみたもの。

十五枚目のカットですが、縄手通りの西の端、大名通りからの入り口付近の鯛焼屋さん店頭の黄色い壁面に掲げられた、一品ものの鯛焼器の下に何故かガウンのようなものを纏った、可愛らしい、コルゲンコーワのものとは目の形とか細部の異なるカエルのプラスチック人形がガウンみたいなものを着せられて立っていたので、面白いと思い一枚撮ってみたもの。
さて、次回は最終日、13時台のバスで帰京するまでのお城から足軽屋敷にかけての撮影結果をご紹介致します、乞うご期待!!
- 2021/04/25(日) 19:27:27|
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さて、今宵の更新ですが、またしてもの予定変更、旅に出ておりましたので、そこで見聞きした風景などを三回ほどに分けてお送り致します。
今回はどこへ出掛けていたかというと、東京と名古屋を結んだ線の中心よりは少々名古屋よりの古都、松本へ出掛けました。
松本へは名古屋から上州の実家へノンストップトライブした時、長野道で往復通ったことはあったのですが、実は一回も街に足を踏み入れたことがなく、このCOVID19蔓延下で国内を目的地とした旅行で2泊3日で行けるお手軽ターゲットとして浮上したわけです。
要は、お城が有って、旨いものが食べられ、そして宿に大きな風呂が付いていれば万々歳というわけで、今回もお城と蕎麦以外はそれほど期待もせず、新宿から朝10時55分発のバスに乗ったわけです。
ところが、3時間半弱のバス旅で四方を頂がまだ雪に覆われた山々に囲まれた小さな地方都市に降り立ち、空襲を受けなかったことから、かの渋沢栄一も目にしたことがあるであろう蔵造りの家々や、駅から徒歩15分ほどで到着した国宝松本城を目にしたとたん、隣の県で19迄暮らし、20代後半に2年半ほど暮らした名古屋からなら車で来られる距離のこの街に、何で今まで来なかったのだろう、と少しばかりの後悔の念に囚われました。
そして、当日は14時過ぎにお城から至近の宿に荷物を置き、常に開放状態のVario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.を装けたFuji X-Pro2のみを相棒として夕暮れまでお城の周囲を撮影して回ったということです。
では、さっそく、到着当日の行程に沿って実写結果を眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、お城の周りをぐるぐるする前に、これは旅先ではいつも行っているのですが、その地域の鎮守様に当たる神社にお参りし、よそ者がお膝元を荒らすお詫びと、行程の無事を祈願するのですが、今回の松本市では名前からして御利益有りそうな「四柱神社」へまず参拝し、その目の前が撮影スポットである縄手通りの撮影を先に済ませて、斜め横から天守閣に陽が当たる夕刻にお城の近くに戻ろうと決め、神社を出てすぐの橋の袂の本物のガス灯を一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、春の小川のような女鳥羽川と並行して東西を走る縄手通りの石畳の道、をまず東の端に向かって歩いていくと、COVID19の影響なのでしょうか、通りに面してはいるものの、休業中のいかにも老舗という佇まいのお蕎麦屋さんの軒下で、可憐な山桜の花が盛りだったので、背景に店舗外装のなまこ壁を入れて、最短距離付近で撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、東の端まで歩き通したら、陽もだいぶ西に傾き出し、斜めからの光線に変わってきたので、レトロな佇まいの縄手通りをセミシルエット風に撮るにはちょうどいい頃合いなので、行き交う人々に注意を払いながら、ところどころで長い影を入れて撮ろうと試みていたのですが、ちょうど目の前の店舗から出て来た観光客のヲヂサン、ヲバサンが石畳の道に長い影を曳きながら目の前を歩き出したので、ここぞとばかりに後から音もなく一枚戴いてみたもの。

四枚目のカットですが、先ほどお参りを終え、縄手通りに足を踏み入れた神社の南門の前の橋の下の土手にこれはさすがにソメイヨシノでしたが、平地よりは朝夕の気温が低いためか、東京ではもう姿を消してしまった、薄ピンクのいかにも儚げな花弁が午後の陽射しを浴びてキラキラ輝く川面をバックに咲き残っていたので、嬉しくなって足をとめ、その様子を一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、会心の桜の写真が撮れたような気がしたため、結果は宿に戻ってからじっくりと思いつつ、陽があるうちに撮れるだけ撮ってしまおうと思い、女鳥羽川にかけられた橋の袂で縄手通りの方に目を凝らすと、すぐ目と鼻の先に在るたい焼屋さんの店頭に如何にも色気より食い気、のオーラを全身から醸し出す、いたいけな女学生が買い求めるために立ち寄ったので、有難くその瞬間を一枚戴いてみたもの。

六枚目のカットですが、そろそろお城エリアに移動しても良さそうな頃合いになってきたので、お城方面は縄手通り西端に繋がるメインストリート、大名町通りに向かって歩き出したら、ちょうど両側店舗の構図的バランスが良さげな辺りで、仲睦まじそうに歩いて来た中年夫婦とすれ違ったので、振り向きざまに一枚戴いてみたもの。

七枚目のカットですが、大名町通りを北に向かって歩き出してすぐに、土蔵みたいな暗灰色の艶消しの壁に南欧辺りで見かけそうな明るいオレンジ配色の窓やドア、そしてゆるキャラの文法に則ったブタさんの看板、となかなか秀逸なエクステリアを持つ、街カフェみたいな店舗が道に面して建っていたので、思わず足を止め、一枚戴いてみたもの。

八枚目のカットですが、大通りを真っ直ぐ北上すれば、天守閣の建つ松本城公園にすぐ着くのですが、それでは面白くないので、少々寄り道、回り道しようと思い、西側から天守閣へはアプローチすべく、大名通りから一本西に入ってそこを歩いていたら、錆びて朽ちかけたトタン板壁の廃屋?とその隣家の間の庭とも呼べないようなすき間に、今を盛りとばかりにカンヒザクラの木が満開だったため、思わず足をとめ、一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、宿にチェッキンする時、そして神社にお参りに向かう時、横目で眺めた、待ちに待った、国宝の塗り替えて間もない漆黒が美しい天守閣とのご対面、心躍る瞬間、さて、スマホンではなく、きちんとしたカメラではどう撮ろうかと逡巡した挙句、この季節でしか撮れない桜の花々との競演を選んでみたもの。

十枚目のカットですが、陽もすっかり山の端へ暮れようとしている時刻、明日の朝から本格的に撮ることとして、そのロケハンも兼ねての本の丸周辺の散策で、先の長野地震で基礎がずれてしまったがために開かずの橋と化してしまったという「埋橋」の赤い艶やかな全景と漆黒の天守閣とのハーモニーを夕暮れの彩雲を入れて撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、日没までにもう一ヶ所、ロケハンをしておく必要のある場所があったので、後ろ髪を引かれる思いながら、漆黒の主の佇む廓をあとにし、次なる目的地、これまた国宝の「開智学校」を目指し、移動することとし、途中、お城の鎮守にお参りしてから、地図で見て覚えた道筋を辿って、北上していくと、途中、長屋を改装したと思しき本屋さんの店頭でこれまたレトロ定番の鋳物製郵便ポストを目にしたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、松本城公園からは徒歩10分程度の位置に建つ、国宝「開智学校」に到着し、夕暮れのやや冷えかけた山間の大気の中に佇む、「擬洋風建築」という、もはや国内でもここ松本と近江八幡や長浜といった琵琶湖東岸エリアくらいしか残存していない貴重な明治期の建造物の威容を門扉越しに一枚戴いてみたもの。

十三枚目のカットですが、中に入るためには400円の入場料を払う必要がありますが、それは明日、きちんとお支払いして中に入って拝見させて戴くこととし、もう17時を回っていたので、当日の入館は終了、当日は敷地の周囲から建物を鑑賞させて戴きながら、夕陽の沈む中央アルプスの山々を背に当時の棟梁が訪れたこともない西洋の建造物を一生懸命に木造建築で再現しようと苦心した想いを感じとりつつ一枚戴いてみたもの。

十四枚目のカットですが、これも、「開智学校」同様、手狭となった市街地から、中心からやや離れた「開智学校」と隣接するこのエリアに動態保存のために移設された、1889年建造で三方板張りの旧司祭館の北側のガラス張りテラスに映る、春まだきの夕暮れの景色を一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、晩飯前にひと休みしたいと思い、そろそろ宿に戻ろうかという頃合いに思い付き、なかなか構図には苦心しましたが、日暮れの寸前に、明治時代の洋館である旧司祭館の玄関越しに眺めた、和の棟梁の建てた洋館風建造物である「開智学校」校舎の夕暮れの図。
さて、次回は松本滞在二日目、早起きして天守閣に登城して以降の市内での冒険の様子を写真で綴ってお送り致したいと思います、乞うご期待!!
- 2021/04/18(日) 21:51:47|
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さて、今宵の更新ですが、予告通り、工房にずっと眠り続けてきた、ドイツはRODENSTOCK社製EL-OMEGAR50mmf3.5の試写結果をお送り致します。
このレンズ、今から10年以上前に電子湾で、次々と引伸しレンズを落札、輸入していた時、プラ製鏡胴の軽くて造りがチープな玉に1万円弱も払ってしまい、バックフォーカスが少し短めでライカマウントでは改造が面倒で、そもそもプラレンズなんか手間暇かけて改造する気も起きなかったので、ずっと防湿庫の隅っこに捨て置かれ、そのうち取引先のウオータージェットでレンズのカッタウェイでも作る時の実験台にでもしてやろう、とかよからぬことを考えたことすら忘れさられた存在だったのが、ふとEマウント金物が安く輸入出来、また、BORGヘリコイドのコピー製品も安く買えたので、ものは試しに、と結合させて、試写してみたら、その見た目のチープさ、軽さに反し、フルサイズ機の画面の隅々まできちんと結像し、無限でも解像力出ていてびっくりしたので、ここにアップしようと思い立ったものです。
レンズ構成は3群3枚のトリプレットで、RODENSTOCK社のラインアップではROGONARの前の製品らしいので、おそらく80年代の製品と思われます。
ではさっそく、試写結果を逐次眺めて参りましょう。カメラはSONYα7RII、全コマ開放による絞り優先AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、当日の試写も遅めのランチを兼ねての外出だったので、そのお食事処の周辺からのスタートになりますが、神田は千代田小通りの神田駅の方が少し近いくらいの場所にある「五ノ神水産」さんにて至高のオマール海老スープのまぜそばを戴き、しかるのち、比較的撮影スポットが散在している神保町方面でまず目に付いた、某食堂店頭のお猿さんのオブジェを撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、これも神保町は靖国通り沿いのスポーツ用品店店頭に飾られた、のっぺらぼうならぬ、今どきの若い小姐を模したマヌカンの像ですが、妙にサラサラとした変わった色合いのかつらがなかなかおしゃれだったのと、背景に文字の書かれた看板、そして点光源があったので即採用し、最短付近で撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、ここ神保町はかつて「写真工業社」が位置していたことからも判る通り、表通りよりもむしろ、靖国通りに繋がった裏通りの方が、種々雑多な景色があって、試写にはもってこいなので、定点観測である、コロッセウム風の建造物へ移動する途上の昭和の匂い濃厚なホルモン焼屋さんの店頭を撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、側道を神保町交差点方面、即ち西に向かって歩き出したらすぐに、絶滅危惧種から不死鳥の如く復活を遂げたアナログレコードをメインに扱う中古レコード屋さんの店頭の路上に、風雪に晒され、ちょっとバンクシーの風刺画っぽいテイストを纏ったいたいけな極小姐の看板があったので、至近距離で一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、数分も歩いたら、神保町界隈での撮影ではすっかり定点観測スポットと化した、飲ん兵衛のローマ人?の木製の看板をバックに明治大学だったかのコロッセオ風の建物が聳え立つ路地に辿り着き、おっさんのハゲ頭にピンを合わせて木製看板をメインに路地の様子を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、飲ん兵衛ローマ人の看板の在る路地から、再び神保町交差点方面に歩き出してすぐに、或るテイクアウト専門の飲食店の店頭にさりげなく置かれ幾星霜、ところどころペンキも剥がれ、木材が剥き出しになってはいるものの、コカコーラのコーポレートIDである鮮やかな赤地に白の文字は依然とくっきり残っていて、また光線の射し込み方が面白かったので、足をとめ、一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、靖国通りの北の側道を歩きながら、ふと目に留まった陶製のネコがツタの間から姿を覗かせるオブジェですが、実は既視感有りで、これもつい視界に入って、足を留めて撮ることとしたのですが、そう、今戸神社にも本殿前にそっくりの風景有ったのを先週土曜日に発見し、びっくりしたもの。

八枚目のカットですが、神保町交差点を北上する白山通りの車の往来の音が聞こえてくるくらいのエリアでランチタイム終了で準備中の中華料理屋さんの店頭の人の頭近くの高さに誇らしげに飾られた、使い込まれた鉄製の中華鍋とおたまのセットが何となく重厚な質感を発散していたので、足を留めて下から一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、腹ごなしついでの神保町での撮影は上がり、次いで、半蔵門線沿いでスカイツリーが近くに見えるところに行きたいキブンだったので、まずは沿線の撮影スポットである清澄白河駅で降り、ここも複数の定点観測スポットがある、清澄通り西側に広がるモダン長屋の前で通行人が通りがかるのを待って一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、ここも清澄白河のモダン長屋界隈での定点観測スポットのひとつである美容室の前にさりげなく置かれた、どことなくトロピカルな雰囲気の色使いのグラデーション塗装の自転車と、なんとその背後のガラスに白ペンキで手書きされた月の休業日一覧を一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、ここも清澄白河のモダン長屋の定点観測スポットのひとつである、昼からやってるビアハウスの店頭で煌々と点された白熱電球型LED電球と「BEER」の看板を吊るした、妙な造形意識の滲み出た水道等配管用鉄パイプ製の支持具が面白く、当日も至近距離から一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、モダン長屋を南の端まで歩き通し、再び半蔵門線に乗るべく、元来た道を引き返そうとしたら、これまた定点観測スポットである白くペイントされた木製の壁と大きなガラス窓が目印の個人商店系ブティックの前で撮っていなかったことを思い出し、いたいけな小姐の乗る自転車が通り掛かったのを奇貨として一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、モダン長屋の北の端、清澄庭園の入り口へと続く塀沿いの東西を貫く道路の手前辺りに位置する店舗群の前辺りで、前方から、天気も良かったことから、長屋の前の通りを仲良くお手々つないで歩いてくるいたいけな若いカポーの姿を認めたので、程よい辺りで通行人エキストラ出演願ったもの。

十四枚目のカットですが、清澄白河駅から半蔵門線に乗って、東京メトロ区間では終点となる押上駅で降りて、十間川の水面にスカイツリーの優美な全景が映る秘密ポイントまで徒歩で移動することとし、川の南側を歩いていたら、おそらくはスカイツリー観光の外国人目当てで開業したのでしょうか、妙にアーリーアメリカンテイストのダイナー&パブのお店があったので、店頭を掃いていた店主に断って、オブジェのアメ車を撮らせて貰ったもの。

十五枚目のカットですが、まさに当日の撮影の締めくくりに相応しく、またこの一見チープな名門の鬼っ子のようなレンズの底力を思い知らされたカットになったのですが、十間川上に掛けられた或る橋の上から、陽も西に沈みかけ色づいた雲に囲まれ、水鏡と対になって優美ながらも力強い姿を見せてくれたスカイツリーを撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、破壊する寸前だった防湿庫の澱のような扱いだった名門の鬼っ子が、点光源でも、後ボケでも至近距離での解像力でも、遠景の描写でも、同世代のレンズで、ましてやトリプレットでここまでの性能を発揮するものは見当たらないくらいの実力を見せてくれたことに驚きました。
さて、次回は旅に出ようと思いますので一週スキップ、その翌週は秘宝館から国産大口径の真打登場予定、乞うご期待!!
- 2021/04/04(日) 22:02:45|
- 深川秘宝館
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