さて、今宵の更新ですが、予告通り、花のシーズンの小田原城を12時前着、16時前発という駆け足スケジュールで撮るだけ撮った中からハイライトシーンをお送り致します。
まず、当日の簡単な行程ですが、小田原と云えば、魚介料理が安くて旨いお店が軒を並べる土地柄、ランチタイム前に乗り込むのが、大人のお作法につき、当日も前回同様、11時半過ぎの小田急線で小田原駅に着き、前回発見した穴場、「Sakana Cuisine Ryo」さんで再び、ド定番の海鮮丼2000円(税込)を戴き、しかるのち、「お掘端通り」を西に進む登城コースを辿り、今回は天守閣にも登城出来、天守閣の上から発見した八幡山古塁というところを経て、15時に駅に戻り、お茶してから小田急の急行に乗って帰京したのでした。
では、さっそく、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
機材はカメラが富士X-Pro2、レンズBaltar25mmf2.3mod.M by FGWG、全コマ開放でのAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、リーズナブルなお値段で至極のシーフードランチを戴いてから、お店の前の道「お堀端通り」を歩くこと10分弱、見慣れた幅の広いお濠の水面が見えて来て、その先には二の丸跡につながる赤い橋「学橋」が見えたので、ちょうど全景が収まる辺りで足を止め、初夏、梅雨前の青空をバックに一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、「学橋」を通り過ぎ、更に「お堀端通り」を南に進むと、お濠の中の出島のようになった馬出門のある曲輪へと繋がる「めがね橋」が見えてきて、渡り切ったところにある馬出門を撮ろうとカメラを構えたら、可愛い茶色のトイプー連れの家族連れがやって来て、ヲヤヂさんとかあちゃんは門の中に先に入ってしまい、残された兄妹が城内の撮影スポットをタブレットで確認しているところを背後から一枚戴いてみたもの。

三枚目のカットですが、狭い馬出門をくぐると、太陽が燦々と照る馬屋曲輪の広場に出て、一気に視界が広がるのですが、ここには、前回も足を止めて撮影した、真っ白な下見板の外壁も眩しい、洋風建築と和風建築を足して二で割ったカンジのどことなく不可思議な佇まいの「小田原ガイド協会」の事務局の建物がまばらな松林の向こう側に見えるので、今回も手前の芝生の上にエキストラ役の親子が居たのをいいことに一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、お濠の中の浮島のような馬屋曲輪から、本丸を目指すには、再び「住吉橋」というちっちゃな橋を渡らねばならないのですが、そこを渡って、目の前の銅門前の虎口みたいに四方を白壁で囲まれた狭い広場を経て銅門をくぐることになるのですが、なかなか風情のある木製の太鼓橋である「住吉橋」と銅門が一枚に収まるアングルがインスタスポットになっているため、ここでも前回同様、足を止め、一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、虎口を抜けたあと、目の前の銅門をくぐり、いよいよ、天守閣のそびえる本丸へと足を踏み入れることになるのですが、その前に今回は前回の28mmより広めの玉を付けての城攻めですから、狭い虎口から、銅門の威容を余すことなく収められることから、足を止め、後から次々やってきた観光客各位をやりすごし、エキストラ出演願って、一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、前回の緊急事態宣言時とは異なり、今回の訪問では天守閣以外にも、観光客への利便が図られており、今回の訪問では、銅門くぐり抜けた時に、ちょうど、櫓門の上から降りてきた観光客の一団と遭遇し、来た方向に目を向けてみれば、どうやら、土日限定で銅門上部の空間を開放しているとのことらしいので、急ぐ旅でなし、階段を登り、中に入れて貰うと、ちょうど、「小田原評定」の再現人形群が置いてあったので一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、ここ銅門の近年のオール木造での復元に関心し、また、中の案内役のご老人とも、金沢城の鼠多聞櫓門や甲府城の稲荷櫓のオール木造復元の出来映え等に関し、話が弾んで、一段と気分良くなったので、銅門の二の丸側から白い雲が浮かぶ青空をバックに一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、銅門前の広場から二の丸と本丸をつなぐ常盤木門への道すがら、元の木造建築の時に用いられていたという礎石の一部が、土塀のカッタウェイ模型ともども展示してあり、なんと、風流な心の持ち主か、或いはお年頃の小学校高学年のいたいけな小々姐各位の心遣いなのか、礎石の孔に溜まった水の上にすももとおぼしき果実が一杯に浮かべられていたので、感じ入るものがあり、足を止めて、一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、銅門をくぐり抜けたらもう、目の前の本丸の小高い丘の上の木々のすき間から、白亜の美しい天守閣の偉容が見え、早く登ってみたいという衝動に駆られはしましたが、それ以上に、常盤木門下の一帯の元空堀で、今は季節ごとのお花畑になっているエリアがあって、そこには、ちょうどシーズンの菖蒲と紫陽花が今を盛りとばかりに咲き誇っていたので、そういえば、今年も潮来のあやめ祭りは行けなかったなぁとか思い、足を止めて全容を撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、同じく二の丸空堀跡のお花畑の隅まで撮りながら歩いていったら、小高い丘の上に建つ、これまた昭和になってから市政30周年事業の一環として復元されたという常盤木門の櫓の白い漆喰の建物がお花畑越しに見えたので、櫓を見上げる格好であやめ畑全体の様子を撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、この二の丸空堀跡のお花畑、主に底部はあやめ畑になっていて、斜面には色とりどりといっても、紫の濃淡と赤、そしてブルーなのですが、紫陽花の花々が菖蒲に負けじと咲き誇っていて、これも鎌倉の紫陽花寺こと長谷寺を彷彿とさせるような懐かしいシーンなので、斜面から常盤木門もバックに一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、元空堀のお花畑で何枚か撮ったあと、混み合ってきたので、早々に退散し、常盤木門への続く、赤い橋とそこそこ長い石段を登り、門の前まで来てみると、何でもアート月間のような協賛イベントを城址公園で開催しているらしく、門番のような位置に木で組まれたカモシカのようなオブジェが据え付けられていて、このアンマッチ感がなんとも云えなかったので、門をバックに一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、逸る心を抑えながら、常盤木門をくぐり抜けると、いよいよ、そこは本丸広場が目の前に広がるのですが、前回とは違って、手裏剣体験コーナーあり、天守閣への入場が可能となったこともあり、広場には老若男女、かなりの人出が繰り出しており、天守閣の全景を撮ろうとしたら、若い親子連れの童子が飛び出してきちゃったので、有難くご出演願ったもの。

十四枚目のカットですが、無事、天守閣の頂上まで徒歩で登り切って、前回は気付かなかった、西側の小高い山の中腹のテラス状の芝生の広場、「八幡山古塁」を発見し、天守閣からそこが良く見えるなら、そこから天守閣も良く見えるはずと思い、天守閣入口付近の係員さんに道を聞いて、北口から本丸を出る時にふと見上げた天守閣の表情が良かったため、下から一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、八幡山古塁からの小田原城天守閣の眺めにも十分満足し、帰り道沿いの民家で枝葉払いやっていた中年男性とも挨拶をきっかけに少々話し込んで、本当にこの白亜のお城は市民各位に愛されているし、誇りそのものなのだな、と感心して駅に向かう道すがら、駅前に対近年出来た瓦葺きの商店街「ミナス」前の様子を、今風のカポーが通り掛かった頃合いを見計らって一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや小田原城は素晴らしい、もちろん、街もとても心地良いです。これまでの経験から、名城の在る地に美食無し、というのが持論だったのですが、ここ小田原と姫路は、例外的にシーフードが旨く、何よりも都心から近いので、江の島よりは足を運んでしまいそうです。少なくとも季節ごとの花々や紅葉には訪問したいと思いました。
さて次回は名城シリーズ繋がりということで、房総半島真っ只中、君津市は久留里の山里にひっそりと佇むお城を訊ねて、Speedpanchro28mmf2と旅してきた様子をレポート致します、乞うご期待!!
- 2021/06/27(日) 17:09:04|
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さて、今宵の更新ですが、予告通り、と云いたかったところなのですが、北海道に行ってから一か月後、花のシーズンの小田原城を12時前着、16時前発という駆け足スケジュールで撮るだけ撮った中からハイライトシーンをお送りしようと思ってストックを探していたら、なんと不覚なことにも1月に、実質、初訪問した時の小田原での撮影結果をまたレビューしていなかったことが判明、急遽、同じテーマで、Baltar25mmf2.5改Mではなく、別レンズで撮ったものをお送りし、6月のものはその翌週回しとさせて戴くことと致しました。
まず、当日の簡単な行程ですが、小田原と云えば、おそらく首都圏ではダントツに魚介料理が安くて旨いお店の揃っている土地柄、ランチタイム前に乗り込むのが、大人のお作法ですから、初日は11時半過ぎの小田急線で小田原駅に着き、予め調べておいた、ちょっと小洒落た店構え、内装もポイント高い「Sakana Cuisine Ryo」さんで至極の海鮮丼2000円(税込)を戴き、しかるのち、駅至近の宿に荷物を預かって貰い、登城コースを辿ったのでした。
では、さっそく、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
機材はカメラが富士X-Pro2、レンズが1~6枚目までがSoligor35mmf2.8L、7~15枚目までがSpeedPanchro28mmf2.0mod.M by FGWG、全コマ開放でのAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、豪華な海鮮丼を驚くほどリーズナブルな価格で食べられ、やはり小田原は素晴らしいところだ♪とひとりごちて登城ルートであるお濠端通りを歩いていたら、空き地の角に「史跡小田原城址」という古めかしい武骨な石碑の付近、おそらくは城郭の石垣の一部に使われていたであろう巨石の上で、いたいけな男女の童子が戯れていたので、これ幸いと一枚戴いてみたもの。

二枚目のカットですが、道案内の表示板に従って、お濠端通りを南へ50mも歩くと、櫓が建っているお濠端が見えてきて、そこに架かる赤い古風な佇まいの橋が目に留まったので、歩きながら何枚か撮ったうち、橋の手前までやって来て、細部の造りまで見て取れる位置に立ったので、正式名を「学橋」という赤い橋と背景に二の丸址の佇まいを入れて一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、お濠端通りを更に歩くこと100m弱、やっと正規の登城ルートである馬出門、そしてそこから馬出曲輪を経て銅門へと続く位置まで辿り着いたのですが、馬出門と通りを結ぶめがね橋を渡ってすぐに北方に見える二の丸址に建つ二の丸隅櫓の白亜の外壁が美しかったので、思わず足を止め、青空を背景に水鏡に映る姿も入れて一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、平成になって復元された馬出門をくぐり、細かい玉砂利が敷き詰められた馬出曲輪の中に足を踏み入れると、目の前の松林の中に純和風の入母屋造りの屋根の下が洋風の白い下見板張りという、まさに和洋折衷の二階建ての建物が目に入り、この不可思議な佇まいに惹かれて、近寄ってみると、どうやら小田原ガイド協会というNPOの事務所のようで、要はガイドさんの詰め所ということだったのですが、なかなか趣きある建物だったので、全体が入る位置までバックして一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、馬出曲輪の先は、可愛い木造太鼓橋である住吉橋を経て、これまた平成になって復元されたという銅門がそびえる銅門広場へと足を踏み入れるのですが、住吉橋の手前がどうやら記念撮影スポットになっているらしいので、そのスマホン設置台の位置から、住吉橋、漆喰塀、銅門を収めた構図で一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、銅門をくぐり抜けると、いよいよ、お目当ての白亜の天守閣が凛とそびえ立つ、本の丸の丘陵の真下、常盤木門へと繋がる赤い太鼓橋の袂まで辿り着くのですが、この時期、桜はまだ早い時期でしたが、温暖な小田原のこと、梅はもう十分に盛りになっており、訪れる人々も少ないこのご時世ながら、精一杯咲き誇っていた桃の濃いピンクの花々に惹かれるものがあり、常盤木門をバックに一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、銅門の広場からも少しばかり見えてはいたのですが、常盤木門を抜けた広場からは、真っ直ぐ正面の高い石積み天守台の上には明治期に解体されたものの、市民の寄付により1960年に鉄筋コンクリートながら、複数現存する図面、木組み模型をもとに忠実に再現され、2016年に耐震補強、外壁リニュアルを受けた復元天守閣である小田原城天守閣が見え、中学校の修学旅行以来の再開だったので、感慨深く、一枚戴いてみたもの。

八枚目のカットですが、この時は、憎っくき新型コロナことCOVID19蔓延防止対策として天守閣への入場は出来ず、仕方なく、本の丸の中を散策し、その真下の、二宮金次郎を祀る報徳二宮神社へお参りして、海岸方面へ歩いてみることとし、ほどなく御幸の浜へ到着し、海岸の平面テトラポットの上に置かれた真っ白い流木の姿を撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、御幸の浜には、荒久灯台という海上保安庁管轄の無人灯台が設置してあり、突堤の先に、赤い、ちょうど、3mもの巨大なライフル弾薬莢のボトルネックの辺りに水門などの開閉ハンドル状の環が設けられているような佇まいの本体があったので、突堤先端で釣りをしていたご婦人にエキストラ出演願い一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、突堤を歩いて灯台本体に向かっていた時から気にはなっていたのですが、地元のいたいけな高校生カポーがずっと海を眺めながら、いかにも青春を謳歌しているような状況だったため、男子校出身で、こういうシチュエーション皆無だった工房主は、やっかみもあって、放って通り過ぎるワケにもいかず、声をかけて、後姿モデルになって貰ったもの。

十一枚目のカットですが、撮ったあと、話をしていたら、記念に前から撮って欲しかった云々言ってましたが、相手は未成年、親に知れたらどんなクレームつけに怒鳴り込まれるかも知れないので、あ、今日は時間無いのでゴメンね、とか心の中で手を合わせてその場を立ち去ってすぐにボーダーコリー連れたご老人から、それライカですか?とか浜辺で声掛けられたので、いえいえ富士ですねん、元は小田原の会社ですよとか言って、写りをデモンストレーションするため、愛犬を撮らせて貰ったもの。

十二枚目のカットですが、そろそろ陽も傾いてきたし、駅周辺に戻ってお茶してから宿にいったん戻ろうと思い、勘を頼りに大通りへの道を歩いていたら、幼稚園を過ぎた辺りで、「槙島ランドリー」なる、潮風に長年晒され、剥げかけたオール木製の看板を破風部に掲げた元店舗と思しき住宅の前を通りがかったので、何とか画面に収めようと苦心惨憺、斜めに撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、大通りまであと僅かという辺り、ちょうどかまぼこ通りの一本南の通りを歩いていたら、「海岸通り」という、如何にも湘南的ネーミングの、潮風に晒されたカンジの木製看板が掲げられた渋い店先の造作も、また通行人の目を楽しませようという、樽の上一杯に植え付けられたビオラ、パンジーの類いもなかなかイイ雰囲気だったので、思わず足を止め、一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ここもかまぼこ通りの一本南の通りで、そろそろ大通りの喧騒が聞こえてきそうな辺りを歩いていたら、道の反対側にそれこそ、京都の烏丸通りとか、金沢の兼六園下辺りに在ってもおかしくないような佇まいの、それでも、海の近くの床屋を意識したのか、木部は涼やかな水色に塗り分けられた、元バーバーの建物を見かけたので、またしても足を止めて一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、大通りを北上し、そろそろ駅ビルも見えてきた辺りには、ここ小田原でも夜の繁華街は存在し、関東の外れではあるものの、やはり、何となく、京都や金沢辺りのスナックなどが建ち並ぶエリアの如き既視感を催させる街並みを見つけたため、緊急事態宣言下で、行き交う人もまばらなものの、ちょうど大通りから足を踏み入れ、スマホンチェックする小姐が現れたところで一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、小田原は都心から近いし、シーフードは旨いし、由緒正しい外観復元天守閣は存在するし、大規模な空襲は無かったので、市内に魅力的な古建築が点在しているし、これはもっと気軽に足を運んでも良いな、と思いました。少なくとも、アクセスの難易度からすれば、江の島とそう変わりませんので・・・
さて次回は正真正銘、花の季節に訪れた小田原二回目、ランチ後、ティータイムまで、Baltar25mmf2.5で撮りに撮ったカットから厳選してご紹介します、乞うご期待!!
- 2021/06/20(日) 20:18:37|
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さて、今宵の更新ですが、予告通り、久々の深川秘宝館、国産物故メーカーのゾナータイプの雄、Tanar5cmf1.5、修復上がりの、まさに名刀の切れ味をお送り致します。
まずこのレンズの氏素性ですが、このレンズを産み出した田中光学については、Wikipediaにて、
「元はシネ用レンズやアクセサリー、ライカ用アクセサリーを主に製造する会社であったが1953年(昭和28年)にコピーライカのタナックを発売してカメラメーカーとなったが1959年(昭和34年)に倒産した。」との極めて簡単な説明しかなく、そんな泡沫メ-カーであったにも関わらず、50mmの標準レンズはf3.5から幻のf1.2まで7種類も発売していた、という50mmには思い入れのある?キャノンと同じような布陣が謎とされています。
今回のf1.5は倒産寸前の1957年に発売のパララックス補正付アルバダ式フレーム付、一軸不回転式で最高速1/1000まで備えた高級機のタナックSD用の高級レンズとして発売されたとのことで、3群7枚のゾナータイプ、実は工房に来た経緯も都内某所でボディと一緒に売りに出されていて、ボディもレンズも修理が不可欠ということで、或る好事家の方と共同で買って、レンズを引き受けた、ということでした。
では、早速、この幻の銘玉の修理上がりの実力を逐次眺めて参りましょう。ボディはLeica M(TIPO240)、全コマ絞り開放によるAE4撮影となります。

まず一枚目のカットですが、実はこの前の週に富士フィルム様からX-pro3とFujino50mmf1.0の広報機を拝借し、試写を行って、ロケハンを行っていたため、このスペシャルなレンズの試写もまだ桜の咲き残る浅草界隈で行おうと思い立ち、ご丁寧にランチまで同じお店で戴いてから、観音裏から三味線堀公園経由、今戸へ抜けようと思い、山谷線堀公園の桜並木の間から顔を出すスカイツリーの雄姿を一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、ここ山谷堀公園は、大正の初期くらいまでは吉原から大川に繋がる水路で、江戸の昔は、大川から猪牙舟でここに漕ぎ入れ、そのまま流れを遡って、吉原大門の近くの船着き場まで繰り出す、というとても優雅なお遊びの舞台だっただけあって、公園内のオブジェも都市の記憶と云えるような示唆に富んだものがしつらえてあり、その中で「雀百まで踊りを忘れず」という格言をアルミの鋳物で具象化したものがなかなか秀逸だったので、足を止めて至近距離で一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、山谷堀のどんづまり、即ち都道314号線こと言問大谷田線との合流点を左手に進んで3分も歩かないうちに沖田総司終焉の地、かつ招き猫発祥の地、女性宮司で有名な今戸神社に到着するのですが、あいにく前週と違い当日はモデルさんになってくれそうな雰囲気の小姐各位が見当たらなかったので、絵馬を眺めるグループ客の後ろ姿を撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、前週はお賽銭も上げずご無礼したので、お賽銭を上げて心ばかりのお参りを済ませ、立ち去る前に何か面白いオブジェでも、と注意深く本殿周りを徘徊してみたら、肝要植物の野生化したみたいな不可思議な植栽の真ん中に赤い耳に前掛け、全身金泥で輝く如何にも金運呼び込みそうな招き猫の人形が目に付いたので、有難く一枚戴いてみたもの。

五枚目のカットですが、同じく今戸神社の境内で、先ほどグループ客各位が手に取って眺めていた絵馬の奉納スペースを本殿サイドから南の空に向かって眺めてみると、露出は難易度超高しですが、背後にスカイツリーの雄姿が収まり、なかなか構図としては面白いので、EVFを覗き、露出補正とAEロックを駆使して何とか文字・図柄まで辛うじて判読出来る状態で撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、今戸神社の次は、前週はそれなりにきちんとお参りした聖天社は失礼して、浅草寺は境内に入ることなく奥山から西参道方面へと抜け、合羽橋経由、上野に抜けてしまったので、浅草寺から仲見世界隈を撮ろうと思い、速歩きで待乳山の下を通った時、下の公園で、いたいけな童子達の遊ぶ声が聞こえたので、足を止めて、ブランコで遊ぶその姿を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、浅草寺病院東側の北側の出入り口から本堂に向かって歩いていくとソメイヨシノはもはや盛りを過ぎて、殆ど葉桜となってしまっていましたが、それと入れ替わるように濃いピンクも艶めかしい八重桜が盛りを迎えつつあって、木立の影から、総チタン葺きの黒々とした大屋根の威容も見え隠れしてきたので、適当な辺りで足を止めて一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、手水舎で手と口を清め、本堂にお参りして清々しい気分で階下に降りたとたん、いたいけな小姐二名に呼び止められて、本堂前で二人の記念写真撮って欲しい、出来れば、パナソのミラーレスでも・・・ということだったので、ふたつ返事でお引き受けし、代わりにモデルさんになって貰ったもの。

九枚目のカットですが、奥山方面に移動しながら、記念撮影している人の多い影向堂近辺で、いたいけな観光客にでも声掛けようかと本堂前を歩き出した途端、本堂西側テラスに着物の一団がたむろして、思い思いの自撮り棒で、大声で何か主張しあいながら記念撮影みたいなことをやっていたのが目に付いたので、下から駆け上り、久々の中国語で話し掛けて、モデルさんになって貰ったもの。

十枚目のカットですが、上で話し掛けて撮って、背面液晶見せながら、通訳してくれる人経由、撮ったのを後で送って上げるねとか話をして、手を振ってまた下に降りた途端、下から一部始終を見ていたとのことで、バングラデシュから来たというお二方に呼び止められ、我らもお願いしたいとのことだったので撮って上げて、後で送る約束したもの。

十一枚目のカットですが、今日はずいぶんポートレートを撮ることが多く、ミラノとかバルセロナでのスナップみたいだなぁとか独り言ちて、ふと本堂下の巨大香炉に視線を走らせると、明らかに国産と判る、いたいけな小姐一個分隊が、他人様の上げたお線香の煙で御利益の端くれでも頂こうと、他力本願寺みたいな行動していたので、有難く反対側から一枚戴いてみたもの。

十二枚目のカットですが、奥山方面へ移動するのをすっかり放念上人し、境内の定点観測スポットの巡回モードに入り、まずはお御籤売り場へ足を運んだところ、お参りの御利益か、いたいけな極小姐が若いヲヤヂさんと一緒にお御籤なんか抽いて、難しい文字なんか読めないはずなのに、一生懸命、籤に書かれた図柄をもとに内容を読み解こうとしていたので、その努力に感じ入って、後から一枚戴いてみたもの。

十三枚目のカットですが、そろそろ奥山界隈と、例の風車の弥七オブジェなど撮りたいと思い、再び本堂方面へ足を向けたところ、本堂下の寺行事掲示板の下で、自撮り棒が機雷なのか、或いは単に宿に忘れてきたからなのか、腕を精一杯伸ばして、二人の記念撮影をスマホンで撮ろうとしているベトナム人の兄ちゃんが居たので、見るに見かねて声を掛けたら、大喜び、何枚か撮って上げたお礼にモデルさんになって貰ったもの。

十四枚目のカットですが、奥山方面に歩いて行って、影向堂の手前辺りで、またしても、スマホン片手に道行く人々を目線で追ってる小姐二名組が目に留まったので、記念撮影ですか?良かったら撮って上げましょうか?心臓停まるくらい上手いですよ♪とか適当な自己PRしたら、そんなに上手くなくてもイイですけど、お願いします、ということで、何枚か撮って上げたお礼にモデルさんになって貰ったもの。

十五枚目のカットですが、美人茶屋あずまさん裏の扇子屋さん店頭の大和絵団扇が定点観測スポットの一番目であるとしたら、本堂を抜けて西参道入り口付近にしつらえられた、常盤堂プレゼンツの壁面一面の風車、通称?風車の弥七オブジェはまさにトリで、今回の試写の締めとして、いつもの通り、壁面ギリギリ斜めからその中の一枚にピンを合わせて撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、物故メーカーの中でも、レンズを自社設計していたズノーこと帝国光学、そしてペトリ、ミランダは作例も多く、また工房でも過去に何回か試写したことがあったので、実力のほどは良く判っていたつもりですが、この田中光学の、しかも、Nikon、Canonですら、開放撮影でのハロや近距離撮影での球面収差、像面湾曲等に悩まされたf1.5のゾナータイプで、まさにオリジナルのオプトン製並みのシャープネスやコントラストを発揮する性能には心底驚かされました。実際には2月の京都旅行で実力のほどは判っていましたが・・・
さて、次回は、再び遠征のため一週スキップ、その翌週はBaltar25mmf2.5で撮った花の季節の小田原城界隈の写真をご紹介、乞うご期待!!
- 2021/06/06(日) 13:54:21|
- 深川秘宝館
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