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深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

Trace remains of modernization in the oldest city~Kyoto Photographic Tour ’21.June②~

さて、今宵の更新ですが、予告通り、6月最後の一時帰休を利用して訪問した京都穴場観光ツアーからお送りする、第二回目をお送り致します。なお、二回構成とする予定でしたが滞在三日目に精力的に撮り歩いたおかげで、三日目だけで15枚選ぶのも一苦労となりましたので、急遽三回構成とさせて戴きます。
まずは簡単な行程の紹介ですが、6/12は朝8時起床、駅前地下街で簡単な朝飯を食べ、地下鉄・バス共通一日乗車券を買い求め、地下鉄烏丸線で宝が池の国際会館まで移動、そこから府営バスで一路、大原を目指し到着したのが、11時半の少し前。そのまま、案内板の示す径路に従って、まずは三千院を目指し山のせせらぎ沿いの道を歩くこと約20分、そのまま三千院に入り、建物、庭園を拝観しつつ撮影し、門前で極めて満足度の低い蕎麦屋ランチを食べてから周囲の塔頭などを撮影してからまた元来た道を辿りバス亭に戻り、またバスと地下鉄を乗り継いで市内に戻り、駅前でバスを乗り換え、前回訪ね損なった北野天満宮近くの茶屋街を訪問し、しかるのち、体力に余裕あり、日没まではまだまだ時間有ったので、北野エリアから駅前に戻る途中に位置する「紋屋の図子」の趣きある路地を撮影し、その日の撮影を終了したもの。ホントはまだ体力には自信あったのですが、歩数が25000歩を超えてしまっていたので、最終日は出発までに清水寺の舞台の撮影をしなければならなかったため、大事をとって、切り上げた次第。
では、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

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まず一枚目のカットですが、大原のバス停から案内板に従って、山あいの小路を歩き出してすぐ目に留まったのが、ここ大原というか、八瀬、大原地区の名産である漬物、それも、全国的に有名になっているという柴漬の主原料である、アントシアニンたっぷりの柴を一面に栽培している畑があったので、背景の山の集落の佇まいを入れて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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二枚目のカットですが、三千院方面の道のりの途中、山あいの土地の特徴でしょうか、開けたところに何軒かの物販店やら飲食店が集まるような構成になっていて、柴畑のちょっと先の道の反対側にも、ちょっとしたミニ商店街みたいになっているエリアがあり、その一角に大原女の石仏っぽいデフォルメした石像と並んで、今を盛りに紫陽花の花が咲き誇っていたので、商店街をバックに最短距離で一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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三枚目のカットですが、川沿いの細い、車一台通るのがやっとという坂道を上っていくと、川面と反対側の物販店の上の道路上にひさしというか張り出し屋根のような覆いが架けられており、当然のことながら木立の中のせせらぎ沿いの路上に更に覆いがかけられている以上、店の前は昼なお暗い状態になっていますから、店頭の商品には煌々と点されたスポットライトが照らされており、それを遠巻きに眺める観光客のヲッチャンがやってきたので、ここぞとばかりに一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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四枚目のカットですが、せせらぎ沿いの小路を抜けると、三千院の門前付近は急に辺りが開け、あたかも戦国時代の山城のように高い石垣の上に建つ三千院の付近の道沿いには、建物の一部が渓谷にせり出した格好になっている飲食店、物販店の類いが建ち並び、このCOVID19蔓延下のご時世ですから、何店かは店を閉めていましたが、開けていた店には、数少ないとは云え、それなりの観光客が足を休め、お茶に甘味など楽しんでいたので、その様子を一枚戴いてみたもの。
カメラはFuji X-Pro2、レンズはSpeedpanchro28mmf2.0改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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五枚目のカットですが、ここ三千院は、17歳の頃、田舎の高校の修学旅行で来たことがあるようなないような、金閣寺や清水寺、平等院に比べると地味で渋い京都の街はずれの名刹ですが、年老いてから訪問してみると、実は明治期に殆どが作られたという比較的新しいお寺でも、伝統工法に則って作られた木造の寺院建築は心が休まりますし、それ以上に梅雨手前の時期であったため、庭園が植物の葉と地面の苔による緑一色の世界になっていて、そこに木漏れ日が射し込むという景色がとても素晴らしかったので、園内を散策し、一番よさげな辺りで撮ってみたうちの一枚。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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六枚目のカットですが、無事、拝観と中の撮影を終え、やっとランチの時間だ♪と思い、観光地に有りがちな、高くてもそこそこ旨い、か高くてまずい、のどちらかという、出来れば避けたい選択をしなければならないため、辺りをよくよく眺めて回っていたら、木立の中の砂利道を涼し気な格好のカポーが繋ぐでなし、適度な距離感で歩いてきてすれ違ったので、有難く、エキストラ出演願ったもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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七枚目のカットですが、京都駅経由、移動した次なる撮影エリアの北野茶屋町で、最寄りのバス停である「上七軒」から降りて目抜き通りに斜めに繋がった通り、「上七軒通り」を歩いてすぐのところで目に留まった、瓦屋さん、或るいは鬼瓦専門店みたいな屋根の上から店先の引き戸の脇に至るまで、とにかく、全部違った格好の巴瓦が通りに向かって据え付けられており、これでは2月節分の時も豆まきの必要なんかなかろうなと思い、一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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八枚目のカットですが、この「上七軒通り」沿いの北野茶屋街は、短さでいえば、花見小路と比べても半分よりちょっと長い程度でお店の密度も低いですが、実は歴史としては、祇園エリアよりもまだ古いとのことで、こんな時期だから観光客もまばらなのかなと想いながら、珍しく昼夜通し営業を行っていたうどん屋さんの店頭を地元民と思しき妙齢の中姐二名が通り過ぎる瞬間を見計らって一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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九枚目のカットですが、もう目の前の、石を投げれば届きそうなくらいの距離に、北野天満宮の東門が見えかけてきた辺りにもなかなか風情のあるお茶屋さん、ここは花見小路やら祇園新橋のように居抜きリノベのお店が表通りに散在するのではなく、見た目そのままの本物の一見さんお断りのお茶屋さんのようで、写真を摂ろうかいなと思った矢先にこれまた地元民の妙齢の中姐が自転車でエキストラ出演戴いたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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十枚目のカットですが、京都の良いところは、街撮りして歩く身にとっては、表通りのみならず、裏通り、路地裏にも、なかなか趣き深い世界が広がっているということで、ここ北野茶屋街も例外ではなく、「上七軒」通りの店と店の間のそれこそ大人二人がすれ違うには譲り合いの精神を必要とするような通りにも独自の世界観が広がっており、大胆な紅白ツートンに塗り分けられた壁の先の住宅街との接点に掲げられたおでんの提灯を面白いと思い一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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十一枚目のカットですが、同じく北野茶屋街沿い、紅白壁の路地の少し先にもこれまた、モンスーンアジア的な佇まいの路地があって、ここもせいぜい半間、建物の壁に挟まれて大人二人がすれ違うのがやっとという狭い空間が屋根のてっぺんまで続いているという、台湾は鹿港の擦乳巷やら
北京の胡同、或いは上海の石庫門を彷彿とさせるような雰囲気が面白く、足を止めて入り口から一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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十二枚目のカットですが、もう通りを渡れば北野天満宮の東門という辺りまできたところで、先ほどまで歩いてきた北野茶屋街を振り返ってみれば、実はその一本北にも密度こそ低いものの、茶屋街のような佇まいの通りが伸びており、ちょうど、黒い格子の嵌ったお店の前を地元民と思しき一家がやって来たので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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十三枚目のカットですが、程なく北野天満宮の東門の前に到着し、北野茶屋街の探検はおしまい、京都駅方面の地上に位置する、次なる目的地、「紋屋図子」を目指すべく、北野天満宮南のバス停から「今出川大宮」のバス停まで乗って、前回来たばかりなので、途中幾つかのランドマークを辿り、「紋屋図子」こと「三上家路地」の向いに建つ町屋の佇まいを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはAngenieux35mmf2.5改Mによる絞り開放AE撮影となります。

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十四枚目のカットですが、無事、「紋屋図子」こと「三上家路地」に辿り着き、前回も目を惹かれた、路地の半分より少し奥に位置する陶芸教室店頭の看板代わりの巨大な唐津焼っぽい甕をモチーフに路地奥の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはFuji X-Pro2、レンズはSW-Heliar15mmf4.asph.による絞り開放AE撮影となります。

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十五枚目のカットですが、レンズの選択と向ける角度を最適化しないとなかなか通りの表情が撮りにくい「紋屋図子」こと「三上家路地」の最深部から通りの入り口方向に向かっての撮影でしたが、露出をEVFで見て調整出来るミラーレスに歩があり、M(TIPO240)とAngenieuxで撮ったものより、暗部が潰れず、絶妙な露出で細部まで描写されているので、こちらを採用したもの。
カメラはFuji X-Pro2、レンズはSW-Heliar15mmf4.asph.による絞り開放AE撮影となります。

さて、次回は再び、お城を巡る冒険に遠出しますので一週スキップ、再来週末に京都編最終回をお送り致します、乞うご期待!!
  1. 2021/07/18(日) 19:41:49|
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Trace remains of modernization in the oldest city~Kyoto Photographic Tour ’21.June①~

さて、今宵の更新ですが、予告通り、6月最後の一時帰休を利用して訪問した京都穴場観光ツアーから二回にわたってお送りする、第一回目をお送り致します。
まずは簡単な行程の紹介ですが、6/10の木曜日、翌金曜日は奉公先が構造不況業種であるが故の特権、月に二回のお楽しみ、一時帰休となっていたので、これまた裁量労働制の特権を活かし、15時上がりのフレックスで、前週に新宿のチケットバッタ屋さんで買い求めておいた京都⇔東京ののぞみの指定席回数券を使って、18時過ぎに京都に入り、前回同様、駅前のアパホテルにチェッキンし、そのまま荷物を置いて、前回なかなかイイ印象を持った祇園新橋へ出掛けたものの、蔓延防止等措置法のおかげで殆ど真っ暗な街並みを歩き、それでも何カットか撮影し、ほどほどで戻り、駅前で旨い晩飯を戴いてから宿に戻って、人工温泉の大浴場で寛いでから熟睡、翌日は8時台前半起床で9時半過ぎに宿を出て、駅前で朝飯食べてからまずは八坂神社へお礼参り、次いで南禅寺へ用足しに向かい、それを終えてからいったん駅前に戻り、駅ビル食堂街でランチ取って、それからJR奈良線で、伏見稲荷、桃山と巡って撮るだけ撮ってから、また市内に戻り、日暮れ前までに祇園の石塀小路、二年坂、三年坂と巡って、最後は法観寺の下の通りを通って、バス通りに戻り、駅前に戻ってお仕舞い、というのが、今回アップの行程のあらまし。
では、前半二日間の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
1~5枚目がLeica M(TIPO240)+Nikkor5cmf1.4L39、6~15枚目がElmarit28mmf2.8による全コマ開放によるAE撮影となります。

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まず一枚目のカットですが、宿に荷物を置いてまず向かったのが、京都の夜の原風景と云えば、有象無象の修学旅行生やら田舎からの社員旅行の酔っ払いが跳梁跋扈する寺町やら新京極などではなく、やはり石畳に木の塀が映える祇園界隈ですが、先斗町が自粛により火が消えたよう、というのは東京でも知っていたので、前回訪ねた祇園新橋/白川界隈がよかろうと思い、駅前から乗ったバスで最寄りの四条河原町で降りて、入り口のカフェが店は閉めているものの、店頭のデスプレィは煌々と照らしていたので、有難く一枚戴いてみたもの。

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二枚目のカットですが、白川にかかった橋を渡りまずは白川筋を東に向かうこととし、細い川ながら轟々と流れるせせらぎを右手に見て歩いていきましたが、殆どのお店は灯りを消して営業自粛、前回来た時とは打って変わって、しんとして火の消えたような街並みを歩きながら、これも今しか撮れない貴重なシーンと思い直し、やはりこんな時期にやってきた変わり者の小姐観光客に通行人で入って貰って、一枚撮ってみたもの。

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三枚目のカットですが、実は白川筋界隈では都内と異なり、魔界都市京都の面目躍如とばかり、ところどころしか街灯が点されておらず、しかも画になりそうなお茶屋さんの建物が入るところは幾つもないので、必然的に同じ位置から水平方向360°を撮影対象とせざるを得ず、くだんの小姐が会釈して通り過ぎていって、暫くしてから後ろ姿も街並みの借景として一枚戴いてみたもの。

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四枚目のカットですが、ここ京都も当時、飲食業が8時閉店となっていて、確実にメシを戴くには7時半、お店を選びたいのであれば19時20分には食堂街に着いていなければならないので、正直、真っ暗な街にはあまり色気も感じず、かといって、人出が無いぶんはクルマの往来で、みたいな花見小路など行きたくもなかったので、再びバスで駅前に戻ろうと思いながら、白河筋の一本北の新橋通りを歩いていたら、ちょうどイイ雰囲気の街並みを自転車の小姐とヘッドライトを煌々と付けた乗用車がすれ違ったので、その瞬間を一枚撮ってみたもの。

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五枚目のカットですが、新橋通りも鴨川沿いの目抜き通りである川端通りにぶつかる手前まで来た辺りで、粋な黒塀見越しの松に婀娜な姿の洗い髪♪などという昭和の有名歌謡曲に出て来そうな雰囲気のお店の玄関口がスポットライトで煌々と照らされていて、しかも嬉しいことにジモティでしょうか、いたいけな若いカポーが歩いてきたので、足を止め、ちょうど前にさしかかる辺りで一枚撮ってみたもの。

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六枚目のカットですが、翌金曜日は早起きの甲斐あって、バスも空いていたし、天気もかなり良かったので、安い切符に安いホテル、これも前々回、お賽銭を25円しか上げられず、今度借りを返しますからまた来させて下さい、とお願いし、前回は利息も含め300円お賽銭上げた八坂神社のご利益と思い、それ以上にまだCOVID19とは無縁の生活を送れているのも疫病徐けの総本山である、ここ八坂神社の功徳と思い真っ先にお参りして帰り際に南門方面を振り向いたら、車夫の兄ちゃんが通り掛かったので、有難くご出演願ったもの。

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七枚目のカットですが、無事参拝を終え、また元来たバス停まで徒歩で戻り、次なる目的地、南禅寺を目指したのですが、何も少し早い古都でのランチを観光地価格と歴史の重みとやらで法外に高い湯豆腐で摂ろうなどと思うはずもなく、今回の旅を衝動的に思い立った理由である、南禅寺境内のと或る産業近代化遺産を見て撮ってみたいとの思いでお寺に向かい、一心不乱に歩きながら、ふと魔がさして、夏の京の町屋的景色を見かけたので足を止めて簾のこの手前の青いカエデを撮ってみたもの。

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八枚目のカットですが、バス停から歩くこと10分弱、まず出迎えてくれるのが、伝説やそれを元にした歌舞伎や大衆演劇の世界では、かの石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と独りごちたという南禅寺境内随一のランドマーク、国指定重文の巨大な木造建築「三門」ですが、木立などもあちこちにあって、十分なクリアランスとれず、なかなか28mmの画角でも切れずに収めるのは難しいため、通り過ぎてから一枚撮ってみたもの。

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九枚目のカットですが、やっと目の前に現れたのが、先日「世界ふしぎ発見」で紹介されていた、南禅寺「水路閣」という1885年着工、1890年竣工の、一見、古代ローマの水道橋を彷彿とさせながら、それでも全体的には和としての美意識を発散させている、古都京都の誇る産業近代化遺産のひとつで、実は京都には数十回来ていたのにテレビで見るまでは存在すらしなかった先人の偉業を是非ともこの目で見るべく訪問し、まずは和の趣向で一枚撮ってみたもの。

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十枚目のカットですが、ここ「水路閣」は琵琶湖からの疎水ルート中、山を刳り貫いた水路の地上の一部分にしか過ぎないのですが、その最上流部に位置するという明治期の隧道水路もせめて出口部分だけでもひと目みたいと思い、水の流れてくる方向へと斜面を登りながら、先ほどのローマの水道橋風の表情とはまた変わった佇まいのアングルで一枚撮ってみたもの。

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十一枚目のカットですが、「世界ふしぎ発見」では琵琶湖疎水に関する特集で、ここ「水路閣」と「蹴上インクライン」そしてその下を潜り斜めに横断する謎の隧道「ねじりまんぼう」が紹介されましたが、水路閣から徒歩10分ほどの次なる目的地、「蹴上インクライン」の線路というか元軌道の遊歩道に出たら、式の前撮りご一行様がいたので、遠慮なく借景で入って貰ったもの。

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十二枚目のカットですが、南禅寺・蹴上地区での撮影も無事終わり、最寄りのバス停まで歩くのがちょっとしんどいというか、午後はもっと歩くことになるので、一日の歩数を2万歩以内に抑えたいとの思いもあって、「ねじりまんぼう」の前の地下鉄に乗って京都駅まで戻り、ランチ後、JR奈良線に乗って、伏見方面へと移動する途上、イイカットが撮れそうな予感がしたので、稲荷駅で途中下車し、参拝がてら千本鳥居を歩き、何枚か撮ったうちのベストショット。

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十三枚目のカットですが、稲荷駅から各停で2つめの駅である桃山駅から、更に山奥の方向に向かって徒歩25分という、まともな観光客なら、中へも入れて貰えない廃墟同然の模擬天守閣など訪ねようとは思わないのですが、そこはそれ、いったん思い込んでしまうと、やり遂げないという何事にもこだわりの工房主ですから、今回の京都旅行の目的は、「水路閣」周辺の産業近代化遺構群とここ桃山伏見城をこの目でしかと見届けることだったので、梅雨前ということもあり、鼻歌気分で山道を登って、見るも無残な大手門を潜ると、それなりに手入れはされた庭園越しに見えた模擬天守閣の写真を嬉しくなって一枚撮ってみたもの。

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十四枚目のカットですが、無事、桃山伏見城を見届け、いつか耐震補強工事を受け、また地域や京を訪れる国内外の老若男女の観光客に愛される日が来ることを願いながら再びJRの駅に戻ってそこから京都駅に戻り、日暮れまでに枚数稼ぎたかったこともあって、駅前のバスターミナルから祇園方面行きのバスに乗って、東大路通り沿い最寄りのバス停「東山安井」で下車し、そこから石塀工事を経て、二年坂に入った辺りで閑散とした通りに観光客の小姐二名組がやってきて、土産物店を物色していたので、有難くご出演願ったもの。

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十五枚目のカットですが、実は今回の京都旅行は、個人的な産業近代化遺産巡りと城探訪の他に奉公先での大事なプレスリリース用のカットも自分で撮らなければならなかったので、清水寺の舞台が見える奥の院にも行かねばならなかったのですが、時間も時間の上、とうに2万歩も軽く超え、次の日も山道をかなり歩くハードワークになる予定だったので、法観寺を眺めながら引き揚げる途上で撮ったもの。

さて、次回は、実に40年ぶり、実は来たことがあったのかどうかすら記憶が定かではない、京都屈指の観光地、普段あまり使わない大柄なフランス玉達と巡った大原ツアーと翌日の清水寺訪問などをご紹介致します、乞うご期待。
  1. 2021/07/11(日) 19:57:39|
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The source of Japanese mental~ Chiba Castle Tour①~

さて、今宵の更新ですが、予告通り、房総半島真っ只中、君津市は久留里の山里にひっそりと佇むお城を訪ねSpeedpanchro28mmf2改Mと旅してきた様子を、と思ったのですが、それ以前、いや京都訪問直前に週末二日間かけてその前座とも云えるような、郷土資料館として建てられた千葉市ど真ん中と久留里城ご近所に建てられていた天守閣を、これまた渋いCanonNFD20-35mmf3.5Lをお供にX-Pro2で撮ってきましたので、お付き合い下さい。
まず二日間の簡単な行程ですが、5月GW明け後二週目の週末、その次の週は会社の一時帰休を利用して、京都旅行へ出掛けるというのに、フラフラと出歩く癖がまた出て、関東近傍のお城を気軽に見て回ろうと思い立ち、まずは一番手っ取り早い千葉市のお城を見物しようと考え、ランチを千葉駅で食べる前提で、11時近くに家を出て、12時過ぎに着いた千葉駅の駅ビルでエスニックフードを戴き、なかなか良い気分で、都市モノレール真下から出ている市バスに乗って、20分ほどでお城のすぐそばのバス停に着き、バス停から見える白亜の天守閣を目印に小高い丘をぐるっと北西から南東へ回り込む格好で本の丸?へ到達し、そこから入場無料の天守閣へ登城、中を見物してから、周囲を見て回り、雨が降り出してきたので、傘をさして、すぐ近くの県庁前モノレール駅まで移動、千葉駅に戻って、お茶とイチゴパルフェなどを戴き、その日は深川へ帰宅。翌日は、9時台に工房を出て、やはり千葉駅経由、外房線でまずは上総一ノ宮へ移動、そこから大原行きに乗り替え、いすみ鉄道の大多喜行きまでの時間があったので、駅から徒歩5分ほどの生活道路沿いにある、寿司の名店「房寿司」さんで地魚握りを戴き、また駅まで戻り、いすみ鉄道に乗って30分ほどの距離にある大多喜駅まで移動し、そこから渓谷沿いの道を歩くこと20分弱、やっと天守閣に辿り着き、見物してから、今度は重文の薬医門と大井戸を見るコースをとるべく、超ショートカットの本の丸下の大多喜高校へ下る階段を通り、駅まで戻り、また同じルートで千葉へ移動、またしてもお茶して深川に戻ったもの。
では、早速、二日下のお城どっぷりツアーの様子をお楽しみ下さい。
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まず一枚目のカットですが、千葉駅から乗った市バスが最寄りのバス停に着いてから下車し、車中から見えていた、小高い丘の上の白亜のどことなく小田原城に似せたカンジの白亜の天守閣を目指して緩い坂道を時計回りに登っていくと公園の入り口があり、そこを南に回り込むと、木立の間から、結構端正な、小田原城の弟分みたいな白亜の層塔型天守閣が現れたので、嬉しくなって足を止め、一枚撮ってみたもの。

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二枚目のカットですが、しかし、今年に入ってからも小田原城二回、松本城、そして松前城と外観復元天守閣と現存天守閣を見慣れてしまっているので、何処となく、作り物感漂う模擬天守閣への違和感、それもディテールの話なのですが、そもそも天守台の石垣が低すぎる、打込接ぎを意図したはずの石が薄く削がれ過ぎていて、タイルみたいに見える云々感じてしまい仕方なかったのですが、そこはそれ、こういう遊び心に溢れた建物を建てた心意気に免じて、登城者視線で石垣と軒下周りを撮ってみたもの。

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三枚目のカットですが、かなりの距離からも確認出来るように、この天守閣は最上階の外周を巡れる展望台になっていて、安全対策上、高欄があり、しかも何を考えたのか、それを目立つ赤に塗っているのがリアリティを損なう主因になっているのですが、それ以上に、その高欄から軒下までの高さを金網が覆っていて、まさにお子ちゃまの遊び場であるデパートの屋上然としているのを目にして内心がっかりしかけたのですが、当日は風が強く、危うく吹き飛ばされそうなカンジになったので、外に出られる構造上やむなしかと思いつつ、競合他社であるJFEの蘇我工場方面を金網越しに撮ってみたもの。

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四枚目のカットですが、外周展望回廊と高覧があるのは、お手本となったと思われる小田原城が史実に反し、外観復元の唯一の相違点とまで云われまがら敢行したため、やはり街の発展を訪れる者に見せたいという為政者の想いを、元々は木造の砦くらいしかなかったであろうと云われるこの猪鼻城址エリアに建てられた模擬天守閣が排除しようはずもなく、しっかり真似して、入場無料の眺めの良い観光名所となったものですから、その回廊越しに景色を撮ってみたもの。

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五枚目のカットですが、そろそろ空模様も怪しくなってきて、本の丸周辺の土塁やら何やらも見てから帰りたかったので、早々に下まで降りて、登城口前のドンキホーテみたいなカンジの千葉常胤殿の像をあとに、正真正銘の遺構という戦国時代初期の土塁を目指して歩き出した頃、雨が降り出そうと云うのに、妙にテンション高いトークの城女子と思しき妙齢の女性二名組とすれ違ったので、お城正面を背景に一枚戴いてみたもの。

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六枚目のカットですが、翌日は前日よりも1時間半近く千葉駅を通過し、外房線で上総一ノ宮駅を目指し、そこからまた大原駅行に乗り換え、いすみ鉄道への乗り換え時間を利用し、ランチを食べてから駅に戻って、結構な数のてっちゃんが集まり、それ以上に地域の人々の生活に密着したローカル交通機関なのだなと感じたのですが、出発前に電車の前で友達夫婦と記念撮影をして上げた若い夫妻に見送り風景を撮らせて貰ったもの。

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七枚目のカットですが、「鶴瓶の家族に乾杯」と「今夜もさだまさし」の相乗り企画の追加ロケということで、一両貸切の急行列車を見送り、発車までまだ時間があるため、誰も乗っていない車両内部の写真を撮って構わないとのことで、点検・清掃中の車両に入れて貰って、無人の客車の内部を超ローアングルから撮ってみたもの。

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八枚目のカットですが、工房主の乗る電車の発車直前に上総中野方面からの下り電車がホームに到着し、何故か、レゲェとかR&Bとかそっち系の若い家族がホームの端からその電車を出迎えようとしていて、特に末っ子の極小姐は「雀百まで踊り忘れず」ではないですが、巧みに腰を使ったゼスチャで電車到着の喜びを表現していて面白かったので後からチャッカリこんと一枚戴いてみたもの。

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九枚目のカットですが、大多喜駅に着いてから、お城の在る場所を確認すると、駅から20分ほど渓谷沿いの山道を歩いた先の小高い丘の上にあるとのことで、暫く線路伝いに歩き、200mほど進んだ辺りで右手に折れ、山道へと進み、ずっと左手に渓谷を見ながら歩いていたら、大多喜高校手前で遥か彼方に赤い橋が架けられているのが見えたので足を止め、空と渓谷の緑、そして赤い橋を収めて一枚撮ってみたもの。

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十枚目のカットですが、駅から天守閣への渓谷沿いの山道を歩いていたら、大多喜高校を過ぎて100mほど上に行った辺りで天守閣方面の案内板が出ていて、右に回り込む登り道に入ったのですが、曲がってすぐの右手、即ち本の丸の北東下に当たる位置の谷の斜面にかつては茅葺屋根が葺かれていたであろう、入母屋造りの見事な大屋根の建物を中核とした小集落があったので、これも面白いと思い、足を止めて一枚撮ってみたもの。

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十一枚目のカットですが、赤い大屋根を超したら、右手に案内板が出ていて、いよいよ模擬天守閣である「千葉中央博物館大多喜城分館」へのアクセス路に入り、木立の中の緩い曲がりくねった坂道を登っていくのですが、遥か先に途中の駐車場から降りてきたと思しき若い夫婦に子供2名の家族連れが、ハイキング宜しく歌など歌いながら山道を登っていたので、後から一枚撮ってみたもの。

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十二枚目のカットですが、山道を歩くこと正味20分弱、やっと層塔型3重3層天守閣のそびえる本の丸エリア、というか博物館敷地に足を踏み入れ、登山道からは更に敷地内を反対時計周りに50mほど歩いた先にある、入り口から登城することになるのですが、鎧集団がお出迎えする入り口の長屋みたいなところを過ぎた辺りが最も天守閣の全貌が見て取れるので、広角の威力を活かして一枚撮ってみたもの。

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十三枚目のカットですが、内部を見物すると、やはり定番の刀、槍、鎧、そして鉄砲が実物のみならず、その途中工程からカッタウェィまで置かれていて、これは松本城も小田原城も、それこそ北限の松前城まで共通した展示なので、きっと城郭マニアってのは刀剣マニアとか火縄銃、甲冑ファンも兼業してるんだろうなぁとか思い、外に出てから、大多喜高校方面へと下る前に振り返って、別の角度から天守閣の偉容を撮ってみたもの。

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十四枚目のカットですが、往きの長い山道とはうって変わって、本の丸北東から大多喜高校を目指して下る坂道は考えられないほどのショートカットで、帰ってからGoogleEathでもって調べてみたら、なんと往きの3分の1以下の距離で、一日で大多喜城、久留里城を見て回るような時には、この道で往復するのもありかな、と思いつつ、高校敷地内の大井戸、そして薬医門(二つセットで県指定史跡)を見て回り、門の袂につつじが咲いていたので、古めかしい重厚な佇まいの門をバックに一枚撮ってみたもの。

Chiba_Castle_015.jpg
十五枚目のカットですが、来た道とはうって変わって人里にすぐに戻れる下り坂を通り、歩くこと10分弱、あっという間にいすみ鉄道の線路を跨ぐ踏切のところまで戻ってきて、雨がぱらついてはきたのですが、傘をさすほどではなく、電車までの時間、城下町を見て歩こうと思い、まずは、大手門の横に電車が停車しているという、城郭マニアとてっちゃんが手に手を取って、「アイゴー!」と感涙に噎び泣きそうな風景を撮ってみたもの。

今回の感想ですが、いやはや、産まれた時から首都圏に暮らし、実際に大喜多町のお隣は君津市にも2か月ほど暮らしたことがあったにも関わらず、千葉市のど真ん中、そして房総半島のほぼ中央にこんな立派なお城があることを知ったのは今年に入ってからで、ホント、灯台もと暗し、というのは本人の関心次第なのだな、と思った次第。

さて、次回は6月最後の一時帰休を利用して訪問した京都穴場観光ツアーから二回にわたってお送り致します、乞うご期待!!

  1. 2021/07/04(日) 16:51:35|
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charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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