さて、今週は、予告通り,新規導入のフルサイズ機のシェイクダウン兼ねて、人生初の四国旅行に出掛けた高知への旅三日間からハイライトを二回に亘ってお送りする初回行きます。
まずは簡単な行程紹介ですが、出掛けたのが2月11日のお昼過ぎのLCCで成田空港発、一路
高知空港へ。そしてそこから市内に移動してからではランチタイム逃して昼抜きになる虞れが有ったので空港ビル内のレストランで食事ののち、バスまでの時間潰してから市内へバスで移動、空港から駅前のバスターミナルの一つ手前のバス停の目の前のホテルにチェッキンし、地図を貰って、お城と面会すべく地図を見ながら散策し、日暮れまで遊び歩いてから、いったん宿に戻り、小休止しから、はりまや橋付近んみ晩飯食べに出て、その晩はおしまい、翌日は、嬉しいことにホテルで桂浜往復を含めた市内バス一日乗車券が買えたので、はりまや橋そばのカフェで高地式モーニングを戴いたのち、それで土佐電本社前バス停からバスに乗り、桂浜探検、しかるのち、市内に戻り、はりまや橋近くでランチを戴き、撮り歩きながら高知城に移動し、夕方まで撮影、しかるのち、いお茶タイムを挟んで、いったん宿に戻り、また小休止、それから晩飯食べて、カメラ持ったまま晩飯に出て、戻って、二日目はおしまい。三日目は朝から小雨だったのですが、宿をチェックアウト時に荷物を預かってもらい、到着した日から気になっていた、お城の下の博物館のカフェでモーニングしてからお城に惜別しようとお城の麓まで出掛け、結局、山をぐるっと巡って搦め手から本の丸に上がり、中には入りませんでしたが、天守閣の真下まで歩いていって、時が移ろうのに任せて見上げ、別れの時がきたので、再会を約し、その場を後にし、搦め手からは近い宿まで歩いて戻り、また荷物を引き取ってからバスに乗って空港まで戻った。
こんなカンジです
では、さっそく二日間の行程に沿って、実写結果を眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、宿からお城へ向かうには、はりまや橋方面へ南下し、その手前の京橋商店街を突っ切るのが大手門経由の正規のルートなのですが、駅前をスルーしてしまうのも何なので、いったん宿の目の前の大通りを北上し、駅前広場に出てから、西に位置する高知城へ向かうこととし、駅前に到着してみれば、甲府駅の信玄公座像よりも更に二回りくらい巨大なガンダムとは云わないまでも、パトレーパーくらいの大きさの幕末三偉人「坂本竜馬」「武市半平太」「中岡慎太郎」のブロンズ色の像が並んで建っており、雲が垂れ込め、どんよりとした空が動乱の幕末を象徴しているようで面白かったので、斜め後ろから一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、駅前の通りをずっと西に向かって歩き、ほどほどの辺りで南下し、小高い山の上にそびえ立つ白亜の天守閣を探して歩くこと約30分、待ちに待った天守閣とのご対面です、ということで、この奇跡的に大手門、本丸御殿、天守閣と豪華三点セットで良好に保存されている高知城の表玄関から、大手門と天守閣の花の共演を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、さっそく大手門を潜り、天守閣への道を辿ろうと思いましたが、今回はせっかく50mmが50mmとして使える最新鋭機をお供にしているので、50mmが中望遠にならないのため、むしろEVF内の距離感などはX系列に35mmを付けた感覚に近いので、ちょっと最短距離でのEVFの見え方を含めたテストがしたくなって、門扉の乳鋲を最短位置から撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、かつての土佐藩士の登城気分、いや、戦国時代の城攻めの武将になりきった気持ちで天守閣への道を辿って右に左にと折れ曲がった石段を上ると10分もしないうちに白亜の4重6階の天守閣の偉容が間近に見えてきて、かなり興奮したので、足を止めて標準が標準として使える有難みを噛みしめ、画面ほぼ一杯に何とか収まった全容を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、到着当日は16時締めの本丸御殿&天守閣への入場時間にはギリギリ滑り込みセーフくらいの時間だったのですが、翌日、じっくり時間をかけ、それこそ釘の一本一本、ねちっこく調査する目論見だったので、この日は道順の確認と外観調査だけに留め、質素の美を具現化するが如き、天守閣の建つ本の丸への渡り櫓を側面から撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、本の丸周辺を撮りながら確認し、お茶がてら宿に戻ろうと、はりまや橋方面へと続く、帯屋町通り経由、京町商店街へと歩き、ミスドでつい、ブランドもののプロデュース商品と称するドーナツをアテにロイヤルミルクティをお腹いっぱい呑んでから戻る途中に鎮座ましましておられた高知神宮の塀際で何気なく通りを眺めていた一羽の地鶏の物憂げな佇まいを一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、宿へ戻る途中、ミスドの手前でもう一か所道草を食ってまして、それは、観光ガイド本では、おそらく高知城、はりまや橋、桂浜の次くらいには取り上げられているであろう「ひろめ市場」という屋台村のようなところで、まだ陽も沈んでいない時分から、陽気な土佐っぽの気性なのか、新鮮な魚介をアテに一杯きこしめしておられる方々があちこちにおられ、東京人からすると異界の如き場所に足を踏み入れちゃった感アリアリだったのですが、ふと目に付いた魚屋の美人店員さんに声掛けて、お揃いのジャンパとポニーテールを撮らせて貰ったもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、日中の屋外だと、富士フで云えばX-E1程度のアイピースの大きさしかなく、またα6000系列のようなラバーカップもないので、使いにくいことこの上ないのですが、こういった、屋内で光線が読み易い場所だと、さすがカールツァイスのT*コート付のEVFだけあって、本領発揮、そもそもピントの山がアイガー北壁並みにおっ立っている50mmf1.2の玉ではこの通り、被写体まで距離有っても、かなり浮き上がり感の効いたカットが撮れると判ったもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、ミスドでお茶してからアーケードに出てみれば、東京とは30分かそこら時差があるとは云え。冬の陽は釣瓶落としに沈むのは早く、あっという間に太平洋の彼方に消えてしまったので、はりまや橋に初対面した時は、この明るさなら坊さんがかんざし買ったとしても面は割れず、高知市周辺のどの坊主がホシなのか特定は出来ないだろうな、とか不純なこと考えながら、橋のなまめかしい曲線を夜景バックに撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、宿の前は空港バスの停留場のみならず、幹線道路である「はりまや通り」を南北に走る市電の停留所「高知橋」も目の前にあるので、そういや、スマホンでばかり市電撮っていて、まともなカメラでは一枚も撮っていなかった、と思い起し、地味目なラッピングの車体がやってきたのを幸いに、停留所を出たばかりのところを一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはVoigtlaender Nokton50mmf1.2asph.による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、翌12日は前日の街歩きで気になっていた、名古屋の喫茶店文化ともまた違う、高知県の喫茶店文化、そう朝から豪華なモーニングが比較的廉価に供されるのを、はりまや橋のすぐ近くの喫茶店で試し、すぐその近くに位置する土佐電本社ビル前のバス停から、観光周遊バスに乗ること約50分、やっと往きの終点、桂浜に到着し、海が全く見えないバス停から歩くこと3分少々でやっと、名勝「桂浜」の見える高台に到着したので、いかにも観光写真チックに石碑を入れて、浜の全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはErnst Leitz Vario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.による絞り開放AE撮影となります。

十二目のカットですが、まさに聞くと見るとは大違い、これまで桂浜の砂浜にデーンと等身大くらいの銅像が建立されていて、そこから海の彼方の、ジョンこと中浜万次郎が暮らしていたというメリケンの地に思いを馳せているのだとばかり思っていたら、浜からは結構離れた、防風林の松に覆われた小高い丘の上に建てられていて、これはこれで新事実発見、と思い下から見上げるかっこうで一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはErnst Leitz Vario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、考えてみれば、海から近く、宿の真下は海水が満ちた運河が毎日流れる深川の地に暮らしながら、砂浜というものは、数年前に台湾は高雄の旗津島か、江の島でしか訪れたことがなく、そういや、タイに駐在していた時も地方工場に出張していた時、砂浜際に建っていたホテルに居ながら、まともに砂浜に出たことなんざ無かったわな、とか思いながら、靴が汚れるのも構わず浜に足を踏み入れ、ちょうどお寛ぎ中のカポーが岩にたむろしていたので、有難くご出演願ったもの。
カメラはSONYα7C、レンズはErnst Leitz Vario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、これも桂浜の波打ち際、遥か彼方に見える竜王岬と弓なりの砂浜がちょうど、タイのラヨン県の海際のホテルに滞在していた時の浜の風景に瓜二つで、懐かしい気持ちで波打ち際を水がかからないよう、気をつけながら歩いていたら、まだ年端もいかない小姐がトワエモアの「今はもう秋」よろしく、物思いにふけりながら水面を眺め佇んでいたので、有難くセミシルエットでご出演願ったもの。
カメラはSONYα7C、レンズはErnst Leitz Vario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、桂浜には上の浦戸城址探検も含め1時間少々滞在し、またバスに乗って、今度は周遊ではないので、30分少々で市内に戻り、はりまや橋バス停で下車し、京町商店街入口付近に何軒かある郷土料理屋の一軒で、ランチを戴き、いよいよ、本格的なお城検分ということで、昨晩、初見参したというのに、胸ワクワクで京町商店街を西に進み、帯屋町にさしかかる辺りでいたいけな地元女子高生が南国土佐には凡そ似つかわしくなさそうな白いマフラーを巻いた清楚な姿で自転車を押して目の前を通ったのでノーファインダで撮ってみたもの。
カメラはSONYα7C、レンズはErnst Leitz Vario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.による絞り開放AE撮影となります。
今回は、お城の手前まで。さて次回はお城に入ってからと、最終日のお城との惜別に至るまでをお送り致します、乞うご期待!!
- 2022/02/27(日) 22:13:21|
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さて、今週は、予告通り,箱根山系両端のお城旅へ出掛けた二日間のレポートを行いたいと思います。
まず簡単に行程をご紹介しますと、1月の21日の金曜日の夕方に東海道本線乗り継ぎで三島の駅に辿り着き、駅前のビヂネスホテルに投泊、翌22日は朝からバスで山中城跡へ出掛け、お昼過ぎまで城跡を散策し、三島駅前のお寿司屋さんで豪華海鮮丼ランチ、しかるのち、東海道で小田原に移動し、宿に荷物を置き、駅ビルで時間潰してから、夕暮れ前の小田原城址を散策、翌23日の朝は市内循環観光バスでまず石垣山一夜城へ出掛け、1時間半ほどかけてゆっくり見学、しかるのち、11時20分発のバスで早川漁港へ移動し、早めのランチを市場二階の市場食堂で戴き、周辺を30分ほど撮ってから、早川駅まで徒歩移動、宿に置いた荷物を引き取って、お江戸に戻った、というあらましです
では、実質二日間の行程を追って見て参りましょう。

まず一枚目のカットですが11時過ぎに山中城址公園前のバス停に着き、そこから、低い丘陵からなる数キロにも及ぶ広大な戦国時代の要塞跡を巡るのですが、早い話、観光地のお城のように目立つ天守閣も櫓も、門も滔々と水を湛えて、鯉や水鳥が遊ぶお濠もなく、地味な城跡ですが、全国で唯一といって良い注目すべき遺構と、富士山が間近に見えるので、その筋のマニアには大人気で、手始めに駐車場から登って、視界が開けた西の丸の爽快な雰囲気を一枚撮ってみたもの・
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5asph.絞り開放によるAE撮影となります。

二枚目のカットですが、案内板に従って、城郭の中を上に登っていくと、ほどなく、この戦国時代の要塞の最高点である西櫓に出ますが、この日は、日頃の行いの結果というか、生まれつきの晴れ男の素質発揮というか、箱根両端はところどころ雲は残るものの、とても良い天気で、バスで三島駅を出てからところどころで心神こと富士山の優美な雪化粧した姿を見ることが出来、何と、ワッフルのように見事な障子堀越しに富士山の姿が見えたので嬉しくなって、望遠で何枚か撮ったうちのお気に入りの一枚。
カメラは富士フィルムX-E1、レンズはOlympus F-Zuiko100mmf3.5絞り開放によるAE撮影となります。

三枚目のカットですが、人生もお城巡りも似たようなもので、要塞の最高点でも、天守閣の最上階でも一旦、てっぺんを極めてしまえば、後は下るのみなのですが、ここ山中城址は箱根の西側の東海道の要害として建てられただけあって、西側の曲輪から下っていくコースも見ごたえ満載、かなり見事に障子堀のワッフルの如き佇まいが遺されており、かつての武士の命のやりとりの場は今は美しい遺構として往時を偲ばせるだけとなっていますが、その見事な様子を一枚撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5asph.絞り開放によるAE撮影となります。

四枚目のカットですが、これも西櫓から西の丸北側を回り込む尾根伝いのルートで元来た駐車場方面へと巡る途上、先ほどの障子堀とは峰を挟んでちょうど反対側の北面ゾーンに設けられたもので日照の関係で、芝の生育がやや遅いので、ちょうど、こちらはチョコレートワッフルの如き佇まいを面白いと思い、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5asph.絞り開放によるAE撮影となります。

五枚目のカットですが、山中城址探訪を無事終え、市内周遊観光バスで三島駅迄戻り、宿に預けた荷物を引き取ってから、前の晩に着いた時にはタッチの差で締め出し喰らった駅前のお寿司屋さんで満足のランチを戴き、上りの東海道本線で小田原まで移動し、まずは駅ビル内のおしゃれなカフェでお茶してから、宿に向かい、チェッキンしてから、数か月ぶりに小田原城天守閣に挨拶しようと思い、城跡から程近い宿から出てすぐの路上宙空のオブジェを撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、ちょうど小田原城址公園内の天守閣ほかの建造物がライトアップされる時刻を見計らって宿を出て来たため、先ほどまで反対側に居た箱根山系に陽が沈みつつあり、茜空をバックにお濠にかけられた学橋の赤いセミシルエットが漆黒に近い水面にも反射して美しかったので足を留めて一枚撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、この時間ではまだギリギリ陽が残っていたからか、単に設定された時間前だったからか、いつもの土橋から銅門経由の正式登城ルートではなく、ズルして手前の学橋から二の丸広場経由、本の丸にアプローチするルートを取ったので、銅門の全体像を真横から眺めるかっこうとなり、いつもの正規ルートではこんなに離れて見ることはまずないので、面白いと思い、一枚撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、二の丸の南西、本の丸へと続くルートは眼下に菖蒲畑を望む赤い橋を渡って、常盤木門という櫓門構造の門に至る石段を辿っていくのですが、ちょうど陽も暮れかけ、一足先に赤い橋の欄干がライトアップされて艶めかしく輝いていたので、いたいけな若いカポーがお手々繋いで石段に登ったところでシャッター切ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、目の前の赤い橋から石段、そして常盤木門をくぐり抜けて、目線を左に向ければ、そこは広大な本の丸広場、かつては東海道に睨みを効かせる江戸手前の最後の防衛線であった小田原城の中枢として、昭和の御世に復元された天守閣、今は亡き櫓、そして御殿が建てられていた場所に足を踏み入れたことに否が応でも昂揚感を覚え、天守下の大樹の下の円形ベンチで暫し時が移ろうのを待ち、ライトアップされたのを見計らってその雄姿を捉えてみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、天守閣の雄姿に魅了されて、いつまでもそこに佇んで居たい気分ではありましたが、蔓延防止等措置法のおかげで、きちんと計画立てて時間を使わないと、晩飯抜きになってしまうので後ろ髪を引かれる思いで天守下を後にして、国道一号を辿って駅前に戻ろうと思い、お茶壺曲輪経由、南に抜け、旧東海道沿いに佇む、なんちゃって天守閣、「ういろう本舗」の閉店後の灯の落ちた姿を撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、「ういろう本舗」の道の反対側、即ち、全体像を撮った歩道のすぐ先にいつも気になっていた、それこそ佐原や栃木、川越辺りに建っていてもおかしくない、立派な木造の伝統建築の薬局が在って、たまたま、作務衣のご主人が居て、写真撮ってから軒先を眺めていたら、中に入って撮ったらどうか、と声掛けられた時のもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、ご主人に誘われるまま、ご厚意に甘えて、閉店作業中の店内に入れて戴き、ご説明伺いがてら、趣味と仕事で伝統建築の研究をしている旨自己紹介したら、あぁそう、この建物は古そうに見えるけど、関東大震災で倒壊して、可能な限り古材は使ったけど、建て直したものなんだ、ということで、それでも江戸時代から大事に現役で使っているという薬箪笥を撮らせて戴いたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、翌朝はホテルを9時半過ぎに荷物を預かって貰ってチェッカウト、駅前でつい最近発見したドトールコーヒーでモーニング戴いてから、「うめまるこ」なる市内循環観光バスでまずは石垣山一夜城跡公園に向かい、前回のように案内板通りに駐車場から二の丸、天守台跡というストレートなコースではなく、西側からアプローチして山麓をぐるっと巡って石垣の残存状態等をつぶさに観察し、北東斜面から天守台に登って、しかるのち二の丸に下った際に石碑に寅年だからなのか人形が置いてあったので面白いと思い、一枚撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはCooke Speedpanchro28mmf2.0mod.Mによる絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、石垣山一夜城跡をバスで発って、次に向かったのは、もはや小田原訪問では欠かせなくなった、市場食堂での趣向を凝らした豪華ランチですが、至福のランチを戴いてから、早川駅での電車の時間かではまだ余裕あったので、漁港の入口、真鶴道路の高架下で釣りをしている一家に声掛けて撮らせて貰ったもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5asph.絞り開放によるAE撮影となります。

十五枚目のカットですが、本当は乗り放題の一日乗車券なので、バスで小田原駅手前のホテルに程近いバス停まで移動すべきなのですが、12時台の次は2時半過ぎまで待たなくてはならないので、時間が勿体ないので、早川駅から2時過ぎの東海道線上りに乗るべく、漁港近くの飲食店村周辺を歩いていたら。客引きネコが店先でミャーオ、ミャーオと声を上げて人目を惹いていたので、カメラを地面スレスレまで落とし、ローアングルで撮ってみたもの。
カメラは富士フィルムX-Pro2、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5asph.絞り開放によるAE撮影となります。
今回の感想ですが、やっと山中城址の、かつての凄惨な激戦地が今や城郭腐女子も胸トキめかす、可愛いワッフルのような遺構をこの目で見ることが出来ましたし、同じ山城でも、決戦の場である山中城址と、敵の戦意喪失を目的とした威嚇のための見せる城、石垣山一夜城では全く城郭建築の手法が異なり、非常に勉強になりました。
さて次回は、新規導入のフルサイズ機のシェイクダウン兼ねて、人生初の四国旅行に出掛けた高知への旅三日間からハイライトを二回に亘ってお送りする初回行きます、乞うご期待!!
- 2022/02/20(日) 22:22:23|
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て、今週は、予告通りとはいかず、駿河の国は三島、小田原へ行く二週前にレンズテストも含め出掛けた川越で、修理前にも関わらず、ハラショーな戦果を挙げてくれたCanon50mmf1.5Lのレポートを行いたいと思います。
当工房には国産のかなり珍しいものも多数ありますが、逆に中くらいの同スペックのコシナ製品やらライカと競合するクラスが手薄になっていて、特にキャノンのライカマウントは抜けだらけ、19mm、25mm、50mmもf1.4はあってもf1.5がないとか、そんなこんなで、出物があれば欲しいと思っていたのが、昨年春頃に新宿西口の某大手チェーン店のクラシックレンズコーナーでたまたまお値頃のものを見つけたので、カードが使えることもあって、中玉やや曇り有りに目を瞑ってエイヤ!と散財し、川崎の協力工場で完全に修理してから使えばイイやということで防湿庫で仮眠について貰っていたのですが、ふと使いたくなって、分解し、出来るだけ中玉の白いモヤを拭き掃除してから、多少のコーティング剥がれは無かったことにして新年の独り川越ツアーに持ち出したという次第。
まず簡単にこのレンズの氏素性をご紹介しておくと、産まれは1952年11月、キャノンは電脳空間上の仮想ミュージアムで以下の通り、説明しています。
「大口径F1.5の標準レンズ。当時の高級機メーカーにとっては、大口径標準レンズを持つことがステータスであった。なお本レンズはセレナー50mm F1.9、セレナー50mm F1.8 Iを経て、カールツアイス・ゾナー50mm F1.5をお手本に設計された。」
ということで宿敵日本工学のNikkor5cmf1.4同様、Zeissのf1.5ゾナーの3群7枚の構成に範を取った高性能のレンズ三羽烏の一角としてこの世に生を受けた、ということです。
では、さっそく当日の行程に沿って、実写結果を眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7RII、全コマ絞り開放によるAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、深川から地下鉄、東武線経由、川越駅に到着し、そこから、結果的には大失敗だったのですが、一日乗車券で最初に川越城本丸御殿を目指そうと考えたのですが、年初の渋滞が予想以上に酷く、目的地手前のバス停辺りで1時を過ぎてしまい、このまま、御殿見物してからだと、間違いなく、ランチ難民になることは予想するに難くなかったので、大手町のバス停で降りて、「幸すし」さんで豪華ランチを戴き、まず氷川神社にお参りしてから撮影しようと歩く道すがら見つけた豆腐屋さんの点灯風景。

二枚目のカットですが、最初の目的地「氷川神社」の南門まで来てみると、先ほどの市内の渋滞の写し絵の如く、着物姿のいたいけな小姐ご一行様を主体に入場行列が出来ており、これは逆に云えば、シャッタ-チャンスがあちこちに転がっているというシグナルでもあるので、久々のスナップ天国への期待に胸踊らせて石鳥居を潜ってすぐの手水場の着物姿の小姐二名組の後ろ姿を一枚戴いてみたもの。

三枚目のカットですが、今年は二年ぶりの人出の賑わいを予想してのことでしょうか?かなり大規模な「鯛みくじ」の舞台がこれ見よがしに本堂前にしつらえてあり、しかも、新型コロナ流行前同様、この本堂前の一か所のみならず、密を避けるためなのか、東門の大鳥居手前の広場にも同様に「鯛みくじ」の舞台がしつらえてあって、年端もいかぬ着物姿の小姐各位がきゃぁきゃあと喚声を挙げながら竹の骨組みに紙を張って拵えた赤やピンクの鯛を釣り上げて盛り上がる姿を人垣のすき間から一枚戴いてみたもの。

四枚目のカットですが、この川越の氷川神社はコンパクトな境内ながら、浅草の浅草寺と同じくらい、魅力的なスナップポイントがあり、しかも、そのレイアウト上、大口径単玉のボケやら口径食の有無、程度、そして収差の出具合いを確認するのにうってつけの場所なのですが、本殿脇の絵馬トンネルも、毎回、参詣者の迷惑にならないよう前後の人通りを確認して撮っているのですが、今回はたまたま、繊細なピンを合わせている間に巫女さんが特別出演して戴いたもの。

五枚目のカットですが、絵馬トンネルを抜け、誰にも会わないのを良いことに、本殿裏の「願い縄文杉」の周りを一周回ってから、切り抜き細工の金灯籠が吊り下がる仄暗い回廊に出ようと歩き出したら、老神木の御利益てきめん、スマホンの画面を眺めながら、うーんイマイチじゃね、とかいいながら、あろうことか、スマホンを地面に置いて、砂利で下部を埋めて三脚代わりにして記念撮影しようとしていた着物姿の小姐二名組が居たので、見るに見かねて、撮って上げようか?と声かけたら、え、それα7ですよね、レンズも見たことない凄いの付けてるし・・・えー!お仕事ですか?是非是非お願いします、という会話の後、スマホンで撮って上げた延長線上で、あとで送る約束して撮って上げたもの。

六枚目のカットですが、川越は初めて、とのことだったので、小姐ご一行様に簡単な境内の撮影スポットと市内のオススメ観光スポット、ティータイムのお勧めカフェなど、教えて上げてから、本殿奥の昼なお暗い回廊に点る切り抜き彫金細工の吊り灯篭の群れを回廊の向こう側の青空を背景に最短距離付近から一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、再び本殿脇の通路から中庭に出て、何か面白げなものはないかと目を凝らして境内をスキャンして見たところ、境内を流れる小川を舞台に、溶ける和紙で作られた人形を水に流して厄難消滅させましょうという趣旨の「人形流し」の場に来た時とはうって変わって人だかりが出来ていて、中でもお揃いの藤色グラデーション模様の羽織を纏ったいたいけな小姐二名が実に真剣な表情でじゃぶじゃぶやっていたので、その様子を傍らから一枚戴いたもの。

八枚目のカットですが、氷川神社からは南東へ徒歩5分ほどの距離に位置する、今回のメインディッシュ「川越城本丸御殿」へと移動し、実はこの前までは幾度となく来たことはあるにもかかわらず
お城と云えば、天守閣と石垣、そしてお濠という定番の豪華三点セットがパブロフの犬の習癖の如く染み付いていた工房主は、地味な平屋建ての古建築に入ってみようなどとは努々思わず、パスしていたのですが、仕事も兼ねてかなり本格的に城郭の研究を初めてみれば、全国にはスーパー銭湯並みに点在するRC造模擬天守閣などより遥かに価値のある、日本でたった4つしかない現存の御殿と知るに至り、矢も楯もたまらず飛んできて、玄関周りを一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、建物自体を江戸期のものをそのまま保存していることが極めて貴重なのは云うまでないことですが、その内部、建屋の床板から壁、天井板に至るまで、可能な限り、オリジナルの状態に忠実に動態保存しているのみならず、庭も、観光客の目を楽しませようと、すみずみまで清掃が行き届いた白砂の上に、かの京都は竜安寺の枯山水の如き掃き目が施してあって、とても見事で心打たれたので窓から一枚戴いてみたもの。

十枚目のカットですが、表玄関から順路を巡っていくと、離れのような別棟の建造物に続く渡り廊下のような場所に出て、記憶している限りでは、本土に残存する残りの二軒+復元一軒でもこういう渡り廊下で別棟に続いているような構造は無かったよなぁ・・・とか訝しげに渡り廊下に差しかかって、ふと窓の外に目をやると、あたも田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃんが暮らす農家母屋の濡れ縁でしみじみと脱力しきった都会人の一家みたいな景色が広がっていたので、思わず一枚戴いてみたもの。

十一枚目のカットですが、目的の川越城本丸御殿の仔細検分も無事終え、後は実物は跡形も残ってはいませんが、富士見櫓跡、各御門跡を巡って、次なる撮影目的地、駄菓子屋横丁へと徒歩で移動し、いつもの通り、北側の幹線道路沿いの入口から横丁に足を踏み入れてみれば、居ました、居ました、ここも例年の正月上旬の倣いで、いたいけな和装の小姐があちこちに大量発生中、特に成人式帰りみたいな白いストール羽織った二人組の雰囲気が良かったので、街並みを背景に後ろ姿で語って貰ったもの。

十二枚目のカットですが、駄菓子屋横丁東の出口付近で、二組ほどの親子連れがレインボー柄の綿菓子をいたいけな童子各位に買い求め、スマホンで撮っては、きゃぁきゃあと盛り上がっていたので、つい、原宿の竹下通りでも超人気のレインボー綿あめですよね、面白そうだから、一枚撮らせてね、と頼んだところ、親御さんが童子達に命じて、掲げさせ、街並みをバックに一枚撮らせてくれたもの。

十三枚目のカットですが、まさか標準レンズでこんな構図で撮るとは、家を出るまで努々考えもしていなかったのですが、駄菓子屋横丁から蔵造りの街通りに戻る道筋の角に位置する古刹の門前に高い銀杏の樹が植わっているのですが、こんな市街地でも樹の背景はお寺の境内であるため、樹よりも高い建物や電柱のような構築物がないので、樹の枝々のシルエットが夕焼け空を背景に浮かび上がるが如き画が撮れると思いファインダ覗いたら、果たしてその通りとなったので、したり顔でシャッター切ってみたもの。

十三枚目のカットですが、まさか標準レンズでこんな構図で撮るとは、家を出るまで努々考えもしていなかったのですが、駄菓子屋横丁から蔵造りの街通りに戻る道筋の角に位置する古刹の門前に高い銀杏の樹が植わっているのですが、こんな市街地でも樹の背景はお寺の境内であるため、樹よりも高い建物や電柱のような構築物がないので、樹の枝々のシルエットが夕焼け空を背景に浮かび上がるが如き画が撮れると思いファインダ覗いたら、果たしてその通りとなったので、したり顔でシャッター切ってみたもの。

十五枚目のカットですが、そろそろ、「粟ぜんざい」が名物の駅近くの和菓子屋併設茶店の「あかりや」さんで絶品のスィーツを戴きながらイブニングテーを楽しみたかったので、蔵造りの街並みを本川越駅方面に向かって歩いていたら、ちょうど、埼玉りそなのドーム手前で、珍しくお客を載せた人力車が駆けてきたので、置きピンでえいやっと撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、本家もそうですが、f1.5のゾナーって、ほんと良く写りますよね・・・いや、貼り合わせ面が多いので、クラシックレンズにしては、コントラストが高いのは判りますが、それにしても合焦部のピントのキレといい背景のボケのなだらかさとの共演による被写体の浮き上がり効果といい。川崎では何故か修理を拒否されてしいまったので、大久保の名人に後群の研磨、再コート、バル貼りという限定修理お願いして、三羽烏のニッコール、タナーと真昼の決闘としゃれ込みたいものだと思いました。
さて来週は人生初の四国旅行のため、一週スキップ、その翌週は箱根山両端のお城旅をレポート致します、乞うご期待!!
- 2022/02/06(日) 19:59:47|
- 深川秘宝館
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