さて、今週は予告通り、GW7日めの朝、岡山を出て、各駅停車の旅で明石、尼崎経由、大阪の宿に入って、日が暮れるまでの街頭スナップ込みでご紹介致します。
まず簡単な行程ですが、岡山駅近くのホテルを9時半過ぎにチェッカウトし、朝飯を駅ビル内のカフェで戴いてから、10時台初めの山陽本線でまず、ランチ場所兼ねた明石駅で降りて、前々から気になって仕方なかった、ホームの彼方に見える、いかにも古色蒼然とした明石城址石垣上の三階櫓を訪問し、駅のお城とは反対側の商店街アーケード入口付近の居酒屋風のお店でシーフードの結構なランチを戴き、しかるのち、山陽本線を尼崎まで乗って、駅のコインロッカーに荷物を預けて尼崎のお城まで行こうと思ったところ、実はJR尼崎ではなく、直線でも2km近く離れた阪神電車の尼崎駅の南方に建っていることが判り、大きな荷物を二つ抱えたまま、市内循環バスに乗って、阪神尼崎駅まで移動、やっとロッカーに荷物を預け、駅からはすぐ近くに見えるお城を訪問し、また阪神電車で大阪の梅田まで移動し、戎橋筋にほど近い宿にチェッキンし、荷物を置いてから、お茶しがてら、戎橋筋界隈のスナップに出撃した、というのが今回のあらまし。
ではさっそく当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、駅のホームから見えるかなり立派な石垣上の東西両端に建てられた御三階櫓は、実はとても貴重なもので、現存天守同様、国内には12棟しか残っておらず、しかも、同じ城郭内に複数存在することは有り得ない天守閣とは異なり、弘前城では3棟、高松城、そしてここ明石城では2棟ずつと偏在しており、前々から気になって仕方なかったため、駅のコインロッカーに旅装具を詰めたバッグを預けるのももどかしく、駅北口から徒歩で10分ほどの櫓の麓まで到達し、ベストアングルで東西に離れて建てられた時代も構造も微妙に異なる二棟の櫓を一枚に収めて撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8、絞り開放によるAE撮影となります。

二枚目のカットですが、石段を登り切り、本丸跡の広場に到達、まずは天守台石垣の残る西端に建てられている坤櫓の方面へと歩いて近寄ってみたのですが、この頃でも、まだCOVID19の影響なのか、気前よく無料開放で三階櫓の隅々まで解説員付で見せてくれた高松城址とは異なり、ここ明石城址では、中に入れてくれないばかりか、かなりの距離を取った規制線で至近距離へのアプローチすら許されず、仕方なく、幻の伏見城から移設されたという古式ゆかしい櫓の全体写真のみ撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはMinolta Rokkor40mmf2、絞り開放によるAE撮影となります。

三枚目のカットですが、坤櫓の周囲を仔細に検分したあと、その背後、北方方面に建つ天守を台の石垣に登り、真っ昼間から恋愛モード全開、エキサイト基調の東南アジア人の若いカポーの行為のお邪魔をするのも何となく気が引けるので、天守台上で撮影するのは遠慮し、早々に引き揚げ、次に向かったのが、この坤櫓と対をなす、船上城から移設され、その天守閣だったという説もある巽櫓ですが、両櫓を結ぶ、塀の上から顔が出せる高さのウッドデッキを歩き始めたら、いたいけな小々姐連れの親子が上がってきたので、これ幸いにと一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはMinolta Rokkor40mmf2、絞り開放によるAE撮影となります。

四枚目のカットですが、無事、積年のもやもやを晴らした気分で明石城址を後にして、すっかり腹も減ってしまったので、駅の南側の明石焼ビルを徘徊してみたものの、全然入れる雰囲気ではなかったので、更にその奥の商店街アーケードでかなり繁盛して居そうな海鮮居酒屋に入り、地場産の魚介の刺身とタコ飯などを戴き、元気を取り戻してから、再びJR三陽本線に乗って、次なる目的地、尼崎を目指し移動、途中、バスでの移動を挟み、到着した阪神尼崎の駅前から、平成に入って地元出身篤志家の寄贈によって建てられた、真新しい天守と御対面したもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

五枚目のカットですが、先ほどの300年近く前の時代を纏った古色蒼然とした東西一対の天守閣と打って代わって、諸般の事情により、本丸址ではなく、西三の丸址と再建の場所こそは違え、いちおう、史実に基づいた外観復元のRC造4層4階の真新しい天守閣を目の当たりにしたら、古の人々も、今の人々も大和魂の具現化のひとつの形態であるお城の形を未来に遺す、という情熱は何ら変わらないということを思い知らされ、嬉しくなって、見上げた格好で一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

六枚目のカットですが、この手のRC造の後世に建てられた天守閣のご多聞に漏れず、ここ尼崎城天守閣も郷土史博物館になっており、ただ、それだけでは観光客も呼べないし、運営には、少なからず税金も投入され、市民からの喜捨も注がれている以上、常に来訪者の関心を惹くアトラクションを用意しておかねばならず、従業員各位のコスプレ勤務のその一環で、天守閣の屋根に乗っかった格好で記念撮影出来ますよ、と声かけてきた、眼鏡っ子のスタッフの小姐と意気投合したので、では実演して!とモデルさんになって貰ったもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

七枚目のカットですが、大阪城やら同じ高さの小田原城と比べてもそれほど館内は広いとは云えないものの、あちこちにアイデアの散りばめられた天守閣内部をざらっと検分し、当日の投泊地である、大阪はミナミの戎橋筋へと、最後の電車移動を行うべく、あちこちに立つフレンドリーなスタッフ各位とも暫しの別れを惜しみ、尼崎城天守閣を後にし、展望台から見えて、気になって仕方なかった、阪神電車の変電所遺構のレンガ造建物の真下で、その古めかしい佇まいを一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

八枚目のカットですが、ついつい、得意なアングルから入って撮る順序が前後してしまったのですが、歴史観漂うレンガ造建物の全体感を撮っておこうと思い立ち、ところどころでファインダを覗きながら、建物とは少し距離を置いた辺りでさて撮るんべぇかと構えたところ、ちょうど、お城に隣接する公園から、いたいけな小々姐を連れた自転車の如何にも平日は真面目なリーマンという眼鏡のお父さんがやってきたので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

九枚目のカットですが、変電所遺構から、再び、阪神尼崎駅を目指して歩き出したら、真新しいお城の全貌が見てとれる位置に建てられた楕円形の自然石に「尼崎城址公園」と深々と刻印された碑の前で、ホントは低いとは云え石垣に登り、芝生を踏みつけての記念撮影は御法度なのですが、なかなか微笑ましい風景なので、中年のママさんと思しき女性がまだ年端も行かないいたいけな小々姐二人を碑文の両端に立たせて記念撮影しているようすを後から一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放によるAE撮影となります。

十枚目のカットですが、阪神電車で府内中心部の難波まで乗って、そこから地図を頼りに道頓堀川沿い、グリコの降参アスリート看板で有名な戎橋筋に近い裏通りに建つという、天然でんねん温泉大浴場付の某チェーン店ホテルを目指して、いまいち判りずらいスマホンの地図を頼りに行きつ戻りつして何とか辿り着いて、無事チェッキンし、荷物を置いて、戎橋筋まで歩いて行った頃には、結構、陽がとっぷりと暮れ、グリコの看板下の橋の上には人待ち顔の世界各国の若人が立っていたので、様子を何食わぬ顔で一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十一枚目のカットですが、如何にも街撮りに出てますよと云わんばかりのカメラとレンズを提げて歩いていると、気安く、記念撮影のシャッター押して!と声かけてくる手合いは国内のみならず洋の東西居るもので、橋の上で何を撮ろうか辺りを睥睨していたら、たどたどしい中国人、ないし中国系の東南アジアからのゲストないし、技能研修生、農業研修生と思しき小姐二名が看板バックにシャッター押して貰ってイイですか?とか声かけてきたので、喜んで!!と何枚か撮って上げたお礼にモデルさんになって貰ったもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十二枚目のカットですが、同じく戎橋の上で、ベトナム辺りからやって来たと思しき、いたいけな小姐が、橋の上の車両衝突防止用の鋼構造の逆U字柱に身を凭れかけて、時折、スマホンの画面を眺め、ため息をついてから、また前方に向き直って、待ち人の到来を待ち侘びる風情だったので、その出前の買い物帰りと思しき日本人小姐にもご参加願い、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十三枚目のカットですが、薄暮の戎橋筋はこの当時、大阪府内はCOVID19に対する行動制限や飲食店への営業制約は既に完全解除になってはいたのですが、若い人々は、皆、イブニング料金適用のユニバーサルスタジオジャパンにでも出掛けてしまったのか、通りには人通りもまばらで、通りの真ん中に街頭の鉄柱への車両などの追突防止も兼ねて設けられたと思しき円形のベンチに腰掛け、時間つぶしでもあるのか、通りを時折ながめ、語り合うでも無く、一心不乱にスマホンをいじる二人組の小姐の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。

十四枚目のカットですが、戎橋筋は新宿の歌舞伎町のさくら通りとか一番街とも比較されるのですが、名古屋支店勤務時代を中心にそれこそ何十回も来たことがあり、それよりもむしろ、韓国はソウルの明洞の通りの方がしっくり来るなとか思いながら歩いていたら、もう晩飯時でもあるのか、ちゃっかり、近場のたこ焼き屋で経木舟皿という鉋屑みたいな薄い木の板で作った容器に収められた、熱々のたこ焼きなんか買い求め、円形ベンチで缶チューハイ片手に路上ディナー始めてる小姐二名組が居たので声かけて斜め後ろから一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります

十五枚目のカットですが、撮った後、たこ焼ガールと雑談していたら、自分も、昔、よく通った半地下のお店に行ってみたくなって、たこ焼き、お好み焼を両方手広く商う「くれおーる」という、この界隈ではもはや老舗の部類に入るお店で思う存分、粉もんディナーを堪能し、フロント横のウエルカムドリンクコーナーでウィスキーやら、ワインやら、部屋に持ち帰ってから温泉愉しもうとか思いながら歩いている途中になかなか大阪ミナミらしい風景にあったので、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、Voigtlaender Nokton35mmf1.4、絞り開放によるAE撮影となります。
さて、次回は少々ピッチを上げて、5/6の和歌山城、岸和田城、そして最終日の岐阜は郡上八幡城へ訪問した際の様子をレポート致します、乞うご期待!!
- 2022/07/31(日) 18:58:45|
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さて、今週は予告通りGWの旅6日め、岡山ベースでの四国の日帰り旅をお送り致します。まず、なんで四国のお城巡りに瀬戸内海対岸の岡山の宿なの?との至極尤もな疑問ではありますが、今回のGWの旅は佐世保をスタートに西から串刺し的にお城を効率的良く見て回ろうとしているので、宿泊地を幹線ルートのターミナルに取る必要があったからです。そうなると、岡山が本四架橋経由の快速電車を使った日帰りベースで高松、丸亀と容易に回れるので、相対的な宿の取り易さも相俟って必然的に投泊地になったという次第。
ではさっそく、当日の行程に沿って、実写結果を眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズはErnstLeitz Elmarit28mmf2.8三代目による絞り開放AE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、上野発の夜行列車ならぬ岡山発の渡橋列車に乗って、運よく窓際席を取れたので、本四架橋の高い位置から眺める瀬戸内の海とそこに浮かぶ緑の島々の絶景に瞬きを忘れるようなひと時を過ごし、陸に上がってからは、本土ではなかなか見られない、讃岐富士こと飯野山のようなミニ富士山を幾つか眺め、初めて足を踏み入れた高松で駅から徒歩10分もかからない高松城址の最初の見どころ、
先般、ブラタモリでも紹介された木造現存の重要文化財である月見櫓と水手御門を土塀の上から撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、ブラタモリで見た光景に身を置いたことから、早く至近距離で観察したい、中に入って仔細を検分したい、という趣味だか仕事なんだか判らない、異様な気持ちの高まりに突き動かされて、速足で水手御門の脇まで来てみたら、きれいな切込接の石垣の上に載せられた漆喰の櫓門とその先に聳え立つ、全国でも12棟しか存在しない現存の御三階櫓の雄姿が美しく見えたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、ブラタモリでは「特別の許可を受けて撮影しています」のはずだった水手御門を、コロナも一段落したGW期間中ということもあるのか、当日は開け放ち、ではせっかくだから、その特別な門越しに見える海の名残の写真でも撮ろうかいな、とカメラを構えた途端、物陰から、西郷(せご)どんのようないで立ちのコスプレイヤーの兄さんが犬も連れずに現れたので、距離感を見計らって一枚戴いてみたもの。

四枚目のカットですが、逸る心を抑え、入口で消毒して靴を脱いで靴箱に収めてから、薄暗い櫓の一階部分に足を踏み入れてみれば、ここも、姫路城や松本城などと同じ江戸期の木造建築、しかも、民家も御殿も平屋が普通で、二階建て以上は寺院関係かお城しかない時代の、鉄骨造も鉄筋造も産まれる遥か前の三階建てですから、どのような強度計算によるものなのか、或いは経験則だけによるものなのか、建物の重みを全て受ける一階部分が一番、柱の密週度が高く、果たして人の居場所があったんだろうか、と思うくらいだったので、その貴重な佇まいを一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、木造の現存天守、櫓でも見学者の利便と歩行の安全を考慮し、蛍光灯照明器具を新たに設けたり、LEDのランタンみたいなものを設置しているところも多かったですが、ここ高松城月見櫓は一般公開を毎週日曜日とGWに限定しているので、同様の公開形態の名古屋城のん南西櫓などと同様、常設の照明器具はなく、小さく低い位置に設けられた覗き窓からの採光しか光源がなく、昼なお薄暗い建物内から陽光が燦々と降り注ぐ瀬戸内の海を眺める親子の姿を撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、貴重な御三階櫓内の検分を心おきなく楽しみ、その後、水手御門近くで声をかけられた説明員ボランティアのご老人が日本城郭検定一級保持者と聞いて、思わず会話に花が咲き、今日中に丸亀城も回って岡山に戻らねばならなので、後ろ髪を引かれる思いで惜別し、次に訪れたのが、大正期の建築である被雲閣という建物で、ここは江戸時代の松平家の政務を執る御殿だったのが、廃城令により取り壊しになったのち、規模を縮小して建て直したというもので、なかなか荘厳な佇まいだったので道草して中に入る前に全景を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、江戸時代の御殿建築と云えば、二条城、川越城、掛川城、そして高知城と現存の本丸、二の丸御殿は全て仔細に検分し、玄関屋根の形状から主殿の入母屋造りの破風のバランス、濡れ縁の高さから廊下の幅、長押から天井板までの鷹さまで、江戸時代の御殿建築と云われるものの様式は江戸期以前の寺院建築との違いにおいて、殆ど頭に入っているので、ここはやはり明治期以降の日本家屋だなとか独りごちて、庭の景色が映り込んだ廊下のガラスを庭の天水桶横から撮ってみたもの

八枚目のカットですが、入場無料なので、気軽に中に足を踏み入れてみると、明治期以降の外づらとは打って代わって、少なくとも一階部分については全体的な部屋の配置、中の廊下や室内の間取りについては、幕末期の普請が入っている、水戸藩の弘道舘や、川越城本丸御殿とも違和感なく、なかなかイイ雰囲気の中を奇声を上げて走り回る童子が「おぢさあぁん、何撮ってるのぉ!?」とか近寄ってきたのを無視して一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、一階をくまなく見終えて、建物内に幾つかある階段を登れば先ほど、櫓の三階から人が見えた二階のベランダに出られるのが判っていたので、さっそく手近な階段を上がってみると、建物北側の長い廊下に面した広々とした窓辺から、先ほど登っていた月見櫓の雄姿が、燦々と陽光降り注ぐ、見事に手入れされた庭園越しに見えたので先客の家族の頭越しに一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、ここ髙松城は、全国でも12棟しか現存していない御三階櫓が二棟も在るのですが、極めて残念なことに、小倉城をモデルに松平公が建てたという天守閣は、明治期に老朽化のため取り壊されて以降、天守台のみ海水のお濠の中に残り、姿を留めておらず、いちおう、市民も切なる願いとのことで、明治期以降に天守台に建っていた、玉藻神社社殿を取り壊し撤去、平成期に石積みを全て解体して補強し積み直しを行い、いつでも天守復元OKとのファイティングポーズ状態の天守台の雄姿を一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、無事、予定通り、高松城の見学を終え、高松駅前で高い割にはイマイチの讃岐うどんのランチを戴いてから電車に乗って、岡山から見れば先に位置する丸亀に向かい、駅から徒歩15分程度の丸亀城を目指したのは良いものの、ここでも、コロナが小休止のGWのためか、お城へ向かう路上のあちこちでイベントをやっており、それらを通り抜けるのに想定外の時間を食ってしまったのですが、何とか天守内への入場締切りに間に合う時間までには大手門を通過出来たので、安堵の気分で振り返り一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、お城は江戸期になってからも、見せるシンボル的な役割が殆どだったので、天守閣は街で一番見晴らしの良いところに建っていることが殆どで、先ほどの高松城のように海抜0メートルに建てるというのは稀有なケースで大なり小なり、平山城という市街地中心ないし、その奥まったところにある小高い丘陵ないし低山の頂上一帯を切り崩して廓にするケースが多いのですが、ここ丸亀城も海の近くにも関わらず、宇和島城同様、高い山の頂上を選んで築城しているので、軽登山とまではいかないまでも、結構な坂道を10分程度登った先に本の丸が有るのですが、登り始めてそれほど時間建っていない辺りで出て来た、木漏れ日浴びた石組の間を通り過ぎる人々を一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、木々に覆われた坂道を何度も左右に曲がりながら、やっと木立が切れた辺りで、現存天守の中では下から四番目、御三階櫓で親しまれる弘前城の天守とは10cmしか違わない可愛い三階建て天守の姿が木の枝越しに見えてきて、訪問していない現存天守二棟のうち、一棟に辿り着いた!という感慨を込め、足を止めて一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、本の丸跡の広場に出て、永年の思いの募った、ペンフレンドの恋の延長線上の対面、武道館でのコンサートにかこつけたデートの主人公みたいな気分で、可愛い天守の全貌を眺めて見ると、んんん?これ、本当に天守閣なの?という疑問が沸々と沸き起こり、高さで云えば、熊本城の宇土櫓、名古屋城の北西櫓は別格として、見に行こうと思えばいつでも行ける江戸城址の富士見櫓の方が1メートルちょうど高いですし、そもそも破風とか、飾り窓とかデコレーションが殆ど無く、地味さで云えば、雪国の松前城とイイ勝負で、これが広場の片隅に一軒家状態でぽつねんと建っているので、3月に訪問した宇和島城以上に天守閣?という違和感有りながら一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、まぁ、せっかく海を越え、遠路遥々と逢いに来た相手の外観を期待外れだ、もっと櫓でも立派なのは幾らでも居るとか、存在を根本から否定しても始まらないので、ここは、長い間建っていてくれて、しかも、天守閣のイメージを打ち壊す超ユニークなキャラで、SDGsとDI(ダイバーシティ&インクルージョン)を地で行く素晴らしい城郭じゃまいか!?と納得し、また中に入って、薄暗い木の柱だらけの板の間の様子を一枚撮ってみたもの。
さて、次回は、翌朝、岡山を出て、明石、尼崎経由、大阪の宿に入って、日が暮れるまでの街頭スナップ込みでご紹介致します、乞うご期待!!
- 2022/07/25(月) 00:19:29|
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さて、今回はGW五日目の小倉城周辺と岡山への出発前に訪問した門司港レトロ地区の様子をご紹介致します。
まずは簡単な行程紹介ですが、5/3は駅からほど近いホテルで朝飯をごちそうになったあと、10時前に荷物を預かって貰った上で、チェッカウト。そして、そのままカメラバッグを提げて、前日晩に確認したルートで小倉城へ向かい、お昼前まで庭園や茶室、そして本ノ丸の天守閣を見学し、駅に戻って、電車で関門海峡に面した門司港駅に移動、そこでランチを挟んで、13時過ぎまで撮影、しかるのち、また鉄道で小倉駅まで戻って、ホテルに預けた荷物を引き取り、そのまま新幹線で次なる目的地岡山駅まで出掛けた、というのが当日の足跡。
では、早速、当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、ホント、自分でも悲しくなってしまうことがままあるのですが、何処かに出掛けても、何かしら仕事をしてしまう習性が抜けきらず、ここ小倉城の庭園内のお茶室の屋根に奉公先で開発した、杮葺の屋根が経年変化でこげ茶色になった状態に似せたチタンの薄板が採用されており、それを広報活動用に撮ろうと思い、前の晩に受付の小姐に予告していたので、真っ先に寄って、まず玄関まわりのチタン薄板で葺いた一文字葺の美しい佇まいを一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、ここ小倉城庭園は、庭園の入口のところで、入場料を支払うことになっていて、庭だけ見ても、建物の中に入って、室内の造作、調度を眺めても、料金一緒なので、まずは庭をさっと拝見し、池の反対側から、茶室の懸造りになっている縁側部分を撮ろうと思い、ぐるっと回って、濁ってはいたものの、池に映る姿とともに縦位置で一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、受付の小姐から「お時間許せば、生け花をはじめ建物内部で撮影可能なアート策人作品の展示がありまので、是非ご覧下さい」と一声掛けられ、どこの誰兵衛と名乗ってしまっている以上、アートには殆ど興味ないので、天守閣へ急ぎます、とは言い出せず、こういった木造の伝統建築は和釘の使用状況、或いは目で見える箇所の耐震補強など確認したかったので、庭から建物の写真を撮ってすぐに中に入って、メインの展示場の入口から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、内部の造作、調度品、そしてアート展示もなかなかのものだったのですが、先ほど下から見上げる格好で撮った懸造の上部構造である縁側から、他の入場者同様、外を眺めてみたら、なんと、縁側の庇と漆喰大壁造の塀越しに小倉城天守閣の偉容が顔を覗かせており、なかなかのお殿様キブンになれたので、すかさず一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、前日は夕暮れの訪問につき、装備の中で一番明るい35mmf1.4のレンズを付けての訪問だったので、道路、お濠の手摺を入れないように濠端から撮ろうとしたら、石垣の幅と天守閣の高さのバランスがうまく設定出来ず、石垣の下の方がちょい切れてしまった、甘々写真になってしまったのですが、この朝は、前日の反省を踏まえ、25mmを嵌めて宿から歩いてきたので、庭園から出て目の前のお濠の向こうに聳え立つ天守閣の偉容を濠端から余裕で収めてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、お城に面したお濠の柵越しに水中の錦鯉達が優雅に泳ぎ行き交う様を眺めながら、喚声を上げる、いたいけな童子連れのお婆さんと、やや離れたところから、他愛無い鯉見物と、とりとめもない兄弟達の会話をやや離れたところから、醒めた目線で眺めていたリアリストの極小姐の対比が面白く、25mmの画角をフルに使える装備の利点を活かし、天守閣をバックに家族の何気ないひとときを撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、さっそく、石垣で囲まれた本の丸への通路を足早に進んで、さっそく、登城口で呼び込みらしき行動をとっている、ナイキの運動靴を履いて胴丸に鉢巻という不可思議な格好をした足軽もどきの職員さんに「頼もう~拙者、公方さまのおひざ元、お江戸は深川から参った!」来意を告げると、「さささ、こちらへ、まずはアルコールなる濃い酒で毒消しの上、南蛮渡来の道具で体温など測って下され」と感染防止対策の上、中に入ってみたら、さっそく職員の足軽小姐が、来客の求めに応じてトラ系ゆるキャラと一緒に立って記念撮影に応じていたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、ここ小倉城天守閣も他のRC造の復元、復興、模擬天守同様、内部は資料館、博物館の類いとして利用されており、黒田家と細川家、そしてこのお城自体の復元までの歴史について、色々とモノや書き物や絵巻みたいなものが展示されており、なかなか面白く勉強しながら最上階に着くと、朝いちばんに寄ってはみたものの、地上からでは建物全体の様子を撮ることが出来なかった庭園茶室の全容が見てとれたので、さっそく望遠に換えて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Sonnar135mmf2.8、絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、木造であれ、RC造であれ、どんな天守閣も最上階に登ってしまえば、あとは下って下城するくらい、RC造であれば、イタチ最後っ屁のよろしく、次の目的地への移動前に厠を借りるくらいでえすが、熊本への移動の時間を考えると、お昼前には門司港レトロ地区に移動したかったため、早々に駅に移動し、鹿児島本線でその起点である門司港駅に移動し、改札手前で時代がかった駅員さんを見かけたので、声かけて一枚撮らせて戴いたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、改札を通り抜け、駅舎の中に入ってみると、節電のためなのか、はたまた単に明治時代の雰囲気を出すための演出なのか判りませんが、天井のレトロ感満載のシャンデリアっぽい照明器具には灯を入れておらず、広く開け放たれた正面出入り口からの自然光のみに頼った照明が、なかなか九州の玄関口に居るという旅愁感を醸し出して良かったので、そのまま一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、いつまでも駅舎の中で時間を潰しているわけにもいかないので、南国の太陽が燦々と照りつける駅前広場に出て見ると、ちょうど30分おきの噴水タイムに遭遇したのか、雁木造り状の窪みの底に設けられた大小さまざまな噴水ノズルから、或る時は一斉に、また或る時はリズミカルに交互の噴射を行い、そろそろお昼近くで気温も上がって来たことから、ずぶ濡れはご免だけど、水煙、水しぶきくらいは浴びたいと思う童子達が果敢にノズルに近寄り、おっかなびっくり水に触れ合う姿を駅舎をバックに一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、門司港といえば、本土からの玄関口で、鉄道経由のアプローチでは関門トンネルを潜るルートですが、道路では、関門海峡を跨ぐ、本四架橋が出来るまでは、日本一長い吊り橋だった関門橋を通ることになりのですが、その全貌が一番良く見えるのが、ここ門司港の埠頭なので、まずはタグボートに頭だけ出演願って、ここ関門海峡随一のランドマーク、関門橋の雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、駅からレトロ地区へは徒歩5分かそこらで到着し、ランチまではまだ時間があったので、それこそレトロ地区の命名の根源となった明治から大正期にかけての煉瓦、石造りの洋風建築を眺めながら散策し、適当なところで、ランチを摂ろうと思って歩いていたのですが、何と、驚くべきことに、港のそばなのに、お目当ての海鮮系のお店が殆どなく、有るのは焼カレーと称するカレーピラフみたいなものばかりで、仕方なく、行列が一番短そうで、しかもシーフードカレーを出すお店を見つけたので、そこでランチして、また撮りながら駅に戻る途中に家族で海を見ながらピクニックしているのを見かけたので、声かけて後から一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、まさにレトロ地区の外れ、あと一角も曲がれば駅が見えてくる辺りの路上の木陰にずいぶんレトロな格好をしているお年寄りのコスプレイヤが居るなぁとか逆光もものかわ、歩み寄ってみれば、物販店の店先に客寄せ目的で置かれたプラスチック製のお人形さんだったのですが、なかなか良い雰囲気だったので、あえて斜めから陽光入れて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、本来は、小倉駅より、ここ門司港の方が少し岡山に近いので、宿に荷物を取りに戻らねばならないとは云え、また電車で小倉駅に戻るのはやや釈然としない思いはあったものの、新幹線での移動は小倉が起点なので仕方なく戻ろうと改札を潜った時、遊び疲れた親子連れが居たので、その幸せ一杯の後ろ姿を一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5、絞り開放AE撮影となります。
さて、来週は、少し間が空いたのですが、日本全国の城郭巡りの総仕上げ、最北の木造現存天守閣である弘前城を起点に東北城郭ツアーに出ますので一週スキップ、その翌週に岡山ベースでの四国の日帰り旅をお送り致します、乞うご期待!!
- 2022/07/11(月) 23:07:50|
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さて、今回はGW四日目の熊本城と夕刻移動した小倉城周囲の様子をご紹介致します。
まずは簡単な行程紹介ですが、三日目の午後、平戸から戻ってすぐに佐世保駅から14時過ぎの各駅停車のローカル列車で早岐、鳥栖経由、熊本駅には夕刻に着き、市電でお城まで徒歩圏の宿に移動し、チェッキン、お茶してから、翌日は午後には小倉に移動し、ライトアップは見られないので、晩飯前にお城まで歩いて移動し、無料入場可能エリアをぐるっと巡って、途中で晩飯食べてから、また宿に戻り、その日は熊本泊、翌日は朝10時過ぎに宿をチェックアウトし、荷物を預かって貰って、徒歩でお城まで移動し、「桜の馬場城彩苑」という名古屋城で言えば、金シャチ横丁に相当する、飲食店、物販店がミニテーマパークのように集合したエリアを通り、階段でアプローチ路に合流し、未申櫓を横目に見つつ、右手奥の特別見学コースの入場券販売ブース経由、城内に入り、臨時見学通路から郭内を巡回し、天守閣に登城後、現存最古の櫓との呼び名も高い宇土櫓の外観見学し、退城するというルートで見学後、ランチを摂ってから、宿で荷物を受け取り、市電で駅まで戻り、13時半過ぎの各駅停車のローカル線で久留米経由、小倉に移動し、夕刻、宿にチェッキン後、徒歩で小倉城まで移動し、ライトアップ前の天守閣の偉容を撮ってから、駅周辺で晩飯摂って、宿に戻ったもの。
では、さっそく、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、5/2は熊本城をぐるっと見学してからランチを摂って、次なる目的地である小倉にローカル鉄道で移動しなければならないので、朝10時過ぎには宿を出て、お城に向かい、宿から最も近い臨時見学ルートへの入場券販売・入場ゲートは「桜の馬場城彩苑」を突っ切った階段の上の坂道の右手奥なので、遥か彼方の漆黒の天守を眺めながら、その城彩苑を通る時に場違いな小姐が横を速足で追い越していったので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRokkor40mmf2.0による絞り開放AE撮影となります。

二枚目のカットですが、入場券販売・入場ゲートを目指して歩き出したら、昨晩は正面からしか見えなかった未申櫓をぐるっと回り込む格好で加藤清正公の築城術の特徴のひとつである「扇の石垣」という麓から中腹まではカーブを描いた傾斜が極めて緩く見えて登れそうだと思い取りついて登ったが最後、あと一息という頂上の手前で垂直に立ち上がった石垣がそこから先に進むのを拒絶し、逡巡しているところを櫓底部の石落としや石垣上の狭間からの弓矢や鉄砲で殲滅するという、極めて合理的な防衛メカニズムの美しさを横から撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRokkor40mmf2.0による絞り開放AE撮影となります。

三枚目のカットですが、鉄骨等もふんだんに使い、臨時見学通路とは云いながら、お金のない他の城郭の恒久的見学ルートよりも遥かに頑健で見た目にも配慮された施設を通って、いよいよ、再建された本丸大御殿下の闇(くらが)り通路を抜け、大小天守の居並ぶ様を眺められる本丸広場に出る直前に石垣の上に僅かに頭を覗かせている本丸御殿越しに遥か遠くの大天守を入れて、見事な横矢掛構造の石垣も撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRokkor40mmf2.0による絞り開放AE撮影となります。

四枚目のカットですが、ここが少なくとも国内の城郭では唯一無二の城郭防御施設である、本丸広場への主アプローチ路を本丸御殿の下、石垣のすき間の昼なお真っ暗な空間に設けるというもので、こうすることにより、迎撃側は明るいところから入ってきた敵を目の慣れた優位性で討ち取れますし、仮に打ち漏らした敵が広場に出たとしたら、今度は明るいところに目が慣れている城側の人間が優位に戦えるというものなので、面白いと思い一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRokkor40mmf2.0による絞り開放AE撮影となります。

五枚目のカットですが、まさに迎撃側の城の人間の思惑通り、闇り通路から抜け出た本丸広場は、当日はかなりの五月晴れ状態だったことも相俟って、大天守の漆黒の下見板張りを模した壁面とは裏腹にまだ真新しい漆喰で目止めされた屋根の白さが目に痛いくらいで、ちょうど全景が入る位置の記念撮影台に白人一家の兄弟が腰掛けた頃合いを見計らって一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

六枚目のカットですが、正面から何枚か撮ってみたあと、大天守に登城し、最上階まで内部の展示品を詳細に見学したのち、再び階段で下ってきて下城、時間がそれほど余裕あるわけでもないので、RC造外観復元の大小天守より関心が高い、現存の五重櫓である宇土櫓を出来るだけ近くで見ようと、大天守西側のスロープ経由北側通路を通る時に大小天守が行儀よく揃った裏側が見えたので、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

七枚目のカットですが、この熊本城内でも数少ない現存木造建造物で、先の熊本大地震でも昭和の保存修理工事で敷設された耐震補強のおかげでかろうじて倒壊ないし崩落を免れたという、現存櫓で最大かつ最古と云われる宇土櫓の偉容を通路の柵ギリギリから眺めて、撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

八枚目のカットですが、北側通路から出て、昨晩、横を通ったにも関わらず、拝殿が閉まっていたので、翌朝再びお参りさせて戴きますと心中で念じて失礼させて戴いた加藤神社にお参りさせて戴くべく、北口臨時入場券販売・入場ゲート脇の退出口から見学エリア外の昨夜通った外周通路北側を通っている時、予め確認しておいた宇土櫓を主役に若い大小天守が付き従う構図で一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

九枚目のカットですが、小倉に着いたのは16時半過ぎで、ティータイムにはちょい遅いが、日没後のライトアップにはまだだいぶ時間がある、といった微妙な時間帯だったので、とりもあえず、翌朝の撮影のリハも兼ねて、市内に城郭のある熊本同様、駅から徒歩で5~6分の宿にチェッキン、荷物を置いてからお茶するところを探しながらお城を訪ねて行ったら、道中、アテにしていた井筒屋内のカフェも全て17時仕舞いで入れて貰えず、仕方なく、黄昏の天守も良いものだとか自分に言い聞かせて、紫川に架かる橋を渡って、天守の下まで歩いて行って、散歩の親子に出演願って、その偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放AE撮影となります。

十枚目のカットですが、同じ九州内の熊本城には知名度で負け、高さでは島原城に負けと万年二番手のような微妙な立ち位置のここ小倉城ではありますが、その真価は、天守の独特な造形にあり、最上階がそのひとつ下の階層より大きく張り出している「南蛮造り」という築城時の細川のお殿様の優れた美意識が反映された造形は、津山城と高松城が許しを得て真似たというほどのものだったので、それが判り易いアングルでも一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放AE撮影となります。

十一枚目のカットですが、ここ小倉城一帯は庭園がほぼ完全に残り、本丸周囲にはお濠があって、比較的石垣も残り、八坂神社の神域も隣接していることから、かなり静穏ないにしえの時間が流れるような佇まいなのですが、これがいったん、北側に目を転じると、前衛建築の巨匠フランク・オー・ゲーリーか天才建築家ポール・アンドリューの手による建造物か!?と思えるような派手な配色、大胆かつ未来的な造形の巨大建造物が視界一杯に聳え立っており、このギャップが面白く、このリバーウォークなる商業施設目指して歩いていくカポーに後ろ姿出演願い一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放AE撮影となります。

十二枚目のカットですが、再び、視点を西の方角に向けて見れば、小倉城本の丸エリアに隣接している八坂神社境内にもお濠に面した櫓状の建造物が建てられており、もうすぐ日没に近い時刻ですっかり陽も沈みかけている空をバックに白亜の建物がお濠に映る様子が美しかったので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放AE撮影となります。

十三枚目のカットですが、お城の廻りをぐるぐると巡っていたら、熊本出る前には軽く釜飯くらいしか食べていなかったためか、しまいにはお腹が空いて来たので、ライトアップは諦め、駅までの商店街というか飲食店街のようなところで、何か名物料理でも食べて宿に戻ろうと思い、そもそも名物料理は何だっけかなとか考えながら、寂れた横丁みたいな通りを通りながら一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放AE撮影となります。

十四枚目のカットですが、同じくお城と駅の間にある、昼は閑散としていても、夜は誘蛾灯の如く、夜行性の老若男女がどこからともなく集まって、赤提灯やら縄のれんやらを目印にしたお店に吸い寄せられていくことから活気が出るはずだったのが、永年続いたCOVID19のおかげで日暮れ後も青息吐息、細々と露命を繋いでいる状態のようなので、宣伝にでもなれば、とインスタ掲載用と一緒にブログ用にも一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放AE撮影となります。

十五枚目のカットですが、結局、ハデな呼び込みやってて、若い小姐で賑わっていた、串揚げから串焼きから魚介まで何でもござれのローカル居酒屋に入って、ハイボールなんか軽く一杯引っ掛け、腹ごしらえして、宿まで戻ろうと夜の繁華街を駅方面に歩き出したら、ちょうどいい雰囲気の通りをちょうどいい雰囲気のいかにも慣れたカンジのロコカポーが前を歩いていたので、追尾しながら一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Nokton35mmf1.4による絞り開放AE撮影となります。
さて、次回は小倉城まわりと、さすがにお城ばかりだと飽きてしまうので、門司港レトロ地区の様子もご紹介致します、乞うご期待!!
- 2022/07/04(月) 23:03:42|
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