fc2ブログ

深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

A tiny adventure in Hokkaido presented by red crane in token of her gratitude②

さて、今週は予告通り、マッサンで名高いニッカウヰスキィの余市醸造所へお邪魔した際の、途中の寄り道も含めレポート致します。
まずは簡単な行程の紹介ですが、札幌滞在三日目の朝、即ち有休無しの金曜夜発、日曜夜戻りの二泊三日の弾丸旅行最後の滞在日ですので、20時過ぎの千歳空港からの帰便に合わせた行動をとらねばならず、無謀にも、見学予約の関係上、この日の午後13時10分からのコマしかとれなかったため、かなりヒヤヒヤものの余市行きとなったという次第で、見学前にランチを摂ろうと思い、途中までは路線が同一の小樽行の電車に前日と同じ時間に乗り、その結果、1時間半近く前に現地入り出来たので、駅の観光案内に相談した結果、ニッカウヰスキーから徒歩で15分程度のところにある、福原漁場という、往年のニシン御殿の様子を復元した施設があるというので、見学前に寄ってみたというわけです。
では、さっそく当日の行程に沿って実写結果を眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Sapporo22_016.jpg
まず一枚目のカットですが、駅に着いて、まずはニッカウヰスキーの元本社の荘厳なゲート前を過ぎ、地図を頼りに川を超え、漁港の先にあるという福原漁場を目指したのですが、小雨は時折ちらつくし、観光協会の地図でも、スマホンの地図でも、道の起伏が載っていないので、急な勾配ではないにせよ、緩い登り坂や下り坂を幾つか超え、目印であるはずのローカルコンビニの隣に見えてくるはずの漁場はいっこうに見当たらず、諦めかけながら、もう少し歩いたところ、やっとそれらしい看板が見え、目的地の福原漁場に着けたので、記念に一枚撮ってみたもの。

Sapporo22_017.jpg
二枚目のカットですが、駅から歩いてくると、正規の入口は更に先に設けられていて、そこで入場券売場があって、300円を支払い、入場券を買い求めて中に入るのですが、何せ、また歩いて戻る時間を考えたら、ネットの見学時間が30分少々しかないので、係員の女性職員のルート説明を最後まで聞くのももどかしく、場内を歩き出し、まず目に付いた、内地ではなかなか目にすることのない3階建てでしかも漆喰壁の外一面に下見板を張っている立派な土蔵の外観を撮ってみたもの。

Sapporo22_018.jpg
三枚目のカットですが、母屋の中も自由に入って見学出来るということで、前日の「北海道開拓の村」で見た「青山家漁場」との違いにも興味あったので、さっそく、戸を引いて土間に足を踏み入れ、陽光から、薄ぼんやり裸電球型LEDで照らされた建物内部に目を凝らして見ると、やはり、この時代のこの職種の住居の標準仕様なのか、比較的高い位置に板の間が設けられていて、その中央に囲炉裏、その周囲に物を吊るして乾かしたり、燻したりする目的の枠状の木枠がしつらえてあり、そこに往時の生活を偲ばせる草鞋や軍手などが架かっていたので、床面の茶碗越しに超ローアングルで撮ってみたもの。

Sapporo22_019.jpg
四枚目のカットですが、同じく母屋の中の親方一家の暮らすゾーンも実際に上がって、中の様子を眺めて、写真も撮れるようになっていたので、土間に靴を脱いで、先ほどの囲炉裏付の高台の板の間と土間を挟み反対側の廊下に式台経由上がって、案内板に従って、時折シャッター切りながら進んで行ったら、北の果てで荒くれ男の上に君臨するニシン漁の親方とは似つかわないような、達筆な毛筆の漢詩が書かれた屏風が立ち並ぶ部屋に足を踏み入れたので、驚きを込めて一枚撮ってみたもの。

Sapporo22_020.jpg
五枚目のカットですが、なかなか興味深かった、幕末から昭和初期にかけての最盛期のニシン漁の漁場と云われる建造物群の中の住居兼事務所の内部を仔細に検分したのち、次なる見学場所である書庫を目指すべく、裏口から陽光が燦々と降り注ぐ戸外に出て、受付で貰った場内見取り図を頼りに書庫を探すと、右手に見える先ほど入って来るときに見えた三階建ての下見板張りの土蔵がそれであることが判ったので、母屋の軒越しに側面を撮ってみたもの。

Sapporo22_021.jpg
六枚目のカットですが、さすがに最盛期は資金的にも余裕が有ったからなのでしょうか、札幌をはじめ道内各地で競うように建造された木骨造建築、明治期ではまだ鉄骨が国内では製造出来ず、また輸入したところでクレーンも溶接も、締結ボルトを締める工具もないない尽くしだったので、それらを木製の構造材で再設計したまさに和魂洋才の建造物がこの漁場内にも存在しており、漁船の展示場に使われていましたが、何となく、武骨でメカメカしい佇まいが国際救助隊サンダーバードなどの秘密基地っぽい雰囲気だったので、これもローアングルから目一杯の仰角で全体を入れて一枚撮ってみたもの。

Sapporo22_022.jpg
七枚目のカットですが、この漁場と云われる建造物群の位置する緩い丘陵の最上部に位置する米味噌蔵で、不思議なことに「北海道開拓の村」の「青山家漁場」の同じ目的の建物では、それこそ奈良の正倉院よろしく、鼠などの小動物による貴重な食料への食害を防ぐべく鼠返しのような仕掛けが支柱や入口扉周りにも施されていたのですが、ここではぱっと見、見当たらないので不思議に思いましたが、それでも、下見板張りの外壁には殺菌効果もある石灰を塗りこめた形跡が見てとれるので、別の方法で、鼠も虫もシャットアウトしていたのかもしれないとか思いつつ、正面から撮ったもの。

Sapporo22_023.jpg
八枚目のカットですが、予想以上に見どころがあったため、予定の30分をかなり超過してしまい、慌てて、駅方面、イコール、ニッカウヰスキー余市蒸留所の方向に元来た道をかなりの早足で取って返し、観光案内お勧めの駅前の海鮮丼屋で食べるのも時間的にはリスクあるし、せっかくの工場見学ということで、見学開始時間前でしたが、構内を通って反対側のフリースペースにある食堂で食べるべく受付で交渉し、快諾して貰ったので、通りがてら、メインの大麦の燻蒸工程を担う第一乾燥塔の外観を撮ってみたもの。

Sapporo22_024.jpg
九枚目のカットですが、のちほど内部は見学させて貰うことになるのですが、石炭をガンガン燃やしてその熱で、発酵してる醪を銅製鶴首のスティルポットという巨大な容器中で加熱し、アルコールの沸点付近を保持していると、アルコール濃度の高い蒸気がポット内部に立ち上りそれが鶴首から繋がる配管経由、リービッヒコンデンサの化け物みたいならせん管の熱交換器を通って、液体として回収されるのですが、その回収工程のある建物の外観を撮ってみたもの。

Sapporo22_025.jpg
十枚目のカットですが、敷地中央部分に建つ、それこそ、一般的な建物の規模感で云えば、チェーン店系のファミレスの標準的な店舗からすればだいぶ小型で、ちょっとした田舎町にありがちな個人経営のカフェとか、小洒落たイタリアンレストランとかそんな可愛らしいながらも欧風で瀟洒た趣きの建物が目に留まり、案内板に目を向けてみれば、なんと、ここがニッカウヰスキーの一丁目一番地、「大日本果汁」の創業時の建物で、マッサンの手により、日本のウヰスキーが産声を上げた場所だと知って、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。

Sapporo22_026.jpg
十一枚目のカットですが、これも敷地内を通って、エントランスとは反対側の駐車場に面したレストランに行く途中に見つけた「リタ・ハウス」というマッサンの愛妻、スコットランド産まれのリタさんが寝起きした建物ということで、竹鶴夫妻が亡くなったのちは、同社の研究所として暫く使われていたということで、今は耐震基準に満たないとして外観展示だけですが、テレビで見ていただけに感慨ひとしお、足を止めて一枚撮ってみたもの。

Sapporo22_027.jpg
十二枚目のカットですが、ここもマッサンこと竹鶴夫妻の暮らした竹鶴邸をこの工場内に移設したものということで、リタ夫人の利便を考え、建物の基本構造、そして外観はまさに洋館そのものになっていましたが、それでも細部に目を凝らすと、洋窓の内側には木枠の障子、そして玄関脇には、和の象徴そのものの石灯篭、そして案内板によれば、和室も備えており、洋式キッチンでは、リタ夫人が梅干しも漬けていたとのことで、そんな国も人種も超えた愛の巣を目の当たりにし、心を打たれ一枚撮ってみたもの。

Sapporo22_028.jpg
十三枚目のカットですが、ここも敷地内の重要見学ポイント、一号貯蔵庫、蒸留工程が完了した原酒をエイジング、即ち樽の中で数年から数十年寝かせて、樽の成分を緩やかに移しつつ、アルコール分を飛ばして、マイルドな味わいへと仕上げる最終工程を担う建屋なのですが、特にこの一号貯蔵庫が面白いのは、これ以降の建屋が鉄筋モルタル造なのに対し、ここは、他の建築当時の建屋同様、道産の凝灰岩で、そして、他の貯蔵庫も同様ですが、洋酒を保管しているにもかかわらず、注連縄を入口に巡らしているのは、竹鶴正孝の出自が広島県の日本酒の造り酒屋だからか、との思いを馳せて一枚撮ってみたもの。

Sapporo22_029.jpg
十四枚目のカットですが、城内の見学を先行しながら着いたレストランで、リタ夫人の手料理に範を採ったとのスコッチブロスという子羊肉を蒸したオーツ麦とともに岩塩で味付けしたスープで煮込んだものと道産の魚介のオードブルからなる珍しいランチを戴き、いったん、また元来た道を早足で戻って、集合時間ギリギリに受付に戻って手続きを行い、正規の工場見学開始、正規の見学本番でしか見られない、蒸留用ポットスチル底部を加熱する炉への石炭くべを至近距離で撮らせて戴いたもの。
Sapporo22_030.jpg
十五枚目のカットですが、ガイドの小姐の案内で構内をぐるっと巡り、先ほど食事したレストランの二階まで案内され、そこで二種のウイスキーとアップルブランデ-を試飲して終了、ホントは売店で、ここでしか買えないボトルやら、お土産を買い求め、ウィスキー資料館で有料試飲などもして、係の専門家の方々とお酒について語り合いたかったのですが、何せ、フライトがその日の夜で、札幌駅に荷物預けていたので、それを取ってから空港で晩飯を食べてから搭乗しなければならなかったので、後ろ髪を引かれる思いで正門から目の前に駅に歩く途中、振り返って、歓待してくれたニッカウヰスキー正門を撮ってみたもの。

今回の感想ですが、いはやは、北海道は奥が深い、本土では太平洋戦争後の高度成長期、そしてバブル崩壊という経済の生成流転で痕跡さえも消えつつある、明治期からの日本の経済成長の歩みがしっかりと遺されている。前回は五稜郭、松前城に目がくらみ、札幌は一泊だけでしかも移動日の午前中が小樽行きで市内も周辺も十分に見て回りませんでしたが、こんなに日本の歩みを、そして日本人の誇りと情熱を呼び覚まさせられるとは。また機会があれば是非勉強さっせて貰いたいと思いました。

さて次回は久々の工房作新レンズの試写結果行きます、乞うご期待!!
  1. 2022/08/28(日) 23:57:43|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

A tiny adventure in Hokkaido presented by red crane in token of her gratitude①

さて、今週は予告通り、赤い鶴の恩返しで、無料で貰った往復航空券で旅した、銘玉・珍玉同伴の札幌の旅から、前半をお送り致します。
まず、簡単な行程紹介ですが、5/27の20時過ぎの便で羽田から空路、札幌千歳空港に移動し、21時過ぎに着陸し、そのまま快速電車で市内のホテルに移動し、翌朝は、先般は半日弱しか予定を見ていなかった小樽を時間無制限で探訪しようと、10時台前半の快速電車で移動し、11時過ぎから、運河伝いの景色を堪能、一番端から端まで踏破したのち、三角市場の前回もお邪魔したお店で4色丼を戴き、駅舎内のバーガーキングでお茶してから、次なる目的地、「北海道開拓の村」に移動し、カンバンまで撮りまくって、滞在二日目は終了・・・こんなカンジでした。
では、さっそく、当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。

札幌弾丸22_001
まず一枚目のカットですが、今回が二回目の訪問となる小樽の駅舎内部、高い天井から連なり、通りに向けて開放された巨大な窓の内側一面に掲げられた石油ランプ型の照明オブジェが仄暗い駅舎内をカクテルライト状態でぼぉっと照らしている風情が何とも云えなかったので、運河地帯へと急く心を抑え、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_002
二枚目のカットですが、駅から真っ直ぐ伸びた、メインストリートである中央通りを歩くこと10分程度でお目当ての運河伝いの景観地域に到達するのですが、この日も到着日の大雨程ではないにせよ、依然として、どんよりとした低い雲が海から街並みにかけて覆っており、小樽ご自慢の運河越しの倉庫群の写真もどんよりとした重苦しい描写になってしまったもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_003
三枚目のカットですが、中央通りと運河との交差点を接点として左右に倉庫街が伸び、海側の倉庫、正確には元倉庫は、リノベを受けて、大箱レストランになったり、或いは地ビールの醸造所兼ビアホールになったり、博物館になったりと第二の"人生"を謳歌しているようすだったのですが、それでも、明治期から昭和初期にかけての北国に出来た商業・物流の一大拠点の建造物の佇まいを遺していたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_004
四枚目のカットですが、運河の東南の果てまで到達してしまったので、折り返し、今度は北西を目指して歩いていたところ、前回は足場にネットでもかけていたのか、全く気付かなかったのですが、笑っているような、何か咥えながら話し掛けてくるような表情の煉瓦造りの倉庫が通りから中に少し入った辺りに見えたので、これは面白い!と思い一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_005
五枚目のカットですが、運河伝いの散策道の北西の終点に近い辺りに位置する、ブリキの缶を製造する三大製缶メーカーのひとつ、北海製缶の主力工場なのですが、複数の微妙に形状の異なる煙突が所狭しと工場建屋から生え揃う景色は何となく、ジブリの、"ハウルの動く城"っぽい雰囲気もしてそれが、この重苦しい空の下に妙にマッチしているので、一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_006
六枚目のカットですが、前回訪問した際に、路上に初期型の白いロータスヨーロッパが停めてあり、店の前のスペースにも古いルノーとかなかなかセンスの良いオールドタイマーが置かれていたカフェが在ったことを思い出し、お昼前に軽くお茶しても良いかな、とか考えながら歩いていたら、妙にヘンなカッコの老若男女とすれ違うので何事かと足を進めてみたら、いきなり目の前にスパイダーマン状の少年がしゃがみ込んでポージング、相方が、せっかくだから、ライカで撮って!と勧めてくれたので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_007
七枚目のカットですが、相方の起点でなかなか面白い写真撮れたので、お礼とばかり、相方のα7Ⅲで二人の記念撮影なんか撮って上げていたら、近くで見ていた東京リベンジャーズの小姐二名も「押忍!うちらにもシャッター押して貰えませんか!?」とか云うので、撮って上げたお礼に、顔出し勘弁wwwとか脱兎の如く逃げちゃったもう一名除きで、一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_008
八枚目のカットですが、ホントはもっと会場のそばで撮ろうと思えば撮れたのですが、何せ小雨で傘が無い状態なので、大降りになっても避難するところは無し、それ以上にランチの時間を考えれば、長居も出来ないので、早々に会場付近を離脱し、運河伝いの散策道より内陸にある、旧国鉄手宮線跡の散策道を伝って、駅方面に戻ることとし、歩きながら、線路伝いに可憐なチューリップが植えられたところを見つけ、屈み込んで一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_009
九枚目のカットですが、ここ手宮線跡の散策道沿いも運河伝いの道を回遊してきた観光客目当てなのか、古民家とか店舗兼住宅などをリノベしたレストランやらカフェなどが点在しており、凝灰岩造りの土蔵みたいな建造物を改装し、壁面に蔓草植物を這わせ、入口付近には暖炉なのか、ピザ窯なのか判りませんが、何らかの熱源として薪を使用していることを強くアピールすべく、薪ラックを設けてある、カフェに入ろうかそうしようか逡巡している小姐二名組が居たので、有難くご出演願ったもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_010
十枚目のカットですが、手宮線の線路跡の散策道は、メインストリートの中央通りを跨いで、寿司政で有名な寿司屋通りと交差する辺りまで続いているのですが、わざわざ観光地価格モード全開の寿司屋でランチを食べようという気などさらさら無かったので、中央通りの手前で駅方面に向かって歩き、目指す三角市場に到着、前回、なかなかお得に旨いものを食べさせて戴いた記憶も鮮明に残る「鮮魚食堂かわしま」さんまっしぐらに歩きながら、いくらはお幾ら??とか凄くベタなギャグで店のオヤジに話し掛け、まんまと試食モードに持ち込んだ、お買い物百戦錬磨の小姐二名組の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはRodenstock Heligon35mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_011
十一枚目のカットですが、無事、「鮮魚食堂かわしま」さんにて、四色丼などリーズナブルな価格でご馳走になり、列車の時間までは少々あったので、駅舎内のバーガーキングでお茶して時間潰し、空港快速で札幌駅をオーバーランして、新札幌駅まで乗って、そこからバスで20分ほど揺られて着いたのが、「北海道開拓の村」で明治に入ってすぐの入植者の住居からニシン漁最盛期の網元御殿、政府の開拓使の建造物、町屋の建物に至るまで総勢、52棟が保存修理の上、移築されているので、見どころ満載、エントランス入ってすぐのところにある馬車便の動きだしたところをダッシュで追い縋って一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_012
十二枚目のカットですが、ここはまさに目からウロコというか、夾雑物無しに感動したのですが、大正期から戦後にかけて、炭鉱で賑わう岩見沢の街で営業していたという写真館の二階のスタジオの様子で、ランプとか、マグネシウムフラッシュなどというものに頼らず、屋根の北側に当たる部分を当時は極めて高価なガラス張りにしていて、それを通じて射し込む午後の陽光がとても柔らかく室内を照らしていたので、反射的に一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_013
十三枚目のカットですが、開拓村の最深部の一角に位置する、最盛期の鰊漁の網元の母屋をメインにしたいわゆる鰊漁場を小樽郊外から移築、保存修理したもので、もうこれを目にした瞬間、昭和生まれの工房主は頭の中で北原ミレイの「石狩晩歌」のヘビロテ状態、後で移築前の小樽のサイトがその歌のモチーフになったと知って、二度感動したのですが、なかなか知ることのない中の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_014
十四枚目のカットですが、同じく開拓の村のハイライトのひとつ、本土とは異なり、耕作地も放牧地も桁違いにスケールの大きな北海道は、明治、大正、昭和を通じて、欧米からの機械化農業の手法、装備導入が連綿と続き、その歴史的遺産とも云える農業機械が可能な限り整備され、それがまた当時の建築工学では最先端である「キングポスト・トラス組」という木骨構造の倉庫に格納されているので、判る人間には価値が判る極めて渋い展示に感動し、一枚戴いてみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

札幌弾丸22_015
十五枚目のカットですが、ここ開拓の村にはお城がないので、さっと見れば良いかとか思って入場したのですが、思いのほか、関心のツボにはまってしまい、二時間半以上も滞在していたら、しまいには、閉場の準備を始めた警備員さんに出口への道を教えられるくらいの時間まで滞在してしまい、その道すがら、鬱蒼とした森の中に材木を積んだキャリアとそれを牽引する黄色い気動車が並んで板張りの車庫に収められていたのを発見し、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

さて、次回は、マッサンで名高いニッカウヰスキィの余市醸造所へお邪魔した際の、途中の寄り道も含めレポート致します、乞うご期待!!
  1. 2022/08/21(日) 23:30:25|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Great Journey to explore ruins of ancient castles in western Japan in GW ’22⑧

さて、今週は予告通り、5/6の和歌山城、岸和田城、そして最終日5/7の岐阜は郡上八幡城へ訪問した際の様子をレポート致します。
まずは簡単な行程の紹介ですが、5/5の晩に大阪に入り、翌6日の朝はホテルをチェッカウトし、南海のなんば駅の改札に近い辺りのロッカーに旅装具一式を詰めた大型カバンを預け、10時前の快速電車でまずは南海和歌山駅に向かい、そこから徒歩で15分強の和歌山城を訪問し、廓、RC造の外観復元天守の内外を仔細に検分し、廓にアプローチしたのとは別のルートから下城し、また元来た道を駅まで辿って、時間的にはちょっと遅くなってしまったものの、駅ビルでうどん系ランチを戴き、再び南海電車に乗って、岸和田城の最寄り駅である、蛸地蔵駅まで移動し、そこから徒歩10分ほどの岸和田城のRC造の復興天守閣を存分に堪能したのち、大阪経由、岐阜まで在来線乗り継ぎで一挙に移動し、岐阜で一泊し、翌朝は8時台の高速バスで郡上八幡に移動し、模擬天守と市内の小京都とも称される街並みを堪能し、たまたま空いていた台湾料理屋で望外の台湾ラーメンと餃子をランチに戴き、再び、高速バスで岐阜に戻り、在来線で名古屋に移動し、19時台のぷらっとこだまだったために、名古屋城で時間潰し後、駅の地下街で、豪華なエビブライ系ディナーを戴いて、お江戸は深川まで戻ってきたというのが今回の旅のしめくくり。
では、さっそく両日の足取りの沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

Osaka_castle2205_001.jpg
まず一枚目のカットですが、実は奉公先のお仕事で、和歌山城の近くまでは来たことがあり、観光センターみたいなところで、お土産も買ったことが有ったのですが、廓の中に足を踏み入れたのは今回が初めてで、観光センターで複数の根来忍者衆と遭遇していたので、郭内にも複数潜んでいるのは予想していたのですが、恒例の天守閣バックにした自撮りをしていたら、唐突に「殿、何をなさいます!?おいたわしや、みどもが撮って差し上げます」とか近寄ってきたので、あ、記念撮影は済んじゃったんで、お城をバックに顔出しモデルやって下さるか?と申し入れたら、造作もないこと!とモデルさんになって貰ったもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはErnst Leitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_002.jpg
二枚目のカットですが、親切忍者隊に属する忍者殿に遭遇したのが天守閣への入口の切符売り場のすぐそばで、切符を買い求めて、内部が歴史資料館になっているRC造の天守閣一階へは附櫓状の建物の玄関から中に入るのですが、ここ和歌山城は「連立型天守閣」という他には姫路城、松山城といった錚々たる国宝、重文級の木造現存天守しかない大規模な形状のため、足を踏み入れる前から興味深々で、中に入る前にその雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_003.jpg
三枚目のカットですが、中に入ってしまえば、破風に相当する部位や、四隅の柱の形状が普通のRC造ののビルと異なるだけで、木造の現存ないし、史実、資料に忠実に木造で復元された天守、大型の櫓とは異なり、やたら柱だらけということもなく、普通の博物館の建物そのもので、3階建てなので、各階の展示をほどほどに眺め、階段を登れば、あっという間に最上階の展望スペースに到着するのですが、木造天守閣とは異なり、窓も広々とし、天井面も装飾され、簡素ながらシャンデリア状の照明器具まで吊り下げられた最上階内部の様子を階段から一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_004.jpg
四枚目のカットですが、さっそく、最上階の外周に設けられた廻縁という一周できる形状のバルコニーに出てみると、和歌山市の中心部、河口部に程近い小高い山の上に建てられた建物だけあって、並みの三階建てのビルの屋上など比べ物にならないくらい眺めも風通しもよく、逆に云えば、海風と、工業地帯からの酸性ガスのようなものが始終吹き付けられてこその、建物や展示物の傷みなのだろうな、と思い知らされた立地が良く判る一枚。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはCarlZeiss Biogon25mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_005.jpg
五枚目のカットですが、天守閣の最上階まで攻め登ってしまえば、戦国時代なら、お殿様なり家老衆の首を取っての凱旋の帰路ですが、この平和のご時世、ニコニコ笑って見送ってくれる忍者各位のおもてなしを後に、老母へのメダルを買い求めねばならなかったので、お濠そばの観光センターに売っていることを年配の忍者氏に教えて貰い、入ってきたのとはちょうど正反対の一の橋から出たので、お濠をぐるっと回って、センターに移動する際、復元ではあるものの、国内には非常にレアな屋根付きの廊下橋が見えたので、天守をバックに一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_006.jpg
六枚目のカットですが、駅までの途中でローカル色に溢るるランチを戴く予定だったのが、思った以上に城郭の見学に時間を要し、元々、通り道沿いにランチを出してくれそうなレストラン、食堂自体が殆どなく、唯一、市役所の食堂で地産地消のブッヘを適価で食べられることは判っていたのですが、ラストオーダーまで30分も残っておらず、また、岸和田城を見てから、在来線で岐阜への移動なので、今度は岐阜での晩飯を逃すおそれもあったため、心を鬼にして、駅まで戻り、駅ビル内のうどん屋で軽くランチを戴いたのち、南海電車で50分ほどの蛸地蔵駅に移動し、スマホンのナビを頼りにお城を訪ねる途中に撮った町屋の佇まい。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_007.jpg
七枚目のカットですが、途中、多少の行きつ戻りつは有ったのですが、視界の開けた通りの彼方に白亜の望楼型の凛とした天守の姿が見えたら、スマホンのナビは即終了、あとはただひたすら、往来の交通と信号のみに気をつけて、ひたすら歩き続けたら、先ほどまで居た和歌山城よりはだいぶ小振りながら、和歌山城の抑えとするため建てられたとの伝説も残る、屹立する立派な高石垣と深そうな堀、その彼方の本丸に聳え立つ三層三階の天守閣が視界に広がったので、登城前に足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_008.jpg
八枚目のカットですが、ここ岸和田城は四方を濠と石垣に囲まれて、本の丸へのアプローチ路は、これもRC造の復元ながら、かなり立派な大手門櫓に繋がる石垣上の橋を渡らねばならないのですが、おそらくは、お城が現役当時は、樹木など敵に身を隠す場所を与え、守備側にとっては、視界の妨げとなる視覚を遮る邪魔者でしかないので、こんなに丹精して植えられていようはずもなく、櫓門上の銃眼、そして両側の濠の上の石垣に建てられた漆喰塀の狭間から雨あられと鉛玉のシャワーで歓迎出来るような城構えになっていたのだろうなと思い、門の前で一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_009.jpg
九枚目のカットですが、大手門を潜り、左に曲がって、本の丸の中庭に足を踏み入れると、如何にも、計算し尽くされた造園の粋のような庭園、それもそのはず、昭和28年に国指定史跡になっている「八陣の庭」という著名な造園家の設計した庭園越しに真新しい漆喰が午後の陽射しを照り返す天守の偉容はとても感動的ですらあって、思わず足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_010.jpg
十枚目のカットですが、和歌山城同様、附櫓に設けられた登城口から中に入り、天守の最上階まで仔細に検分したのち、予定された大阪からの出発時刻を考えると、それほど余韻に浸っている時間もないので、来る時は、京都の人間が首を傾げそうな蛸地蔵駅から来ましたが、特急も停まる岸和田駅まで歩くこととし、来た方角とは逆向きにお濠を回る途中で振り返ったら、ちょうど西に傾き出した初夏の陽光が立派な天守をセミシルエットに映し出していたので、これも一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはMinolta Rokkor40mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_011.jpg
十一枚目のカットですが、翌日は、名鉄岐阜駅に近い宿に荷物を預かって貰って、チェッカウトし、名鉄駅隣のバス停から8:45発の高速道路経由の郡上八幡城下町プラザ行きのバスに乗って、10時前にお城の下の博覧館前で下車し、シャトルバス乗り場が判らなかったので、有り余る体力にものを云わせ、15分ほどの坂道を徒歩で登り、お城が見えるポイントまで到達したので、ご褒美のような新緑に包まれたお城の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_012.jpg
十二枚目のカットですが、天守への登城にはまだまだ先があり、結構きつめの石段が続くことが、予め調べてあったので、先を急ぐと、本の丸へのアプローチ路である石段手前で、天守と石垣、漆喰塀が一枚にコンパクトに収まる、いかにも観光パンフにありがちなシーンに遭遇したので、さっそく撮ろうとしたら、二組の若い観光客各位が降りてきたので、有難く一枚戴いてみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_013.jpg
十三枚目のカットですが、ここが最後の関所、本の丸へと続く石段とその頂上に設けられた最後の防衛拠点である大手櫓門なのですが、その石段の両側に聳え立つ漆喰塀にもちゃんと狭間という銃眼や、矢を射る穴が設けられており、それなりに戦国の山城の緊張感を再現しているのが健気で面白いと思い、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_014.jpg
十四枚目のカットですが、本の丸に足を踏み入れると、明治期には何もない更地のようだったのですが、天守が木造で作られ(但し模擬天守扱い)、隅櫓、大手櫓門が作られたとのことなのですが、直接は関係ないのですが、かの著名な戦国武将、土佐藩の始祖となった山内一豊の奥方である千代殿の実家が、この郡上八幡の領主だった遠藤氏とのことで、厳めしい造りの隅櫓前にPR用に置かれた漫画チックな記念撮影用ハリーボッテー(笑)
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Osaka_castle2205_015.jpg
十五枚目のカットですが、木造の模擬天守とは云え、昭和初期に当時は現存した大垣城をモデルに外観を似せて建造したという4層5階建てのちょっとしたビル並みの大型建造物で、内部構造はどうなっているのか興味深々でしたが、やはり、軽量化と簡素化が至上命題だったらしく、戦後の史実、資料に忠実に復元された白河小峰城、掛川城、そして真打格の大洲城の内部構造とは似て非なるもので、しいていえば、田舎の小中学校の木造校舎を上方向に伸ばしたもの、という趣きで、壁など、鉄砲玉はおろか、下手したら、弓矢でも通ってしまうような薄い木の壁の表面を白く漆喰で塗ったような構造なので、それが判るよう、窓際で一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、、レンズはCarlZeiss Tessar35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

今回の旅の感想ですが、いやはや、国内旅行も面白い!長崎から船に乗って神戸に着いた♪という歌謡曲が昭和の御世にありましたが、今回は成田から飛行機に乗って長崎に着いた、そして佐世保、熊本、小倉、岡山、大阪、岐阜とまた鉄道を乗り継いで、現地の食べ物を有難く戴き、お城を見せて貰って、とても佳き体験となりました。この経験のおかげか、戻って間もない6月の城郭検定では2級を上位10%という好成績で難なくクリア出来ました。

さて、次回はGWの旅から戻ってきて2週間後、お城ではないですが、赤い鶴の恩返しで、無料で貰った往復航空券で旅した、銘玉・珍玉同伴の札幌の旅から、お送り致します、乞うご期待!!
  1. 2022/08/08(月) 00:34:32|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる