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深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

The challenge of a zoom lens called phantom~Takada Castle by Leitz Vario-Elmar21-35mmf3.3-4 asph.

さて、今回の更新は、予告通り、SONYα7cにVario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.で一本勝負を挑んだ下越地方の名城の様子をお送り致したいと思います。
まずは簡単な行程のご紹介ですが、昨年は9月の下旬のテレワーク時、ふと、奉公先の地方工場に行った際に現地スタッフから言われた、「桜の高田城はとてもきれい」とか、日本城郭検定で頻出の、「低湿地に築城されたため、不同沈下を起こし易い石垣とはせず、城内には排水のための高度な暗渠が巡らされている」を思い出し、さすがにここだけを観に一泊で行くのも何なので、9/23(土)に空模様もものかわ、先の上田城・小諸城日帰りツアーの延長戦として、長野の先の上越妙高まで北陸新幹線で移動し、そこからはねこうまラインという第三セクター鉄道に乗って二つ目の駅である「高田駅」で降り、だいぶ泣き出しそうな雲行きではあったのですが、腹が減っては戦は出来ぬの譬え通り、まずは駅を降り、お城の途上にある、大きめなお寿司屋さんに入って、海鮮丼のランチを頂いてから、雨を気にしぃしぃ、お城を目指してひたすら歩くこと15分弱、小ぶりな復元三階櫓しかない小規模なお城にしては、場違いなカンジの広大なお濠越しに、目指す櫓が見えて来たので、足を速めて曲輪内に入り、思う存分撮ってからまた駅に戻って、またはねこうまラインで上越妙高まで戻り、イブニングティーを楽しんでから、その日のうちにお江戸に戻ったというものです。
では、さっそく現地での足取りに沿った実写結果を逐次眺めて参りましょう。

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まず一枚目のカットですが、高田駅からお城を目指して歩いていくと、川幅はそれほど広くはないものの、堤防がV字型に深い川に架かった橋を渡り、そして暫くすると、湖の如き広大な外堀、現在は東洋最大の蓮畑になっているらしいのですが、そこに架けられた橋を渡ると、またしても、そこそこの幅の内濠が現れ、まさに映画「のぼうの城」そのものの水に浮く城のイメージでしたが、内濠越しに土塁にしてはかなり高い櫓台の上の三階櫓の裏側を一枚撮ってみたもの。

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二枚目のカットですが、内濠を渡ると、お城のシンボルである、鉄骨+木造のハイブリッド三階櫓が間近に見えるようになり、外観もさることながら、RC造でもなく、かといって、木造復元でもない、第三の復元建造物の内部を仔細に検分出来ると思うと、否が応でも興奮は高まり、土塁の一角に設けられた、入口につながる階段への道へと速足で進んでいたのですがちょうど、前カットの90度横の位置で、木立が切れ、建物の全体像は比較的良く捉えられる場所に出たので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

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三枚目のカットですが、三階櫓の近くまでやっては来たのですが、懸念していた通り、通り雨の雨足が強まってきたので、トイレ休憩も兼ねて、櫓の建つ土塁の麓に設けられた、管理棟兼無料休憩所兼厠に立ち寄り、用を済ませてから、無料休憩所のベンチから外の雨の具合を眺め、10分ほどして小康状態になってきたので、一気に階段を駆け上り、三階櫓の入口に駆け込もうと思った時、ここからの見上げるアングルもなかなかと思い、相合傘で佇むカポーを入れて一枚撮ってみたもの。

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四枚目のカットですが、入口で入場料を払い、建物の中に足を踏み入れてみると、確かに某国営放送の大型時代劇シリーズの建物監修を行っている、有名城郭研究家の大先生が「木造復元」とその著書で書いてしまうほど、見た目は良く出来ており、視界に入る建物内の様子は、太い木の柱や梁がここぞとばかりに大迫力で巡らされており、昭和一桁代から、平成に入るまで日本各地で作られたRC造の、外はお城、中は不規則な空間の狭いビルディングという天守、櫓とは一線を画している様子を一枚撮ってみたもの。

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五枚目のカットですが、同じく、三階櫓内部は一階のフロアですが、ここも、三階櫓で言えば、白河小峰城とか、この前週に訪問した西尾城本丸丑寅櫓のように、内部に建てられた木の柱、建築工学的には、二階の外周部分と合致する位置に建てられた柱の大きさも、見た目では殆ど同じで、傷がつかない程度に叩いてみたところ、どうやら、表面の木は薄板を貼っただけのものらしく、内部には鉄骨が建てられていて、おそらくは耐火材を介し、その上に化粧板でしょうが、木材を貼り付け、全体的に木造復元に非常に良く似せた様子を一枚撮ってみたもの。

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六枚目のカットですが、三階櫓二階の切妻破風の手前から、「武者走り」に相当する上階支持柱列外側の廊下状のスペース天井部分にこれでもか、と張り巡らされた、木の柱、梁、そして垂木の上の野地板、確かにこれだけ木材をふんだんに用いて、中を飾り立てれば、木造復元には及ばないまでも、耐震強度、耐火構造に関する規制をクリアしながら、見た目は木造に限りなく近いテイストのお城が出来るなぁとか感心して一枚撮ってみたもの。

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七枚目のカットですが、確かによくよく考えてみれば、城郭建築では屋根の形状はほぼ例外なく、入母屋造りという短辺の上部から半分以下が三角形に開口(破風)していて、その下に長辺と90度の位置で短い屋根が付けられている屋根構造が一般的なのですが、ここ、高田城三階櫓では南北の破風は一階部分も、三階部分も何故かその短い屋根付の入母屋造りではなく、切妻造りという民家や土蔵に用いられるようなエコノミータイプの構造になっていて、中はどのように再現されているのか興味津々で確認しながら一枚撮ってみたもの。

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八枚目のカットですが、階段を登り、各階の展示を眺めながら最上階に到達すると、これまでの、窓からの採光がなく、薄暗い人工照明だけだった一階、二階とはうって変わって、広く開け放たれた窓からの外光に照らされた室内は明るいことこの上なく、冷静に考えたら、戦闘時の物見台かつ、英語で「Tarret」、そう戦艦大和などの「砲塔」と同じ用語が当てられており、弓矢ら鉄砲で押し寄せる敵を撃破する目的の建物なのに、こんな窓が広くて日当たり良好では、敵からも思う存分撃ち返されて、守備兵は瞬く間に全滅するのではと心配しつつ撮った一枚。

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九枚目のカットですが、RC造と木造、これは現存・復元共に、の話ですが、見分けるポイントは、屋根裏の小屋組の展示有無で、犬山城の天守の様に天井板を張ってしまって、屋根裏を見えないようにしている例外はありますが、そもそも構造上、小屋組など存在しないRC造では見せようがないため、例外なく天井板を張って、内側を見せないようにしていますが、この鉄骨造の復元櫓は、限りなく木造に近い屋根裏の見た目を再現しており、ご丁寧なことに、木造建築ばりの上げ棟札まで小屋組の最上部に打ち付けているので、ここまでやるか?と感心して一枚撮ってみたもの。

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十枚目のカットですが、三階櫓最上階の光が良く射し込む窓は、反対にそこからの眺めもすこぶる良いということなので、さっそく、窓辺から下界を眺めてみれば、たまたま正面入口の真上に位置する窓だったため、本瓦棒葺の屋根越しに、このお城の特徴のひとつである、これだけの大きな三階櫓が石垣ではなく、高い土塁の上に建てられているということが上からもよく見て取れる構図なので、せっかくなので一枚撮ってみたもの。

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十一枚目のカットですが、この日は降ったりやんだりの、お城巡りを生きがいとする人間には、かなり苛酷な一日で、三階櫓最上階からの絶景も見える距離が限られてしまい、本来なら、何もない田舎町のこと、新潟は下越地方の名山であり、駅名にも名前が採られている妙高山も見えず、それでも近場の山の稜線が内濠とその周囲の緑の木々越しに見えて、なかなか鄙の景色としては秀逸だったため、記念に一枚撮ってみたもの。

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十二枚目のカットですが、人生もお城巡りも登り切ってしまえば、後は下って、退場するだけなので、最上階の屋根裏の小屋組構造と窓からの下界の景色を十分堪能したのち、水が良いためか、お茶と自家製ケーキが美味しい上越妙高駅構内の土産物屋兼食堂でのティータイムに思いを馳せ、受付の係員各位に感想などを述べたのち下城し、入口付近から、櫓にしては高級な真壁造り(漆喰壁の間に柱材が見える構造)と下見板張りと漆喰壁のコンビネーションが美しく、ちょっと破風が大げさで天守閣に日和ったカンジがないでもない外観をドアップで撮ってみたもの。

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十三枚目のカットですが、ここ高田城も、全国各地の数多くのお城と同様、明治維新以降の廃城、都市化によって、城郭の全ての建造物は損なわれ、お濠も大半が埋められて道路や駐車場、学校などの敷地になってしまいましたが、それでも、本丸のそこかしこには、ここが城郭の一部であったことを示す記憶の残滓とも言える、かなり高い土塁が遺されており、その草む姿が秋の雨にしっとりと濡れて、イイ色合いを出していたので、一枚撮ってみたもの。

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十四枚目のカットですが、ここ本丸は「浮き城」と呼ばれた忍城や、その一族の城であり、同様に湿地の中に廓を点在させていた騎西城同様、本丸は周囲を比較的大きな内堀に囲まれていて、有事の際は、二の丸との間の木の橋を落としてしまえば、本丸へは敵勢が攻め込めない構造になっていたのですが、そのうちの一本、南側に架けられていたという「極楽橋」を木製で復元したものを渡る前に一枚撮ってみたもの。

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十五喰のコンビネーションもシックな、鉄骨と木造のサイボーグ櫓が、雨の中、江戸表からよう来て下さった、と、帰り道を見送ってくれているような雰囲気だったので、手を振りたい思いで一枚撮ってみたもの。

今回の感想ですが、「弁慶の七つ道具」よろしく数多くの焦点距離のレンズをメインとサブの二台のカメラとともに知恵の輪の如く、カメラバッグに収めて出かけて、シチュエーションに応じて交換し、適切な画角で収めてくるのが正道なのかも知れませんが、フィルムカメラと違い、ミラーレスはレンズ交換に余計に神経使わねばならず、その結果、多くは28mm一本勝負とか、25mmで撮り尽くしとか、結局、持って行った他のレンズはウェイトトレーニングの鉄アレー代わりにしかならず、特に今回は出かける前から、天候が宜しくないことは覚悟していたので、この極めて高性能で高価なズームは大変いい仕事してくれたと感じました。

さて、次回は、またしてもクラシックレンズ達と旅をしてきた京都近郊の史跡巡りを二週に亘ってお送り致します、乞うご期待!!
  1. 2023/03/26(日) 16:06:11|
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Joyful trip to see Japan's tradition from Fukui to Nagoya '22 Sept③

さて、今回の更新は、予告通り、名古屋編最終回、西尾城のあとに回った、旭城、最終日出発前の名古屋城内の様子をお送り致します。
まずは簡単な行程のご紹介ですが、9/18は午前から午後にかけて、先週ご紹介した西尾市の西尾城を巡り、いったん名古屋市内に戻ってから、ランチを挟んで、金山経由、名鉄線で旭市に入り、徒歩で15分弱の旭城へ向かい、小一時間ほど城内、周囲を見学してから、名古屋市内に戻り、その日も名古屋泊、翌19日の午後遅い新幹線で帰京する予定だったので、その時間ギリギリまで名古屋城の内部を散策してきた、というのが、この回のあらまし。
では、さっそく二日間の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラは、Leica M(TIPO240)、レンズは1~5枚目がLeitz Summaron35mmf3.、6枚目以降はElmarit28mmf2.85による、全コマ絞り開放AE撮影となります。

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まず一枚目のカットですが、旭駅からスマホンの示す地図に従って歩いていくと、駅周辺の店舗が建ち並ぶエリアから住宅街を抜け、10分も歩くと、そろそろ刈り取り時期も近い田んぼの彼方に、それらしい、層塔型の四層四階、連結型に区分される、比較的真新しい模擬天守が小高い丘の中腹に佇んでいたので、足早に至近距離まで駆け寄って、入場無料の城内に上げて貰う前に一枚撮ってみたもの。

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二枚目のカットですが、鉄筋コンクリート造の模擬天守は外観はお城そのものですが、中に入ってしまえば、普通のビル、しかもエレベータがついておらず、しかも上の階に行くに従って、だんだん狭くなってしまい、一般的なストレートな構造のビルに比べ、著しく使い勝手が悪い建物以外の何物でもないのですが、ここ旭城は、尾張平野のど真ん中にあって、しかも山の中腹にあるので、展望スペースとしての景色は抜群、ちょうど、刈り取り前の郷土愛に溢れた田んぼアートが見えたので、一枚撮ってみたもの。

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三枚目のカットですが、ここ旭城の模擬天守は、古戦場に在った簡単な砦のようなお城の痕跡だけでは観光資源としてはインパクトが小さいため、真似易い大垣城辺りをパクッて、それなりに立派な模擬天守を建ててはみたのはイイですが、工房主のような病的マニアはとっては、天守よりもその裏山に明らかな土塁跡の残る本来の城跡の方が興味をそそられ、最上階で田んぼアートの裏側に見えた、本来の城跡にかけつけ、本物の土塁跡を一枚撮ってみたもの。

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四枚目のカットですが、天守裏側の山のあちこちに残る、土塁のお城の痕跡を堪能しながら、ふと考えたのが、なかなかドローンでも使わない限り、至近距離のアイレベルで天守を見るなどということは不可能に近いので、いったん、古城跡を降りかけたのですが、思い直して再度斜面を駆け上り、先ほど天守最上階から見た土塁の上から、これが本物の天守じゃ、火縄銃で十字砲火浴びてズタズタだぜ、とかひとりごちながら一枚撮ってみたもの。

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五枚目のカットですが、それなりにお金かけて作られたというた割には、あちこちツメが甘く、期せずしてツッコミどころ満載となってしまった、なんちゃって天守閣に別れを告げ、最上階から眺めた黄金色に稲穂越しに、遠目の外観としては悪くはない、この愛すべき、落ちこぼれ天守の一番美しいアングルを探し、田んぼの中の畔道を歩いて、探り当てた必殺の一枚。

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六枚目のカットですが、翌日は駅前のホテルを10時前にチェッカウトし、荷物を預かって貰って、地下鉄を乗り継いで「名古屋市役所」駅に移動し、金鯱横丁経由、名古屋城址公園に入城、名古屋支店には2年半近く居たのに、実は来たことが一回、しかも職場の人間と缶ビール吞みながら、夜桜見物しながらそぞろ歩きした程度だったのですが、新型コロナ以降、国内の城郭巡りの一環として、既に5回程度訪問しており、今回も本丸を目指して歩きながら、その南西に在る、貴重な現存建造物である南西隅櫓の勇姿を一枚撮ってみたもの。

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七枚目のカットですが、市役所駅からのアプローチだと、本丸表二之門という内堀に掛かった石橋の先にある門を潜って、本丸への入ることになるのですが、残念なことに資金不足なのか、或いは、もともと、不足気味の文化財修復技術者の手配が追いつかないのか、国指定重文にも関わらず、あちこち漆喰壁が崩れて、中の土壁が露出していたり、金物が錆びて落ちるがままにしておかれたりと暗澹たる状態なのですが、とりあえずは潜る前に一枚撮ってみたもの。

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八枚目のカットですが、本丸表二之門を潜って、本丸内部に入っていくと、左手は天守閣と本丸御殿の在るエリアへと繋がっているのですが、右手の巨大な石垣の間を通り抜けていくと、加藤清正が据え付けたという伝承のある巨石の前にこれも国指定重文の旧二之丸東二之門という立派な門が本丸と二之丸の境界を示すように建てられており、特にこの門の特徴である「高麗門」形式という、開いた状態の門戸を雨から守るための独立した支柱付の屋根が後面に設けられている構造が良く判るアングルで一枚撮ってみたもの。

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九枚目のカットですが、市役所方面からのアプローチだと、本丸の広大な敷地内で大小天守の手前に建つ、復元本丸御殿の鍍金金物も真新しい絢爛豪華な玄関周りを、ちょうど、建物の屋根の隙間から、天守閣の緑青に覆われた銅板屋根が見えたので今回が二回目の内部見学の前に足を止めて一枚撮ってみたもの。

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十枚目のカットですが、ここ名古屋城本丸御殿は、他の御殿、例えば二条城や川越城、或いは掛川城に残る御殿とは異なり、先ほどのカットで正面に見えた、ちょうど昔ながらの銭湯の入口の如き、表玄関からではなく、その向かって右奥に位置する見学用出入口から中に入り、基本的に写真撮影は自由なので、二条城とは比べるべくもないものの、一般的な寺社仏閣と言った、木造伝統建築の廊下よりはずっと広く、また天井も高い、まだ白木に近い状態の廊下の様子を一枚撮ってみたもの。

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十一枚目のカットですが、さすが往年の徳川御三家筆頭の尾張家の居城だけあって、将軍の京での居城となる二条城内部の調度や壁画に匹敵するような、狩野派渾身の筆遣いを再現した襖絵が描かれており、なんと実物は別途倉庫に保管されていて、太平洋戦争時の空襲で天守、御殿ともに灰燼に帰した時も無事で、ただ、温度・湿度制御の関係から、オープンな復元御殿に置いた状態での公開は文化財保護の観点からNGなので、ここには精巧なレプリカが展示されているとのことで、遠慮なく一枚頂いてみたもの。

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十二枚目のカットですが、御殿の内部をぐるっと一通り巡って、外に出てみると、先ほど内部を見学ししてきた復元本丸御殿の一部、現在は売店に供されている、往年の奥台所を転用した本丸御殿ミュージアムショップの部位が小天守の前に迫り出してきており、ちょうど、大天守、小天守、一部とはいえ、御殿の、豪華復元三点セットが揃ったので、面白いと思い、一枚撮ってみたもの。

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十三枚目のカットですが、前回は同伴者が時間に追われていたので、横を通りながら、ちら見しただけだったのですが、ここ名古屋城も、姫路城、岡山城などと同様に、天守台の石垣を保存修理するための工事を行う際、基礎部分の強化、具体的には、埋めた胴木と礎石ではどうしても不同沈下を避けられないので、これらに変わって、石街内部を鉄筋コンクリート構造に変更することにより不要となった、オリジナルの礎石を天守台とは別の場所に全く寸分の狂いもなく並べて展示しているのですが、ここ名古屋城でも同様に展示されており、その上をいたいけな小々姐が飛び回っていたので、有難く一枚戴いてみたもの。

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十四枚目のカットですが、ここ名古屋城は昭和20年の名古屋大空襲で天守閣、本丸御殿をはじめ、貴重な歴史的建造物が数多く灰燼に帰してしまいましたが、幸運なこと、本丸を囲む石垣上の三つの隅櫓、即ち、南東、南西、そして北西の櫓が苛酷な戦火を逃れ、今の世に江戸期のまま残されており、その中でも最大の北西櫓、別名、清州櫓は、国内で12棟しか現存していない三階櫓のうち、熊本城の宇土櫓(実質的に五階建ての天守相当)に次ぐ高さで、元は清須城の天守閣を移築したという説もあるくらい立派な櫓なのですが、いつもはお濠越しに表面ばかり見ているので、裏に回って、至近距離から一枚撮ってみたもの。

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十五枚目のカットですが、そろそろ、新幹線の時刻から逆算し、遅めのランチを摂ってから、駅前の宿に預かって貰っている荷物を引き取る行程を考えれば、お城を後にしなければならない時間になってきたので、まだまだレンズを交換し、或いは、おもてなし武将隊の面々の登場を待って、何枚か撮らせて貰ってから帰りたかったのですが、後ろ髪引かれる思いで、南西櫓と遥か後方の大天守の偉容を収めて暫しの暇乞いの一枚としたもの。

今回の感想ですが、やはり、ライカにMFのレンズをつけてのお城巡りはとても優雅な気分にさせてくれますし、実は、この福井・名古屋ツアーの翌月に出かけた京都周辺でのお城巡りツアーの最中に愛機M(TIPO240)のメタルフォーカルプレンシャッターが謎の故障、幸いにして、一番多い、金属羽根のメカニカルクラッシュではなく、駆動部分の不調による露出制御不能で、高価な撮像素子のダメージ・交換という、それこそX-Pro3かα7cが新品で買えてしまうくらいの大惨事は回避できたのですが、一カ月以上かかった修理から戻り、やはりEVFで構図から露出から水平までカチッと決めてシャッター押すミラーレス機とは異なる面白さが味わえる、と思いました。

さて、次回は赤い鶴の恩返しで東北地方に週末四日間出かけて参りますので、一週スキップ、その翌週はVario-Elmar21-35mmで一本勝負を挑んだ下越地方の名城の様子をお送り致したいと思います、乞うご期待!!
  1. 2023/03/12(日) 16:30:39|
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Joyful trip to see Japan's tradition from Fukui to Nagoya '22 Sept②

さて、今回の更新は、予告通り、名古屋周辺の知名度は低いものの、なかなか面白い城跡を見つけたので、M240とクラシックレンズで撮ったレポートをお送り致します。
まずは簡単な行程ですが、9月17日のお昼前に福井をバスで後にし、荷物を駅前の常宿に預かって貰い、地下鉄とタクシーを乗り継ぎ、日進市にあるお城を訪問、そして翌日は、まず名鉄で西尾市のお城を訪問、いったん名古屋市内に戻ってからランチを挟み、尾張旭市のお城を午後遅くに訪問し、翌々日には、帰りの新幹線の時間まで名古屋城内を精査した、というのが今回の名古屋編のあらまし。
では、さっそく今回は17~18日午前迄の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

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まず一枚目のカットですが、1990年台終わりに名古屋に2年半ほど住んでいたにも関わらず、都心から1時間も掛からないどころか、住んでいた千種区からなら車で20分も掛からない場所に、有名な古戦場と城跡の公園があるとはつゆ知らず、仕事の関係もあって、本格的に勉強をはじめて初めて知った名城なのですが、タクシーの運転手さんですら、立派な模擬天守があることを知らず、知名度が抜群に低い城郭だったのですが、空堀に掛かった橋を渡り、緩めの坂道を登り切った本丸に建てられた、望楼型3層4階の偉容を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

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二枚目のカットですが、外観は古式ゆかしい天守閣そのものではありますが、躯体の構造は、鉄筋コンクリート造のビルと同じようなものですが、ただ小ぶりな規模なので、内部にエレベータは設置されておらず、ひたすら階段で上を目指すことになるのですが、登り切った最上階は、こういった鉄筋コンクリート造の天守閣お約束の広々とした窓を備え、しかも廻縁が設けられているので、外に出て周囲の景色を眺められる設定となっており、まずは最上階に着いたところで一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

名古屋周辺220917_03
三枚目のカットですが、逸る心を抑え、内部に掲げられていた「小牧・長久手の戦い」において、ここ岩崎城の果たした役割、即ち、優勢な秀吉側の池田恒興軍に果敢にも打って出て、丹羽氏長以下、城兵全員が圧倒的な池田軍の前に武運拙く討ち死にし、ただ、この捨て身の奮闘がのちに小牧・長久手の戦いでの戦況に大きく影響を与えたということで、後に天下人となった家康にに丹羽氏が顕彰された、という歴史の転換点とも言える城ということを改めて認識し、お殿様気分で平和な世の下界を眺めながら、廻縁の様子を撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

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四枚目のカットですが、本丸の曲輪内に建てられた、やや横に間延びした重箱櫓的な建物が目に留まったので、何であろうかと近寄ってみれば、この岩崎城が城址公園として整備される過程で、この敷地、及び周辺から出土、或いは、旧藩士の家庭などから寄贈された小牧・長久手の戦いとこの悲劇のお城にまつわる資料が展示された郷土史資料館で、中の展示も本館である模擬天守同様、無料では申し訳ないくらい充実していたのですが、観せて頂いたあと、記念に外観を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

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五枚目のカットですが、帰りもタクシーで最寄り駅までの移動は金額的に厳しいものがあるので、資料館の係員の方に教えて頂いた、星ヶ丘方面へのバス停への最短ルートはなんと来た方向とは真逆の正門を潜り抜けて階段を降りた先の道を幹線道路の交差点を目指して歩くこととなり、大手門?に相当する天守閣にひっついた、門の下の石段を降り切ったところから、石碑を入れて、模擬天守と門を一緒に入れて撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

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六枚目のカットですが、翌18日は名古屋駅前の宿を10時前に出て、並びのデニーズでモーニングなど頂いてから、名鉄名古屋駅で蒲郡線に乗車、お茶で有名な西尾駅で下車し、徒歩で西尾城址公園まで移動したのですが、駅からの徒歩ルートだと、ちょうど、この小ぶりながら見どころ満載のお城の特徴のひとつである「屏風折れの土塀」、そしてその先に建つ、復元の丑寅櫓が見えてきたので、心憎い復元状態に敬意を表し、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

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七枚目のカットですが、それほど長くはない二の丸北側を守る土塀沿いに歩いていくと、東側が駐車場への入口、即ち、土塀の内側である二の丸一体は広い駐車場になっているのですが、その丑寅、即ち北東の鬼門を守る、黒い板張りの望楼型二階櫓の今の世に復元された勇姿を至近距離まで近づいて撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

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八枚目のカットですが、この「屏風折れの土塀」の見事な造形に目を奪われがちですが、その上に設置された漆喰塀も手抜かりなく復元されており、きちんとオリジナルの材質通り、白木の控柱が一定間隔で建てられ、また、攻城側に対し、容赦なく、矢や鉄砲弾を浴びせかけるために設けられていた狭間もきちんと大きさ、角度ともに再現され、それ以上に注目したのが、全国の城郭広しと言えど、二の丸に天守閣を建てていた例はここ西尾城以外は記憶になく、将来的な木造復元も念頭に置いているとの市役所説明でしたが、まずは先行して切込接で復元された天守台が北西の隅に建てられていたので、全体像として一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

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九枚目のカットですが、将来的に木造復元されるとあらば、急にお仕事モードに入ってしまい、帰京後、執務時間に市役所の担当部署にヒアリングかけなければならないですから、「現場・現物・現実」の営業マンの鉄則に則って、そこに建つ天守台の様子を仔細に検分しておくべく、方角的には、また来た方向を塀を挟んで数100m戻るかっこうになるのですが、至近距離まで近寄って観察したおりに撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

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十枚目のカットですが、実は、天守台の上から曲輪内というか城址公園を眺めていて、二つ気になったものがあって、ひとつは、当然のことながら、高台である本丸の東北角に建てられている本格木造復元の本丸丑寅櫓で、もうひとつは、御殿にしては、造りが武家屋敷の書院造りではない、普通の数寄屋造りの富裕層の邸宅のような平屋の木造建築とその枯山水的庭園で、まずは手前に建つ、数寄屋造りの旧近衛亭の敷地に足を踏み入れ、特徴的な縁側周りを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

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十一枚目のカットですが、この建物、「近衛亭」という元華族のお屋敷とのことでしたが、時間も惜しいし、お城本体は無料というのに、伝統建築とはいえ、後から移設された古民家でもない建物に入場料払って見学するのも何なので、三層三階建て木造復元の丑寅櫓の待つ、本丸への移動がてら、建物をバックに素敵な庭園の様子を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

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十二枚目のカットですが、元は内濠だったと思しき、比較的多めの濠をぐるっと周り、二の丸から本丸へと続く、緩い坂を登ると、本丸の丑寅、即ち東北角の断崖絶壁の石垣上に建てられた隅櫓というだけあって、その入口へと続く道は、戦時には、下から狙い撃ちにされず、上からは城兵を防御しつつ、狭間という銃眼から攻城側に対し、弓や鉄砲を射掛けられるよう土塀に沿った狭い通路の奥に櫓の入口が見えるのを一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

名古屋周辺220918_08
十三枚目のカットですが、逸る心を抑え、入口に到達すると、「御免、頼もう!」と声を張り上げて足を踏み入れたのですが、何せ、「どうする家康」放映開始から4ヶ月以上前のことなので、観光客など居ようはずもなく、一人でゆっくりじっくり、内部を観察出来たのですが、照明もない櫓内部で、上層階の窓からの光で、内部の木材の様子がよく見て取れる階段下から一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

名古屋周辺220918_09
十四枚目のカットですが、これが三層三階建ての木造復元櫓の最上階、三階内部の様子ですが、観光資源と化しつつある、メジャーな現存天守や木造復元天守と異なり、ここ、西尾城の本丸丑寅櫓は、あくまで最小限の消防設備のみ備えただけで、照明など付けず、採光も含め、江戸期の城郭建築を再現しようという、極めてマニアには嬉しい設定になっていたので、その薄暗い室内を一枚撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Elmarit28mmf2.8による絞り開放AE撮影となります。

名古屋周辺220918_10
十五枚目のカットですが、中のオール木造構造も惹かれるものが大いにありますが、それ以上に本丸の高台の切り立った断崖絶壁の石垣の上に聳える、黒い下見板張り、しかも、丸岡城や、宇土櫓、或いは松江城のように、高価な漆は使わない煤を主体とした塗料を白木に塗った、艶消しにところどころ、白い漆喰壁をアクセントとして活かした重厚かつ質素な外観をベストアングルで撮りたかったので、二の丸を歩き回り、桜の木の合間から望遠で撮ってみたもの。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。

さて、次回は名古屋編最終回、西尾城のあとに回った、旭城、最終日出発前の名古屋城内の様子をお送り致します、乞うご期待!!
  1. 2023/03/05(日) 18:43:56|
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charley944

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今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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