fc2ブログ

深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

New year greeting to splendid castles in Nagano pref. in Jan.'23.

さて、このところの破滅的な暑さの中、皆様はいかがお過ごしでしょうか。この暑さのあまり、まともに都内観光地への試写にも出られなかったため、今回の更新はまたしても予告通りとはいかず、岡山ツアーの二週後に出掛けた一泊二日の松本ツアーからハイライトをお送りしたいと思います。
まずは簡単な行程紹介ですが、漆黒の岡山城を堪能した後、どうしてもその兄弟とも云えそうな松本城を見たくなり、1/20夕刻の高速バスに新宿から乗って、松本に着いたのは夜の9時近く、宿にチェッキンし、荷物を置いて、細雪が降る夜の松本城に挨拶に出掛け、朝9時過ぎに宿を出て駅前のマクドで朝飯を食べてから、すぐさま登城、その後、駅に戻る前に大きな商店街の交差点傍にあったお店で沖縄料理でランチして、駅まで戻り、そこから篠ノ井線で下諏訪駅に移動し、前回、新型コロナ禍真っ只中で訪問した高島城に再訪、再び、駅まで戻って、また篠ノ井線で松本駅に戻って、お城の傍の洋菓子店兼カフェでお茶してから宿に戻り、晩飯がてらお城の夜景を撮りに行って、その日はおしまい、翌朝は帰りのバスの時間まで繩手通りからお城周辺、そして工事中の国宝「開智学校」の進捗見に行って、ランチしてからバスに乗ってお江戸に戻ったというのが今回の旅のあらましです。
では、さっそく当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズはCanon N-FD20-35mmf3.5Lによる全コマ開放、AE撮影となります。

Matsumoto2301_001.jpg
まず一枚目のカットですが、いつも通りがかるのは夕刻でまともに撮ろうと思ったこともなかったのですが、小田原の「ういろう本舗」、お江戸は押上の「お城の森八」と並び称される天守型店舗のひとつ、ミニ松代城とも称される街の名物建築「青翰堂」をたまには真面目に撮ってみようかと思い、通りを行き交う車が途絶えた頃合いを見計らって、35mm端で撮ってみたもの。

Matsumoto2301_002.jpg
二枚目のカットですが、お城に続く通りを真っすぐ歩いて行くと外濠を跨ぐ橋の手前に来て、どうやら観光目的の区画整理を大規模に進めているらしく、橋の手前からの視界で、天守閣を遮るけしからん位置に建っていた、蕎麦屋と不動産屋?が立ち退き、濠自体も土手というか水面に接する石垣廻りを修理していて、これは楽しみだと内濠のところまで進み、中に入る前に好天の澄んだ空気の元、凛と聳え立つ美しい姿に見とれてほぼ一周しながら撮っていたうちの最も絵葉書向き、ないしインスタ映えしそうな、赤い埋橋手前からのもの。

Matsumoto2301_003.jpg
三枚目のカットですが、いつまでも外観に見とれているのも何なので、さっそく、人類の宝とも言えるような、貴重で美しい天守内に入ってみようと思い、同じ復元でも小田原城の石垣と漆喰塀の組み合わせとはまた異なる、やはり、天守のデザインに揃えたのでしょうか、石垣の上に漆黒の下見板張りの土塀が張り巡らされた本丸への唯一のアプローチルートである黒門とその周辺を一枚撮ってみたもの。

Matsumoto2301_004.jpg
四枚目のカットですが、さっそく門の裏側にある券売窓口で入場券など買い求め、逸る心を抑えながら、本丸エリアに足を踏み入れると、天守の方角から、藩の重役の恰好をした方と、足軽兼忍びの者の恰好をした方が談笑しながら歩いてきたので、ははぁ、ランチ休憩に戻ってきた、「もてなし隊」の面々だな、と気付き、これまで毎回、誰かしらに会って、撮らせて貰っていたので、来意を告げ、ポーズを撮って貰ったもの。

Matsumoto2301_005.jpg
五枚目のカットですが、今回も、幾人かのグループ毎に区切っての登城となり、それほど待ちはしませんでしたが、ほぼ1年3カ月ぶりの登城なので胸の高鳴りは抑えようもなく、RC造による外観復元の天守は外から見るのが主であって、中に入ってしまえば、上に行くに従い、狭くなることから、何とも使い前の悪い博物館のビルでしかないのですが、姫路城と松本城の両雄に連なる現存天守、櫓は、創建当時からの建築様式、技術、そして古材がそのままの形で遺され、それらを至近距離で観察出来るからこその価値であり、映えなどを超越した存在価値があることから、有難く一階の佇まいを一枚頂いてみたもの。

Matsumoto2301_006.jpg
六枚目のカットですが、これも江戸時代のお城勤めの、しかも天守に登れるのはそれなりの役付き、即ち、家柄に産まれていなければ一生縁のないイベントだったのですが、明治のご維新後、無用の長物、いや、封建時代の忌まわしき過去の産物として破壊され、木材は竈の焚きつけや、釘や鎹などは故鉄として、市中に散らばり、写真の中の記憶としてしか目にすることはなかったかもしれないこの御年400年の天守をこうして様々な角度から堪能出来る喜びを噛みしめ、二階の窓から、増築部の月見櫓側面を撮ってみたもの。

Matsumoto2301_007.jpg
七枚目のカットですが、三階は入母屋造りの屋根裏スペ-スにつき、階段から眺めるだけ、四階、五階と梯子の如き、急な階段を登っていくと、最上階の六階に到達するのですが、ここも姫路城や彦根城、松江城などと同様、屋根裏の小屋組の構造がよく見てとれるよう、天井板が嵌められておらず、特に面白いのが、姫路城が「刑部姫」、小田原城がRC造の外観復元にも関わらず「摩利支天」を祀っているのと同様、城主の戸田氏の信仰した「二十六夜神」という神様が祀られており、注連縄とお札が梁の一番高い位置に掲げられていたので、有難く一枚頂いてみたもの。

Matsumoto2301_008.jpg
八枚目のカットですが、登城するたびに新たな気付きを与えてくれる松本城天守を下城し、駅までの移動途中に何か気の利いたものでも食べてから、もうひとつの目的地、前回は夏の暑い盛りに訪問した下諏訪駅から徒歩10分程度の場所に建つ、高島城の外観復元天守を訪問しようと考えていたので、チェーン店のファミレスは論外、観光地価格剥き出しのボッタクリに近い蕎麦屋などもパスして、那覇より安い沖縄料理をランチで出しているお店でエビのガーリック焼など頂いてから駅に到着、篠ノ井線で到着した下諏訪駅からそぞろ歩きで到着した、お濠も半分氷に覆われている諏訪城の冬景色を一枚撮ってみたもの。

Matsumoto2301_009.jpg
九枚目のカットですが、半分以上氷に覆われたお濠に掛かる半木製の橋を渡り、いかつい石垣をえぐって作られた逆カップ型の間隙の上を差し渡して造られていた、これは木造復元なのですが、まごうことなき櫓門形式にも関わらず、何故か、同心屋敷に設けられている、簡易かつ、格式の一番低い「冠木門」と名づけられた謎の門を潜り、午後の陽光が燦燦と降り注ぐ時刻にも関わらず、外のお濠同様、本丸内の池なども多くが氷結していて、その冷えて澄んだ空気のもと、登城前に復元天守の全景を撮ってみたもの。

Matsumoto2301_010.jpg
十枚目のカットですが、夕刻まで高島城とあちこちに昔からの醸造業が点在する下諏訪の街並みを堪能し、再び、下諏訪駅から電車に乗って松本に戻り、宿に戻る前にお城近くの洋菓子店兼カフェでゆったりと陽が沈むまでお茶を楽しみ、いったん宿に戻ってから暫し休憩、夜の帳が降りてきた頃合いを見計らって、カメラ持って晩飯に出掛け、前回もお邪魔した街の老舗洋食店で味噌風味のポークソテー定食など頂き、しかるのち、ライトアップされたお城に足を運び、内堀越しに、天守の美しい夜の佇まいを一枚撮ってみたもの。

Matsumoto2301_011.jpg
十一枚目のカットですが、翌日は午後のバスで帰京することになっていたので、ランチを含め実質、14時過ぎまでしか持ち時間が残されておらず、前日はあえてスルーしていた城下町界隈、具体的には、白壁造りの土蔵っぽい店舗が建ち並ぶ中町通りと、観光客目当ての小規模な土産物店や軽食店が建ち並ぶ縄手通り界隈を流して、ランチののち、大規模な保存修理工事途上の「開智学校」の様子を見ておこうと思い、まずは中町通り入口付近の南天の実越しに通りの様子を一枚撮ってみたもの。

Matsumoto2301_012.jpg
十二枚目のカットですが、中町通りは白壁造りの店舗を並べることで、松本城目当ての観光客の回遊誘致を狙っているのですが、そのコンセプトのためか、通りのそこかしこに、なかなかマニアックな小道具が散りばめられており、ふと民芸品店の軒先に目をやれば、もはや築地場外にだった残存していないような古いロッドタイプの前後ブレーキを装備した古めかしい赤自転車が置かれており、しかもそれが郵便配達用だったと判り、面白半分に一枚撮ってみたもの。

Matsumoto2301_013.jpg
十三枚目のカットですが、同じく中町商店街を歩いていると、古風な佇まいの商家をリノベしたインテリア・雑貨系のお店があちこちに出ていて、その中の軒が通りに大きく張り出していて、その軒先にガラス細工やら、さるぼぼみたいな信濃国のイメージに合った品物を吊るして展示販売しており、これが撮る角度を工夫すれば、通りの様子をボカして撮ることも出来ますし、今回のように店内を背景にすればデスプレイのLED白熱電球を点光源としてバブルボケで写し込むことが出来るというもの。

Matsumoto2301_014.jpg
十四枚目のカットですが、まさにこれがα7cでの撮影の真骨頂であって、M(TIPO240)とかX系列、或いは同じαでも背面LCD固定型のRⅡでは絶対マネ出来ない芸当で、中町通りより二本ほどお城よりの観光スポットである繩手通りの西の端近くで、広角端の被写界深度の広さと背面LCDの角度を変えてのモニタリングでチャンスを待って、家族連れが通り過ぎた瞬間を待ってシャッター切ったもの。

Matsumoto2301_015.jpg
十五枚目のカットですが、繩手通りもひととおり撮り終え、ランチ前の大仕事は、前回は工事中の足場だの仮設に覆われて、その特徴的な外観が殆ど見えなかった、松本市のもう一方の国宝、「開智学校」の擬洋風建築に分類される外観が殆ど見えるようになっているとの情報があったので、今だ外から眺めるだけではあるものの、かつての正門ド真ん前から、再会を期して、札幌時計台にも通じる洒脱な文明開化時代の建物の佇まいを一枚撮ってみたもの。

今回の感想ですが、二日間、丸々、Canonの誇るN-FD20-35mmf3.5Lのみで朝昼晩、撮りまくりましたが、レンズ単体ではガラスがぎっちり詰まった金属鏡胴ということもあり、そこそこの持ち重みはするのですが、21mm、28mm、35mmのf3.5の非球面レンズ採用の単焦点を3本持つのと重みはさほど変わらず、交換しない分だけ、シャッターチャンスも逃しにくくなりますし、四六時中、撮像素子丸裸ん坊のミラーレスでの出先での撮影で、ロングデスタンスの撮影が無いケースでは、ボケも結構大胆に出るし、これと明るい50mmとコンパクトな75mmでもあれば十分ではと思いました。

さて次回こそ、デッドストックの国産オールドズームの試写発表出来るかな?乞うご期待!!
  1. 2023/07/30(日) 16:12:25|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

A travel to explore ancient ruins of caste located around Seto island sea②

さて、今回の更新は、岡山滞在二日目の重要目的地である「閑谷学校」、そしてその翌日は朝から四国に渡って、高松城、丸亀城と回り、最終日にフライトの時間ぎりぎりまで宿から目と鼻の先にある「後楽園」を初めて探訪した様子をお送りしたいと思います。
まずは恒例の簡単な行程のおさらいですが、滞在二日目の朝から午後イチまで滞在していた津山市と備前市の山中にある閑谷学校とは、同じ岡山県といえど、ちょうど、八王子辺りと西葛西くらいの位置と距離の関係のようなので、いったん岡山駅まで戻り、そして山陽本線の各停列車で最寄駅まで移動し、そこから、また市のコミュニティバスのような一時間に一本どことか、日に数本しかない交通手段で何とか往きの最終便、帰りの最終便で見学して最寄り駅まで戻り、翌朝はまた少々早起きして、瀬戸内海を渡り、香川県内の丸亀城、高松城をハシゴし、最終日はフライトまでの時間、宿から至近の後楽園を堪能し、また岡山城に寄って、暇乞いをして、江戸に戻ってきたという次第。
では、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

Setouchi2301_016.jpg
まず一枚目のカットですが、津山の城下町を早足で駅に向かい、岡山方面の列車に乗って、岡山駅で山陽本線の上り電車に乗り換え、30分強で最寄駅に到着、駅前から市の委託業務というマイクロバスに乗って、15分ほどで山間の開けた場所にあるバス停で下ろされ、そこから歩いて3分ほどで到着した閑谷学校の全貌を足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_017.jpg
二枚目のカットですが、受付で入場料を支払い、閉場時間とバスの最終便の時刻について、受付の方から念押しをされ、ここでも津山の城下町探訪同様、時計と睨めっこの見学となったのですが、何せ、日本最古のタイトルこそ、実家の近所の足利学校が押さえていますが、現存する建物としては、水戸の弘道館や山形、大分の致道館などより、100年近く前の元禄年間に完成したという入母屋造りに備前焼の瓦がとても美しい閑谷学校本館の佇まいをベストと思われるアングルから一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_018.jpg
三枚目のカットですが、ここ閑谷学校は大規模で堅牢な木造書院造りの躯体に赤褐色を基調としたモザイク状の瓦屋根を載せた建物に注目されがちですが、実はその敷地内に設けられた、日本国内の構築物とはちょっと思えない、曲面を基調とした切込接乱積みの石垣も見事で、その特徴が一番判るアングルから撮ったもので、帰ってから調べたら、それもそのはず、300年以上経っても、全く崩れたりもせず、当初の姿を保つ、この力強く、美しい石垣は、国の重要文化財指定を受けていたということでした。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_019.jpg
四枚目のカットですが、閑谷学校の本館はもちろん、内部を公開していて、とはいっても、観光客が足を踏み入れられるのは、外周部の廊下、天守閣で言うところの武者走りの相当する部分のみで、そこから、内部に位置する当時の教室の様子を眺めることが出来るのですが、藩校とはいえ、お殿様の肝いりで設置され、時折、お殿様自身も学びに来たり、家臣や有力農町民の学ぶ様子を視察にやって来たりということなので、御殿同様の凝った造作になっており、書院造の典型的な装飾である、釣鐘型のシルエットを持つ華頭窓が設けられていたのに感心し、一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_020.jpg
五枚目のカットですが、同じく本館の廊下から覗いた閑谷学校の心臓部である講堂で、まず目に留まったのが、ピカピカの床板が張り巡らされて床面ですが、これは近年張り替えられたものでしょうが、柱や梁については、これまで国内で内部を見学してきた現存12天守や三階、二階を含めた櫓、御殿に使われてきたものと同様の、欅の木の太い無垢材が当時のまま遺されており、華頭窓から射し込む夕方近くの外光に照らされて、厳かな学問の場、という佇まいを見せていたので、一礼してから一枚頂いてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_021.jpg
六枚目のカットですが、翌朝、少々早起きし、駅からはやや遠いお城下のホテルから岡山駅に市電で移動し、10時前の瀬戸大橋線のマリンライナで小一時間かけて、まずは丸亀に向かい、駅からも見える山の上の可愛い天守閣を目指しててくてく歩き、商店街を抜けて、お城の表玄関である大手二の門とその右手側の直角の位置に建ち内桝形虎口を形成していた一の門越しに山頂の可愛い天守の姿を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_022.jpg
七枚目のカットですが、同じく丸亀城の表玄関である高麗門形式の二の門を通り抜けた内桝形虎口の内側に位置し、郭の防衛の第一関門である虎口の広場に溜まった敵兵に弓矢や鉄砲玉を上から浴びせかける目的で作られた、櫓門形式の大手一の門の偉容を桝形の内側で足を止め一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_023.jpg
八枚目のカットですが、立派な現存遺構である大手一の門を潜り抜け、左手方向、即ち本丸の位置する山へと続く石垣沿いの道を目指して歩いていくと、まず一番最初の坂を登り切って、右折する手前の高石垣の麓で、先ほどまでやっていた、ローカルイベントである、斜面駆け上がり競争の実況をやっていたと思しき、地元マスコミのレポーター或いは、アナウンサーの女性が、総括のアナウンスをしていたようなので、石垣の大きさを判り易くするめため、エキストラ出演願ったもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_024.jpg
九枚目のカットですが、高石垣をぐるっと回る坂道を登り切ると本丸があった山頂部は、意外と広い開放感のある空間となっていますが、かつては四隅に隅櫓が建てられ、それを土塀で結んだ空間となっていて、山麓から攻め込んで来た敵勢に対し、徹底抗戦し得るような、まさに山上の要塞そのものだったのですが、今も唯一残る、1660年に建てられた「御三階」という奇しくも弘前城と同様のニックネームを持つ、可愛い層塔型三層三階の天守の姿を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_025.jpg
十枚目のカットですが、天守閣の内部を隅々まで見学し尽くした後、丸亀駅前まで徒歩で戻り、時間的にランチタイムも終盤にかかり、かつ、次なる目的地の高松は駅の周辺でのランチはそれほど期待できないので、丸亀うどんの本拠地である丸亀で名物のうどんを食べようと駅の観光案内所で聞いたお店で30分以上かけて並んで食べたうどんはそれほどでもなく、再び電車に乗って30分ほどの高松駅から徒歩で5分もかからない高松城にて、前回来た時にはまだ竣工前だった「桜御門」の雄姿を真正面から一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_026.jpg
十一枚目のカットですが、前回、日本城郭検定一級を11年かけて取得したという年配のボランティア説明員の方との再会を期して、この高松城址の中で数少ない現存建造物である水手御門と渡櫓、そして月見櫓が一体となった場所に向かったところ、あいにく、長期の保存修理の工事中で、仕方なく、もうひとつの現存建造物である、旧二の丸艮櫓改め、巽櫓、即ち90度向きを買えて今の位置に移築された袴型の石落としも美しい三重櫓の雄姿を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_027.jpg
十二枚目のカットですが、翌朝は岡山滞在の最終日で、短いフライト時間と極めて良好な空港までのアクセスを考慮し、午後の遅い時間のフライトとしていたので、10時のチャッカウト後、宿に荷物を預かって貰い、すぐ目と鼻の先・・・のはずが、正規の入城門まで徒歩で10分近くかけ、初の後楽園入場を果たし、後楽園愛好家の方には申し訳ないと思いつつ、まずは望遠につけかえ、庭園越しの岡山城の漆黒の雄姿を裏側から捉えてみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Heliar75mmf1.8による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_028.jpg
十三枚目のカットですが、ここ後楽園の見どころのひとつ、延養亭という建造物で、後楽園のHPによれば、17世紀の末に藩主池田綱政が家臣に命じてここ後楽園の建設に当たって、いの一番の誂えさせたのがこの建物で、主に藩主の静養や賓客の接待、儒学者のご進講などに使われた、いわば藩主のプライベートハウス、或いは別荘といっても良い瀟洒な建物だったのですが、撮影当時はそんな由来を知るまでもなく、建物の造形と池との絶妙の配置に心惹かれ一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_029.jpg
十四枚目のカットですが、同じく後楽園の中の見どころの中で、特に夏は見学者が引きも切らない、流店という建物ですが、思えば、エアコンの無い江戸時代には、如何にも涼しさを追求した結果、こういった四方開け放ちで中には流水という趣向の風流ながら実利的な構造が広大な庭園の中に設けられ、往時はお殿様をはじめ限られたやんごとなき方々が庭巡りのさなか、一抹の涼を求めて、こちらに立ち寄ったと思うと、とても優雅に思え、全景を一枚撮ってみたもの。

Setouchi2301_030.jpg
十五枚目のカットですが、そろそろ、遅めのランチを摂る前提で宿に荷物を引き取りに戻る頃合いとなったので、芝生あり、池あり、せせらぎありの、風雅な三名園のうち、一番西に位置し、最も温暖な環境の、庭のみならず、建物も非常に興味深い、ここ後楽園を後にすべく、園内で最大の池の廻りを巡って、お城側の出口から出ようと歩き出してまもなく、太陽と雲の競演を水面が華麗に映し出していたので、足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender SW-Heliar15mmf4.5による絞り開放AE撮影となります。

今回の感想ですが、やはり、気ままな旅には、カメラは軽快なのが最高、となったら、もちろん、レンズだけ借り物みたいに巨大なのは本末転倒主従逆転そのものの図ですから、レンズを選ぶのも軽くて写りが良いものに手が伸びてしまうのは仕方がないことだと思いましたが、今回はいつもの四番打者Elmarit28mmf2.8ではなく、LeicaMデジタルで使おうとするとどうしても周辺が光量ダウン、或いはシアン被りしてしまうこともあり、手が伸びなかったのですが、裏面照射型CMOS搭載のα7cでは、電気的な補正もあるのかも知れませんが、一緒に持ち出したSW-Heliar15mmf4.5同様、周辺までナチュラルに写り、旅写真の面白味が広がったのでは、と思った次第。

さて、来週は久々、というか新型コロナによる"鎖国"解消以来の初台湾で一周お休みさせて頂きます、その次は、30年前の新品市販レンズが出てきたので、その実力や如何に?をレポートしたいと思います、乞うご期待!!
  1. 2023/07/09(日) 22:44:23|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

A travel to explore ancient ruins of caste located around Seto island sea①

さて、今回の更新は、’23年の年明け早々にクラシックレンズ達と訪れた瀬戸内界隈ツアーから二回に亘ってお送りする一回目をご紹介したいと思います。
まずは簡単な行程紹介ですが、1/6の土曜日の朝10時台の便で岡山空港経由、市内に入り、バスのターミナルある駅前から市電で10分ほどのお城の目の前の宿に荷物だけ置かせて貰って、さっそく令和の大修繕から上がったばかりの漆黒に金色金物がアクセントの岡山城を外部から堪能、しかるのち、最終登城時間を睨んで、山陽本線で福山まで移動し、喜劇駅前天守閣の二つ名を持つ?福山城を訪問し、ここも岡山城に遅れること3カ月でリニュアルオープンしたてのまっさらな天守に登り、しかるのち、RC造の復元天守よりも数倍価値のある、江戸初期からの現存遺構である、伏見櫓、鐘櫓を外部から見学し、翌日は朝から津山市に出掛けて、津山城址とその城下町を探訪し、実はまだそのあと、電車とバスを乗り継ぎ、ここも前日の福山城同様、滑り込みセーフで国の重文である「閑谷学校」を見学してきたのですが、閑谷学校編は二回目でご紹介致します。
では、前半二日間のメイン部分の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

Setouchi2301_001.jpg
まず一枚目のカットですが、宿からお城へのアプローチ路は幾つかあるのですが、まずは、正規の登城ルートであり、福山城同様、太平洋戦争で焼け落ちた天守に代わって、江戸時代からずっとこの城跡を見守ってきた「月見櫓」の下を通って、天守のある本丸へと入るルートを辿ることとしたのですが、公園の木立の間を縫う道を通り、視界の開けたところで高石垣の上に聳え立つお城の裏側が、見えてきたので足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_002.jpg
二枚目のカットですが、石垣の間に建てられた「廊下門」下を潜り抜けると、広々とした本丸となり、ここに唯一残る現存建造物が、「月見櫓」なのですが、これがなかなかの曲者で、通常は松本城のそれがお殿様の遊興目的で作られた、防禦ないし、攻撃目的とはほど遠い、それこそどこから見ても神社の神楽殿のような開放的な造りなのですが、場外からは、他の隅櫓同様、石落しは有るわ、火縄銃の排煙用と思しき高い位置の窓はあるわ、の戦のための施設そのものの様相を呈し、建物の構造も、外からは破風が付いた入母屋造り一階の上に望楼が載っかった二階建て望楼型、中からは、寄棟造りの屋根を付けた三階建ての層塔型に見えるという、摩訶不思議な建物なのです。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_003.jpg
三枚目のカットですが、「月見櫓」が建ち、宇喜田時代の古い石垣が土中に遺された姿を観察できる施設が二か所ほどある広場から、更に「不明門」を潜り抜けると、そこは天守曲輪とも云える、更に一段高い場所になっているのですが、まさにここが、今回復元工事を終えた新生・岡山城天守の向こう正面で、巨大な入母屋造りの屋根を持つ漆黒の書院造りの建物の屋根の中腹から更に三階の望楼が生えてきていて、巨大な屋根の内側には更にもう一階層とれたので、都合、六階建てになったという初期の望楼型の構造が良く見てとれるアングルではないかと思いました。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_004.jpg
四枚目のカットですが、無事、岡山城との初対面を済ませ、続いての訪問予定地、新生・福山城へ向かい、何せ、明治のご維新後、旧城郭の二の丸のお堀跡に山陽本線の線路を通し、海側に駅舎を作ってしまったという、まさに今の駅チカ或いは、高度成長期時代の喜劇駅前シリーズを先取りしたお城で、残念ながら、山陽道の名城と名高かった天守閣は太平洋戦争終戦一週間前の8/8に空襲で焼けてしまい、岡山城同様、市民の寄付などにより1966年RC造で復元され、この度、岡山城同様、令和の大改修を終え、昨年10月に再オープンしたため、是非再々訪したいと思い登城の途中で撮った、点灯前の登城ルート上のガス灯。

Setouchi2301_005.jpg
五枚目のカットですが、ここ福山は古来より山陽道の交通の要衝であり続け、築城者の水野勝成も徳川家康の従妹、即ち生母、於大の方の末弟であったこともあり、親藩として幕府の信頼も厚く、たった10万石ながら、築城当時の池田氏時代の姫路藩52万石にも十分匹敵するような巨大城郭を建てたのは、幕府からのヒト、モノ、カネの援助があったからであり、その目に見える遺構が、ここ家康が関ケ原の戦い以降に復興した伏見城から移築された、その名も「伏見櫓」であり、RC造の天守の入院中も健気に名城跡を守っていたその気高い外観を一枚撮ってみたもの。

Setouchi2301_006.jpg
六枚目のカットですが、ここ福山城址は、その巨大な郭の殆どが、明治以降に鉄道開通、海側の市街地開発等々で失われ、残っているのは、天守が建つ本丸周辺のごく一部なのですが、それでも、他の城郭にはないユニークな遺構が数々発見されており、先の「伏見櫓」同時に移築された「筋鉄門」、そしてここ、何故か、湯屋が本丸石垣の外に迫り出していて、それを支柱で支えるという、清水寺本堂舞台の如き、懸造りとなっているので、その特徴が判るよう、漆喰塀ギリギリで一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_007.jpg
七枚目のカットですが、この日は運が良いと云うか、悪いと云うか、たまたまヘンテコな有料開催イベントに当たってしまっていて、日没後、城内の本丸広場一杯に卵状のオブジェを設置していて、それを内部に仕込んだLEDだかOELだかを光源として、テーマに沿って、BGMとともに刻々と色調、照度を変えていくという類いの芸術的イベントを行うということで、17時かっきりに城内から放逐されるということで、急いで天守の全景を撮って、登城したもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_008.jpg
八枚目のカットですが、これも、おそらく、現存は云うまでもなく、歴史的資料を探っても他に例がない、天守北面の鉄板張りの外壁の様子ですが、これは、濠や高石垣の組み合わせで、まさに鉄壁の防御ラインを敷けた東西南面に対し、北側は比較的近くに小高い丘が迫っていて、しかも天守自体が、本丸の奥まった位置に建てられていて、北面からの銃砲による攻撃には比較的弱いため、さすが大阪夏の陣の年に着工した最後の近代大型城郭だけあって、銃砲からの防禦を重視したことが判るもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_009.jpg
九枚目のカットですが、岡山入り二日目の朝に訪問した「津山城」唯一の復元遺構、「備中櫓」の全景を最大限に撮ろうと、お城の建つ小高い山の石段を登りながら探していたら、ちょうど、天守台の石垣の残る本丸に繋がる石垣沿いの坂道の麓辺りが35mmレンズで画角的にしっくりきそうだったので、登るのを一時中断し、下から見上げるアングルで、2005年に復元し、まだ白亜の漆喰の外観も美しい櫓の外から見た外観を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_010.jpg
十枚目のカットですが、この「津山城」、本能寺の変で主君、織田信長とともに横死したという森蘭丸の末弟である「森忠政」が築いた城で、1616年に竣工した時には、郭内には4重5階地下1階の大型天守と77棟の櫓を含め80数棟の建造物が山の頂き付近に建ち並ぶ、それは勇壮な城郭だったのですが、明治6年の廃条例で悉く破却され、平成になってから、先ほどの「備中櫓」と周囲の漆喰塀が木造復元されたものの、天守台付近は明治以降のままの姿で遺されているので、立派な廃墟感を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_011.jpg
十一枚目のカットですが、やっと今回の「津山城」訪問のメインディッシュ、「備中櫓」への登城、内部見学ということで、中に入ってしまうと全景はもちろん撮れないので、撮ろうとしたら、クリアランスが十分とれず、35mmだと建物全体が収め切れなかったので、入館前に28mmに交換し、前日の岡山城の「月見櫓」同様、外からはマッチョな戦闘施設、内側からは、普通に縁側と障子戸があるという武家屋敷の如き佇まいの「備中櫓」の城内からの全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_012.jpg
十二枚目のカットですが、これがまさに和戦両様の「備中櫓」の本質を現す内部の佇まいで、普通の武家屋敷、しかも上質な木材を使用し、床には畳が敷かれていることから、かなり身分の高い藩士も滞在することを想定した瀟洒な座敷の造りなのですが、よく見てみると、城外に面した壁には、かなり大き目な、それこそ大筒でも撃ち下ろせそうな狭間が両コーナーに穿たれており、そのコーナーから内側に向かって一本めの柱の根元にも同様に狭間が設けられており、平時には城中の屋敷の一部として使用し、戦時には他の隅櫓同様迫りくる敵を銃撃する設備だったことが判るアングルで撮ってみたもの。。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_013.jpg
十三枚目のカットですが、著名城郭研究者の先生によれば、天守と櫓は似て非なるもので、天守は、木材に檜や杉を多用し加工も上等で、居住性も追求した武家屋敷に準じた造作になっているのですが、櫓は戦闘用の施設につき、中の木材は、ひん曲がっていようと、節があろうとお構いなしで、木材も松や欅などの低級な木材で、強度のみ追求した構造材でしかなく、それ以上に天守は比較的、外光を採り入れられるような窓などの配置になっているのに、櫓は、一般的には最小限の外部を観察する格子窓、銃や弓を撃つ狭間や石落としという銃眼に相当する設備があるのみの薄暗い、それこそ土蔵のような場所なのですが、ここ津山城の「備中櫓」には、なんとお殿様をお迎えするような一段高い御座所も有ったことに感心して一枚撮ってみたもの。。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_014.jpg
十四枚目のカットですが、「備中櫓」の内部を隅々まで見学し、係りの方には、また天守でも復元したら寄らせて貰います、などと、いつになるとも判らない暇乞いをして、次の目標の「閑谷学校」への移動の時間、から逆算し、食事もこの近辺で食べておかなければならなかったので、係りの方に教えて頂いた武家屋敷街か町人町通りである城東街並み保存地区の方が駅への戻りを考えたら近いことが判ったので、ここを散策しながら食堂を探すこととし、城の下、東側の橋を渡ってすぐの街並みに足を踏み入れてすぐに全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_015.jpg
十五枚目のカットですが、街並みの真ん中よりちょっと行った辺りに、自衛官を引退された初老の男性が営まれている居酒屋兼食堂在ったので、ラーメンと叉焼丼という手作りで真心のこもったランチを頂き、もうちょっとご店主と話をしたしたかったのですが、次の予定が控えていて、電車に一本乗り遅れると、半日の予定を丸々ロスしてしまうので、再会を記して、ご主人とは別れ、奥の方をちょっと見てから駅に引き返そうと歩き出してすぐに見つけた、老舗と思しき造り酒屋の建物に囲まれた路地の様子を一枚撮ってみたもの。

さて次週は、岡山滞在二日目の重要目的地である「閑谷学校」、そしてその翌日は朝から四国に渡って、高松城、丸亀城と回り、最終日にフライトの時間ぎりぎりまで宿
から目と鼻の先にある「後楽園」を初めて探訪した様子をお送りしたいと思います、乞うご期待!!
  1. 2023/07/02(日) 13:31:44|
  2. 旅写真
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

charley944

Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる