深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

命どぅ宝 Nothing is more precious than our each life~沖縄ツアー'10.冬(後編)

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【撮影データ】カメラ:Zeiss Ikon ZM、Kodak Ektar100、レンズ:1~3枚目;BALTAR40mmf2.3FMAO、4~6枚目;Cine-Sonnar50mmf1.5
さて、新年も松が取れて更に一週間が経過し、もうそろそろ、晴れがましいようなお正月気分とはさようならです。
前回に引き続き、昨年のクリスマスイブ挟みで有休を取り、4連休として、来月のJCII Club25での写真展の作品作りのため訪問した沖縄からの作品ご紹介、後編お送り致します。

那覇に飛んだのが23日、そして翌24日が言わずと知れた世界共通の最も有名な記念日、クリスマスイブです。
この日には、南部戦跡巡りをしようと、東京から飛ぶ前に決めていて、夕暮れ以降のライトアップを撮りたいところがあったので、時間調整のため、午前中はちょい早起きして、那覇観光協会提供の奥武山~小禄の史跡巡りをサイトの地図だけ頼りにガイドさん無しの単独踏破を行いました。

そして、12時ちょい過ぎに小禄の駅前に戻り、いつもの行き着けのローカルカジュアルレストラン、「Green Heart」さんで、アグーのハンバーグ定食なんか食べ、ついでにその近所のキタムラでフィルムとSDカードなど仕入れて、小禄駅前のバス停から、糸満バスターミナル行きのバスに乗って、まずは、糸満市場を目指しました。

バスの揺られること約30分、糸満ロータリー前で下車、馴染みの糸満市場まで徒歩で移動します。
ロータリーからは徒歩約5分程度で市場に着くのですが、この市場は沖縄のローカル市場というよりは、南太平洋の島のどこか、例えば、ポナペ島とか、ボラボラ島とか、沖縄の中にあって、更に緩いカンジの南国時間のたゆたう、心休まる場所なのです。

さて、ここからが作品の解説の始まり始まり。

まず一枚目。
いつ来ても人がまばらな市場の芝生の中庭で、眉毛をハの字にし、眉間にも薄い縦皺なんか浮かばせ、いかにも旅の、写真にうるさい中年男ですよ・・・というオーラを発揮しながら何カットか撮っていたら、しめしめ、また地域住民というか、ここのお店の人達が井戸端会議というか、市場端会議にもならないような、緩いカンジの、ウチナーグチで言う"ゆんたく"をはじめました。

するとヒマを持て余すのは、大人の話題展開についていけない、いたいけな童子です。
そこで、よたよた中庭の芝生といわず、市場の建屋の床といわず徘徊していた子供に、さっきの気難しい写真中年オーラを裏側にしまって笑顔で「ハィハィ、あんよがおじょうじゅでちゅねぇ・・・」とかゴマすって注意を喚起し、一方、話題が佳境に入って、テンション全開の母親達に「ちょっと、お子さんの様子見ながら写真撮らせてねぇ」とか、ヘンな琉球アクセントで断っておいて、「は~ぃ、ヨロシクね、ホラ、内地のお客さんが、写真撮ってくれるんだから、ちゃんと笑いなさい」としっかり観光客であることを見抜かれた上での撮影フォーローして戴いて撮ったのがこの一枚です。

きっと、このやんちゃ坊主が大きくなった頃、子供時分に遊んだ南国の市場を流れる緩い時間や空気を思い出し、目を細め懐かしがるのかなぁ・・・などと考えながらシャッター切った一枚です。

そして二枚目。
シャッター切ったあとも、とどまることのない"ゆんたく"中の保護者ご一行さまに心よりの協力御礼と、「いつまでも変わらないで」との市場への思いを胸のうちで呟き、この場を後にし、ロータリーよりひとつ先のバス停に向けて歩いて行きました。

糸満バスターミナル発、玉泉洞行きバスに乗って、目指すは今回の主要目的地のひとつである"ひめゆりの塔"です。
バスに揺られること、約20分、バスはひめゆりの塔のすぐそばのバス停に留まり、そこで下車し、記念館も併設されている敷地へと歩いて向かいました。

入口では、いかにも沖縄で若い頃苦労したが、今は良い時代に余生を送らせて貰っていますよ、という雰囲気が全身から滲み出ている品の良いおばぁが花束を売っていて、それをひとつ200円で買い求め、早速、敷地の中へ歩み、「ひめゆりの塔」の前に置かれた献花台にそのひと束の南国の花を捧げ、心より哀悼の意を示し、世界平和の到来を祈りました。

献花台を去ろうとする直前、親子連れが、記念撮影するのに、慣れないデジカメで苦労しているのが目に留まり、一家の記念写真を撮ってあげました。

しかし、ここから先が工房主のえげつないところで、せっかくの「ひめゆりの塔」訪問なので、塔本体にカメラを向けるのも畏れ多く思え、献花台に花を供え、祈る姿を撮らせてくれそうな人が来たら、何とか上手くモデルになってくれるようお願いしよう、と下心も隠し持っての参拝でもあったのです。

シャッターを切って、モニターを確認して貰ってから、「ね、結構イイカンジに撮れたでしょ?」とかと言ってから、「その代わりと言っては何ですが、これから花を捧げ、お子さん達と祈る姿を撮らせて下さい」とお願いしたのです。

尤も、祈る姿で以て、せめて弊ブログ読者各位だけにでも、平和の有り難みをイメージして貰えれば、というのが本心でそれ以外は何もないので、この下心も大目に見て貰えれば、と思ってやったことではありますが・・・

それから三枚目。
モデルさんになって頂いた一家に心よりのお礼の言葉を述べ、記念館を見学し、記名帖に感想など書いて、中を見学してから、次の目的地、平和祈念公園を目指しました。

実は、この「ひめゆりの塔」が建立されている伊原という地区から米須を通り、摩文仁まで結ぶ、58号線は、沖縄戦で最も多くの人々が無くなった地帯で、あちこちに慰霊塔が建立されていて、そこここに見えるのどかな赤瓦お民家やセメント造ののどかな南国風の商店の佇まいなどからは想像もつかないような激戦地、"地獄の中でも最も苛酷な地獄"と日米兵士、そして沖縄の民間人に恐れられた一帯だったのです。

そのかつての面影を偲ばせるものは慰霊塔、慰霊碑の案内板しか見当たらないような牧歌的な道を、右側のさとうきび畑を眺めながら、時折、遥か彼方に姿を現す南シナ海の水平線に思いを馳せ、米須の先まで歩いていきました。
その途中で、バス停の近くで追っかけっこみたいな遊びに打ち興じる小々姐2人に遠く摩文仁の丘を背景とした写真のモデルさんになってもらい、「この辺りが太平洋戦争の激戦地であちこちで多くの人が亡くなったのを知ってる?」と聞いたところ、「な~んか、おじぃがそんなこと言ってたっけかなぁ」というカンジで、彼女達は、尊い命と引き換えにもたらされた今の平和な時間をエンジョイすることに夢中のようでした。

そして、さすがにどこまでも歩くのがしんどくなって来た頃、ちょうど路線バスがやって来て、平和祈念公園まで乗せて貰い、中に入って行きました。

このカットは公園内の戦没者石碑群が建立されているエリアに入るところにある、今はただ平和な時間のみ流れる平和資料館の中庭から建物を撮ったものです。

続いて四枚目。
南部戦跡の慰霊巡りをした翌日、25日は雨模様でしたが、前に観光バスツアーで15分かそこらしか滞在出来ず、今度来る時はもっとじっくり腰を据えて訪問し、出来ればそこに居る人達とも話しをしたい、と考えていた、嘉手納基地に隣接するドライブイン「道の駅かでな」をバスで訪問しました。

那覇を朝出る時も小雨だったのですが、嘉手納ロータリーでは、かなりの雨量で、本当はバスの乗り継ぎで道の駅に辿り着くはずだったのですが、バスも連絡悪かったので、バス停前で客待ちの大村昆みたいな運転手さんの「道の駅」まで結構有るから、乗って行きな、500円でイイよ、との甘いお言葉に乗っかり、乗せていって貰いました。
結局、メーターを倒さず走ったので、610円だかになって、ハィ600円ちょうどね、という極めて南国的明朗会計でしたが苦笑するしかなかったです。何故ならここは南国ですから。

まずは出発前に買った高性能コンパデジの光学ズームとデジズームの性能も試したかったので、屋上に上がり、基地の戦闘機の離陸を待ちます。
ところが、15分待とうが、30分以上待とうが一向に滑走路に何がしかの機体が滑り出てくる気配も有りません。
そぼ降る雨の中、怖い表情で屋上を行ったり来たりする中年男は営業の邪魔になるのか、或いは、観光客みたいなのには適当に親切にしておけ、と因果を含められての商売なのか?は知る由もありませんでしたが、暫くすると、屋上の売店のおばぁが、「あ、昨日、今日とクリスマスだから、基地もお休みみたいさぁ」とか事もなげに教えてくれました。

が~んと自分の不勉強さ、と間の悪さに打ちひしがれそうになる気持ちをぐっと堪え、では基地をバックにした、現地カップルのそれらしい写真を撮ろう、と気分転換します。

待つこと10分、如何にも頼まれたらイヤと言えません、というカンジの初々しいカップルが基地を眺め、やれ、ランチタイムはパイロットも整備のおっちゃんもお休みだから、エンジン音も静かなもんだ・・・とかかなりユニークな解釈を加え、基地を眺め回しています。

そこで、先に事情を知った小生がこのいたいけな初々しいカップルの背後に立ち「あー今日はね、クリスマスなんで、基地の訓練はお休みみたいね、どっからきたの?あ、石川?遠いとこ、ご苦労さんでしたね」とか言って、あ、そうなんですか、有難うございますと言って立ち去ろうとするお二方に、せっかく来たのだから、ブログのネタになって行きなさい、とか全然説得力の無いリクエスト出し、それらしいポーズで基地を背景に撮ったのがこのカットです。

まだまだの五枚目。
屋上で何組かに声を掛け、親子二人でお金も入れずに見えない双眼鏡を覗いてポーズして貰ったり、基地の前で談笑して貰ったり、好き放題写真撮らせて貰ったので、バス代とタクシー代の元手は取ったかな、とかセコイこと考え、そう思ったら、忘れかけてた空腹感が戻ってきました。

そこで、後回しにしていた、2階の食堂、この道の駅が出来る前から同じ場所でドライブインとして営業していた、由緒正しい食堂だということだったので、せっかくですから、ここでランチです。

窓際い近い大テーブルが空いていたので、そこに座って、メニューを見ていたら、如何にも健康そうな沖縄の女子高生、というカンジの小姐が注文取りに来てくれたので、早速、得意の現地モデルスカウト術(客観的には、ただのナンパとも・・・)を駆使し、その気にさせて、テーブル脇のクリスマスツリーの横で、一枚撮らせて貰いました。

ちょっとおっかなげなお店の女主人が衝立の向こうからちらっと見てたので、文句でも言われるか、と思いましたが、「XXちゃん、ホント良く基地の人にも、内地の人にも写真撮られるね!」とか茶化すためだけに一部始終見てただけでした。

しかし、初めは占領軍の施設だった基地が、ここのように観光資源ともなり、地元のいたいけな女子高生がバイトを通じ、米国人兵士に親しく声を掛けられたり、写真撮って貰ったりするということが日常茶飯事に起こっていることからも、意外と沖縄の人達は大航海時代の国際性を遺憾なく発揮し、したたかに今の世を渡っているのだなぁ・・・と改めて関心した次第。

最後の六枚目。
モデルさんになってくれた小姐にお礼を述べるとともに、お勧めのメニューを頼みまくった小生は、テーブルに並べられたスープやら、タコライスやら、カデナ風スペシャルサラダみたいなものを、そのアメリカンサイズにもめげず気合い入れて格闘していたら、隣りの席に、いかにも沖縄風のおばぁと孫という一行が食事を終え、すぐにでも帰ろう、としている様子が目に留まりました。

これは、まさに今回の沖縄を象徴した画が取れるワイ、とか勝手に意気込み、一枚撮らして!と頼んでシャッター切った一枚。

この後、話しは弾み、おばぁの言葉で印象的だったのが「沖縄の人間全部が、基地全てがすぐに出て行け、と言っているワケではないです、基地でお金が沢山落ちているのは事実ですし、将来的に減ることが良い方向であるのは間違いではないことはわかりますが、今すぐ無くなってしまったら、沖縄経済はどうなりますか?この子達を飢え死にさせるワケにはいきません、とにかく今この時生活出来て、そこそこの水準で暮らせることが何よりなのです、東京の人達みたいに沢山のお金が有るわけではないですが、それでも、今を幸せに生きている人達は沖縄には沢山居ますよ、主義主張でご飯は食べられません、とにかく今を行き抜くことが一番なのです、命どぅ宝って聞いたことありますか?この言葉はなにも反戦の合言葉だけぢゃなく、とにかく何であれ、今日生きていることが一番の幸せということなんですよ、孫達にもそう教えていますよ」といったことです。

そこで、おばぁに「実はもう十数回沖縄に来ていますが、いつも思うことが、今回は前回以上に気に入った画が撮れるか?ということ。羽田から飛び立った瞬間に毎回悩みます」と述べたら、「な~に、大丈夫さぁ、あなたは顔に「沖縄のことが大好きです」って書いてあるもの・・・これからもどんどん通って、ありのままの今を撮って、日本といわず、全世界に伝えて下さい」と有難いことばを頂きました。

これで、また悩むことなく、見たままの沖縄を年に数回、ここで発信していこうとの思いを新たにした次第です。

さぁ、来週は何が出るかお楽しみです。乞うご期待。

テーマ:旅の写真 - ジャンル:写真

  1. 2011/01/17(月) 00:21:31|
  2. Arri改造レンズ群
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

今回は写真より先ず後段のおばぁのコメントに。

毎回思うのですが、基地の問題が出る時にニュースでは「基地被害」の話しか出ないのが実に違和感あります。
私も沖縄に3年程度おりましたが、今回の記事にあるおぼぁの様に基地が今すぐなくなると困るという方も結構いるのですけど、そういう話は取り上げられません。
一方で沖縄にはそれはそれは莫大な交付金が下りているわけですが、その話もあまり出てきません。

「主義主張で飯は食えません」

重い言葉です、実に重い言葉です。
これに反論することは私にはできません。
  1. 2011/01/17(月) 09:27:40 |
  2. URL |
  3. 出戻りフォトグラファー #aYDccP8M
  4. [ 編集]

沖縄問題と、ちょっと似たようなものに
ダム建設とか
原子力発電所
ごみ焼却施設
はたまた火葬場とか・・・・

一般人がいやがるものは地方とか僻地へ・・ってのが
一般的のようです。

石原東京都知事が夢の島に
原子力発電所とか軍事空港を作ったならば
その時こそ、この人の意見をまともに聞こうという気持ちに
なると思いますよ~~~
(写真のほうについては、あえて触れないコメントで失礼します)
  1. 2011/01/17(月) 20:44:09 |
  2. URL |
  3. やまがた #-
  4. [ 編集]

出戻りフォトグラファー さん
有難うございます。
実は、キャンプシュワブ沖移転に関する現地でのデモ等の反対運動についても、親類が地元だということで、その裏の真相をおばぁから教えて貰ったのですが、誰が読んでいるか判らない怖さがあるので、ここではあえて割愛しましたが、内容は恐らくご存知の通りのことだと思います。

ところで、既存の基地に関しては、興味深い話しが有って、①公務員、②沖縄電力、③基地従業員、という順位が有るそうです。

もう、これをご覧になって、何のランキングか判りますよね、そう、沖縄の適齢期の小姐達が結婚相手に求める職業だそうです。

要は、基地従業員というのは給料水準もさることながら、安定性や地域社会でのステータスという点で公務員や沖縄最大の民間企業と肩を並べる存在になっているのですね。

沖縄の人々はやはり我々が考える以上に柔軟性と忍耐力、そして環境適応力に優れた民族の末裔なのですね。
  1. 2011/01/17(月) 21:53:47 |
  2. URL |
  3. charley944 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

やまがた さん
有難うございます。
実は勝負写真は写真展向けに温存してありまして、今回のものは、芸術性よりも、むしろ、日常スナップに近いテイストで構成していますから、ストーリーへのコメントだけでも大歓迎です。

再選した仲井真知事が言ってましたね、全国知事会で、沖縄の惨状を訴えても、同情する知事は少数、しかもその中で何か具体的な援助を申し入れる県は極僅か・・・断る口実は、住民の理解が得られない。

まさにこれが戦後の構造そのものなのです。

沖縄は不幸にも地上戦の戦場となり、占領軍が居座った、一方、内地では、一部を除き、幸いにして殆どの占領軍は引き揚げてくれ、そのまま住民の生活環境が戻った、それを今になって、そちらで引き取ってくれったって、住民が平和への「既得権」を盾にイエスと言う筈が無い、という思考なのです。

しかし、この基地問題は、まさに諸刃の刃で、確かに異物ではあるのだけれども、時間が経つうちに雇用と金を産む、孤島の主要産業の地位を得てしまったのは紛れも無い既成事実ですし、それを急に無くしてしまえば、基地に変わる即効性有る産業が登場しない限り、いかな本土からお金だけ送っても、際限なき"失業者への炊き出し"程度にしかならないのです。

そこで、沖縄の人達は、上手く現状と折り合いをつけて、したたかに生きていくすべを覚えたのです。

火葬場や、ごみ処理施設はどうか判りませんが、原発や、水力発電のダムなどは、反対する地域住民も居ますが、一方、地域振興の切り札として、補助金と雇用を目当てに誘致する勢力もこれまた存在するのです。
  1. 2011/01/17(月) 22:15:07 |
  2. URL |
  3. charley944 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

さて写真の話を

写真外のところでちと熱くなり済みません。

さて、今回は2枚目と5枚目ですね。
5枚目は良く見た風景なんで、これはもう琴線に触れたとしか言えません。

それと2枚目ですが、バックストーリーを知らなければ一瞬を捉えたように思えます。
凝縮した時間と言いますか。

いずれも沖縄らしさと言いますか、日常をうまく治めている気がします。
色彩の鮮やかさだけではない、生活が出ているってところでしょうか。
さすがです。

写真外の話は、オープンに出来ないものも多いので別な場所で~(笑)
  1. 2011/01/17(月) 23:39:58 |
  2. URL |
  3. 出戻りフォトグラファー #aYDccP8M
  4. [ 編集]

「ひめゆりの塔」の献花台というのはこれだけでははっきりとは判りませんが、確かに畏怖を感じます。
別に何かにが写っている訳ではありませんが、わたしもナカナカこういった場面はニガテです。
弔えるような心の準備があれば越した事がないのですが、意外とこんなところに自分の弱みがありそうで(弔っているとは言えども、・・・。)、944さんの画像をしっかりと検討して見たいと思いました。
  1. 2011/01/19(水) 00:15:06 |
  2. URL |
  3. treizieme ordre #-
  4. [ 編集]

出戻りフォトグラファー さん
再び有難うございます。
実は2枚目と5枚目は写真展の出展候補にも入れていたのですが、2枚目はちょっこしお母さんのお尻が切れてしまったのと、5枚目は曇りの日の室内でISO100フィルムで若干シャター速度が遅かったため、発色が鈍く、極僅かに手ぶれを起こしていたので、4PWへの伸ばしにも耐えないと思い、そちらからははずし、この場での予告編に用いた次第です。

今回と前回のアップの写真からでも沖縄の日常の雰囲気を感じ取って戴けたのであれば、個人的には、写真展本編での作品構成の意図は、思った通りのインパクトで受け止められるのでは、と期待してしまいます。
  1. 2011/01/19(水) 21:54:15 |
  2. URL |
  3. charley944 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

treizieme ordre さん
有難うございます。
まず、今回は何も心霊写真の話しをしようと思って作品を選んだ訳ではありません。
「ひめゆりの塔」は、もっとシンボリックな存在であって、要は沖縄で実際に66年前に起こった悲劇そのものの象徴であり、我ら日本国民が等しく負わねばならない重い心の十字架が具現化されたものなのです。
そういったものだからこそ、本体を写すことは憚られ、その本体に向けた家族の祈る姿で「塔」の象徴性を表現しよう、と意図した訳です。
  1. 2011/01/19(水) 22:00:09 |
  2. URL |
  3. charley944 #SFo5/nok
  4. [ 編集]

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Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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