さて、今宵の更新ですが、予告通り、と云いたかったところなのですが、北海道に行ってから一か月後、花のシーズンの小田原城を12時前着、16時前発という駆け足スケジュールで撮るだけ撮った中からハイライトシーンをお送りしようと思ってストックを探していたら、なんと不覚なことにも1月に、実質、初訪問した時の小田原での撮影結果をまたレビューしていなかったことが判明、急遽、同じテーマで、Baltar25mmf2.5改Mではなく、別レンズで撮ったものをお送りし、6月のものはその翌週回しとさせて戴くことと致しました。
まず、当日の簡単な行程ですが、小田原と云えば、おそらく首都圏ではダントツに魚介料理が安くて旨いお店の揃っている土地柄、ランチタイム前に乗り込むのが、大人のお作法ですから、初日は11時半過ぎの小田急線で小田原駅に着き、予め調べておいた、ちょっと小洒落た店構え、内装もポイント高い「Sakana Cuisine Ryo」さんで至極の海鮮丼2000円(税込)を戴き、しかるのち、駅至近の宿に荷物を預かって貰い、登城コースを辿ったのでした。
では、さっそく、当日の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。
機材はカメラが富士X-Pro2、レンズが1~6枚目までがSoligor35mmf2.8L、7~15枚目までがSpeedPanchro28mmf2.0mod.M by FGWG、全コマ開放でのAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、豪華な海鮮丼を驚くほどリーズナブルな価格で食べられ、やはり小田原は素晴らしいところだ♪とひとりごちて登城ルートであるお濠端通りを歩いていたら、空き地の角に「史跡小田原城址」という古めかしい武骨な石碑の付近、おそらくは城郭の石垣の一部に使われていたであろう巨石の上で、いたいけな男女の童子が戯れていたので、これ幸いと一枚戴いてみたもの。

二枚目のカットですが、道案内の表示板に従って、お濠端通りを南へ50mも歩くと、櫓が建っているお濠端が見えてきて、そこに架かる赤い古風な佇まいの橋が目に留まったので、歩きながら何枚か撮ったうち、橋の手前までやって来て、細部の造りまで見て取れる位置に立ったので、正式名を「学橋」という赤い橋と背景に二の丸址の佇まいを入れて一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、お濠端通りを更に歩くこと100m弱、やっと正規の登城ルートである馬出門、そしてそこから馬出曲輪を経て銅門へと続く位置まで辿り着いたのですが、馬出門と通りを結ぶめがね橋を渡ってすぐに北方に見える二の丸址に建つ二の丸隅櫓の白亜の外壁が美しかったので、思わず足を止め、青空を背景に水鏡に映る姿も入れて一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、平成になって復元された馬出門をくぐり、細かい玉砂利が敷き詰められた馬出曲輪の中に足を踏み入れると、目の前の松林の中に純和風の入母屋造りの屋根の下が洋風の白い下見板張りという、まさに和洋折衷の二階建ての建物が目に入り、この不可思議な佇まいに惹かれて、近寄ってみると、どうやら小田原ガイド協会というNPOの事務所のようで、要はガイドさんの詰め所ということだったのですが、なかなか趣きある建物だったので、全体が入る位置までバックして一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、馬出曲輪の先は、可愛い木造太鼓橋である住吉橋を経て、これまた平成になって復元されたという銅門がそびえる銅門広場へと足を踏み入れるのですが、住吉橋の手前がどうやら記念撮影スポットになっているらしいので、そのスマホン設置台の位置から、住吉橋、漆喰塀、銅門を収めた構図で一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、銅門をくぐり抜けると、いよいよ、お目当ての白亜の天守閣が凛とそびえ立つ、本の丸の丘陵の真下、常盤木門へと繋がる赤い太鼓橋の袂まで辿り着くのですが、この時期、桜はまだ早い時期でしたが、温暖な小田原のこと、梅はもう十分に盛りになっており、訪れる人々も少ないこのご時世ながら、精一杯咲き誇っていた桃の濃いピンクの花々に惹かれるものがあり、常盤木門をバックに一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、銅門の広場からも少しばかり見えてはいたのですが、常盤木門を抜けた広場からは、真っ直ぐ正面の高い石積み天守台の上には明治期に解体されたものの、市民の寄付により1960年に鉄筋コンクリートながら、複数現存する図面、木組み模型をもとに忠実に再現され、2016年に耐震補強、外壁リニュアルを受けた復元天守閣である小田原城天守閣が見え、中学校の修学旅行以来の再開だったので、感慨深く、一枚戴いてみたもの。

八枚目のカットですが、この時は、憎っくき新型コロナことCOVID19蔓延防止対策として天守閣への入場は出来ず、仕方なく、本の丸の中を散策し、その真下の、二宮金次郎を祀る報徳二宮神社へお参りして、海岸方面へ歩いてみることとし、ほどなく御幸の浜へ到着し、海岸の平面テトラポットの上に置かれた真っ白い流木の姿を撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、御幸の浜には、荒久灯台という海上保安庁管轄の無人灯台が設置してあり、突堤の先に、赤い、ちょうど、3mもの巨大なライフル弾薬莢のボトルネックの辺りに水門などの開閉ハンドル状の環が設けられているような佇まいの本体があったので、突堤先端で釣りをしていたご婦人にエキストラ出演願い一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、突堤を歩いて灯台本体に向かっていた時から気にはなっていたのですが、地元のいたいけな高校生カポーがずっと海を眺めながら、いかにも青春を謳歌しているような状況だったため、男子校出身で、こういうシチュエーション皆無だった工房主は、やっかみもあって、放って通り過ぎるワケにもいかず、声をかけて、後姿モデルになって貰ったもの。

十一枚目のカットですが、撮ったあと、話をしていたら、記念に前から撮って欲しかった云々言ってましたが、相手は未成年、親に知れたらどんなクレームつけに怒鳴り込まれるかも知れないので、あ、今日は時間無いのでゴメンね、とか心の中で手を合わせてその場を立ち去ってすぐにボーダーコリー連れたご老人から、それライカですか?とか浜辺で声掛けられたので、いえいえ富士ですねん、元は小田原の会社ですよとか言って、写りをデモンストレーションするため、愛犬を撮らせて貰ったもの。

十二枚目のカットですが、そろそろ陽も傾いてきたし、駅周辺に戻ってお茶してから宿にいったん戻ろうと思い、勘を頼りに大通りへの道を歩いていたら、幼稚園を過ぎた辺りで、「槙島ランドリー」なる、潮風に長年晒され、剥げかけたオール木製の看板を破風部に掲げた元店舗と思しき住宅の前を通りがかったので、何とか画面に収めようと苦心惨憺、斜めに撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、大通りまであと僅かという辺り、ちょうどかまぼこ通りの一本南の通りを歩いていたら、「海岸通り」という、如何にも湘南的ネーミングの、潮風に晒されたカンジの木製看板が掲げられた渋い店先の造作も、また通行人の目を楽しませようという、樽の上一杯に植え付けられたビオラ、パンジーの類いもなかなかイイ雰囲気だったので、思わず足を止め、一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ここもかまぼこ通りの一本南の通りで、そろそろ大通りの喧騒が聞こえてきそうな辺りを歩いていたら、道の反対側にそれこそ、京都の烏丸通りとか、金沢の兼六園下辺りに在ってもおかしくないような佇まいの、それでも、海の近くの床屋を意識したのか、木部は涼やかな水色に塗り分けられた、元バーバーの建物を見かけたので、またしても足を止めて一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、大通りを北上し、そろそろ駅ビルも見えてきた辺りには、ここ小田原でも夜の繁華街は存在し、関東の外れではあるものの、やはり、何となく、京都や金沢辺りのスナックなどが建ち並ぶエリアの如き既視感を催させる街並みを見つけたため、緊急事態宣言下で、行き交う人もまばらなものの、ちょうど大通りから足を踏み入れ、スマホンチェックする小姐が現れたところで一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、小田原は都心から近いし、シーフードは旨いし、由緒正しい外観復元天守閣は存在するし、大規模な空襲は無かったので、市内に魅力的な古建築が点在しているし、これはもっと気軽に足を運んでも良いな、と思いました。少なくとも、アクセスの難易度からすれば、江の島とそう変わりませんので・・・
さて次回は正真正銘、花の季節に訪れた小田原二回目、ランチ後、ティータイムまで、Baltar25mmf2.5で撮りに撮ったカットから厳選してご紹介します、乞うご期待!!
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- 2021/06/20(日) 20:18:37|
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