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深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

Exploration of a ruin of an ancient castle formerly facing to a lake in Suwa-city, Nagano-pref.

さて、今週は予告通り、長野県の湖の畔の名城へ訪問した時のレポートをお送りしたいと思います。
そのお城の名前は「高島城」、正直申し上げて、相当な城郭ジャンキーでなければ知られていなかったような渋めの城郭遺構です。
工房主も松本城には合計4回、中央線/高速ルートで云えば、その途上の甲府城には、10回では効かない回数訪問していたのに、このお城のことを知ったのが、「日本城郭検定」の勉強を始め、その繋がりで、Instagram上の検定事務局の専属ライターの小姐各位のレポートを読むようになり、或る日、諏訪に面白げなお城がある、との記事をここ二、三ヶ月前に読んで、それほど遠い地ではないし、外れても、まぁご愛敬、という軽い気持ちで、中央道の高速バスで、順当に行って3時間15分ほどのところを、想定外の渋滞で更に1時間遅れ、実に4時間をかけて辿り着いたというわけです。
元々は、豊臣秀吉の家臣で「日根野高吉」という武将が1598年にこの地に築城したのですが、江戸時代も過ぎ、明治時代になって、不要となった天守閣ほか城郭内の殆どの建物が破却され、石垣と濠のみが残った敷地が公開され公園となり、やがて諏訪護国神社が建てられ、おらが村の象徴を、という住民の声に突き動かされる形で、1970年に本丸に天守・櫓・門・塀が復元され現在に至ったものです。
ではさっそく当日の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONYα7c、レンズは11枚目のみVoigtlaender Heliar75mmf1.8、その他はLeica Vario-Elmar21-35mmf3.3-4.5asph.による全コマ絞り開放AEモードでの撮影となります。

Takashima_001.jpg
まず一枚目のカットですが駅前を東西に走るメインストリートからお城に続く道を真っ直ぐ歩いて行くと、やがて、正面向かって右隅の角櫓の茶色い姿が見えてきて、それが、この規模のお城にしてはかなり高めの野面積の石垣の上にちょこんと載せられているのが近づくにつれ判り、やがて、お濠端まで到達すると、お濠で隔てられた廓の石垣の上に角櫓、塀、そして3層3階の復興天守が聳えているのが視界に広がり、その気持ちの高まりのまま一枚撮ってみたもの。

Takashima_002.jpg
二枚目のカットですが、お城に登城するには、当然、お濠を渡らねばならないので、「冠木橋」と名づけられたお濠に架けられた、一見、木造風の鋼構造ハイブリッド歩道橋目指してお濠端を歩いていくと、ちょうど、観光案内等にも頻出の、石垣と橋と櫓門の三役揃い踏みで画面に収まるポイントに到着したので、足を止めて、うーん、木の葉が全部落ちたもっと寒い季節に来た方が良かったかな、とか考えながら撮ってみたもの。

Takashima_003.jpg
三枚目のカットですが、いよいよ、城内へ続くハイブリッド橋である「冠木橋」の手前まで到着し、そこから橋の床面越しに門の佇まいを眺めてみると、やはり、横から見た以上に真ん中が盛り上がった、太鼓橋形状になっていて、京都辺りによくある橋とか、神社仏閣、それに姫路城、彦根城の大手門に繋がる橋なども憧憬上の欄干に擬宝珠を乗っけた造りになっていますが、ここは、外周道路より城内の方が高くなっていたので、その証に腰を落として一枚撮ってみたもの。

Takashima_004.jpg
四枚目のカットですが、やはり外周道路からお濠越しに撮るよりも、お濠の真ん中に当たる、橋の上から撮った方が、お濠の内側の石垣ギリギリに建てられた天守閣の雄姿は、より近く、また何よりもアングル的に迫力あるカットが撮れるのは云うまでもないので、石垣の上の塀越しに迫り出している邪魔な木の枝や葉の映り込みに注意して場所決めして橋上から一枚撮ってみたもの。

Takashima_005.jpg
五枚目のカットですが、橋を渡り切ると、目の前に、闖入者を拒絶するが如く聳え立つ、木造復元の櫓門の偉容が視界一杯に広がるのですが、よくよく考えてみると、どう見ても、お城の門の中では、一番格式の低い「冠木門」、そう八丁堀の同心とか与力の家にある、両側の支柱の上に一本の横板を渡しただけの、門という概念だけを示した簡易設備の名前が、立派な櫓門についているのは不思議だなと思いながら、その全容を一枚撮ってみたもの。

Takashima_006.jpg
六枚目のカットですが、さっそく、名は体を表さない不可思議な名称の"大手門"を潜って、本丸に足を踏み入れてから辺りを眺めると、石垣の裏側は土塁状になっていて、門を挟んで天守閣と反対側に復元されている、二階建ての櫓の様子をまず見ておこうとそこに続く小径を歩き出すと、木立を抜けた先に、曲りなりにも角櫓が復元されて建っているのに、ご丁寧にその傍らに「角櫓跡」という立て看板が建てられていて、これじゃ、復元された櫓も立つ瀬がないよなぁとか思いながら一枚撮ってみたもの。

Takashima_007.jpg
七枚目のカットですが、角櫓の近くまで歩いて行って、仔細を検分してみたところ、どうやら、単に城郭内の建物を外観的ニーズで復元したというより、観光ないし、地元のカルチャースクールとしての利用の必要性があって天守のオマケに建てられた感無きにしもあらず、当日は閉まっていましたが、どうやらお茶会の会場などに利用されている建物だったと判り、踵を返し、土塁上から、先ほどの「冠木門」の裏側を撮ってみたもの。

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八枚目のカットですが、門を潜って目の前に広がる本丸広場の右手奥、二方向からの石垣の交差する角に天守台が設けられていて、明治時代になってから取り壊されるまでは現在のこじんまりとした三層三階建ての天守と異なり、三層五階ないし、四階で、しかも南東角の登城口の手前には小天守が建てられていたらしいのですが、資料不足でこちらは手つかずで、一本独鈷の独立型天守として生まれ変わった雄姿を登城前に一枚撮ってみたもの。

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九枚目のカットですが、ここ高嶋城も他の鉄筋コンクリート(RC)造の復元、復興、ないし模擬天守閣群のご多分に漏れず、内部はお城のみならず、地域の歴史も併せて展示している、歴史資料館のような構成になっていて、これは現存天守も同様の話ですが、最上階は展望スペースとなっており、江戸期よりはだいぶ埋め立てが進み、諏訪湖の水面は遥か西方に移動してしまってはいますが、それでも、地面からの比高では25m近くある最上階展望台からは、諏訪湖の水面が周囲のビル越しに垣間見ることが出来、三大湖城の往年の雰囲気を味わうことが出来たと思い一枚撮ってみたもの。

Takashima_010.jpg
十枚目のカットですが、ここ高島城のみならず、それこそ和歌山城、広島城といった鉄筋コンクリート(RC)造の天守閣を訪問するたびに、気になって仕方ない、耐震補強の有無、ないし、施工の必要性のチェックモードになってしまい、完全にプライベートからお仕事時間になってしまうのですが、ここ高島城でも、ぱっと見、'70年の復興竣工以降、特に大きな補修等が行われた形跡皆無だったため、翌出勤日に市役所の電話して事情でも聞こうと思って、最上階の室内の傷み具合を一枚撮ってみたもの。

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十一枚目のカットですが、てっぺんまで登ったら、あとは下るだけ、というのはお城巡りも、人生も全く同じ原則なので、早々に降りて、廓の内部の遺構などの調査モードに入り、あちこち歩きながらふと閃いたのが、先ほどの門を潜った際に目の前に広がっていた池越しに天守を撮ったら、ゴージャスなカットになるのではないか、ということで、試しましたが、飢えた錦鯉どもが常にさざ波を立てまくり、水鏡が機能不全に陥ってしまったので、仕方なく、持参の中望遠で目一杯大きく撮ってみたもの。

Takashima_012.jpg
十二枚目のカットですが、郭内を歩きながら、ふと気付いたのが、お城の西側はお濠経由、そのまま諏訪湖に繋がっていたということで、GWに訪問した高松城の水手御門同様、高島藩の要人が大手門に相当する「冠木門」からではなく、舟で移動するニーズが有る時のための門があってしかりと思い、説明版を読んでみたら、やはり、海水と湖水の違いこそあれ、実質的に水手御門に当たる「御川渡御門」跡に藩主邸宅の置かれていた三の丸から移設された薬医門が建てられていたので、当時に思いを馳せて一枚撮ってみたもの。

Takashima_013.jpg
十三枚目のカットですが、廓の内部はひと通り検分終わったので、せっかく東洋のスイスと呼ばれる諏訪地域の「レマン湖」に相当する諏訪湖をひと目も見ないで帰京するのも、深川っ子の礼儀に反するので、水手御門に相当する西側の門からいったん城外に出て、そのまま、先ほど天守最上階で確認した方向を目指して
湖水に向かって歩くこと約10分、眩いばかりの夕暮れの諏訪湖の水面を目の当たりにし、嬉しくなって一枚撮ってみたもの。

Takashima_014.jpg
十四枚目のカットですが、湖の畔の藻のような苔のような名前のハンバーガーショップでイブニングティ&スィーツを楽しみ、少々休憩してから、当日の宿まで戻ろうと思い、先ほど来た道を引き返し、ただ、水手御門から城内には入らず、お濠端の道を天守下を通ってぐるっと周り、駅方面を目指しながら、ちょうど真下で高石垣の上に聳え立つ天守の雄姿を一枚撮ってみたもの。

Takashima_015.jpg
十五枚目のカットですが、駅方面の途中にある宿への道すがら、古い写真館っぽい一階相当部分は下見板張り、二階以上は薄い黄色の漆喰ないしモルタル塗込めで、その壁面には、今時、鹿沼とか近江八幡の洋館街辺りでしか見たことがないような木製サッシが嵌められている、如何にもレトロな建物っがあったので、帰り際に一枚撮ってみたもの。

今回の感想ですが、いやはや、灯台下暗し、松本城と甲府城の間にこんなにコンパクトで写真写りも良い復興天守閣に木造復元の櫓門、おまけの角櫓まで揃った城郭公園があることを知らなかったし、発作的に出掛けた旅で、どんな装備がベストなのか思いつかなかったので、とにかくミニマムで多くのシーンに対応出来る、という観点で選んだ、バリオエルマーとヘリアは大正解だったと思います。

さて、次週は、また帰省のため、一週お休み、その次は昨日、深大寺で大口径レンズで曼殊沙華の描写テストを行ってきた結果でもレポート致します、乞うご期待!!。
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Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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