て、今週のご紹介は予告通り、このところのプチマイブーム化しつつある、日帰り弾丸ツアーで、今を去ること7/30の土曜日、無謀にも早起きして東北新幹線と郡山からの磐越西線乗り継ぎで出かけた、おそらくは約40年ぶりの会津若松城訪問のレポートをお送り致します。機材は、お手軽にErnstLeitz社製のVario-Elmar21-35mmf3.3-4.5asph.をSONYα7cにつけての軽装備で一日歩きました。もちろん、全コマ開放でのAE撮影です。
では、当日の行程に沿って実写結果を眺めて逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、東京駅から乗って、11時過ぎに着いた郡山から、今度は典型的なローカル線である、磐越西線に乗り換え、約一時間、車窓からの景色を楽しんで辿り着いた会津若松駅からさらに市内循環の観光バスに乗り換え、最寄りバス停から5分ほど歩き、外堀に架かった橋を渡り、幾つかの石垣で囲まれた鍵の手を通り抜けると見えて来た、懐かしくて新しい、2011年に大幅リニュアルを受けた天守の雄姿を一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、5重5階建て地下2階の天守へのアプローチは天守東側の石垣を切り欠いて設けられた地下階につながる入口まで石段の横に架けられたスロープを登って中に入ることになるのですが、建物の全体観と出入口の大きさと位置関係が良く見てとれるよう、いったん、天守東側に広がる芝生の上までバックして、ギリギリ全体が収まる位置から一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、二枚目のカットの下の方にちょこっと地味に収まっている、天守の石垣を切り欠いて設けられた地下階の塩蔵経由、天守内部へアプローチする出入口周り、特に切り欠きの上に、ダリウスの剣よろしく、威圧感満載で、巨大な石の一枚板がでーん!と載せられていたのが面白くて、一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、この立派な白亜の天守を前にして、一刻も早く中に入って、てっぺんまで登ってみたい衝動に駆られながら、その一方で、平成になってから、復元された、RC造の天守と天守続櫓、表門である「鉄門」を介し接続する南長屋門と干飯櫓の外観も至近距離でみたい気持ちにも抗い難く、いったん、入口を通り過ぎて南長屋門伝いに干飯櫓の前に出て、南長屋門が接続する表門である「鉄門」と天守のツーショットを一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、干飯櫓の前まで行って、出入口まで戻り、地下階から順繰りに展望スペースのある最上階に向けて各階の展示品を適当に眺めながら上がっていったのですが、何せ、実質的には5階建てのビルを階段で登り切るのと全く同じですから、一気には駆け上がれず、各階で休みながら上がっていったということで、やっと辿り着いた最上階から手に取るように見える、先ほど地上から観察した南方向の構築物群を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、そもそも天守閣の楽しみ方は、外からその優美な外観を眺めてもよし、大手門、ないし搦め手口の門から、石垣や土塁に囲まれた虎口を通り抜けて、本丸に聳え立つ天守に巡り合う道行きを楽しむもよし、そして、その幾つもの楽しみの最終到達点が天守最上階の窓、ないし廻縁から眼下の景色を眺めること、即ち往時のお殿様目線で領地の21世紀の景色を俯瞰することにほかならないので、お殿様気分で最上階展望室の廻縁の様子を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、天守最上階の廻縁から360度景色を眺めて、すっかり、令和のお殿様キブンを満喫してしまったら、あとはお帰りはあちら、とばかり、展望室中央に広く開口部を取った昇降用の階段から下って行くだけなのですが、半ば備忘録的に鉄筋コンクリート造天守閣あるあるの、最上階の天井がきれいに格子状の化粧板が嵌められているをしっかりと広角のパース効果考えて撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、40年前にやって来た時と今回の大きな違いは、外観のお化粧直しだけでなく、オール鉄筋コンクリート造の天守本体から続櫓を経て表門までだったのが、平成になってから、木造復元で、南櫓からその先のどん詰まりに聳え立つ、往年の郭内では最大の二階櫓だった干飯櫓まで出来ていたので、有難く、檜張りの廊下をスキップしたいキブンで進んで行って、鉄筋コンクリート造とは異なり、木造の場合は構造体である屋根の小屋も木組みの様子がバッチリと観察出来るので、嬉しくなって南櫓の表門との接合部の様子を一枚撮ってみたもの。

九枚目のカットですが、さっそくオール木造復元の部位である南櫓に足を踏み入れ、心も軽く当たりをキョロキョロしながら、ところどころ、使われている釘が、洋釘でも、ましてやその頭をタコス状につぶしたなんちゃって和釘でもないことを確認しながら、その先に口を開けている、干飯櫓への木製の階段を目指して歩いている時に櫓廊下の全体像を撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、お楽しみのオール木造復元の二階櫓である干飯櫓に着くと、お客を出迎える間もないのか、或いは東北地方でも特に人見知りしてシャイな会津人気質を写したのか、櫓内に幾つか置かれた等身大の木偶は、ひたすら狭間から弾も込めていない火縄銃を構えて、怖げな表情で眼下の敵を睨みつけており、愛想がないヤツだな、とか苦笑しつつ、お仕事の様子を傍らから撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、櫓の中では、おそらく戊辰戦争というか会津戦争での籠城戦での戦闘員の疑似体験をしてもらう目的なのか、同じ重さの太刀と火縄銃の模型が置かれていて、誰でも触って、持ってみて重さを体験し、往時の侍達の労苦に思いを馳せる趣旨だったはずなのですが、先の中国人一家に掛かっては、単なる家族旅行の記念撮影の小道具にしか過ぎず、いつまで経っても手放す気配がなかったので、それならばと有難く団欒風景を傍らから一枚頂いてみたもの。

十二枚目のカットですが、城内の隅々まで検分し、どん詰まりの干し飯櫓からまた引き返し、表門脇の出口から場外に出たら、とりあえずは天守続櫓の裏側を見てみたいと思ったので、表門を潜って西側の通路に出て先ほどまで居た5重5階の天守の偉容を再び下から眺め、続櫓越しに夏空の下の白亜の造形美を一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、このまま真っすぐ進むと、北門経由の出口に向かってしまうことになり、東側の広場越しの天守の全体像が撮れなくもなってしまうため、とりあえず、表門外というか天守続櫓裏に在った云われている「上杉謙信公仮廟所」の跡を見学してから、また戻る時に鉄筋コンクリート造復元とは言え立派な櫓門である表門の外から、その雄姿を一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ここ会津若松城は復元とは言え、巨大な東日本最大級の天守閣ばかりが注目されがちですが、先の「上杉謙信公仮廟所」しかり、太閤秀吉に切腹を命ぜられ悲運の最期を迎えた千利休の子、少庵を千利休の高弟でもあった蒲生氏郷が匿い、ひそかに茶の道を伝えようとしたという「麟閣」という建物も遺っているというのでその外観を眺めたい気持ちもあって、東側の、今は芝生張りの広場に向かった時、振り返りざまに天守の全体像を撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、さて「麟閣」の前まで行ってみたら、予想した通り、入場は有料で、時間も残り少なかったので、せめて門の下から建物の玄関周りと特徴的な部位の写真でも撮りたいと思ったのですが、門の真下に料金所が有って、しかも、派手な立て看板が門の先の立てられていて、門の下から建物を撮るのは物理的に不可能だと悟り、おとなしく元来た道を辿って北出丸経由、郡山行のバスに乗れるバス停があるという市役所前に向かう途上見つけた、石造りのレトロな「鶴ヶ城会館」の外観を一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、いやはや、かなりマニアックで綱渡りの旅でしたが、7月上旬の東北地方縦断お城巡りツアーの動線から外れていたために取りこぼしてしまっていた会津若松城と対面出来、しかも駅からのバスの車中からふと目に留まった、浄土宗寺院の本堂横の妙に縦方向にひょろ長い木造建築が城内から移築されたお三階櫓という伝承もあったと知り、今度はじっくり時間を作って、会津若松城と市内あちこちに残る江戸の面影をゆっくり泊りがけで探訪しに来たいと思いました。
さて、次回は懲りもせず、この翌週も天気がいいことに託けて、またしても、JR東日本の新幹線と高速バスを組わせた、新種の日帰り弾丸ツアーで、上田城、小諸城、併せて城下町の様子を長野県生まれのレンズ達と撮り歩いてきたので、その様子をレポートしたいと思います、乞う、ご期待!!
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- 2022/12/04(日) 22:56:24|
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