さて、今年最初の更新は、工房の旋盤初めで作り上げたレアレンズの仕上げが間に合わなかったので、代案として用意していた、昨年9月の奉公先の出張と絡めて25年ぶりに訪問した萩の街をクラシックレンズで撮ったものをお送りしたいと思います。
月曜の出張に絡めて、前週金曜日フレックスで夕刻、新幹線で徳山に入り、そこを拠点として、萩や岩国を撮り歩いたのですが、土曜日の萩は、いつのまにか小郡から新山口への駅名が変更された駅前から、高速バスで一時間程度で着き、昼食をはさみ、小郡行きの最終バスの時刻まで撮ったものです。
では、さっそく、当時の行程に沿って実写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはLeica M(TIPO240)、レンズはLeitz Summaron35mmf3.5による全コマ開放でのAE撮影となります。

まず一枚目のカットですが、高速バスから降りて、すぐに市内循環バスの一日乗車券を買い求め、向かった先は、惜しいことに前回訪れた時は存在すら気にも留めていなかった萩城址で、後で歩いて気付いたのですが、コンパクトな萩市内をかなり大回りに回るため、ヘタすると明倫館前のバスターミナルからなら、歩いて行った方が早いのでは、と思ったくらい時間をかけて到着した萩城の入口から天守台を濠越しに眺めたもの。

二枚目のカットですが、大手門に相当する入口から、真面目に入城料220円也を支払い、その際、おマヌケなことに仏頂面で提示したJAFカードが1か月期限切れであることを受付のご老人に指摘され、一気にテンション下げ下げで向かった城内で発見したのが、お濠の向こうに現れた敵に対し、城内から石垣上に一気に戦力を差し向けるために設けられた「雁木」石段が立派だったので、気を取り直して一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、基本的に明治のご維新で、天守閣以下、郭内の建物は悉く破壊され尽くしして、石垣と土塁、そして築地塀の残骸くらいしか残っていない、城内を散策していて、ふと眼についた、斜面の階段を登り、東側の石垣上に出て目にしたものは、本土にしては、珍しく浜辺と水のきれいな海岸だったので、バックに山並みを入れて一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、萩城址東側の、郭内は土手、外側は石垣になっている辺りを何気なく散策していたら、こんなものをこのまま放置しておいて、よく盗まれないものだ、と関心するような、時代がかった本瓦葺きの土塀の遺構がかなり原型を留めた状態で、木立の中に遺されており、実はこの土塀、入城料を徴収する廓の外に在り、この最寄りの出入口はフリーパスで、ここから入れば、入城料は実質無料だった、というだけの話なのですが、この見事な土塀の遺構に感心し、足を止めて一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、さて、お楽しみは最後に、と取っておいた、天守台に向かうこととし、先ほどの丑寅の方向に在った土塀遺構から見れば、未申の方角に遺る天守台はちょうど対角線に当たり、そもそも、なんで裏鬼門に当たるし、大手門と並ぶような位置関係の、それほど幅の広くないお濠に面した位置にお城の心臓部に当たる天守閣を建てたのだろうかなどと考えを巡らせながら、天守台遺構に到着し、その上面に残る、かつての建物の忘れ形見である礎石群を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、実のところ、一枚目に上げた大手門付近からの天守台遺構周りの写真は誰もが撮るし、逆に言えば、初めて行った人間では、他に天守台を撮れる位置まで辿り着けないような、周囲の道路の付け具合いだったのですが、ここでも、いつもの勘働きを頼みに、いったん廓外に出てから、スマホンのマップを参考に細い道を進んで行ったら、ちょうど、お濠を挟んだ、天守台遺構の対岸に出ることが出来たので、見事な秋空をバックにその偉容を一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、真面目に入城料を支払い、受け取ったチケットには、城の近所にある、国指定重文である、下級武士の長屋も見学出来るというので、それほど急ぐ旅じゃなし(と、この時点では思っていた・・・)、せっかくの入城料のうち、ということで、中に入り、建物もさることながら、初めて目にした、在りし日の萩城天守閣の古写真などに感心しながら、記念写真代わりに長屋の全景を一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、下級武士の長屋を後にして、向かった先が、萩城址から小郡改め、新山口からの高速バスを降りた明倫館までに広い範囲で残っている、今で言うところの伝統的景観保存地区、早い話が、武家屋敷の残る古い街並みですが、わざわざ市内中心部を回るのであれば、わざと遠回りするバスの一日乗車券など買わずにとっとと、明倫館前から歩いて古い街並み経由、お城に向かえば佳かったと思うくらい、古い木造建築が良好に保存されており、しかも驚くことにその多くが、住居や店舗として、今も住人を宿しているのですがそのうちの一軒の、藩の重役の屋敷だったというお宅の外回りを一枚戴いてみたもの。

九枚目のカットですが、先ほど市内循環バスを降りた東側の船着き場のあるお濠沿いの道路上にある観光案内板を頼りに、ひたすら東側に位置する明倫館、即ち、帰りのバスに乗るターミナルの方角を目指して歩き出したのですが、さすがにお城の近くの元武家屋敷はどれも相当な面積があるらしく、長い塀、そしてそれらが載った石垣が延々と続くばかりで、早く写真の撮り甲斐ありそうな場所に出たいものだ、とか思いながら歩いていたら到達した、城内と町屋地域との境目に建てられていた北の総門を木造復元したものを町屋側から撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、「北の総門」を過ぎてまもなく、幹線道路沿いに古民家をリノベした、或いは周囲とそっくりに建て直した建物に収まった、土産物屋、飲食店などが軒を並べ、観光客なども行き交い、活気ある地域に出て、その中でも、よく、金沢や福井といった北陸界隈の北前船で栄えた古い港町辺りで見かけることの多い大土蔵の、塗りたての漆喰壁も美しい建物を横から一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、古い街並みを徘徊し、やれ、高杉晋助の生家だ、木戸孝允の旧宅だとか、名所旧跡を眺めるだけでは飽き足らず、萩焼の窯元の店先の笊にちょこんと置かれていた、ご奉仕品の湯呑がどうしても気になって、いったん通り過ぎたあと、1kmも先からまた戻って買い求め、あれこれ眺めては行きつ戻りつしている最中、日傘をさし、しゃらんしゃらんと優雅に追い越していった小姐に街並みへのエキストラ出演して頂いたもの。

十二枚目のカットですが、同じく、城下町のタイムスリップした先の迷宮のような細い路地のような街並みを眺めながら徘徊し、時折、面白げな建物などを見かけたら、都度、シャッターを切っていたのですが、傍らを通り過ぎて行ったのが、なんと、漫画「ちびまる子ちゃん」から抜け出てきたような髪型、体形、そして動きの小々姐連れの中年の母親で、これは街並みとのアンマッチさが面白いと思い一枚撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、そろそろ幹線道路に出て、明倫館を目指さないと、この街を出発する前にアフタヌンティーのお茶とスィーツを楽しむ時間がなくなってしまうので、萩焼の窯元などが点在する細い通りの入り組んだエリアから北に向かって歩き出したところ、ちょうどお客を二人載せた人力車が通り過ぎていったので、速足で追いすがり、停まって説明するためにスピードダウンしたところを狙って一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、幹線道路を行き交う車の喧噪が聞こえる辺りまで来たら、この伝統建築群が建ち並ぶエリアに足を踏み入れる時に幹線道路側から撮っていたとは、完全に失念し、街並み側から立ち並ぶ大土蔵下部の海鼠壁の出来栄えが美しいと思い、秋の青空をバックに一枚撮ってみたもの。

十五枚目のカットですが、直線距離では、1.8Kmもなかったにも関わらず、伝統建築が建ち並ぶエリアでかなり歩き回ったせいか、スマホンの万歩計ベースでの移動距離は、軽く4kmを超えた辺りで、やっとバスターミナルの在る、明倫館横の広場に辿り着き、着いて早々に市内循環バスに乗ってしまったために仔細に検分していなかった明倫館の入場料要らないエリアだけでも見ておこうと思い、まずはランドマーク的な正門と赤瓦も美しい校舎群を撮ってみたもの。
さて、次回は、翌日の岩国、そして最終日の大阪城公園の様子をレポートしたいと考えております、乞うご期待!!
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- 2023/01/15(日) 19:15:08|
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