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深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

Japan's legacy reborn ~Mamiya Prismat58mmf1.7WP mod.M by F.G.W.G.~

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さて、今回の更新は、当工房、今年の初操業の結果であるMamiya Sekor58mmf1.7WP改Mマウント(非連動)をレポートしたいと思います。
まず、このレンズというか、このマウントのカメラも、マウント変幻自在のマミヤにあっては、極めて過渡的なモデルにつき、結構希少とのことで、マミヤプリズマットという135判の一眼レフのシリーズで、1960年の量産時点ではユニバーサルマウントとしてエクザクタマウントを採用したのですが、1962年に写真機工業会で3本爪の新バヨネットマウントをユニバーサルマウントとして採用しようと検討され、何故か他社が様子見の段階で、マミヤのみが主力製品に採用し、今回の58mm、35mm、そして135mmの同マウントの交換レンズをリリースしたものの、またその二年後にはM42のごく普通のマウントに逆戻りしたとのことです。
このレンズの構成は4群6枚の極めてオーソドックスなWガウス型、バックフォーカスがかなり長かったため、50mm径20mm厚の真鍮丸インゴットから総削り出し+黒色Niメッキ+シリコンアクリル系焼付塗装で仕上げています。
では、さっそく、1月下旬の春まだき浅草での試写結果を逐次眺めて参りましょう。
カメラはSONY α7RII、全コマ開放による絞り優先AE撮影となります。

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まず一枚目のカットですが、東京メトロ浅草駅から地上に上がり、まずは定点観測スポットその壱である、雷門前へと向かい、だいぶ海外からのゲストが増えたことも、被写体となりそうな門前の賑わいが、概ねCOVID19蔓延以前に戻ったような印象で、なかでも、中国メインランドないし台湾からやって来たと思しき、北京語を話す一家が分業体制で雷門の巨大赤提灯前で記念撮影など行っていたので、いたいけなカメラマン役の極小姐の仕事ぶりを傍らから一枚戴いてみたもの。

Mamiya_WP58mmf17_002.jpg
二枚目のカットですが、ここも雷門前広場で、一枚目のカットの中の極小姐の手の中のスマホンにその姿が垣間見える、若いヲヤヂさんと、その腕で高く掲げられ、松下幸之助翁の寄贈した絢爛豪華な巨大赤提灯底部の金色金具に手を触れようとしている、白い兔ちゃん帽の極小姐の更に幼い妹さんの姿を一枚戴いてみたもの。

Mamiya_WP58mmf17_003.jpg
三枚目のカットですが、雷門前広場を後にして、次なる定点観測スポット、仲見世沿いの「美人茶屋あづま」さんでは、むくつけき兄ちゃんが複数名で獅子奮迅の働きの店舗オペレーションしていたのが目に留まったので戦意喪失、いったんパスして、そのまた次の定点観測スポットである、仲見世の一本西側の側道と「美人茶屋あづま」さん北側の通路との交差点北西に位置する扇子屋さん店頭の大和絵団扇の風神図の褌にピンを合わせて撮ってみたもの。

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四枚目のカットですが、無事、扇子屋さん前での試写も終え、陽もだいぶ傾きかけた仲見世通りにまた戻り、まずは目の前に聳える宝蔵門目指して歩き出したところ、またしても、中華系小姐の一個分隊が、日本に着いてからウニクロかゲーウー辺りで調達したのでしょうか、お揃いの藤色モコモコ防寒着を着込み、辺りかまわず路上で人民集会などやっている風情だったので、それならば、と有難く仲見世の店々と宝蔵門をバックに一枚戴いてみたもの。

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五枚目のカットですが、人民集会の中華系小姐のところを通り過ぎ、もう伝法院通りとの交差点へも十数メートルという辺りで、マスク無用の陽気な巻き舌の英語で同行の老若男女を笑わせ、場を盛り上げている髭面でNYヤンキーズの帽子をかぶった年齢不詳の白人男性が目に留まったので、これはしめた!とばかり満面の笑みを浮かべて速足で近づき、こちらも目いっぱい巻き舌英語で、兄さん、一枚撮らせてね、ヤンキーズのキャップが決まってるしね!と声かけてモデルさんになってもらったもの。

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六枚目のカットですが、長いようで短い、仲見世を歩き切って、なぜかこのところ、パドルを紐で固定してしまい、水汲み体験が出来ないようにされてしまっている、宝蔵門脇の手漕ぎポンプを横目で見ながら、門の下を潜り、次なる定点観測スポットである御籤売り場に足を運んでみれば、居ました、居ました、小姐は伝統的なチョゴリに防寒着、兄さんは、渋い和服という逆「李方子」様状態のカポーが目に留まったので、有難くその後姿を一枚戴いてみたもの。

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七枚目のカットですが、まずは本堂にお参りをして、庭先を荒らさせて頂く非礼の許しを乞うておいてから、本堂西側から旧奥山エリア経由向かったのが、ここも定点観測スポットである、西参道の脇にある、常盤堂プレゼンツのいわゆる「風車の弥七」オブジェでいつも通り、東向きの壁面端の南側から北の方向に向け、手ごろな一枚にピンを合わせてボケ具合いをテストしてみたもの。

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八枚目のカットですが、「風車の弥七」オブジェの北側が浅草寺の西参道となっており、ここは仲見世通りや伝法院通りとは異なり、かなり前から、高い屋根のアーケードが架けられており、一番浅草寺に近い辺りには、雷おこし老舗の常盤堂が生き残りを賭して進出した新業態のメロンパン屋さんがあり、この日も相も変わらず、かなりの人だかりで賑わっていたので、遠巻きにその様子を一枚戴いてみたもの。

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九枚目のカットですが、花やしき南側の障子戸もどきのオブジェが着物姿の小姐、特に、顔の上半分のみを覆う、ネコだったか、キツネだったかのモフモフマスク着用で撮るのが、何故か流行っていて、何回か、スマホンのシャッター押して撮って上げる代わりに試写の実験台になって貰ったことがあったので、あわよくば、と思い足を運んでみましたが、人っ子一人立ってはいなかったので、仕方なく、通行人が居る時を狙って、花やしき通りの様子を一枚撮ってみたもの。

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十枚目のカットですが、同じく花やしき通りの路上、さぁてと次はどこで撮ろうかと逡巡しているうちに、東の方角から、いたいけな若いカポーを載せた人力車が勢いよく走ってきたので、いったん通しておいて、陽も暮れかけた、浅草の街並みを走り抜ける人力車の後姿を花やしきのメインエントランスの建物をバックに一枚撮ってみたもの。

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十一枚目のカットですが、そろそろイブニングティーもしたいキブンだったので、浅草寺・仲見世・観音通り経由、浅草駅へ戻ろうと再び、奥山方面から境内に足を踏み入れさせて頂き、本堂手前くらいまで来た辺りで、ちょうどスカイツリーが東側のビル群の向こうににょっきりと伸びているような構図になってきたので、いったん足を止めて、陽も暮れかかるのに、参拝客で賑わう境内越しにスカイツリーの雄姿を一枚撮ってみたもの。

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十二枚目のカットですが、これもいつもの後ボケのテストパターンですが、本堂両脇に据え付けられた巨大な銅製?の天水桶のうち、西側のものの上部外周に赤く陽刻された、おそらくは寄贈者の意図でしょうが「魚壱場」と象形文字を交えたイメージにピンを合わせて背景のスカイツリーをぼかしてみたもの。

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十三枚目のカットですが、この時間になると、本堂の扉は寺院関係者の手によって、翌早朝まで固く閉じられてしまうのですが、それでも、参拝客はひきも切らずで、本堂前にしつらえられた、巨大焼香炉には、その立ち上る煙によって、それぞれが意図するご利益をしっかり頂こうと、目に入る煙が沁みるのものかわ、しっかり、頭といわず、上半身といわず、煙を体になすりつけていたので、おごそかなキブンで、その様子を一枚戴いてみたもの。

Mamiya_WP58mmf17_014.jpg
十四枚目のカットですが、来た時とはうって変わって、売り場には灯が点り、黄昏時の様相を呈してきた御籤売場で、いかにも冬化粧といった雰囲気の藍白という、スカイツリー本体のベースカラーと同系統の着物を着こなし、同じ色の瀟洒な花の髪飾りを付けた小姐が目に留まったので、有難く後ろ姿出演願ったもの。

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十五枚目のカットですが、冬至は過ぎたとはいえ、まだ足の早い冬の黄昏時のこと、雷門まで辿り着く頃には、すっかりと陽は暮れてしまい、辺りのお店には暖かげな色合いの灯が点り、浅草寺周辺での最後の定点観測スポットである、三定本店西隣の土産物屋さん店頭に一年中展示販売され、しかも、時折、商品の入れ替えもされていると思しき、本来は夏の季語である風鈴の儚げなガラスの姿を下から一枚撮ってみたもの。

今回の感想ですが、EVFで最大倍率に拡大してみると、開放だからか、さすがに球面収差とコマ収差の影響だと思いますが、最新の50mmクラスの玉と比べれば、ピントの山が多少は甘いですが、それでも、必要かつ十分な解像力は備え、またフィルムに比べれば格段に条件の厳しい周辺部でも、像面湾曲は言うに及ばず、思ったほどは解像力もコントラストも落ちてはおらず、改造して現代に蘇らせた価値はあったのでは、と思いました。

さて、次回は、大阪から戻った週末に、満を持して旧玉をお供に名所旧跡を巡った北陸~名古屋ツアーからご紹介したいと思います、乞うご期待!!
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  1. 2023/02/12(日) 17:18:39|
  2. Mマウント改造レンズ
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今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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