さて、今回の更新は、予告通り、SONYα7cにVario-Elmar21-35mmf3.5-4asph.で一本勝負を挑んだ下越地方の名城の様子をお送り致したいと思います。
まずは簡単な行程のご紹介ですが、昨年は9月の下旬のテレワーク時、ふと、奉公先の地方工場に行った際に現地スタッフから言われた、「桜の高田城はとてもきれい」とか、日本城郭検定で頻出の、「低湿地に築城されたため、不同沈下を起こし易い石垣とはせず、城内には排水のための高度な暗渠が巡らされている」を思い出し、さすがにここだけを観に一泊で行くのも何なので、9/23(土)に空模様もものかわ、先の上田城・小諸城日帰りツアーの延長戦として、長野の先の上越妙高まで北陸新幹線で移動し、そこからはねこうまラインという第三セクター鉄道に乗って二つ目の駅である「高田駅」で降り、だいぶ泣き出しそうな雲行きではあったのですが、腹が減っては戦は出来ぬの譬え通り、まずは駅を降り、お城の途上にある、大きめなお寿司屋さんに入って、海鮮丼のランチを頂いてから、雨を気にしぃしぃ、お城を目指してひたすら歩くこと15分弱、小ぶりな復元三階櫓しかない小規模なお城にしては、場違いなカンジの広大なお濠越しに、目指す櫓が見えて来たので、足を速めて曲輪内に入り、思う存分撮ってからまた駅に戻って、またはねこうまラインで上越妙高まで戻り、イブニングティーを楽しんでから、その日のうちにお江戸に戻ったというものです。
では、さっそく現地での足取りに沿った実写結果を逐次眺めて参りましょう。

まず一枚目のカットですが、高田駅からお城を目指して歩いていくと、川幅はそれほど広くはないものの、堤防がV字型に深い川に架かった橋を渡り、そして暫くすると、湖の如き広大な外堀、現在は東洋最大の蓮畑になっているらしいのですが、そこに架けられた橋を渡ると、またしても、そこそこの幅の内濠が現れ、まさに映画「のぼうの城」そのものの水に浮く城のイメージでしたが、内濠越しに土塁にしてはかなり高い櫓台の上の三階櫓の裏側を一枚撮ってみたもの。

二枚目のカットですが、内濠を渡ると、お城のシンボルである、鉄骨+木造のハイブリッド三階櫓が間近に見えるようになり、外観もさることながら、RC造でもなく、かといって、木造復元でもない、第三の復元建造物の内部を仔細に検分出来ると思うと、否が応でも興奮は高まり、土塁の一角に設けられた、入口につながる階段への道へと速足で進んでいたのですがちょうど、前カットの90度横の位置で、木立が切れ、建物の全体像は比較的良く捉えられる場所に出たので、足を止めて一枚撮ってみたもの。

三枚目のカットですが、三階櫓の近くまでやっては来たのですが、懸念していた通り、通り雨の雨足が強まってきたので、トイレ休憩も兼ねて、櫓の建つ土塁の麓に設けられた、管理棟兼無料休憩所兼厠に立ち寄り、用を済ませてから、無料休憩所のベンチから外の雨の具合を眺め、10分ほどして小康状態になってきたので、一気に階段を駆け上り、三階櫓の入口に駆け込もうと思った時、ここからの見上げるアングルもなかなかと思い、相合傘で佇むカポーを入れて一枚撮ってみたもの。

四枚目のカットですが、入口で入場料を払い、建物の中に足を踏み入れてみると、確かに某国営放送の大型時代劇シリーズの建物監修を行っている、有名城郭研究家の大先生が「木造復元」とその著書で書いてしまうほど、見た目は良く出来ており、視界に入る建物内の様子は、太い木の柱や梁がここぞとばかりに大迫力で巡らされており、昭和一桁代から、平成に入るまで日本各地で作られたRC造の、外はお城、中は不規則な空間の狭いビルディングという天守、櫓とは一線を画している様子を一枚撮ってみたもの。

五枚目のカットですが、同じく、三階櫓内部は一階のフロアですが、ここも、三階櫓で言えば、白河小峰城とか、この前週に訪問した西尾城本丸丑寅櫓のように、内部に建てられた木の柱、建築工学的には、二階の外周部分と合致する位置に建てられた柱の大きさも、見た目では殆ど同じで、傷がつかない程度に叩いてみたところ、どうやら、表面の木は薄板を貼っただけのものらしく、内部には鉄骨が建てられていて、おそらくは耐火材を介し、その上に化粧板でしょうが、木材を貼り付け、全体的に木造復元に非常に良く似せた様子を一枚撮ってみたもの。

六枚目のカットですが、三階櫓二階の切妻破風の手前から、「武者走り」に相当する上階支持柱列外側の廊下状のスペース天井部分にこれでもか、と張り巡らされた、木の柱、梁、そして垂木の上の野地板、確かにこれだけ木材をふんだんに用いて、中を飾り立てれば、木造復元には及ばないまでも、耐震強度、耐火構造に関する規制をクリアしながら、見た目は木造に限りなく近いテイストのお城が出来るなぁとか感心して一枚撮ってみたもの。

七枚目のカットですが、確かによくよく考えてみれば、城郭建築では屋根の形状はほぼ例外なく、入母屋造りという短辺の上部から半分以下が三角形に開口(破風)していて、その下に長辺と90度の位置で短い屋根が付けられている屋根構造が一般的なのですが、ここ、高田城三階櫓では南北の破風は一階部分も、三階部分も何故かその短い屋根付の入母屋造りではなく、切妻造りという民家や土蔵に用いられるようなエコノミータイプの構造になっていて、中はどのように再現されているのか興味津々で確認しながら一枚撮ってみたもの。

八枚目のカットですが、階段を登り、各階の展示を眺めながら最上階に到達すると、これまでの、窓からの採光がなく、薄暗い人工照明だけだった一階、二階とはうって変わって、広く開け放たれた窓からの外光に照らされた室内は明るいことこの上なく、冷静に考えたら、戦闘時の物見台かつ、英語で「Tarret」、そう戦艦大和などの「砲塔」と同じ用語が当てられており、弓矢ら鉄砲で押し寄せる敵を撃破する目的の建物なのに、こんな窓が広くて日当たり良好では、敵からも思う存分撃ち返されて、守備兵は瞬く間に全滅するのではと心配しつつ撮った一枚。

九枚目のカットですが、RC造と木造、これは現存・復元共に、の話ですが、見分けるポイントは、屋根裏の小屋組の展示有無で、犬山城の天守の様に天井板を張ってしまって、屋根裏を見えないようにしている例外はありますが、そもそも構造上、小屋組など存在しないRC造では見せようがないため、例外なく天井板を張って、内側を見せないようにしていますが、この鉄骨造の復元櫓は、限りなく木造に近い屋根裏の見た目を再現しており、ご丁寧なことに、木造建築ばりの上げ棟札まで小屋組の最上部に打ち付けているので、ここまでやるか?と感心して一枚撮ってみたもの。

十枚目のカットですが、三階櫓最上階の光が良く射し込む窓は、反対にそこからの眺めもすこぶる良いということなので、さっそく、窓辺から下界を眺めてみれば、たまたま正面入口の真上に位置する窓だったため、本瓦棒葺の屋根越しに、このお城の特徴のひとつである、これだけの大きな三階櫓が石垣ではなく、高い土塁の上に建てられているということが上からもよく見て取れる構図なので、せっかくなので一枚撮ってみたもの。

十一枚目のカットですが、この日は降ったりやんだりの、お城巡りを生きがいとする人間には、かなり苛酷な一日で、三階櫓最上階からの絶景も見える距離が限られてしまい、本来なら、何もない田舎町のこと、新潟は下越地方の名山であり、駅名にも名前が採られている妙高山も見えず、それでも近場の山の稜線が内濠とその周囲の緑の木々越しに見えて、なかなか鄙の景色としては秀逸だったため、記念に一枚撮ってみたもの。

十二枚目のカットですが、人生もお城巡りも登り切ってしまえば、後は下って、退場するだけなので、最上階の屋根裏の小屋組構造と窓からの下界の景色を十分堪能したのち、水が良いためか、お茶と自家製ケーキが美味しい上越妙高駅構内の土産物屋兼食堂でのティータイムに思いを馳せ、受付の係員各位に感想などを述べたのち下城し、入口付近から、櫓にしては高級な真壁造り(漆喰壁の間に柱材が見える構造)と下見板張りと漆喰壁のコンビネーションが美しく、ちょっと破風が大げさで天守閣に日和ったカンジがないでもない外観をドアップで撮ってみたもの。

十三枚目のカットですが、ここ高田城も、全国各地の数多くのお城と同様、明治維新以降の廃城、都市化によって、城郭の全ての建造物は損なわれ、お濠も大半が埋められて道路や駐車場、学校などの敷地になってしまいましたが、それでも、本丸のそこかしこには、ここが城郭の一部であったことを示す記憶の残滓とも言える、かなり高い土塁が遺されており、その草む姿が秋の雨にしっとりと濡れて、イイ色合いを出していたので、一枚撮ってみたもの。

十四枚目のカットですが、ここ本丸は「浮き城」と呼ばれた忍城や、その一族の城であり、同様に湿地の中に廓を点在させていた騎西城同様、本丸は周囲を比較的大きな内堀に囲まれていて、有事の際は、二の丸との間の木の橋を落としてしまえば、本丸へは敵勢が攻め込めない構造になっていたのですが、そのうちの一本、南側に架けられていたという「極楽橋」を木製で復元したものを渡る前に一枚撮ってみたもの。

十五喰のコンビネーションもシックな、鉄骨と木造のサイボーグ櫓が、雨の中、江戸表からよう来て下さった、と、帰り道を見送ってくれているような雰囲気だったので、手を振りたい思いで一枚撮ってみたもの。
今回の感想ですが、「弁慶の七つ道具」よろしく数多くの焦点距離のレンズをメインとサブの二台のカメラとともに知恵の輪の如く、カメラバッグに収めて出かけて、シチュエーションに応じて交換し、適切な画角で収めてくるのが正道なのかも知れませんが、フィルムカメラと違い、ミラーレスはレンズ交換に余計に神経使わねばならず、その結果、多くは28mm一本勝負とか、25mmで撮り尽くしとか、結局、持って行った他のレンズはウェイトトレーニングの鉄アレー代わりにしかならず、特に今回は出かける前から、天候が宜しくないことは覚悟していたので、この極めて高性能で高価なズームは大変いい仕事してくれたと感じました。
さて、次回は、またしてもクラシックレンズ達と旅をしてきた京都近郊の史跡巡りを二週に亘ってお送り致します、乞うご期待!!
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- 2023/03/26(日) 16:06:11|
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