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深川精密工房 [Fukagawa Genauigkeit Werke GmbH]

深川精密工房とは、一人のカメラマニアのおっさんの趣味が嵩じて、下町のマンション一室に工作機械を買い揃え、次々と改造レンズを作り出す秘密工場であります。 なお、現時点では原則として作品の外販、委託加工等は受付けておりません、あしからず。

A travel to explore ancient ruins of caste located around Seto island sea①

さて、今回の更新は、’23年の年明け早々にクラシックレンズ達と訪れた瀬戸内界隈ツアーから二回に亘ってお送りする一回目をご紹介したいと思います。
まずは簡単な行程紹介ですが、1/6の土曜日の朝10時台の便で岡山空港経由、市内に入り、バスのターミナルある駅前から市電で10分ほどのお城の目の前の宿に荷物だけ置かせて貰って、さっそく令和の大修繕から上がったばかりの漆黒に金色金物がアクセントの岡山城を外部から堪能、しかるのち、最終登城時間を睨んで、山陽本線で福山まで移動し、喜劇駅前天守閣の二つ名を持つ?福山城を訪問し、ここも岡山城に遅れること3カ月でリニュアルオープンしたてのまっさらな天守に登り、しかるのち、RC造の復元天守よりも数倍価値のある、江戸初期からの現存遺構である、伏見櫓、鐘櫓を外部から見学し、翌日は朝から津山市に出掛けて、津山城址とその城下町を探訪し、実はまだそのあと、電車とバスを乗り継ぎ、ここも前日の福山城同様、滑り込みセーフで国の重文である「閑谷学校」を見学してきたのですが、閑谷学校編は二回目でご紹介致します。
では、前半二日間のメイン部分の行程に沿って、実写結果を逐次眺めて参りましょう。

Setouchi2301_001.jpg
まず一枚目のカットですが、宿からお城へのアプローチ路は幾つかあるのですが、まずは、正規の登城ルートであり、福山城同様、太平洋戦争で焼け落ちた天守に代わって、江戸時代からずっとこの城跡を見守ってきた「月見櫓」の下を通って、天守のある本丸へと入るルートを辿ることとしたのですが、公園の木立の間を縫う道を通り、視界の開けたところで高石垣の上に聳え立つお城の裏側が、見えてきたので足を止めて一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_002.jpg
二枚目のカットですが、石垣の間に建てられた「廊下門」下を潜り抜けると、広々とした本丸となり、ここに唯一残る現存建造物が、「月見櫓」なのですが、これがなかなかの曲者で、通常は松本城のそれがお殿様の遊興目的で作られた、防禦ないし、攻撃目的とはほど遠い、それこそどこから見ても神社の神楽殿のような開放的な造りなのですが、場外からは、他の隅櫓同様、石落しは有るわ、火縄銃の排煙用と思しき高い位置の窓はあるわ、の戦のための施設そのものの様相を呈し、建物の構造も、外からは破風が付いた入母屋造り一階の上に望楼が載っかった二階建て望楼型、中からは、寄棟造りの屋根を付けた三階建ての層塔型に見えるという、摩訶不思議な建物なのです。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_003.jpg
三枚目のカットですが、「月見櫓」が建ち、宇喜田時代の古い石垣が土中に遺された姿を観察できる施設が二か所ほどある広場から、更に「不明門」を潜り抜けると、そこは天守曲輪とも云える、更に一段高い場所になっているのですが、まさにここが、今回復元工事を終えた新生・岡山城天守の向こう正面で、巨大な入母屋造りの屋根を持つ漆黒の書院造りの建物の屋根の中腹から更に三階の望楼が生えてきていて、巨大な屋根の内側には更にもう一階層とれたので、都合、六階建てになったという初期の望楼型の構造が良く見てとれるアングルではないかと思いました。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_004.jpg
四枚目のカットですが、無事、岡山城との初対面を済ませ、続いての訪問予定地、新生・福山城へ向かい、何せ、明治のご維新後、旧城郭の二の丸のお堀跡に山陽本線の線路を通し、海側に駅舎を作ってしまったという、まさに今の駅チカ或いは、高度成長期時代の喜劇駅前シリーズを先取りしたお城で、残念ながら、山陽道の名城と名高かった天守閣は太平洋戦争終戦一週間前の8/8に空襲で焼けてしまい、岡山城同様、市民の寄付などにより1966年RC造で復元され、この度、岡山城同様、令和の大改修を終え、昨年10月に再オープンしたため、是非再々訪したいと思い登城の途中で撮った、点灯前の登城ルート上のガス灯。

Setouchi2301_005.jpg
五枚目のカットですが、ここ福山は古来より山陽道の交通の要衝であり続け、築城者の水野勝成も徳川家康の従妹、即ち生母、於大の方の末弟であったこともあり、親藩として幕府の信頼も厚く、たった10万石ながら、築城当時の池田氏時代の姫路藩52万石にも十分匹敵するような巨大城郭を建てたのは、幕府からのヒト、モノ、カネの援助があったからであり、その目に見える遺構が、ここ家康が関ケ原の戦い以降に復興した伏見城から移築された、その名も「伏見櫓」であり、RC造の天守の入院中も健気に名城跡を守っていたその気高い外観を一枚撮ってみたもの。

Setouchi2301_006.jpg
六枚目のカットですが、ここ福山城址は、その巨大な郭の殆どが、明治以降に鉄道開通、海側の市街地開発等々で失われ、残っているのは、天守が建つ本丸周辺のごく一部なのですが、それでも、他の城郭にはないユニークな遺構が数々発見されており、先の「伏見櫓」同時に移築された「筋鉄門」、そしてここ、何故か、湯屋が本丸石垣の外に迫り出していて、それを支柱で支えるという、清水寺本堂舞台の如き、懸造りとなっているので、その特徴が判るよう、漆喰塀ギリギリで一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_007.jpg
七枚目のカットですが、この日は運が良いと云うか、悪いと云うか、たまたまヘンテコな有料開催イベントに当たってしまっていて、日没後、城内の本丸広場一杯に卵状のオブジェを設置していて、それを内部に仕込んだLEDだかOELだかを光源として、テーマに沿って、BGMとともに刻々と色調、照度を変えていくという類いの芸術的イベントを行うということで、17時かっきりに城内から放逐されるということで、急いで天守の全景を撮って、登城したもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_008.jpg
八枚目のカットですが、これも、おそらく、現存は云うまでもなく、歴史的資料を探っても他に例がない、天守北面の鉄板張りの外壁の様子ですが、これは、濠や高石垣の組み合わせで、まさに鉄壁の防御ラインを敷けた東西南面に対し、北側は比較的近くに小高い丘が迫っていて、しかも天守自体が、本丸の奥まった位置に建てられていて、北面からの銃砲による攻撃には比較的弱いため、さすが大阪夏の陣の年に着工した最後の近代大型城郭だけあって、銃砲からの防禦を重視したことが判るもの。
カメラはSONYα7c、レンズはVoigtlaender Ultron28mmf2による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_009.jpg
九枚目のカットですが、岡山入り二日目の朝に訪問した「津山城」唯一の復元遺構、「備中櫓」の全景を最大限に撮ろうと、お城の建つ小高い山の石段を登りながら探していたら、ちょうど、天守台の石垣の残る本丸に繋がる石垣沿いの坂道の麓辺りが35mmレンズで画角的にしっくりきそうだったので、登るのを一時中断し、下から見上げるアングルで、2005年に復元し、まだ白亜の漆喰の外観も美しい櫓の外から見た外観を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_010.jpg
十枚目のカットですが、この「津山城」、本能寺の変で主君、織田信長とともに横死したという森蘭丸の末弟である「森忠政」が築いた城で、1616年に竣工した時には、郭内には4重5階地下1階の大型天守と77棟の櫓を含め80数棟の建造物が山の頂き付近に建ち並ぶ、それは勇壮な城郭だったのですが、明治6年の廃条例で悉く破却され、平成になってから、先ほどの「備中櫓」と周囲の漆喰塀が木造復元されたものの、天守台付近は明治以降のままの姿で遺されているので、立派な廃墟感を一枚撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_011.jpg
十一枚目のカットですが、やっと今回の「津山城」訪問のメインディッシュ、「備中櫓」への登城、内部見学ということで、中に入ってしまうと全景はもちろん撮れないので、撮ろうとしたら、クリアランスが十分とれず、35mmだと建物全体が収め切れなかったので、入館前に28mmに交換し、前日の岡山城の「月見櫓」同様、外からはマッチョな戦闘施設、内側からは、普通に縁側と障子戸があるという武家屋敷の如き佇まいの「備中櫓」の城内からの全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_012.jpg
十二枚目のカットですが、これがまさに和戦両様の「備中櫓」の本質を現す内部の佇まいで、普通の武家屋敷、しかも上質な木材を使用し、床には畳が敷かれていることから、かなり身分の高い藩士も滞在することを想定した瀟洒な座敷の造りなのですが、よく見てみると、城外に面した壁には、かなり大き目な、それこそ大筒でも撃ち下ろせそうな狭間が両コーナーに穿たれており、そのコーナーから内側に向かって一本めの柱の根元にも同様に狭間が設けられており、平時には城中の屋敷の一部として使用し、戦時には他の隅櫓同様迫りくる敵を銃撃する設備だったことが判るアングルで撮ってみたもの。。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_013.jpg
十三枚目のカットですが、著名城郭研究者の先生によれば、天守と櫓は似て非なるもので、天守は、木材に檜や杉を多用し加工も上等で、居住性も追求した武家屋敷に準じた造作になっているのですが、櫓は戦闘用の施設につき、中の木材は、ひん曲がっていようと、節があろうとお構いなしで、木材も松や欅などの低級な木材で、強度のみ追求した構造材でしかなく、それ以上に天守は比較的、外光を採り入れられるような窓などの配置になっているのに、櫓は、一般的には最小限の外部を観察する格子窓、銃や弓を撃つ狭間や石落としという銃眼に相当する設備があるのみの薄暗い、それこそ土蔵のような場所なのですが、ここ津山城の「備中櫓」には、なんとお殿様をお迎えするような一段高い御座所も有ったことに感心して一枚撮ってみたもの。。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_014.jpg
十四枚目のカットですが、「備中櫓」の内部を隅々まで見学し、係りの方には、また天守でも復元したら寄らせて貰います、などと、いつになるとも判らない暇乞いをして、次の目標の「閑谷学校」への移動の時間、から逆算し、食事もこの近辺で食べておかなければならなかったので、係りの方に教えて頂いた武家屋敷街か町人町通りである城東街並み保存地区の方が駅への戻りを考えたら近いことが判ったので、ここを散策しながら食堂を探すこととし、城の下、東側の橋を渡ってすぐの街並みに足を踏み入れてすぐに全景を撮ってみたもの。
カメラはSONYα7c、レンズはErnst Leitz Summaron35mmf3.5による絞り開放AE撮影となります。

Setouchi2301_015.jpg
十五枚目のカットですが、街並みの真ん中よりちょっと行った辺りに、自衛官を引退された初老の男性が営まれている居酒屋兼食堂在ったので、ラーメンと叉焼丼という手作りで真心のこもったランチを頂き、もうちょっとご店主と話をしたしたかったのですが、次の予定が控えていて、電車に一本乗り遅れると、半日の予定を丸々ロスしてしまうので、再会を記して、ご主人とは別れ、奥の方をちょっと見てから駅に引き返そうと歩き出してすぐに見つけた、老舗と思しき造り酒屋の建物に囲まれた路地の様子を一枚撮ってみたもの。

さて次週は、岡山滞在二日目の重要目的地である「閑谷学校」、そしてその翌日は朝から四国に渡って、高松城、丸亀城と回り、最終日にフライトの時間ぎりぎりまで宿
から目と鼻の先にある「後楽園」を初めて探訪した様子をお送りしたいと思います、乞うご期待!!
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  1. 2023/07/02(日) 13:31:44|
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Author:charley944
今を去ること60年前、古き佳き江戸情緒の残るこの深川の地に標準レンズのみを頑なに用い、独特のアングルにこだわった映画監督が住んでいました。その名は小津安二郎。奇しくも彼の終いの住まい近くに工房を構え、彼の愛してやまなかったArriflex35用標準レンズの改造から始まり、忘れかけられたレンズ達を改造し、再び活躍させます。

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